はてなキーワード: 乳首とは
秋元のセクハラ云々で盛り上がってるけど、正直言うと被害者であるとされる彼女らが傷ついてるとは思えないんだよね。
男の自分の身で置き換えてみても、女なら嫌だけどお爺さんに性器舐められれば芸能界で売れるってなれば、まあ舐められてもいいかってなる。そのお爺さんが慕えるような人ならそれくらい許容範囲内でもある。
実際にAKBから聞く秋元さん話はみんなとても愛おしそうに話すしね。
そもそもAKBって性消費コンテンツとして成り立っていて、秋元のセクハラよりAKBオタからの大量の性的視線浴びる方がしんどさ強いだろって思う。
元凶が秋元であっても、その秋元の直のセクハラ行為なんてたいしたことないと思うようになる環境じゃないのかな。
小学生から水着ジュニアとしてコンサート会場で水着一枚で噴水浴びて踊らされて、結構そのことが黒歴史になってお客さんはみんな服着てるのに自分はビキニ水着で恥ずかしかったと言いながらも、メンタル鍛えられたと通過儀礼みたいになってたりするし、舞台に出ればどんな下着だったか下着レポが出回り、ちょっとでも下着見せればメーカーもすぐ特定される。
自分の体は当たり前のように性的消費されながらも、男に対してちょっとでも消費するような発言をするとすぐにミソジニーだの男性差別だの叩かれるのは可哀想になるよ。
AKBなんてだいたい中学生から17歳くらいまでには入所するし、そこからずっと普通の男より性的視線浴びてるのに、そういうときだけ加害する属性の女として一括りにされてて憐れさも感じる。
そんで彼女らは女性社会からは受け入れられてないコンプレックスも駄々漏れていて、まるで自分の女性性を必死にアピールするみたいに、ある時期からきつい下ネタ披露とかやり始めるタレントが結構いる。反動だろうなって思ってる。
意識高いオタクはジェンダー平等がーとかすぐ言うが、そんなこと言うならその前にアイドル雑誌のセクハラを抗議したらいいのにってなるよ。
ジャニタレも水着写真の表紙なんてそりゃあるけど、TVガイドとかテレビ雑誌でこういう表紙はどうなんって、意識低い低い自分ですら思うことは多い
私は、すばらしいおっぱいの持ち主だ。
販売員に「まー!お客さまお綺麗なお胸で!」と絶賛され、
友人とスーパー銭湯や旅行に行ったときには「おっきいね」と羨ましがられ、
胸を強調した服などほとんど選んでいないというのに。
(褒め言葉として実際に本人へ直接報告するよくわからん輩がこの世には一定数存在する。
一回の写真で2人程度に言われてから二度と薄着の写真はアップしなくなった)
乳首なんてそれはそれはキレイで、その美しさ西洋美術のごとし。
肌が白いのもあって、日本のAVのパッケージよりバロック期の絵画に近いと、自分でも思う。
いやいっそ、ルーヴル美術館にうっかり貯蔵されもいいと思う。
冗談はおいといて。
10代、20代の頃は溢れる性欲がようしゃなく人間のかたちをして近づいてくるので
まあまあ…いやけっこう…いやかなり……嫌な想いもしてきたけれど、
自分の胸という存在そのものにコンプレックスを感じたことはほとんどない。
「ふーん、私っていいおっぱいなんだ」と思って生きてきた。
安物だけれど定期的にクリームを塗り、
おなかが出すぎるとそれはそれで美しくないので、
体型維持もほどほどに気合いを入れてきた。
出産経験がないので当然授乳経験もなく、その過程で生まれる胸の変化も当然未経験だ。
それがさらに、おっぱいの美しさキープにもつながっているんだと思う。
思春期の成長過程でこのおっぱいを手に入れて20年近くたつが、
胸に関してだけは本当に一度も惨めな想いをしたことがなかった。
おかげさまで30代半ばになった先日も、
しかし、しかしだ、私は褒められてももう何も感じなくなってしまった。
「おおきいね」(ええ、そうなんです)
「まあ、うらやましい!」(そうでしょう)
昔は、嬉しかった。
他がコンプレックスだらけだった私にとって、唯一の自慢だったから。
でも、もうその新鮮さも20年も経てば流石にすべて失われてしまった。
先日、フィッティングルームで「こんなにお綺麗なのだから、バストが目立つ服をきてみては!?」と言われて、
いかに美しいシルエットかを鏡越しに説明されたけれど、すごく萎えてしまった。
すばらしいおっぱいは、
これからもできる限りそのすばらしさを保ちたいと思う。
でも、なんだろうな。この切なさは。むなしさは。
いいものを持っているのだろうと思うけれど、何なんだろうな。
女だけど「気持ちよくなるより気持ちよくなってほしい側」がすごく分かるので性別の特徴の話にされたくない
人に体を預けられない:高校体育のラポールの形成の授業で、ペアの相手が支えてくれると信じて体重を預けましょうみたいな課題を、クラスで1人だけクリアできなかった。怖すぎて動悸がして動けなくなり「失敗」のまま免除してもらった。
感度が悪かったり性交痛がある:痛くて入らないまま、相互愛撫だけの挿入無しで別れたことがある。イキ方が分からない歴が長かったし、人にされてるとイケない歴も長かった。コンプレックスになるくらい感度が悪い。乳首も何も感じない。
人に影響を与えるのが元々好き:塾で流行ってる遊びをクラスに持ち込んで流行らせたり、内輪の流行語やノリを作るなど、人に影響を与えるのが元々好きだった。人のリアクションに興味がある。支配欲が強い性格なのかもしれない。
テクニックが無いからもどかしいというのも分かる。本当にものすごくわかる。
元カノに乳首開発された男と付き合ってる。感度悪い男を開発したり、受け身になることに興味がなくて攻めたい気質の男を
【anond:20230208195420 の続き】
仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。
この男性はどうにもこういうところがある。
母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。
昔の人は、ある種なんとも露骨だ。
「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。
そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞれ男性にとって誰なのかについては知っていたが、「健一」についてはさっぱり心当たりがない。
「亡くなったそうです」という伝聞形も、得意の呼び捨てにしている割に、どことなく距離を感じさせる。
「誰だかわからないけどご愁傷さまです」とも言いづらく、LINEの返事に詰まってしまった。ファミマを出てから、同じビルのスタバの前あたりに立ち止まり、LINEを閉じたり開いたり。
ふと顔を上げると、よく茂った松の枝を一本、片手に握りしめたビジネススーツ姿の中年男性が目に入った。四条方向に足ばやに歩いていく。
ただのちょっと変わった人なのか、はたまた池坊関係者なのか、この烏丸六角という場所においてのみ、ものすごく迷うところだ。
スマホの中のメッセージと、よくわからない通行人。二重に困惑してしまったが、とりあえず「健一」とは誰なのかときけば、男性の義理の父親だという。
男性はその昔、一族の都合で健一の養子に入りはしたが、そのころから今に至るまでほぼ没交渉であったので、なんだかそんなに悲しそうでもなく、その後のLINEも淡々としたものだった。
だけれども数日後、男性の家にいったら、ワーキングデスクの上に知らないおじさんの遺影が立てかけてあった。
アイパッドやノートパソコン、積読と同じノリで遺影が並べておいてあり、それはちょっと異様な光景だった。遺影はそれらのものより一回り大きいので、あまりに存在感がありすぎる。
「あーこれが健一」
と、思わずつられて呼び捨ててから、「なんで遺影、こんなとこおいてんの?」ときいた。
妙に若くて、ちょっとつぶらな瞳で、その目線が斜めにいっていて、ぎこちない笑顔。むりやり引き延ばした昔の写真独特の、ざらざらと色の薄いテクスチャ。
「いや、向こうの家に置いとくとこもないし、とりあえず持って帰ってきた」
男性の答えは妙にずれている。
「机においてんのは?」
異様ではあるが、別になにもおもしろくはない。この人がおもしろさを感じるツボは、たまによくわからない。
それで「ああ、そう」とだけ返すと、男性は
「親戚みんなで家探ししたけど全然いい写真なかってん。中途半端に若いときの写真しかなかったわ」といった。
「どうりで目線もさだまってないっていうか、カメラのレンズみてないね」
健一の目線は、健一からは右方向、相対する私たちからは左方向にずれている。そっちの方向にはベッドがあった。この時点で正直なんだかかなりいやだな…と思ったが、ひとまず一般的な配慮として、それを口には出さなかった。
そのまま、自分たちに戒名をつけるならどんなものがいいかという話でひとしきり盛り上がり、お互いに将来の戒名もきまってきりがよかったので、我々はセックスをすることにした。
そこで私は「健一の視線がベッドのほうにきてるのなんか嫌だ」と、一度は飲み込んだことを吐き出してしまった。
相手の義理の父親の遺影の前でセックスするのは、明確にその理由を語れずとも、なんだかとにかくすごく嫌だと思った。
遺影がそこに鎮座している「なんかおもろい」という理由は、私にとって共感しがたい。私がその「なんか」の機微を正確に理解できないように、男性もまた、このわたしの「なんだかとにかくすごく」という心の機微が正確に理解できたとは思いづらい。
けれども男性は、「わかったー」と間延びした返事をして、遺影をおもむろに裏返して立てかけなおした。
いやそうじゃなくてしっかりどこかにしまってくれ、と思ったが、それを言うのももう面倒だし、やるとなったらさっさとセックスしたかったし、もちろん乳首もさわりたかったので、私はそこで妥協した。結局は、花より団子で機微よりセックスだ。たいがい適当な人間ではある。
そうやってセックスして、寝て、起きたら健一は寝起きの私を見ていた。
私より先に起きた男性が、律義に遺影を表に戻していたのだった。
私の機微は相手の義理の父親に、遺影であっても義理の息子の乳首を吸っている様などを見られたくないことだが、男性の機微は、遺影をいつまでも裏返したまま視覚を奪うのは気の毒だ、というところにあるのだな、と、寝ぼけた頭で考えた。
それは少し理解できなくもない。
結局のところ、ただの紙に載ったインクでしかないはずの遺影に、生きた人間めいたなにかを感じていることは通底しており、その表出のアプローチが異なっているだけの話なのだろう。
机上に健一が出現してから、何度か男性の家にお邪魔してはセックスをし、わたしはそのたびに「健一裏返して」とリクエストしていた。
そしてその日はやってきた。
健一が机上に出現して何日目のことだったのか、私はちょっと覚えていない。
夜も更けてきてそろそろ寝るか、という雰囲気になったとき、男性がおもむろに立ち上がり、私の指図なしに、ふいと健一の遺影を裏返した。
その、遺影を裏返す行為こそが、紛れもなく「さ、セックスしますか」の意思表示となっていることに、私はそのときはじめて気がついた。
みずから「裏返して」とお願いしてそうしてもらっていたときには考えつかなかったことだった。
私も男性に続いて立ち上がりながら、「つまり今からセックスするってことか」というと、男性は「あれやな…なんか…イエス・ノー枕みたいやな」と答えた。
そうだ。
これはまさしく、イエス・ノー枕だ。
物体の表と裏を巧みに使い、その夜について性行為のありやなしやの意思表示と予告をする、その原理はまったく同じだ。
【今夜セックス】の露骨かつ言外の通告。あれを我々は今、気がつけば、男性の義理の父親・健一の遺影でやっているのだ。
不謹慎が過ぎる。さすがに戦慄が走ったところで、男性がぽつりと「イエス・ノー健一やな」と言った。
その日から私は、「イエス・ノー遺影」「イエス・ノー健一」という、この、罰当たりで不謹慎で、あまりに強烈な言葉が頭からこびりついて離れない。
忘れようにも忘れられない。だからここに書いた。
それはとても寂しいことではあろうけれど、いつかこの男性と会わなくなる日が来たとして、その先に男性の名前を忘れる日が来たとして、イエス・ノー遺影という言葉と、健一の名前だけは、それでも生涯忘れないだろうと思う。
(※登場人物に配慮して、文中に出てきた名前はすべて本当の名前とは変えてあります)
【追記】
・烏丸御池~四条烏丸あたりに、冬の間、ビニール袋を巧みかつ何百枚も使用して衣服と靴にしたて、万全の防寒している人がうろついているのだけど、この間その人がビニール袋十枚がさねくらいの軽装になっていて、桜の開花よりも断然春のおとないを感じた。だからそのこともついでに書いてもっと季節感あふれる増田にしようとしていたのにうっかり入れ忘れた。
・(ブコメの方へ)小学生だったころは…あります…!(男性はたまにおぼかたさんの真似をします。全然おもしろくない)
あのころ思っていたことでいまだに覚えていること、いつか書きたいです。もしそのとき、たまたまみつけたらぜひ読んでほしいです。
・(ブコメの方へ)もしそこにおばあちゃんの写真があったらセックスできなかったと思うんですが、おばあちゃんのことをしゃべりながらは全然大丈夫です。
こういう「あれはだめだけどこれはセーフ」って感覚はいつどこで身につくのだろうかと思ったりしました。笑ってくれてうれしいです。
前文に追記
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追記です。
そもそもストライクボールとか基本的なところもわからない方が多い、とのことなのでそこから説明しておきます。
投手がホームベース方向に向かってボールを投げ、それを打者が打ち返して野球のゲームは進んでいくわけですが、投手がどこに投げても構わないというルールなら、バットが届かないところに投げ続ければいい、ということになり、野球は不成立になります。
そこで、投手は打者が打てるところに球を投げ続けなければならなくなるようなルールがあります。
打者が打てないような変なところに球を投げたら、その球は「ボール」と判定され、打者が打てそうな真ん中付近のエリアに球を投げるとそれは「ストライク」と判定されます。
「ボール」は打者が打てないくらい遠かったり高すぎたり低すぎたりする球なので、そんな「ボール」を4球投げたら投手は打者と勝負する気なし、として、打者は無条件で一塁に進んでいいというルールになっています。
対して、打者が打てそうないいところに球を投げ「ストライク」となっているのに、それを3回も空振りしたり見逃したりする打者は出塁する資格なしとしてアウトとなり、次の打者と交代しなければならなくなります。
これが「三振」です。
なので、ストライクは3つでアウトとなり、ボールは4球で出塁できます。
そしてアウトが3つになれば、その回は終わって攻守交代となります。
では、打てるところ、ストライクとなるゾーンはどこか?というのが次にわからないところでしょう。
投手と捕手の間、また、打者のすぐ横に、本塁(ホームベース)と呼ばれる塁があります。
高さの上限は乳首あたり、胸の位置となり、下限は膝の位置となります。
では、本塁の上空に、膝から胸の高さまでの、本塁型の柱があると想像してください。
この空想上の立体に、投手の投げた球の端がわずかでもかすればそれはストライクです。
ただし、ストライクゾーンに入らなかった球でも、打者がバットを振ればそれはストライクとなります。
なので、打ちにくいボール球を振ってしまうのは打者にとってメリットがありません。
ボールは見逃し、ストライクだけを振るのが基本ですが、変化球や目の錯覚を利用して、投手はボール球を振らせようとしてきます。
また、打者が打った球が、一塁と三塁の間のゾーンを通過しなければ、それはファールとなり、打者は進塁できずストライク扱いとなります。
ただし、ファールは何球打っても2ストライクまでしか増えず、三振にはなりません。
ホームベースから一塁に向けて、白線が引かれていると思いますが、基本的にはこの線より外にボールが行けばファールです。
ただし、一塁ベースより投手よりを通った打球がその後ファールゾーンに出ても、それはファールとなりません。
打球が一塁ベースの外側を通ったか内側を通ったかでファールかどうか判定されます。
(もちろん三塁線も同様です)
フライの場合は落ちた箇所がファールゾーンかフェアゾーンかで判断され、ホームランの場合はフェンス際に立っている黄色いポールの内を通ったか外を通ったかでホームランかファールか判定されます。
塁(ベース)は4つあり、走者が一塁から二塁、そして三塁へ行き、最後に本塁を踏めば1点入ります。
走者は塁を踏まずに飛ばしたり、前の走者を追い越したりしてはならず、順番に一つずつ塁を踏んで進塁する必要があります。
追記終わり
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WBCで野球見て盛り上がったけど、いまいちルールわからん?と思った方はいると思う。
そこで、簡単に、初心者が混乱しがち、というか、いまいち納得できてないようなルールを簡単に説明しようと思う。
それがわかると走者の動き、守備の狙いなんかもわかるようになるので、ちょっと見え方が変わるかも?
目新しいことや複雑なことは言わないので、野球よく知っている人は、特に得るものはないエントリだと思いますのであしからず。
まず、出塁と進塁、そしてタッチアウトとフォースアウトの差について説明した後、タッチアウトやケースごとの走者の動きと、それに対応した守備の動きを説明するよ
野球の基礎的なルール、ストライク3つでアウト、アウト3つで攻守交替、走者が本塁を踏めば1点、みたいなのは知っていると思う。
それをもうちょっと深めて考えると、まず走者を塁に出す「出塁」と、走者を次の塁に進める「進塁」という2要素から攻撃が成り立っているのはわかると思います。
出塁に関しては多分みんな知っていて、ヒットを打てば塁に出れるし、打たなくとも四球、死球、エラーなどでも塁に出れますし、これはとても分かりやすいと思います(振り逃げ以外)。
難しいのは進塁のほうだと思うので、進塁についてのルールを解説していこうかな。
走者をアウトにする条件として、基本はタッチアウトです。
ボールを持った野手が、ボールを持った手で走者に触れると走者をアウトにでき、走者を消せます。
ただし、走者が塁に触れている限り、走者をアウトにできません。
塁が安全地帯ということですね。
しかし、タッチをしなくとも走者をアウトにできるのがフォースアウトです。
タッチされない限りアウトにならないのであれば、次の塁にすでにボールが送球されているなら、無理せず元の塁に戻ればタッチされず、アウトにならないはずです。
しかし、打った直後の打者走者は一塁に到達できないならバッターボックスに留まる、などはできませんし、一塁に走者がいる場合は打者走者が一塁に行かなければならないため一塁走者は一塁に留まることができません。
このように、自分の後ろに走者が飽和していれば前の塁に戻ることはできません。
このような場合、ボールを持った野手は走者にタッチせず、ボールを持って次の塁を踏むだけで走者をアウトにできます。
これがフォースアウトです。
一番多く見るのが、打った直後の打者走者は、一塁でタッチされず、一塁を踏んでいる一塁手がボールを捕った時点でアウトになっているケースで、これもフォースアウトです。
一塁走者がいる場合、内野ゴロでダブルプレー(ゲッツー、併殺)があると思いますが、あれも二塁でフォースアウト、一塁でフォースアウトとなるため、タッチプレーにならずに速やかに送球されるのがポイントです。
ここからが本番だよ!
野球初心者のわからないところで一番多いのが、今何で走ったの?今何で走ったらダメなの?だと思う。
結論を言うと、基本的に走者はいついかなる場合でも進塁を試みることが可能です。
しかし、野球の多くの時間では、ボールをフィールド真ん中にいる投手が持つため、むやみに進塁を試みてもすぐさま投手がボールを塁に送球するため、タッチアウトにされていまします。
なので走者は基本的には走れません。
そこで、打者がボールを打って転がし、守備がボールを保持しない時間を大きく作れば、その隙に走者は余裕をもって進塁を試みられます。
しっかり打てば大きな時間を稼げるのでたくさん進めますし、しっかり打たなくともとにかくバットに当てて転がせばそこそこの時間を稼げます。
その走者が進む時間だけを最低限確保するために、ボールをバットに当てる行為が「バント」です。
もちろん隙があれば走者は走れるので、投手の球を捕手が捕りそこなった際にもよく進塁が試みられます。
また、捕手から最も遠い塁が二塁なので、投手が投球モーションに入ってから捕手が捕球、それを二塁へ送球するまでの時間を利用して一塁走者が二塁進塁を試みることがあります。
これが盗塁です。
もちろん二塁走者が三塁へ、三塁走者が本塁へ盗塁を試みることもありますが、難易度が跳ね上がります。
いついかなる場合も走者は進塁していい、と先ほど言いましたが、例外があります。
それはフライアウトの間です。
打者が滞空時間の長いフライを打ち上げた時も走者が走ってよいなら、打者は滞空時間を競うようになります。
そうなるとゲームがバグってしまうため、「フライの間は進塁できない」というルールがあり、もしフライの間に進塁してしまっていたら、一度元いた塁に帰塁しなければならない、という決まりがあります。
しかし、裏を返すと、野手がフライをキャッチした瞬間に元の塁に張り付いていたら、野手がボールを捕った瞬間に「進塁しちゃダメルール」が終わるので、また元の「いつでも進塁していい時間」が復活します。
そこで、フライの間は塁に張り付いておき、フライがキャッチされた瞬間に進塁するのが「タッチアップ」です。
よく見られるのは無死または一死で三塁走者がいる場合、外野フライを打ち上げれば三塁走者がタッチアップでき、本塁に戻って得点になるケースで、これは特に「犠牲フライ」と呼ばれることもあります。
ポイントは、キャッチした外野手から、進塁先の塁が遠いほうがボール到達までの時間が長いので、本塁へのタッチアップが最も簡単で、次にライトフライで二塁走者が三塁へのタッチアップが多く見られます。
二塁は外野から最も近いので、一塁から二塁へのタッチアップはほとんど起きません。
先ほど書いたように、ボールを捕球した野手と、進塁先の塁の距離は直接、走者が走れる時間に結びつくため、大事な概念となります。
得点が入る本塁は外野から最も遠い位置にあるため、外野から本塁への送球が最も時間がかかります。
そこで、二塁に走者がいる場合は、二塁打ほど大きな当たりを打たずとも、内野手の間を転がして抜くようなシングルヒットでも、得点が入るケースが多いです。
そのため、三塁だけでなく、二塁に走者がいる場合も、「得点圏に走者がいる」と言われます。
例えば、無死または一死で二塁走者がいる場合外野にボールが抜けると一点入る可能性があります。
二死であればあとひとつアウトを取れば交代なので、最も守りやすい基本の守備位置となりますが、無死または一死ならば次のプレーでの交代はまずないので、1点を争う場面だと二塁走者の本塁突入を防ぐ必要があります。
そこで内野をぎりぎりゴロで抜くようなヒットで点を入れられないために、外野手は基本の守備位置よりずいぶん前に出て、バックホームで走者を刺せる位置で守ります。
これが「バックホーム態勢」です。
「バックホーム態勢」は二塁走者を本塁に返さないために有効ですが、外野手の頭を超えて長打となるリスクを持ちます。
打球速度の速い鮮やかな外野前ヒットなら、そもそも走者は三塁でとまるため、バックホーム態勢の狙いは本当にゴロで内野を抜いていくヒットを刺す、となります。
これが、3点差で勝っているチームの終盤、とかであれば、1点を防ぐより1アウトを確実に欲しいと考えることもあり、バックホーム態勢を敷かないケースもあります。
一塁に走者がいて、カウントが3ボール2ストライクの時、ボールならば四球で走者は進塁でき、ストライクなら打つため、打者は必ず投球に対してアクションします。
そのため、打者が三振しない限りは捕手が投球をそのまま補球することがないため、一塁走者は少しでも早く次の塁を目指すために盗塁並みのスタートを切ってきます。
通常なら走者一塁で外野前ヒットなら走者一二塁となりますが、フルカウントで一塁走者がスタートを切っており、打球が三塁から最も遠いライト前に放たれた場合、一気に走者一三塁とできるケースが多いです。
走者がぼーっとしてると一二塁で止まってしまうため、このような抜かりのない走塁をする姿勢はとても大切です。
ただ、スタートしても打者が三振してそのまま二塁で盗塁死する三振ゲッツーもありますし、内野ライナーで帰塁できずダブルプレーという不幸なケースもありますが、少なくとも通常よりよいスタートを切るのは間違いないです。
これが2アウトならもっとそうで、三振したりライナーだったりするとその時点で交代となるため、走者が飛び出すことにリスクがなくなります。
外野フライもそうで、無死または一死なら、外野フライを捕球されると走者は塁に戻らなければならないので、リスクを持ったスタートはできませんが、二死ならフライアウトの時点で交代なので、帰塁にメリットはありません。
2アウトならどんなフライでも走者はスタートを切るので、外野フライが抜ければ一塁走者が一気にホームインすることも珍しくありません。
ちょうどWBCメキシコ戦で周東が一塁から一気にホームインしましたが、あれは通常は2アウトからしか起きないようなプレーで、捕球されないことを確信した走りを見せた周東の判断力が、走力以上に光ったプレーでした。
外野手も逆に、捕球できる素振りを見せれば走者は動けないので、明らかに頭を超えるような球でも、捕球できるように見せるため振り返ったり手を上げたりして走者をけん制しつつ、速やかにクッションボールの処理に移ることもあります。
このように、カウントや状況によって走者のスタートがまるで変ってくるので、球場に行けばぜひ見て欲しいところです。
走者はリードを取ってスタートするのに対し、打者走者は打ってから走るので一番遅いですし、一塁はいついかなる場面でもフォースアウトです。
そのため、微妙な打球の時、最もアウトにしやすいのが一塁への送球です。
そこで、確実にひとつアウトを取る時は、三塁走者の本塁突入を無視しても一塁に送球します。
これが基本です。
ただ、走者が一塁にいれば一塁だけでなく二塁もフォースプレイに、走者が一二塁にいれば一塁二塁三塁全てがフォースプレイになりますし、満塁ならば本塁もフォースプレイになります。
なので、走者がたまると失点のリスクは高いですが、フォースプレイにできる塁が増える分、守りやすさも上がります。
走者一二塁の時は、内野手が捕球すれば自分から一番近い塁に走る(投げる)だけでフォースアウトにできますので、送球ミスのリスクが下がります。
1死二三塁の時、一塁があいているため本塁がフォースプレイでなくタッチプレイになりますが、タッチプレイはアウトにできる確率が下がり、ダブルプレーを取りにくくなります。
そのため、二三塁の時にあえて一塁を埋め、本塁フォースアウトからの一塁アウトを狙える満塁策もあります。
特に、同点の裏の回で走者二三塁だと、三塁ランナーが返った時点で試合は終了となりますから、一塁を埋めるデメリットはありません。
無死一塁の場面、打者が送りバントをすると、打者自体は一塁に生還するほどの時間はありませんが、スタートの速い一塁走者を二塁に進める時間は確保できます。
この時、野手がバントを好捕したならば、二塁に送球すれば走者をフォースアウトにできる可能性があります。
仮にバントを二塁に送球しアウトにできればファインプレーなのですが、二塁がセーフになってしまった場合、「野手選択」という送球者のエラーが記録されます。
それほど一塁をアウトにすることは簡単で、その他の塁をアウトにすることは難しいのです。
よく、1死三塁などの場面で内野ゴロを打つと、本塁に投げても間に合いそうなのに、一塁に投げるケースが多く見られます。
それはそのくらい、本塁タッチプレイでアウトにすることは難しく、そのリスクが一塁で確実にアウトを取ることと釣り合わないと考えているからです。
野球はどう頑張っても3アウト×9回の27アウトの間しか攻撃できませんので、ひとつのアウトを確実に取るプレーは実はとても大切なことで、そのために1点を差し出すこともいとわないケースもあるものです。
そのあたりの選手の考え方は、野手の守備位置を見るとある程度わかります。
内野手がベースを結んだ線より投手に近いところにいれば、内野ゴロでも確実に本塁アウトを狙うバックホーム態勢で、通常守備位置なら一
グラビアDVDの総合的な価値はモデルのルックスと露出度の積により決定される。
つまり、「よりかわいいモデル」が、「より過激な格好」をするほど「使える」というわけだ。
だが世の中はそううまくいかない。
かわいいモデルは顔がかわいいというだけで価値が高いので、あまり脱がない。
結果として総合的な価値はだいたい同じようなところに落ち着くわけだ。
一般化すれば、「おっぱいをどのくらい生乳に近い姿で見せるか」がバストの露出度だ。(生乳=なまちち≠せいにゅう)
その演出にもこれだけの多様性がある(序列は筆者の独断による)。
《露出度低》
↑ 着衣
│ 着衣の胸元がはだける
│ ブラ+下乳
│ 眼帯ブラ
│ 着衣の胸元が完全にはだける
│ 紐のはずれたブラや着衣+両面テープ
│ Tシャツたくし上げ下乳見せ
│ 前腕ブラ
│ 片乳が手ブラ
│ 両乳が手ブラ
│ 指ブラ(本数により調節)
│ 泡ブラ(泡量により調節)
│ ニップレス
│ 絆創膏
│ ペイント
│ 生乳
↓
《露出度高》
強引に細分化しただけのように思えるかもしれないが、実際にグラビアではこれらの表現がかなり慎重に選ばれ、使い分けられている。
露出度(≒興奮度)の序列には異論があるかもしれないが、この序列は筆者が興奮する順番ではない。
一般にグラビアモデルはその活動の過程で徐々に露出度をアップさせていく。作品を出すたびに表現を少しずつ過激にしていかなければ売上が落ちていってしまうからだ。露出度を足踏みしたままで何十作も作品を出せるのは限られたスーパースターだけだ。
露出度を上げていく過程は、モデルの視点に立てば許容範囲を譲歩していく過程でもあるし、モデル事務所の視点に立てば出し惜しみの緩和の過程と捉えることもできる。
上に並べた表現の序列は、おおむねその過程を一般化して並べたつもりだ。だいたい似たような過程をたどるのである。
ちなみに、ECサイトなどで成人向け(R18)に指定されるのは下から2~3番目だけ。乳輪の見えない絆創膏までならば全年齢向けのグラビアDVDで楽しめる。
上では可視範囲という軸だけで序列を行ったが、その乳房に対してどのようなアクションをするかという評価軸もある。
走って揺らす、縄跳びして揺らす、側面や上面をマッサージする、洗う、ガラス面に押し付ける、シャワーヘッドを挟む……など、グラビアDVDは様々な手法でモデルの乳房の質感を視聴者に伝えようとする。
露出度とアクションの過激さでバスト表現から受ける興奮度合いが調節されているわけだ。
ただし、直接的にも間接的にも乳首がいじられることはない。全年齢作品においては禁じ手なのかもしれない。
さて、グラビアDVDにおけるこうしたバスト表現だが、近年はインフレの一途を辿っている。
デビュー作のパッケージ写真がすでにニップレス姿という作品が増えてきた。
バスト露出にとどまらず、表現演出の観点でもR18一歩手前を攻めた作品が相対的にかなりの割合を占めるようになってきている。
製造やサービス業では、競合同士の品質の差がなくなると価格だけで競争しなければならなくなる。
これを過当競争と言ったりコモディティ化と言ったりするが、グラビア界にもそれが起こりつつあるのではないかと思う。
業界全体として露出度・過激度が飽和し、「かなり脱げてる作品」「かなりエロい作品」でないとユーザーの関心を引けなくなっているということだ。
もちろんユーザーにとってはこの上なく喜ばしい話であるが、ファストフードチェーンが価格の叩き合いの末に疲弊していったように、グラビア業界にもいずれこうした傾向の揺り戻しが来るのではないかと危惧している。