はてなキーワード: インプットとは
飲み会関連のブクマ見てるといつも「親の愛を知らずに育った施設の子どもたち」を見てる気分になる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2243004
これとか。
上司の奢りで飲むという営みを肯定的に捉えるコメントの少なさ。ほぼない。
飲み会を、上司の自慢話に付き合うだけの無益な時間、ホステスのように上司のご機嫌をとるだけのクソな時間と捉えている人々がほとんどのようだ。
こいつら仕事できねーんだろーなー!って思う。
あるいは、ろくな職場じゃねーんだろーなー!って思う。
または、つまんねー仕事してんだろーなー!って思う。
結果として無言で座ってるだけだったとしても1食分浮いてるわけで、その時点で無益でも無駄でもないはずなのだが、それすら「付き合ってやってるんだから対価は相手が払って当然」みたいな態度に驚く。俺タダメシ食っといて「奢られて当然」なんて思ったこと一度もないけどな。
飲み会なんて、参加するだけで必ず得るものは誰にでもあるんだよ。隣に座った、ふだんあまりカラミのない同僚と世間話するだけでも何かしらのインプットにはなるんだよ。まして、先輩や上司や役員なんて経験豊富で能力が高いからこそ今その職位にあるわけで、少なくともお前より仕事ができる人々だろ。そういう人とただご機嫌をとるだけの上っ面の会話しかできないんだったら、それは単にお前が飲み会から何かを持ち帰る能力が低いってだけ。クマデを持たずに潮干狩りに来ればそりゃ何も獲れないよね。持ち帰る意志がないんだから。
上司や年長者と同席したら質問しろよ。昔話でも苦労話でも自慢話でも失敗談でも何でも話題を振れよ。そういう話がただひたすら無益だなんてことあるか? 明日からのお前の仕事や人生にとって何一つプラスにならないなんてことあるか? それが事実だとしたらお前たぶんスーパーマンか何かだけど、現実にはスーパー思い上がりだよな? 自分以外の人類全員を見下してるからそういう発想になるんだよ。
人類であれば誰からだって学びを得ることができるんだよ。何なら、その気になれば5歳児からだって学びは得られる。お前が適切なクマデを持ってさえいればな!
仕事の延長みたいなかたちで連れて行かれて、参加する人はみんな仕事の関係者で、全員が2時間かそこらその場に拘束されるってのに、「はーつまらん、はー無駄、はー無益、はやくおわんねーかなー」とか考えながらただただ2時間をボーッと壁際で体育座りしてるだけでやり過ごして持ち帰ったのは疲労感だけだとしたら、それはもう完全に自分の責任だわ。アサリやハマグリがどっちゃり埋まった砂浜に立っていながら、しゃがむことすらしなかったお前のせいだわ。
もっと自分以外のものごとに興味を持てよ。関心を持てよ。自分以外の人類に少しでも敬意を抱いてみろよ。謙虚な気持ちで他人と対峙してみろよ。そうすればおのずと、「この人は俺の知らない何かを知ってそうだ」って気持ちになるんだよ。「この人をうまく突っつけば、自分にとってプラスになるような何かが得られるかもしれない」って気持ちになるんだよ。そういう気持ちで飲み会の席に座らない限り、その飲み会はお前にとって稔りあるものには決してならない。ひとえに、お前の一存なんだよ。
人からものを教わる気持ちを持て。人からものを教わるってのは、ただ口をアングリ開けて上向いてればいいってもんじゃない。「自分は人より物を知らず、目の前にいる誰かは自分の知らないことを知っているはずだ」という謙虚さに衝き動かされて初めて人は人からものを教わることができる。「この飲み会にいる人間は全員俺より馬鹿。なにも得るものはない」なんて気持ちでいるうちはお前は成長しないしお前の給料は上がらないしお前の人生はこの先もずっとつまらないままだよ。
○仕事
P社とはパートナー会社のことで、電設(日本電設工業)、リーテック、TEMSのこと。
○川柳
作業の安全啓発のため毎年社内で募集が行われる。川柳以外にポスターや動画作成でも良い。
川柳は毎年やるとネタが着きてくるが、安全教育として新白河の研修施設に「事故の歴史展示館」を作るなどたまにはインプットもしてくれる。
川崎駅の京浜東北線の事故車両を使った展示などを見ると、もし営業車だったならと想像すると気が引き締まる思いではあった。
○iPad
office 365 を全面導入し業務改革しようと頑張っている。
今は多少改善されていると思いたいが、当時はExcel で書類を作ってた。
JINJRE(ジンジャー)という設備管理システムがあり、法定点検の周期に従い工事箇所のリストを作る。
工事の見積もりはP社から取る。その見積り額を社内の人工(にんく)や歩掛(ぶがかり)の単価と比較すると全然合わない。人件費の高騰などもあり2倍以上の乖離があることも。
社員では工事できないため、結果的に相手の要求呑むしかなく、現場レベルで会計不正しているようで、気分が重かった。
書類が揃ったら社内で稟議を回す。もちろんプリントアウトした紙で。
チェックしたことを示すため、金額や数量に色鉛筆でチェックをつける。本人、上司、助役で赤、青、緑などと色が変わる。
誤りの修正が面倒で、当該書類を差し替える。助役以上に指摘された場合が厄介で、本人の赤と上司分の青は自分でチェックをつけねばならない。これが何回も繰り返される。工事の規模が大きくなると4段階5段階と増えていく。
見積額の水増しと上司の代理のチェックを合わせればなんでも出来そうな気がした。
○評価
アジャイル開発における受注者は最大の効率で稼働する箱に例えられ、インプットされた(箱に入れられた)要求・要望をその効率で実装してアウトプットされていく。効率は常に一定で発注者はコントロールすることはできない。
なので、受注側にいつまで必ずリリースする納期という考え方はなく、スケジュールは受注側で調整(=箱の効率から逆算し、箱に入れるインプットを調整する)することが求められる。
さらに、見積もり(ベロシティ?)は出すがそれも保証されるものではなく、問題が発生したら普通に遅れるし、特にリカバリという考え方もないらしい。
これまでの開発の感覚だと、進捗が遅れてたらケツ叩いて残業でも休日出勤でもさせて間に合わさせるという感覚だったが、出来高、ベストエフォートでよいというのは随分受注側に都合の良い制度だなと感じた。
こんなゆるゆるで開発になるのか??
なんじゃそりゃ。
法学部を卒業後、法科大学院進学に怖気ついて地方公務員になった。
最近やっぱり弁護士になりたい(正確に言うと、仮に仕事を辞めて弁護士にならないとしても司法試験に合格したい)と思うようになった。
学部生の時に予備試験に合格したり、法科大学院から司法試験に合格し実務家として働いている大学の同級生たちに話を聞いたり、各予備校の体験授業を受けたり説明会に行った。
当初は平日講義が夜間にあり、社会人が多く在学している某国立大学ロースクールを考えていたが、元々法科大学院進学を目指して勉強していた(所有者不明土地等関係の改正など短答分野で若干改正あり)ことや仕事があることも考慮。弁護士の友人の後輩で今年修習をしている方から予備校のインプット教材を貰った。
そして今日は早朝出勤早上がりの日であったため帰りに書店に寄り、予備試験の短答と論文の過去問、各科目の択一六法、今年度版の六法を購入した。ダンボール一箱分くらい。
頑張る。
新卒で今年から絵を描く仕事(フリーランスではない)に就いたけど、仕事に慣れれば慣れるほど反比例して趣味の絵が上手く描けなくなって本当に焦ってる。スランプのドツボにはまっている気がする。
入社してから最初の数ヶ月は忙しくてまともに家で絵を描けなかったからそのせいかとも思ったけど、多少時間が取れるようになった今でも全く描けないし前よりも悪化してる気さえするから多分違う。
1番の原因は「会社でプロの上手い絵を見すぎて目だけが肥えて、技術が追いついていない」からだと思う。良質な完成形だけをインプットしすぎた。そのせいで、絵を完成させることが出来なくなった。
よく、どんなに自信があった絵でも時間が経ってから見返すと描いていた時は気付かなかった下手な部分が見えたりするじゃん。今はそれが描き始めの数時間で起こる。「あ、この絵完成しても良くならないな…」と察する。でもそれに気付けても改善する技術が無くて良くしていくことができない。方法が分からない。だから絵が完成しないし描いていてとても苦しい…。
仕事の絵なら、その絵を使う側が完成形のビジョンを先に用意してくれているし求められるクオリティも明確だからそれに合わせて描けば良くて、ここまで苦労しないんだけどな…。
社会人になってから趣味の絵を一枚も完成させられてない。本当に良くない。自分の経験上、絵は時間をかけてでも完成させないと上達しない。だからどうにか最後まで描き上げたいけど、よくなる見込みのないものを何日もこねくり回すのが苦痛で仕方ない。
今までは一枚一枚妥協せずに絵を完成させて、見返して、改善点に気付いて次の絵をより良くしていくというサイクルが出来ていた。だから技術の成長と目の肥え具合がそこまで乖離せずに楽しくやってこれた。
下手な部分にそれなりに気付かないというのも、絵を楽しく継続して描く上では必要なことだったんだな…と今になって思う。後から下手な部分に気付くのって結構恥ずかしいけど、その時自分のできる限界まで描いたって記憶もちゃんとあるから結構前向きに捉えられていたんだよな。
このスランプから抜け出すには結局苦しくても納得いくまでこねくり回し続けるしかないんだろうな。地道にやるしかないんだ…手を少しずつでも目に追いつかせないと…。
半熟卵とジューシーなウインナーが美味しく、月見の季節はいいなあと改めて思った。
今日のお昼ご飯にわざわざモスバーガーを選んだのはSnow ManがCMをやっていたから。私自身も好きだが、姉が特にCMに出演しているメンバーの事が好きで、12日時点で他の企業がCM契約打ち切りの声明を出す中、継続を示したモスバーガーをぜひ食べて欲しいと姉から言われた。Snow Manのことは好きだし、卵も好きなので、喜んでモスバーガーの月見フォカッチャを食べた。
好きなアイドル、俳優がCMをやっているからその商品を買うというのは自然な流れだと思う。好きな人が商品を紹介することで購買意欲が増すというのもあるだろうし、好きな人が売れるならそこに貢献したいという気持ちもある。
意見が分かれるかもしれないが、私は好きなアイドルには売れてほしいと思っている。CMに沢山出て知名度を上げ、売れることで、嵐みたいな規模の大きい素敵なセットのあるコンサートを是非してほしい。そして好きなアイドルにはより良い生活を送ってほしいので、売れることで金銭的に余裕を持って物に不自由することなく生きて欲しい。
そしたら数時間後にモスバーガーがジャニーズ事務所の明確な対応が認められない限りSnow Manの契約を継続しないことを発表した。
なるほど。
私が今日お昼に食べた月見フォカッチャは何だったんだ?という気持ちになった。
あと1度継続すると示しておきながら月見フォカッチャの販売日である本日13日のランチタイムを過ぎてから発表したのも少し気持ち悪く感じた。
まず第1に性加害は許されない。犯罪なので。
そして次に芸能事務所の社長から所属タレントへの性加害という告発しにくく、精神的ダメージの大きい犯罪であったこと。これは事務所全体として問題視すべき事柄であることは間違いないと思う。対応によっては事務所が批判されるのも当然だろう。
そのような事務所の対応は自社の人権方針と合わないため契約を解除するという判断が企業によってはされることも自然な流れだと捉えられる。
この企業判断が「他社もしてるし、当社もした方がいいかな……」という考えの元、下されていないことを願うばかりだ。
20代のギリギリZ世代なので、Twitter(X)でいいねやRTされているツイートを読んで、多くの人の意見をインプットすることがあるが、「タレントに罪はないから契約切るなんてひどい!」という意見も、それに対して「企業として事務所と契約しているんだから、タレントに魅力を感じていても自社の人権方針と合わないなら切るのは当たり前だろ」と説明している意見もどちらも気持ち悪かった。
なぜ一消費者に過ぎない我々が企業目線も考慮しなければならないのか。その企業で働いていないし、株も持ってないので、企業の立場など知ったこっちゃない。
消費者は消費者らしく自分から見える範囲で感じたことを示せばいいと思う。
それが不買運動のようなものに繋がり、売上減少という形で現れるかもしれないし、お問い合わせフォームに契約切るなんて残念ですっていう意見が送られるかもしれない。
私が消費者として今思うのは「CMが今後見れなくなるのは寂しい」ということ。
モスバーガーで言えば、Snow ManのメンバーがYouTubeでモスバーガーを買いに行ったりすることもあり、CMだけにとどまらず関わりのあった企業だった。それが今後見れなくなるのはシンプルに寂しい。
他で言えば特にファンではないが、中島健人さんのKATEのリップモンスターのCMが見れなくなるのはもったいないと思った。初めてそのCMを見た時リップを付けた中島健人さんがとても美しく写っていて、思わず「リップモンスター買おうかなあ」と思ったほどだった。寂しい。
寂しいし、なんとなく気分も落ちたので、該当企業の商品を買い控えることもあると思う。消費者行動なんてそんなものだ。
ブランドのイメージキャラクターは商品と消費者を繋げてくれる存在だと思う。それが急に次々と無くなっている。モスバーガーのポスターのSnow Manの顔にポップを貼り付け見えないようにした店舗があったというツイートを見たが、これまでイメージキャラクターを務めたジャニーズ事務所所属タレントへの配慮のある対応を企業にはしてほしいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230912005213
上の記事について、たくさんコメントが来てびっくりした。初めてかもしれない。いくつか追加したい。
以降、アロマンティック・アセクシャルは長いのでAro/Aceと表記する。記事で「Ace」とアセクシャルのみの書き方をしてしまった。訂正します。
人間は30年くらい生きてたら同じコミュニティじゃなくても、一目惚れや片思いがあると思っていた。自分にはその経験が無い。中高大バイト先職場路上すべて無い。それでおかしいのではないかと思い始めた。自分に自信が無いせいで、好きになる前に諦めている可能性があっても、マジで無いのはおかしいと思った。
彼には大変悪いことをしたが、付き合ってるとき(一緒に出かけていたとき)も恋愛感情は無かった。向こうが好きだというので「ありがとう!」と思ったが、恋愛も性愛も含めた「好き」という意味であることをわかっていなかった。優しくて写真が上手なところは好きだったが、その「好き」は恋愛感情ではなかったので本来は「写真仲間でいましょう」と答えるのが正解だった。
「彼氏」としたのは、そういう呼び名をつけておくと対外的にまとまりが良かったことと、彼氏ができるのが初めてだったので「私のことを好きだという異性」を彼氏と呼んでおけば良いのかと漠然と思った。あと一緒にいるうちに何か私も心情が変わるのかなと期待して付き合っていた部分もあったと思う。幼い考えで恥ずかしい。
Aro/Aceの多くは「自分はこれから絶対恋愛をしないぞ!」と決めているわけではないと思う。恋愛感情が「無い」からいって恋愛感情を「悪い」とするわけではないからだ。恋愛感情(と思われる感情)が芽生えたら、何かがどうかなるかもしれない。全然目測は立っていないけど。過去の行動や現在の気持ちの動きに基づいてAro/Aceを自認しても、未来についてはわからないと言いたかった。
自分ももしかしたら今晩スーパーの店員さんに一目惚れして、自分は恋愛感情が無い人じゃなかった…というオチで終わるかもしれない。その時「ほらやっぱり」って言われたら申し訳無いとしか言いようがない。そう言う意味でもカミングアウトで良いことが無い。
関連してAro/Aceをカミングアウトしても、「いつか良い人が」「いつか恋愛できから」と返されて「うーん」となるシチュエーションもあるあるらしい。それを聞くとやっぱりカミングアウトで良いことは無いと思う。
確かに混同していた。自分の言いたい方は「恋愛弱者」にニュアンスが近いので直した。ありがとうございました。
自分は「好きなキャラがこう振る舞っている様子を見たい」というキャラ解釈の一つを示す動機で夢小説やBLを書いている。BLと呼んでいるが、「Love」にあたるところがわからないのでもしかしたら自分の書いているものはBLでないかもしれない。
解釈をたくさん出したいので「こういう人物が相手だったら?」「また違う人物だったら?」と主人公(夢主)も相手も色々なパターンで書いている。自分をヒロインに据える型だったら主人公設定に一貫性などが出てくると思うが、よくわからない。
自分の小説を恋愛・性愛を持つ人が読んだら「変な小説だな」と思われている可能性は十分にある。
書きながら思ったが、そもそも自分の詳しくない恋愛が発生するようなシチュエーションにわざわざキャラを入れる必要は無いかもしれない。気づきを得た。
インプットする側としては、恋愛が主題になるコンテンツを選んで読むことはほとんど無い。たまたま読んだ本の短編集に恋愛エピソードが入っていたり、映画本編の中の一つの要素としてある場合にしか恋愛コンテンツをインプットする機会は無い。
好きな俳優が出演している作品であれば見る時もあるが、恋愛モノだとよくわからないので恋愛パートについては具体的な感想が出てこない。辛そうだったら「辛いんだなあ」と思うし、嬉しそうだったら「嬉しいんだなあ」と思っている。感情移入はできないが、話を進める要素として観ているので嫌悪感は持たない。
「イキイキしている」は一喜一憂も含めてだったので、辛いを思いをしている人にとっては確かに嫌味だな。ごめん。
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思考整理を兼ねたいたずら書きのような記事に色々突っ込んでもらえたので面白かった。ありがとうございました。
ところでカミングアウトへの考え方は正反対だけど、「ブサイクのアセクシャルがどんどん出てきてほしい」はものすごい共感してる。
別にいつでもいいような用件とか説教を必ず自分が何か楽しんでるとき、たとえばめちゃくちゃ楽しみにしてた何かの試合見てる時とかドラマとか本読んでるときとかにしてくる。
何かインプットしてるときに限らず、自分が楽しそうに笑ってる時とかテンション高いときとか気分良さそうに歌ってる時とかにもしてくる。
もうこれが結婚してから何回も繰り返されてるので、自分も動物的な勘が働いて何か楽しみがあってもそれが悟られないように生活するようになった。
それが数年続いてるけど、正直息が詰まりそうだ。感情を意図的に出さないようにしてたら、なんか心の中ですら気持ちの波風が立たなくなってしまった。家庭内では常に無な感じ。そしたら本当に怒られなくなった。それはそれで平和ではあるんだけど、何か大事なものを失ってる感じがある。
もちろん、用件や説教に覚えがないわけではない。だから自分が悪いとも思うけど、単純に一番嫌なタイミングでぶち込んでくるのは性格悪いなって心から思う。自分は人が楽しんでる姿が大好きだから絶対そういうことはしない。だから余計に気になる。
キミら本当にいいエロ漫画を描く
エロい表情を描いてくれる
たった1人の女の子でも何種類も表情があったり、同じような状況、流れのセックスだったとしても、楽しんでのセックスなのか、嫌々のセックスなのかというのをちゃんと使い分けている
表情というのは顔だけでなく仕草やそういうのも含める
多分女の子の方が人の顔や身振り手振りから情報を読み取る能力(コミュ力に近い)が長けていて
インプットも多いのでその分アウトプット、エロ漫画を描くことにも生かされているのではないか
あと竿役の男にも説得力があったりするっていうのかな
なんというかこう、男から見ても「そうだよな〜俺らのコミュニティでも女抱けてる奴ってこういう雰囲気の奴だよな〜」的な竿役が多くて
それがある種リアリティとして作品を補完してる感じがあって、より作品に入り込める
私には小雨の薄暗い昼の天気がイメージされるのですが、人によっては朝であり、また違う人によっては夜でしょう。
昨今、YouTuberの台頭で、あらゆる表現は「正解」の読み解き方がある、といった見方が広まっているようです。
(エヴァンゲリオンや、君たちはどう生きるかで、皆さんが考察していますね。)
こういった「正解」を求める姿勢は、「作者の気持ちを答えなさい」のようで、それはそれで面白いのですが、
そもそも文章や映像、音楽といったメディアは、メディアにした時点で、作者の頭の中から情報が抜け落ちているのです。
作者の頭の中
↓
↓
↓
↓
読者・視聴者の頭の中
という流れを経ます。
俳句は圧縮率がとても高いメディアなので、読者は自身で様々な情報を補いつつデコード・展開をしないといけないわけです。
だから、「古池や 蛙飛び込む 水の音」が昼なのか夜なのかは、読者が補う必要があるわけですね。
俳句に限らず、普通の文章もそれなりに圧縮されているのだから、作者の頭の中と読者・視聴者の頭の中を同じにすることは不可能なわけです。
色々言いましたが、私は、「もにょる」には、「間違った言葉選びをしたくないから、もにょる、のような汎用性の高い(圧縮率が高い)言葉にしておこう」という印象を受けます。
せっかく圧縮率の高い言葉を使ってくれているのだから、作者の感情は、読者が自由に補えばいいのではないでしょうか?
作者の頭の中を完璧に再現する必要があるのは、契約書や法律の文章、エヴァンゲリオンくらいじゃないでしょうか?
インプットはよりよいものだけにすべきだ、SNSの文章は上等じゃない、といった理由のようです。
「もにょる」が入った文章は、村上春樹に言わせれば、下等なものでしょう。
「もにょる」にイラついている人は、実は下等な文章・下等な人間にイラついているのではないでしょうか?
もしそうであれば「もにょる」が入った文章を読まず、こんなネットの場末の文章も読まず、上等な文章だけで人生を彩ってみてはいかがでしょうか?
お互い顔を忘れていた(だろう)
到着の連絡が入る。
私が先陣を切り外に出ると様子伺いしていた相手も現れる。
3年前と違い様変わりし魅力度が増していて
細マッチョ私好みのお姿に。
全てに表れていた。
徐々に思い出す。
うん、もう忘れない。
再会のキスと熱い抱擁。
鍛えられた体、
大きく硬くそびえたアソコ、
別人級になっていて釘付けで、
持久力も別人級だった。
満たされていく。
「また連絡するね」と言葉をもらい
「うん!」と返事をした。
が、
期待はしない。
建前だろうと思う。
3年前も似たような終わり方だったから。
踏ん切りつけて、
割り切り方を身につけたようだ。
私から連絡はしない。
ん?都合のいい人確定。
それでもいい。
私も人肌恋しい時もあるから、
続いてればの話だけど。