「プロダクトデザイナー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: プロダクトデザイナーとは

2023-07-16

プロダクトデザイン」を盗用するな

最近Twitterで「リクルートプロダクトデザイン室」とかい広告が流れてくる。最初リクルート商品デザインでも始めたのかと思ったけど、この室はリクルートの各種サービスプロダクトを総合的にディレクションしていく=デザイン、な部署ということらしい。

あのさあ。

プロダクトデザイン」って言葉は長い間工業デザインインダストリアルデザイン)という意味で用いられてきたわけですよ。工業デザインの分野で日本で一番の多摩美もずーっと「生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻」でやってきてるわけ。それを、「最近サービスのことを”プロダクト”て呼ぶのがいけてるよね →  それを担当してる俺らってプロダクトデザイナーじゃね ドヤ」って感じで俺らはプロダクトデザイン室でございって言い出してるの、気持ち悪すぎるわ。学問の軽視。工業デザイン伝統への挑発。これこそ文化の盗用だと思うんだけど、まあ完全なる社会悪であるリクルートのことだからなんの罪悪感もないんでしょうね。

2022-09-28

anond:20220927142937

全く同意する。デザインは色付けではなく設計のことであり、エンジニアExcelでやってるその行為デザインであり、ものづくりの初期段階からデザイナーも関わるべきであり、デザインエンジニアリングは本質的に不可分だと私も思う。

もし元増田が現職にこだわらないなら、SmartHRのプロダクトデザイナー転職応募してみてほしい。初期段階からエンジニアデザイナーが一緒になって開発しているから。

https://open.talentio.com/r/1/c/smarthr/pages/45038

2022-04-24

anond:20220424113052

そうシンプルでは無いだろうな。

以前、日本高齢プロダクトデザイナーが、自分デザインルーツを「米軍機が住んでいる町を爆撃するとき、その爆撃機が美しかった」と語った文を読んだ。兵器がもたらす爆撃は、自分の命を脅かす恐ろしさがあるが、その飛行する姿はただ美しいと感じた、という。

宮崎駿氏も、平和主義者だろうけれども兵器に対する並々ならないこだわりや愛があるようだ。

好きなものに対する気持ちは、複雑にこんがらがっていて、簡単に割り切れるものでもないんだろう。兵器に対して、ある側面を愛し、別の側面を憎んでいるような人もいるだろうし。

2020-06-05

プロダクトデザイナーグラフィックデザインをさせてはいけない

逆もまたしかり。

デザイン」とひとくくりにされがちだけど、

畑が全く違うのである

佐藤ナオキ氏のサイト作品を見てもらうと分かるように、プロダクト作品10ページに渡っているのに対して、グラフィックは2ページだ。

その道のプロではないのだ。

パッケージデザイン作品もあるけれど、今回の件と同じく分かりにくいものが目につく。

佐藤ナオキ氏(というかnendo自体)はプロダクトデザインの人、という印象だったので、今回の件はちょっとびっくりした。

例が1つしか示せないのが申し訳ないけど(しかも何年も前のことを未だに言ってて二重にごめん)、セブンイレブンのクソ分かりにくいコーヒーのやつのデザインは、佐藤可士和氏。グラフィックデザイナーです。

あれはプロダクトデザイナーに発注した方がよかった。

あとなんかのブコメで「最終決定はクライアントなので氏を責めるべきではない」というのがあった。

これは一概にそうとは言えなくて、クライアントは言うてもデザイン素人なので、ようわからんが有名な人が良いというんだから良いんだろう、という判断をしてしまうことはある。

クライアントが船頭になって道を誤ってしまうことはよくあるが、今回のは違うと思う。

(だからといって本人の私邸を晒して叩くは間違ってる)

なんせ素晴らしいプロダクトをたくさん作ってる人なので、本来土俵じゃないとこでこんな結果になってしまったのはなんとなく悲しい。

2020-04-24

デザイナー漫画家を志すのはやめろ

デザイナーになりたい、漫画家になりたい、アニメーターになりたい、3Dモデラーになりたい、職人になりたい‥そんなクリエイティブ職を目指す皆さん、ならびに搾取され続ける地獄を味わっている最中クリエイティブ職のみなさん、こんにちは。こんばんは。

ところで、デザイナーって言葉の響き、めっっちゃかっこよくね?仕事内容はともかく名前は本当に好きだわ。

わたしデザインが好きだった。ので、デザイナーを目指しそれっぽい専門学校卒業した。そして企業に属するプロダクトデザイナーになった。

デザイナーというと響きはかっこいいが、しがない企画である転職は一度したものの、今の職場は安定して勤めていた方である

そして少なくない年数勤めた結果、体調壊した。体調を壊すまで、わたしは頭がおかしくなっていることに気がつかなかったし、搾取されていることにも気がついていなかった。こんなもんかと納得し、騙し騙しなんとかやっていこうと思っていたのだが、遂に顔面が痙攣し始めて退職することと相成りました。

漫画家になりたいと言って周囲に反対されない若者はそんなにいないと思うが、デザイナーも然りだし、クリエイティブ職なんてもんは目指すもんではない。一部を除いて搾取され続けることを約束された未来である

そんなわけで、私の体験したこと愚痴としてここに書き残しておくので、クリエイターを目指そうと考えている若者に読んでもらえると嬉しい。

私の所属する会社お客様として相手をしていた企業は、某超大手キャラクターメーカーだった。某ネズミであるネズミなんて何人もいるので察することは出来ないと思うが、ネズミ相手だった。

私はネズミのことが別にすきではなかったが、デザインしたりするのを、絵を描くことを苦に思ったことはなかった。何故ならそれがよくてこの職種を目指したかである。夢を叶え続けてかわいい商品店頭に並ぶ時はとても嬉しかったし、楽しかった。お客さんが次々きては、これかわいい!買う!と言ってくれたときの喜びは計り知れない。開発段階での苦労や納品時のトラブルはすぐに忘れてしまえるほどの喜びだった。

ただ圧倒的に搾取だった、と気がついたのは、先方にデザインを盗まれときだった。

勤務時間が長かろうと、残業代ボーナスが出なかろうと、寝れなくとも、私の勤めている会社搾取されるのは、最早どうでも良かった。一般的に良くなくともデザイン業界なんてこんなもんだと、もはや諦めていたのはあった。休みが取れるだけマシだと思った。やりがいで十分お釣りがくるし、暮らせるだけいいと思った。

先方のネズミ企業デザインが盗まれることが増えた。盗まれる、というと語弊があるかもしれない。提出されたデザインが私の勤める会社ではなく、他企業に回され商品化されることが増えたのである

理由はいくつかあるだろう。先方にもいろんな取引先との関係性があり、商品数のバランスがあったりするだろう。先方にうちの会社の作るプロダクトはあまり品質が良くないと、たびたび苦言を呈されることがあったりすることもあり、会社内でもチームでなんどもミーティングを行い、改善してきた。うちの会社信頼度が落ちていた、そのせいはあっただろう。

それでも、何も言わずに、私が足りない頭を働かせて提出したデザインが、夜中まで考えて描いたデザインが私が携わることなく何故か店頭に出回っている。あのときの私の虚無感は、口にすることが出来ないほどだった。

お客さんがお店に来て可愛いと言って買ってくれたとき、それデザインしたけど開発したのは他企業なんだよな、と思った時に悔しくて虚しくて仕方なかった。

私が本格的に体調にトドメを刺されたとき、私がデザインしたのに知らないうちに何故か店頭に並んでいる商品は1シーズンおよそ15種類にものぼっていた。

一度は復職しようと頑張った。体調が良くなり店頭に行ったとき、またデザインが盗まれていることを知った。また知らないうちに、先方に10種類ほどデザインを盗用されていた。

私の勤め先の会社で売り上げが落ちていると叱責された。だが私に何か出来たのだろうか。デザインを盗用されたと言ったら先方を訴えられるのか。うちの会社に回ってきて売り上げにつながるはずだった商品を別企業に回されていると言えたのか。あの大手企業を敵に回して生きていけるのか。

私は何も出来ず口を噤むことしか出来ない。

今の私は疲れ切っていて、日中頻繁に起きて動くことが出来ない。1日動けなかったり、食べても吐いてしまったり、とにかく怠かったり、耳がぷつぷつと水中にいるような感覚に陥ったり、外に行くと漏れなく吐き気が襲う。気圧差にかなり過敏になっている。

デザイナーなんてロクなもんじゃない。搾取されて搾取されて、大手企業ですら筋を通してくれない。商品を買おうとネット通販を見ても、この商品の裏には私のようなデザインを盗用されたデザイナーがいるのかと考えるようになってしまった。

デザインを盗まない。たったそれだけのことが誰にも出来ない。個人デザイナーだってネットデザインをあげれば、絵をあげれば盗まれる。何故そのデザインに金を払えないのか、何故その労力を買うことが出来ないのか、私にはわからない。

少ない横の繋がりでも搾取されて辟易としてデザインを辞めた人を何人も知っている。3DCADなどのプロダクトデザインも然りだ。

それでも私はデザインしかできない。デザインで生きていくことしか出来ない。それしか学んでこなかった。そのことを後悔している。なぜデザイン一本で学んできてしまったのか、心底後悔している。体調が良くなったら私はまたデザイナーになるんだろう。

こんなに辛くて苦しいならデザイナーになんてなるんじゃなかった。本当にそう思う。

2016-08-04

ダサいデザイン作るデザイナーっていう職業があるのかな

いつも思うんだけど、100均とかに売ってる安っちい商品とかって、カスみたいなデザインだけど、

あいうのも一応新商品会議とかあって、だれかプロダクトデザイナーとかが入ってデザイン決めてるんだよね?

あいうダサくて蛇足デザインって意図的にやってるんじゃないかなと思ってるんだけどどうなんだろう。

あえてイイ物に見え過ぎないように、ある意味100均らしい商品になるようにデザインしてるんじゃないかな?

そういうダサいデザイン専門のデザイナーかいるのかしら?


それとはあんまり関係ないけど、なんで日本製品って本体ベタベタ余計なシール貼るんだろう。

PCとかにインテルはいってるとかグラボバージョンとか、そんな情報必要

空気清浄機マイナスイオン放出中とかそれ要る情報

炊飯器のなんちゃらコート釜!とかそういうのって本体に書いておかなきゃいけないの?

パッケージとか説明書いくらでも載ってるんだからいらなくね?

それみて誰か得するの?

「あーあのPCインテル入ってるんだ!私も買おー!!」とかなるの?

ああゆうのってプロダクトデザイナーからOK出てるの?




--------------------------

下記追記

たくさんのコメントを読んで思うところがあったものコメントします。


インテルシールメーカーが好んで貼ってると思ってる人がいたのか…

絶対イヤだろうから疑問に思ったの。


ガリガリ君とかうまい棒キャラスタイリッシュな格好してたら引くだろ。

ガリガリ君ちゃんとキャラデザされてるしわりと普通にかっこよくね?


わかる。100均商品で、無地でいいのに花柄とか、装飾なくていいのにロココ調?とかやたらフェミニンだったり。英文とかイラストとか。装飾つけない方が安く済みそうなのに謎。

言いたいのはこれ。

形は良いからそのまま透明にすればいいのに、なぜかクローバーとか意味不明英文とか書いてあるグラスとかばっかり。


100均デザインにも“これ以上削ぎ落しようがない”というくらい「機能だけ」の良商品もあるのでなんとも言えない。100均バージョンしか買いたくないアイテムもある。無駄に多機能にしてほしくない人も多いのだ

これは全然いいと思う。それで成立しているから。


デザイナーは洗練されてかっこ良いものをつくるって勘違いしてる。顧客要求するものちょっと専門家視点を足すぐらいが求められるデザイナーだと思う

なぜ蛇足デザインをするのか不明。やるにしてももうちょっとなんかあるやろってのおおいで。


ダサいデザイナーという供給があるんじゃなくて、需要が先にあってデザイナーが合わせてるだけだろ。需要供給相互作用認識できてない増田の推論能力ダサいデザイン以上にアレ。

タイトルしか読んでないのかもしれないけど、そういう需要があるから意図的デザイナーが作ってるの?

なんでそういう需要が生まれるの?

それともデザイナーの力量不足もしくはデザイナーがいないとそうなるの?って話なんだけど。


昔付き合ってた彼女がそういうデザイナーだった。100均に売ってある商品パッケージ作るやつ。

デザイン決定のプロセスすげー気になる。

あれはマーケット裏付けられて、意図としてやってるのか(ならデザイナーすごい)

力量によるのか、そもそも担当者とかデザイナーじゃない人がやってるのか。誰がOK出してるのか。


ちゃんとしたデザイン製品が世に出るまでにどれだけの工程がかかってるかを理解してない人ほどデザイナーのせいにしたがるし、そういう人が企画発注するとコストや期間が非常に少ないものになる

デザイナーのせいにしてない。


デザイナー通す時点で高くなっちゃうじゃん。わざとださく作るのって凄い才能いるし、ノースキル素人やらせたほうがそれっぽくなるよ。

結局そういうことなのかな。


量販価格帯の車は開発費は多額に投じられているし社の運命もかかっているが自社の高級車よりはダサく作る必要ありで、どうデザインしてるのかには興味ある。

気になる。どういう基準で、下位のデザインとしているんだろう。(素材とかが良いとかは別として)



ちょっと論点ズレてきたからこの辺でやめとく。

2015-08-21

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと

佐野研二郎盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。

彼はご存知の通り多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業し、現在アートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています

実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)

統合デザイン学

統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス世田谷区)にあります

学科長はプロダクトデザイナー深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナーインターフェイスデザイナー中村勇吾教授HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクター佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学専任講師先生構成されています

現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授統合デザイン論)と中村勇吾教授メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。

世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザインベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的ローンチできるプロジェクトデザインを学んでいきます。具体的には現在グラフィックプロダクト・インターフェイス描写などの必修と、そのほか選択を受けています教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインあらためて"統合"することで、「これからデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在デザインのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材必要とされています一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなもの学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたもの現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります

武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)

(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)

先ほども言った通り、まだ学科が生まれから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。

〜〜

ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科サイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います

さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。

オリンピックエンブレムについて

 関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。

 最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭ロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブイメージで彼がデザインしたということはないかと思います

 造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています

 さらに、ベルギーデザイナーはそのロゴ商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。

 記者会見佐野教授感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係仕事が多く(映画TOYOTA広告成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストラン新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思いますhttp://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/

 このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員問題があるのです。他に、もっとオリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。

 その選考一般的選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的選考名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。

トートバックについて

 これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまたからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります一般的デザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事お金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。

デザイン業界は"腐っている"?

 ネット上では佐野教授周辺の関係図みたいなもの話題となっています審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまりデザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。

 自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナー作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったものなかに現在問題視されているような業界評価システムの土壌でうまれものもあるのかもしれません。

 一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。

そのほかのデザインについて

 いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

 今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

亀倉雄策仕事で一番好きなのは1964年東京オリンピックエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプル骨太仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザイン思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。

佐野研二郎

 エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

–––––––––––––––––––––

(追記1) より主観的意見です

エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭ロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォント幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的フォントであったとは思いません。

学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・

–––––––––––––––––––––

(追記2)

ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまます商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみますhttp://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w

佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生とき評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事ダメになるというか、結局ものをつくるとき姿勢ってそのひとの評価デザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナー関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリ模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。

–––––––––––––––––––––

(追記3)

多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。

・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザー根拠のない事実拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。

2013-04-23

デザインの対価について

この記事(http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65744207.html)を読んで、思うところがあったので書きます

増田プロフィール

メーカー勤務

プロダクトデザイナー8年

会社から給料をもらっているので、元記事のようなデザインの対価の取り立てに関するトラブルとは無縁ではありますが、

デザイン価値については当事者としていつも考えているつもりです。

若野さんというデザイナーのことは、今回の件で初めて知りました。デザイナーと言っても畑違いなので・・・

■若野さんと家入さんのトラブルについて

事前に見積を提示して、それを家入さんが払っていないなら、家入さんが悪いですよね。

出てきたデザインを見た結果「なんか違うな」と思っても、それを「一回も使ってなく」ても、労働の対価は支払われるべきです。

事前にそういう契約をしているのであれば、修正要望だってできたはずだし。

そのへんがどちらからも開示されないので、なんとも言えないところでもあります

若野さんが悪い場合は、だいたい上記の逆を考えればいいわけで。

・若野さんが見積もりを提示していない。

・若野さんが契約の範囲内の修正要望を受けなかった。

口約束仕事をして、契約を取り交わしていない。

ならば、若野さんの落ち度ということになるでしょう。

ただ、若野さんが「クリエイターを代表して」と言っていることから考えると、

そんな初歩的な落ち度があるわけなさそう、という気もします。

ロゴデザイン価値が5000円かどうか

上記の問題とは切り離して考えられるべき問題は、むしろココだと思います

後半で堀江さんの言うように「ロゴなんか自分で作ってもいいし、クラウドソーシングしてもいいし」というのは

ある意味真実だと思っています

ロゴマークって、言ってみれば表札か洋服みたいなモノだと思います

ロゴ自分で作ってもいい

自分ミシン裁縫で作った服を着ていてもいいでしょ?よっぽど裁縫がうまければ、誰が見てもわからないだろうし。

まぁふつうの人が思いつきで作った服、ってのはきっと奇異に見えるでしょうけども。

クラウドソースしてもいい

ちょっとニュアンスは違いますが、③との違いを考えればユニクロの服みたいなもんだと思います

当然着れるし、防寒の役割は果たすでしょう。デザイン性が高いわけではないでしょうが、着れればいいんだ!という人の

ためのものです。

③それなりのデザイナー(若野さん)に頼む

→身体に合わせた、オーダーメイドスーツみたいなモノでしょう。あなたの身体にピッタリに合うように

作っているので、とても着心地がいいはずです。デザインもオーダーした通りに作ってあるから自分価値観のなかで

最高のモノができているはずだし、クリエイターが有名なら自分価値観限界を超えるモノが手に入る可能性もある。

ユニクロの服は既成品なので、返品してももう一度店頭に並べられる可能性がありますが、

こちらは気に入らないからと言って返品するのは、難しいでしょう。

IT業界の人のデザイン

上記の観点から言えば、ITサービスを立ち上げる人達家入さんや堀江さん)にとって、③はどう考えても合わないです。

10個も100個もサービスを作って、1個あたったら儲けもの、という世界で、全部にオーダーメイドロゴを作ることは、

多産多死の状況で、子供が生まれる(しかももう20人目)たびに子供服を新調しているような状況です。

どうしたって、前のお下がりでいいやとか、どうせすぐ死ぬんだし、というセンスで判断するでしょう。

そういう観点から言えば、そういう業界の人と、若野さんのような仕事というのは、まぁ極めて相性が悪いというのは

ちょっと考えればわかります。だから若野さんが悪い、と言うつもりはありませんが。

デザイン価値役割

逆に言えば、単価の高いデザインというのは、最初に良いモノを作って、それを育てるという考えでないと

無意味だと言えます。生まれた子供(多くて3人)くらいを、ゆっくりじっくり育ててゆこう。

これから先もいろいろな人に会うだろうけど、第一印象を良くして、長く覚えて付き合ってもらって、

ということでないと、いい服を着せる意味もないはずです。

■でも・・・

できるだけ客観的に書いているつもりだけど、これでもデザイナー側に寄った意見、てことになるんでしょうかねぇ。

普通の人の意見、というのが知りたいところです。

2013-01-15

デザイナークライアント関係について

この記事(http://sogitani.baigie.me/2012/12/designer/)を読んで、元記事内にあるように「誰かに指図されず、自分の思い通りにデザインをしたい」という勘違いをしているデザイナーへの説教としては9割間違いない内容だと思いました。自分としても、心当たりがあります。それにしても、残りの1割に気になる部分があったので、ちょっと書いてみようと思います

その前に、自己紹介

プロダクトデザイナー

メーカー勤務8年目

元記事が指しているデザイナーと、ちょっと境遇が違っていますWebデザインに特化した内容は(やったことがないので)よくわかりません。また、インハウスデザイナーなので、クライアントも社内の他部門(製造部門)なので、そのあたりも厳密には違います。でも、元記事で示されていた

クライアントよ、お前の依頼の大変さを思い知れ!

http://gori.me/it/22125

については、わかるわかる。デザイナーなら、大抵誰もが一度は経験したことがあることなんではないかと思います

デザイナー側の問題

こんな記事がありました。

そんなの作れるか!ゴリ押しデザイナーに負けない技術

http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000779

私はここまでひどいのは実際に見たことはないのですが、こうして記事になるくらいなので、そう稀な事例ということでもないのでしょう。デザイナーに対して「ダメ出しをしてはいけない」という思い込みがあるのであれば、元記事も主張しているように、それは大きな間違いです。デザイナースキルは基本的にクライアントがいないと発揮されないのであり、逆に言えばクライアントの要求が満足されることを目指して発揮されるべきです。

クライアント側の問題

しかし、クライアントの要求がすべて受け入れられるべきかと言えば、そうとも言い切れないと思います

デザインという言葉はいろいろな意味を含んでいますが、ことWebデザインに関して言えば、それは使用者にとって「わかりやすい・使いやすい」Webページを設計するための「技術」です。

デザイン技術なわけで、技術ベースのない人に上位の技術を説明しても理解出来ません。基礎としての電磁気学を知らない人に半導体設計理念を説明するのは不可能だと思いますさらに言うなら、半導体設計理念経営者が「好み」で口出しをすることは現実にはありえないはずです。つまり、元記事で筆者が主張するように、デザイン正当性デザインの基礎を持たない人に対して説明するのは厳密には不可能です。

もちろん、仕様関係している部分をクライアントが指摘して、修正を要求する権利があるのは当然です。しかし、デザイナーが固有の技術適用してできてきたアウトプット経営者が好みで修正を要求することは、間違っていると考えられます。裏を返せば、なぜ提出されてきたデザインが不満なのか、「好み」ではなくて根拠とともに説明する必要があるはずです。

□元記事の揚げ足取りと、私の邪推

そもそも引用元の引用元(http://gori.me/it/22125)の事例は、クライアントの言っていることがプロジェクト見積もりの終盤で大きく変わっている、ということを指摘していて、そのことと「誰かに指図されず、思ったようにデザインしたい!」と思っているデザイナーの問題との間には大きな隔たりがあります。前者はクライアントデザインに対する「修正なんか簡単だろ?」という誤解、後者デザイナークライアントに対する「どうせクライアントデザインのことなんてわかってないくせに」という誤解、両者は全く別の問題を扱っています。これを引用して、デザイナーの批判をするのは間違いです。

□で、どうするか

結論から言えば、クライアントデザイン会社は、引用元の記事にあるような上位下達の関係ではなく、協力してお互いが満足できるアウトプットを目指すべきです。

クライアントは、そのプロジェクト目的は何か、目的を達成するためにデザイン会社が提案している内容が見合っているのか、ということについては細かく目を光らせるべきです。しかし、自分の好みする指摘が全体を台無しにする可能性も自覚する必要があります

デザイナーは、自分のためではなく、クライアントのためにデザインをしているということを引用元記事が指摘するように当然自覚するべきです。立場の違いからくる発言力の差は認識してもいいはずです。クライアントは特定の事業に深くコミットしていますデザイン会社は複数の案件に携わっていることからリスクは分散していますポートフォリオを形成しています)多くのリスクを負っている側が、発言力も大きいのは、ある意味で当然のことです。

コミットポートフォリオについてはこちら→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130106

ディレクターは、上記二者の間に立って、両者が最もいい結果が出せるための意思疎通と工程管理を行う立場です。クライアントの言い分を正しく理解してデザイナーに伝える、社内のデザイナーの言い分をクライアントが理解できるように翻訳して伝える、というように、直接理解しあうのが難しい両者をつなげるのが、最も重要役割です。

自分経営者をしている会社で、自分の言いなりに動くデザイナーを雇って、デザイナー役割クライアントの言うことを聞くことだ、と言ってきかせるのは勝手なんですが、それをディレクター役割として一般化して話すのは、ちょっと違うと思う。というのが、私の感じた1割の違和感でした。

何につけてもクライアントを尊重しすぎるのが日本労働環境を悪化させていると思っています専門職立場を上げるためにはどうしたらいいんでしょうか。

関係ないけど

以前探していたら、海外にもこんな記事(ポスター)がありました。

How a web design goes straight to hell

http://theoatmeal.com/comics/design_hell

この点に関しては西洋人デザイナーとも簡単に分かり合えそうです。

※ 本当はポチったMajestouchが届いたから、ちょっと長文が書きたかっただけなんです。

2009-10-14

夢を叶えた人たちと向き合うには

高校の頃の友人は次々と夢を叶えた。

装苑賞受賞。伊勢丹バイヤー電通マン。芝居俳優プロダクトデザイナー


私には、語れるような夢はなかった。

別にその事自体は特に恥ずかしいと思っていない。

そんな人もたくさんいるだろう、

夢がなければ、適正のありそうな学部に行き、粛々と仕事をして、

自分を食わせていく事が役目だと思ってきた。

現在、そのまんまの生活を送っている。


これになりたい、と思って決めた仕事ではないが

特に苦痛はない。環境もいい。

このご時世に、給料女性としては十分に頂いている方だ。

暇をもてあまさない程度に楽しめる趣味もある。

なにげなく生きているだけで、幸せを感じられる。


冒頭の友人たちと接する時だけ少しつらい。

私には、彼ら彼女らが活き活きと話す「ライフワーク」を理解できる土台がないことが

年々、しんどくなってきた。

話自体はとても楽しい、ただ返せる言葉が本当につまらなくて

(「すごいなー私そんなに深く考えて仕事してないよー」とか)

何で私ここにいるんだろ?って思うときがある。


もっと夢敗れて、現実に直面するのが世の大多数だと思ってたのに

みんな頑張って頑張って我慢して不安乗り越えて

夢を叶えたんだから、凄いよ。

これさえやればいい、って保険ばかりかけてきた私には向き合い方がわからない。

2007-06-29

anond:20070629214148

ある種、自由恋愛の昨今と同じことで、見た目(広告性)を無視したものは

いい(使いやすい)デザインとすら認識されること無く消えます。

機能とあんたの仰る広報性を両立させてデザインするのがプロダクトデザイナーの腕でしょう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん