はてなキーワード: スポンサーとは
コロンブスのMVの件や原作者死んじゃったドラマの件見てると思う。
インターネットミームで「顧客の要望、プロジェクトリーダーの理解、実際の成果物」みたいなのあるけど、まさにあれでしょ。
多くの人間が1つのクリエイティブに関わると、色んなしがらみやスキルに成果物が左右される。
Mr.大森がインタビューで語った「楽しいホームパーティー(要約)」は、起案時点ではおそらく真実だったのだろう。
それを具現化すべくコンテを書いた人は全くの無頓着か悪意の塊かのどっちかで、
その結果ステレオタイプをデティールバッチリで描き切ったAAAクラスの呪物が出来上がった。
(制作会社/所属事務所/音楽レーベル/スポンサーのいずれかが疑義を詰めるべきだった)
せやろか?(本当に、そうだろうか?)
もちろん企業とプロジェクトの数だけ文化があるのは重々承知の上で一般論ではないものとして書くけど、
俺の肌勘だと 知らない と ノータッチ の間にはものすごい遠い距離があって同列に語れるものではないよ。
まず知ってるよねMV。だってタイアップ契約先の素行だの動きだのはチェックするもん。
広告塔に使ったタレントのMVに「勝手に松本人志出しました~~~!!!」なんてされたら卒倒するもん。
金出してないなら口出す権利もないけど、それはそれとして状況の把握に努めてはいるし、共有もされてる。
本当に何も知りませ~んメディアで流してお~わりっ次の仕事やろ~、なんてクライアントも電通マンも博報堂マンも見たことない。
知ってはいるよね? 何なら芸能人に顔繋ごうとして余計な人間連れてくるやつすらおるよね?
本当に、そうだろうか?(せやろか?)
SNSが無礼者の巣窟であるのはいまに始まった話ではないが、最近は無礼者の種類も昆虫標本が作れるぐらいに増えてきた。特におれが言いたいのは、ファッション、メイク、ヘアスタイルetc.、流行りの言葉で言えば「垢抜け」系インフルエンサーについてである。女性の話は詳しくないので、以下は専ら男性のインフルエンサーの話である。
メンズメイクなんてものに手を染めてはや二年、関連情報をあれこれ調べていたら、いつの間にかInstagramでおすすめされる投稿がそれ一色に染まってしまった。それはまだいい。問題はインフルエンサーの口ぶりである。
全員がそうだと言うつもりは毛頭ない。だが、激しい競争とスポンサーの圧力に晒されるなか、生存のために甚だ無礼な物言いをするインフルエンサーは少なくない。「こうすると綺麗になれる」ではなく、「こういうやつはダサい」 「こういうやつは不細工」などと宣う輩を、おれは無礼だと言っている。これは脅迫と差別の文法である(この文法に乗っ取られた者は、とにかく否定したくてたまらないあまり、しばしば「~~をしないことをやめた」という、じつに奇怪な日本語を話す)。
おれは美がすばらしい価値であると認めている。あらゆる優劣を暴力的なものだと非難する水平派の連中とは相容れない。だがおれは、ある人を美しいと言うために、それ以外を不細工に描く必要はまったくない、と言いたい。インフルエンサーは「もっと綺麗になれる」と背中を押せばいいのであって、「これはブス」 「これはダサい」と罵るべきではない。程度問題かもしれないが、しかし歴然とした違いがある。
才能と芸術性を欠いた程度の低い作家は、主人公の善性や美しさを際立たせるために、周りの人間を悉く、異様なほど心身ともに醜悪な人間として描写する。無礼なインフルエンサーがやっているのも同じことである。創造性がない凡俗ほど、誹謗中傷で差異化を図る。
言葉狩りに聞こえたら申し訳ないが、「垢抜け」という言葉からしてすでに鼻につく。特定の行為をしている/していない者をみな「垢に塗れた」状態だと定義して、「普通の人間」より一段下に置いている。かれらは天使を描くのではなく賤民を捏造している。「基本的人権」という単語はかれらの辞書にないらしい。
無礼なインフルエンサーが(スポンサーと自らの収入を除いて)奉仕している目的は何か。セックスである。ウエルベック風に言えば、セックス至上主義がかれらのイデオロギーである。それ自体を否定する気はない。だがかれらは、「セックス至上主義」わかりやすく言えば「おまんこ狂い」を「垢抜け」なるこぎれいな言葉で粉飾し、自分たちは社会の模範たる人間ですという顔をしながら、助言を装って他人を「ダサい」 「不細工」と罵倒する。人を罵っても怖くない、ここは自力救済が認められない文明社会なのだからと安心しながら。かれらは文明社会の癌である。
浅ましいマナー講師のせいで、われわれはマナー=礼節という言葉を軽視しがちである。だが礼節は文明社会の基本である。インフルエンサーの発信する情報は時として有益であり、おれも世の中に男女問わず美人が増えたほうがいいと思う。だがその手段として、無礼な物言いは許されない。それは文明社会のコードに反する、自らを野蛮人だと暴露する行為である。
かつては、文明社会では誰もが心にもないお追従を言いあうと嘆かれた。中傷が正当な言辞として誉めそやされる現代の様相と比べたとき、さてどちらがましだろうか。
インターネットの無料コンテンツの99%は広告で回っているのに。
そうじゃないのは個人が有料ソフトでサーバーを建てて有料ソフトで組み上げた個人HPぐらいだけど、これも結局は他の広告掲載型サイトのリンク集から人を呼び込んでいるから、全く広告のない世界で運営できてるって感じでもないよね。
広告目的のフリーソフト、広告目的の企業HP、広告ベタベタのフリーHP、有料機能へ誘導するための広告塔としての無料配布モード、このインターネットは広告だらけで出来ているよ。
無料で始められるから色んな界隈から人が集まってきて交流が盛んになる。
インターネットはパンとサーカスを政策とした商業都市のようなもんだよ。
その結果として、時間だけがありあまったニートがそこら中で暴れまわったりする治安の悪さも生まれたけど、大規模発展のメリットはそれを完全に覆せるほどに大きかった。
俺はこのインターネットが好きだぜ。
広告まみれでプロバイダー代払えばあとは基本無料だらけのインターネットが。
学生時代、ツナギホーダイに親が契約して以来はずっとネットの世界に入り浸って暮らしてきたことを後悔してないわけじゃにない。
でも後悔するほど楽しんでしまったんだから、好きなのは間違いないと思うんだよな。
金がなくて時間が余ってるなら勉強するのかって言われれば、あの頃の俺はどうせレトロゲーを格安で買って遊びつくそうとしてただけだよどうせ。
俺は広告まみれでマネタイズする基本無料アフィリエイト空間なインターネットが好きだ。
俺がどっかのサービスにアクセスすることで発生する通信コストは広告代理店が賄ってくれて、そして広告を打ったことで得た何らかの利益が伸びることで、向こうの社内でなんか金が下りてきてコンテンツが充実する。
個人の場合もアフィリエイトが伸びたら調子に乗ってコンテンツ充実に向こうさんの人生をジャブジャブ注ぎ込むようになってくれる。
インターネットを伸ばしてくれた原動力で、今も変わらぬスポンサー様だと思ってる。
でも広告経由でウィルス入れたり怪しいサービスに契約させてくる連中が未だにいるからAdblockは解除できねえ。
Adblockを使ったままネットを見るのは炊き出しでキセルして配給券を誤魔化してるみたいで気が引けるが、ウィルスに感染したら怖いんだから仕方ない。
悪いのはそういった悪党を業界内で退治しきれなかった広告業界だと思ってるからよ。
結局さ、ウィルスや違法サイト踏ませるタイプの広告とそれ以外の広告を切り分ける技術を開発できてないことが問題なわけよ。
俺は悪くねえ。
そうじゃなかったら、五輪のスポンサー企業になんてならないでしょ?
自分さえ良ければオッケー、俺が楽しいことが文化的なものである、そんなサイコパスの祭典で先陣きってスポンサード出来る奴らの頭の中身を描いたPVとしては最高の出来では?
俺は凄い納得感あったけどな。
つうかコカ・コーラとか好きな人ってああいう価値観が好きなんじゃないの?
DLサイトがクレカ会社相手に喧嘩売って「西欧的価値観でエロを差別するんじゃねえよ!屁理屈合法化児童睡眠薬獣姦を規制するとか俺のチンポが黙ってねえぜ?」とイキってたようなノリを好む人達だと思うんだけどな。
テレビ局は視聴率のため、スポンサー集め(金集め)のために働いている(最近は動画配信で儲けるためにも)
出版社も本を売るために働いている
一方原作者は金儲けとは少し違う論理で働いている(可能性がある)
原作をしっかり守ることが最優先事項になるのは基本原作者だけだ
その最優先事項を守るために一切折れない"厄介な"原作者の場合、原作が守られなかったら企画が流れても良いと考えるかもしれない
ちなみにドラマ視聴者も別に原作に忠実かどうかなんてあまり興味はない
ワンピースやドラゴンボールみたいに国民的漫画なら話は別だが、国民的漫画でなければ原作を知らない人のほうが多いから
ビジネスを進める人たちからしたらそんな金にもならないことで金になる仕事を潰そうとしてくるのだから厄介者扱いされるのは当然だ
脚本家だって芸術家気質で言うこと聞かないことだってあるじゃないかと思うだろう
仮に脚本家が芸術家気質でもドラマを作り上げたいという目的は共有できていてテレビ局と出版社と同じ方向を向いている
たとえ原作者と同じめんどくさい芸術家気質の人間でもそこに差が生まれる
そうなるとテレビ局や出版社もやめたがる原作者より落としどころを見つけようとする脚本家の方を味方だと認識する
結局原作者だけが金儲けやドラマ作りより優先したいものを持っており、それを目的としているからドラマ制作関係者たちから煙たがられる存在になってしまうのだと思う
個人的には好きなことだけやれる同人的な世界から資本主義化された出版業界に飛び込んだのは原作者自身なのだから(そしてそのおかげで金儲けもできているのだから)、金儲けを第一に考えて漫画家も働けば良いんじゃないのとは思ってしまう
テーマの部分を改変してはだめですよ
「きのう何食べた」の賢二の仕事を美容師からケーキ屋さんに変更するのはアリでも、
その改変を加えること自体が作品と真逆のメッセージを持つからです
作者のブログによる指摘は以下です:
この作品は説教をしません。登場人物も「ハッと気が付く」ようなこともありません
登場人物の1人は弱者男性です。彼は「女性の人生はイージーモードだ」と言います
もう1人の男性はハテナーの嫌いそうなDQN系強者男性です。彼は女性を対等な人間扱いせず雑に食い散らかしています。
彼らの最初の印象は悪いです。でも、作者の目線は彼らに優しく寄り添います。
彼らの目線から見える世界が語られることでその発言にある背後の苦しみが共有されるのです。
私が他のひとを許すから 私も他のひとに許してもらえる
正しくなくても寄り添い尊重し合って生きていく
修正:きょう→きのう
また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服の私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、
朱理は男を財布と肩書きでしか見ていない婚活女子です。初登場時の印象は最悪です。
でも、その人となりを知るうちに読者は彼女を好きになっていきます。
彼女が生き残るためそうせざるを得なかった事情が語られるのがそのシーンです。
薄給ブラック企業に勤め、男であるが故に競走から逃げることのできない進吾と
女であるが故に大学進学が認められず、そもそも競争のスタート地点にすら立たせてもらえなかった朱理
朱理は学歴社会において不利な状況に置かれたため、婚活に活路を見出しているという子なわけです。
ここでいう弱者男性とは社会的弱者の意味です。進悟は普通の顔です。
田中さんはすっぴんが異世界おじさんでメイクをするとデーモン小暮という方です。
報告書を読むと作者も同様の不安を抱かれたようですが議論して一旦は説得したようです。
ところがメイク失敗シーンが女優さんの肌が綺麗すぎて撮れないという話になり・・・という流れですね。辛くなってきたのでもうやめます
あなたのおっしゃる通り、顔の悪い役を引き受けてくれる人はいないでしょうからしょうがないのかもしれませんね。女優さんも人気商売でしょうから
だって今のドラマは割とお粗末で、正直cmスポンサーだけ着けばいいと考えるなら絶対昔の名作をそのまま流した方が視聴率とれるし昔は昼の時間帯は実際にはそうしてた
テレビ番組ってもう広告スポンサーだと元が取れなくて、番組自体を買ってくれるスポンサーいないとキツいと聞いた
例えば最近スーパーマーケットやファミレスを取り上げる番組が増えたけど、番組で自社製品のことを扱ってくださいということで料金を出してるらしい
そう考えるとドラマにも特別なスポンサーがいてもおかしくないと思うんだよな
ひと昔前はアパレルメーカーが多かったみたいだけどアパレルは超不景気だし小規模だから一社だけで提供するのは無理だろう
そう考えるとやっぱ芸能事務所なんじゃね?と思うのよね
芸能事務所がギャラいらないからドラマの主演にしてというのであれば、コストが安くつくから新作作ろうかなとなるんだろうなと思う
そのほかアパレルメーカーやロケ地の自治体や飯屋とかからスポンサー料もらったり無償提供してもらってるのかなと思う
だからもうドラマはドラマを魅せるというより商品カタログをドラマっぽく見せるための道具でしかないのよねとゲスパーしてしまう
誰かが漫画のセリフ書き起こしたの読んだだけで、絵は見てないかもよ
登場人物の一人が「可愛い制服の高校に行きたかった」旨の原作にないセリフを言うそうだが
スポンサーにはProcter & Gamble Company
アメリカ合衆国オハイオ州に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカー(化学・製紙)、イスラエルと企業も関連ある柔軟剤ダウニーの会社だ
報告書によれなプロデューサーは「スポンサーへの配慮等による原作の改変は発生すると考えていた」
またモサドかもしれんよなあ
日本映画テレビプロデューサー協会は何のためにあるんだろうなー
なんで局が情報を"出す"前に勝手にYoutubeで何もかも発表しちまったんだ。
番組プロデューサーは"映像"を流す前に各所に"お伺い"を立てるんだよ。
局自体にもそうだし、スポンサードしてくれる企業様にもそうだよ。
お前だって"何度も"聞いただろ。
制作会社通じてゲスト出演の話が正式に依頼が来てたのに突然"無く"なる話。
いろんな"理由"で制作側が思ったように"撮れない"こと、あっただろ。
なんでお前、Youtubeに"出す"前にちゃんと"確認"しなかったんだよ。
一番"偉い"のは局、それを忘れちまったのかよ。
俺、悔しいよ。
ようやく出たのに話題になってないのなんなの。
長すぎてみんな読む気なくしてる?
・小学館と日テレ、業界が違うからこそA氏C氏を通すことで言いたいことのニュアンスが全く伝わっていない
・C氏のドラマ成立のために四苦八苦する姿は「ラジオの時間」さながらで結末さえよければコメディそのもの、なんだけど現実はバッドエンドなので笑えない
・序盤の「OKOK、そういう感じね、大丈夫っしょ(←わかってない)」から終盤ののっぴきならない状態に追い込まれていく様は世のサラリーマンの多くが身につまされると思う
・職業人としてのプライドを持った漫画家/脚本家と間で右往左往するA氏C氏
・漫画家が難しい人と表現されるのも最初はいかがなものかと思ったが読んでいくと、、、(故人なので自粛)
・が、そこをうまく調整するのがA氏C氏だったろうに。
多分脚本家って何個もある要件(原作者/スポンサー/芸能事務所etcの意向)を最大限上手にまとめてドラマにするのが仕事なんだろうね。
その調整具合を例えば2:4:4って伝えられてたのに8:1:1でした、って終盤に聞かされたらそら揉めるよね。