はてなキーワード: 隠居とは
親父が倒れたらしい
親父とは全くそりが合わず、人生折々のタイミングで妨害を入れてくるため大学入学とともに家には帰らなくなった。
父は他の兄妹にも家を出た時点で完全に腫れもの扱いだった。兄曰く倒れる一日前に皆巣立ったから俺はもう死んでもいいよねと言ったらしい。ヤバイ不調を放置したのだろう。本人どれほど本気だったかは知らないが事実上自殺と言えるだろう。
今思うと聞き分けを良くし過ぎたと思う。
父はなんというか聞き分けがない愚かな男だった。例えば受験に対してそうで、ワイが第一志望にしていた所はゴミなので〇〇高校に行けといった。
これがまず古い。○○高校が名門だったのは学区制の頃だし、学区制頃でさえ入試で名門に入れる成績出しても1/2で行かされるくじのはずれみたいな場所だったと本に書かれていた。実際ワイの志望した第一志望よりも偏差値で言えば4は程度低かった。
両方ゴミだからその名門に行けと言われたらそれはそれでワイも理解を示しただろうが残念ながら全ての事実認識が間違っている。説得しようとしても夕食をひっくり返すだけだ。といっても学費を出すのは父なので(稼いでいるのは母だが)○○高校に行った。
受験先については妹も迷惑を被っているが2晩泣いたら許してもらえた。兄はそもそも受験に何も興味がなかったので父の指定した所に行った。ワイが行った○○高校よりさらに偏差値は5-7くらい下である。一応父はワイの方に目をかけていたらしい。かけているなら邪魔しないでほしい。
兄は剣道着(2万)や野球道具を買ってもらえたがワイには何もないとか他にも不満は多々あった。言っても夕食が消えるか妹が泣くか寝る時間が消えるだけなので最終的に何もしなくなった。父は体育会系の部活に入れと言ったがユニフォーム買う金も渡さないのにどうやってやるんだろう?本当に分からない。事実言っても買ってくれなかったのでこの言葉は矛盾である。
父の凄い所は全ての判断が間違っている所で、父の約束された失敗を実現しないと父は敵にまわるということだ(ワイは○○高校に行かなければそもそも高校に行かせてもらえなかった可能性すらある)
父への説得は結局全て無駄に終わった
他の親戚への相談も考えたが母はそれはやめてくれと言った。これに従ったのも失敗だ。母に考えがあるかも思っていたが、母も狂っていた。
当時は父自身一応高学歴だったし話を聞く価値があるだろうと思っていたが、父の本質は男性ホルモン出すぎの猿だったようだ。家族の将来を考えるよりも自分の影響力を増すのに余念がない男だった。
大学受験でも同じようなことが繰り返され、ワイは家を出た。まぁその大学も父が行けといった場所で正直勉強なんてしなくても入れたし、第一志望のための1年の努力が鶴の一声で無になった訳だが。
大学卒業後精神科に行った。医者は君の父は狂人だねと言って切って捨てた。精神科医は患者の否定はしないだろうから割り引くとしてもあの言葉は忘れられない。ワイが今考えても父は狂人であるし、それを許す母も狂っていた。
家族のことを考えると父の発言権は全て奪うべきだった。というか居ても居なくても家庭運営上なにも問題がないので(金を稼いでいるのは母だ。父はワイが中学に入った時点で腰痛かなんかで働いていなかった)親父への対処は排除、強制的な隠居であっただろう。暴力は良くないと思っていたがどう考えても暴力ないし有無を言わせぬ何かが必要な状況だった。
父の影響で家族全員が不幸になり、その父当人は自殺である。誰も得していない。
ワイは父をどうにかするべきだったのだ。ワイは失敗したようだ。ワイが何もしなかったのもまた、家族を不幸にした。
昔のことを考えると自分がなるべく優しくあろう、まず自分が耐えようとした故に失敗した事だらけだ。
まず自分が勝つ、次に人に影響を与える。父の例によればとりあえず勝てば嫁と家族全員不幸にすることすら可能だ。まず自分が勝つのが大事。教訓は例によって当たり前の事だった。
六月朔日
武威ノ本最大規模の宗教団体である梵天堂が出した制札が世間を騒がせた。いわく、
武威ノ本で最大の家臣団を抱える西サンジバル藩王国は、対価が必要になるものの梵天堂の荘園を兵站線に組み込むことが可能になった。他の勢力を大きく引き離した形である。だが、それよりもすでに梵天堂荘園から日常的に徴発を行っていたヒポポタマスー帝国の行為が問題となった。
帝国幌生家の言い分は「我が家の足軽大将たちは浪人を一時的に雇った傭兵であり、浪人の範疇に含まれる」との無茶なものであったが、押領ではないかとの厳しい批判を浴び、梵天堂に詫びて禁制を出してもらう道を模索することとなった。
武威ノ本では日ノ本の戦国時代とは逆に寺社仏閣の方から各勢力に禁制を出すのである。
騒動はこれで終わらなかった。
問題発生後、ピポポタマスー帝国の足軽大将たちは制札を出すようになったのであるが、その書式や署名が怪しいとの指摘が相次いだのである。この手の文章は武威家諸法度で用語などが定められている。
逸脱は民衆の不信を呼び込むこととなった。
ついにあるとき、地弥呼と呼ばれる足軽大将が南蛮寺院 兎社からの物資調達に際して、「須田教団からの承諾を得ている」と出した制札が大問題となった。実は須田教団は武威ノ本における代理布教団体の立場にあり、兎社自体は六星教団の持ち物だったのである。兎社からの徴発に際しては六星教団の許可が必要なはずであった。
このような権利確認の疎漏から制札の正当性が疑われ、徴発を行った地弥呼の軍団は解体された。地弥呼は経緯の説明がないまま蟄居となった。しかし、すでに兵の腹に収まった兵糧が返還されたかは不明である。
続いて足軽大将、澪生狼の兵がかつて株魂大社の神社から刈田を行ったことが問題となった。事態が発覚すると、その兵2名は破門を宣告され、責任者である澪生狼自身も永久破門の危機に晒された。軍団の物資調達能力をまったく失った彼女は、蟄居という名の隠居道楽に興ずることとなった。この時の絵日記が後世に残されている。
あわてたヒポポタマスー帝国の幌生家は大半の部隊を一時解散する暴挙に出た。頭を低くし震えて各宗派の慈悲を請うたのである。そのため、帝国の抱える問題は衆人に広く知れ渡ることとなった。
ちなみに幌生家には兎耳形兜を着用した凹田という武将がいたが、2つの事件に直接の関係はない。彼が野良制札を出していないとは言っていない。
ところで、西サンジバル藩王国にも浪人上がりの武将は多くいた。しかし、彼・彼女らは主たる為力家に規律を叩き込まれ、常雇いによって刈田狼藉の悪習からは離れていった。兵農分離が成し遂げられない武将は一部にいたが・・・・・・
また、先に出てきた昇国の居戸家は荘園からの物資調達に慎重で、基本的には道を借りるに留めていた。そのことについて家臣や領民の一部に不満は出たが、他にも財源があるため、これが可能だった。どの家にもできる芸当ではないため、居戸家のようにしろと求めることはロジハラ(ロジスティックハラスメント)と呼ばれている。
一方、勢力拡大を最優先するヒポポタマスー帝国の武将は浪人時代の習慣が矯正できないまま、軍勢の規模を大きくしてしまった。当然、規模が大きくなれば刈田狼藉の被害も大きくなり、宗教団体の厳しい目に晒されることとなる。
勢力図上は順風満帆にみえる帝国であったが、その前途は多難といえる。
楠永玉秀の謀略
梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。
居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。
信徒はもんぺ姿で自分たちを統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である。
だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。
これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老、馬場阿茶局は政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。失言に騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。
また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。
居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。
領主への不信が蓄積し、全光寺勢力も意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布させた。
ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた
楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔、民衆の判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。
彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。
これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。
滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。
ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続の抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。
ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術を披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。
「……ふぅ!」
抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着の背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。
「呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」
「ややっ!こ、これは……!?」
その土倉は繰り返し扇動や讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。
剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。
楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。
「こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!」
ひょんなことから大金が手に入り、仕事辞めて3年経ったんだけど
もともと仕事もうまくいっていなくて、友人も恋人も親もいない、歳の離れた兄弟とは音信不通、と孤独を絵に描いたような生活だったから
田舎に家買ってリフォームして、30代にして隠居するのに何の抵抗もなかった。
毎日ゲームして漫画読んで。飽きるほどゲームしてからは気が向いたら図書館で勉強するようになった。車で40分の国立大に聴講に行くのも楽しい(今年度はコロナで諦めたが)。なんだこの中年、みたいな目で見てくる子もいたが、回を重ねるうちにこっちも向こうも慣れた。高卒だったおかげで学べることは沢山ある。最近は学生のレポートの外注だとか、自由研究代行だとかにもハマっている。点数も成績も付かないのは、安心感がある。昔は勉強ができないのがコンプで逃げていたが、安全圏から宿題だけ出すのはとても楽しい。
ストレスは一切ない。ストレスからは全部逃げているから。大人になったら嫌なことも歯を食いしばってやらなくちゃならないなんて嘘だった。お金さえあればいくらでも逃げられると知った。
そういう生活を始めて、3年たった頃にふと自分が変わったことに気づいた。
まず、心がいつも凪いでいるようになった。些細なことに悩み、毎日イラついていた頃の自分が嘘のように、常に安らかな気持ちになっていることに気づいた。昔だったらクヨクヨしていたような出来事も受け流せるようになった。
それから逆に、鈍感になった。感情が大きく動くことが減った。とても悲しくならない代わりに、とても嬉しくもならない。起伏がなくなった。
良かったのは、必要なことを必要なときにストレスなくこなせるようになったこと。食事の準備も、食事も、昔は面倒で適当に済ませていたが、最近は料理も食事も楽しい。というか、楽しめるようになった。精神のキャパシティが大きいおかげか、しなくてはならないことに取り組むストレスを受け止めて、嫌いなことにも目標をもって取り組めるようになった。
そのことに気づいた瞬間は「あっ、変わった」と思わず声に出したぐらいだ(一人暮らしで独り言が多いのもある)。
しかし、反対に考えると、今までの自分は全くこういうことが出来ていなかったというわけだ。成績も振るわず、向いてもないのにグレて、底辺職で毎日イライラしながら生きていたのはこの能力がなかったからだろう。
最近はてぶにコメント残し始めたら、スターをくれる方がそこそこいて承認欲求が満たされてます。ありがとうございます。
これまで面倒くさい性格だとバレたくないのでニュースを見てもTwitterなどで言及するのを避けていて、政治なども直接の知人とかに話しづらかったんだけど、はてぶ界隈では気にしなくて良いので楽しい。脳のフィルターを通さずブコメ付けてるので、ある記事に「みんな言葉使い悪いよね、上品で優しいインターネッツ希望」みたいなコメント付けた5分後に「自民党はゲロ以下!頭悪すぎウケるさっさと隠居しろ」とか書いてる。
はてぶには頭良い人と頭良いヤバイ人と単にヤバイ人がいて、その発想はなかったわー的なコメント残してるブクマカさんは素直に尊敬する。でも割と知ったかぶりでテキトーに残したコメントにもスター集まったりするので、他の人も案外口から出まかせだったりするのかもしれない。
あとはてぶの良いところは、トップブコメに選ばれまくってちょっと目立つようになったとしても自分の人生に1ミリもメリットがないところですね。気楽。でも最近はてぶばっかり見てるから仕事に集中できない。メリットは無いのにデメリットが大きくて笑う。
高齢者がわざわざ観光業者に構ったり関心向けたりっていうのはますますわからんわ
畑いじりかゲートボールかっていう隠居生活してるようなのか、あとは寝たきりかボケてる人しか見たことないから想像できん
それに輪をかけてコロナで地域行事がなくなったりワイドショーで聞いた話から引きこもり気味になったりしてて外部に関心を持とうという気が薄れてる感じがするんだけどね
「普段関わりないんだからそこ経由で自分たちが感染するわけない。もし関わってる奴がいたら今後関わらないようにすればいい。」みたいな
50~60代の人間だとひるおびとかミヤネ屋とか見てないしあんまり好きでもないしな、60半ばで昼間にぷらぷらしてるようなブルジョア?って田舎にまずいないじゃん?
取引先に「今お願いしてる税理士が役に立たないから腕の立つ税理士を紹介してくれないか」と相談された
税理士にあまり関わったことが無い人だと「税理士がやることって税務申告くらいなんだから大した違いなくね?」と思われるかもしれない
「オーナー企業の創業者が保有する株式の相続対策」「納税額をなるべく抑えるための設備投資の提案」「企業合併の際の適格合併の要件について」
くらいは普通に熟せて欲しいのだがそんな税理士が地方都市に居るかなと思って調べてみてレベルの低さに愕然とした
市内に事務所を構えている税理士のうち、7割程度が税務署上がりで無試験で税理士になったとんでもない連中
税務署側もOBの税理士の申告内容についてはあまりケチをつけてこないので税務申告業務は普通にこなすがそれ以外のことは全く期待出来ない 論外である
では試験合格組はマシなのかというと、そちらはそちらで調査結果は惨憺たる内容だった
地元に古くからあるA税理士事務所は、実務は二代目息子が行っているがこの二代目は税理士試験に落ち続けている
隠居状態の先代の資格で事務所は維持出来ているものの、先代が亡くなれば有資格者が居なくなるため事務所は閉鎖に追い込まれる状態
B税理士事務所も同じく二代目が後を継いでいたが、こちらは親の金で商学系と法学系の大学院を出ることで試験全科目免除で税理士になったろくでなしだった
その後も色々調べ続け、某大手監査法人に勤務したのち地元にUターンして会計士事務所を開業したというまともなところが見つかったので取引先の要望には応えることが出来た
「会計のIT化が進むことで税理士などの士業が用無しになる」みたいなことが囁かれて何年も経つが、全体のパイが縮小するとしてもゼロになることはない
競合相手が無能な税務署OBばかりなら顧客などいくらでも開拓の余地がある ひょっとしたら税理士業界はブルーオーシャンなのではないかとすら思えてしまった
デカパイダーマンは自室で何者かと揉み合いへし合い、まさぐりあったまま地面に落下したと言うのが検死結果だった。
彼女をずりネタにしていた我々ヒーローたちは彼女の死を悼んだ。
50絡みのブロンドの女だった。
近親者には子供もおり、仕事の交流しかなかった我々は彼女の家庭的な面に驚いた。
そのデカパイから繰り出されるビンタや体当たり、色仕掛けはニューヨーク市民の股間を鷲掴みにし、ペプシやホットドックプレスの広告塔も務めて一斉を風靡した。
ファンへのサービスも厚く握手会やデカパイ上映会、ファン感謝祭バスツアーなどサービスも豊富で、言わば80年代を彩るデカパイだったのだ。
葬式に参列したオウルマン、オウルシャッハ、フクロート製薬などのヒーローたちと思い出を語り合ったが、全員がデカパイダーマンは自分に好意があったと言って聞かない。
デカパイから母乳を噴射する「デカパイダービーム・スラッシュ」を何度も浴びてきたミルク臭い仲であるところの我々にも、彼女について去来する様々な思いがあるようだった。
一点気になるのは、高層階からまさぐり合いながら落下した相手が落下後に事件現場から立ち去ったと言うことだ。並の人間にできることではない。
自分は、曜日ごとに対応する散歩コースを決めている。自分は何かを記憶するのに視覚に頼るのだけれど、おかげで風景を思い浮かべれば昨日はどこを歩いたから今日は何曜日かがぱっと浮かぶようになった。
緊急事態宣言が解除されたので、週に2回はランダムで職場に行かないといけないのだけれど、それでも曜日感覚は失われなかった。
考えてみれば、毎日同じルートを歩いて通勤しなければいけない理由は特にないし、毎週何曜日はどこに寄って変える、って決めていてもよかった、気がしてきた。
それと、これは隠居したときにも使える気がする。よくおじいちゃんおばあちゃんと電話していると、今日は休みだっけ? とたびたび聞かれるので、確かにお気に入りのテレビ番組がない限り、何曜日か気にしない生活をしているのだな、って思った。
あと、勤務先が実家の近くになっちゃったから実家に戻ったんだけれど、また一人暮らししたら、曜日ごとに作るもの変えてもいいかも。月曜なら焼き魚、火曜日ならどんぶり、みたいな。金曜はもちろんカレー。