2023-04-13

すばらしいおっぱい

私は、すばらしいおっぱいの持ち主だ。

 

下着屋に行けば、フィッティングルーム

販売員に「まー!お客さまお綺麗なお胸で!」と絶賛され、

ベッドでぺろんと男に披露すれば見とれられて褒められ揉まれ

友人とスーパー銭湯旅行に行ったときには「おっきいね」と羨ましがられ、

服を着た状態でも、ふとした拍子に他人から褒められる。

胸を強調した服などほとんど選んでいないというのに。

 

水着写真SNSにアップすれば、誰かのおかずに使われた。

褒め言葉として実際に本人へ直接報告するよくわからん輩がこの世には一定存在する。

 一回の写真で2人程度に言われてから二度と薄着の写真はアップしなくなった)

 

乳首なんてそれはそれはキレイで、その美しさ西洋美術のごとし。

肌が白いのもあって、日本AVパッケージよりバロック期の絵画に近いと、自分でも思う。

 

手タレ、足タレというもの存在するように、

胸タレというニーズ社会にあればいい線いけるんじゃないか

いやいっそ、ルーヴル美術館にうっかり貯蔵されもいいと思う。

 

冗談はおいといて。

そんな感じで、思春期の頃から胸はずっと褒められ続けてきた。

10代、20代の頃は溢れる性欲がようしゃなく人間のかたちをして近づいてくるので

まあまあ…いやけっこう…いやかなり……嫌な想いもしてきたけれど、

自分の胸という存在のものコンプレックスを感じたことはほとんどない。

 

「ふーん、私っていいおっぱいなんだ」と思って生きてきた。

 

せっかくならと補整下着気合いを入れて下垂を避け、

安物だけれど定期的にクリームを塗り、

おなかが出すぎるとそれはそれで美しくないので、

体型維持もほどほどに気合いを入れてきた。

 

出産経験がないので当然授乳経験もなく、その過程で生まれる胸の変化も当然未経験だ。

それがさらに、おっぱいの美しさキープにもつながっているんだと思う。

 

思春期の成長過程でこのおっぱいを手に入れて20年近くたつが、

胸に関してだけは本当に一度も惨めな想いをしたことがなかった。

 

おかげさまで30代半ばになった先日も、

フィッティングルームで絶賛された。

 

しかし、しかしだ、私は褒められてももう何も感じなくなってしまった。

「おきれいですね!」(ええ、キレイでしょ)

「おおきいね」(ええ、そうなんです)

「まあ、うらやましい!」(そうでしょう)

 

そんな風に、何を言われても脳内で冷静に同意するばかりだ。

昔は、嬉しかった。

キレイだと褒められるのも、大きいと羨まれるのも。

他がコンプレックスだらけだった私にとって、唯一の自慢だったから。

 

でも、もうその新鮮さも20年も経てば流石にすべて失われてしまった。

 

先日、フィッティングルームで「こんなにお綺麗なのだからバストが目立つ服をきてみては!?」と言われて、

いかに美しいシルエットかを鏡越しに説明されたけれど、すごく萎えしまった。

販売員さんはすごくテンションがあがっていたけれど。

 

すばらしいおっぱいは、

これからもできる限りそのすばらしさを保ちたいと思う。

でも、なんだろうな。この切なさは。むなしさは。

いいものを持っているのだろうと思うけれど、何なんだろうな。

 

いつしか、その努力もむくわれないぐらい

おっぱいが垂れちゃってしぼんじゃうときが来るだろう。

そのとき、私はどんな気持ち自分の胸を見おろすんだろうな。

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