はてなキーワード: ヒスパニックとは
YouTubeとかで高校生の合唱コンクールや吹奏楽の演奏動画を見るのが好きなんだけど
昔は何とも思わなかったのに「黒い髪」「黒い瞳」「黄色い肌」という日本人の特徴の人間だけが
たくさん集まっていることに違和感を覚えるようになってしまった。
「多様性のある」人々が集まっていないと『これっていいの?』って違和感というか妙な義憤みたいな感情を抱くようになってしまった。
しかも、そんな義憤を抱いてる自分に、「俺は正しい感性を持ってる」っていう自己陶酔まで抱いている。
たぶん海外の映画とかドラマとかニュースとかSNSを見た影響だろう。
だけど言うまでもなくこれはグロテスクな考え方で、別に特定の人種だけが多数集まっているからといって怒りを感じるこちらの方がおかしい。
というかむしろ多様性が無い=邪悪という考え方は逆に差別的ですらあるだろう。
クラスや部活の仲間と一緒に頑張っているだけの高校生のは悪人でも罪人でも何でもない。
僕はゲットーみたいな地域に生まれて、もちろん貧乏な生活してたのでドラマに出てくる幸せな家族を見てると、これは物語に出てくるかなり作られた別のものだとずーっと思ってたし、幼稚園の集合写真は1人だけ汚い服を着て写ってるのを見るとまーまー切ない気持ちになるけど、昔の事をどうこう言っても仕方が無いので話のネタになるなーぐらいの気持ちでいる。
こんな家に生まれたのでまともな教育は受けた事がなかったし、高校は行ってたけどバカな学校で最近少子化の影響で廃校になるような学校だし、肉体労働している父親の背中を見てたので学校で勉強し大学行く意味がわからずに高校卒業して働き始めた。本当に会社で働くまでサラリーマンと呼ばれる人はどうやって金もらってるのか本当に理解出来てなかった。もちろん親に何も恨みはない。この文章の漢字とか句読点とかいろいろ間違ってたら無学のおかげなので重箱の隅を突かないでほしい。
昔からお金の掛からない遊びの一つというか悪癖で普段から雑談(ゴシップは嫌い)が止められない。友達にもおしゃべりはお金を使わない娯楽って話してるぐらいに人と話すのが苦痛ではない。とにかくおしゃべりしてる。マンションの掃除のおばさんと世間話し、同じマンションに住んでる大家さんの愚痴も結構聞かされその結果、自分の部屋の騒音もなぜか他の部屋がうるさい事になってた。会社の掃除のおじさんにも話しちゃうし、警備員さんとも冗談言ったりするし、同じフロアの他の部署人にも話し掛けるので時々びっくりされるし、ついでに言うと今の職場は人とコミュニケーションが取れる人って条件で入社できた。
人と話すといろんな事を教えてくれる。先日も美術館で茶碗見てた時も、元々の品の無さから出てくるボキャブラリーで「やべぇ、カッコイイ」って言ってたら知らないおばさんがいちいち話してくるのでマウンティングかな?と思ったけど茶碗はなんで高いか聞いたら、古いから高いのも重要だけど、誰が持ってたかも重要な要素だって教えてれた。ババアいいやつじゃんって思った。
普段物語よりもドキュメンタリーが好きなのと何か関連性というか好奇心が強いから誰も知らない事を知りたい。何でもいい。この間美容師さんが女性の前髪の切り方の話をしてくれて面白かったし、濁すけど悪い仕事してる人に警察が取り調べするときのあるあるとか、先日も中古車販売してる社長はロシアに中古車売るのは危険みたいな話とか、若いラッパーは最近のかっこいい曲を教えてくれたし、友達の会社は一部上場企業なのに殴る蹴るのブラックだとか、原発作ってたおじさんが昔は工期が長いので完成までの時間に新しい技術で工事を何度もやり直すとかいろいろ教えてくれる。正直何でもいい。許されるならヤバい何かの取引現場とか見てみたい。
お金は無いけど時々金を貯めて海外に住んでた。アメリカで住んでたマンスリーのアパートはレビューサイトで酷評されて、この地域で唯一のゲットーって悪口書かれるような所に数ヶ月居た時も、もちろん英語は中学生未満で隣の怖そうな黒人とヒスパニックの2人の部屋に何度かお呼ばれして怖かったけど、なぜかおもてなししてくれたし、中学生未満英語なのにUberの運転手には普段日本人はシャイだけど、お前はよく喋るので面白いって褒めてもらえたし、Uber繋がりだとメキシコの運転手にもなぜかインスタグラムのアカウントをフォローされた。メキシコの風俗街は怖かったけど、近寄ってきたポン引きにお使い頼んだのを思い出したけど、未だにメキシコは何語かよくわかってない。一緒にアメリカ行ってた友達は、いつも僕は英語が全く話せないのに買い物行って欲しいもの買ってきて、店員に冗談言ってるの面白いって笑ってた。そんな感じなので行きつけのドレッドヘアーの見た目が怖い黒人の店員は、店のそばを通る時に目が合うといつも手を振ってくれて、最終日に「お前が居なくなると寂しい」とか言ってた。
最近、いろんな友達からコミュ力が異常だって言われた。謙遜とかそういう話じゃなくて本当に大したことない。好きで喋ってるだけだし、何も損得がなくてその場だけの娯楽程度だ。もちろん不愉快って思う人もたくさんいるだろうぐらいには認識してるし、僕の事を良く思ってない人が居るのも知ってるしモテない。僕のオナニー程度のおしゃべりに付き合わせてるだけで逆に申し訳ないぐらいの気持ちだ。
でも、海外は別として日本で自分がそう言われるのは説明できる。
今は勤め人だけど、ちょっと前までフリーランスとして働いてたので、時間が自由にあったから部屋で本を読んだり、テレビ観たり、ネットしたりしてた。余談だけど、友達も貧乏で家に辞書しか無かったのでそれを読んでたら、友達は漢字とか言葉に詳しくなってた。僕は昔働いてた会社の雇われ社長が本を読めって言ってたので実践した。バカだから人の話ちゃんと聞いた方が絶対に良いと思ってるし、経験則だけど人の話を聞かない凡人以下は大抵破滅してる。前に読んだ本にフランスの問題で文化資本の格差が書いてあって、貧乏人の子供の自分は金融資本もなければ、文化資本も無いのは人生切なすぎる。
その結果友達には、
「僕の知ってる中で一番品がないけど、教養が一番ある。」
って言われた。褒められるためにやってないけど、無学の僕が褒められるとか少し嬉しかった。
前に韓国行ったときも民泊の現代アートやってるおばさんにも、普段パーカーのフードを被る様なファッションなので、見た目はギャングみたいだけど話してて飽きないって言われたし、この間乗ったタクシーの運転手は目的地に着いたのにメーター倒しますから話を最後まで聞かせて欲しいって訳の分からない事を言い出した。
何が言いたいかと言うと、人間は遺伝的に性格(性質)がある程度決まってるって話を読んだので、コミュ力が無い人はダメだなんて二項対立をしたいわけじゃなくて向き不向きだけの問題っていうか個性の違いだ。偏差値32のバカでも時間があれば本読んでるだけで人様から教養あるって褒められるし、会話すると間違いを正してくれたり、何か新しく気が付くきっかけを与えてくれる神も現れるので、コストゼロで毎日ちょっとずつ賢くなる気がする。高校生の時に底辺の高校からお前はバカだから学校来なくて良いって言われたけど。嫌味言われそうだから先にキャップしとくと、金は無いけど時間がたくさんあるおかげでバカでも知識付いて良かったって話をしたいだけだ。周りの友達の方が全然すごいし尊敬してる。
問題点はいつもニコニコし過ぎて、子供が書くお父さんの似顔絵のようにほうれい線が同世代と比べて圧倒的に深くなってしまった事だ。
いやぁ、とりあえず世界の終末は回避されたけど、昔の名作がディズニーの資本によってプロパガンダ作品に変容していく世界線になるとは
30年前の僕たち私たちは予想できなかったんじゃないでしょうかね?
とりあえず旧作の見どころをなぞって、とりあえずポリコレコードとフェミニスト神話を放り込んで出来た作品って感じでした。
以下ネタバレ入るけど、
救世主の母親として「母親だからって簡単に殺せると思いました?無理でした!」って突きつけたカタルシスに溢れる1作と2作は無視して、サラの息子はお茶飲んでのんびりしてたら
その殺人マシーンは数年後人間の温かさを学んで優男になりました!赤ちゃんのオムツもすぐに変えられるよ!ってなんだこれ。
神話を崩壊させるのはいいけど、残ったのはタダのロボット映画じゃん。そんなんインド映画で十分じゃないの。じゃぁ代替になるような登場人物だしてくれんだよな?
って思ったところに出てくるのはヒスパニックの普通の女。まぁ女が成長してカッコよく戦うのも悪くないけど、こいつはサラの血縁関係でも、性格が魅力的で野心に溢れるわけでもない普通の女。
ジョンは「終末論を信じるイカれた親に育てられて、ハッキングもしちゃうちょい悪少年」っていう魅力があったのに、こいつは何にもない。
女だからって理由で選ばれて、能力があるわけでもないのに戦うほぼ姫プレイ女。戦いの途中でなぜか神が舞い降りて、「その目はリーダーの目……!」みたいに言われるんだけど、こっちとしては完全に意味不明。
まぁ全てが「ポリコレだから」で説明できちゃうし、それ以外じゃ説明できない。
そもそも、というかここが一番言いたいんだけど、「ジェームズキャメロンは現代をちゃんと見ていない。見ていないので未来が描けない」
というのを言いたい。そりゃポリコレに当てはめれば「若い人はみんなリーダーになって世界を救いたがっていて、その中で女が這い上がってリーダーになる」ってのは素晴らしい脚本に思えるかもしれないけど、
ちゃんと周りを見てみろと言いたい。アメリカンドリームなんてとうの昔に終了していて、女に限らず、男も女も若い奴はみんなリーダーになりたくない。
自分の小さい世界の中で生きるのに精いっぱいで、車なんてぜいたく品で、身の回りを守るのに精いっぱい。それをキャメロンみたいな資本階級が「ポリコレ」を突きつけて、その世界を崩そうとしてくる。
そんな「正しい世界」には自分たちは入ってなくて、そこにあるのは老人たちのお金と富だけ。昔と違って、今じゃ「世界」は救うには値しないし、リーダーになってもその世界の操り人形。なる価値ない。
結局、そんな知識階級は五寸釘ほなみみたいな「可愛くて綺麗で自分たちを守ってくれるような女」を適当に選んで、それを素晴らしいものと信じて疑わない。自分たちは守られるに値すると信じて疑わないんだよな。
まぁ、流石キャメロンだけあって、コンセプトの作り方とか映画の妙、ターミネーターの良さは出てたと思うし、男をボコって快感!とかは無くて、まぁそれなりに男女平等的な扱い(ただし男は依然として特攻隊員要素として消費)なんだけど。
一番言いたいのは、
今の時代、若い奴はリーダーになりたいとか思ってない人が多いし、老害がはびこるこの世界なんて滅べと思ってるよ。全然感情移入できません。老人用の介護映画が増えて気持ちわりいなって話です。
https://forbesjapan.com/articles/detail/25073
あまり言うと反感を招きそうなのですが、国の色んな統計データ等を見る限りだと、エンタメ業界で国外と繋がっているのはオタクカルチャーだけです。
実写邦画もバラエティもドキュメンタリーもぜんぜん売れていません。放送コンテンツの売上高の海外売上比率で2017年は77%がアニメでした。ドラマとバラエティがそれぞれ10%でドキュメンタリーは2%位だったと思います。しかもドラマは特撮が込みの数値です。
こんまりメソッドが話題になりましたがgoogleでトレンドを調べると"konmari"より"Dragon Ball"の方が検索数がはるかに多いです。今ドラゴンボールの映画が海外で上映しているからです。既に全世界興行収入が日本円相当で約95億円に到達しており2018年公開邦画としては1番になります。これはコードブルーより上です。しかもまだ数値が伸びます。
これが「日本に対して、日本人がかっこいいと思うことと海外の人がかっこいいと思うことが違う」の理由です。
オタクカルチャーはその産業規模的にも文化的にも常にマイノリティーとしての抑圧を受けざるを得ない立場にありました。様々な作品でもそういった要素が表出しています。悟空はサイヤ人の移民だし、ナルトは人柱として迫害されていました。今アメリカでプチHITしているヒーローアカデミアの主人公は無能力者のマイノリティでした。そういう要素に引かれてアニメに嵌った黒人やヒスパニックの方が大勢います。自分と重ねあわせていたんですね。また、日本のアニメ製作側も昔からアフロアメリカンカルチャーを積極的に引用し答えてきました。こんど実写ドラマ化されるカウボーイビバップやNujabesと呼ばれるアーティスト参加したサムライチャンプルーはその典型です。
でも日本でも海外でもあくまでマイノリティのサブカルチャーに過ぎません。ゲームもアニメも漫画も。私にはそのギャップを果たして日本人に克服できるのか疑問に思います。彼らはweeb(日本かぶれ)と呼ばれて馬鹿にされることすらあります。そういうコミュニティの複雑な事情を理解することができるんでしょうか。
オタクはもう抑圧される側じゃないみたいな話を書くアメリカ人たちが意図的に触れていないことがあります。「アメリカ」のオタクコミュニティーに触れてきた人間なら知っていることだと思うが otaku (オタクでも geek でもないぞ、 otaku)の多くはヒスパニックだという事実だ。よく指摘されるとおり、日本のアニメは単純に安かったので、後進国やマイナー言語圏でも買ってきて翻訳することができるものだった。ヨーロッパのことはよく知らないが、ヨーロッパのマイナー言語圏にも日本アニメ愛好家が多いとは聞いている(聞いているだけだ、知っているとは俺は言えない)。
今回の聖闘士星矢の揉め事にもそういう構図がある。アメリカ人が、スペイン語を話す南米人たちのコンテンツをぶっ壊し、彼等を悲しませている。 https://twitter.com/search?f=tweets&q=eugeneson&src=typd を見れば、それがわかる。
ほんとうに厳しいのが今回この蛮行を働いた Eugene Son 自身もまた、人種的にはマイノリティであるということだ。
あまりこうやって人種や国を絡めて話をしてもしょうがないとは思うんだけど、これは偶然なのだが、白人のリンカーン・ミシェルがあんなこと言ったあとにこんなことがおきて本当にいろいろとふざけた話だというように思ってます。