はてなキーワード: 翻訳者とは
中学生になってからは日本語版じゃなくて英語のまま遊ぶようになって、高校生になるくらいには9割理解できるようになってた。
誤訳するやつは人間以下、生きる価値なし、俺のほうが絶対うまいわ、とかクソ翻訳者への憎悪を育てながら10年位生きてきたの。
「洋ゲーに育てられたからには恩返しは義務、ゲーム翻訳は俺の天職」みたいな考えで、掲示板で見つけた「英日翻訳者募集中」の求人に応募、そのまま採用。
ジャンルは雑多だけど、ゲーム関係の仕事もそれなりにもらえる。
単価はクソ安い。
書けないけど、時給換算したら目も当てられない。
そんでつい1ヶ月くらい前に、あるゲームの翻訳をする仕事が回ってきたからいつも通りこなして、そのときはそれで終わり。
しかもちょっと詳しい人なら一目で分かるレベルの誤訳。大誤訳。
しかもゲームだよ。コンソールで出るんだよ。実況動画とかも出るわけ。
超短いゲームで、4つしかないアイテムの1つを誤訳しちゃったんだよ。
で、多分「これって〇〇じゃないですよね…」みたいな反応するのよ
クオリティーの低い有志翻訳、某オープンワールドゲーの機械翻訳レベルの仕上がりを嘲笑ってきたんだけど、俺のミスはそれ以下。
雇い主が持ってくる仕事は玄孫請けの孫請けくらいのが多くて、責任は所在地不明。
クレームはどこかで止まるから、口を閉じてれば何も起こらない。
実は大手のゲームを翻訳できる話がまとまってて、もしこれを伝えたらそれも白紙になっちゃうし、大学卒業したら本物のプロになりたいからこの話は墓場まで持っていく…予定。
この場を借りてお詫びします。
ゲーマーの皆様へ
本当にごめんない。
本当にごめんなさい。
洋ゲーへ
僕は親不孝者です。
本当にごめんなさい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
『〈子供〉の誕生』(こどものたんじょう、フランス語:L'Enfant et la Vie familiale sous l' Ancien Regime)は、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの著作である。1960年に公刊された。子供と大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物である。フランス語の原題は『アンシャンレジーム期の子供と家族生活』という意味であり、「〈子供〉の誕生」は、日本の翻訳者がつけたものである。
アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、と言う。 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、と言う。飲酒も恋愛も自由とされた、と言う。なぜ大人と子供の一線を7〜8歳に引いたのかと言えば、この時期に言語によるコミュニケーションが可能になると考えられたためである、と言う。 7〜8歳以前の子供は動物と同じ扱いであり、大人がフリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるという。乳幼児死亡率が高く、5歳までは頭数に入れられなかった。もっとも、乳幼児死亡率が高かった理由として、医学水準が低かったことだけではなく、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に窒息により非業の死を遂げる子供が多かったといった理由も挙げられている。
教会は、嬰児殺しを厳禁していた。が、両親があれは事故だったと主張してしまえば、それ以上追及する者はいなかった。
近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供と大人を引き離すこと、特に子供にとってセックスを禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から、美術も子供をテーマにし始めた、それ以前は美術が子供をテーマにすることはなかった、と述べる。
近代学校教育制度は、大人とは異なる、子供服というものを編み出した、と述べる。この傾向は特に男児に顕著で、男児の特徴的な衣装である半ズボンが考案された。それに対し、女児の服装の変化には無頓着であった。女児は家事に専念すればいいのであって、学校教育を受ける必要性が少ないと考えられたためだ、と述べる。
これを受け、近代的な学校教育制度は、同年齢の子供を同一のクラスに編成した、と述べ、極端な場合には、寄宿舎制度を設け、子供を外部から遮断した、と述べる。
「偉い」の基準が間違ってると思う。大衆受けするテーマを分かりやすく書ける人の本が一番売れるとは思うが、同じようなテーマを研究してる研究者の中で評価の高い人が研究者としては偉いんじゃないかな。
理系でもそうだけど、「大衆受けして、誰でもメリットが分かる研究」と「専門家が見ないと価値が分からないけど、分かる人から見るとすごい研究」って別ものだと思う。
最近、豊洲市場の安全性とか北海道のブラックアウト問題とか、科学的リテラシーの低い人同士で議論してもどうにもならないことが多いので、科学的に難しい話をリテラシーの低い人にも分かるように書ける翻訳者のような人がいればいいのにと思う。
元増田は「多少余裕があるところは簡単なチェックくらいはする。」と言っているが、そこそこの規模のゲームであれば、チェックする人間がたいていは存在するはずである。
それをテスターと呼ぶことにするが、私はそのテスターだった経験があるので、その立場から話す。(言語能力的な意味で、日本でいうゲームのデバッカーとはちょっと違う)
ちなみに私も嫌いな単語は「Available」。Available to what?といつも思っている。
ちなみのちなみに、色々と恨み辛みはあるが、おおよそ「じゃあ開発リソース削ってまでローカライズに労力かけて販売本数あがんの?」で議論終了となる。ローカライズがクソでもゲームが面白ければ売れるのはFallout4を筆頭に駄目ローカライズのままそこそこ売れてるゲームたちを見ればわかるからね。日本の市場規模もそこまででかくはないし。
閑話休題。
翻訳者がコンテキストもなく訳したがために出来上がった「間違いではない翻訳」が入ったゲームをプレイして、日本語としておかしかったり、状況にそぐわない日本語を正しく美しい日本語に直すという役割である。ゲームを実際にプレイするため比較的コンテキストを得やすい立場にあり、「条件が整えば」そこそこの日本語レベルのゲームにすることが可能だ。しかし現状を見るとそうではないものが色々あるので、思いつく理由をあげていく。開発が協力的ではないというのは元増田にもあるので割愛。
あとあくまで私の短い経験の範囲内なので、偏った意見であるということも付け加えておく。前置き長くてごめんね。
前述の通りゲームが面白ければ売れてしまうので、ハイレベルな要求はされない。基本的にテスト時間も圧倒的に短い場合がほとんど。その結果、プレイヤーを混乱させなければOK、課金があるなら返金騒ぎが起きるような間違いがなければOK、音声の場合は口パクがずれてなければOKなどの超最低限のチェックだけが求められる。いくら日本語としてのクオリティをあげても評価されない現場。
そんな現場で問題の一つとなるのが低賃金であり、他の問題に関係してくる。
特に海外にテスト拠点がある企業に多いと思われるが、テスターが「日本語がそこまで流暢でない非日本人」である場合がある。賃金が低いのでビザの発給ができず、また仕事としての将来性もほとんどないため、「日本語も英語もしっかりできるまっとうな人」が集まらない。その結果ローカライズ部門の偉い人が日本語がそこそこできる現地人を平気で雇ったりする。
そうすると、文脈を知らされなかった翻訳者が訳した直訳文にそのままOKを出したりしてしまう。
もちろん海外に住んでいる日本人もいるので、そういう人たちがテスターになることもある。日本人で海外住んでるならオールオッケーでしょ!と思うかもしれないがそう簡単にいかない悲しみ。
これは日本語に関わる仕事をして気づいたのだが、日本人の日本語力というのは本当にピンキリだ。日本語難しすぎワロタということなのだろうが、商業製品で使えるレベルの日本語が使えない日本人というのはそこそこいる。ユーザー目線で文章を考えられない人も。そういう人でも一応英語は喋れるので面接は受かるのだが、そういう人がテストをしても映画や漫画、小説レベルの日本語に到底ならないのはわかるだろう。
んで多少日本語がうまかったとしても、海外に住んでる日本人で現地にどっぷり浸かっている人なんかは日本語の流行り廃りがわからなかったり、英語発音に慣れてしまって普通の日本人には馴染みのないカタカナを使ったりする。そういう人がテストをすると、コンテキストがないため仕方なく音訳したものにOKを出したり、それ英語発音ですよーというカタカナを使ったりする。なぜなら「彼らにとっては」普通だからだ。(コンテクストは微妙なレベルだがわかりやすい例)
翻訳とあまり変わらないが、テストを外部にお願いする場合、お願いされた会社は自社製品でない以上リスクはとれない。さらに評価されない部分より、見えやすい「テストカバー率」などが最優先される。テスト期間の妥当な延長も申し出れないので、そうすると「間違いではないからOK」と、「間違いではない翻訳」が見過ごされていく……。ちなみに外部企業でも、テスターの質的な問題として前述の問題がそのまま適用される。(もちろん全部がそうというわけではないよ!)
じゃあどうすれば良くなるのかって言うと、最初に言ったとおりローカライズの良し悪しで目に見えて売上が変わらない限りはどうしようもないという希望がないオチになってしまう。開発はローカライズにそこまで労力かけないからね。
Witcher3みたいに、しっかりしたローカライザーが開発チームに潜り込んでがっつり翻訳するっていうのは一つの手だが、あれって絶対労働時間おかしいことになってるはずだから手放しで賛成はできない。(もちろんあのクオリティに仕上げたのは尊敬に値するし仕事を請け負う以上ああいうふうにやりたいとは思う。ただ昨今のワークライフバランス論みたいのを見ると一般化はできないよねっていう。フリーランスとかでがっつりお賃金もらってるとかなら別だけど)
まぁ元増田の言うとおり、ファンになり褒めまくるというのは一つの手ではある。そう思うと同時に、日本語訳が微妙だと思ったら開発元とか販売元に感想送ってくれとも思う。「俺たちのゲームの日本語に問題があるんだな」という意識に開発側がなれば、開発からのアプローチが発生しそこから何かが変わるかもしれない。まぁ私はもう業界人ではないからあまり関係はないんだけども。
https://anond.hatelabo.jp/20180329160035
この投稿について書いてみたいと思う。
注意:ゲーム翻訳に関わった経験はあるが、ここに書くことがすべての場合には当たらない。あくまで経験上の話。
ちなみに翻訳で嫌いな単語は「availability」です。とにかくめんどくさい。
あの投稿にコメントなどで「意訳」という言葉が出てきたが、実際のところ翻訳者がそうしたいと思ってもできないのが現状です。
これは翻訳者やゲーム翻訳業界の問題というよりも、発注元のゲーム業界に端を発した問題だというのが個人的見解。
流れとしては開発と並行してある程度のテキストができたら翻訳を外注する。
基本的に自社で翻訳をやることはほとんどない。特に多言語に展開する場合は無理で、日本語から英語(その逆も)というメジャーな組み合わせでも同じ。
むしろ自社でやるほうが珍しいと思う。
多少余裕があるところは簡単なチェックくらいはする。
開発と同時進行であるため、機密事項と考えられるのか、情報がもらえないわけです。
スクリーンショット、話しているキャラクターが誰か、どんな状況なのか、キャラクターの背景や個性(言葉遣いとか)…
こういうのをContext(コンテクスト)というわけですが、きっちりそろえてくる会社は経験した範囲では皆無です。
開発と並行しているからそれも制約になっているとは思いますが、要求しても回答なしだったりする。
海外の会社で、「このキャラは日本のアニメでいうとこんな感じ」って言ってきたのは「やるな」と思ったくらいです。
ではどうするかというと、わずかな情報をもとに想像してやるわけです。
翻訳を進めてようやくわかるわずかなコンテクスト(それをつかむ時間的余裕もない場合が多い)とか、その程度です。
少しもらえる場合も用語集(対訳表)やスタイルガイド(「ですます調で」とか書いてあるやつ)程度がほとんど。
It's my sword.
いろいろな訳が考えられます。
「俺の剣だ」、「わしの剣じゃよ」、「私のなんだから」
状況によっては「返せ!」がしっくりくるかもしれません。
もしかしたら「剣」ではなく「ソード」がいいかもしれませんし、「刀」のほうがイメージに合うかもしれません。
イカちゃんなら「伝説の剣じゃなイカ!」とか、れんちょんなら…
状況に合わせて翻訳は変化するわけです。
大きくとらえれば「意訳」と言えるでしょう。
しかし先ほども書いたように、それができるような資料がもらえないわけです。
ならば、翻訳する方としては後で難癖付けられるのは困るので、
少なくとも「間違いではない翻訳」を提出するのです。
さっきの例で言えば「それは私の剣です」という
「どんなキャラが使っても間違いとまでは言い切れない」感じにするわけです。
もしおじいちゃんのセリフなのにイカちゃんのセリフをあててしまったらと考えると…
ネタとしては面白いのですが、資料は出さない、金も出さない、時間も与えない、が文句は言ってくるので、これは仕方がないのです。
発注する会社にそんなに余裕ないなら、「もうGoogle TranslateのAPIつかって流し込めよ」と。
そしてスピードを重視するあまりにほかの会社にチェックしてもらったり、開発会社内で十分にチェックもしないので、
なのでゲーム翻訳で不自然に感じても、生暖かい目で見てあげるとか、
むしろいい翻訳に出来上がってたら、めちゃめちゃ褒めてファンになってあげるといいと思います。
長文失礼しました。
カレ、カノ、カレラの乱用。翻訳者は代名詞が何を指しているのか全くわからずに訳している。さらに、学校英語かと思うかのような訳で、とりあえず辞書の一番上の意味を当てはめておけば問題ないかとはいうようなセンス。難解ではない一般向けの本だというのに、一文一文、まるで数学書を読むように行間を考え、意味を理解するために紙にメモを取る。話の内容の難しさからこの作業が必要ならば良いが、日本語が下手すぎるところからこの作業が強いられることにイライラが募った。
こんなんが翻訳家を名乗っているのもすごいと思うが、もっとすごいのは高評価をする読者である。
アマゾンのレビューに翻訳の酷さを指摘するコメントはなく、星も4を超えている。読み易いなんていうコメントもあるが、その人に理解できているのかを問いたい。なんとなく雰囲気だけを読み、理解した気になっているのではないのか。意味が通っていない誤訳が多々あるのに理解できるとは、どういった超能力を持っているのか、是非ご教授願いたいものだ。
付け加えてムカついたのは、ちゃっかり訳者あとがきを書いてきたところで、文化の相互理解の助けになることを願うと書いている。しかし、理解の助けにならない、むしろ誤解を与えているから、早く訳を直すべき。
少し前にバズった記事で「ドイツでなぜ日本のアニメが下火になったか」ってのがあって「放送局が倫理的に自主規制がかけたからファンの間で海賊版が活発になった」と書かれていて、ブコメの多くがその一文に特に否定的に捉えていなかったというのが、昨今の漫画村等に対するブコメと正反対でびっくりしてたんだけど、まあ「外人さんが日本コンテンツを純粋に楽しんでくれているのなら許すwww」ってのは分からなくもないし、それはそれでいいのだけども、逆に「日本人さんが海外コンテンツを純粋に楽しむために日本語翻訳して海賊版としてアップしているサイト」ってのはあまりないよね。
たまにあるのが海外ゲームの翻訳パッチか。でも他の言語と比べて全然活発ではない。これ面白そうってなっても日本語だけ見つからないって多いしね。
映画のファンサブは一時期は活況で、何でもかんでもオールマイティに有志が翻訳していたけど、警察が翻訳者を逮捕し始めて完全に下火になった。
一方で過去にも全然ないのがコミック分野で、アメコミでもバンド・デシネでもマンファでも吹き出しが日本語翻訳された海賊版を一度も見たことがない。日本の漫画は英語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語…とあらゆる言語に翻訳されて吹き出しに収められた海賊版が見つかるのに。
ここから推測できるのは、
・日本のオタクは海外に出ていくバイタリティがない下層がほとんど
そもそも大学入試は不要、という意見ではないようなので、大学で学ぶのに必要な能力としては古文漢文は該当しない、よって受験科目に入れるべきでないという主張ですよね。まず最初に英語について考えてみるけど、英語の能力が必要なのは英語で書かれた知(論文だったり教科書だったり)にアクセスするためですよね。翻訳したものでは翻訳者のバイアスがかかるから原文を読む事が求められているのだと考えます。そういう意味で古文漢文も古代の知に他者のバイアスなしにアクセスできる能力なので英語が必要というのと同じ程度には必要ではないでしょうか。欧米のまともな知識人は古代ローマについて必ず学んでいます。そのためにラテン語も多くの大学で必須科目になってます(ちなみにラテン語の代わりに漢文が認められる例があるようです)。もちろんこれは卒業要件の話であって、入学試験の話ではありませんが、あちらの大学は入学は簡単だけど卒業が難しい事はよく知られてますから、どのタイミングで査定されるかの違いかと思います。
どこまでその翻訳に問題があるのかわからんが(問題のある翻訳も確かに多いよ)、翻訳者もそれなりに苦労してるんだわ。
たとえば、「自然さ」と「誤解されないこと」のどっちを優先するか。
「サード」が自然でも、「三塁手」のほうが誤解されないと思ったら、天秤にかける。増田だって、意味をとりちがえなかったわけだからね。
あと、字幕なら文字数の制限、セリフだったら口の動きとの整合性も気にする。
「チェス友」なんかは、ひょっとしたら数音節分しか口が動いてなかったんじゃないかな?
あと、「小口」は言うぞ。勘定科目には「小口現金」があるんだし。これも音節数の兼ね合いで「少額の金」より優先させたんじゃなかろうか?
ま、知らん。単に下手な翻訳だったのかもしれんし。
突然かつ急激な産業革命的パラダイムシフト、翻訳屋のロゼッタが機械翻訳の飛躍的な向上に白旗宣言
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65903378.html
本当かどうかは知らないけど、正直さもありなんというのが元業界の人の感想。
翻訳の環境は「人の翻訳→翻訳プラットフォーム(翻訳作業用のソフトウェア)→機械翻訳のサポート→機械翻訳の後編集(ポストエディット)→ニューラルネット翻訳」という風に進歩してて、どんどんの人の手がかからなくなっている。
それを発注側も受注側もわかってて、どんどん納期と価格が下落しているのがここ数年の話。
在籍していた会社はまだマシというレベルの単価で、他社の話だとこれもう専業でやっていけねえよなというレベルの単価だった。
つまり「安く、早く、大量に処理する」がトレンドであり、翻訳者からすると翻訳会社やソフトウェア会社の都合で単価や作業環境を年々いじくられ振り回させるのが常態化していてうんざりしている人も多い。
ちなみにほとんどの翻訳会社は登録しているフリーランスの翻訳者に発注しているので、立場の弱い個人の翻訳者は翻訳会社の都合に合わせるか、条件のいいところを探すしかない。
発注企業、翻訳会社、ソフトウェア開発会社、それぞれがそれぞれの思惑で動いてきた結果、商売として成り立たなくなっているのが現状。
海外はというと、世界中にブランチ持ってる大手企業がせめぎあってて日本の翻訳会社なんて下請けのひとつでしかない。
日本は数多いローカライズ先のひとつという感じで、そんなに重要視されてない。
あとそもそもの話、翻訳という仕事は翻訳元になる文書(説明書とか契約書とか、仕事に関するすべてのドキュメント)がないと成り立たないので、日本企業が海外進出しないと仕事が増えない。
オリンピック需要が!なんて話もあったけど目立った案件はなかったように思う。
ただ翻訳において絶対に最後に必要になるのは「誤訳と判断できる背景と文脈がわかる人のチェック」なので、どんなに精度があがってもプロの翻訳チェッカーという仕事はなくならないと思う。
しかしそうなると外注するより社内で機械翻訳した後にチェックできる社員がいればよく、むしろそっちの方が安心感があるので市場はさらに縮小するというのが個人的な見立て。
みんながキーボード打てるようになって、タイピストの仕事がなくなっていくのに近い感じかな。
業界の傾向だと思うんだけど、語学が好きな人が多いせいか勉強好きな真面目で感じがいい人も多いので、そういう人たちがしんどい思いしないようにとは願ってる。