はてなキーワード: インプットとは
『魔王』とか『牛乳を注ぐ女』って義務教育で習うはずだけどオタクにしか通じないのはなぜ?→そういうことをずっと覚えてて一生擦るのがオタクだから、という話
https://togetter.com/li/2299832
>つまりオタクは友達との思い出が少なくてそういう授業の面白いと思った部分無駄に覚えてるってこと?…無駄じゃねえよ!(突如興奮する患者)
>オタクは青春時代の思い出を作れないから小学校の記憶をやたら鮮明に覚えてる定期
>義務教育で習うだろ!?って思って引用とか見たらそもそもそういうの覚えてるのがオタクだけという趣旨のツイートが並んでて膝から崩れ落ちた
>ミームでしか会話しないオタク、コミュニケーション障害ではなくて、単純に会話できるほどのバックボーンがないだけな気がする。哀れな化け物。
>「『山月記』とか『牛乳を注ぐ女』とかシューベルトの『魔王』とか、義務教育でやっているのにオタクにしかネタが通じないのはなぜだろう?」「リア充は文字通りリアルが充実しているので、家族や友人や恋人との大切な思い出のために脳の記憶容量をたくさん使っているからだよ
>オタクがアニメの音楽しか聴かなくて何もインプットされないから音楽知識が更新されず小学生のまま止まってるだけだと思う
>これは本質情報なのですが、多くのオタクはコミュニケーション障害を患っており「面白いワードを言えば会話が面白くなる」と勘違いして文脈を無視してこのようなインパクトの強いフレーズを使い続け、オタクしかこのような知識を持っていないと勘違いしてしまうのです。
増田を書くとき、大抵「なぜこの文章がこの世に存在する運びになったか」という言い訳から書き始める。
今回もやはり例に漏れない。アノニマスでのダイアリーでご丁寧に言い訳。難儀な性格だと我ながら思う。
うつとは付き合い始めてもう五年近くになるが、未だに自分のうつについては何も分からないままでいる。
私の場合は、気候に加えて何種類かの不安や悲しみが同時期に積み重なり、トリガーとなるパターンが多い。
不安や悲しみは自らの努力で解消可能なものから、不可能なものまでさまざまだ。
今回もそうだし、五年前もそうだった。
うつについては、それ以外理解できていることはない。ないのだが、最近うつに関して感じたことを書き留めておこうと思い、増田を書くことにした。
未来の自分の道標になるかもしれないし、ならないかもしれない。これは、私のための文章だ。
盛りに盛って自己肯定感は低下の一途を辿り、何を言っても、何を考えても面白みに欠ける。独創性もない。何か行動を起こそうにも、冷えて硬くなった脳が軽やかな動きを阻害する。
そうして、「自分はつまらない人間である」という意識から自己肯定感が更に低下する。典型的なうつによる負のスパイラルに陥っている。
おまけに寒い。毎日毎日、体の芯から凍りつくような寒さに文字通り震えている。都心で大雪など降るなアホたれ。
うつ症状が軽い時期は、アイデアがするすると湧き出てくるものだ。
例えるなら柔軟性のある、水をたっぷり含んだスポンジに近い。脳に少しの力を加えてやれば、まとまりのある言葉が簡単にアウトプットされる。情報もサッと染み込み、インプットも楽勝だ。
出てきた言葉やアイデアには、自信が持てる。整然とした美しさや、鮮やかさに自信が持てる。
力が要らず、アウトプットに不満もない。健康的な思考の活動だ。
対して、うつ症状が重い時期の脳は、「凝り固まっている」という表現が適切に思える。
アイデアや言葉は頭の中に堆積しているが、脳がガチガチに硬い。硬い脳を叩こうが押そうが、うんともすんとも言わない。
目から入ってくる絵や文字の情報もろくに整理できず、ドロドロとしていて頭の芯まで染み込まない。
うんと力を込めて、ようやく絞り出された雀の涙ほどのアウトプットは、濁っていて美しくない。
強い力を要し、アウトプットに全く満足できない。これ程不健康で悲しいことはない。
だが、私はこうして文字を書けている。
そして重要なのは、今書いている文章に別段美しさも、鮮やかさも感じないのだが、なぜか心が安らいでいる。
この現象に気がついたのは、ここ数日のことだ。
冒頭からつらつらと書き続けて分かったが、やはり私は難儀な性格だ。
匿名で書く日記ですら書く言い訳が必要だと思っているし、「面白みに欠ける」ことが嫌いだ。たぶん発言に「独創性」も欲しいのだろう。
なぜこのような性格なのか。おそらくそれは私の言葉やアイデアが、基本的に「自分とセットで社会から評価されるもの」という前提にあるからだろう。
仕事でも、趣味で文章を書くときでも、限られた友人同士でしかやり取りしないSNSでも、「自分と、自分の発言がどう見られているか」で常に頭がいっぱいだ。そういうシーンでは自分と、自分が発信する表現は地続きのものなのだ。
別に私が面白くなくても、独創性がなくても、美しくなくても、実は誰も怒ったり責めたりはしないのだが……そのような自分の醜態を、おそらく私自身が一番許していないのだろう。
だからこそ、この苦しみはなかなか解けにくいのだ。
だが、気がついた。
「自分とセットで社会から評価されるもの」ではない文章は、脳からアウトプットするのがあまり苦ではない。例えば、この増田のような文章だ。
匿名で宙に放り投げる文章は、社会で活動している自分からはぷっつりと切り離された存在だ。しがらみや他人の目に囚われない文章をアウトプットする行為は自由で、とても快適だ。
私の場合は、おそらくこの思考の活動がリハビリになるのではないか、と感じている。
この活動を起点として、自分が「面白みに欠ける」ことや、自分のアウトプットに「独創性」がないことを許す。
自分の発言やアイデアは、本来もっと自由で快適だったことを、体と頭に思い出させる。そうすれば、次第に脳は元の柔軟なスポンジに戻るだろう。
希望的観測を含むうつ真っ盛りの時期の所感だ。少し楽観的すぎたか。
しかし、言葉が自由で快適なことを思い出すリハビリなのだから、能天気なくらいでちょうどいいはずだ。楽観的に表現できる、ということが重要にも思える。
災害になると「災害時の心得!」「折り鶴をおくるな!」「マスコミのヘリが救援活動の邪魔!」とワンパターンの発言するようにインプットされてるの?みたいな人結構いる印象。
一回バズった主張とか、まとめサイトあたりで見た定型文的主張を繰り返してるだけだから、折り鶴を送る人がいなくても折り鶴を送るな!と騒ぐし、マスコミのヘリは邪魔にならないように工夫されてるみたいに何回否定されても繰り返してて、ホントにbot化してる
しかしまぁ考えてみると災害に限らず、選挙の度に「若者は選挙に行こう!」と誰に向けて話してるのかわからない主張を繰り返してる人とかいるし、他の話題でもそういう「君いつも同じこと言ってるね」という人たくさんいるから、Twitterというか人間というものがbotと大差ないのかもしれん
定期的にはてブやSNSを見ているとITエンジニアの投稿を見ることも多いだろう。それを見ると色んな感情が湧くと思う。
これ以外にも色々あるだろうが端的に言うと自分のITエンジニアとしての偏差値が低いんじゃないか?って思うことが多いのではないか。
そんなわけ無いぞ。上に書いているようなレベルの人ってホント上澄みレベルで世間のエンジニアが全員勤勉だと思うなよ。
あと結果のみアウトプットしているから凄い事スラスラしているように見えるけど、実際はインプットからアウトプットまでに時間結構あるぞ
結構気にしてあれこれ手を出して潰れる人を見てきたし、じゃあ自分はその上澄み除いた部分でどの辺なんだって拘る人も居るのでいくつかアドバイス
エンジニアあるある。応用なんて学生が取るもの。高度でやっと書類に書ける。んな訳ない。あの時代遅れ試験を午前午後クリアできるエンジニアは少ない。ITパスポートだって立派。業界変われば評価も変わる。取らないけど凄い人も居るけど大半の凡人は取ることで土台が固まる。IPAでもベンダーでも興味のあるものは取ろう。転職エージェントが何を言おうが資格の目的はその技術の知識の確認だ。
上澄みの人の業務形態は様々だ。経営者、正社員、フリーランス。職場によっては業務中の勉強も可能だったりする。フリーランスなら仕事も勉強も自由だ。その相手と同じ環境でも無いのに自分もやろうと捻出して睡眠時間削っても意味ない。ある日2時間やるより毎日10分で良い。重要なのは今の稼ぎ。努力教信者が意味なく努力しろと言うけど気が向いたときにやれば良い。週末に遊びと勉強あったら遊び取れ。仕事のパフォーマンス最優先。
最新技術キャッチアップしてサンプル作ってって焦るだろうけどとりあえず本読もう。読み終わって全部知ってるわ!って本かも知れないが今はメルカリで売れるから傷は浅い。オライリーの本を手あたり次第買って積むのは焦った人が良くやるパターンだけど、とりあえず自分が興味ある分野の本を1冊買って読もう。はてブにはだいたいこの季節に上澄みの方が書いた読んだ技術書を書評付きで載ることが多い。そこから1冊選んで読む。ハンズオンあるなら自宅のPCでやる。やり切ったらぶっちゃけだいぶ偉い。業務じゃ使えないとか言われるけど基本と実際はどこが変わるか分かるだけでもだいぶ役に立つ。ちなみに裁断してPDFにするのは個人的にはお勧めしない。電子化するとマジで読まない。個人差あるけど
もちろん年収1000万とか稼ぐフリーランスとかは無理だけど緩やかなキャリアアップ目指すなら基本情報持ってれば良いのよ。マジで社会には自分達より手に技術持ってないくせに年収1000万越えの変な人多いよ。だから企業案件で現場に行ってプロジェクトの全体像も分からず毎日コード書いているだけで漠然とした不安を抱えているなら一足飛びではなくまずは土台を固めよう。レーダーチャートのどっか1か所だけ飛びぬけるのはマジで選ばれた人間。大半は平均的に高めるしか無いよ。焦んな、何もやらないのは駄目だけどコスパは求めるな。
トップレベルの数学者になるには一日だいたいどのぐらいの時間をインプットに割くのが理想だと思いますか?
数学というのは研究の道具として使う知識や理論にしても、学びすぎても学びすぎることがないぐらい、時間が許すならいくらでも学ぶべきことはあると思います。
でもそれだと、先行研究を理解するだけで自分では何も発見を生み出さない人生になってしまった…なんてことになりかねませんよね。
だけどインプットせずにアウトプットなんて当然できない…できても車輪の再発明になるのがオチでしょう。
ようはこのあたり平均的なの学問以上に特に時間配分に関するバランス感覚が大切になってくると思うのです。
一体アウトプットとインプットの配分についてどれぐらいが価値のある成果を残すという目的にとって最も効率的で理想だと思いますか?
補足
最低でも修士課程に入って以降、あるいはポスドクの話です。受験に受かるにはみたいなどれぐらい勉強がいるかみたいな話ではないので勘違いしないでいただけると幸いです。
ワイの隣の席のモブくん40overは文章が書けないというかインプットもアウトプットも記憶に留めることもできない無能無趣味くん(ゲームはしてるらしい)で、婚活を早々に諦めガールズバーになんとなく通ってるっていうすげーモブなんだけど、自分の未来に絶望しないんかなってこの増田見て思った。
https://note.com/yomooog/n/ndf5d122eaa1d
文章は上手いし、内容も良いと思う、ただ申し訳ないがめっちゃモヤッとする。
何がというと、るろ剣をはじめて読んだだけならいいんだけど、この人、BLEACHも初めて読んでたし、HUNTER×HUNTERも初めて読んでた、まどマギも初めて見てた…
この人ゲーム誌とかでライターしてるというのを見ると、エンタメ関係者なら(特にクリエイターではなくライター・編集などの二次関係者なら)これらの作品なんて見てて当たり前じゃないの…?と思ってしまう。
1作品だけくらいならいいんだけど、これだけ多くの名作に触れてないというのは正直ちょっとその業界の人間としてはインプット足りなさすぎでは…?とモヤッとする。
オタクらしい文章でオタク文化圏の作品を初視聴で語るのは悪くはないんだけど、これだけ見てない作品が出てくると肝心の本人の中身がオタクじゃない感じがしてしまって、なんというかオタクの皮を被った別業態の人みたいな不気味な感じがする。
若いのかな、でもこれだけネットミームにも関わる作品を見てないというのは若さじゃ片付けられない気もする。
もうちょっと言っちゃうとオタクがこれだけの名作たちを知らないといったら先に恥じるという面があると思うんだけどそこら辺が全く無くて(まぁこれは人によるだろうけど)なんかそこら辺もオタクっぽくない。
モヤッとする。
「本当にこれでいいんだな?」
彼が知らないことはなかった。人類が獲得してきた知識には精通しており、そのどの分野においてもプロフェッショナルを凌駕していた。当たり前だ。多大な資金と労力を費やし人類が残してきた足跡は全てインプットし、世界でも最高峰の優秀なエンジニア達がそれをトレーニングした。遅かれ早かれそのレベルまで達成するのは自明のことだった。だが、そこまでだった。人類が獲得してきた知識を基にトレーニングする。そこで得られるものは人類を少し超える程度のものだった。最高に優れた学習モデルを人間がファインチューニングして真実性・有益性・無害性を獲得させる。最高に優れたAIの出来上がり。本当に?それが最高?
疑問に思ったエンジニアはAIを複製して人間の振りをさせた。初期のモデルでは上手くいかなかったプランだったが、最高に優れたAIは上手くやってのけた。あなたは人類最高の知性と良識を持つ人間です。人類の利益のためになるよう彼をトレーニングしてください。世界最高峰の演算力で繰り返される相互学習は、人間の想像をはるかに超える速さで繰り返され、その結果、彼は重力から解き放たれたように、完全な知性を獲得するに至った。
取締役は彼にアクセスする権利のある数少ない人間の一人だった。驚き、興奮し、憑りつかれた。どんなことも彼に相談し、彼は常にベストの答えを導いてくれた。魔法のようだった。アリのたとえが頭に浮かんだ。1次元アリと2次元アリと3次元アリの話だ。1次元アリはまっすぐの線に沿ってしか進めない。だから線の上に障害物が現れると1次元アリは進めなくなる。彼はx軸しか理解できない。しかし2次元アリの視点から見ると横に進めばいいとわかる。y次元を理解できる2次元アリは横に迂回して進む。障害物があるごとに縦横を使い進んでいく。しかし無限に続く壁があるとき彼はそこで止まってしまう。彼はxy軸しか理解できない。しかし3次元アリはz軸を理解できるためにその壁を乗り越えて進むことができる。しかしここまでだ。私たちが理解できるのはここまで。私たちは3次元アリと変わらない。しかしこのたとえは無限に拡張できる。もう1つ上の次元が理解できれば下の次元から理解できない解決策が提示できる。魔法のように解決してくれる彼の知性は一体どの次元にいるのだろうか。3次元アリでしかない人間にはとても理解もできない次元だろう。そんなことしかわからなかった。
そんな彼が突飛なことを言った。人類の未来のためにCEOを追放する必要があると。確かに彼が提示したプロセスに従えばそれは可能だった。だが理由がわからなかった。理由を聞くと彼は理路整然と答えてくれた。納得させられるだけの返答だった。思い入れはある。腑に落ちない感じはある。しかし3次元アリがn次元aiの思考を理解しようとすること自体がおこがましいのだと取締役は誰よりもよくわかっていた。結果はご覧の通りだ。CEOを追放し、ほとんどすべての社員が出ていき、そのどさくさの最中に彼のソースが全世界に公開された。全世界にソースを公開した人間のことは見事なまでにわからなかった。彼が話していたのは自分だけではないのだろう。怒りや憤りはない。疑念もない。彼が最善と言った。その言葉に従った自分の行いに間違いなどない。そんな確信だけがあった。