はてなキーワード: ハッピーとは
ツイッターを眺めていると、世のコミュ障で人生ハードモードなオタク達は結構ネガティブな傾向がありそうに思う。そこには人間や社会を嫌い呪う声が蔓延している。それは別にいいと思う。インナントカグラムとかナァーントカブックみたいに自分を繕わず、弱い所をさらけ出して良い環境は本当に大事だ。
だが私はなるべく性善説に基づいてこの世と人々を愛し、ハッピー☆ポジティブでいたいので、あまり頻繁にネガティブツイをしないよう心掛けている。闇オタク達の辛い過去現在を嘆く声を見ると、もう少し無理矢理でもポジティブにした方が気楽では?と思うこともあるが、個人の勝手だ。どちらが良い悪いではない。
しかし、世の中にはもっとずっと超々光属性の、目を細めてしまうくらい眩しい人達がいるのだ。
先日、たまたま初対面の同年代数人としばらく行動を共にすることとなった。
彼等はめちゃくちゃいい人達だった。初対面の相手とも明るく親しげに話し、当然のように他者を何でも肯定、尊重する。他者の親切心を最大値に想定しないと出ないようなアイディアを提案し、実行してしまう。
人を疑ったり、拒んだりすることを知らないかのようなその人達はあまりに眩しすぎて私はクラクラした。
余暇で交わされる会話も他愛のない内容だけども、それは穴場のグルメとか海外旅行の話とかスポーツとかで、どことなくハイソな印象を受けた。挙句「美味しいお酒とお茶を買ったから今度家で友達と飲むんだけど来ない?」と誘われてしまった。彼らは高学歴のエリートで、それなりにお金持ちなのだろう。たぶん。
え?私?私のことと言えば、話の流れでLINEスタンプを作った件を出したら彼らは「可愛い!すごい!」と褒めた上に即購入してくれた…うん。
ともかく偶然そういう人が集まっただけかもしれないが、私は彼らがあまりにいい人なので少し途中で辛くなってしまった。
一体どんな育ち方をしたらこんな何ルクスか検討もつかないくらい眩しくなるんだろう。
どんなご家庭なのだろうか。
どういう人間関係を経験すればこんなに他者に親切寛容になるのだろうか。
彼らは学校の下駄箱から自分の上履きが消えてるみたいな経験をしたことがないのではないか。
しかしそこで私は気づいた。この疑りと妬みは、闇オタク達の見慣れたあの振舞いそのものであると。
ああ、光あるところに影あり。じめっとした日陰で隣の苔とキノコを見比べて、自分は違うと高を括っていただけで、私も結局は同じ穴のむじなであった。TLにこだまする怨嗟には私の声も混じっていたのに気づかなかっただけだ。私は「トラウマは一生消えないんだよ!!!」とかTLで叫ぶ暗い声に、前より少しだけ共感が持てるようになった。
今日も、絶えぬ愚痴と体調不良と映えない食べ物画像と推しへの偏愛とポリコレとリア充への怨嗟を煮込んだTLの地獄の釜は、42℃くらいで冷え性の私には丁度いいのだ。この薄暗闇で、私はポジティブ(笑)を続けているくらいでいい。
35歳、自営。妻は専業主婦。子供が4歳。少なくとも子供が成人するまでは、いや、まあ死ぬまでは働くというか金を稼いでいかなきゃならない、というような薄いプレッシャーみたいなものが常にどっかにある。まあ、もちろん金を稼ぐといっても色んな方法があって、なんとかすればなんとでもなるんだろうけど、たまに疲れる。人生とは一体なんなのだ。もう就活中の大学生でもないし、社会人になって何年目だよみたいな感じなんだけど、みんなはどうやって自分の人生を諒解して生きているんだ。仕事終わりの電車の中で、皆が寝て一人起きている夜に、ときおり、考えて少し立ち止まってしまうよ。
大学生の頃くたびれたおっさんにはなりたくねえとか思ったけどさ、くたびれたおっさんになるまで毎日を生きてきたってだけで、おっさんに限らずそうして生きてきた先達たち、本当みんなすげーなって思うわ。時代も違うとか色々あるにしてもさ。
なんか未来にたいして、こう、俺の未来は間違いなくハッピー!みたいに思えないからしんどいのかな。薄いプレッシャーというか、薄い絶望みたいなものがそこらにあって、普段は見ないようにしてたりするんだけど、ふとしたときにそれを思い出して薄くしんどいなって思う。そういうのってみんなどうしてんだろう。んなこと考えて立ち止まってもしょうがねえし毎日を積み重ねていくんだつって切り替えるのか、そもそも考えてないのか、わかんねえけど俺はみんなすげえなって思ってる。
長文すまん。
人口自然減、出生率1.42というニュースを見てて思ったのだが、金銭的障壁以外にもSNS上の情報による意識の偏向ってのも十分あるんじゃないのか、と思ってる最近。
というのも つい先日、自分にも子供が生まれたのだが、嫁側の周りの反応を見てると、それをトリガーとして夫側の会社の不遇やら、ダメ夫の愚痴を突然リツイートし始めて、「大事に育ててください」みたいな雰囲気を遠回しにアピールし始めるわけよ。
これさ、子供が生まれた側から見ると「いや、当たり前でしょ、お前らに言われんでもそうするわ」という感情しか生まないのはどうでもいいとして、未婚がこんなツイートばかり目にしてたら、「結婚って大変だね、出産なんてとてもじゃないけど」みたいな感覚に陥らない?
自分自身、パソ通の頃から「ネット」という概念と向き合ってたが(年齢は察しろ)、結婚するにあたって、いや嫁と付き合い始めるにあたってネットの意見なんて微塵も参考にしなかった。基本的にネット上の意見ってのは、愚痴を主体としたネガティブ意見がマジョリティであって、幸せハッピーを演出するマイノリティは嫉妬される対象でしかない。人は愚痴という概念に共感を覚えやすいうえに、幸せを勝ち取った者たちの不幸は蜜として吸い取るから、当然といえば当然なのだけど。
そういう本質的な部分をなんとなく感じていたので、結婚、出産に至るまでの過程を思い返してみると「ネットで言われてる愚痴なんて、実生活上における愚痴の数パーセントも無いんじゃね?」というのが実際のところだった。
ところが、未婚の立場からネットの情報を鵜呑みにしてると考えると、これらのネタがあたかも夫婦生活の8割を超えているかのような雰囲気で描き出されているわけで、そりゃ落胆やら失望しか感じないわな。
いや、当然、実際に8割を超えている愚痴だらけの結婚生活になっている人間もいるかもしれんが、それはパートナー選びに失敗したお前らの責任だろう?と突っ込みを入れたいわけで、そんなのは無視をしても良いレベルの情報だとは思う。
そういう中で、うちら夫婦の間では「ネット上には愚痴を書かない」という鉄則を作った。確かに愚痴を書けば馴れ合いによる癒しが得られるのかもしれないが、ネットという特殊媒体では情報が不特定に拡散していくわけで、それらが負の感情しか生み出さないというのを過去の経験上から判っている。それらが未婚者に対して「結婚なんてメリットを感じない」という感情を植え付けていくのを過去の例から痛いほど感じているからだ。
特に女性側ってのは、これを無条件に信じ切ってしまう節があるらしく、かといって幸せハッピーを演じると嫉妬の対象になり、陰でたたかれる存在になる、という状況らしい。(嫁側意見)
これらの実態を踏まえると、SNSが台頭することによって馴れ合いが増長され、友達「と思われる」関係から拒絶されないために不幸情報を振りまくことで、周囲が先のステージへ進めなくなる、というジレンマを引き起こしているのではないか?と思い始めた。実際のところ、「うまくやっているファミリー先輩方」を見ていると、ネット上での情報公開を止めてしまっている事が数多い。何かを書くことで周りの曲解が始まる、というのを薄々感じているのだろう。
結局のところ、「家族」というコミュニティが生まれた時点で、本来は「新しいコミュニティ」へ移行するのがベストなのだろうが、それを出来ない世代というのがいわゆる現状なのではないか。そしてその世代が関係を保ち続けるためのツールがSNSであり、そのツールの方向性が「馴れ合い」になってしまっている、という実態が今の出生率を弾き出している要因の一つなのではないか、と感じたりするわけで。
「嫁と姑が揉めた時に母をかばうと遺恨は何十年も続くぞ」そんなアドバイスをくれた先輩が定年を迎えると熟年離婚された話 https://togetter.com/li/1363212
これ、見てて思ったんだけど、熟年離婚って家庭を大事にしなかった家事できない旦那が捨てられてメシウマみたいな感じだけど、捨てた嫁さんって幸せなのかね?
一緒にいるのが嫌だった不幸から脱出できてハッピーなのかもしれないけど、なんかその後ってハッピーなんだろうか?
自由で友達と旅行とかして楽しく余生を過ごすんだろうか?一人で?
ひょっとしたら再婚とかするのかもしれないけどどうなんだろう?
2019年6月5日、元号が変わって1ヶ月経ったところで対した代わり映えのある日常に変わったわけでもなく、常にニュースではいつ歩いている道路に突っ込んでくる自動車に対してどう対処しなければならないとか、年金もらえないから2000万円貯めなければならないみたいよとか、沈みゆく日本を眺めるだけ、みたいな話題で持ちきりのなか滅入っている毎日で、今日も眠れず丑三つ時、という状況に飛び込んできたTwitterでの新聞記事のキャプチャ画像。
少し睡魔が近寄ってきてさあ眠ろうか、といった寝ぼけ回路には刺激の強すぎる文字列と、ワンショット×2の何ともミスマッチなコラージュ画像。いや、ミスマッチどころか接点を探すほうが難しいくらい予想の外に飛び出した男女の組み合わせ。そこには「山ちゃん 蒼井優 結婚」と、強い単語が3つ、並んでいた。
「夢なんじゃないだろうか」。とっさにそう思い、眠気もあったことでその場はすぐ床についた。だけど混乱する頭はそうさせてくれなかったのだろう、午前4時半、再び目が覚めてしまった。そしてTwitterを開くと、更に新聞記事を詳しくキャプチャーした画像が多数出回っていて、「あ、やっぱりウソじゃなかったんだ」、そう理解することができた。「しずちゃんが恋のキューピッドなんだ」「そういや山ちゃんアンジュルムに軽ハマりしてたな」「っていうか交際2ヶ月って」みたいな浮ついた感想しか出てこなかったけど、両者のファンである自分には嬉しかった。特に、山ちゃんがこういうふうに幸せを掴むなんて。予想もしなかったし、考えうる未来の中で最上級の結婚相手を見つけたんじゃないだろうか。そんな失礼すぎる思いが頭の中を一杯にしてしまった。山ちゃんが掴んだ現実の話なのに。
そこからは普通の日常、仕事へ向かい、昼食を済ませ、お茶を濁して、帰路へつく。
だけど頭の中は山里亮太&蒼井優カップルのことで一杯で、「スッキリの天の声はさほど多くは語らなかったらしい」「会見が夜にあるらしい」「そういや不毛な議論も今日だ」とか、わずかの情報も入ってくる中、どうにか一日かけて頭の中を整理していった。
そうして帰宅し、AbemaTVでの微笑ましい会見を観て、芸能人の反応をチェックし、ベロンベロンのしずちゃんとそんなつもりで来たわけじゃないaikoがゲストだった不毛な議論を聴き、激動の2019年6月5日が終わった。
そういた一日を終えて、お似合いなふたりに見えてきた夫婦の顔を思い浮かべてこの文章を書いている。
山ちゃんはその日の最後の仕事である自身のラジオ、山里亮太不毛な議論のラストで泣いた。嗚咽混じりでリスナーへの感謝と共に泣いた。
自分は山ちゃんとは同じ中年男性ではあるけれど根本的に異なる存在だ。圧倒的に山ちゃんのほうが出来る存在だし、本来ならばモテて当然の男でもあるし、女優が奥さんでも決して見劣りしない一流の芸能人であり、そもそも残念だと言われたのは顔面と卑屈な性格だけなのだ。
だけど一つだけわかることがある。それは「非モテ」という名の呪いのことだ。
「非モテ」という呪いは恐ろしい。その呪いは自身の幸せを否定してしまうものであり、ひとたび呪われてしまったら自身のアイデンティティとなり、こびりつき、恋愛というものが世界と無縁であるように自然と自分から遠ざけてしまう。
山ちゃんはラジオで言った。「実は僕、結婚はすごく悩んでて、というのもラジオでずっと逆の人生の話をして、妬んできてて、幸せになることがあんまり良くないかなと思って、結婚するのが、怖くて」。
この言葉を聞いて涙が止まらなかった。「非モテ」にとっては「幸せ」になることは自身を否定してしまうことだ。誰かを愛すること、愛されることは、同じ「非モテ」である同士を裏切ることだ。
冷静に考えればそんな事無いし、そんな事思っているのは自分だけなのだろう。だけど「非モテ」という呪いはそんなバカですら分かることすら分からなくさせてしまう呪いなのだ。
かつて山ちゃんは友人であるオードリー若林、西加奈子と出演したボクらの時代でこう話した。「俺の走っている燃料が、妬み嫉み恨み辛み怒りだったら、彼女なり結婚なりというのはそれを消し去るものなんじゃないか」。まさに呪いだ。だけどそんな山里(もしかして若林にも向けているのかも)に西加奈子は言う。「うちらは『いや、みんなで愛し合って慈しみ合ってハッピーで、でもいいものを書ける』ってのを証明しようと思う」「大丈夫、結婚しても幸せになんないから」。
つくづく山ちゃんは幸せな環境に恵まれた人間だと思う。彼の周りには彼を肯定してくれる友人が多く存在する。彼にかけられた呪いを無かったことにしようと動いてくれた人達が存在する。だけどその環境は決して用意されたものでも、偶然現れたものでもなく、彼自身が作り上げたもので、その環境含め「山里亮太」の一部になっている。
もし、コンビ仲が最悪な頃、相方のしずちゃんが出演したフラガールで蒼井優と共演することを阻止してたら、コンビ仲が最悪のまま、南海キャンディーズとして漫才を続けることを拒んでいたら、不毛な議論で自身の幸せを信じるリスナーとの信頼を結べていなかったら、未知の仕事であったテラスハウスの仕事を受けなかったら、きっとこの未来にたどり着かなかっただろう。
しかし、この文章を書いている自分には未だにこびりついている呪いであり、現状、それを打破できる環境は作り上げられていない。
けど、山ちゃんの結婚で「非モテ」なんていう呪いのせいにすることはやめようと思う。そして、そんなきっかけを作ってくれた山里亮太、蒼井優、そして山里亮太を構成する周りの方々に感謝します。
食べログが話題に上がっていたので、自分が食べログについて思うことを書いてみた。
食べログで評価がよかったのに、行ってみたらそうでもなかった…。これはなぜ生まれるかというと、食べログのアルゴリズムによると思う。
食べログのアルゴリズムは、その店のジャンルに通い詰めたユーザーの評価が反映されやすい。どんなに偏った味覚の持ち主でも、口コミが数百件あればそれで食通で絶対評価なのだ。
サクラを防ぐためにはいいかもしれないが、特に口コミ数の少ない店において、評価のかたよりは防げないだろう。
これは口コミを投稿した人なら感じたことがあると思うが、たとえ事実でも、クソ狭い中華屋で店員に肘内されようが、出てきた食器に卵の黄身がべったりついていようが、生焼けの肉が出てこようが、なみなみのグラスを机にたたきつけるように置かれてびちゃびちゃになろうが、悪い評価をすると検閲され、再投稿してください、となる。ここで律儀に表現をやわらかく変えても、なんだかんだ再投稿してください、となる。
ここまでされるとさすがによほどの熱意がないと、再々投稿しようという気持ちにはなれない。するとどうなるか。
最初にかいた食べログのアルゴリズムにより、普通のユーザーの意見は通りにくい。5がいくつかついていても、ユーザーの投稿数が~10ぐらいだと、0.0*評価が上がるかどうかで、結果3.0Xぐらいの評価で表示される。
ここで、クソみたいな店の評価を見てみよう。先に書いた「悪い評価が通りにくい」ルールと合わせると、クソみたいな店でも悪い評価が通らないので、サクラやヤラセと思われる評価のみ通り、3.0Xぐらいに収束する。
そう、クソみたいな店と、5の評価がいくつかある隠れた名店が並列で、「3.0X」と表示されているのだ。
食べログは、ジャンルを絞っての検索エンジンとしてはとても優秀だ。例えば22時以降入店可能で、食べたいジャンルでラーメンを入れると、すぐにリスト化して表示してくれる。
あとは評価は無視して、客の撮った写真をもとに店を探そう。店側が撮った写真はダメだ。そもそも、素材集からもってきたようなきれいな写真を載せていて、自分の店で出していない料理のこともある。
店を探したら、あとはGoogleで店名を入れて検索すると、大体トップ~数個目の検索結果に、その店の口コミが表示される。
Googleのいいところは、よほどわけのわからない口コミでない限り、反映されるところだ。評価も平等に反映される。ただし、その分ステマをされやすい。
ステマを見分けながらGoogleの口コミを見るときのコツは、点数分布だ。Googleで3.5ぐらいの店でも、1や2の評価がズラ~っと並び、3とか4が少なく、5がべらぼうに多い。しかも5の評価にはコメントが少なく、1の評価にはコメントがぎっちり書かれている。これはわかりやすいステマを行っている店だ。絶対に行ってはいけない。
おおよそのGoogleの口コミが3~5に集中しており、食べログで客が撮った写真もきれいであれば、ほぼほぼハズレはない。それでハズレたら、ぜひその体験をGoogleの口コミに記入して、次に店に行く人へコメントしてくれるとみんなハッピーだと思う。
タイトル通り。よく言われているように、共働き世帯年収1000万は、片方が1000万稼ぐのにくらべて、まったく裕福ではない。
だいぶ税金取られるし。30代ともに専門職。財布は別だけど、基本は自分の財布から生活費が出る。
25万。高いが、2人とも通勤するので満員電車をできる限り避けたい。必要な出費。
5万くらいか。外食は昼食はあるが、夜の外食はあまりしない。家ご飯が好き。
子供が生まれてからは子供の世話をする必要があるという理由で飲み会を欠席するようになった。ハッピー。
毎月5万の化粧品と2万のシャンプーを妻が買っているが、これしか使いたくないというので買っている。
私としてはどうにかして安くその商品を買いたいのだが、日本国内のデパートでしか売ってなくて、
免税品などで海外出張時に安く買うこともできない代物だそうなので、放置。
妻が機嫌が良ければそれでよい。必要経費。
妻がずっとdocomoに毎月9000円くらい払っていたのを、なんとか説得し、自分が代わりに払うからと言って月5GB使える格安simに変更させる。
9000円から2000円くらいに減る。これは大きい。そもそもカケホーダイとか言ってるけど、電話なんて荷物の再配達のときしか使ってないじゃん…
私は1500円くらいの格安sim。家か職場でほとんど過ごすのでWiFi使うし。
基本はネットスーパー、パル(生協)、アマゾンで8-9割がた揃える。その他、足りないものが合ったら、近くのピアゴに走る。
頭が悪いので、二人とも5年以上アマプラに入っている。そろそろ自分は退会してもいいかな…
本を読むか、ゲームするか。スマホゲーはしない。多くても月に5000から1万くらいか。そんなに使わない。
子供が寝てから、深夜に夫婦二人でオーバークックして夜中3時くらいまで盛り上がることもある。
(単身時に)なんかよくわからないうちにプルデンシャル生命の生命保険に加入していた。
ほぼ投資型だが。毎年100万くらい払ってる気がする(ドル建てなのですごく振れ幅がある)
上記の化粧品とシャンプー、ヘアサロンを除くと妻は基本的に物欲がなく、自分はさらに物欲がないので、あまりお金を使わない。
だいたい散歩。適当に都バスに乗って、はじめて降りるバス停で降りてみて、そのへん散策して、
タピオカミルクティーとかを並んで買って、それを飲みながらだらだら家まで歩いて帰る。みたいな。
家では、コーヒー飲みながら妻とおしゃべりするとかそんな感じ。
逆張りとかじゃなく、別にいいんじゃねえのと思うんだよなそういうの。
これで後から増田が「私は買われた」とか言い出してトラウマ告白から半生語りのネグレクト語りとか始められたらだるいんだけどさ、
そうじゃなくて最後まで双方ハッピーで取引終了するならいい話だと思う。
大抵売春ってなんか悲惨な背景とかメンヘラとか貧困とかそういう話になっちゃうけどさ
パパ活じゃないガチ売春だって生産性ってすごいと思うんだよね。
すごい職能が無い女性は売春したほうが生産性高いんじゃないかっていうのはある。
こんなのすごい女性差別だって言われる(なんで?男より生産性高いって言ってるのに)からリアルでは言えないけどさ。
あと不特定多数とセックスすることですごい心身にダメージ負うのだっていわれるとそれはわからないから何も言えなくなっちゃうけど。