はてなキーワード: 旧帝大とは
受験とかすっかり忘れてたけどノリでなんか旧帝大受かって、勉強したくないから蹴って、高卒で実家暮らしバイト生活
2年で飽きて辞めて、ニートでもやるかってなって、そのまま30過ぎまで大して裕福でもない家庭で寄生虫こどおじニート
そろそろ就職するかーと思って、なんかとりあえず適当な良さげなとこ入って、主任課長次長となんとなく昇進、給料も悪くない
まともに働き始めて5年目になるけど、周りも驚いてるのは分かるし、運も相当あるけど、まあ俺は優秀なんだろうな
しらんけど
で、なんだかんだ10年以上ガチニートしてた俺が言うけど、ニートも仕事も本質的にはなにも変わらんのだわ
ワナビ気分で業界入れば、そりゃいろいろ思てたんと違うなるわって話で、そういう奴が真っ先に辞めていくのは、ニートも仕事も同じだ
よく言われることだが、ニートするにも才能がいる
これは本当で、たしかに向き不向きがあると、俺も自分でやってみて感じた
そしてそれは、自分の意志が向いている方向と、自分が実際にやっていることの方向とが一致しているか、ということだ
俺は圧倒的に向いていた
そもそも俺は、本当の意味でニートをやりたくて、自らの意志でニートをやっていた
たとえそれが、さらっとノリで思いついたことであっても、俺はべつになにかを求めて探した結果として、その意志を得たわけではない
だから、両親にめちゃくちゃ迷惑をかけようが、金がなかろうが、娯楽にも飽きて一日中椅子に座ってるだけだろうが、俺は毎日が楽しかった
やりたいことをやってるから、大変な状況でも別に暗くはならなかったし、両親とも普通に仲良くやれていた
33歳で人生で初めて正社員になった俺だが、俺は嫌々ニートを辞めたわけではなく、就職して働きたいという方向に意志が向いたから、就職して働き始めたのだ
だから、ニート時代同様に毎日が楽しいし、どちらの方が良いなんて比べること自体に意味がない
俺は自分の20代を完全に潰したニート期間をまったく後悔していないし、得難い経験を積むルートを確かに選択した自分を誇りにすら思っている
本当にニートをしたいのなら、ニートをしたいと感じた自分自身を信じて、酸いも甘いもすべて受け止めて、しっかりとニートをすればいい
日がな一日なにもしないでアニメ見てシコってたいとか、俺ボッチ余裕だし意外と孤独イケんじゃね?的なノリ、わからんくはない
わからんくはないが、ぶっちゃけ、そういう思考の一切はどうでもいい
金の心配、将来への不安、必ずついて回るが、すべて一切合切どうでもいい
そういったどうでもいいものすべてを取っ払い、それでもニートやりたいという剥き出しの意志さえあれば、おまえはニートをやれる
自分に素直になれ
それが出来ない内は、ニートをしようが仕事をしようが、息苦しさが形を変えて、自分で自分に悩みを供給し続ける
思考や感情よりも前の、自分だけの原初の意志を見失ってしまっていることに、誰よりも自分自身が気付いているからこそ、
外部からの情報を頼りに、自分に合っていそうに思える他人のやりたいことに目が向いてしまうのだ
だから、おまえのやりたいことをやれ
外を見るのをやめろ
内を見ろ
やりたいことをやれ
1浪して旧帝大の大学院まで卒業して25歳。よく頑張ったよなあ。頑張った?ほんとか??何を????
25年も親の脛齧りで納税もろくにせず社会のお荷物だったわけで、何も始まっていないというのに何を頑張ったのか。まだ何も始まってないというのに、スタートはこれからだというのに。
自分が幸せになるためには、お金が必要なわけで、いっぱいお金があればおそらくもっと幸せだろうと思った。
いっぱいお金を稼ぐには儲かってる大企業行けばいいと思って、その近道が学歴だと思った。
学歴はお金をいっぱい稼ぐ手段でしかないのに、お金を稼ぐのはこれからだってのに、何を頑張ったのだろうか。
これから仕事をいっぱいして、お金がいっぱい手に入ったら、また「よく頑張ったよなあ」とか思うんだろうか。
幸せとは
俺随分昔に地方旧帝大を出たけど、なんだかんだ行って良かったなあという人生の思い出になっている。古き良き大学らしい大学の姿が残っていたんだよな。キャンパスの雰囲気からカリキュラムまで。今はどちらも失われてしまったのかもしれないけど。いわゆるMARCHみたいな都内の大学を見ると、ビルが何本か立っててこれがキャンパスですみたいになってて、そういうことじゃないんだよなあと思う。もちろん東大はしっかりしてる。
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
親が高卒なので、知識を授けてくれる人が学校の先生しかいなかった。
塾に行くことは悪いことだと思っていた。
本屋に行って自分で参考書や問題集を買うことも良くないことだと思っていた。
旧帝大志望だったが、結局、田舎にある国立大学しか受からなかった。
いや、塾だけじゃなかった。
中高生の時から自分で本屋に行って、研究者の書いた新書を読んだり、高校生のうちから、大学で使うような本や教科書を読んでいた人だって、珍しくなかった。
学校の外で、先生以外から教わることは、悪いことや間違っていることばかりと思っていた。
学校の敷地の外の世界は、悪い大人と悪い言葉であふれていると思い込んでいた。
本屋に知的なものがあると知らなかったし、自分で本を読んで勉強するなんて発想がなかった。
高校時代のクラスメイトに再会して、私がマンガやラノベばかりを買っていた学校近くの本屋で、彼はブルーバックスやニュートンを買って、宇宙に興味を持ったので、それを学べる学科に進学したと言った。
彼の親は大卒。
大学で勉強や研究をするためなら、高校の教科書をしっかり完璧に理解できていれば、十分だと思う。
指定校推薦やAO入試で一流大学に入った人の、大学時代の成績が良いのも、彼らが高校の教科書レベルをしっかり身に付けているからだろう。
しかし、高校の教科書レベルを完璧に理解したとしても、かつてのセンター試験では90%以上の得点は取れるが、
センター9割の学力では、旧帝大や早慶の入試問題はまったく歯が立たないのだ。
東大や京大など日本トップレベルの大学は入試問題自体がとても難しい。
だからトップレベルの大学に一般入試で入るには、教科書レベルのことは早めに終えて、
中高一貫校では高2にまでに教科書を終えて、高3は演習をするのが普通。
成績上位者の受験勉強とは、教科書を理解するための勉強ではなく、難しい入試問題を解くための訓練なのだ。
そういう訓練を最低でも1年間はしないといけない。
しかし、上でも述べたように、そういう訓練をしてない推薦組のほうが大学での成績が良かったりする。
一流大学に入るための受験勉強は、大学入試以外では役に立っていないのが現実。
https://anond.hatelabo.jp/20210228121158
あれから約1年。久々に見ると、それなりに反響があったようだ。
記載の通り、自分は某国立と名の付く病院を辞め、現在は民間企業の情報システム部門のエンジニア職だ。
辞したことは後悔していない。待遇も収入も向上し、環境が良くなり、第一、今の職場は同僚が良い人だ。
上場企業であり、海外の売上が高く、企業名は誰でも知ってると思う。
公的な機関での医療情報の世界から飛び出て、客観的に前職を見つめることができる今、はやり前職は特殊(というか閉鎖的)だったと思わざるを得ない。
前職で目を疑った出来事の1つが、アルバイトの非常勤職員に物理的・精神的暴力を振るう医療情報技師がいたことだ。
しかも、さらに上の管理職に露見しないような場所で行われていた。
上司に対する不満を、上には言えないものだから、立場の弱い職員もしくは請負業者にぶつけていたのだが、現在の職場ではそのようなことは有り得ない。
現職は、ハラスメント対策には非常に厳しく、社員1人1人の意識もそう荒んではいない。
暴力行為なんて私は想像を絶するのだが、国の機関(法人とは言え)で行われていることを目の当たりにしたのがショックだった。
請負業者の社員が頻繁に退職する理由は、おそらく、これだった。
外部業者にも内部通報ができるのだが、制度を教えていなかったと思う。
というのも、某国立病院にいた時、常勤職員であるというのに病院のことを何も知らない人が一定数いたからだ。
業務を切り分けているというより、そもそも責任を含めて時短勤務の非常勤職員(要はアルバイト)に丸投げする例は多々見た。
責任に応じた給料が支払われているという意味では今の職場はちゃんとしているし、逆に言えば、前職の某国立病院はそうではなかった。
縁故採用は賛否両論がある方法で、招聘した人物にも責任が発生するから安心感があるという側面もあるが、反面、
機能しない人物だと後で判明した場合でも、責任問題にされることを恐れてか、仕事はアレでも評価はなぜか良好で管理職に順調に昇進させられるケースが発生する。
事実、某国立病院ではそういう人がいて、その人は周囲からも管理職からも「何をしているのか分からない人」と言われ、すぐに終わりそうな単純作業を深夜まで必死に頑張っていたりしていた。
縁故で呼んだ責任もあるだろうが、トップが実務を理解していないのも一因だ。
呼び入れた人物が評価者なのだから評価は恣意的になるし、組織全体としてはガバナンスの欠如である。
「公募採用」では縁故は禁止されているが、おそらく、どこの独法も似たり寄ったりだろう。
実務経験ゼロ、かつ業者に実務を丸投げする中途採用の情報専門職が行う医療情報(応用情報研究のくせに)の研究なんて、どれほど有益なのだろうか。
今の職場は能力的に適正に評価された人物でないと昇進ができないから、まだ健全だ。
02/03追記
思い出しついでに、追記する。
国立と名の付く某病院の職員のことを思い出すと、考え方というか意識も公務員特有だった(みなし公務員ではあるが)。
何が特有かと言うと、端的に言えば傲慢な意識だ。全員がそうではないが、民間の今では見ることはない気質だった。公的機関の常勤職員というのが彼らの最大のステータスだから。
とにかく勉強偏重な人間が多いから、細かいミスに気付くのは良いが、ある旧帝大卒の人なんてExcelの設計書に余計な半角スペースを1つ見つけるだけで罵声を浴びせかける。そんな些細な粗探しをしても実務的な効用は一切ないのだが、その人物を満足させるためだけに時間を割く必要がある。ただ、IPA資格の高度を複数持っているし旧帝大卒だから、管理職からの評価は高かった。
医療安全講習は全職員が受講するが、「心理的安全性」に関する講習を聞いたであろう直後に非常勤職員に罵声を浴びせかけるところを見たので、学歴があることはイコール知的とは限らないのだな、と思ったものだった。
その人が、自分が知ってる中では一番偉そうな態度の人だった。ただ、管理職に対しては素直で従順だった。縁故採用で入職した人物だから、評価が悪くなることもない。
相手が常勤職員か、請負業者・非常勤職員で態度を露骨に変える職員はそれなりにいた。
これもやはり現職とは違う。
既に書いたが、自分ではない。
けど、同じ業界にいて同じ境遇の人物がいるというあたり、この業界の閉塞性、将来性の無さ、排他性、旧来型の権力構造…を感じた。
まともな職場もあるかもしれないけど、私が見た医療情報の世界は腐っていた。
既に権力を持った層にはいいだろうけど、何の将来性があるのか、分からん。
バイバイ、医療情報技師、診療情報管理士、そして医療情報学会。
誰もが、は大げさだけど旧帝大とか有名私大の名門研究室の教授を(伝統芸能みたいに)継承する一握りの人以外みんな不幸になる設計だと思う。
考えてみて欲しい。人文系の博士課程(後期)に進む人というのは幼少期から勉強が出来て親や学校の先生に期待されて大学に進学している。
論理的思考能力や粘り強く課題をやり抜く力とかも身に着け、指導教員に励まされながら論文を書き30前後に博士号取得で能力の頂点に達する。
問題はその後だ。
大学を卒業して企業に入った場合、その年代では仕事を覚え裁量範囲が増し(場合によっては部下もいて)給与や処遇も1年目よりはよくなっている筈だ。
しかし人文系博士はどうだ?博士号取得したてで就けるのは非常勤講師、それも年々減っている。時給換算すれば家庭教師より悪い。
自分が大学生の頃馬鹿にしていたようなF欄大学の学生に「パンキョー」で専門分野とは異なる分野を教えながら学会費を捻出し勉強会などで研究を続けるほかない。
なにより気が滅入るのは先が完全に見通せることだ。80代の名誉教授から大学教授、准教授、助教、常勤講師まで上はびちびちに先輩が詰まっている。
理系ならば海外からスカウト、民間研究所に就職という手もあるだろう。だが誰が哲学や宗教学や文学の博士を高級で迎えたがる?[反語的疑問文]
かつて自分が馬鹿にしていた同級生が企業の管理職に成ったり起業するのを横目に見ながら、世渡りが上手くマスコミ受けがいい分野(社〇学を筆頭に)で著書が売れる研究者を羨みながら
学生の頃と変わらない住まい、服装、生活パターンを続けていれば不安と嫉妬で頭がおかしくなるのも無理はない。
男性研究者の場合はさらに深刻だ。「女性研究者登用」という制度(それ自体は正しい)のおかげで挑戦権さえ得られないリスクさえある。
いっそ性転換してMtoFとして応募してみないか?という悪魔のささやきが聞こえてくる。
SNSでの暴言はもちろんいけない。昨今の事例を鑑み、普通の人間ならリスクと便益を考えてやらない。
あっという間に何十年とかけて積み上げて来た勉学と研究と人間関係と研究者としての将来をふっとばしてしまったある人文系研究者を見てつくづくため息が出た。
一時期のコシヒカリみたいなもので、自称旧帝大出身者は実際の旧帝大卒業者よりも多いのだ
しかも実際の旧帝大卒業者は部外者の人に旧帝大という表現をあまり使わないので、結果としてなんかそういうのだけがめっちゃ目立つ
まずイデオロギー論争に入れられたくないので,当方30代後半男性,新型コロナワクチン2回接種済み.
事実と科学的な視点で医者に質問がしたい.(ワクチン推進・反対というどちらかに誘導したいわけではない)
まず最初に言いたいこと.コロナは風邪だとか,反ワクチン,反マスクだとかいうつもりはありません.
手洗い,マスク,ソーシャルディスタンスなどの感染予防策を今後も続けていくべきだというのが私の基本スタンスです.
工学の人間は黙ってろ,医者しか判断できん!という方は,こちらが判断できるよう下記の論文についての解釈をしていただけると嬉しい.
1. NEJMの論文について
Mevorach, Dror, et al. "Myocarditis after BNT162b2 mRNA vaccine against Covid-19 in Israel." New England Journal of Medicine 385.23 (2021): 2140-2149.
https://www.nejm.org/doi/10.1056/NEJMoa2109730
この論文ではイスラエルにてワクチン2回接種後,16~19歳の男性は6637人に1人の割合で心筋炎の発生リスクがあると書かれています.このリスクは低くないものだと思います.
2. medRxivの論文について
Sharff, Katie, et al. "Risk of Myopericarditis following COVID-19 mRNA vaccination in a Large Integrated Health System: A Comparison of Completeness and Timeliness of Two Methods." medRxiv (2021).
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2021.12.21.21268209v1
medRxivではありますが,米国12〜17歳男子の接種者2650人に対して1人, 18〜24歳男性の接種者1860人に対して1人の割合で心筋炎の発生リスクがあると書かれています.
1, 2を見る限り(他の国の論文もあり,大体同程度のオーダーです)若者のワクチン接種による心筋炎リスクはどうやらありそうだと思います.これは事実だと思っています.
でも,(A)ワクチンには重症化予防効果があったり,(B)若い人が周囲にうつさないようにする感染予防効果があるので,
トータルとしてみて,接種した方がいい,というのが現在の医学的な流れだと思います.
3. ワクチン接種率100%,ブースター接種率も81%のジブラルタルで感染爆発が起きています.
ジブラルタルの新規感染者数:https://ourworldindata.org/explorers/coronavirus-data-explorer?time=2021-02-01..latest&facet=none&Metric=Confirmed+cases&Interval=7-day+rolling+average&Relative+to+Population=true&Color+by+test+positivity=false&country=~GIB
ジブラルタルのワクチン接種率:https://ourworldindata.org/explorers/coronavirus-data-explorer?time=2021-02-01..latest&facet=none&Metric=People+fully+vaccinated&Interval=7-day+rolling+average&Relative+to+Population=true&Color+by+test+positivity=false&country=~GIB
この事実から,このワクチンは感染予防効果がないということが示されると思います.
つまり,若者が接種することで高齢者にうつさないという当初の目論見は達成できないということです(大変残念な結果ですが)
そして文献を挙げるまでもないことですが,若者はそもそも重症化リスクが低いですので,
(A)ワクチンの重症化予防効果から得られるメリットはありません.
すると,現在までの知見を総合すると,高齢者や基礎疾患などのリスクがある人に向けて引き続き新型コロナワクチンの接種を推奨し,
若者や子どもはこれまで通り普通に暮らす(手洗い,マスク,ソーシャルディスタンスなどの感染予防策を続ける)で良いのではないかと思うのです.
なぜこの結論にならないのかというと「若い人たちが打たないような危険なものであれば,私たちも打ちたくないわ〜」と高齢者や基礎疾患などのリスクがある人たちが
言いづらくするために全員に打たせているようにしか思えないのです.
それは社会運動のやり方として正しいのかもしれませんが,科学的な態度としてはどうなのでしょうか?
新型コロナワクチンが必要であるが不安な人たちに接種を推進するために,若者に文字通り体を張ってリスクをとってもらって,安心を与えなきゃいけないものなのでしょうか?
上記の考えの間違いを教えていただければ上記の考えを100%撤回し,今後も若者にワクチン接種を推奨していきたいと思います.
例の東海高校の子が「医者になるために東大を目指していた」って行ってたことに対して、
ブコメとかは「医者になりたいだけならせめて地元の国立医学部に行くべきである」って書かれてるけど、
名古屋で「地元の国立医学部」って名古屋大学の医学部で、旧帝大の医学部だし、ものすごく難しいイメージがあった。
それでも天と地ほどの差があるってことなのだろうか。
もともと外へ行けない事情のある子ではないからこそ名古屋から東大を受けようと思えるわけで、
「医者になりたいだけ」なら、わざわざ旧帝大選ばなくても一般的な国立医学部ではだめなのだろうかと感じてしまう。