はてなキーワード: プリキュアとは
もちろん人によって評価は変わるし、視聴率とか売り上げとかを評価基準にすると話は変わるし、あくまで俺の評価だ。異論は大いに認める。
その上であえて言う。
Go!プリンセスプリキュアが最高だったな。
全部が完璧だったとは言わない。
というかそんな作品はプリキュア以前にこの世には存在しないだろう。
でも欠点や粗がとても少なく、魅力がとても多かった。
キャラクター、ストーリー、世界観、絵、声優、音楽、どれもよかった。
キャラクターはストップとフリーズがやや存在意義が薄い印象だったが、みんな素晴らしかった。
メインのプリキュア4人のみならず、一般人協力者の同級生ゆい、ノーブル学園の生徒や教師たちも良かった。
モブ生徒に思わぬ美少女がいたり、どうでもよさげなザマス先生にも「いいとこあるじゃん」と思えるようなシーンがあったりする。
特に敵のディスダーク三銃士は、途中で三人が全く別の道に進んで、そして最後にまた集束していくのが実に印象深かった。
ストーリーは主人公はるかの「お姫様になりたい」という幼稚な願望をどこまでも膨らませていくもので、途中にいろいとろ都合のよさはあるのだが、
最後には中学生から大人の女として「お姫様のように生きていきたい」という姿に着地させるのはよかったと思う。
世界観は「絵本のお姫様」のような華やかさがあるものの、同時に「説教臭い」「土臭い」という印象もやや強い。
説教臭さについては、後のプリキュアシリーズにもっと説教臭い作品が出るので相対的に気にならなくなるという面もあった。
絵はキャラクターデザインが中谷友紀子というアニメーターで、最近では「薬屋のひとりごと」を担当している。
後に「トロピカル〜ジュ!プリキュア」も担当し、キュアコーラルは最高にかわいかった。
声優はプリキュア4人は嶋村侑、浅野真澄、山村響、沢城みゆき。
嶋村はゼルダの伝説のゼルダ姫や進撃の巨人のアニも好きなのでひいきにしたくなる。
キュアトゥインクルは声優もビジュアルも(変身前も変身後)もどれもとても好きだ。
音楽はエンディング曲は歌詞の一部がプリキュア4人のために4種類あるのが好きだったし
またストーリーの中で「二つの別のバイオリン曲が実は一つの曲だった」という仕掛けがあって、非常に感嘆した。
なんつうかもうプリキュアとかじゃなく全50話のオリジナルアニメとしてとても素晴らしかった。
マリみてでアニメ好きになった。同時期に始まったプリキュアは一度も見たことがなかったが、プリキュアおじさんなる存在は耳にしていたし、
当時はプリキュアおじさんを「自分の道を貫き通すかっこいい存在」とさえ思っていた気もする。
それから20年。娘が3歳になり、なんとなくプリキュア(スカイプリキュア)を見せたところ「かわいい!」と大喜び。
「これ……もしかして自分がプリキュアおじさんになるかも……」と世にも奇妙な物語や笑うセールスマンみたいな展開になると思いきや、全くハマらなかった。
子供向けによく作られたアニメだなと感心はした。変身バンク。OPとEDのキャッチャー(OPは難しいが)さや、EDで各キャラがダンスを促す演出など、娘は大喜びだった。
キャラクターの造詣も男性好みの萌えではなく、りぼんよりのビジュアルで、スラっとしたモデルの様な体形も現代的だなと感じた。ルッキズムを助長するような気もしたが(これはきっと親になったことや、年齢のせい)。
大人でも一定数好きになる人はいても、スカイプリキュアを本気でかわいいと思っている大人は割とガチのロリコンなのでは?と思うのは考え過ぎだろうか。
最終回を見終わった後、娘は「もっと「プリキュアみたい!」とせがんできた。アニメ好きではないがレトロ好きな妻が「一番最初から見てみたら」と提案してきた。レトロはアニメにも適用されるのかーと、娘とふたりはプリキュア第1話を見た結果。
お父ちゃんは心が躍った。キモオタだった頃の気持ちが少し蘇ったと同時に納得した部分もある。
これは何の裏付けもない個人的な意見だが、ふたりはプリキュアはスカイプリキュアと比べると女児向けというよりもろアニメオタク向けの作りだった。
EDにはフッフーと合いの手が入っているし、時代もあるがキャラクターの造詣ももろ90年台アニメな雰囲気であり、演出も含めおじさん受けしそうな内容。
思うにこの時はまだ女児向けアクションのノウハウが確立されておらず、制作側もある程度オタクの層が見ることを想定していたのではないだろうか。
スカイプリキュアがプリキュア第1弾として今始まっていたら、恐らくプリキュアおじさんは誕生していなかった様な気がする。
ふたりはプリキュアを見るに、プリキュアおじさんの誕生は必然的だったんだなと感じるが、3歳の娘の親になった今、もしプリキュアのイベントに行って同年代のおじさん達が盛り上がっていたら、
気持ち悪くはないが怖いと思うだろうなーと、ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!を聴きながらここに記す。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
当然なのです。中学校で習ったよね?
一応おさらい。
憲法に定める教育を受ける権利を保障する観点から、教育委員会においては、住民票や戸籍の有無にかかわらず、すべての学齢の児童生徒の義務教育諸学校への就学の機会を確保することが極めて重要です。
(中略)
市町村教育委員会は、住民基本台帳や戸籍に記載されていない学齢児童生徒が域内に居住している事実を把握した際、直ちに当該児童生徒に係る学齢簿を編製するとともに、対面により丁寧に就学の案内を行うなど、住民基本台帳や戸籍に記載されていない学齢児童生徒が就学の機会を逸することのないよう取組を徹底することが必要です。
なお、住民基本台帳に記載されていない場合や無戸籍の場合は、保護者がその子を就学させることができないのではないかと誤解している場合があり、積極的に就学手続をとるよう促す必要があります。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shugaku/detail/1422230.htm
いわんやクルド人をや。、