はてなキーワード: カサンドラ症候群とは
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
読み取れないお前がアスペ()
(…自分がアスペって事実は何も変わらないので虚しい煽りだわ)
以下もともと書いてた事
やめとけやめとけやめとけ
相手はほぼ確実にアスペルガーだ。あなたは確実にカサンドラ症候群になる。ググってください。今後その彼氏にも、周りに彼の奇行を話してもあなたの感じた不満や違和感は永遠に共感されない。自分だけが抱えることになる。辛いぞ。自分の考えだけど、もしADHDだけなら人の心は持ってるが、アスペは人間とは脳が別の生き物だと思ってる。
生き物が違うから人間の話が伝わらないし、もし万が一努力して人間界への適応頑張ってるアスペだったとしても限界があるんだ。
定型発達なら普通に備わってて生まれた時からオートで働いてる人としてのセンサーがいくつも元々ぶっ壊れてるんだ。もともと無いんだ。
例えば、人との適切な距離感とか。心の機微を感じ取る能力とか。
「知って」「意識してその感覚を培っていこう」と努力しないと身に付かないし、
そしてまだ気付いてない常人が普通に持ちえる感覚が何百とある。
もともとその感覚は無いから。真似して「多分こんな感じだろう」と想像するしかないんだ。
私には3歳下の妹がいる。妹とは私が大学進学する18の春まで実家で過ごした。
妹は学校でも仕事でも嫌になればすぐ辞めた。だから定職はない。今は週一でアルバイトしているらしい。ちなみに現在妹は実家暮らし。
2年ほど前、結婚相談所で出会った相手と半年くらいの付き合いで結婚。結婚生活は半年で破綻し実家に戻ってきた。妹の言い分は相手がアスペルガーであると言うもの。自分はカサンドラ症候群になったそうである(某
正直、42から婚活って遅すぎやしないか。20年何をしてきたのだろう。
高校卒業後は専門学校に行っていたが親も私も知らないうちに辞めていた。その後自称アルバイトだったが風俗で働いていたのを私は知っている。私が既知だと言うことはおそらく妹は気づいていない。
昼の時間に働く正社員に一瞬なった時もあった。この時は保証人が必要だからと年金暮らしの親に代わり私が保証人になった。ところで就職するにあたり保証人が必要なのか私は聞いたことはないが、就職先は時々CMもしているホームセンター。一応まともであると思う。
しかしそのホームセンターも半年程で辞めていたのを後から知る事になるのであるよ。保証人とは?
辞めた理由はコロナ禍で接客は無理とのこと。なら何の仕事も無理なのでは?単純に嫌になっただけだろう。コロナ云々はテイの良い言い訳でしかない。
その後妹の目標は結婚になったようで結婚相談所に入会。出会った相手とスピード婚andスピード離婚するのである。
お前は何にしても続いた試しがない。とにかく男に頼るのは辞めて自立せよと伝えた。加えて結婚相談所で出会うのはどうか。お前も含めて実生活で相手を見つけられない集まりなのだから難ありと了承すべきと言う主旨の
内容をLINEした。これが一昨年の秋。
夏が来てコロナ禍ではあるが人々の移動にも多少寛容になった頃、私は娘たちを連れ四年ぶりに実家へ帰省する予定だった。
出発一週間前、母から実家には来てくれるなと理由を告げず連絡が来た。既に飛行機をキャンセルすると半分くらいしかお金が戻らない時期だった。理由をいくら聞いても母はこちらの都合でごめんなさいと謝るばかり。埒が明かないので帰省は諦めた。きっと妹が会いたくないとでも訴えたのだろう。久しぶりに祖父祖母に会うのを楽しみにしていた娘たちには行けなくなった事を伝えた。これが一番苦しかった。娘たちには私と妹の確執なんて関係ないのに申し訳なく思った。
しかし。妹に苦言を呈したのは間違いだったのだろうか。母にも腹が立った。私が妹に伝えた事はド正論であるがストレート過ぎたのだろうか?だとしても母は親として妹のふるまいを諭したりしないのだろうか?
後で知る事になるのだが、やはり夏の私たちの帰省は妹が会いたくないと言う理由から断られたものだった。
私はまずは経済的な自立を促したのだ。女が40過ぎで結婚相手を見つけるのは厳しい市場である、それでも結婚相談所での出会いを望むなら相手にも難ありを了承すべきで寛容でなければ、そりゃ成功しないだろう。
思えば結婚する時も母は私に
等と発言していた。きっといつまでも娘の世話は出来ない、いい加減手を放したかったのだろう。
ドン引きだった。
相手に経済的にぶら下がるつもりで結婚するものなのか?まずは自身が経済的に自立することが先決なのでは?ど真面目に生きてきた私はそう思った。男側だって全力で体重かけられたら逃げたくなるだろう。母は前時代的な考え方で結婚したら妻を養うものであると本気で思っているんだなと感じた出来事だった。
こんな考えだから令和の時代の結婚観についていける筈がない。私自身は大学で知り合った同級生と長く付き合った後に結婚した。夫も一馬力ではストレス大だろうし私も不安なので今でも仕事は続けて勤続25年が過ぎた。
結婚相談所で妹に出会った相手もたかだか半年で知り合った相手をただただ養うのは荷が重過ぎたのではないか?何年か付き合いがあり、その相手を養うのとでは情に違いがあり過ぎる。
そんな訳で私は親との連絡もなんとなく避けて今に至る。親と絶縁に近い状態になるとは思わなかった。
産後に夫婦関係がめちゃくちゃになりモラハラを受け続けてきて得た情報を書いていきます。
凄く試行錯誤しながら得た情報なので同じ立場の人のお役に立てるはずです。
「産後でみんな辛いんだ!」ではなく、ウィメンズプラザに電話してみましょう。
https://www.twp.metro.tokyo.lg.jp/
ウィメンズプラザで具体的な指示を貰いながら「履歴を残しましょう」と言われたら自治体の保健所や警察に相談
ある程度ウィメンズプラザでも証拠の取り方を教えてくれますが弁護士の方が詳しいです
ただ、弁護士も得意不得意があるので頑張って探す必要があります。
必ずしもネットで上位に出てくるところがよいとは限りません
https://www.bengoshikai.jp/ で目星をつけていくのも良いです。
4.ガス抜きをする
臨床心理士会 電話相談 https://www.jsccp.jp/tel/
パパママライン https://www.mamapapa-line.net/
東京都発達障害者支援センター(TOSCA) https://otona-tosca.org/
モラハラ系はアスペルガーやパーソナリティ障害のこともあるので、書籍などを読んで可能性を感じたら医療機関に相談しましょう。
街の医者に飛び込んでも見極められない(もしくは医師の方針で性格で終わる)ことがあるので、発達障害などの専門外来があるところへ行きましょう。
東京都の人は上記に相談すれば対処法や医療機関を紹介してくれます
以上です。
臨床心理士や保健所の人でもカサンドラ症候群を知らないこともあり、心無い言葉を浴びせられることもあります。
私も傷つけられてきましたがウィメンズプラザが一番優しいです。
苦しみが少しでも減りますように。
年齢:20代前半
容姿:中の下くらい。目が大きくて二重。化粧は薄め。
性格:マイペース。でも頑固で意地っ張り。なんでも一人で抱え込んでしまうタイプ。
その他:結婚前は事務職としてバリバリ働いていた。妊娠をきっかけに退職し、専業主婦に転職した。
夫にモラハラされても(本当は相手が悪いのに)自分が悪いんだって自責してたんだけど、カサンドラ症候群を知って自分がこれなんだと気づけた。
モラハラされてるときは「私なんでこんなにダメな女なんだろ」って自己嫌悪に陥ってたけど、自分のことちゃんと分析できてなかっただけだった。
私は自分がダメ人間だと思い込んでて、その思い込みが夫や子供の言動をさらに悪く解釈して悪循環だった。
例えばこの前なんか「ヨーグルトが500g1000円で安かったの。すごいよね」って話したら「高すぎ。ぼったくりだね」とか言われた。
普通は共感するところじゃないの? 思わずカッとなって殴ったらやめろって言われて10mぐらい吹っ飛ばされてた。
こういう夫だから、私はモラハラされてるけどモラハラって認識してなかったんだよね。
カサンドラ症候群だと気づけて良かったと思う。ちゃんと客観的に知れてよかった。
これからはもっと自分を大切にするし、家族のことも大事にしたいって思うようになった。
でも、この記事を書こうと思えたのは夫のせいだよね。ムカつくわホント……。
他にも買い物を頼んだときなんて「今日は残業だから無理。店が閉まってる」とかワガママを言ってくるし。
私が専業主婦の仕事で忙しくて買い物に行けないのにコイツは協力する素振りすら見せない。
ムカついたから殴っても「やめて、やめて」ばっかり言って反省もしない。