はてなキーワード: 幼児とは
そんな大したことしてないのに、酷い目に遭ったね………と思ってブコメ見たら、被害者面するな的なコメント複数あって驚いた。行いは愚かだけど、無関係な人が責める話じゃない。叩きやすい杭を打つのは下品だよ。
いやどこが「大したことしてない」だよ。普通にめちゃめちゃ最悪な行為だよ。
お前にもわかるように説明してやるよ。
「………………本当に…………頂いた身で……こんなこと…アレですが……………………………(30歳)」という文章とともに、4℃のプレゼントの写真が掲載されている
私は私の意見を、個人呟きツールのTwitterという場でボソッと漏らしただけ。プレゼントを贈った相手の個人を特定できるような投稿はしていないし、ブランドへの批判も直接書いていない。背景や行間を勝手に誤読した顔も知らんやつがやんややんや言ってんな
一番はこれだよね。プレゼントを送った人はツイート主と結ばれたいと思って、自分なりに調べて考えて渡したはずだ。その気持ちを少しでも汲み取れば、晒すことなどできるわけがない。該当ツイートは、送り主の気持ちを踏みにじっている点でカスだ。
前提にもあるが、ツイート主は炎上元のつぶやきを「「あるある面白ネタ」として発信したつもり」と述べている。つまり、他者からのプレゼントを馬鹿にするためだけに、わざわざ写真を撮ってツイートしたのである。
実際、該当ツイートで伝えているのは「いい年した男からこんな幼稚なプレゼントをもらっちゃったwww」ということだ。全世界に発信する内容として、これほど下品なものはない。
(蛇足だが「個人呟きツールのTwitterという場でボソッと漏らしただけ」というバカッター丸出しの言い訳に、ツイート主の幼児性が垣間見れるように思う)
これは別に責められることではないが、本人の「ブランドへの批判も直接書いていない」という言い訳に反論するために書く。
該当ツイートは明確にブランドを批判している。このツイートは「4℃はいい大人が身に着けたり、プレゼントしたりするべきブランドではない」というメッセージを発信しているからだ。実際、「4℃はダメなのか」といったコメントは、Twitterやはてブで多数散見されている。
ツイート主の幼児性からみて、「文章として『4℃はダサい』とか書いてないからいいでしょ」と考えているのだろう。だがいい大人であれば、該当ツイートが明確にブランド価値を損ねるものだと理解できる。他者を馬鹿にする暇があるなら、自分の文脈読解力を磨いてはいかがか。
①~③に挙げたように、このツイートはカスであり、人を傷つけるものだ。ツイート主は自分の愚行を認め、つぶやきは削除されてしかるべきだ。にもかかわらず、炎上してから今までツイートを削除していない。
ツイート主は削除しない理由として、前提の「炎上した人の言い分」を挙げている。だが、③で挙げたようにブランドへの批判になっているし、後のツイートでプレゼント贈り主との関係を詳しく書いており、「プレゼントを贈った相手の個人を特定」されるリスクも少なくない。
ツイート主はつぶやきが拡散されすぎて「もうこりゃだめだと思い、本人に自白」している。その際、本人に「まじで…いいやつ…本当にごめんなさいでした。。」と謝罪している。
だが、「ごめんなさい」と言っているのに、該当ツイートは削除されていない。
一般的に、ツイートを削除しないことは「自分の意見が正しい」と表明し続けている意味になる。
贈り主からすると、「晒してごめんね!私悪くないけど!」と言われているわけで、困惑必須だ。
①~⑤のように、このツイートは「大したことない」書き込みではない。もちろん炎上にかこつけた誹謗中傷は許されないが、それらと比べてこのツイートは悪くないということは、断じてあり得ない。
息子が年中さんで保育園行ってるんだが、最近の保育園ってのはオドロクベキことに勉強をするんだな。
具体的には小学1年生のドリルをやってる。いや、より正確に言うならもう終わっている。今は復習している。
ひらがなカタカナはもちろん、小1の漢字は完璧。小2レベルの漢字は年長さんに教えてもらって覚えてるところ。
足し算引き算は二桁が結構できる。繰り上がり、繰り下がりがあってもできる。
負の数を何故か知っている。何でだよ。
ついでも字もまあまあ上手。俺はミミズ字。
別に勉強ばっかりやってるわけじゃなく、午前の30分、午後の30分くらいがドリルの時間なんだそうだ。
しかも俺の息子超天才!!でもなくて、他の子も同程度かそれ以上にできるらしい。
はーーーー。
俺の保育園時代っていうと、ブランコの後ろのイチジクの実を勝手にもいで食べたとか、丸太渡りにぶら下がってたら反転して地面に頭ぶつけたとか、足の親指舐めて塩分摂取とか、しょうもないことしかやってなかったと思う。
あと年長になっても昼寝してた。今は年長は昼寝しないのな。
音を立てないよう細心の注意を払い、そーっと閉める。
次に洗面所で手洗い。ここは楽勝だ。ドアさえ静かに閉めれば気づかれない。
階段を登ると一番の難関が見えて来る。
そう、幼児用の開閉式ガード柵だ。
開けるときはいいが、閉めるときはかならずカチャンと音がしてしまう。今のところ1勝8敗くらい、負け通しだ。
ゆっくりゆっくり閉めるが、無情にもカチャンという音が鳴ってしまう。
気づかれてしまった…。
「今のはじいじだよ」とごまかしてくれる母や姉の声を聞きながら、部屋で着替えを済ませ、リビングに合流。
なぜこんな泥棒ミッションをしているかというと、先日帰宅して、うちに来ていた姪っ子と遊んでから着替えに退出したところ、大泣きされたのである。
なので中座しないでもいいよう、部屋着に着替えた上で合流したところ、帰宅に気づかれていたのでこれまた大泣き。
わたしは生活上の必要に駆られ、唾棄すべき貧民がひしめくスーパー・マーケットに足を踏み入れざるを得なかった。
ポテト・サラダ……その名の通り馬鈴薯を中心に据えた、平民趣味の凡庸なサラダがある。この「超越市場」の唯一の美点は、それを比較的うまく食わせるというところにあった。
店内を延々と流れる下品な音楽に耳を塞ぎたくなりながらも、わたしは広大かつ空虚な現代の砂漠を辛抱強く歩き、惣菜が売られる一角にたどり着いた。
「母親ならポテト・サラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、豚のように肥え太った醜い高齢の男と、これまた醜い幼児を連れたひどく陰気な女。老人はわたしの眼光に恐れをなしたのか、まさしく脱兎の如くその場を立ち去った。一方で、辛気臭い顔の女はポテト・サラダを手にして俯いたままだ。
引きこもりや障害者の問題って、親の悩み→兄弟の悩み→孫の悩みと当事者がシフトしてきてんだよな。
60年前の祖父母のクソな決断に俺たちが付き合わさられてるんだ。クソがよ。
俺の場合は伯母(母の妹)が軽度の知的障害で還暦。2歳くらいで分かったらしい。
当事の医者に成人するまで生きられないと言われ、
躾がなってない無邪気な小学一年生って感じだ。
風呂を嫌がる。
記憶力があまりない。低俗バラエティ番組が好き。内容は理解してない。
未だに初代ゲームボーイで遊んでる。
伯母は成人後も祖父母と同居していたが、俺が幼児の頃に父が亡くなり、母1人で子育ては大変だろうと俺達と同居することになった。
俺は擬似きょうだい児として育てられた。母はきょうだい児の優踏生タイプだから受け入れたんだろう。
姉が結婚する時、両家顔合わせの時に伯母を見た相手ご両親に母は「この子(伯母)の面倒は増田(俺)が見ますので」と言った。
まあそうだろうとずっと思ってたけどね。
俺は「伯母って生きてる意味あるわけ?」と素直に思う。
仮に伯母が若い頃に障害者雇用とかで働かせて一人暮らしさせても、自己管理能力がないので40手前で死んでたと思う。
別にそれでええやんけと思うけどな。
なに孫の代まで影響あたえてんだよと思う。
小さい頃から一緒に育てられたせいで、
毎晩、目の前で遺伝子の可能性の1つが汚え飯の食い方して、馬鹿なテレビみて馬鹿なこと言ってるんだ。そりゃそうなるわ。
怖いよ。
知能には関係ないらしけど、もしかしたらやっぱり将来的にそうなるかもしれない。
でも、だからって姉は変わらなかった。
姉は最初からずっと子供が無事に元気に育つことを願ってるんだ。
親ってそういうもんなんだ。
伯母もそうだったんだって分かった。
俺の好きだった祖父母がそうしてたんだよ。
だったらもうやるしかないんだと分かったよ。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど外出で外に遊びに連れて行くし、
見てもどうせ分からないし記憶にも残らないんだろうけど、見たいとかいう映画に連れて行く。
怖くて毎回震えるけど、外で美味しいもの食べさせる。
今年のクリスマスは、画面の調子が悪いらしゲームボーイの新しいやつ(中古)をあげるつもりだ。
俺の金がどんどん出ていく。将来はたぶん、もっと。
考えたって分かんねえよ。
祖父母が亡くなり、親もやがて亡くなる。
俺がやればいいだけの話だ。
クソみたいなことだけど、そのクソみたいなことに向き合うだけの力は全部もうもらってたんだ。
俺のこの変な感じの文章も無駄なエネルギーもいつか明るい未来にのどこかにつながるんだ。
そこでは俺も伯母も祖父母も母も死んだ父も笑ってるんだよ。
そういう世界に俺が連れていくんだ。
元増田も今は子供をめちゃくちゃ大事に育てればいいんだよ。まあ、もうやってると思うけど。
それが明るい未来つながるんだ。
親族の後期高齢者達が毎年恒例の餅つきを今年もすると言い出したから現在全力で止めてるところ。
「餅をつかんことにはねえ」
わかってる。気持ちは分かるんだが今年は餅つきを自粛して欲しいというか餅つき禁止令を出したい!
今年は餅つきをやめようと話したところ、上記内容ほぼ原文そのままに言われた。
庭先で餅をつき、土間のあるところで10人以上が集まって餅をこねる。
風通しは良い空間が人数的にはかなりの密。
三密どころじゃない。
年寄り女性達はマスク着用といえどおしゃべりに花を咲かせる。合間にはお茶を飲みながらつまみ食い。どうみてもマスク着用の意味を分かっていないと思われる。
おにぎりと味噌汁と漬け物。そしてつきたてのもち。日本酒も毎年出てる。無言で食べる……なんてことは100%ありえない。
食べる時も毎年同様だったら間違いなく三密な上に会食付きだ。
しかも餅つきを楽しみにしているのはほぼ後期高齢者軍団だ。毎年参加している親族の65歳以上を数えただけで少なくとも12人以上いる。脳疾患や血液疾患で入院したことがある親族も複数名いる。頼む!密になって餅をつくのはやめてくれ!
広島市内は現在日本の中でもトップクラスで新型コロナウィルスの感染が拡がっている。
こんな中で餅をつく必要性はあるのだろうか?
帰省自粛が叫ばれている中で、首都圏から幼児を連れて帰省してくる親族もいると聞いた。餅を着く家の直系親族には乳児と幼児もいる。私より少し年上の30代夫婦だが乳幼児を連れて餅つきに来るそうだ。
あの……今の現状わかってます?と本気で思う。
餅に罪はない。
餅を買って食べる。それでいいじゃないか。
後期高齢者の親族たちは「何かあったら(=新型コロナやインフルエンザの症状が出ても)あんたが医療従事者だから何とかなるだろう」とぬかす。年齢が近い親族も同様だ。
何ともならんわ!
今の勤務先の現状知ってる?
現在知ってて言うんか?!
何としてでも後期高齢者たちが集まる親族一同の餅つきを阻止したい。
最悪のケースを想定すると、記者会見では家庭内感染と言われるだろうが親族一同が餅つきクラスターになる可能性が捨てきれないんだ。年末の餅つきを恐怖に感じるのは私が疲れているからだろうか?
どうかこの記事を読んでくださった皆様の知恵を貸してほしい。
高齢者を中心とした餅つきクラスターは全国どこで起きてもおかしくないと私は考えている。
地域にどれくらい高齢者がいるか→町内会の8割が65歳以上の地域でその半分が後期高齢者
後期高齢者だらけの田舎で近くでクラスターも発生したことがある地域
どんな環境か→庭(屋外)で火を炊いてもち米を蒸す、蒸したもち米を土間(屋内)へ移動させる。屋外作業が5人前後、屋内作業が6畳位のスペースに65歳以上だけで10人以上は確実に集まる
食事会場→例年であれば隣の人との距離は密着状態。飛沫は間違えなく飛びまくる。作業しながら休憩中に鍋(味噌汁だったり豚汁だったり)を囲みながらおにぎりと汁物、漬け物等を食べる
餅をつくな!ではなく、親族一同10人以上が集まって餅つきをするのをやめようと提案中
相手のこと分かってないし分かられてないのは分かるんだけど、本能的、直感的に好き! っていうストーカー精神(幼児的な懐き?)でしかヒト好きになれない。
素で嫌われていても好きなもんは好き。その逆もまた然り(好かれていても一方的に嫌いを持続できる)だから、自分のヒト選びの「趣味」が悪いとどんどん不幸になってゆく、っていう。
↑恐らく、いや間違いなくこれは10代の子供のメンタリティで固定されている証拠だろう。
・
すなわち、親元から巣立つ際に子供が抱く「自分の庇護者 / 同類 / 味方を蔑(ないがし)ろにしてでも、新しい外部刺激を手に入れようとする自立心や好奇心」が、自立後(?)も終わらず持続しているという。味方に感謝する事ができず「面白そうな敵」にばかり媚を売る特性。
これ、常にどこかに親代わりの味方が「居る」がゆえに、その人達に無意識に依存しまくっているって事でもある。
・
この精神性を持つ人間は恋人、結婚相手の事を「味方や庇護者」として認識した途端、そこから自立する為の儀式として普通に「不倫」をする。
国内はたまにある程度でいい
見慣れない異国の景色でいろんな過ごし方をする猫がみたいんだ
国内でもなにかしら特別なことをする猫なら別にいいんだけど、いまんとこそれもないし
国内オンリーになるだけでこんなにつまらなくなるのは想定外だった
あと前回のナレーションが前田敦子だったんだけど、なんか声がしわがれてるっつーか喉がやられてる感じのしゃがれ声ですげー聞き取りづらいの
いつものやつでいいわ
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。