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2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

2023-09-24

カノッサ事件カノッサの屈辱)のあと

カノッサの屈辱のあと、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世勢力を立て直し、

再び教皇対立した際には軍隊を率いてイタリアに侵攻、ローマを包囲。

教皇は命からがらローマから脱出したのちに、サレルノ客死した。

教訓としては、一度皇帝と決定的に対立した以上は、

たとえ皇帝が裸足で許しを請いに来ても破門を解いてはいけないということ。

2023-09-23

人間戦争ってつまんね

から古代ギリシアならスパルタ戦国なら武田が好きなんだけどさ。

結局スパルタローマに負けて、武田信長に負けるじゃん。スパルタ場合ローマに飲み込まれる前に既にペルシアにズブズブにされてるし。

俺は個々の戦闘能力がめちゃくちゃ高い戦士による少数精鋭って感じが好き(語彙力が乏しくてすまない)なんだけど、歴史上そういう戦闘民族みたいな人たちって結局経済力政治力を持った人らが差し向けた、個々の能力凡庸烏合の衆に負けるんだよ。

テルモピュレーの戦いだって結局、スパルタ側はペルシア部隊の一部を追い返しただけ(それだけでもすごい)で軍事的には大損害受けてるし、ペルシャ経済力いくらでも頭数揃えられるんだよ。

ジェダイが大量のクローン兵に負けるみたいに個々の戦闘能力がずば抜けてる少数精鋭が個々の能力凡庸大軍団に飲み込まれ現実戦争ってめちゃくちゃロマンないよな。

から俺はチート持った1人の主人公が何千、何万の軍勢を蹴散らせられるなろう系が好き。

2023-09-05

anond:20230905091641

全ての権利闘争と獲得の歴史ってのはあるな

 

ローマ奴隷しかインド市民権しか男子参政権市民権兵役で貢献したから与えられたものだし

兵役で貢献できなかった女子産業革命労働者土地と分離して都市女性労働者が発生するまで待たねばならなかった

 

まあ今の時代に生きる我々は直接は関係ないが

2023-08-23

anond:20230823012801

君はね、現代西側平和な国の民主主義体制絶対正義という枠から抜けられてないんだよ

から俺の書いてる事が全く読めない

読んでるのに読めない

なんのために徳川幕府家康を出してるんだと思う?

民主主義共和制帝政なんてのは人類ローマの頃から2000年以上やってていろんな「正義」があるんだよ

あるいは正義なんてもんはない

民主主義で一人の命を助けるために何人もの犠牲を出すのと、独裁で一人の人間人権を奪って殺して他の数人を助けるのとは正義の在り方でしかない

戦争しなければ良かったと言うのも的外れ世界中全員勝つと思ってたのには異論ないんだろ?速攻で勝つと専門家だって思ってたよ

キーウの空港スペツナズが全滅した時にはガチで「全滅... だと?」状態だったし世界中ほぼ全員そうだ

2023-08-12

anond:20230812091930

ローマ日本? ラテン語は話せないのか。そんな蛮族は知らん。好きにしろ

anond:20230811192304

ローマ「なぜ綴りどおりに発音しないのか。属州発音は訛りがつらい」

2023-08-10

anond:20230810225523

人権剥奪というけど、ローマですら奴隷賃金を払ってましたがな。

anond:20230808182449

キング・クリムゾンボスは悪行を繰り返した結果、ゴールドEによって永劫にこ〇されるという輪廻に入ってしまった

あとはさっしろ

GERによる無駄無駄ラッシュによって川に吹っ飛ばされたディアボロだったが、何とか生き延びていた。たくさんの地下道が通っているというローマ土地勘を利用し、排水からの脱走を試みるがそこに突然ナイフが刺さる。ディアボロが流れ着いた場所ホームレスのたまり場であり、ナイフコートを盗まれると思ったホームレスから警戒されて飛んできたものだった。彼らの周辺には麻薬注射に使ったであろう注射器が転がっており、自らが広めた薬物の常習者に殺されるという皮肉な死に様を迎えたのが始まりだった。

次に目がさめるとディアボロは手術室のような場所に仰向けになっていた。隣には女医がいたが、話しかけても聴こえていないのか反応がない。彼女発言からこの場所遺体安置所で、これからやろうとしている事が遺体の解剖による検死である事に気付く。そして先ほどのナイフによる切り傷を調べるため腹部を切開され、目の前で自分肝臓を摘出されるのだった。身動きはできなかったが痛みはしっかりとあり、健康肝臓だと女医は褒めていた。

今度は大都会へと飛ばされるディアボロ。つい先ほど体験したものは夢だったのか、しかしそれにしてはあの想像を絶する苦痛リアルすぎる、また何か起こるのではないかと動揺していたところを、心配した老人に声をかけられる。しかし老人の飼い犬が吠え出した事に驚いてしまい、歩道を踏み外し猛スピードで車が走行する車道に飛び込んでしまった。(アニメはいきなり背後から吠えられたため驚き、その拍子に縁石に躓いて車道に飛び出している)

ジョルノ・ジョバァーナ「終わりのないのが『終わり』 それが『ゴールド・E・レクイエム』」

ただ死ぬだけならともかく、刺殺、遺体解剖、事故死という三度にわたるリアルな臨死はいずれも壮絶なものばかり。

これらを連続体験したディアボロは次に草原に飛ばされたとき、どこから「死」が襲ってくるかわからなくなり、とうとう話しかけてきた少女にまで怯えるようになっていた。

くっ ハァ…ハァ…

くう………

ハァー

オ、オレは

何回死ぬんだ!?

次はど……

どこから……

い…いつ

「襲って」

くるんだ!?

オレは!

オレはッ!

オレのそばに近寄るなああーッ

余談

麻薬利益を得ていたボスが、麻薬中毒者に刺殺される」

「ソルベを生きたまま輪切りにしてホルマリン漬けにしたボスが、生きたまま解剖される」

組織の飼い犬にしていた老人を自殺させたボスが、老人の飼い犬に吠えられて事故死する」

自分の正体に繋がる実の娘を殺そうとしたボスが、小さな女の子に姿を見られただけで怯え狂う」

などなどいずれもボス自身が働いた悪行に対する報いとも取れる内容となっている。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%B0%E3%81%AB%E8%BF%91%E5%AF%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%82%E3%81%82%E3%83%BC%E3%83%83

2023-07-29

anond:20230729133152

古代ローマは巨大な領地を獲得したあと、どんどんその土地ローマ化していった。

その結果として、領域のドコで暮らしてもローマ暮らし享受できるようになった。

それは便利なことなんだけど、同時に本国ローマに対する帰属意識愛着精神を薄めさせることにもなってしまう。

そのあたりもローマ帝国崩壊の遠因である世界史の授業で習った覚えがある。

2023-07-27

anond:20230727183923

少年法のおかげで、日本触法少年犯罪者無罪放免となり、社会に野放しにされた

はいダウト

実際は全く逆で、少年法(や旧感化法)が無いと触法少年対処できない。

一定年齢未満に刑事責任能力を無しとするのは明治刑法制定以来の日本刑法さらに言えばローマ法依頼の伝統であって、刑事未成年犯罪構成要件に該当する行為を行っても犯罪は成立しない。刑法には触れるが犯罪は成立しない、それが触法少年だ。

触法少年には犯罪は成立しないのだから刑法しかない状態では触法少年=無罪放免=野放しだ。

増田が言ってる無罪放免だの野放しだのというのは、少年法が無い状態のことを言うのであって、少年法はそれを防ぐための制度だよ。

映画ヴァチカンエクソシスト

・ええやん!

 続編作られたら観にいく

面白いけど怖え〜〜!

漫画みたいで面白かった

激アツだが見飽きたではない展開

・残り199体いるので売れたら続編作れます!を感じる

西洋聖職者社会、中2心がくすぐられてかっこいい

 ソウルソサエティの護廷みたい

ローマ、今年の映画でいっぱい見るなあ

 町並みすごいきれいだもんなあ

・バディものとは思ってなかったから驚いた

途中までエクソシスト精神とかノウハウ継承する感じかと思ってた

 でも激渋主人公だけだと完成しすぎて移入するのが難しい感じするから伸びしろ枠の色男助手神父さんがいてちょうどよかった 続編で2人の退魔道中、見たい

神職おじさんがスクーターに乗るシーンが萌えると聞いてて「そういう萌の受容体は持っていない」と思ったが見たら萌え絶妙

最後神職オフィス萌え

エクソシストものって全然見ないから新鮮に感じた

田舎の平日回だしそんなに人おらんじゃろと思ったら映画好きそうな50〜60位の…男女が10人弱いた

コンスタンティンとのクロスオーバー、みてえ〜〜〜

・急な「名著である」の圧わろた

2023-07-22

anond:20230722180705

逆なんだよなあ

国連世界支配者層が地球のため、人口削減のために前世から頑張って「人口を減らそう」キャンペーンをやって

成果が出てるだけ

ローマクラブとかご存じない?

2023-07-18

東京の街並みが世界でも屈指に醜い理由

スペイン人

イタリアローマ時代に遡る美しい建物がクソほどあるけどし その街並みは世界に名を馳せるけどさあ

それに比べて日本はまあ美しい寺はあるよ でもそれだけ

ほとんどの日本都市灰色の醜いプラスチックキューブが乱雑に詰められたような汚物

そこら中に無数の電線あるしな

ソース 日本に住んで五年目 窓から外見るたびに泣きたくなる

ドイツ人

↑これ 西洋人日本に対してアニメに描かれてるような牧歌的景色想像してるの謎

いやいや、効率しか意識してないクソ醜くてディストピア的なコンクリート地獄のような景観から

グーグルマップ適当日本の街並み見てみ? 風情のかけらもねえから

まあすごい建物も中にはあるよでも景観についてはヨーロッパの国ならどこでも日本笑えるレベルだと思う

単純に街並みに関してはうちら大陸は最強だから

https://i.imgur.com/LS3wxmC.png

https://i.imgur.com/93QEdtv.png

2023-07-15

anond:20230715190403

ICCは、国際社会全体が関心を有する最も重大な犯罪、すなわちジジェノサイド集団殺害犯罪)、人道に対する罪戦争犯罪侵略の罪を犯した個人刑事責任を追及する初の常設国際刑事裁判機関です。ただし米露中は未加盟で未加盟国も多くあります

 

ICC管轄権を有する国家が、真摯事件捜査し、被疑者を訴追する意図または能力を欠いている場合には、ICC管轄権行使することもできますローマ規程第 17 条第 1 項(a)-(b))。現在ICCは、コンゴ民主共和国ウガンダスーダン活動しています

日本2019年に加盟しました。

2023-07-10

知っているか世界で初めて死刑

紀元前578年ローマのグラシナスという小さな村で執行された。

その地は今はナルハと名前をかえたが、死刑執行場所には今でも十字架が残っているんだぜ

2023-07-06

イーロンマスク VS マークザッカーバーグ

Threads、FacebookInstagram

この3つ、つながっちゃうんだねー。

んで、Threadsを消したらInstagramも消えるって、マ???

https://rocketnews24.com/2023/07/06/1911727/

・ Threadsのアカウントを削除するとインスタアカウントも同時に削除される


Instagramは見る専だし

Twitterイイネしかしない

なのでとうぶんこのままかなぁ。

セレブ企業広報アカウントなら何ら問題ないだろうね。

イーロンマスク VS マークザッカーバーグ

イタリアローマコロッセオでバトルするってほんとかなー。

面白いことばっかりしてるなぁ🐈

2023-06-21

ロマナの丘

ロマナって致命だと思ってたらローマのっていう形容詞だったのね

そういやパックスロマーナとかあったわと

世界名作劇場の歌はかくれた名曲たくさんあると思う

ロミオはもちろん、七つの海のてぃこもいいのよ

OPはもちろんEDがもうねえ・・・

日曜が終わってもう寝なきゃいけないっていうのが園児だか小学校低学年だかのとき、とてつもなくいやだったものだわ

しかもてぃこは最終ヵ委だけ見逃したしなー

ガオガイガー最終回だけ見逃した・・・

ロミオは次回予告でロミオ暴力ふるわれてるのみてこわくなってみるのやめた

ドラゴンボールギニューにごくうがのっとられたところでこわくなってみるのやめた

ずっとみてたのドラえもんぼのぼのくらいだわ

あーあと日曜朝のビックリマンゴーストスイーパーみかみもみてたな

GSみかみみてるときに歯をいじってたら抜けたことをいまでも おぼえている

2023-06-18

ローズマリー・サトクリフローマンブリテンシリーズ本一覧

※ほぼメモ書きです。

 ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマンブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般ローマンブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境オオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。

https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html

 一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。

(1)作中時系列

2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)

3世紀:銀の枝(The Silver Branch)

4世紀辺境オオカミ(The Flontier Wolf

5世紀ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)

5世紀:落日の剣(The Sword at Sunset)

6世紀夜明けの風(Dawn Wind)

9世紀:剣の歌(Sword Song)

11世紀:盾の輪(The Shield Ring

(2)出版順(訳者無記名は猪熊葉子

1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店1972年

1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールドリング ヴァイキングの心の砦』原書房2003年

1957年:銀の枝(同)→岩波書店1994年

1959年ともしびをかかげて(同)→岩波書店1969年

1961年夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版2004年

1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎山本泰子訳『落日の剣 : 真実アーサー王物語原書房2002年(2巻本)

1980年辺境オオカミ(Oxford University Press)→岩波書店2002年

1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキング物語原書房2002年

 これらの作品群がファンWikiDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカ指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているかである。ただ、『三銃士シリーズのような一貫した主人公陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニア駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌスジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境オオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。

 もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境オオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公アンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけであるしかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。

 『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公ヴァイキング少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっと最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキング少女フライサと孤児ビョルン(後者指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人抵抗する様が描かれる。

 見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境オオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国辺境民族ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマから脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキング主人公になっている。アングロ・サクソン人ブリテン征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人ノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人ブリトン人、サクソン人、デーン人ノルマン人イギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカ指輪は父を殺害したピクト人長老マルクスに返却している)。

 出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境オオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊作業量の限界だったのだろうか(1928年まれだし)。そもそも夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフ名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。

 英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境オオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティローマからローマンブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカ指輪象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代イギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。

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