はてなキーワード: ローマとは
昔から古代ギリシアならスパルタ、戦国なら武田が好きなんだけどさ。
結局スパルタはローマに負けて、武田は信長に負けるじゃん。スパルタの場合ローマに飲み込まれる前に既にペルシアにズブズブにされてるし。
俺は個々の戦闘能力がめちゃくちゃ高い戦士による少数精鋭って感じが好き(語彙力が乏しくてすまない)なんだけど、歴史上そういう戦闘民族みたいな人たちって結局経済力と政治力を持った人らが差し向けた、個々の能力は凡庸な烏合の衆に負けるんだよ。
テルモピュレーの戦いだって結局、スパルタ側はペルシアの部隊の一部を追い返しただけ(それだけでもすごい)で軍事的には大損害受けてるし、ペルシャは経済力でいくらでも頭数揃えられるんだよ。
ジェダイが大量のクローン兵に負けるみたいに個々の戦闘能力がずば抜けてる少数精鋭が個々の能力は凡庸な大軍団に飲み込まれる現実の戦争ってめちゃくちゃロマンないよな。
キング・クリムゾンのボスは悪行を繰り返した結果、ゴールドEによって永劫にこ〇されるという輪廻に入ってしまった
あとはさっしろ
GERによる無駄無駄ラッシュによって川に吹っ飛ばされたディアボロだったが、何とか生き延びていた。たくさんの地下道が通っているというローマの土地勘を利用し、排水溝からの脱走を試みるがそこに突然ナイフが刺さる。ディアボロが流れ着いた場所はホームレスのたまり場であり、ナイフはコートを盗まれると思ったホームレスから警戒されて飛んできたものだった。彼らの周辺には麻薬の注射に使ったであろう注射器が転がっており、自らが広めた薬物の常習者に殺されるという皮肉な死に様を迎えたのが始まりだった。
次に目がさめるとディアボロは手術室のような場所に仰向けになっていた。隣には女医がいたが、話しかけても聴こえていないのか反応がない。彼女の発言からこの場所が遺体安置所で、これからやろうとしている事が遺体の解剖による検死である事に気付く。そして先ほどのナイフによる切り傷を調べるため腹部を切開され、目の前で自分の肝臓を摘出されるのだった。身動きはできなかったが痛みはしっかりとあり、健康な肝臓だと女医は褒めていた。
今度は大都会へと飛ばされるディアボロ。つい先ほど体験したものは夢だったのか、しかしそれにしてはあの想像を絶する苦痛はリアルすぎる、また何か起こるのではないかと動揺していたところを、心配した老人に声をかけられる。しかし老人の飼い犬が吠え出した事に驚いてしまい、歩道を踏み外し猛スピードで車が走行する車道に飛び込んでしまった。(アニメではいきなり背後から吠えられたため驚き、その拍子に縁石に躓いて車道に飛び出している)
ジョルノ・ジョバァーナ「終わりのないのが『終わり』 それが『ゴールド・E・レクイエム』」
ただ死ぬだけならともかく、刺殺、遺体解剖、事故死という三度にわたるリアルな臨死はいずれも壮絶なものばかり。
これらを連続で体験したディアボロは次に草原に飛ばされたとき、どこから「死」が襲ってくるかわからなくなり、とうとう話しかけてきた少女にまで怯えるようになっていた。
くっ ハァ…ハァ…
くう………
ハァー
オ、オレは
次はど……
どこから……
い…いつ
「襲って」
くるんだ!?
オレは!
オレはッ!
オレのそばに近寄るなああーッ
余談
「ソルベを生きたまま輪切りにしてホルマリン漬けにしたボスが、生きたまま解剖される」
「組織の飼い犬にしていた老人を自殺させたボスが、老人の飼い犬に吠えられて事故死する」
「自分の正体に繋がる実の娘を殺そうとしたボスが、小さな女の子に姿を見られただけで怯え狂う」
実際は全く逆で、少年法(や旧感化法)が無いと触法少年に対処できない。
一定年齢未満に刑事責任能力を無しとするのは明治の刑法制定以来の日本の刑法、さらに言えばローマ法依頼の伝統であって、刑事未成年が犯罪構成要件に該当する行為を行っても犯罪は成立しない。刑法には触れるが犯罪は成立しない、それが触法少年だ。
触法少年には犯罪は成立しないのだから、刑法しかない状態では触法少年=無罪放免=野放しだ。
増田が言ってる無罪放免だの野放しだのというのは、少年法が無い状態のことを言うのであって、少年法はそれを防ぐための制度だよ。
・ええやん!
続編作られたら観にいく
・面白いけど怖え〜〜!
激アツだが見飽きたではない展開
・残り199体いるので売れたら続編作れます!を感じる
町並みすごいきれいだもんなあ
途中までエクソシストの精神とかノウハウを継承する感じかと思ってた
でも激渋主人公だけだと完成しすぎて移入するのが難しい感じするから伸びしろ枠の色男助手?神父さんがいてちょうどよかった 続編で2人の退魔道中、見たい
・神職おじさんがスクーターに乗るシーンが萌えると聞いてて「そういう萌の受容体は持っていない」と思ったが見たら萌えた絶妙
・田舎の平日回だしそんなに人おらんじゃろと思ったら映画好きそうな50〜60位の…男女が10人弱いた
・急な「名著である」の圧わろた
イタリアはローマ時代に遡る美しい建物がクソほどあるけどし その街並みは世界に名を馳せるけどさあ
それに比べて日本はまあ美しい寺はあるよ でもそれだけ
ほとんどの日本の都市は灰色の醜いプラスチック製キューブが乱雑に詰められたような汚物よ
そこら中に無数の電線あるしな
↑これ 西洋人が日本に対してアニメに描かれてるような牧歌的な景色を想像してるの謎
いやいや、効率性しか意識してないクソ醜くてディストピア的なコンクリート地獄のような景観だから
グーグルマップで適当に日本の街並み見てみ? 風情のかけらもねえから
まあすごい建物も中にはあるよでも景観についてはヨーロッパの国ならどこでも日本笑えるレベルだと思う
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
イタリアとか一部はそうなってる
南部のアマルフィ海岸付近にあるリゾートの町ソレントでは最近、旅行客が町の中心部でビキニを着用したり上半身裸で歩いたりすることが禁止された。違反者は最高500ユーロ(約7万円)の罰金を科される。
英紙ザ・タイムズによると、マッシモ・コッポラ町長はその理由として、地元住民は肌の露出が多い服装を「礼儀正しさや慎みに反する」と考え、「不快感」を持っていると説明。旅行者の行為が住民の生活の質や同市のイメージ、観光に影響をもたらすことへの懸念を示した。
ビキニなどの水着を禁止している地域は他にもある。シチリア州リパリ島も、街中でビキニやTバックなどの水着の着用を禁止。ベネチアでも、観光中の水着着用は法律で禁じられている。
問題になるのは水着だけではない。ここ数年で、観光客の悪い振る舞いに対し多額の罰金を科すようになった地域が相次いだ。首都ローマは2019年、スペイン階段にたむろする行為への罰金を設定。フィレンツェでは、歴史地区を散策しながら軽食を取る行為に罰金を科している。
イタリアの町がビキニ禁止 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)