はてなキーワード: ハッピーとは
何度教えても覚えてくれないし、メモも真面目に作ってるけどそのメモのどこに何を書いたかを忘れてしまってる。
うちの職場にルーチンワークが存在すれば良いのだけども、基本的な事を覚えた後はそれの応用を常にやらないといけないような職種で(職種はボカせてもらう)この2ヶ月ほど色々と試してやってもらったけども何一つできない。
仕事の進捗状況の報告も、報告する帰宅前時間になると軽いパニックになるようで、その日に何をして、どこまで終わったのかが報告できない。
そのため、その方が仕事を終えるたびに業務時間中に報告してもらう形にしてもらったのだが、そのせいで私の仕事が進まない。
なぜなら1時間おきくらいに発生する報告のたびに上記のようにすでに教えた事をまた教える時間に変わってしまうから。
これがずっと2ヶ月。頑張った私のことは誰も評価してくれない。
上司にはその状況を報告してあるんだけども、人事の部署も含めて厄介事として真剣に対応してくれない。
採用したのは私じゃない。人事と上司だ。面接も私はやってない。
私は仕事の生産性が凄く落ちててもう職場にも行きたくない。私は介護施設の職員じゃない。
知的障害者のご本人は覚えられない事は自覚しているけども、毎日何かをやっているので「自分は新しい職場でとても仕事が出来ていて満足」という感覚でいる事も先日の面談で判明した。
私は本当に困っているのに、その方がそう面談で回答した事がとても苦痛。
私がこんなに苦労してるのに、その方はとてもハッピーな気分になってて許せない。
仕事の生産性が落ちてしまっているので私の仕事への評価が実は落ちていて、次回の人事査定には確実に影響が出るのも決定してしまってる。
知的障害者の方が社会に出て働く事には反対しないし、むしろ社会はそうあるべきだと思う。
ただ、このような状況が発生しているのに「その方に知的障害があるかどうか病院の診察を受けるよう伝えて欲しい」という事も「パワハラになるかもしれないからやらない」と上司も人事部署も逃げてしまって、結果的に私に面倒を押し付ける形になっている。
せめて、診断のために病院へ行くよう勧める事くらいは「パワハラ」の概念から外して欲しい。
そうじゃないと全く救いがない。
とりあえず、その方とは頑張って向き合うが私が壊れそう。
参院選の「安死」のHPを見たら、「選択制なので選びたくない人は選ばなければ良いのです」と大きく書いてあったけど、それはどうだろう。
同時に思ったのが選択制別姓でよく「選択肢が増えるだけなのに反対している人は何だ!差別だ!頭が固い!」ということを言ってる人がいるのを思い出した。
もし選択制別姓が導入されて、夫婦別姓ができるようになったら世の中がハッピーになるのだろうか。
例えば夫婦同姓を希望して夫の姓になった女性が保育園とかで他のお母さんたちと一緒になったとき
「同姓なんですか?今どき変わってますね」
「わざわざ同姓にしたんだ、改姓の手続きって大変だったでしょう」
「別姓って楽だよねー」
などと無邪気に聞かれないだろうか。
「選択肢が増えることに何の問題があるんだ」っていう人は一度立ち止まって考えて欲しい。
選ばなかった人のことを本当に尊重できるのか。
もちろんできる人の方が多いと思うけれど、必ず出現する一定数の「そうでない人」にはどう対処するのか。
安楽死制度を導入しても必ず「そうでない人」が出現すると思う。
「安楽死選ばないの?苦痛に耐えるの?だっさー」みたいな悪意が出現したとして、それでも「選択肢が増えただけです、選ばなければよいのです」って言える?
今のネットの言説を見てると到底そうは思えないので今のところ安楽死も夫婦別姓も反対。
仮に制度を導入したとして、制度の導入に掛かるコストがどうなるのか未知数なところも今のところの反対の理由。
もちろんこの手の問題が解消するなら「いいんじゃないの」とは思う。
それよりも「パートナーシップ制度」を拡充するほうがそういう手続き上のコストは低くていいんじゃないかと思うけど。
後は好きに罵ってくれ。
LGBTの話になると、LGBTばっかりずるい!自分達だってセクシャルマイノリティなんだからー!って言って
全然違うじゃん。
なんでお前らマイノリティ面してるの?
恋愛感情がありません、だから恋愛や結婚をしません、それでハッピーだよね?何も困ってないよね?
大体、恋愛感情がないっていうと異常扱いされるみたいなのがよく分からない。
身近にそういう人がいるけれど、そうなんだー程度の扱いだし
恋愛感情がないと言ったら異常者扱いされた!みたいな内容の漫画やらなにやらには大袈裟すぎて違和感しかない。
百歩譲って「恋愛感情の無い人」に対する偏見があるとしても「恋愛感情があるけれど独り身の人」だって十分偏見の目で見られてるわ。
同性愛者やトランスジェンダーは法的な面が整備されてなくて苦労しているからその改善を望むのは理解できるけれど
アセクシャルにはそういうのが皆無じゃん
誰かと恋愛や結婚をしなくても、一人でも生きていける社会保障や法制度の改善や独身者への偏見の解消っていうなら
「アセクシャル」に対して特別に配慮する必要って皆無じゃないか?
いい年して恋人や配偶者がいない・子供がいないという理由で偏見の目で晒される事はあるけれど
外れた。
悔しい。
会社の人は当たってたのに。
うーん。
仕事でのやる気も底を尽きて、
何にもやりたくない時に、
救いが欲しかった、ただ未来につながるハッピーなニュースが欲しかった。
運が悪いな、くじ運ないなと
思ってる奴は運が悪いままだなんて言うけど、そんな勝者のセオリー聞き入れられない。大当たり掴んでみたい。棚ぼたのラッキー私にもくれよ。
ゴンチャでタピオカミルクティーがぶ飲みして、喜多方ラーメンでチャーシューメン大盛り食ってる。豚だ。
仕事暇なんだけど毎日外出する業務があって、その際いつもラジオを聞いてるんだけど
今日初めてお便りを読んでもらえた。送ったのも初めてだけど。
増田でもそうだけど、人から何かしら反応がもらえるのってめちゃめちゃ楽しいんだよね。
暇なのでそういう刺激が少なくて時々落ち込むけど、人と繋がれることは自分から積極的にやっていきたい。
なんか注目エントリに上がっててまたハッピーな気持ちになれた。
自分がここに存在してるって実感できる、その気持ちめちゃめちゃわかる。
投稿って言ってもツイッターでタグつけて呟いたものを拾って読んでお話してた感じだったから
そんな文章作ったわけでもないけどねー。いや嬉しい。
https://anond.hatelabo.jp/20190613213926
でもラッキーだったことに、勉強はできたことと初対面の人相手に表面上を取り繕う系のコミュ力はあったんだよね。
だから、新卒で外資系事業会社の小さな日本オフィスに潜り込めたし、そこから2回の転職(全部外資系)を経てアラサーで4桁を稼げるようになったんですよ。
そうなると、なんということでしょう。勝手に女の方から寄ってきて、適当に相手をしているだけで、勝手に股を開くんですよ。
最初のうちはそれが楽しくていろいろ遊んでたけど、30代中盤になって性欲も減ってきたからか、もうかなり飽きてきてるんだよね。
子供とか興味ないし、結婚もする気はない。まあ結婚を匂わすと勝手に股を開くからそれくらいはするけど(笑)
でもこの遊び、生産性もないしむなしいだけな気がするんだよ。さらに言うと、なんだかんだでお金がかかるからコスパもあんまりよくない気がするし。
ブコメ含めて男の苦しさを女のせいにしてる人、本当にこんなのが欲しいの?金ばっかかかるし、その割に経年劣化するし、たいして幸せにもならないよ?そんなの周りの既婚者を見てたらわかるじゃん。
やりたいだけならそういうサービスを買った方が、くだらないご機嫌取りとかしなくていいし、はるかにコスパいいと思うよ?
ミグタウでいいじゃん。女性とできるだけ関わらずに楽しく生きようよ。
それがフェミニストの求めてることでもあるし、みんなハッピーじゃん。
なんでそんな辛い目にあって女に執着するの???
そなたは森で、私はたたら場で暮らそう。
分かってる、分かってるよそれが最善なんてことは!!!
というわたしの叫びを、もしあなたが暇で暇で仕方がなくて暇つぶしを探してる方だったら、少しだけ聞いてほしい。
基本的には「左右が同一ではないCPも受け入れ可能」という意味で使う人が多いのではないだろうか。
その中でも、いわゆる受けは固定、相手は固定という人や、
あるいはハピエン厨やバドエン厨などといったシチュエーションを好む人もいる。
推しはいる。ただし、基本傾向として推しは攻めだ(推しは受けにしたいという人が多い)。
従って、そのまま快楽堕ちなんてエンドも好きだし、逆に堕ちきれなくて苦しんでたりするのもおいしくいただく。
だから、推しが受けになっているのももちろん好きだ。でも攻めてるのも好き。
誰にも認められないと分かっていてもそれでもお互いの気持ちを抑えられないシリアスの気分の日もあれば、
推しカプが全世界から祝福されてる甘々ハッピーが読みたいときもある。
たまには推しにだって学生生活を満喫して若気の至りで馬鹿をやってほしいし、
3億円でオークションにかけられてる受けを颯爽とさらって優しく傷を癒してあげるスパダリにだってなれるって信じてるし、
自信を無くして自暴自棄になって横っ面をはたかれてるのだってアリだ。
つまり、本当になんでも来いという感じ。
周りに配慮をするようなツールとしてはとらえてはいなかったから、好きなことを延々と呟いた。
カップリングも、シチュエーションも、なにも気にせず、好きなことを。
それでも、そんなわたしでもいいと言ってくれる人が繋がってくれて、楽しくタイムラインを眺めていた。
そんなある日、わたしは、わたしがずっと片思いしていた方から、フォローをもらった。
その方は固定派の方だった。
その方は、わたしとメインカプが同じだった(ただしわたしにおいてはry)
その方のかく二人は、シチュエーションも、絶対にふたりの日常とその延長線上からははみ出さない。
でもだからこそ、その中で丁寧に丁寧に拾われていく二人の表情や感情や心の動き方が、
とても好きだった。
フォローをいただけたのはとても嬉しかったけれど、だからと言ってリプライを飛ばせるわけでもなく、
ただ、時々わたしのツイートにハートが飛んでくるようになったのを、ひっそりにまにま眺めてた。
だから、わたしも今まで通りその方の作品にハートを飛ばしていた。
でもそのまたある日、ふとフォローフォロワーが1ずつ減ってることに気が付いた。
わたしはそんなに数が多いわけでもなく、数字が動くわけでもなかったからそういったことにはすぐに気が付けた。
誰かいなくなったんだろうか。そう思ってフォロー欄を見て行って、その方がいなくなっていることに気が付いた。
なんとなくついた予測を見ないようにして、その方のホームに飛んでみた。
飛べた。ほっとした。
その方の一番上のツイートには、
「周りの方からの影響で自分の作品がうまく作れなくなりそうだったので、少し整理させて頂きました」
という文字があった。
まず勘違いしないでいただきたいことは、このことに関してその方を責める意図は微塵もないこと。
雑食だ固定派だと争いが絶えない昨今。
自分のお気に召さないものが目に入ったからと言って、匿名ツールで過剰な配慮を求める人も多く見た。
とても大人で、社会的で、理性的で、知的で有効な行動をとられたと思った。今でもそう思ってる。
でも、わたしはショックだった。
好きな方に拒否されたということではなくて、
自分が好き勝手にまき散らしていたものが、誰かを脅かしていたという事実がショックだった。
分かっていたと思っていたことを、突きつけられた気がした。
だって、ラブラブも、シリアスの、コメディも、ハッピーエンドも、バッドエンドも好きだった。
だけど、自分が好きにすることで、わたしが好きな誰かを圧迫していた。
とっても自由だと思っていたフィールドが、自由すぎて怖くなった。
でも、その自由を知ってしまったから、今更あとには戻れなかった。
なにかを呟こうとして、打ち込んで、消して。
消したのをもう一度打ち込んで、下書きに保存して。
なにを呟こうか悩むことが増えて、その方がストレスになって、
今は、繋がっていた友人とクロースドの環境で細々と盛大に語り合っている。
時々はまた作品ともいえないものを、支部にあげたりもしている。
でも、いまだ答えはは見つからない。
好きなものが違うなら、大事なものが違うなら、住み分ければいい。
それは明快だ。
ヤッ●ルに乗って会いに行くくらいじゃ、到底足りないくらいに好きだったんだ。
ずっと隣にいさせてほしかったんだ。
同じくらい好きなんだねって言って欲しかったんだ。
あなたもそれが大好きなんですねすごく伝わりますって言っていたかった。
それが図々しいことなんて分かってるけど。
それをあなたが拒むなら、どうしたらよかったんだろう。
いまだに正解は見つからない。
でも、一度は活動を控えていたその方も、また作品をあげたりされているらしい。
またわたしの大好きな二人が見られるのかと思うと、おちおち夜も寝てられない。
残念ながら雑食のわたしは、そろそろまたあの自由な世界に戻りたくなっている。
今度はどんなことがあるかわからない。
でもひとまず、そなたには森で、わたしはたたら場で暮してみたいと思う。
ヤッ●ルに乗って、会いに行けたらと思う。
だから、
走れヤッ●ル!!!
長々と失礼しました。
以上、ご清聴ありがとうございました。