はてなキーワード: 萌えアニメとは
恋姫†無双、百花繚乱 SAMURAI GIRLS、戦国乙女~桃色パラドックス~、戦国コレクション (それぞれアニメ)の放送を見る前の第一印象は軽薄な萌えやエロにしか頼れないつまらないアニメになりそうというものだった。
蓋を開けてみると、それらが全て良作や名作でいい意味で驚いた。
それらの中でも戦国乙女、戦国コレクションはそれぞれパチンコとソーシャルゲームを原作としていて、キャラクターデザインはともかく、ストーリー的にはまともな原作を持たないに近い作品でありオリジナルストーリーだったので不安が大きかった。
ただ可愛いキャラが出てきそうだからチェックしとこうという程度で見たが、内容も楽しめる作品になった。
一方で恋姫†無双シリーズも、原作はエロゲーでちゃんとストーリーがあるのだが、アニメの設定やストーリー的にはオリジナル要素が強い。
原作には当然いる男性主人公を登場させずにアニメ化してしまったことによって恋愛ネタを排除した女性キャラ中心のお色気とコメディ満載のオリジナルストーリーとなり、ただでさえ三国志の武将を女体化しまくるという一発芸的ネタが売りの作品であるため、普通に考えたらこの原作の弄り方はまずいことになると予感するが、それが意外と上手いことハマって人気を博して3期まで制作されたのだった。
その戦国乙女(2011年4月~)と恋姫†無双(2008年7月~・2009年・2010年)のシリーズ構成を担当したのがそれぞれ待田堂子と雑破業だった。
そしてその2人が共に脚本として参加して21世紀を代表する作品といえるぐらいの名作となったのが戦国コレクション(2012年4月~)であり、なんとなく因縁を感じさせる。
戦国コレクションのストーリーの下敷きには古今東西の名作映画等が使われていて、元ネタを上手いこと料理し落とし込んでいて痛快である。
それでいてキャラクター描写がおざなりなわけではなく、キャラクターの魅力もしっかり引き出されている。
最終的にもシリーズ全体を踏まえてのカタルシスが得られながら、心地良い余韻の残るストーリーで締められていて言うことがない出来。
さらにTV放映時は最終話の後の原作CMのキャラの掛け合いが本編の続きのような感じがあり、合わせて楽しかった。
よくある感涙という形ではなく作品への満足感に満たされる形での感動がそこにはあった。
百花繚乱シリーズ(2010年10月~・2013年)も原作は一応ライトノベルなのだが、出版社の創業記念メディアミックス企画で原作とアニメではストーリー部分の設定は全く異なるらしい。
内容的にはアニメ版恋姫†無双、戦国乙女、戦国コレクションと違って男性主人公を中心としたハーレムラブコメ系作品である。
そうなると例によって雑な萌えアニメになりそうという不安が募るのだが、
結果的には主人公が珍しく好感の持てる有能男主人公だったこともあり、名作に仕上がってしまった。
ついでに、メインヒロイン勢に主役級豪華声優ばかり起用されていることもあって、ただキャラを騒がせてるだけでも華があった。
そうして見て行くと、当初なんとなく地雷臭がしていた安易な武将美少女化系作品だが、逆に名作率が限りなく高いことが分かる。
むしろ、武将美少女化系萌えアニメは期待できる、という法則が出来上がりつつあったのだが、逆に一番しっかりとした原作が付いていて、比較的まともな作品になりそうな雰囲気を最初から漂わせていた織田信奈の野望(2012年7月~)が一番微妙になってしまった。
上記の作品に比べるとアレンジは多少穏やかなのではとは思うが、原作をかなり改変されて原作の魅力を消されてしまったようだ。
シリーズ構成を担当したのが、SHUFFLE!、みなみけ~おかわり~、RAIL WARS!、ISUCAという歴史に残る原作レイプ作品群に構成として関わり続けてきた鈴木雅詞だけに、原作を知らなくても織田信奈は被害者になったのだろうという推測が簡単にできてしまう…。
恋姫†無双シリーズのシリーズ構成で、戦国コレクションにもメイン脚本で関わった雑破業は、基本的に前評判の高い作品にはあまり関わらないながらも原作の魅力を引き出しつつ原作を壊さない程度にオリジナル要素も加えて名作に仕上げる天才という印象だ。
0点にも100点にもなれるが並の脚本家なら40点以下にしかならない作品を高確率で80点以上に仕上げるので魔術師のようだ。
特にギャグ系やお色気ラブコメ系が得意なようで、原作は悪くないのに微妙な出来に終わってしまったラブコメ原作のアニメやエロゲー原作のアニメは、彼を構成に据えてリメイクしたら名作になるのでは…と思ったりする。
一番多いときで深夜とか夕方とかニチアサとか合わせて1クール20本くらいは見ていたと思うのだが、最近は深夜アニメをほとんど見なくなってしまった。しまいには今期は1本も深夜アニメを見ていない。理由としては、仕事が忙しいことと、全く前情報のないまま萌えアニメを見て楽しむだけのギャンブル感に嫌気が差し始めているからであった。
このギャンブル感を説明すると、「なんか気になってる声優が主役張ってるから見てみようか、原作読んでないからストーリー全然知らないけど」みたいな感じ。別にこの作品が面白いかどうかが前もって分からんのだ。で、そのアニメが面白いかどうか全く分からないまま、より正確に言えば他の人はその原作が面白いことがわかっているのに自分ひとりだけが分からないままアニメを見ていることがほとんどなのだ。
でもどんな作品か前情報や前評判を持たないままそのアニメを見た結果往年の魔法戦争とか禁呪詠唱みたいなクソアニメだったとしても、昔はそれはそれで楽しめてて、「次はどんなクソアニメが俺を待っているのか!」とワクワクしながらアニメを見ていたのだけれど、今はなんとなくその余力がない。
例えば「皆が見ているから」というなんとない惰性でごちうさなどを見ていたけれど、今考えてみたら別にごちうさってそんな面白くねーんだよな。ただチノちゃんがかわいいだけで。2期のEDは良かったんだよ。良かったんだよ。でも、正味な話ごちうさに出てくる奴らマジ名前覚えてないんだわ。今気づいた。本当に覚えていない。チノのフルネームそらで言えねーし、チノとチルノが自分の頭のなかで混同し始めているのだ。娘が頑張っている姿をビデオ越しにビール飲みながら見る父親みたいな感じで見よっかな、って思ったけど、そもそも俺娘いねーよ。結婚してねーよ。
その代わりと言ってはなんだけど、最近は過去作品とエロマンガに傾倒し始めている。どうして過去作品なのかというと、これはもう前評判をすっとばして評価が高いって予めわかっているからである。過去の名作を見たらば、面白いかつまらないか良いか悪いかを判断する必要がなく、だいたいこういう作風なら自分には合っているだろうから、安心して見られるのである。
あとは、エロマンガ。まあ、実用を兼ねているわけだけれども、こりゃまあなかなかって感じで、雑誌をちょこちょこ電子書籍で書いつつ、気に入った作家の単行本を電子書籍で買う、っていうサイクルを繰り返している。そう、DMMで。ステマでもなんでもいいんだけど、非エロはAmazon、エロいやつはDMM、っていう自分の中のスタイルが出来上がってきて。電子書籍版の発売が紙の数カ月後だったりそもそも電子書籍版がなかったりで、なんだかなあって思うけど、本当に便利な時代になったよね。
前期のアニメは面白かった。僕だけがいない街、鉄血のオルフェンズ、灰と幻想のグリムガル、昭和元禄落語心中、亜人、DimensionWと、クオリティが高く面白いアニメが充実していた。この素晴らしい世界に祝福を はとても楽しかったし、無彩限のファントムワールドも最後まで見れば決して悪くなかった。しかしこれらのアニメ、このすば以外はあまり売れていないようだ。グリムガルはそれなりの売上だが、それでもこのすばの半分程度。オルフェンズも売上は下がり続けている。単純に作画、ストーリーのレベルは、このすばより他のアニメの方が間違いなく高い。なのに何故売れないか。
考えるまでもなく明白だ。アニメというのは値段が高すぎて、クオリティで買ってもらえるレベルを超えているのだ。アニメのBDを1クール全巻6本揃えると4~5万円かかる。この金額をゲームに費やせば、本体とソフト1~2本、もしくはソフトを6本は買えるのだ。僕街もグリムガルも確かに面白かった。面白いが、面白いゲーム6~7本に相当するほど面白いだろうか? …そんなことは有り得ない。もちろん1本のゲームになら匹敵するか、あるいは上回ることもできるだろう。しかし6本分より面白いのは不可能だ。世界最強の男でも、世界2位~7位の6人と同時に戦って勝つことは有り得ないようなものだ。要するに面白さという基準で考える限り、アニメというのは支払ったコストに対してリターンが少ない、全く割に合わない商品でしかない。面白いものが見たければ漫画・ゲーム・ラノベを買った方が良い。アニメを1本買う金で全部の原作が揃えられるのだから。
では何故アニメは売れるか。もちろん月に10万も20万も趣味に使えるブルジョワが、コストを考えずにガバガバ買ってくれる場合もあるだろうが、そんな人はごく一握り。大多数のそれ以外の人なぜ買うのか。それは『愛』という採算度外視の感情によるものだ。「俺はこのアニメを愛している。だから金は問題じゃない。この愛を示すために俺はこれを買う」そういう心情になって初めて、この全く割にあわない金が出せるのだ。
アニメで一番売れているのは、ラブライブ! と おそ松さん だ。だが「アニメで一番面白いのはラブライブとおそ松さんだ」というわけじゃない。そんなことを言われたら反論はいくらでも思い浮かぶだろう。面白いアニメなら他に幾らでもある。しかし、「アニメで一番愛されているのはラブライブとおそ松さんだ」と言われれば反論はできない。男オタクのラブライブへの、腐女子のおそ松さんへの熱狂ぶりを見れば、あれより熱狂的なファンを抱えているコンテンツはそうは思いつかない。今期のアニメでこのすばが一番売れたのも納得できる。オルフェンズも僕街も重厚で深い内容で本当に素晴らしかった。このすばは、面白さ自体はほどほどだった。しかしキャラを一番好きになったのは、めぐみん、アクア、ダクネス要するこのすばではないだろうか。要するには一番愛されたから一番売れたのだ。
このことから導かれる結論としては、アニメは今の高額を続ける限り、クオリティを追求しても売れない。クオリティを追求するならゲームの6倍面白く無いといけない。そんなのは不可能だ。
だったら愛してもらうことだけを目指した方がいい。可愛い女の子を出せば好きになってくれる男は居るはずだ。格好いい男を出せば好きになってくれる女は居るはずだ。関係性が面白ければ腐女子が食いつくはずだ。
そうして、売れもしないクオリティの高いアニメは淘汰され、最終的に一部の人に愛される萌えアニメだけが残ることにならないだろうか? そうなるなら、残念で仕方がない。
そうならない為に、アニメは値段を下げろと言いたい。「アニメは値段を下げても売れない。だから下げないのだ」と関係者は主張するようだが、本当にそうだろうか。かつてのアニメがマニアだけの趣味だった時代とは違い、アニメという趣味はすっかり一般化した。今オタクジャンルで一番活発で、視聴者が多いのは間違いなくアニメだ。TVで放送して、大勢が見て、大勢が熱中し話題にしている。ゲームより漫画より話題になっている。
なのに最大のヒット作でも10万本程度しか売れない。漫画・ゲームの1/10~1/100程度でしかない。これは明らかにコストとリターンが吊り合わない、商品として間違っているためだとしか思えない。アニメはせいぜいゲーム一本と同価格であるべきではないのか。
そう思っていても、実際値段を下げるアニメが無いので証明のしようが無かった。かつてNANAなどは値段の安かった1巻だけが非常に売れているが続巻はまるで売れていない。これは証明のようだが、GJ部は全話入り1万円となかなか安くても大して売れていない。確かにそこまでの話題作でもないが、これは明らかな反証だ。現在注目しているのが、6月に発売するひぐらしのなく頃にBOXだ。これは無印、解が全話入って1本7000円程度と、内容に見合うコストである。もしこれがこれが今までのBOXの歴史を塗り替えるくらい売れてくれれば、アニメの価格を見直す流れも生まれるかもしれない。そうなれば今後は好きなアニメDVD、BDが私のような低収入オタクにも手に入るわけで、非常に有り難い。逆に全く売れなければ、これまでくどくど語った提案部分は大間違いで、値段を下げてもアニメを買うやつは居ないという事実を証明する結果になるだろう。10年も前のアニメだから力がないのだ、ラブライブ等を値下げしたのとはわけが違う…なんて言い訳も思い浮かぶが、ひぐらしはGJ部より遥かに知名度のある話題作だ。これまでの私の主張が正しければ、欲しい、興味があったけれど高いから買っていない、というファンが大勢居たはずだ。これが値下げしてダメならアニメというのは値段を下げても売れないと判断できる。ならば逆に主人公の名前を貴方の名前に変更できるが、1千万円。などの超高額路線の方が生きる道になるかもしれない
宣伝のようになってしまったが、私自身は別にひぐらしをさほど好きでもないので買うつもりはない。ただ、結果を非常に注目している。
休日とか、仕事から帰ってから寝るまでの時間とか、そういうプライベートの時間には何をやってもいい。萌えアニメを見ようが、パチンコしようが、何もせずぼーっとしようが、誰にも否定されるいわれはない。
仕事なんかの「公」の活動であれば、活動の質に言及されるのは仕方ないが、プライベートには質などない。
休日に勉強をしたりボランティアしたりと、自由にできる時間を自主的に「公」に割り当てるのは好きにすればいい。
「人生に無駄な時間などあってはならない。プライベートなど一切持つべきでない」とする考え方も、受け入れる気はないが理解はできる。
エンジニアは家で勉強すべきだという主張も一理ある。ただしそれは業務命令の一環であり、プライベートを削ってサービス残業しろと指示しているに等しい。子供のためを思って親が無理やり勉強させるようなものであり、本当に正しいと信じているなら主張してもいいが、愚痴を言われることは覚悟してもらいたい。
少し前にやってた萌えアニメのWikipediaページを見ていて、
キャラ名から声優さんのページヘ飛ぶと、主要キャラの幼少期やモブキャラを演じている声優さんが何人か引退していた。
いろいろ調べると、だいたいが27〜32歳くらいで引退していた。
やっぱりみんな、これくらいの時期で「夢を追うか辞めるか」の決断を迫られるようだ。
仮に専門卒や大卒で業界に入ったとしても、5年ほどしかキャリアがないわけで、
5年じゃ人材はそこまで流動しないし、もうちょっと続ければ芽が出るのでは?と思ったりもするが、
声優、役者、漫画家、小説家は就職の必要なスキルが身につく職業ではないから、35歳を超えて人生のリスタートをするのは厳しい。
高齢化社会だから、モラトリアム期間がもう少し長くなってもいいんじゃない?と思うけど、
世間的にはそうもいかないんだろうな。
特にこっちのことをよく知らない男。
「ねえねえ、おそ松さんってすっごくはやってるんでしょ? 誰が好きなの?」みたいに言ってくるのやめてくれませんか。
そりゃオタクですけど、自分は男ばかりの萌えアニメにはハマらないタイプ。
Freeも見ないし、うたプリも見ないし、乙女ゲームもやらない。
女オタだからってみんなテレビでやってるアニメにハマるわけじゃないんですよ。
おそ松さんはギャグアニメとして見てるけど、正直誰が誰だか区別がつかない。
それをさも好きなんでしょ?腐女子だもんね?みたいに扱うのやめてくれませんか
推し松とかいないんですよ。
アニメ見ててもそういう女オタもいるんです。
このエントリーを読んで、どうしても萌え絵フォビアについて言いたくなったことがあります
http://anond.hatelabo.jp/20151203015340
それは「一部の女性は母親、特に娘のいる母親になると、一部の萌え絵を嫌いになる」ということです
うちの母と友人がそれでした
しかも彼女らはギャルゲーなどソフトな男性向けコンテンツも楽しむような元オタクです
親になってから子供を傷つけそうな大人、例えばロリコンを許せなくなった
吾妻ひでおの描く女の子は子供に見えるので、吾妻ひでおのエッチな漫画がロリコン漫画に見えるようになった
だから吾妻ひでおの漫画、ひいては頭身の低い幼児体型の萌え絵が嫌いになった
例えば、まどマギの頭身と体型はアウト、けいおんの頭身と体型はセーフ
また、頭身があっても10代の女性キャラが男性に媚びるような描写やパンチラにはドン引きする
例えばけいおんだと、あざといけど小動物的なかわいさが目立つうんたんはセーフ、萌え萌えキュンはアウト
ジブリアニメだと、男性に媚びない思い出ぽろぽろはセーフでパンチラだらけの魔女宅はアウト
友人は、子供が生まれても「かわいい」「ほっこりする」と言って非オタの旦那に隠れて萌えアニメを見ていた
ある日2ちゃんねるのまとめサイトを見ていて、10代のキャラに欲情する男たちの存在を再確認した
しかし学園ものの萌えアニメを見ながら「うちの娘もいつか学生になるのか」と感慨にふけっていたところ、そのキャラを性的な目で見る男たちを思い出した
そして自分の娘も男性から性的な目で見られる可能性にも気づいた
それ以来、10代の萌えキャラが好きな男たちと成長した娘を性的な目で見る男を重ねてしまい、萌えアニメを楽しめなくなった
母も友人もオタクでしたが、母になったがゆえに萌え絵フォビアになりました
20歳の女性でバイセクシュアル、男性とも女性とも交際したことがある。
萌えアニメや男性向けAVを含め、基本的に男性向けの性コンテンツを消費している。自己の性認識は女性。
また、美濃加茂市の萌えおこしものうりんという作品の詳細も、失礼ながら存じ上げない。
以上の立場の自分は、今回の美濃加茂市のポスターは嫌悪感があったこととその理由を書き記したい。
嫌悪感……と、いうより、正直、しっくりこなかった。
これは女性の母乳を摂取することで男性が力を得て戦う作品である。
誰かが「スタイリッシュ授乳」と称したように、授乳がこの作品の一つのキーワードである。
女性の乳首と乳房がこれほどにまでに作品内部で強調される作品はあまり知らない(知ってたら教えてほしい。見たい)。
クェイサーという作品が炎上しなかった理由は、(SNSの普及という観点は今回はさておくとして)以下二つと考える。
→つまり、「嫌なら見るな」がある程度コントロール可能な作品である。深夜帯のアニメ、本屋に置かれる漫画。
『老若男女』、不特定多数の目に付く場所に『多数』配置されているわけではない。悪意(≒反論の意)を持って拡散されることが予期されるわけでもない。
また、責任は製作委員会・作者・出版社にあり、『地方自治体』や『国家』が負うものでない。
2 下着や乳房等、性的イメージに繋がる部位の露出及び性的行動に意味がある
とはいえ、クェイサー以外のアニメ作品を考えると、2に関して、無意味な露出が昨今量産されている。
フェミニストはポルノとして消費される二次元の女の子がどうしても気に食わないのだろうが、それへの批判は割愛する。
話を戻す。
今回の美濃加茂市のポスターに関しては、両方の観点からして外れている。
→まちおこし・萌えおこしという観点からこれは「逆に出した」と言える。しかし、こちらの行為を批判しているのはおかしいと考える。
アニメと地方活性化のコラボレーションは新しい話ではない。地方住民の受け入れ度合いの高低を問わず、広く用いられる手段である。
単純に「のうりん」と「美濃加茂市」がコラボレーションしていた時にはこうした炎上まで発生する程の批判はなかった。
しかし、この枠から出ていることによって、「嫌なら観るな」がコントロールできなくなっている現状は、受け止めるべきである。
なぜなら責任が出版社だけに留まらず、現状、『美濃加茂市という市町村・地方自治体』にも負わされているためだ。
TwitterやFacebookによる拡散でこのポスターが不特定多数の目に触れることは予想内である(予想外だとしたらさすがに認識が甘いとしか言わざるをえない)。
→私はこの部分に最も違和感を覚える。
不特定多数の目に触れる部分でそのイラストを選ぶ必要があったのか?
乳房や女性の身体の露出がふさわしいタイミング――例えば海水浴場の萌えおこしだとすれば、露出の必要性は存在する。
それなのにどうして「農業・林業」の萌えおこしやイメージキャラクターのポスターに上記の『不特定多数』が不快と示すレベルの露出が必要なのか。
海水浴場を例に挙げる。
水着の女性のポスターを設置することで、海辺の女性を喚起するのは当然だ。
海辺のポスターにグラビアアイドルの画像を使用する。なんら問題ないと考える。
それすら「女性を性コンテンツとして扱っている」とフェミニストが批判するなら、じゃあお前だけ勝手にスク水着てろと言わせてもらいたい。
男性はえっちな目で女性を見る者が多い、と俗に言われているし、正直、バイである私はえっちな目で女性を見ている。
豊かな胸の水着姿の女性を見たい気持ちは非常に大きい。ポスターであれ、実際のビーチであれ、だ。
では、海水浴場という過疎地を、ガンダム00(クェイサーに続き、少し古いアニメで申し訳ない)で萌えおこしをするとしよう。
それなら、ボインボインのスメラギさんがポスターを飾ればよい。
スメラギさんがえっちすぎて問題がありそうなら、横の海に真顔の刹那でも泳がせておけば良いのだ。
いくらたわわにあらわになったとしても、あのポスターのイラストよりも更に肌色が多くても、そこに露出の『意味』があれば納得する人は増える。
しかしのうりんの彼女の場合、それが通常コスチュームであったとしても(どうか知らないが)、前提条件を知らない『不特定多数』には、露出に意味が感じられない。
そうした意味のない露出が「単なるセックスアピールのみの変態的イラスト」と捉えられてしまったと考える。
ただし、そこからアニメや萌えイラスト批判に転じることが必ずしも正しいとは思わない。
萌えおこしが成功している例も多々ある。アニメや萌えやボーイズラブが日本のコンテンツ産業を支えているのは確かだ。
長々と綴ったが、以上のことから、私はアニメファン・および地方自治体の萌えおこし担当者に対して「これが三次元なら許されたのか?」という観点で物事を見ることを提案したい。
アニメだから許されないこともある不平等に関しては今後また議論されるべきだが、そもそも三次元でも許されないことはアニメでも許されない。