はてなキーワード: 紙一重とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/3fa4312332f2b0c4f65849c59460dd7a1489d43e
しかし2球見逃してフルカウントになると、最後は捕邪飛に倒れた。
新庄監督は「あそこ満塁で清宮君のところで、0―3。『打て』のサイン。ああいうところでバチーンと一発で仕留めてくれたら、こっちは笑顔。でも、ああいうのも本人にも言ったけど、俺は君を信じて『打て』のサインを出しているんだから、割り切ってバチーンととらえにいきなさい。ど真ん中だったし、まあでも、そういう時もあるし。次、次」と振り返った。
期待が大きかったようで、清宮が3ボールから見逃した際には、ビッグボスは手で目を覆って悔しそうなしぐさを見せた。「本人が一番悔しかったと思う。まあでも、前みたいな中途半端なスイングはなくなってきているから、タイミングとしては、高いフライも上がってるし、紙一重なんですよ。その紙一重が一番難しいんだけど。真芯でとらえて喜んでいる姿をね、見たいですね、早くね」と親心をのぞかせた。
その後、ベンチで本人と話していたことを聞かれると「変化球が来たとしてもいいのよ。ガーッと振ってくれたら。迷わず、ボール球に手を出しちゃいけないとかっていう気持ちじゃなく、一発で仕留めにいくって。それでフライが上がろうが、全然いいんですよ。今のこのファイターズの若い子、どんどんいって、失敗から学ぶ。俺ならいくけどね。清宮君だけじゃなくて、選手全員がそういう気持ちになってくれたら。待てのときは待てって出すんだから。打てるときは打ってほしいのよ。結果を恐れずに。ヒーローになるチャンスをあげて、期待に応えてほしいと思うんですよね」と語っていた。
そんなゴミ人間とデートするこの男も、持って生まれた低スペックと努力が報われない環境に長くいたために
魅力のない人間になってしまった奴であることは想像に難くない。
それよりも、優しさの基準が、地域のボランティア活動、寄付、困っている人を助けるってあたりに
男女の優しさの認識の大きな分断を感じる。
こんなの優しさと言うにはあまりに薄っぺらくて、偽善や承認欲求と紙一重の活動なんだよ。
眠くなったらあくびするとか、エロい女を見たら股間がおっきするみたいな、単なる本能でしかない。
弱者男性は、自分自身がそうだから「共感されにくい弱者」という存在を常に意識する。
共感されやすい弱者が優しさを与えられるのを横目に、そのすぐそばで共感されにくい弱者が苦しいままでいることを確信している。
その両者にフェアに救いを与えるのでなければ自己満足でしかないと感じる。
弱者に何かを与えるだけの余裕がないけれど、「共感されにくい弱者」の存在を常に意識している自分は
戦争の長期化を展望した、ということの意味は、要するに、支援する西側の国々が、
戦争に直接介入するのではなく、ベトナム戦争のときのようなゲリラ戦を見据えて、物資や輸送網の支援をするということになる。
そして、それはそのような覚悟をもって、ロシアと対峙するウクライナ国民が存在する、ということが前提となる。
ウクライナ問題全く初心者なんだけど、長期化を見据えたという話を聞いて、プーチンがウクライナ大統領をネオナチ呼ばわりしていることにちょっとピンときた。
要するに、ロシアは10数年かけて、内部に傀儡やスパイ、親ロシア派をじっくりと育ててきていて、他方、ウクライナ側はそうしたロシア側の動きに対して殺虫剤を巻くような塩対応をしてきた、ということなのかね?
そして、プーチンが侵攻した場合の西側からの反発、経済被害想定もしたうえで、そろそろウクライナ側の内部クーデタもいけるんじゃね?と踏んで、侵攻に踏み切ったと。
しかし、思った以上にウクライナ側の内部からの動きが鈍い。むしろ、長期戦への気運が高まってすらいる状況になってしまった。
最近、いつもは経済分析を冷静に行う日経新聞がいつになく、戦時報道さながらの口調でウクライナ側の士気の高さなどメンタリティの部分を報道しているのが印象的だ。
しかし、長期戦を覚悟できているのかどうか、その意味で、そのような戦時報道にも大きな意義があるように思えてきた。
そのときに、いろいろな村々を回って驚かされたのは、恐らく戦争で培われたのであろう彼らの強靭な組織力だった。
戦争が終わって30年にもなるのに、いまだに祖国解放戦線(Fatherland front)という名の組織がコミューンから村の末端まで行きわたって機能し続けていただけでなく、青年組合、女性組合等さまざなまな組織が地域レベルで横の連携をしつつ、国レベルから末端の村レベルに垂直の体系を強固に築いていた。特に災害など有事になると一致団結する彼らをみると、アメリカを敗北させたベトナム人民の総力戦がどのようなものであったかの名残を見る思いがした。
アメリカとの戦いは超大国の圧倒的な軍事力だけがベトナム人が立ち向かった壁ではなかっただろう。
祖国が分断するなかで、傀儡政権側の南、そして北にあちらこちらに潜むスパイとの戦いがあった。そして戦争終結後はそうした人たちと粘り強く統合的な社会を作る営みがあったはずだ。
かつての大学の同期でも、戦後ハノイで出世街道を突き抜けたひとと、ホーチミンでくすぶってしまった人と人生も別れた。
仕事のなかで、ハノイの要人へのコンタクトを求めて、南の人を頼ったことがあった。
紹介状を書いてもらう際に、そういった戦後の物語の一端に接すると、社会の統合への努力というのは
戊辰戦争以来、社会の分断を経験していない日本人には想像ができないものだということも感じた。彼らの社会のもつ、いわばソーシャルキャピタルの強さがなければ、あれほど長く超大国と戦うことはできなかっただろうし、戦後の和解のプロセスもなかっただろう。
ところでアメリカ側に加担し、ホーチミンルート攻略に動員されたモン族の、その後のスピンオフのストーリーとして、クリントイーストウッドの「グラントリノ」、これは名作だった。
そんなことを思い出しながら、ウクライナのニュースを見聞きしている。ウクライナが抱えている事情もそうそう単純なものではないだろうから。
そういう意味で、下記のツイッターの発言が目に留まったとき、何かとてもステレオタイプなものを見た思いがした。
実在しない何かを語っているような、そんな感じ。
https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1497776281412243459
真面目な話をしましょうか。いま、ウクライナが紙一重で持ちこたえているのは、反戦平和の祈りでもなければ、ジョン・レノンのインターナショナルの歌声でもなくて、ウクライナという祖国を守るために銃をとった男たちの愛国心ですよ。わが身可愛さではなく、祖国を守るために戦う人々の力ですよ。
そう。「有害な男らしさ」って攻撃してきたもの、男性を戦いや自己犠牲に駆り立て、「男らしく」あるよう動員してきた社会慣行。あるいは、ナショナリズム、愛国心といった共同体への忠誠。私たちが古臭いとみなして切り捨ててきた伝統的な精神性が、まさに人々を紙一重で支えている。
皮肉でも何でもなく、これってまさにフェミニストが批判してきた「有害な男らしさ」の心性ですよね。リベラルが批判してきた「ナショナリズム」ですよね。薄甘い戦後民主主義で不可視化されてきた、あるいは悪者にしてきた精神性が、まさに、ウクライナ人の最後の砦になっている。違いますか。
誰かをいじめたり、いじめられたり、いじめを見かけたりしたことは誰しも人生で1度は見たことがあると思う。
いじめは良くない、それは周知の事実だ。しかし昨今の「いじめは犯罪。学校ではなく警察や弁護士に」という風潮はイマイチ実感が湧かない。
ニュースなどで見かける「ヤバイいじめ(=犯罪)」はいじめのうちの一握りで、たいていは「無視・仲間外れ」「悪口や陰口」「過度なイジリ」だと個人的には思っている。
でも「クラスメイトに無視されています」では警察の介入は難しい。学校や家庭が解決に導くために大人が真剣に向き合ってあげないといけないのだけれど、これがすごく難しい。子どもがSOSをあげられなかったり、親や先生が気付いてあげられなかったり、気付いても放置してしまったり……。
「あの子は仲間外れにしよう」と「おごってくれるなら、一緒に遊んであげる」と「毎月○万円ちょうだいね」と「お金用意できなかったなら殴るね」は紙一重だ。
いじめの初期(仲間外れなど)の段階で心を閉ざしてしまい学校に行けなくなる子どももいる。最後の最後まで我慢して、命を落としてしまう子どももいる。
ビンドゥンドゥンが超可愛かったんだけど、
扉に挟まったビンドゥンドゥンに金メダルあげたいぐらいなんだけど!
でもみんなビンドゥンドゥンって言いたいのよ、
私もビンドゥンドゥンって言いたいもん。
きっとあなたもビンドゥンドゥンって言いたいでしょ?
そんでさ、
あと
見てしまったわ。
各ポジションあると思うんだけど、
あの後ろで北海道物産展やってたら絶対美味しいもの取り扱ってるから行きたくなるわよね!
北の味自慢でお馴染みの菊水の生ラーメンの試食をしていたりしたら、
でもあれ案外最近浸透してきているので、
貢献してるわよね。
あのもぐもぐタイムの
ストーン投げている後ろで
椀子そばみたいに一目で分かる競技感のある食のもぐもぐ祭典をしていたら、
絶対食べたくなるじゃない。
中国だからたぶん中国にちなんだ食材の椀子そば的な競技にもってこれる食材がいいのかも知れないわね。
でも逆に言うと、
休憩中あれ何かもう食べないといけないとなると
きっとこれ北海道物産展の人気の食材を扱うメーカーが癒着してて
実際どうだか分からないけど、
現にうちの商品をモグモグでって言ってるところもあるかも知れないわ。
そんでさー、
よくカーリングの競技の後ろの場所で私がやって欲しいと思っている北海道物産展の位置に時計おいてあるじゃん。
フィジカルに運動得意な人だけがオリンピックで輝けるだけじゃなくて大食いの人もフィジカルにオリンピックの表舞台で大活躍必至必勝みたいな、
ゆくゆうくは
ドキメンタル番組で北京オリンピックの裏側で競技用椀子そばを茹でているスゴいスタッフを取り上げられていて欲しい
やっぱりここは麺の4000年の歴史は桁違いよね。
だから
いや本当は温まる悠長なことは言ってられないかも知れないけど、
競技の最後の締めだけに鍋!って最後やっぱり中国だから雑炊タイプではなくて麺で締めるタイプの鍋かも知れないわよね。
食の祭典といっても過言ではないぐらい地域物産が盛り上がるぐらい
各地域各国でオリンピック開催地で美味しいものを紹介する!ってのがあってもいいと思うし、
やっぱりそこはカーリングの後ろのモグモグゾーンで北海道物産展やって欲しいわ!
でもさー、
よくよく考えたら、
地元で地元の物産展ってなんかあんまりみんなテンション上がらないのかも?
逆もしかりよ、
九州で九州物産展やってもあんまりテンションが上がらないぐらい、
これは北海道とか九州以外の地域で九州物産展やるからこそ値打ちや意味があるのであって、
でもさ
よくよく考えてみたら
逆に食べ慣れているからこそそのモグモグパートのところは強い強みがあるってことも考えられるじゃない。
だから
オリンピック村で提供される食堂の定食が地元の定食だったたる所以なのかもしれないわね。
そう思うとなるほどなーって
中国4千年の歴史のクダリで豚肉1日7000キロタマゴ1日5万個鶏肉3000キロ餃子1日100万個!
でもさよくよく考えたら億単位の人口を抱えている割りには1日餃子100万って少なくないかしら?
でもこれも逆張りで、
中国だからみんなが餃子大好き!だとは限らないってペコパさんが肯定するみたいに、
関西でたこ焼き器で物ボケしてよ!って無茶ぶりぶっ込まれるぐらい
餃子って思ったほど私たちが思ってるほど食べていないのかも知れないわね。
でもでも
うふふ。
手軽にホッツが摂れるホッツウォーラーで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私の場合は、
料理したり火力の強い圧力鍋でガチガチに硬い牛筋とか煮込んだり、
野菜を一口大より少し小さいぐらいの大きさに刻みに刻んで炒めたり、
スプラトゥーン2ってガチバトルで負けちゃったらストレス溜まりまくるけど
サーモンランのバイトなら明らかに敗因は見て分かるから失敗してもあんまり悔しくないのよね。
まあガチバトルの比ではないわ。
でね、
その狩った鮭をどうやってやるかって、
一気に石狩鍋ふうにしてもいいし色々と考えてたら、
ここ久しく本腰を入れて腕によりを掛けて暖簾に腕押し級の料理なんてやってなかったから
圧力鍋に食材ぶち込んで高火力で調理してあっと言う間に美味しい手羽元カレーでも作ろうかしら?って目論んでいるところよ。
なんかひしひしと湧いてくる料理したい欲が止められないわ。
でさ、
その時話していた人は
とにかくピカピカに何かを磨く掃除がストレス解消になるって言ってて
私お掃除大嫌いなので
その時は言わないけれどもちろんそんな波紋を呼ぶことはしないけど
逆にその人は料理してもストレス解消にはならないって言ってたから
まったく逆なのねーって思ったし、
本当は日がな一日鈍行の列車に揺られてタブレット一つ持ってネットしたり動画見たり車窓を見たりたまには駅弁食べれるような列車であれば食べたり
あれって、
観光列車的なやつじゃなかったら結構駅弁食べるのハードル高いわよね?
私は周りを気にしちゃうわ。
旅も好きだけど、
目的地に行って良い旅館だとか良い料理だとか良いカニ料理だとか良い温泉だとかには一切興味ないのよね。
良い蟹にはちょっと興味あるけど。
旅先へ行く道中が大好きというか
なかなかそれ理解してくれて賛同してくれて同行してくれる人がいないから
道中が長ければ長いほどくたくたになるけれども
なんか凄い距離来たなーって
でもさー
まあ大声の音量に特に自信があるわけでもないんだけど
ラッパーが特に感謝しがちな両親に加えてズワイガニにも感謝してもいいかもしれないし、
カニへの思いを絶叫!
カニは獲られて絶命!
カニのお鍋は絶品!
美味さでそして絶頂!
ズーン!
私もラッパー並みにカニに感謝しがちになりたいわ!カニだけに!って
でも
違うかー。
よく分からないけど。
うふふ。
軽くいきたいところだったので
カニかまぼこを浮かべたら薄め少しはカニウォーラーになるかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私はお笑い芸人のOさんがとても好きだ。
どこが好きかというと、面白いのもあるが、とても可愛いからだ。見た目は全然可愛くないが、何か、生態がかわいい。
なぜ可愛いと感じるのだろう?と考えてみた。
まず、とても素直だ。ほめられると、わーい!と素直に喜ぶが、容赦なく攻撃されると、ひどいよー!と素直に落ち込む。
大好きな人には、素直に好き好き!と伝え、大嫌いな人にはコノヤロー!と暴言を吐きまくる。
私は、それぞれのシチュエーションのOさんが、なんともかわいらしくていじらしくて、好きだ。
Oさんは、学生時代にいじめにあっていたと話していたが、なんとなく、分かる。
いじめている側が、いじめているつもりはなかったという証言や、ストーカーやセクハラをする側が、嫌がっているなんて気付かなかったという証言をよく聞く。
それは、容赦なく攻撃してがっかりさせたり、大嫌いな存在を隣に置いてみたりして、対象のかわいくていじらしい姿を見たい・感じたい一心で、相手の気持ちを慮ることがふっとんでしまうからではないか。
喜ばせることが好きだった人間も、意地悪な一面を引き出されてしまいそう。
でも、好きなのだ。
あんな面もこんな面も見たい。
芸能人ってそういう人が多いのかもしれない。
物心ついた時からオタクやってきたので一般の感覚というものがわからなかったんだが、
一時期環境がかなり変わったことで数年脱オタクをし、そしてまた戻ってきたら、俺が当時から感じてたオタクに対する同族嫌悪の理由が自分なりに明らかになってきたのでチラ裏に書き出す。脳内整理。
人間とはえてして自分の加害に鈍く被害には敏感なものだけれど、オタクはそれが顕著。なんにおいてもそう。男オタクも女オタクも萌え豚も腐女子もオタクの種類を問わずそう、また対一般人でも対身内でもオタク同士のコミュニティにおいてもそう。自分の加害の可能性を棚に上げて他者を糾弾するのに必死すぎる。誰かに非難されると、非難した側の属性を指して「お前がいうな」論に持ち込む(大概ただの詭弁)。議論解決において重要な”相互の主張を正しく理解して互いの妥協点を探る”という目的は誰も持っておらず、とにかく受けた被害の鬱憤を晴らさんと他者を殴ることしか考えてない。醜い。
何か世の中に対する不満でもなんでもTwitterで呟いていたとして、それに当てはまるフォロワーが「それ自分です、ごめんなさい」とリプしてきたとする、すると「あなたは○×だからいいんですよ!」と自分の主張を棚に上げて詭弁でしかないフォローをする。掌ドリルである。そうじゃないやつも多く見かけるようになってきたけど、コミュニティが狭いと未だに掌ドリルオタクはどこにでもいる。
自称S人間の痛さみたいなもんだろうか。それに加えて、オタク特有のコミュニティ内でのヨシヨシが発生するのが痛気持ち悪いのである。「お前まじ頭おかしいよな!w」「え、なに?!そんなんじゃないが?wちょっとキャラが痛めつけられてるの見るのが好きなだけでw」「それを頭おかしいというw」みたいなノリを大の大人がしている。面白さと紙一重なノリではあるんだが、大抵のオタクは別に面白さとかではなく自尊心を満たすためにやっていることなので、普通に怖いし気持ち悪い。