はてなキーワード: 頭脳とは
昨今はより単純明快で文章量も10年前の700字程度から300~400字程度に収めるよう指導があり、人気の参考書でもこの点がクローズアップされている。
社説の要約と同じで内容の簡単さやまとめ方で勝負しようという意見の他に、何百何千という自己紹介文を見るのに苦心した人事担当者の苦肉の策という意見もみられる。
ここに語彙力やプレゼン能力、文章力は必要とせず、ただ内容の面白さや明快さで勝負しようということで、よりその人物像を明らかにしようという試みだ。
しかし、人物像がたった300字~400字程度で見えてくるものなのか。
大抵はパソコンによる作成が一般的ながら日本税理士会や検定協会、大手国際特許事務所、翻訳センター等、文章をより多く扱う場では自筆で書かせる事が多い。
その文章量も800字から2000字と小論文程度の要領で自由に書かせたり、中にはテーマを決めてそれに沿って書かせるといった試みもある。
恐らく文章を扱う仕事でなければないほど、簡単な文章量で勝負するのかもしれない。
殆どの場合、文章を扱わない仕事でよく使われるのは頭脳ではなく体力、すなわち肉体労働による所が大きい。
そのため文章試験ではなく実技や中卒から高卒程度の簡単な常識問題で勝負させるに留まっている。
また、面接をたくさんこなす人物採用に重点を置き、より就活生との意思疎通を図ろうとしているのかもしれない。
そこに就活生が仕事へのマッチング・ミスが発生しないか量るという意味合いももしかしたらあるのかもしれない。
その時その場合に依る所が一番占めていて、文章量の多い・少ないはやはり仕事の種類に大きく左右されているようだ。
この不況下、景気がやや好転しているといっても人事担当者ひいては会社全体が二の足を踏むのに躊躇しているので一つ求人が出ると物凄い数の応募書類が殺到するのも分かる。
その中でとりわけ文章量の多い志望動機書ないし自己紹介文はその人の熱意が伝わってくるけど、熱意と内容の構成や綿密さ、起承転結がしっかりなされているかも重要な判断材料になっているのは違いなく、ただそれだけでその人のアイデンティティが把握できるはずもなく、実際その通りの人物であるかどうかを見るため面接を行うのだ。
その過程では、あくまで志望動機はその為人を知る一つの参考資料でしかない。
尤も、サボりたいがためという理由で志望動機書を短くさせているのならば、人事担当者は見る目がないし就活生にとって時間の無駄この上ない。
就活シーズンですが、ゆとり教育を享受してきた二十代前半から。
ゆとりの仲間たちの就職活動を応援する意味で、企業側に言いたい。
いま、即戦力を期待する企業が多いと感じている。そんな企業の姿勢に異を唱えたい。
かなり極端に書いてるが、書いた内容は重要だと思う。
企業は
「ゆとりが使えないのではなく、ゆとりを使いこなすための情報が不足している」
と考えてほしい。
更に言うなら、
と考えてほしいと思う。
そうすべきと私が考える理由は、
だから。
一例をあげてみたい。
普通、人は後進を育成するとき、自らの経験をもとにして指導すると思う。
ところが、そのもとになるところの学校教育が問題だ。
何が問題かというと、管理職世代が受けてきた学校教育と、ゆとり世代が受けてきた学校教育は、質が全く異なる点。
これは、単純に教わる内容が減少したという量的な問題だけではなく、様々なものを教わっていないという質的なところからの問題。
繰り返しになるが、人間を指導教育するためには、その人間が育ってきた背景を知っておくことが不可欠だと思う。
さもなくば、お互いにストレスフルなやりとりがたえない労働環境となる。間違いなく。
別の例を挙げてみたい。
ゆとり教育世代の中の一部では、学校における活動以外で他者と結びつこうというマインドとその経験が圧倒的に不足している人がいる。
ひととひと。
そのつながりがあって、社会は回っている
言うまでもない常識と思う。
なぜか
それは、「学校教育しか受けていないゆとり」が、その事実から切り離された特殊な環境で成長するからだ。
だから、人とつながるということの重要性を認識しないまま成長する人もいる。
そういう人間は、なるべくエネルギーを使わずにらくをしようとする。
人と関わると発生するエネルギーコストを削減しようとする人間は、必然的に、人と遭遇しないようにするため、狭いコミュニティで生きることになる。
必要性があるときにしか行動しないために、見識が広がりにくい。
見識の狭さが活動範囲をより一層狭める。
活動範囲が少ないので学びが少ない…という悪循環がそこにある。
この結果、彼らは自分から人と関わり、情報を取りに行くことができないという、社会人としてかなりヤバ目な特性を持っている
場合がある。
自ら育つようになるまで、育てる必要がある。
このことを企業側が、意識しておかないと、この手の人材は、すぐにつぶれてダメになる。
2つ例を出した。
問題なのは、彼らの特性が、日常生活を営むうえでは問題にならないことである。
しかし、ひとたび同じ職場で働くことになれば、たちまち非ゆとり世代とゆとり世代の常識は大きく異なっていることに気づかされる。
きっと、非ゆとり世代から見た、同じ職場のゆとり世代は「エイリアン」に見えている。
そして、きっとそれは逆も同じなのだと思う。
とりあえず、企業がいかに「ゆとり」を戦力化するかということが最大の問題だ。
ゆとりを効率よく戦力育成するには、ゆとり世代の生育背景を把握し、特性を理解し、それらに基づいた教育を行うよりほかに方法はない。
しかしながら、この景気、経済状況なので、企業側が教育者となる管理職に「ゆとり」について1から学ばせるのは得策ではない。
有効ではあるかもしれないが、最善手とは思えない。
「ゆとり世代の人間から一人、ゆとり統括用のリーダーを指名する」
という方法だ
こうすると低コストで、意外と、とうまくいく。
もちろん、企業側がリーダーと綿密にやり取りすることは必要だけれども。
世間を見渡すと「ゆとり」が、使えない人材の代名詞になっていて腹立たしい限りですが、実際その通りだとおもう自分もいる。悔しい。ビクンビクン
ですが、ゆとり世代の中にも、即戦力となる人間は3~4割程度いる、というのが自分の実感です。
企業側としては、そういった人々を少数でいいので、確実に、最低一人確保することがポイントとなります。
こうした人々の見分け方ですが、いくつか特徴があります。
たとえば、家庭における教育が良かった人。
部活動をはじめとした、種々の課外活動が充実していた人。
あるいは、個人の特性によるもの。
たとえば、学びのサイクルが確立しており、鋭い洞察力によって自ら疑問を持ち、また、その解決のために努力を惜しまない人々。
どの世代においてもこの手の人々が最強なのは言うまでもないことかもしれませんが。
こうした人々は、新しいことをまなび、新しい環境に適応するだけの柔軟性が期待できます。
また、実際、学校で生のゆとり教育を受けてきたので、「ゆとり」の傾向も知っていますし、理解もある。
(もちろん、いくら優秀とはいえ、周囲の先輩方のサポートは不可欠なのですが
補足すると、先ほどもちら触れたように、ゆとり世代は、非ゆとり世代と比較して縦のつながりを作るのがへたくそな人が多い。内向的というか。
そして、その代償として横の関係性を求める傾向もある。
こういた特性も、同世代をリーダーにするとうまくいく要因の一つな気がする。
まあ、ようするに、ゆとりの中でも上の世代と互換性のありそうな人間にゆとり世代を統括させれば、そいつが、応急処置的ではあるものの非ゆとり世代とゆとり世代とがやりとりするためのちゃんねるとして機能する。もちろん、そいつにそんな役割を期待していること、必要があればバックアップすることはきちんと伝えておくひつようがあるけれど。
ともかく、そうすることによって、ゆとりを組織の機能の中にぶち込んでもある程度機能し続ける状態を保つことができるわけです。
こうやって、会社や現場に慣れるための猶予をあたえれば、ゆとり世代を無用に追い詰めることもない。
とにかく、はじめはそんな感じ仕事をさせつつ、徐々に世代の違うリーダーのもとで、仕事をする機会を増やせば、心理的に安定するはず。
がそのままおっきくなってる場合がある。
繰り返し述べているように、学校教育以外のフィールドでの人生経験が足りないために、人生経験の深さや、広さが非常に限定的な人間の割合が高まっている。
就活中にお祈りされるだけで、あたかも人生の終わりであるかのように感じてしまう
鋼メンタルの持ち主なら、
「お前みたいなブス、こっちからねがいさげじゃあああ!」と言って自分を守れる。
(フロイト心理学では、合理化というらしいよ!!どうでもいいね)
でも、でも、それができない。
それは、やっぱり、人生経験の少なさから来ているモノだと思う。
知っている価値観が少なくて、物事を自分の都合のいいように考えられないほどに、思考が狭まってしまうからだ。
自分自身さえ、自分に味方をしてくれないのがゆとり世代の人生なのかもしれない。
ちなみに、この価値観の狭さは、これまでの22年ないし、それ以上の人生で、積み重なってきたものの集大成であり、就職後1か月やそこらで変わるようなものでもない。
柔軟性の無い人間は、なかなか使い物にならないと思う。
だからといって、もし、強力なストレスをかけることによってショック療法的に何とかしようと考えているなら、それはやめるべきだ。
先ほどから繰り返し述べているように、学校教育しか手持ちの判断材料がないゆとりは、貧弱だからだ。
企業側としては苦しいかもしれないが、4~5年は、戦力として使えるようになるまで、面倒を見るつもりで、ゆとり世代を採用してほしい。
そして、企業側は、同時に並行して、ゆとり世代が、どういう教育を受けてきたのかについて、情報収取をしたほうが良い。
なぜならば、今すぐにやれば、それが企業の成長につながる可能性が高いからだ。
これまでの言と矛盾するようだが、大部分のゆとり世代は、ちょっとしたことで非ゆとり世代とも互換性を持つ。
そういう人たちが4割程度。
できる3~4割と合わせると大体7~8割
しかし、ゆとり世代についての知識、理解があれば、その3~2割を制御するのも可能だし、彼らを戦力として育成することもできる。
ギャンブル的要素があることは否めないが、彼らを戦力化することができた企業は、他の企業が拡大成長できずに苦しんでいる中、その規模を拡大することができる。
他の企業が使いこなせないということは、その人材は安価に使えるということである。
やとわれた側のゆとりは、就業チャンスをスキルアップに結び付けられるように努力する必要がある。
それでも、フリーターやニートよりはましだとおもって死ぬ気でがんばろう
なんだかんだ書いたけれども、適切な方法を導入することで、ゆとりはいくらでも使える人材になりうる。
そして、その対応が早ければ早いほど、その企業は実入りがでかく、後々になって対応する企業ほど割を食うと思う。
いくら人材がグローバル市場化したとは言え、企業が即戦力として必要とする人材のレベルは非常に高い。
その不足を補うため、これからの時代は、企業の内部にも高度に専門化した高効率の教育システムが出現するはずだ。
そして、マーケットリーダーでない企業では、特に、即戦力でない人材をどうやって戦力化するかが、深刻な課題となる。
そういった企業は、いずれ生き残りのため、否応なく
に習熟する必要がある。
なら早いうちに「ゆとりを使いこなす」体勢を整えるのが良いように思う。
そのためには、とにかく、ゆとり世代の中で比較的優秀な部類の人間をなんとしても一人確保する。
そして、その人間と一緒に、ゆとりを戦力化する方法を一緒に考える。
これが、現状、一番低コストかつ効果的で現実的な、企業がとるべき方法だと思う。
繰り返しになるが
ゆとりはつかえないのではない。
ゆとりを使いこなせていないと考えるべきだ。
高学歴と頭がいいは違う。
ドクターになるだけだったら、金があればなれる。
頭のいい頭脳集団はどこの国にもいる。お金持ちもどこに国にもいる。労働者だってどこの国にもいる。
日本である必要性なんてどこにもない。Made in Japanでなければならない必要性なんてどこにもない。
僕達は、僕達で、Made in Japanである理由を作らなければならない。でも、そんな事に興味がある人はいない。
儲かればなんでもいい。悲しいけどそれが現実。ならば、海外生産でよく、海外で生産できるなら、もう設計も金融も海外でもいい。十分海外でもできる。
だから、海外製品の人気が高くなってきている。後10年20年は持つだろう。50年はいまのままではもたない。
あればいい、というのと、頭脳労働を残せるというのは全く別の議論だ。
そして、日本人の頭脳は世界と比べて並外れて良いというわけではない。
優秀なプログラマを育てること無く、優秀な設計屋は育たない。天才のレベルにおいては。そして、ハイエンドで負けるなら、負ける。だって、値段競争しか無いもの。
そして、値段だけで競争するなら、日本よりもっと有利な国はいくらでもある。
まぁ、頭脳労働系はアメリカとインドの2極集中だろうね。肉体労働系は中国集中だろう。
マネーで言うなら、ジャパンマネーはスゴイが・・・国内の他の産業が沈んでまで、伸びつづけられる産業でもないだろ。
日本人は世界に冠たる頭脳集団であるなんて、驕り高ぶりもいいところ。
http://anond.hatelabo.jp/20121224204441
に続いて俺もやる。
http://anond.hatelabo.jp/20121211101432
(プレットと呼ばれる代理母は国家公務員で、妊娠中は一切の生活が保障される)
一般の人は結婚したら養子をもらう。自分たちの遺伝子を次いだ子孫を育てることが出来ない。
身体能力、頭脳ともに優秀な夫婦のみが、自分たちの遺伝子を受け継いだ子どもを持つことができる。
子どもは、両親の学歴データなどを参照して選べる。半年ほど試用期間があり、合わなければ返品。中には半年ごとに家を変えて暮らす子どもも。
代理母から生まれた子どもは、全員国営の幼年養育院で育てられる。ここで、制度についての理解や、養子として生きるための基礎知識などを学ぶ。7歳になったら、初等養育院に移り、養子として選ばれる権利を得る。
14歳までに、誰にも選ばれなかった子どもは、中等養育院へ。18歳で受ける能力検定で、高校卒業程度の学力、身体能力があると認められた者は一般社会に出られ、養子組や出産組と同じ立場に。遺伝子提供義務も始まる。
能力検定は18歳になった者は、出産、養子、中等養育院にかかわらず受ける。ここで「身体能力、頭脳ともに優秀」と認められなかったもの(一般人)は、通常性行為での生殖能力を剥奪される。
18歳までに高校卒業程度の学力を習得できなかったものは遺伝子を残すことが許されない。
スラッカーと呼ばれる彼らのうち、男子で集団生活になじむ者は兵士(コック=雄鶏)に、女子で生殖能力に問題のないものは代理母(プレット=雌鶏)になる。
生殖能力に問題のある女子と集団生活になじまない男子の行方は……という感じ。
養子組はほぼ顔で選ばれている(遺伝子のみで決まる能力などたかがしれている)
あれは業務知識も、プログラム知識もはてはUIのデザイン知識も問われるぞ。
なくても納品品質にはなるが、使いやすい(現場をフォローできる)かどうかは別物だ。
とくに大規模システムでは 仕様一つで 現場でミスが起きやすい仕様、現場でミスが起きにくい仕様があるが
現場を経験していない人間には、それがわからないので、論理的な仕様を切ってしまって、現場からクレームが来るなんて事がよくある。
大規模プログラムほど、分業はいいけど、現場を知らない奴には出来ないよ。
大規模プログラムってのは、論理的に動くかどうかじゃなくて、派遣とか、外注のプログラマに作らせてもミスが起きない設計ノウハウの塊。
デスマーチが起きたら、現場が悪いなんて、言う奴がほんとに多くて、そら、35歳で定年だとは思うよ。
『なんで、こんなミスをするんだ!』って、そら、派遣や外注ならそういうミスもするだろ。ってのが、わからない人がいる。
で、そういう、現場がどういうミスをするのか?どうしたら、そういうミスを設計で殺せるか?ってのが20代で勉強が終わるわけがない。本気で頭脳労働と長年の勘の世界だろと。
いまいち腑に落ちない。
つまり頭脳労働、事務仕事など男女の身体の違いが業務に影響しない環境以外では、女性は男性よりも高コストで労働力としての用途が狭くなります。
このどうしようもない現実がある限り、全ての男女が全ての業種職種で待遇面で対等になるのは不可能です。
これって肉体労働ではマッチョな女性以外は男性が優先して雇用されるっていう話ですよね。
肉体労働は元々女性があまり進出していない分野だから、そこでの雇用が縮小した場合に主に影響を受けるのは男性であり、女性は「もっと」悪化するという結論は導けないと思います。
肉体労働にあぶれた男性が他業種に行って、女性の雇用を圧迫するということは考えられますが…
女性の非正規率が高かったり、給与が上がらなかったりするのは、出産・育児で退職してしまうこと、女性は管理職にはまだあまり進出できていないことが原因だと思われます。
また、個人的観測範囲での話で恐縮ですが、大卒ホワイトカラーの仕事において、採用の男女比は年々女性が増えているように感じます。
なぜなら、昨今の面接で重要視されるコミニュケーション能力(笑)は女性のほうが長けている傾向があるからです。
よほどビジネスの才があるか、男性で代替が利かないぐらい高学歴(旧帝一工早慶以上)でない女性には社会進出より結婚を薦めるべきです。
これは女性にとって悲観しすぎで、雇用が縮小したらコミュ障の男性・女性が順番にあぶれていくだけだと思いますよ。
大企業の本社や官庁(つまり男女差があまり業務に影響しない、女性でも高収入を得られるホワイトカラー仕事)も男性人口も少ない地方の女性は疲弊しまくってますよ。
今回のエントリはきっとこのへんの実感から書かれたんでしょうね。
女性の社会進出によって女性が疲弊したというのは私もそう思います。
女性の労働力の供給増加によって、女性向け雇用の賃金低下が招かれたためです。(これは男性の賃金低下要因にもなっていると思いますが)
女性サイドの生存戦略としては、男性の所得低下により共働きが当然になっていく世の中ですから、これからも教養レベルを高めて男性から雇用を切り取っていくしかないのではないでしょうか。
雇用にあぶれる女性(男性)に関しては、ワークシェアリングで貧乏生活を送るか、薄く広い生活保護で貧乏生活を送るしかないと思います。残念ながらですが
知的好奇心がない。むろんそれが新しい発見や新しいスキルを身に着けるためにすごく大切なのはわかる。
でも、好奇心が持てない。人を見る限り知的好奇心は性格と深いかかわりがある。ということは性格と同じくらい遺伝に左右されているのではないだろうか。
50%?程度だと思われるが。
結果が出ればいいじゃん、ゴールできれば道草する必要はないじゃん、という考えでも問題はない。今のところ。
遺伝以外の50%のうち、自分が関与できるのは15パーセント程度、そして好奇心なんて訓練によりはっきりとした成果なんて出るんだろうか?
自分の中の、理屈的な部分は否定してるし、周りの人間を見る限り、歴史上の大発見をした人を見る限り、否定される。
じゃあなんで知的好奇心がほしいなんて言っているのか考えたら、たぶん優秀な頭脳がほしい、遺伝子がほしい程度のたわごとなんだろう。
凡俗にして俗悪なる我々の悩みを打ち砕くものそれは知恵に他ならない。ところが私たちはとかく知識を求めがちで情報についつい惑わされてしまう。
おおよそ平凡な知能を有する我々の悩みは、誤解を恐れずに言えば根本的には気の持ちように過ぎず意識の問題で並大抵のことは全て解決できるのであるからして
知識自体を目的になってしまうのはおおよそ的を大きく派手に外してしまっていると言って良いだろう。ここまではおわかりだろうか?
加えて平々凡々な我々の頭が考えうることはおおよそたかが知れているので、余計な考えなどもたぬことである。余計な考えを持つから余計な活動に首を突っ込み宗教に洗脳されるのである。
「下手な考え休むに似たり」とかの剣豪も言ったではないか。あろうことか頭の性能が中途半端に良い人ほどおおよそ頭で考えてしまう。それは言うまでもなくとてつもなく無意味なことなのである。
もし低俗で平均的な頭脳の持ち主の自覚があるならば悩みを頭で解決するのではなく身体で解決すべき。身体の健康について当たり前のことを当たり前にすることだ。
人間が人間たる所以は頭脳にあるのだから、頭脳を操るのが言語である以上、人間にとって言葉を捨てることは、自分であることをやめることだよ。
これまで果たした功績も犯した罪も「なかったこと」にできる。
今はまさに英語ネイティブの非ネイティブの精神的大殺戮が進行中。
もちろん古今東西この手の殺戮は起きているんだけど、スピードと規模が今回はケタ違い過ぎる。
「親と子が意思疎通できるかできないか」にある。
親と子が意思疎通できなくなったらその集団は消滅したも同然だ。
その上下の世代と意思疎通できる程度に母語は原型を留めていなければならない。
とすると80年ぐらいは言葉は変わってはならない。
シンガポールは教育水準の向上政策を熱心に行っていて、若年層を中心に急激な高学歴化が進んでいる。
しかし男女共に高学歴になり、若者が皆高収入でハードな職に就くことによって、恋愛離れと少子化も同時に進んでいる。
高学歴の独身男女に招待状を送付し、遊覧船のクルージングや高級レストランでの豪華な食事、
国内リゾート地での一泊旅行など出会いの場とムードを提供。高学歴夫婦が2万組誕生したという。
シンガポールは国土が狭いし資源も無いので、貿易や技術で生きていくしかない。要するに、頭脳労働者しか必要ない。
だから移民審査も厳しく、高学歴でないと審査に通らないし、結婚が推奨されるのも高学歴ばかり。
政府高官も「高学歴男性は、自分の子供に賢くあって欲しいと思うなら、高学歴女性と結婚するべきだ」と公言している。