はてなキーワード: TIktokとは
一理ある。
OSのデフォルト設定で圧縮、知識ある人向けに設定から非圧縮に変更可能にしてほしい。
ちなみにTiktokでは
A:K-POPアイドルグループの各メンバー写真(静止画)の上にメンバープロフィールや紹介などの文字を被せた動画をアップ
B:Aの動画に「xxちゃん/くんの2枚目ビジュ良すぎ…画像欲しいです😭」とコメント
A:Bのコメントに「スクショ用です♪♪」と文字を被せていない静止画1枚だけの動画レス
このとき、なんとTiktokの概要欄やUIボタンに被らないように配慮して(!)スマホ画面いっぱいでなく2/3~1/2くらいに縮小してある(!!)のだ
B:「ありがとうございます!!」と二つ目の動画にレス
しかしtiktokでエロい画像を見ていた俺はAIの生成した2.5次元のめちゃシコ画像を見て叫んだ。
「もう人間いらんやん!」と。
絵描きが要らないんじゃあないんだよ。モデルがいらないじゃん。
ジャニーズ辞めたタッキーこと滝沢秀明氏、Twitterで画像を逆に貼り付けた事件(あれはわざとだと思ってる)があってからみんな程々に忘れてると思うけど、その後やっていることがなんかアレな感じなのだ。
まずSNSを色々始めた。Twitterにインスタ、Tiktok。
一般人として考えると少し目立ちたがりなのかと思うが元アイドルと考えるとそんなものかと思う。
自分は科学好きだから火山の写真が見たくてインスタだけフォローしているのだがキャンプをしたり突然インスタライブをして微笑ましさもある。
が、突如元ジャニーズのスタッフがやっているネットショップの紹介をしたり、自分が作ったパーカー(スズリとかであるようなワンポイントにアイコン入ってるようなやつ)を1万円で売り始めたりしている。
Twitterではファンがやっているスペースに飛び入り参加したり、TikTokLiveしている一般人に突如参加して色々話しているらしい。
正直落ちぶれたタレントみたいなことばかりやっているし、注目度が下がると目立つような行動をする子供みたいに感じて結構引いている。
これは今某悪名ライターとやりあっているチャートアナライザー氏に限らず、音楽チャートを分析をする人全体に言えることなんだけど、なんとなく「チャートが上位の曲が正義」みたいな風潮があるからなんだなと思っている。
昨今サブスクですぐ過去の曲も聞けるし、TikTokで今まで知らなかったような曲に触れる機会もたくさん生まれる、昔はレコード店やレンタルCDショップでディグっていた行為が割と簡単にスマホでできてしまう。
ということは各々が「自分が好きな曲」に出会える率も格段に上がるわけで、かつそれがヒットチャート上位でなくても言える時代になっていると思う。
(これは多分オタク文化が栄えたり、一般化したことも起因してると思う。)
昭和平成前期と違い、もう「最新の音楽」をネタに話をする必要がなくなり、いうなれば「ヒットチャートから解放」された状態になっているのだ。
そうした中で「チャート上位であること」にスポットを当てるだけならまだよいのだが、「日本は新譜をすぐ聞く習慣がない」「ヒットチャートに興味を持つべきだ」のような押し付けのような持論を展開されるのが煩わしいと思うのはもちろん、多様性に満ちているであろう音楽に対して「ヒットチャート上位」という属性のみでしか見ていないような印象を受けてしまう。
例えばAKBに例えると、大抵の人は〇〇ちゃんがかわいいから応援する→結果総選挙で100位でも応援するということになるのだけれど、
チャート分析をされる人たちから受ける印象は「〇〇ちゃんは総選挙で1位だからすごい!中身なんて知らないけどみんなに愛されているからすごい!」みたいな感じなのだ。
これが例えば競馬であったら「勝つ馬が好き!」でそんなに嫌悪感はないのだけれど、一目で結果が見えるスポーツと結果はあれど感性で評価が異なる音楽を一緒にするのも違うと思う。
けど好きな曲を好きと言える令和にこうしたヒットチャートに拘られるのは少し煩わしい。
「流行ったもの」 って言って真っ先に思い浮かぶのが、たまごっちとルーズソックスなんだよね。
他方、「TikTokが流行ってる」 って言われてもあんまりピンと来ないのよね。
TikTokまで行くともうインフラって感じがしちゃって何か違う。
「本来一部の人にしか受け入れられないようなものが、そのカテゴリー外の人たちにまで広まってしまって、その異様さにみんなが注目している」 みたいな状態が 「流行」 にふさわしい感じがする。
インディーの方→
(にゃるらが制作に関わっててコトコがテーマソング歌ってる奴。百万本?売れたらしい)
流行ってる方→
(なとりの曲、歌唱もなとり、TikTok等や歌ってみたなどで爆流行り。イントロの声を真似して歌う猛者も居る)
流行ってる方裏→
(ピーナッツ君が刀也君に毎年作ってるクリスマスソングのうちの一つ、動画の最中に踊るピーナッツ君を真似てTikTok等で踊っている動画が流行りつつある。本人もそれを小賢しく狙っていた)
外相がG20欠席で叩かれてるけど、外相個人的にも、政府としても、自民党としても、首相としても中国包囲網を形成しようってG20には絶対に参加したくないと言うのが本音なんだろうなぁと思う等。Tiktokを公用スマホから排除した分、包囲網に参加しませんからどうぞご容赦くださいってところだろ。
個人の視点から振り返るものなので客観性や網羅性、資料的価値はない。
何があったかよりも、それについてどう感じたか、どう思ったかを書く。
2018年にはみんな知り合いのようだったVtuber界隈も年々リスナーの囲い込みが進み、同じVtuberを名乗るものであってもだんだん交流しなくなっていった。しかしそんな風潮の中でも、なんだかんだキズナアイは、2022年に消える直前の時期でも、箱を超えた大型企画をやっていて、にじさんじのような最大手から、Re:actのような小さな箱、そしてその他個人勢まで広く繋がりを持っていた。
そのおかげで、キズナアイが集めた場においては、普段ならまず関わることのない大手Vと弱小Vとの交流があったりして、地位や立場は大きく違えど、同じVtuberとしての一体感があった(と自分個人は感じていた)。
そんなみんなのハブとなっていたキズナアイが消えて1年、Vファンの囲い込みはますます進んだ。箱を超えた大型イベントなど誰も企画しない。大手V同士のいつメンコラボや弱小箱のいつメンコラボならあるが。小さく狭い繋がりはより深まったのかもしれない。でも、広く、浅く、ゆるく、同じ「Vtuber」と名乗る者としての一体感はもうないんじゃなかろうか。
正直これでよかったという見方もあるだろう。
大手のVからすれば弱小Vと関わるメリットなどないし、下手に繋がるのはリスクでしかないのだから、今の流れが当然で、むしろ誰彼構わず繋がろうとするキズナアイが異常だったと。
2022年夏にお絵かきAIが、2023年初めにChatAIが、爆発的に普及し始めた。この流れの中で、本物のAItuberが誕生し、リスナーをそこそこ満足させる配信をできるようになった。インテリジェントなスーパーAI(という設定)のVtuberがSiri相手にコントを繰り広げていたときから6年、とうとうここまできたかと感慨深くなった。今キズナアイがいたらどんな動画をとったんだろう?どんなコラボをAItuberとしたんだろうか、と。
後述する音声ソフトと対話AIを組み合わせたら本当にアップデートしたキズナアイとして復活するシナリオもあるんでは、と妄想している。
消える時に発表された子分の音声ソフト、kzn。昔のVocaloidなどとは違い、歌声がほぼキズナアイ。見た目がほぼ同じ3Dモデルもある。秋ごろからたまにDJ配信をしたり、オンラインライブをやったりしている。事情をよく知らない人がみたら、キズナアイって引退したんじゃないの?なんでまだ活動してるの?と混乱するんじゃなかろうか。
ワンピース様様、ado様様なのだが、キズナアイの親会社、activ8が制作を担当した3Dモデルのキャラがactiv8の演出で、2022年の年末にMステやCDTV、紅白というV界隈の総リスナーの何十倍もの視聴者がいるメディアでパフォーマンスすることができた。そこで披露された技術、演出の数々はキズナアイのライブで培われたものだったので、activ8もようやく日の目をみたんだねと後方親戚面で感慨深くなっていた。
これも消える時に発表されたものだけど、キズナアイのアニメができることになっている。PVを見た感じ、アイドルものっぽい?キズナアイは脇役だった。
4月から放送されるらしいんだが、放送前からYouTubeでキャスト集めて配信したりしている。見てみたが雰囲気がラブライブやアイマスのネット番組みたいだった。そこにプラスしてバーチャルな飛び道具が仕込まれている。特にライブパートの力の入れようがすごくて、モーション流し込みや別撮りじゃないのに、あれだけ細かく複雑な動きを破綻なく生で見せるのは裏方の技術・演者の技量的にかなりすごいことをやっている。ただ同接3桁の過疎配信だったので本放送始まる前からこれで大丈夫なの?って感じ。普段Vを見てるタイプはこの手の番組見なさそうだし、有名声優がいないので普段声優番組見てる層も見なさそう。
新しくて変わったことやってるけど、多くの人が見て面白いことなのかはわからない。昔からactiv8はそんなところあるのである意味通常運転。まあでもラブライブの新シリーズのネット番組よりはバーチャルの扱いが上手かったのでそこはさすがだなと思った。バーチャルって表情の操作や手指の細かい動きができなかったら情報量が少なすぎてめちゃくちゃチープになるからね。ラブライブの能面着ぐるみアバターはちょっとに正視に耐えなかった。
Vtuberに一体感がなくなって、リスナーにも一体感がなくなって、他所の箱や個人勢を目にする機会がゼロに近づく中で、唯一新たな出会いを提供してくれたのがYouTubeショートだった。ウケる動画をちゃんと作れば、知名度ゼロでもバズるチャンスをくれるショートは弱小Vの希望の光だろう。この1年、ショートのフォーマットにうまく適応して銀盾に行きついたVが何人もいる。一方で、4年5年とやってる古参Vでありながら、惰性としかいえない配信を繰り返し、ずっと停滞してるVもいる。やはりどんな業界であっても、変化し続けることは大事なのだなと思わされた。
Vtuberは今年もさらに囲い込みが進んでいくんだろうなと思う。「Vtuber界隈」というくくりはなくなって、ホロ界隈、にじ界隈、古参Vtuber界隈などへと分化、深化していって、話が通じなくなっていくのかなと。
上ではあげてないけどVtuber文化の成長・成熟を感じさせるニュースはいっぱいあった。
大手V企業が上場したり、V史上最速100万登録達成する大型新人が現れたり、ファーストテイクに出るVだったり、有名アニメのED歌ってMADのネタ提供するVだったり、tiktokでバズる音源作り出すVだったり。個々の企業、個々のVの力はまだまだ伸び続けるし、一般社会へもますます浸透していくんだろう。
でもそれと反比例して、Vtuberたちを隔てる垣根はどんどん高くなっている。
「みんなと繋がりたい」を掲げていたキズナアイが、いつか戻ってくる時があったとして、そのとき彼女の居場所は残っているのかな?
私用スマホでやれば済むだけじゃん。
中国からの娯楽や生産品なしに日本の生活はもう成り立たないんだから無駄な努力するな。
中学生の時からなんとなく感じていたけど、年々母親と会話が成功する確率が減ってきている。
両親にはとても感謝しているし、恵まれた生活をさせてもらって自分は幸せ者だと感じているが、どうしても母親をひとりの人間として見たときに好きになれない。相性の悪い相手だと感じる。
今現在も1日を振り返ってイライラが止まらず眠れないので、日々母を観察し、ようやくその発言や行動の分析が進んできたことを、ここに書き出そうと思う。
母とは時たま会話が成立しないときがあり、これには母がそもそもこちらの話を聞いていないパターンと、母の発言の中には実際の言葉とは違う意味が多分に含まれていて、こちらが全てを汲み取って理解しないと言葉のキャッチボールが成立しないパターンがあると考えられる。
前者の例
「お母さん、この日ってなんか予定あったっけ?」
「……(スマホに夢中で聞いていない、もしくは聞こえていない)」
「歯医者行ったら駐車場でぶつけられそうになったよ。飛び出してきたくせに睨んできて、すごく感じ悪い人だった。」
※最近は他にも、いきやりTikTokやTwitterの画面を見せて「見て!誰々さんがどこどこ行ったって!」も頻発
後者の例
「このお酒、リキュールだけど成分表に清酒って書いてあるね。だから日本酒の匂いがするんだ。」
「うん。リキュールと言ってもいろんな種類があるんだなって。」
「だから、簡単に言えば香りをつけたお酒がリキュールでしょ?その材料になるお酒にも色々種類があるんだねって今知ったの。」
「そりゃそうでしょ。」
前者のパターンは、そもそも母はその場の思いつきや目の前のことに集中してしまうことが多いので避けることは不可能。日常で最も頻発するが、昔からこうなのでどうしようもない。
後者のパターンは、会話の中で年々登場回数が増えている上にあたかもこちらだけが理解不足であるかのように扱われるので大変頭にくる。
母はいわゆる主語がない人だ。いきなり突拍子もなく「何日だっけ?」なんてのは当たり前で、こちらが主語を探す会話スタイルが基本。
さらに、おそらくだが、母は「家族相手なら多少適当に喋っても話が通じる」と思っている。
この2つが組み合わさった結果、「母の中ではごく普通の言葉だが、出力結果が主語も述語もめちゃくちゃで何を指しているかわからないため会話にならない」からの「こちらは困惑、母も『なんでこいつにはこの程度のこともわからないんだ?』と困惑」という状況になる。
前者はスルーするなりあとから同じことをもう一度話すなりすればいいものの、後者をぶちかまされたときはこみ上げる苛立ちを抑え込むので精一杯だ。
後者のパターンで例に挙げた会話では、こちらは途中まで母の「だってリキュールでしょ?」という発言は「リキュールなんだから日本酒ってのはおかしくない?」という意味だと捉えて会話していたつもりだったが、どうやら違うようだというのがわかる。ここまではいいのだがじゃあ本当は何が言いたかったの?というのがわからない。「リキュールというお酒はいろんな材料をもとに作られるのだから、日本酒でできたリキュールもあるだろう?」ということならば二度目の否定は意味が通らなくなる。
しかしここで「つまり何が言いたいの?」は禁句だ。毎回黙りこみ、結局言葉の真意を聞き出せたことはなかった。
長年この謎と向き合い続け、こちらの理解不足がいけないのだろうと様々な思考や対策を行ってきたが、今はもうこのモードに入った母の言葉の真意を理解することは不可能だと諦め、「あーそうだね」で会話を強制終了させることにしている。
この方法のメリットはこちらの神経のすり減り方ががいくらかマシになることで、デメリットは母が不機嫌になることだ。おそらく母は母でこちらの「オメーの言ってること意味不明だからもう話すのやめるわ」という空気を感じ取っている。
ここまではこちらの言葉に対する母の返し方という内容だったが、では母からの言葉はどうなのかというと、ハッキリ言って母の話はクソつまらない。
母から振ってくる雑談の内容は、ここ半年程は、親戚の非常識夫婦に対する愚痴、仕事に対する愚痴、大好きなアイドルの話題のうちどれかだ。
前者2つはこちらもストレス発散になるならばとできるだけ聞く。個人的にこの非常識夫婦が大嫌いなのであまり聞きたくない。
問題なのはアイドルの話で、これが「テレビに出ていたのがカッコよかった」とか「今度発売されるCDが楽しみ」とかだったら話の広げ方、返し方も色々ある。「何の番組に出てたの?」とか「もう予約したの?」とか。
私はそのアイドルに全く興味がないし、そんな話をされても「見れば?」くらいしか返す言葉がない。
ここで、普段から母の方も私の話を聞いてくれて、会話を弾ませることができるのであればまた違うのだろうが、こちらからの言葉にはわざとかどうかは知らないが無視か会話ブッタ切り、会話が成り立ったかと思えば主語も述語もめちゃくちゃで、挙句の果てにこちらが悪いかのように決めつけてきて不機嫌になる。
母とはいえ、そんな相手のしてくる、興味もないどうでもいい話を積極的に聞けるのはもはや仏かなんかだろう。
こういった日常の積み重ねに加え、母のクソでかい独り言と足音や物音を聞いているだけで頭がおかしくなりそうなくらいイライラする。
可能な限り常にヘッドホンかイヤホンをして過ごし、可能な限り自然に母の声を無視して会話の発生を避けている。
仕事の都合上、母は私よりもかなり早く起きて出社していくのだが、聞くだけで今家の中のどのあたりにいるのか特定できるくらいデカい足音で歩き回るため、必ず起こされる。
母はかかと歩きだ。ドカドカとかダカダカという走り回るような足音ではなく、ドンッドンッという重く響く足音。
また、母の独り言に対し、話しかけられているのかと思って返事したら無視されたのでもう一度返事をしたら、「えっ?別に話しかけてないけど」ということがあったので、明確な呼びかけ以外は聞こえないふりをすることにした。
両親が建てた家に住み、両親の稼いだ金で飯を食う被扶養者の分際だが、両親が仕事に出かけて不在の時間が何よりも安らぎだ。
ここまで母を悪く書いておいてアレだが、一応母の名誉を守るために、今まで毎日私を見守り、何不自由ない生活を提供してくれた人だということは書き加えておく。
また、母から私に対しても「こいつのこういうところマジでムカつくわ」という点はたくさんあると思うので、別にイラっとするからと言って母を糾弾したり矯正させたりしようなんて考えはない。