はてなキーワード: クレーマーとは
22-10-04
■赤の男が損をするのを願うのが女という性か
訪れる子どもの大半が、軽度から重度のネグレクトを受けている様な子ども達だ。
お世辞にも子どもが好きそうなメニューを提供しているとは言えないので、食費を浮かせたいだけの馬鹿共からもあまり人気が無く
(もっともそういった輩は見れば大概分かるので追い返しているが)リピーターは自ずと本当に困っている子ども(と一部の親)が中心となる。
ある種の社会的使命を持って手伝ってきたが、ある時から、妙なクレームが入る様になった。
端的に言うと「男子(男児)や父子家庭の子に食事を提供するのは如何なものか、控えて欲しい」というものだ。
要するに、男子は女子よりも食事量は多いし、父子家庭なら母子家庭よりも豊かだろうと。
それよりも女子や母子家庭への提供を優先すべきだと。彼女らへの支援が不足しては困るのだと。
あまり良い職に恵まれていないのか、女性にしては貧相な格好か、
格好は貧相なのにスマホは最近機種だったり高そうな使い込まれたブランドバッグを持っていたり、そんな人達だ。
訪れた時に、ゴニョゴニョ文句を言うか、こちらの対応に不満そうな顔をしていたのが、悪い意味で印象的だった。
男子や父子家庭に多めに食事を提供しているから、彼女らにまで支援が回らないと言えば話はまだ分かるが、
勿論特定の家庭や男子だけに多く提供している訳でも無く、そもそも十分な程度には食事を提供している。
故に女子や母子家庭への支援不足などハッキリ言って被害妄想でしか無く、文句を言う暇があるなら
先にも書いたが、利用者の大半は、軽度から重度のネグレクトを受けている様な子ども達だ。
家でロクに食事も与えられず、コロナ禍での休校や長期休暇の間は、言葉通り我々が提供している食事は彼らにとっての生命線だ。
命の線をたかが性別で断ち切ってしまえなどと言うのは、異常差別者とすら個人的には思う。
しかし、特定していたクレーマーだけでなく、徐々に同種のクレームが増えていった。
さもネットで見ただけの様な、要領を得ない曖昧なクレーマー達。
誰が焚き付けたのかは知らんが、声だけが増えたクレームだった。
しかし、オーナーが携わっている別会社や、支援団体の方に言われれば、対応せざるを得ない。
何かそういうクレームの手引に従ってやっているのか、という邪推すらしてしまう。
彼女と、彼女を支持する他の女性スタッフ達が中心のシフトの時は、
「レディースデー」などと称して、男子や父子家庭への提供をカットする様になってしまった。
オーナーも良くは思っておらず、自分も色々と直接文句は言ったが、ただでさえボランティアの様な活動だ。
ベテランスタッフの様な、出来る人材が辞めるのを避けたかった様で、
苦々しい調子で「なるべく控える様に」とオーナーが彼女らに言うのが精一杯だった。
ある日、よく訪れてたまに話す様になった男子が言った言葉が忘れられない。
「今日は食べれるの?」と。
勿論俺がスタッフにいる時は、男子らを拒絶する様な事はしていない。
自分がいない日に訪れて、そして断られたのだろう。
育ち盛りで伸びてきた小学校高学年の身長に似合わぬ、やせ細った体。
聞けば彼は母子家庭だが週に何度もロクに金も置いていかず遊びに行って帰って来ないらしい。
何度か、親子でも来た事はあるが、明らかに母の方には何らかの知的障害が学習障害がある様子だった。
悪い人では無さそうなのが、まだ救いだったが、親としての役割を果たせていないだろうというのは見て取れた。
このご時世に、満足な食事も出来ず、救いを求めてたどり着いた先で、「お前は男だから」と拒絶される絶望。
そんな思いをさせたくなんて無かった。
飢えてロクに食べるものも無く、夜中に徘徊し飲食店のゴミ捨て場を漁って何とか生き延びてきた。
飢える辛さと悲しさと惨めさと苦しみはよく分かる。
少しでも、満足に食事を取れない子ども達を救いたいだけなのだ。
男子を拒絶するベテランスタッフが鬼畜なのか?と聞かれれば、少なくとも女子やシングルマザーらには親しく優しい。
よくある放置子として、周囲の人々の善意に食らいついて何とか生き延びてきたらしい。
彼女がいつか言った事は、嘘では無いのだろう。
でなければ、こんなほぼボランティアで時には手弁当もある活動に熱心に参加など出来ない。
だからこそ余計に、「男だから」と拒否する事が、理解出来ない。
「男子だから」救われない、拒絶される。そんな事はあってはならない。
例え男子や父子家庭への提供を辞めても、その分女子達に多く回る事は無い。
父子家庭に至ると、母子家庭の利用者と比較するとずっと少ない。
男子に二食、女子には一食、などと差別している事など絶対無い。
男子に提供しないから、女子に二食提供出来る様になる、という事も勿論無い。
なのに、一部の女は、男が少しでも得するのが許せない様だ。
男が損をするのが女の得になると思っているのかも知れない。
まるでフェミニズムだ。
それともこれが、女の性、本能、負の性欲とでも言うのだろうか?
金がなくて引っ越せないならひたすら戦うしかないよ…
楽器禁止のマンションだけど大学が近くて学生が多いからしょっちゅう騒音あるけど、24時過ぎの宴会の音や、日中でも楽器の音なら騒音が出た瞬間に管理会社に即電話した
警察に電話して「今忙しいから緊急じゃなかったら後日確認したらいいですか?」って面倒臭そうに言われたけど相談した経歴を作りたかったからそれで良しとした
警察に電話した時は、朝になってから管理会社に、何時にうるさかった・警察にも相談したと電話した
別のマンションの時は、集合ポストの該当の部屋の場所にA4くらいの紙に手書きで「お宅の騒音に迷惑しています」と書いて他の住人にも見える状態で貼ってみたら、しばらくして相手が転居した(転居はたまたまかもしれない)
台風到来とは思えないほど風も雨も無いので近所の小さなショピングモールに車で出掛けた。目当ての散髪屋に行くと台風のため早目に閉めますと張り紙。あちゃーと思いつつ館内を回るとユニクロも本屋もスーパーもマクドナルドもぜーんぶ閉まってる。
ここでやば、おれ電子マネーで決済するつもりでスマホしか持ってきてない…と気付いた。
店内を見回しても無理にお金を使おうにも流石に…みたいなほんま要らんもん買うしかないという状況。
みんなならこの状況ならどうする?
俺は仕方なく、駐車券の精算機に横にある受話器を取って目当ての店が閉まってたこと、現金の持ち合わせがないこと(駐車料金は300円)、可能であればタダにしてほしい、無理ならなんか買うけども…
いつまで経っても学ばない。
type-cにしろとか指紋認証に戻せとか、俺に不要な機能しかついてこないとか言ってるのを見てね、非常に思う。
アップルからすれば、type-cは必要と思ってないんだろうし、指紋認証よりも顔認証の方が良いと思ってるからそのままなだけだよね。
それが気に入らなければ黙って買わなきゃいい話なんだよ。
それでもiPhoneが良いって話なら、そらただのワガママでしょ。
メーカはそれで良いって思ってるんだから、それが答えなんだよ。
それをね、「俺に不要な機能しかついてこない」なんて言ってるやつを見るとね、バカなんじゃないかなって呆れるんだよ。
選択肢はAndroidにもあるのに、頑なにアップルに文句良い続けてるのを見るとコイツただのクレーマーじゃんとしか感じない。
その内容としては使用者がよりためらう方向に行きかねない選択肢を増やす発言よりそうでない方が良いんじゃないのということをずっと言っているだけです。
あんたらクレーマーからはそう見えるんだろうが、アンケート記事をみて「ためらう方向に行きかねない選択肢を増やす発言」を感じるとか、どうかしている
具体的に何をそんなに憤っているんだね?
女性への救護がためらわれるのはAEDというより、世の中全体としての「性別を理由にした対応の違い」のほうだろ?AEDを含む救命救急がそれに妨げられているのであって、AEDは全然関係ないんだよ
生活インフラに関わるサービスなので今まで明記されてなかったわけだけど
2022年10月5日(水)にWAON利用約款、Appleデバイス版WAON利用約款、モバイルWAON利用約款および、モバイルWAON利用約款(モバイルJMB WAON版)を改定いたします。
改定の内容
WAON利用約款
情報発信をどうたら言うなら、それは教育の話だろう。実際、運転免許や学校の授業、さらに職場でも救急救命講座や手引はされている。自衛隊ではよくあるよね。
傷病者や使用者が安心して使えるように、なんて情報発信はそういった機会を使うのが最も有効で、ついで実際の現場における使用例に基づく。そして実際にされている。なので検討違いも甚だしい。
AED協会からの発信でないというのは、そもそもこんなアンケートや記事自体に意味はないってことだよ。あえていうなら、講習の機会が増えないことや講習内容に文句をいうならわかるがね。
このアンケートや記事に騒いでいる人、特にはてなーは、AEDや救急救命自体ではなく、「もっと発信の仕方を工夫せれば」としか思っていない。自身の行動を顧みずに他人に責任を求めるだけなので、全然話が進まない。
「お客様は神様です」について
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物や物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生の第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。
また、三波春夫の舞台をお客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命に舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。
そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
その後、漫才トリオのレツゴー三匹さんが「三波春夫でございます。お客様は神様です」という表現を流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。
また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。
このようなフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有りましたが、言葉や文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前の三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫のライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。
“雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。
16歳で初舞台を踏んだ浪曲の世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様が舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。
20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリアで捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。
抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身が希望を持って生きるためにも、時間を見つけては一所懸命に浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。
戦後は浪曲の世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服の歌手であり、歌手が座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。
永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞やエッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。
笑顔がトレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。
これらは、若い時に先輩から「普段の暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。
三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。
最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます。
三波春夫著『歌藝の天地』
(1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より
「お客様は神様です」の発端
お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「!?」
「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
すると、宮尾君はたたみかけて、
ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。
追記:
“翌日から、毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様を神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいね。お客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。
9/1
最初にすいませんが、年はフェイクを入れました。もう少しだけ若いです...
悪いことをしてるとは思ってましたが、厳しいコメントを見て改めて感じました
ひとつずつ読んでいってます。時間はかかるかもしれませんが全部読みます
本当にありがとうございます
また報告します
9/6
今日、本人にはっきり伝えました
・お互いのためにならないので、こういうのは二度とやめてほしい
・付き合っている人がいる(嘘ついてごめんなさい)
どうなるかはわかりませんが、コメントをすべて読ませていただき、自分で決めました
ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。
期待しないでほしいのだが、私は若くはない。昭和でも平成でも行き遅れに近い年齢だ。異性に声をかけられることも少ない。
いまちょっと、本気になっていいのかわからない人がいるので、主に男性の意見が聞きたい。
その人は優秀な方だと思う。おんなじ職場じゃないから確信はないけど。
堂々としてるし、頭の回転も速いと思うし、接客もうまい。私は事務方の職なんだけど、かつて弱輩だった私がクレーマーの対応に苦慮した時もその人が助けてくれた。
体格はけっこう大きい。30代半ばで、声はYouTuberの稲葉百万鉄さんに似ている。本当にそっくりだ。落ち着いていて、トーンが効いていて聞き取りやすい。それでいてさわやかだ。愛嬌がすごい。
明確に好き、というわけじゃないと思う。こちらを見ているかもしれないと思うと緊張したり、目をあわせられなかったりするけど、その一方で、この人はなにか変だ、信用できないとも感じる。
他の人に声をかければいいのに、という場面でも私に仕事の依頼をするし、重たい物を持ちあげる時に、向こうからわざとらしく手を触れてきたり。
ラインのIDも聞かれた(代わりに電話番号を教えた)。昨年末の最後の勤務日は、二人しか居ない時にもっとはっきりわかるようなアプローチもあった。
じゃあなんでここで書いてるのというと、その先輩が既婚だからだ。薬指に指輪をつけている。
私に対しては、廊下で合ったら話すし、頭をなでられたこともあるし、ご飯にも誘われる。でも、体目当てかもしれないって思うと気が重くなる。
既婚なのにそんなことをして、という感はもちろんある。からかっているとしたら相当タチが悪い。でも、悪い人に見えない。ちょっとこわい時もあるけど、仕事で必要だから仮面を被ってるのだと信じたい。
先日、機会が訪れた。先輩から食事に誘われて行った時、私に対して本気みたいなことを伝えてきた。すべてを信用したわけじゃないけど。
もっとたくさん話をしたら、本当のところがわかるのかもしれない。でも、ひと月に数回しか話をする機会がない。遠くの部署だし、私がそこに異動する可能性もゼロ。
ずっと頭の中がぐるぐるしている。いわゆる喪だから相談できる人も少ない。同じ会社の人には絶対できないし。どうしたらいいんだろう。