はてなキーワード: ケアとは
人からどう見られ扱われるかも、洗濯収納など服の取り扱いも、エンゲル係数適正に保つのも、浪費癖がつかないようにするのも、可処分時間の積み重ねの先の生活の質をイメージするのも、家電の面倒な廃棄やケアも、猫の食費や通院はては看取りも、全部自分でやればいいんだよ!自由と責任がセットで、大人になったこと、本当におめでとう!
斜陽産業で働いている
既存事業から脱却して、次にいこう!と書くと明るい兆しにみえるんだけど
その脱却すべき既存事業とやらのキャッシュでご飯食べてるのは確かで、まだ十数年はそれは続くだろう
でも先行き暗ければ人は消えていくのは世の常で、優秀層はあらかたいなくなり凡人と経年劣化した設備だけが残りつつある
設備投資の見直しもやらないと予定されてるはずの十数年だって保たないんだけど、何やるか判断能力ある経験積んだ人材が転職なり実家帰るなりしていて雲行きは怪しい
誰やるだろうこれという大仕事が数年以内に迫ってきていることは何となく分かる、雰囲気は分かるけど専門違うので自分じゃあ無理
大きな事故でも起きれば見直す契機になってくれるんだろうか
次なる事業はまず投資参画してノウハウを~といってたがカネ出してるだけでヒトが育っている感じはない
スマートに稼げないから現場回してお金稼いでる会社じゃなかったけ?
いやその現場的な産業が国の政策的にも斜陽だから困ってるんだけど
斜陽だからってケア怠ると酷い事態になるから幕引きシナリオしっかり練らないとキツくない?
そんな私もそろそろ辞める
残る仕事をみて思うのは、誰やるんだろうこれ
どこもそんなもんなんかなあ
まあ誰か育ってやるだろう、ヨシッ
ノリスケのADHDASD併発設定は魅力だが、ほかに身体か重度知的障害とヤングケアラーも織り交ぜたい。
カツオとワカメは今のところ行動様式のみが設定されているので、まだ属性を載せる余裕がある。
理由は部活動が怪我によって続けられなかったこと、それに伴う諸々の大学側とのやり取りで揉めてしまったことで、在学すること自体が嫌になってしまったからだ。
退学を決めたとき、自分で決めておきながら夢を失ってしまったような、脱力した状態に陥ったことをよく覚えている。
その大学では他の助教と比較してとびきり若く、(それでも30歳前後だとは思うが気にならないくらいに)綺麗な人であったので、入学当初に輝いて見えたことを覚えている。
この助教にはゼミのような少人数形式の授業で1年間お世話になり、退学を伝えた際にも、将来のことについて親身になって相談に乗って頂いた。
助教のアドバイスをもとに、将来設計を再度行い、地元へ一旦帰りやり直すことを決めた。
その後数カ月間の療養の後に、実家にほど近い別の大学への編入をするべく手続きを進めながら日々を過ごしていたそんなある日、助教が用事があり私の実家近くに来るとの連絡を受け、食事に行くことになった。
ゼミ会での食事ではお酒は一切飲まなかった助教は珍しくお酒を飲み、記憶が正しければ一人でワインをボトルで飲んでいたので、結構な量だったと思う。
食事を終え、解散と考えてた私が帰ろうとすると助教に服を掴まれて、滞在先のホテルまで送ってくれと頼まれた。
女性との付き合いが薄かった当時の自分が、何も気にせずに快諾してしまったのは、今思うと恥ずかしい限りである。
滞在先の外資系の高級ホテルに入るところで、「それでは」と伝えたが、服を掴む手は離れず、「部屋まで来て」と言われたあたりで何となく童貞でも察してきた。
部屋に入るなり、ハグとキス、シャワーを浴びて助教を待っている最中は恥ずかしさと緊張で爆発しそうになっていた。
具体的な記載は誰得になるので避けるが、助教に流されるがままに、その後は行為に及び、早朝にホテルを出発した。
憧れていた人の理想が崩れたからか、喪失感で何も言うことができなかった。翌日に助教からは続いて謝罪のメールが届いたが、これにも返信はできず、そのまま私と助教の関係は終わった。
結局のところ、私は助教のことを心の底から尊敬していたんだと思う。
研究内容やキャリア、生徒のケアも含めて、理想的な先生であったが故に、女性もして助教を見ることができなかった、というより受け入れることができなかった。
今でも助教には謝りたい一心である、大学はその後間もなく離れたと風のうわさで聞きはしたが、心に傷を負わせてしまったのではないかと数年経った今も気になってしまう。
「学校以外じゃ使えません」
だとよ。
は?
なんのためのパソコンなんだよ!
勉強遅れる子が増えていて、
学校行けない子は知らね〜よってこと?
工夫して、考えて、融通利かせて、
「消えた16兆円」あったら、
いい加減、目を覚ませよ日本!
学校に来てほしい、とか思うなら、
着飾った言葉遊びもいいけど、
「1人1台端末は令和の学び」
じゃなかったのか?嘘つき!
美味しい想いばかりしてないで、
率先してできることやろう!って人、少しは出てこいや!
たった今、数日に渡る肛門の異物感から解放されとても晴れ晴れとした気持ちなのだが、汚い話を知り合いにするのは少々気が引けるのでこの場にこっそりと残しておこうと思う。
※ここから先は汚い表現が増えるため、食事中の方や下品な表現が苦手な方は読むのを控えて欲しい。
私は昔から胃腸が弱く腹を下しやすい為、普段は月の半分以上が軟便であり、二十数年の間便秘とは無縁の生活を送っていた。
きっかけは何なのか分からない。猛暑が続き水分不足になっていたのか、将又、二週間ほど前に患ったコロナウイルスの後遺症(味覚障害)が治ってきた反動でドカ食いをしてしまったのが悪かったのか。
前兆は八月十二日、金曜だった。
夕飯を食べ終え、いつものルーティンとしてトイレに向かった。冒頭にも記載したが私は軟便気味なので、トイレで排便する時は出たものがどのような形状をしているのか確認するようにしている。一般的なバナナのような形状の便であれば安心するし、固形を保っていない便のときは「お腹調子悪いんだね……可哀想に……」のような気持ちになる。健康的な形状の便がもりもり出るとなんだか嬉しい気持ちになり、便が流れていくのを名残惜しみながら見送るなどしていた。
そして、その日は珍しく硬い便、所謂「コロコロうんち」が出た。それを私は「あっ珍しいな、ナンカ小動物のウンコみたいでカワヨ」などと思い、それがこれから待ち受ける地獄の前兆とは気にも留めて無かったのだ。
翌日、八月十三日。一度も排便をしなかった。それを不思議に思うこともなく、Xデーは訪れた。
昨日、八月十四日、日曜、夜。便座に座り、尻に力を入れる。肛門から出ようとする便がいつもと違う異物感を持っていた。
いつもなら少し力を入れるだけで肛門からむにっと出てくる大便。例えるなら絞り袋から生クリームが出てくるような、そんな感覚なのだが、今日は違う。この肛門は大便ではなく石を出そうとしているのではないか、そうとしか思えない異物感。明らかに出口で巨大な固形物が詰まっている。
「大物だ!」
私はそう思い、ありったけの力をこめて息む。そしてこれが異常なのだと理解する。肛門の出口からほんの少し顔を出したきり、便は動かなくなったのだ。
どうする、ヤバくね? 一旦戻すか?
そんな慌てた気持ちで肛門に力を込めて、出口付近にいる大便を収納しようとした。しかし、便は全く動かなかったのだ。パニックになった私はトイレットペーパーを何重にも巻いた手でそっと肛門に触れてみた。すると、やはりほんの少し便が顔を出しており、肛門付近が盛り上がっているような、そこにデカい便がいる事を感じることができた。
これは、マジでヤバい。そう思った。このままでは出ない、どうしたらいいのだろう。焦燥感に駆られた私は便を軽く押してみた。思っていたより硬くはなかった。石のような硬さだと思っていた便は、土粘土程度の硬さだったのだ。
確かにこれは肛門のパワーではどうすることもできないかもしれない。だけどこの手なら……!
今一度トイレットペーパーで厳重に手を保護し、肛門の周りを優しくマッサージして便を出口に誘導するようにしてみる。試しに息んでみると、出口から少し便が出てきたではないか。
これだった、これが正解だった。解を得た私は時間をかけて粘土ウンコを肛門の出口に誘導し、ついに一本分を出し切ることに成功したのだった。
しかし、便はもう一本分あった。
私は絶望した。一本出し切った先に、無くならない便意ともう一つ確かにある異物感。そしてラスボスなるそいつは先程の便よりもはるかに硬度が違った。同じ方法で出すことができなかった。何より、私の肛門は限界だった。先程の戦いでの負傷が大きく少し力を入れるだけで激痛が走る。もう駄目だ。
いつの間にかかいていた脂汗を拭い、肛門をウォシュレットで洗浄した後、トイレットペーパーで汚れを拭き取り、異物感を抱えたままトイレを後にする。
まるで肛門にクソデカい栓をされているような、そんな感覚がずっとある。しかしもうこれは今の自分たちではどうすることもできなかった。これ以上は無理だ。だってここまで一時間以上経過していたのだから。
間もなく日付も変わる、そんな時間に私はネットを駆使して一つの可能性と出会う。
これを使えばワンチャンあるのではなかろうか、というかもうこいつで駄目だったら病院行くしかないだろうし、肛門に特大鉱石ウンコを抱えているという状況を医者に説明するのは流石に嫌だし、浣腸でなんとか出すしかなかった。
そんなこんなで本日、八月十五日。私は朝一番に薬局に向かい、浣腸を手に入れた。因みに肛門に感じる異物感が気になって一睡も出来ていない。
レッドブルと浣腸を共にレジに出された時、店員さんの顔が一瞬引き攣ったような気がしたけれど、自意識過剰なだけだと思いたい。正直かなり恥ずかしかったので何も思われてないと嬉しい。
尚、本来イチジク浣腸を購入する予定だったのだが、何故か二個入りのものが売り切れており、大量に入っているものしか置いてなかったため、他メーカーの浣腸を購入した。
期待を胸にトイレに駆け込み、パッケージを開けてみる。三十グラムの浣腸は想像よりも多く、「これ全部ケツに注ぐんか……?」と一瞬日和ってしまったが、それよりもこの肛門の異物感を何とかしないといけないという気持ちが大きかったので、気合で肛門にノズルを挿し、液体を注入した。しかし浣腸バージン故、上手く出来なかったか液体がダバダバ零れていく。しかし触れた感じノズルはしっかり奥まで入っているし、確かに液体が注入されている感じも肛門越しに感じる。これ以上零れたら駄目だと力をこめて全ての液体を注ぎ、浣腸を引き抜く。ノズルが便で汚れていて少しだけ引いた。
説明書には二分から五分待ってから出すものを出せと記載されていたので、液体を零さないよう力を込めながらしばらく待ってみる。すると、自分には馴染みのある下痢の時に感じる痛みが襲ってきた。メチャクチャヤバい下痢の時の痛みのそれだった。
出したい、今すぐ出したい。激痛便意に襲われながらも私はこれなら絶対出るだろうと期待に胸を膨らませた。
そしておおよそ四分が経過した。腹痛も限界を迎えつつあり、そろそろ良いだろうと力を込めた。
絶望と共に怒りが湧いてくる。結局出ないならこの腹痛は何だったのか、なんなら浣腸液を全部出し切ったっぽいのにまだ痛い。こんなに辛い思いをしたのに結局自力で出すか恥を捨てて病院に行くしかないのか。
沸々と湧いてくる怒りに任せて息んでみると、便がほんの少しだけ動くような感じがあった。このまま強行突破できるかもしれないと思った私は肛門が切れることを覚悟して息み続けた。ウミガメの出産もきっとこんな辛さなのだろう。
息み続けること数回、ついに鉱石のように硬い特大ウンコが肛門からするりと誕生し、私は肛門の激痛もお構いなしに立ち上がり、その姿を確認した。
きっとこれは今まで見たこともないくらい特大のウンコだろうと想像していたそれは、なんと複数の便が集まって一つの塊となっていた。ウンコ界のスイミー、或いはベーコンエピ。「そりゃ出口で詰まるわな」と納得と共にほんの少し感動すら与えてくれる特大ウンコ。肛門はこれだけ巨大なウンコも出せるのか……これは人間の神秘だった。
間違いなく人生で出した便の中で一番大きいビッグ・ベンが流されていく姿を見送り、トイレットペーパーで尻を拭いた。トイレットペーパーが赤く染まっていた。
特大の便を排便するための代償は大きかったのだ。
あれからもう一度トイレに行ったが、やはり肛門から出血しているらしく、後ほど切れ痔のケアについて調べてみるつもりだ。
最終的に便を出すことに成功したのは浣腸パワーなのか、それとも自力でなんとかしたのか分からないが、とにかく長い戦いに終止符を打つことができて一先ず安堵している。
ただこの激硬ウンコと便秘の原因がわからず仕舞なので、今後の排便で症状が再発しないか不安なところだ。
しばらくは水分を沢山取り、食物繊維とヨーグルトを摂取して様子を見ようと思うが、なにかおすすめの腸内ケア方法があれば教えてほしい。
最近帰国子女の人と付き合い始めたのだが、やはり外国だけあって政治やジェンダーの話がちょくちょく出てくるわけだ。
「日本人男性は女性としての押し付けが強い」というのがもっぱらあっちの国での評価らしい。
その割にレディーファーストとか荷物持ちとかは求められる上に、男らしさは重要な要素なようだ。
よく奢り論争の時に米国の女性の方々は「女性が金を払わないなんてありえない!馬鹿にされてるって事でしょ?」みたいなことを言うが
レディーファーストをされて馬鹿にされてると思わない米国の女性の方々もどうかしていると思う。
同じことを日本の女の子にしたら引かれた。要は形が違うだけで、男性性を求めるところはしっかりと求めているんだな、と。
自分はあまり女性の容姿は気にしないタイプで、性格と匂い、締まりが良ければOKというタイプの人間だ。
ぶっちゃけ女の体に求めだすとキリがない。女性は美容を気を付けると言うが、男性に比べると詰めが甘い人ばかりという印象だ。
なのでそこらへんのケアに関しては、やってればいいけどやってなくても気にしないよ、と言うスタンスでいる。
自分も格段求めたわけではないはずなのだけれど、そんな彼女が脱毛を始めた。
よくよく話をきいてみると、「毛が薄いのを求められた」から、らしい。知らんがな。
脱毛は痛いし、金も時間もケアもかかるから、確かにツルツルなったら嬉しいけどそこまで求めてはない。
そんな時に思ったのが、女は「女性性を押し付けられている」というストーリーを好む傾向だ。
最近は違うが、日本の男性は美容に詳しくない。陰毛が生えててもなんも言わないし、腋毛が生えていても「お母さんみたい」で終了なことが多いだろう。
それなのになぜか、日本の女性は「男性にスキンケアと脱毛だけでなく、オシャレやネイル(ここら辺は最近は言われなくなった)まで求められる」とか言う。
なんだろうなと思う。自分の考えでは、日本の女性は、逆に「見た目を良くする」行動に何らかのうしろめたさを感じているんじゃないかと思う。
というより、一種のバカバカしささえ感じているのではないか。わざわざ薄い毛を脱毛をして、顔に絵の具を塗りたくって、指にお絵描きして、はっきり言うと馬鹿らしい行為だ。
アメリカ人なんかは人の目を気にしないから、「見た目を良くする」ならすりゃいいし、興味ないならそのまま、神様が作ったからだだし、みたいな考え方の人が多いのではないだろうか。
しかし日本人はそこに「恥」を感じてしまう。見た目を良くしようと、言ってしまえば「裏技」をつかって、大金をつかってまで美容をする自分達に恥を感じてしまってる。
男はむしろ美容をしていない女性より、美容をしている女性を嘲笑しがちである。逆にそれが「恥」を加速させるのではないか。
結果的に女性はその「恥」の意識から逃れるため、「強制されているんだ」「求められているんだ」というストーリーを生み出す。
自らの美的な投資に対する、ある意味の偏見によって。または自然から自分の体を遠ざける、当たり前の感情によって。
とまで考えたので、特段「脱毛しなくてもいいよ」とかは言わずに、痛かったら無理しないでね、つるつるなの見て見たいな、とある程度ストーリーを肩代わりしている。
男が美容を頑張るのをプレッシャーに感じる女性は多いし、ある程度の「女性性を押し付けらえた被害者」の構造は守るのがまた男らしさみたいだ。
ただ美容を色々やっていく楽しさは感じているらしく、いろんな体験談を話してくれる。
男性は汚い方が良い。女性のプレッシャーになる。それは分かるが、実際女性よりも男性の方が美容を必要としている人は多いのではないかと感じる。
自分も実際脱毛をしたいと思っているが、始めたら怒られそうだ。
皮に巻き込まれたり、ズボンなので蒸れたり、男性の毛事情は深刻だ。ただ今のうちは女性のストーリーを守る男らしさを見せるために脱毛は行かず、ブラジリアンワックスで男らしくケツ毛を抜いている。
いえ、私の方もかなり情報不足な書き込みの割に「マザコン」という強烈なワードを使ってしまったので…。
そうですね、頑張れちゃう人と言うといい人ですよね。
旦那は私が少し微熱っぽいってだけで深夜にスーパーに自転車を走らせてゼリーや栄養価の高い食材を買ってきて食事を作ったり、恋人時代も私と電話越しで喧嘩しただけで深夜に自転車で私の家に来て謝るような、少し献身が過ぎるような人だということを増田さんとのお話しで気づきました。
私が心底驚いて「何しに来たの?」と聞いたら「喧嘩しちゃったから。ごめんなさい。ていうか"何しに来たの"って何!冷たい!顔見に来たに決まってるじゃん!」という会話をしたのをよく覚えています。
この時点で私(薄情で淡白)、旦那(情に厚く献身的)な真逆の気質があることに気づくべきでした…。
私が人生で二人目の恋人らしいのですが、付き合った当初からそんな感じだったので、それを踏まえると30年一緒に過ごした母親を今の状態くらい大事にするのは自然なことですね…。
旦那は実父の自殺によって、大事な人間が自分のケア不足によって消えてしまうこと(死ぬことや疎遠になること)を恐れている様に見えます。
そこまで献身的にならなくてもいいのにな、むしろ義母があんまり感謝してないどころか当たり前みたいな顔してるの全然納得いかないな、と私は思うけど、本人は献身的になった方が気楽なのかもしれません。(肉体的にはかなり疲れてるので心配なのです)
ここら辺は私という薄情気質を持った第三者が、負担を分け合いながら旦那が疲れないようバランスを取る役割も少しずつやっていきたいです。
なんだかすごく心境が落ち着いてきました。増田さんのお陰です。
過去の話を持ち出してもどうにもならないのもその通りですね。
義母がヒステリックに旦那に声を上げていると、旦那が諦めたような、無の表情でそうだねそうだね、と聞いてる状態を見ると「ここまで支えてくれた息子によくもそんな言い方」と思ってしまいます。
過去を持ち出したくなってしまうのも、義母がヒスを起こしてしまうからなので、なるべく義母が穏やかに過ごせるよう私からも色々気遣い出来るように頑張ってみます。
旦那一族は大体、子育てが落ち着いたら二世帯住宅を建てて暮らすので、一緒に暮らすのは前提と思って今から関係作りをしてみようと思います。
そうなんです、旦那は正直なところ実母には呆れているところがあります。
でも本人の気質と、また異性親であること、自殺で父を失ってるという三点で、嫌い・気が合わないけど愛はあるんだと思います。
これも関係あるかわからないのですが、前の彼女さんがどんな人だったか聞くと、ヒステリックで毎日のように細かいことで怒られ、仕事がある日も深夜まで詰められたり、奢られて当然、プレゼントも倍額返しが当然、といったタイプだったそうで、内心なんだか義母に似てるなと思いました。
その彼女とは5年交際してたらしいのですが、ヒスられすぎて交際2年で彼女だけEDで通院し、バイアグラを飲んでもだめで、かつ一方的に詰められると意識を失うように寝てしまうという特異な体質になってしまいました。
なんでそんなのと5年交際してたか聞くと、惰性かつ放っておけないという理由だったそうです。
最終的にはEDによるレスと、将来的には夢を叶えるために転職がしたいと伝えたら将来性がないと言われ、彼女からフラれるというオチでした。
どうにも、行動や思考を女性にグリップされやすいタイプだと思うので、収入や生活力は私の方があるのですが、今度は私自身がモラハラを起こさないように慎重にコミュニケーションを取らないといけないな、という気づきも得ました。
高齢者の認知は今更変わらないから接待と割り切って、という言葉すごく腑に落ちました。
そうですよね…。腹が立って一矢報いるぞと言い返してもただ関係悪化するだけの未来が見えます。
義母からしたらぽっと出の息子と同い年のガキに何か言われるのも癪でしかないでしょうし、火に油を注ぐだけですよね…。
とりあえずは関係良好で義実家と最後まで過ごすことを私が現時点で望んでいるので、ゆっくりですが旦那と義母、ふたりのペースや距離感については一旦静かに見守ろうと思います。
長々とありがとうございました。
最初にきつく言い過ぎた。すまん。
16歳という子どもが、父親を母親起因での自殺で失った子どもが、のちに10数年も母親を支えていたという構図がどうしても、その子どもが不憫に見えて仕方がなかったのです。
本来なら、父親が自殺したショックを母親がケアするものだろ、どうしてそれをしなかった、その上自分の息子を旦那が代わりにして養ってもらうなんて、酷い親に見えてしまうのです。
不憫だよ。ものすごく不憫だけど、でもそれは依存とは違うよね。
前向きにとらえれば、旦那さんは家族の理不尽な不幸に対して頑張れちゃう人ってことで、良い人じゃんて思う。
旦那はそんなに頑張ることなかっただろ、義母は他に頼れよ、何子どもに頼ってんだよという強い怒りもあります。
でも、これもまた、私が口出しすることではないですよね。
そのとおり。そしてそれはもう過去の話じゃん。
口出しすることじゃないし、今更そんなこと言ってもどうにもならんでしょ。
今後、母親があなたたちの生活にめっちゃ影響してきそうになったときに、それでも旦那さんが母親側に尽くすみたいなことを選んだら異常だけど。
だからそうならないように未来に向かって旦那さんと話し合うのは良い事じゃないの。
旦那がこれ以上何かを支える人生になるのはかわいそうなので、私自身は強く自立して、これからの旦那が私をたくさん頼ってくれるといいなと思いました。
それすごい重要なポイントやん。つまり旦那さんは母親みたいな女が嫌なんでしょ。
親に対する子として愛はあるけど人間としては実は嫌いなんでしょ。
義母も「xxが好きだった職種にやっと就いてくれて嬉しい」と言っていました。どの口が言ってるんだか、と思ったのですがここも流して行った方がいいですね。
いやほんとどの口がなんだけど、それはもう接待と割り切って言わせとくしかないでしょ。
実際には何もやってなくても、子の成功は自分のおかげって言いだす親なんて腐るほどいる。
それはもう仕方ない。
そういうことがあったら、事後に、旦那さんを、お母さんがああ言ってたけど大変だったね、みたいに労ってあげればいいんじゃね。
そうですね、最終的には私側に立って判断をしたという感じです。
ここまで増田さんとお話しして気づいたのですが、これはただの私のさみしい・わがままが起因で、私から言わないと当然のように一族の旅行に行くつもりだった旦那について不満があったのだと思います。
旅行なんて正直かなり気を使うし、私が義実家一族と一緒の際はかなり気を遣って過ごしているのを旦那もわかっているのですが、「もっと楽に過ごしていいよ」の一点張りでして。
ただ、前述の通りヒステリックな義母やセンシティブな一家を前にして気楽に過ごすことが私には難しいんだよな…と悩んでいました。
また、私の前の彼女は楽観的で気を使わないタイプだったそうですが、義母はその子をかなり毛嫌いしていたとの前情報を得ていたので、どうにも気が休まらないのです。
(現時点では、義母は私のことを気に入っているそうですが、上記を踏まえてかなり身を弁えながら、月一で数万円の食事のおもてなしを欠かさないなど行っているからだと思います。)
上記は旦那に伝えていませんが、純粋に「旅行、ダルいな」「何で普段から義母をこんなもてなした上で、さらに今後面倒まで見ないといけないんだ」という捻くれた感情が根底にあるように感じてきました。
私は、性格がよくないけどそれを旦那に隠そうとしているのでしょうね。
旦那は私側に立ったの判断をしてくれた、それでいいか、で一旦ここはすませられるようなすっきりした人格を持つことも意識します。
16歳という子どもが、父親を母親起因での自殺で失った子どもが、のちに10数年も母親を支えていたという構図がどうしても、その子どもが不憫に見えて仕方がなかったのです。
本来なら、父親が自殺したショックを母親がケアするものだろ、どうしてそれをしなかった、その上自分の息子を旦那が代わりにして養ってもらうなんて、酷い親に見えてしまうのです。
私の最愛の存在は義母ではなく旦那なので、子ども〜30歳の今までの旦那のことがどうしても、不憫に見えてしまいます。
旦那はそんなに頑張ることなかっただろ、義母は他に頼れよ、何子どもに頼ってんだよという強い怒りもあります。
でも、これもまた、私が口出しすることではないですよね。
旦那がこれ以上何かを支える人生になるのはかわいそうなので、私自身は強く自立して、これからの旦那が私をたくさん頼ってくれるといいなと思いました。
ふと、旦那が「増田ちゃんの、自立してて生活力もあるところが好き」と言っていたのを思い出しました。私の役目を感じます。
後出ししてすみません。どうにも一気に書くには長文すぎて色々端折りすぎました…。
夢にチャレンジできたのも正直、私が金銭的に余裕があるからできた選択だとも思うのですが、結果オーライですかね。
義母も「xxが好きだった職種にやっと就いてくれて嬉しい」と言っていました。どの口が言ってるんだか、と思ったのですがここも流して行った方がいいですね。
傷ついた。
宗教2世は親と一緒に好きでイベントに参加して、やりがいを感じている人も多いのに。
番組であたかも宗教2世全員が不幸で嫌な目に遭っているかのように言っていて、傷つく。
あと、障がいのある弟と二人三脚で生きていこうとしている人が、ヤングケアラーときょうだい児の特集で傷ついてた。
好きで助け合いをやっているきょうだいも多いのに、全員が親に強制されてやらされているように番組で言う。
そもそもケアを悪いものとして扱うのは、障がい者差別につながりかねない。
好きなアイデンティティを、馬鹿にしてきたり、嫌々押し付けられたように言っている番組が、傷つく。