はてなキーワード: 権力とは
そうして他人の善意に漬け込んで無理強いし、反論できない状態に叩き込んだら豹変して罵倒し、そして使い潰す。
日本が善意で生きてきた世界の名残なんだよね。今は。新自由主義で権力と金があるやつこそ素晴らしいという野蛮資本主義になってしまったから。
権力と金が通じなければ情に漬け込もうというのが五輪賛成者。まさに地獄への道は善意で舗装されている。だ。
教師から体罰含めた権力を奪うなら学校に従う理由は親や社会の教育以外にないんだが
世間が学校を叩けば叩くほど子供は学校を低く見るから学校が機能しなくなるんよね。
学校を叩く連中の大義名分が何かは知らんが、こんなもん野放しにしててマジでいいのか?
手を打たないなら構造的に立ち行かなくなってる気がするがどうすんだコレ。
そもそも選手個人を批判してはならないという主張に根拠がないよな。
例えば貴族制度の廃止の是非が問題になっている国で当の貴族が「私には決める権限はないから廃止されれば従いますが貴族は続けたいです。貴族を責めないで」って言っても貴族でい続けたいのは人情だから批判すべきでないのかな。
trade_heaven 自民党は戦前に回帰したいキチガイ老人が中心であり、支持母体も同様である。彼らにとって敗戦前こそ美しい日本であり、今の憲法は敗戦の象徴であり権力増強の障害でしかない。コロナはこじつけの口実にすぎない。
冠(コロナ)を叩き落とせ!
権力を打ち倒すんだ!
王が!貴族が!戴く冠の力によって民草を弾圧する時代に打ち勝つのだ!
人類が冠(コロナ)に!ヒエラルキー社会に打ち勝つための戦いだ!
怒れ国民!!
冠を!たたきおとせ!!
マジで本当に全くわかってなかったんだな。
主人公の市川は、貞操逆転後の世界は基本的に馴染めず、良いとは全く思ってないんだよ。
ただ戸惑いながらも順応しようとしてでもダメだー!というのが面白のキモなわけで
2巻のアオリなんて「女としての自分の価値がどんどん暴落していく」という表現があるわけで、
要は女の性的魅力は貞操観念に依存してて、そして自分の女としてのアイデンティティも貞操観念に支えられた妄想の産物に依拠している部分が多分にあるのでは、というのが主題なんだよね。
少なくともフェミマンコどもが言いたくてうずうずしている「男の抑圧がない!『サイコー!!』」ではまったくないということ。
たまに男の性的視線を逆転させるとどれほど滑稽かってのがあって、フェミマンコはそこにだけフォーカスしたがるけれど、
まあマンコでものを考える女の浅はかな見方、ってことなんだろうなー。
女のマンコにどれだけ価値が置かれているのかってことを客観視させるための道具立てなんだよこの漫画は。
これは女目線。
女目線だと、貞操観念が逆転しても、女はウヒョーにはならないよねということ。
ってことは、今の世界がウヒョーなんじゃね?って反問が想定されるわけで。
まあもちろん漫画だからね、女の実社会の不利な要素なんて排除してるただの娯楽なわけだから、
女=即ウヒョーなわけねーだろってのは百も承知。
だが、そんな単純で表層的で一面的な娯楽に過ぎないこの漫画をフェミの教科書とか言っちゃうバカマンコって、
どれだけ単純で表層的で一面的なモノの見方しかしてないんだろ、って話になるわけなんだよねー。
単純で表層的で一面的でしかないから、物語に面白みや厚みを加えることなんて絶対できないもの。
池江は可哀想ランキング超上位だからはてなでは何とか池江姫は擁護しつつオリンピックは叩きたいの。
平社員は例えベタだったかもしれないが、この増田のブクマでは涙ぐましい理論武装の努力の結晶が見て取れるではないか。
「20歳の子に重すぎる責任~」とか。(池江の権力性を一切無視しつつ、子という単語を使って責任能力の意図的な軽減を狙っている。見事)
「利害関係でがんじがらめ、結局は籠の鳥」とか。(いい大人である池江が、環境のせいで個人の判断能力を奪われているという構図を構築。見事)
「皆が不幸だからお前も人生の目標を諦めろというのは違う、真に糾弾されるべきは~」とか。(誰が言ったかもわからないセリフを使い、真の敵理論で池江への攻撃を反らす作戦。見事)
「成功者か社会的強者かは直接関係ない、意思決定に関する権力配分の観点~」(権力配分という定義不明の謎ワードを使用し、また強者性の有無を問わずに関係ないと断定して池江の権力性を漂白。見事)
繰り返すが池江は可哀想ランキング超上位者だから、はてなでは破格な取扱で遇さなくてはならないのだよ。
改憲するなら国民の権利を増やして権力をより制限する方に改憲してほしい。
トップの任期の制限とか、結婚を両性の同意から当人達の同意に変更とか。
政治も経済も専門外だ。詳しく勉強したこともないし、新聞も読んでない。
だが、世の中を見ていてずっと気になっていたことがあるのでここで吐き出す。
投票に行かない人や、与党に票を入れる人がよく「支持できる政党や政治家がいないから」といった理由を述べているのを見かける。
これは主体的に自分たちの国の政治に関わる気がないということだろう。
投票の行為そのものは、立候補者を選ぶ方式だとしても、私たちが投票する行為は、出されたメニューを選ぶという以上の意味がある。
vote outという表現がある。投票によって選出するのではなく、その逆だ。
この場合、選出された候補者は必ずしも積極的に選ばれたわけではなく、気に入らない候補者をはじき出すための駒ともいえる。
その積み重ねが重要なはずなのに、そこに焦点が当たらないのは不思議だ。
国民の政治参加は子育てに似ている。政治家が悪いことをしたら叱り、いいことをしたらそのままにしておく。そうやって政治家は自分たちの役割を学習していく。
それが国を作っていくということだろう。
自分たちの国なのに、誰かにどうにかしてもらおうとばかり考えている人が多いように感じる。
なのに、政治に口を出すな、自分たちが日々できることをやれという輩がいる。
日々できることはするべきだ。だが、政治に口を出さないのは間違っている。
政治に口を出すこと、選挙で自分の意思を示すことは、国民として国を作っていく行為そのものだからだ。
政治家が国を作るんじゃない。
本当に本人が言ったのかどうか知らないし文脈もわからないが、マーク・トウェインの言葉として残っているものでこんなのがある。
「政治家とオムツは同じだ。すぐに汚れるからこまめに取り換えなければならない。」
汚れたら取り換える。そしてまた取り換える。これを延々と繰り返す。
自分たちの意思を示し続ける。自分たちの意思を尊重しないものに先はないと政治家に学習させる。政治家はあくまでも国民に仕えるものであって、国民が政治家に仕えているのではないということを身をもってわからせる。
自分たちの望む政治とはどんなものか、自分たちの望む国づくりとはどんなものか。
声の大きい人や組織の言うことを鵜のみにしないで、自分で考える必要がある。
メディアの伝える内容は本当に信用できるのか。報道の背景に何があるのか。
生きていくだけで精一杯の中、これだけのことに割くエネルギーなど残っていないという人も多いだろう。そのとおり、生活が苦しければ苦しいほど、冷静に深く考える時間もエネルギーもなくなってしまう。だが、そういう時間とエネルギーを奪っているのが今の為政者だし、今の為政者をのさばらせたのは私たち国民だ。
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
いくつか抜粋してやる。手柄を横取りしているようで気が引けるが。
「子孫を残すために男は必要だが、数が多い必要はない」と男性を間引きする案も女性から出るようになる。」
実際、男性は何人ぐらい必要なのか。考えてもみよう。男は危険だ。犯罪の大半は男が起こしている。男は知的に劣り、勤勉でもなくまじめでもない。男は筋肉とペニスでものを考える。男のほうが病気にかかりやすく、国の資源を食いつぶしている。子供を作るために男が必要なのは言うまでもないが、そのために何人ぐらい必要だろうか。女ほどの数は必要ない。善良で清潔で従順な男なら、もちろんつねに居場所はあるだろう。しかしそれは何人ぐらいなのだろうか。たぶん十人にひとりぐらいではないか。
マザコン男性とその母親が「母子坂、手をとりあって」(宮迫)滅びに向かってくれれば、こんなに平和なことはない。問題は、マザコン男性が身のほどを弁えずに結婚したり、権力を握ったりして、ハタ迷惑になるからである。
自然史的・人類史的に言えば、マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います。
彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。
女の私から見ても以下のことについて男性は大変そうだなあと思うんだよね。
「弱者男性」が流行ってるみたいだけど、別にスペックどうこうじゃなくて普通に生きてて嫌だなあ不便だなあと感じればドンドン断っていけばいいと思うよ。
・男性同士の変なノリ、遊びに参加しなければいけない(漢気ジャンケンとか意味わからんよね。フツーに割り勘しろよ)
・男性同士で仲良くしていると「ホモなんじゃないか」的に揶揄われる
・朝勃ち等自分の意思とは関係なく勃起する現象(シンプルに不便そう)
・飲み会では多めに払わないといけない
・タバコを吸えないと仲間外れにされる
・地図は読めて当たり前と思われがち
・理数に強いと思われがち
・体力があると思われがち
・産休、育休が取りづらい
・髭を剃らなければならない