はてなキーワード: 自体とは
白猫プロジェクトの件で任天堂が特に問題視したのが何であるかは外部からは「わからない」というのが結論。
訴訟開始時の任天堂の公式な主張は「白猫プロジェクトは任天堂の特許技術を無断で使っている。 特許権の侵害がある」というもの。
コロプラ側の反論は「それらは特許として成立しえない」というもので、白猫プロジェクトが特許に抵触するかどうかではなく特許が無効なものであるというもの。
訴訟する前に任天堂からコロプラへは指摘していて、一年余りの交渉でコロプラが一切折れなかったことから訴訟へ踏み切ったという経緯がある。
コロプラが関連特許申請していたとかいうことがあったのか無かったのかはわからない。
ただ、そうだとしても任天堂から指摘して十分な時間が与えられていたので知らなかったとは言えない。
一般論として任天堂はかなり寛容で雑多な特許侵害でいちいち訴訟を起こすようなことはしないし、パクリにも寛容だ。
実際、主観的に任天堂のゲームに類似しているゲームなんていくらでもある。
ただ、パクったものでライセンスビジネスを始めることは許さないというのがおおよそ任天堂の基準であろうと考えられている。
そこから、なんらかの任天堂の特許にひっかかる形の新規特許をコロプラが申請していた可能性が疑われたのだろう。
朝日新聞が先週報じた統一教会と故安倍元総理との写真の件は珍しく600超えのブックマークを達成したが巷は全く盛り上がっていない。はてなの常識が世間の非常識であることを如実に表している。
信者を騙して金を毟り取り山上哲也容疑者をはじめとする多くの信者の家庭をぶち壊してきたことも、それを韓国に送金するシステムも心底クソだと思うのだが、反共自体は元々自民党の路線だし、家族観は自民の中でも結構割れているところだし、霊感商法の取締を緩める便宜はかった形跡も無い。
従って、自民党は選挙協力で恩恵受けてるけど、ただ協力しているのが悪い奴だったというだけで公金支出したりするなどの政治経由の国民被害が全然ない。癒着という漠然とした抽象的な理由しか批判側が掲げられていない。やるなら彼らにはかった具体的な便宜を中心に問題化しろ。
経済や外交・防衛の議論を期待している国民の多数派にとって統一教会問題は比較的どうでもいい話。裏金問題とは比較にならない。結局反共に反発する左翼だけが盛り上がってる話題でしかないのにエコーチェンバーに染まった当の本人達が全然気がついていない。
立憲民主党の安住くんはもっとこの問題を取り上げて盛り上げていってほしい。立憲民主党の支持率が一番低かった頃にいい感じに戻るはずだ。山口4区補選で統一教会問題を前面に押し出すことにより、自ら批判しかできないことをアッピールして惨敗した有田くんもそれを願っているはずだ。
よろしくね!
おおよそ同意なんだけど
ポケモン的なアクションゲームは2022年のアルセウス(2021年12月に出願された件の特許も多分このタイミング)なので、発売から20年というのは違和感がある
俗にある人間アノンとかカテゴライズされてる人の結構な割合がこんな感じなんだろうな
信者という程好感を抱いてないし信用してる訳でも無いが(というかある人間自体がそういう「信者」を嫌ってて過剰に拒絶してるフシがある)
夢アノンとか堀アノンはその辺の解像度が低いのか「信者ガー!」連呼や壺とか持ち出して騒ぐのでマジでついてけないんだよね。キモすぎて
バカはお前だよ。
デジタルアートはそのものの美麗さや精細さではなく、その作品を作った人間の経歴での評価に急速に移っていっている。
他人の経験にタダ乗りしてノイズを吐き出すだけのカスAIとカスAIを操作するだけの外付け肉袋には何の価値もない。
ああ、外付け肉袋を完全に排して、完全に自律して駆動するAIができれば、そのシステム自体には価値が生まれるかもな。
結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。
相手の姓にしたいと思った理由は単純だ。まず、相手の姓のほうが珍しいから。そして、相手が「できれば姓を変えたくない」と言ったからだ。
私の苗字は全国でも有数のメジャーネームであり、日本に数百万人くらいる。対して相手の姓は全国に1万人くらいだ。
相手は「苗字とセットで自分の名前に愛着があるから、できれば今のままがいいな」と言った。
「うむ、私は特に自分の姓にこだわりはないし、レアなほうが良かろう。好きな人の希望で、好きな人の姓になるのも大歓迎だ」
ということで、二人の間で合意した。
母への最初の連絡は、LINEだった。「相手の姓にしたいと思っているが、私が姓を変えることに何か差しさわりがあるか」と聞いた。すると、「苗字には何のこだわりもないけど、長男が相手の姓にするのは相当抵抗がある」、「男が相手の姓にするのは絶縁覚悟の時では」と返ってきた。
私は姓の選択など「法的にどちらにするかを話し合って決めるだけ」くらいの話にしか思っていなかったので、大変驚いた。
「え、男が苗字を変えるのってそんな意味があるのか」と母に問うたところ、「周りにも聞いてみな」と返ってきた。ここから、日本における氏姓制度のこれまでを辿る座学が始まった。
しかし「どちらを選択するかによって一方に社会的な不利益が発生する」という話はいっこう見当たらない。調べれば調べるほど「制度上はどちらかの姓を選択すればよい」という結論に至るばかりである。
にもかかわらず、日本では現状95%が夫の姓を選択しているという。「どちらかを選べばよい」とされているのに、この異様とも言える偏りはどこからくるのか、まったく謎である。
さらに調べると、「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方は、どうやら戦前の「家制度」のなごりであるらしいことが見えてきた。
家制度では「結婚すると妻は夫の『家』に入り、夫の『家の呼称』である氏を名乗る」ことが義務付けられていた。しかし、この家制度自体が男女平等の原則に反するということで、戦後の日本国憲法公布とともに撤廃されている。その上で、制度上は「どちらかの姓を選べばよい」という今の形になったのだ。しかし、なんかよくわからないけど「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方だけが令和に至るまで残っちゃっているわけだ。
つまり、母が「相手の姓にすることに抵抗感がある」とする根拠は精神的なものであることがわかった。「なぁんだ、じゃあやっぱどっちでもいいんじゃん」と安心した。
後日、母と焼き肉に行ったタイミングで「あの話はどうなったのか」と聞かれたので「いろいろ調べた結果、特になんら問題はなさそうだから相手の姓にすることにした」と改めて伝えた。すると、「ならば絶縁する」「もうアンタはウチの子じゃない」「向こうは家に挨拶に来なくてもいいし、私も両家の顔合わせにもいかない」などと言われた。大変面食らった。
こうなると、私も私で、根拠のない拒絶にいささか腹が立つ。たかが苗字を変えるくらいで崩れるような親子関係なんてやめてしまえ。帰宅後、怒りのままに父に電話し、事のいきさつを話した。
父は「姓は二人で話し合って決めればいい」と言った。父は法律関係の仕事をしていることもあってか、姓の選択の自由には理解を示してくれた。同時に「しかし、母が姓にそこまでこだわっているとは思わなんだ」と驚いてもいた。
それもそのはず、これまで三十年以上家族をやってきて、母の口から「お前は長男なんだから今の姓を継ぐんだよ」といった話は一度も出たことがない。
さて、とはいえ「じゃあ母のことはほっといて結婚の手続きを進めましょ」という訳にもいかない。
今度は相手の実家に行き、先方の両親に「母が姓の選択に大反対している」ということを正直に伝えた。すると先方の両親からは
「姓の選択は二人の話だから二人で話し合って決めればよいと思う。しかし、制度上は問題なくとも、今のままだと自分の娘が一方的に悪い立場にあるし、私たちとて家族ぐるみの付き合いの最初から断絶状態でスタートするのは遺憾である。ご両親とちゃんと話し合って、双方納得した上でないと、次のステップに進むことを認めるわけにはいかない」
と言われた。ご至極ごもっともだと思った。
私はぶっちゃけ「価値観の違いから来る意見の食い違いなんて埋めようと思って埋まるものでもないから、母のことなど放っておけばよい」と考えていたが、先方の両親が心配しているとなると話は別だ。
とはいえ、母も私も良い大人である。こう言っちゃなんだが、この話が出る前までは、私と母の関係はいたって良好だった。焼き肉屋では売り言葉に買い言葉で「絶縁だ」「ウチの子じゃない」などと話したのであって、直接会って落ち着いて話せばきっと分かってくれるだろう。なんだかんだ家族なのだから。
そう思って、母に連絡を取って直接話すことにした。しかし、LINEではなく手紙で「直接会って改めて話がしたい」と送るも、父づてに「会う気はないって」と断られる。聞けば、母は焼き肉屋以来私のLINEをブロックしているらしい。仕方がないので、父を通じて母にこちらの意向と「とにかく一度話したい」ということを伝えてもらうも、これまた断られる。
「かくなる上は私が実家に直接乗り込む他あるまいな」と思ったタイミングで、なんと母からLINEが来た。
「姓の選択は好きにすればいい。ただ、焼肉屋で絶縁されたことが分かってないみたいだからもう一度言うけど、一度降ろしたシャッターは二度と開けないし、もう実家の敷居も跨がせない」
と来た。ほぼ原文ママである。どうやら、母は本気で絶縁した気でいたようなのだ。さらに
「相手には、今どき夫婦別姓とかペンネームとか旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中、個人的な理由で相手の家族関係をぶっこわしてまで姓を貫き通したという自覚を持ってほしい」
いや、家族関係を進んでぶっ壊したのは我々のほうだし、「旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中~」以降の内容はそっくりそのまま私にも当てはまる話であって、それが特大のブーメランになっていることにも気づいていないのだろうか。
とにもかくにも、母から直接連絡が来たことで、向こうの意向は分かった。
私からは「母の意向は分かったけど、なんで私が姓を変えることがそこまで嫌なのか、理由が全然わからない。これが最後になっても良いので、理由だけでも教えてほしい」と返した。
同時に、この返信も母は読まない可能性があるので、父には「私から送ったメッセージを母に伝えてほしい」と別途伝えた。しかし、今度は父からも「もうこれ以上は関与しない」と連絡が来た。ここにきて父からもハシゴを外されるとは思ってなかったのでまた面食らったが、「そこをなんとか伝えてくれ」と食い下がったところ、父は母に「息子が理由を知りたいと言っている」ということは伝えてくれたらしい。
この一連の出来事を、先方の両親にも正直に話した。
「最初はなんとか話し合いで解決を、と言ったが、ご両親の反応を見る限り難しそうなので、もう二人で先に進むしかないのでは」
とのことだった。
これを以て、私は自分から両親に働きかけるのを止めることにした。そのまま今年の12月まで待って、特に向こうからなんのリアクションもなければ、そのまま結婚に進む心づもりだ。
「結局どっちの姓にしたいか」という今の気持ちをここに書くつもりはない。
「結局どっちの姓にしたか」ということを後日どこかで発表するつもりもない。
ただ
結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。
この一文が「昔はそんなおかしなことがあったんだね。今からは考えられないな」と笑い話になるような未来が来ると良いなと思う。
マイナンバーカードの電子証明の更新に役所に行く。混雑のなかカードと書類を渡して手続きを行う。ちょっとした住所表記の変更があったので新住所印字のためにしばらく待つ。
別の窓口から返ってきたカードを受け取るが裸で返されケースがない。
ケースを求めると窓口に置いてあったケースの束から無作法に1つ渡され職員は慌ただしく次の市民対応に当たり始めた。
ケースにカードを入れてみるがどうもしっくりこない。変な位置にマスキングがしてあり、どう入れても今まで隠れていた部分が隠れない。
ちょうど別の職員が通りかかったので「マイナンバーが隠れないんですが」と聞いてみると「あら大変」と対応してくれたのだが「今はカードのデザインが変わってこのケースしかない」のだそうだ。いつの間にかマイナカードのデザインが変わってしまって自分は古いカードになっていたらしい。
「前に使ってたケースはどこかにありませんか。あの窓口で最初に手続きしたのですが」と言うと職員は探しに行ってくれて元のケースを見つけてきてくれた。
感謝して帰途についたがケースを預ける時には古いカードの人は注意したい。
と、ここまで思って調べてみると、マイナンバーカードのデザインは今まで変わったことはなかった。変わっていたのはマイナンバーを隠す方針のほうで、2年前にマイナンバーが他人にバレても問題ないことを周知するためにケース配布廃止が検討されているとニュースになっていた。そういえば耳にしただ記憶がある。
その後にどうなったのかのニュースは全く見つからないが結局ケース配布自体は続けられ、今はマイナンバー部分にマスキングをしていないケースが配布されていて自分が今回もらったものもそれだったようだ。性別と臓器提供部分だけが隠されている。
昔のケースのままでいたい人は更新で窓口に預ける時に注意されたし
必ずほぼ一定の確率で交通事故が起こるし、必ず自動車事故で人が死ぬんだよ
銃と同じで、自動車は凶器だと言って差し支えないわけだけど、でも、自動車がなかったら、言わずもがな、近所のコンビニやスーパーにトラックは来ない、俺は飢えて死ぬ
自動車のメリットの方がデメリットを上回っているので、自動車で多少の人が亡くなるのは仕方がない、という考え方で世の中は回ってるんだよ
だから、自動車を運転している人は、凶器を運転しているという意識を持て、ということ
そして、それを成立させるためには、結局は人間をお金で換算することになる、自動車保険である
結局、最後の最後は、亡くなった人は生きてればこれくらいの収入を得ただろう、とか、それを数学的確率的に考える頭いい人たちが保険会社とか銀行とかにいるわけだ
それで人が一定確率で自動車で亡くなってしまっても問題ないということになっている
同様に、自動運転で事故る確率とか、そういうのを頭いい人たちが考えて、自動運転で事故が起こって亡くなった人がでたら、それをお金で換算して処理する
何も普段の生活と変わらない、危険なことには保険をかけ、いざというとき、仮に人が亡くなってもお金で済ますということだ
中国はどうやってるのかよく分からないけど、都市部のみで自動運転が実用化しているのは確かだ
日本は、自動運転で過疎地域を救おう、とか訳の分からないことまでやってしまっていて、それも良くない気がする
ただ、自動運転のデメリットがメリットを上回る、ということが証明できるなら、それは自動運転をやるべきではない、となる
「ThumbnailCity」(サムネイル・シティ)てアプリ、知ってる?
1700円の有料アプリなんだけど、これを導入してから、義務感しかなかったエロ動画収集が数倍楽しいのよ!
簡単に言えば、エロ動画のサムネイルを変更するだけのPC用のアプリなんだけど、
これまで収集したエロ動画って、フォルダに分類したり、ファイル名でランク付けするくらいしか、カテゴライズできんかったやんか。
ところが、このアプリを使うと、サムネイル自体を変更できるもんで、女の子とと内容が一発でわかるようになるわけさ。
◯◯ポに貫かれたアレのドアップをサムネイルにするもよし
君たちの文章はね、なんというか、政治厨の延長線なんだよ。なぜって?それはね、本質的に数学とは相容れない思考回路で成り立っているからさ。
数学では、厳密な定義と論理的な証明に基づいて真理を追求する。感情や主観は完全に排除されるんだ。例えば、ピタゴラスの定理は、誰が言おうと、どんな時代でも普遍的に成り立つ。
一方で、君たちの議論は、まさにその対極にある。客観的な事実よりも、主観的な解釈や感情に重きを置いている。「正しい」「間違っている」という判断も、論理的な証明ではなく、個人の価値観や信念に基づいているんだ。
さらに、数学では問題を単純化し、本質を見抜くことが重要だ。でも、君たちは逆に、単純な問題を複雑化し、本質から外れた議論を好む傾向がある。例えば、純粋に経済的な問題を、イデオロギーや歴史観と絡めて語りたがる。
そして何より、君たちは「議論すること自体」を楽しんでいるように見える。数学者にとって、議論は真理を見出すための手段に過ぎない。しかし君たちは、議論そのものを目的化し、勝ち負けにこだわる。これこそが政治厨の本質なんだ。
結局のところ、君たちの思考様式は、数学的な厳密さや客観性とは相容れないものなんだよ。そして、そういった議論を好むこと自体が、まさに政治厨そのものなんだ。
数学者の目から見れば、君たちの議論は感情的で主観的で、真理の追求からはかけ離れている。それが「政治厨の延長線」と言わざるを得ない理由さ。
上位が下位を慮ってくれるかもって考えるのは人間独特だけど
フェアユースの考え方がある国からすると任天堂がパルワールドにキレる理由自体が理解不能だろうし、単にソフトウェア特許振りかざしただけに見えるだろうから仕方がないね。
任天堂がパルワールドを訴訟したことについて批判を集めている理由の一つに、ソフトウェアアプリケーションの特許はその他の分野に比べて曖昧で広範な条件で認められやすく、多くのソフトウェア開発者から批判を受けているという前提がある。
実際、弁理士事務所のWebページでは以下のように説明されている。
(前略)
というのが議論の出発点だったのですが、今では、ソフトウェアによって何かが便利になるようなものであれば、すべてが特許の対象になります。
さらにこの「便利になる」というものが、ある程度技術的要素が強いものでなくてはならなかったのですが、ソフトウェア技術としてはありきたりであっても、それを新たな分野に転用するものも特許として認められるようになりました。
ソフトウェア特許の考え方 | 梅澤国際特許事務所/新宿アイランドタワー2F
そして今回任天堂がパルワールド訴訟で侵害を主張すると予想されている特許は以下のような特許である
結局言っていることは、ボール(捕獲アイテム)をモンスター(フィールドキャラクタ)に投げて、捕獲成功判定を行い、捕獲成功ならばモンスターを所有状態にできる、その際、捕獲の成功しやすさを何らかの指標(数字ではなく色やデザインでも良いと明細書に書いてあります)で示すというだけのことです。
任天堂が対パルワールド訴訟で使用した特許はたぶんこれ(栗原潔) - エキスパート - Yahoo!ニュース
請求項を読んでみると、『ポケモン的なカプセルでモンスターを捕獲するアクションゲームをつくるなら普通はそういう方法で実装するよね』といった記述しか書かれておらず、これが技術的思想の創作のうち高度のものであるところの発明といえるのか非常に疑問である。また便宜的にポケモン的な、と書いたがポケモン自体がウルトラマンセブンのカプセル怪獣から着想を得たものであるし、そもそもポケモン自体が発売から20年以上経っているのだからそれを別の形で任天堂に独占させておくことにどれほどの意味があるのかは疑問だ。
その他にも任天堂が過去にコロプラと訴訟した際に侵害を主張した特許には『長押しでチャージ攻撃』や『フレンドの最終ログイン時刻が表示される』といった広範かつ、言い方は悪いが発明と言うには少々しょうもないものがあった。
ではソフトウェア以外はどうなのかと言うと、製薬などの分野では発明についての実験データが求められたり、HWでも発明を実現するための具体的な部品構成の説明を求められる。それらに比べるとやはりソフトウェアの特許はアイデア単品で認められやすく、具体的な説明が求められない分範囲が広くなりやすいため先行者利益を過剰に保護しすぎているという批判がある。またそれらを利用したパテントトロール的な行いも横行しており問題になっている。
この手の話をするとどうしても「法的にOKであれば問題ない」とか「法廷での結論が正義」と言ったような単純思考の輩が出てくるのだが、そういった方々には「法律は最低限度の道徳」という言葉を贈りたい。人や法人は法律以外にも守らなければいけないコンプライアンスというものがあるし、そもそも現行の法律は万全ではなく技術や価値観の変化によっても変わっていくのだ。
これまで説明した通り、ソフトウェア特許は必要以上に先行者利益を保護しすぎている側面があるし、今回の件は任天堂が強権を振りかざした形に見えなくもない。ただ今回の件に関してはそもそも相手方が道徳違反上等といった雰囲気があり、法的な対処に出るのも仕方がないという意見も理解できる。
ただやはりソフトウェア特許自体の建付けの悪さという部分を考えた時に一定の批判が出るのは仕方がないような気もするし、任天堂もそれを覚悟したうえでポケモンというIPを守るために訴訟をしたのだと思うので批判をしたい人はすればよいし、その批判にも一定の理はあるように感じる。よって各々が信じる正義に従って批判したい方を批判すれば良い事案なのではないだろうか。
わが身を振り返って、同僚の代わりに謝ったことがあったり上司が一緒に頭を下げてくれた経験があってそこに重ねちゃう。
テレアポをもらって、興味があったので商談してみた。
で、結構良かったので、「後ほどお送りしますね!」と聞いていた資料を待っていた。
お礼のメールも来ない。
こちらから「ありがとうございました」と送り、資料を催促するものの、
返信が来ない。
そこから一週間が経ってしまったので、流石におかしいか?と思い、リマインドメールを送ってみた。
すると、すぐに電話がかかってきた。
「担当から共有を受けました、送信エラーで送れていなかったようで、すぐにお送りいたします。申し訳ございません」ととても申し訳なさそうな声で謝られた。
その平身低頭ぶりに(見えてないけど)なんだか私は毒気を抜かれ、「ああ、全然大丈夫ですよ!」と笑って答えたのだった。
この一連の流れで、なるほど〜と思った。
たまに社内で、「怒らせたかと思って電話してみたけど、そんなに怒ってなかったよ」というような話を聞くものの、これ、逆なんだ。
電話が来るまで、正直私は不信感を募らせていた。
アポイント当日、遅刻してきた上に自己紹介もなく、さらに不安になった。
サービスの内容は良かったものの、「なんかこの会社のサービスを契約するの、嫌だな……」という心理的抵抗があった。
「電話してみたけどそんなに怒ってなかったよ」じゃない。
正直イライラしていたけれど、「わざわざ上司から電話」という思っていなかったレベルのサービスをしてくれたからこそ、「そんなに怒っていない」という結果が引き出されたのだ。
この前Xで見た、仕事のコツ。
少しでも失礼なことをしたなと思ったら、全力で謝る。
少しでもお世話になったなと思ったら、全力でお礼をする。
割とこれは正しいことなのかも……と自分を省みながら仕事に戻った。
(追加)
サービス自体の評価はどうだったのか?というコメントがあったので書いておくと、普通に良かった。
アンビリーバブル!これぞまさに求めていたもの!という感じではないけれど(?)、普通に「まぁほな契約するか〜」という感じだった。価格もそれほど高いわけではないので。
ある程度規模が大きいし、ユーザー数増にひたすら力を入れているフェーズなのかも。それぞれの顧客へのフォローは少なめなんだろうなと思う。
2010年代以降生まれのα世代(中2以下)は、ものごとを全部西暦で考える。
平成生まれでも前半の人々は、一応平成で言われてもなんとなくはわかるだろう。
いやまあ平成前半生まれでも難しいかもしれない。ただ難しいながらも、文句を言いながらも、一応わかろうとするだろう。
だが平成後半になればなるほど平成と言われてもほとんどわからない。わからないどころか、別に知ろうとしない。興味がないわけだ。
平成で考える機会が極端に少ない。平成であるメリットが皆無。α世代にとっては「平成」という時代は生まれる前の話だ。
平成14年、平成23年、平成29年、なんのことやらわからない。2002年、2011年、2017年なのだ。
19XX年というこの19がもう自分たちとは関係のない歴史的な時代である。α世代にとっては200X年こそが「生まれる前にあったらしいこと」である。
下手をすると「自分の生まれた年が平成何年か」がわからない。もう平成という言葉自体が古いのだ。
たとえば2010年生まれは小3のときに平成が終わった。「よくわからない平成とかいうものが終わって令和とかいうものになったらしい」というほど客観的な視点だ。
平成生まれにとっては「昭和かよ」が攻撃になっていた。だがもはやその昭和とか平成とかの時点でめちゃくちゃ古いのである。
「昭和かよ」と攻撃する行為自体に「何それ」という純粋な疑問を抱く。平成も昭和もひっくるめて "同じように" 単に絶望的なほど古いわけだ。
「令和生まれ」という感性も旧世代的である。α世代は西暦でしか考えない。昭和が何年あったかのみならず、平成が何年まであったかすら意識していない。
令和などももはやどうでもいい。「西暦で言え」と言えばいいし、相手が西暦で言わないなら興味ないわけだ。古すぎて関係を感じないから。
まずあなたたちもほぼ令和で考えないだろう。「いったい今は令和何年なんだ?」という現象が起きている。令和でものを考える人間はおそらく昭和生まれの一部だ。
ちなみに今は令和8年である。
昭和生まれ・平成初期生まれにとっては「平成」という言葉は最初の方は思い入れが深いものだろう。
だがα世代にとってはそうではない。元号はもはや他人事であり、自分とは無関係なものとして見えている。
おそらく元号というシステムは滅びるか、存続しながらも規模が縮小し伝統的なものとして残るだけのものになるだろう。
天皇の寿命にもよりそうだが、もしかすると令和は最後の元号になるかもしれない。もしくは旧世代の郷愁のために延命措置として、仮の元号が設定されるとか。
今のうちに祈っておく。