はてなキーワード: 恋愛弱者とは
小田急通り魔の対馬容疑者が弱者男性か、そうでないかといった不毛な議論が続いている。
私がここで言いたいのは、そもそも以前から弱者男性の定義が意図的に変えられてしまったことである。
本来の弱者男性論とは、別にモテない男についての言及では無かったような気がする。
男性の育児・家事の参加問題、遺族年金の男性差別、育休や産休と男性、徴兵の男性差別・・・といったかなり真面目な問題を扱っていたよね。
それがいつの間にか、弱者男性=モテない男性=女をあてがえ論に変容してしまった。
弱者になりえるとしたら、恋愛部門だけなので弱者男性とは恋愛弱者男性であるという雑な成り立ちだったのだ。
「対馬容疑者は弱者男性かそうでないのか」という不毛な話はもうやめて、本来の弱者男性論に戻るべき、要するに軌道修正するタイミングではないのか。
最近ホッテントリによく上がる「マイノリティを描いた漫画」みたいなのが好きでない。
別に好みなのでそれを好む人がいるのはわからないでもないんだけど、ホッテントリでバカみたいに賞賛されて「これは私のことです!」「作者はすごい!」みたいなコメント以外書き込みにくいのが何とも苦手。
特に「書いてくれてありがとう」って、何なんだよ。お前作者の何なんだよ。お前に許可とって作者は漫画描いてないし、案外「こういうマイノリティ系のネタにしたらバズらないかな」くらいの下心で書いてるかもしれないし、問題提起する人が皆当事者であり被差別者であり純情であるみたいなコメントが鼻につく。
どんな漫画かブコメで確認すると変なコメント見てしまうし、ブコメ見ないで漫画読んで「無理解なマジョリティのせいでマイノリティが悩んでますよ~~!!価値観アップデートしてくださいね~~!!」という漫画も読みたくない。
健康に生まれ親は喜んだろうなと思うと少し申し訳なくもないが、眠ったら目覚めなければいいと思っているのは事実だ。
正直死産だとかどーーーでもいい。
恋愛弱者としては、あんたら恋愛ステータス持ってるんだろ、贅沢な悩みなんだよ満足してろよと思う。
自殺止めた高校生カップルはさぞ自己肯定感増したんでしょうなと思う。
5年前からメンタルやられているのは職場にカミングアウトしていない。気遣われて仕事振られなくなるのが嫌だから。
それでも寝たら朝は来るし、進捗無いから朝一のミーティングでボコボコにされなければならない。
日々をただ過ごすことだけならなんとなくこなせる。
けどやはり辛さは消えてくれない。
それでも僕は生きます
付き合ってるときはお互いに意見し合うしやっていけるかなと結婚に至った。
しかし恋愛弱者となるような対人スキルの問題点(個人差が大いにあり)に苦しめられるように。
・あいさつを渋る
・相手を労らない
・何かして貰った際に有難いとは思わずにただラッキーだと思うだけ(相手の労力にはまるで関心がない)、相手に何も返さない
・相手の労力には感謝とかしたくないので、〇〇しようか?という問いかけに、あれば貰う、余ったら貰う、もうできてるなら貰おうかなと自分がしてもらうという負債を姑息に避けようとする。
・そのくせ事前に問いかけずに差し出す形は大好き。気に入らないと貶すし拒否する。受け取ってから貶して笑う。
・自分からは提供しないのに、何かして貰えない、事故などでの自分の不利益は非常に恨みに思う
・自分から相手に働きかける、話しかける事もない。コミュニケーションコストを丸投げして負担をかけても自分は向いてないからと何も返そうとせず、相手の体調やメンタルの不調でのコミュニケーション減も悪意に取る。自分のことしか頭にないのに相手は自分の考えを忖度して当然と思っている。お互いに良くしようという考えがない。
・わからないことを訊きたくないためにやらない、切羽詰まっても適当にやって問題が残るが指摘すると(尊厳が犯されたと)逆ギレする。
・能力が低く、不器用過ぎるのに、指示を聞きたくない、やり方を改めたり人に聞いたり助けを求められない。見かねて助けて貰っても自分からは誰かを助けようとはしない。
・自分は相手を煽るしふんぞり返っているが、こちらが少しでも怒って声を荒らげると、感情的になってるから話は出来ないと怒鳴る
いや、お前が「恋愛弱者、経済弱者はコミュ力が低くて、カス」って思うのは勝手なんだが、それを一般論みたいに言わないでくれないか?
俺の周りは恋愛弱者ばっかやけど、真面目で人が良い奴ばっかだわ。積極性にかけるけど、徒に人を傷つける事もしない優しいやつばっかり。(それが裏目に出てるんだけど)
完全に経験則だけど、恋愛強者や既婚者にもカスが多い。そういう奴に「人が気にしてる事をイジるな」みたいなこと言ったら、「場を盛り下げるつまんねーこと言うな」みたいなDQNムーブされた事は両手じゃ足りねーわ。
女も女だからな。そういうカスについていって、殴られて別れてはまた別のカスに引っかかる。んでそういう女に「恋愛弱者だけど、真面目で良い奴もいるよ」って言ったら『あてがえ論だ!』ってキレてるのが今のネット。
まじで意味わかんねーわ。
俺自身一介の弱者男性として最近の弱者男性議論を度々心痛めつつも興味深く追ってきたわけだが、以前として誰もタイトルの問題について言及していない様に思われたので俺が書くことにした。
まず前提としてここでいう弱者男性とは、
少なくともこの二点を兼ね備えた男性のことを想定している。つまり俺のことだな。
加えて言えば経済能力は恋愛能力に、恋愛能力は経済能力にそれぞれ程度の差こそあれ相互作用していると思われるので、この二点は弱者男性の弱者性の不可分な要素だと思っている。
で、こういう俺みたいな弱者男性が恋愛不能者から恋愛可能者にクラスアップするシチュエーションにおいては幾つかのイベントが想定されるわけだ。
例えば一部のブクマカが字面を見ただけで怒り狂うあてがえ論というハードなイベントから官製非モテ合コンみたいなソフトなイベントまで幅があるわけだが、ここで重要視したいのはあてがえ論にせよ官製非モテ合コンにせよ、
という事実なんだよね。
これってつまり自由恋愛市場で不人気だった為に売れ残った弱者男性の買い手(便宜的な表現)になる人間(主に女性)が想定されるわけだよね。
それって正直俺たちの買い手になる人間にとってはあまりメリットが見えない話じゃないか?というよりデメリットの方なら幾らでも発見できる。
弱者男性は経済能力が弱いから経済的甲斐性は期待できないし、性的魅力にも欠けるから日常のコミュニケーションから性的接触に至るまで幅広いレベルで癒し効果も期待できない。限りなく透明に近いデメリットだよ。
弱者男性が恋愛可能になるってことはつまりこういうデメリットを引き受ける甲斐性を発揮しなきゃいけない人たちが出てくるってことだと思うんだよね。
こういうことを書くと「自由恋愛市場で戦えるように弱者男性をチューンナップすればいいじゃないか」と指摘する人もいると思うが、SSTや”クロワッサンを参考にした丁寧な暮らし”を通じて弱者男性が恋愛可能になる様な甘い想定は現実の弱者男性にはまず適用できないと思うんだよね。
低年収で選択肢の少ない生活の只中にあって、意中のジェンダーからまるで見向きもされずひたすら自尊心が摩耗していく日常を送る弱者男性にそんな選択肢は適用できない。喉が渇きに渇いて今にも倒れそうな人に「数十キロ先にあるオアシス」を指し示したとしても彼らはそこまで辿り着くことはできないんだよ。
それに男女の非対称性も思い出してほしい。
男性は未婚、独身だと既婚男性に比べて著しく幸福度が下がる一方で、女性は未婚、独身でも既婚女性と幸福度はほとんど変わらないか、むしろ高まる傾向もある。
そして女性には男性に存在しない器官である子宮が存在することも忘れてはならない。
弱者男性がわが子を希求するケースではパートナーとなる女性の存在が不可欠となる一方で、女性においては精子バンクを用いた人口受精というオプションが存在するわけだ。
以上を勘案するだけでも、弱者男性に比して女性は「自由恋愛のあぶれ者同士で結婚するメリット」が極めて希薄であると言わざるを得ない。
そしてここまで書き連ねてきた内容を総合すると、
と言わざるを得ないのではないか、と俺は思うわけだ。
ただここまで書いてきておいてなんだが、俺の意見というのは詰まるところ「自由恋愛の敗北者に救いを与えるのは如何なものか」という、弱者男性の表明する意見としては余りにもマゾヒスティックなものであるわけで、正直キーボードを打鍵するそばからメンタルがどんどん悪化していくのを感じている。
正直俺だって恋愛してぇよ。25歳素人童貞でも恋愛してぇよ。でも、同時に25歳素人童貞と恋愛する相手が俺にはどうしても俺の恋愛願望による犠牲者に思えてならないんだよ。
だったら俺は滅びゆくべきなんじゃねぇかってセルフネグレクトしてしまう俺がいるんだよ。どうしたらこの自由恋愛市場で俺たち弱者男性が他者を幸福にしつつ自身もまた幸福になる恋愛ができるんだよ。
誰かお願いだから俺たちを救ってくれ。
KKOとまではいきませんが、とっくに成人しているのにいまだ交際歴ゼロの人間ですから、恋愛弱者としては上等かと思います。
自分で言うのもなんですが、顔の造形の悪さには自信があります。
性格の悪さにも同様に自信がありますが、性格が悪いゆえに仕事をする上で取り繕える程度には困っていませんし
それも自称でしかないので、実態がどうなのか、それで生活が本当に上手くいってるのかはご想像におまかせします。
弱者男性に随分と憎しみを向けられていたようですが、真摯に文章を読ませていただきました。
読んでいるうちに、以下の2点が頭に浮かびました。
・「理解のある彼くん」をあげつらって批判していたのは弱者男性だけに限った話ではない
・そもそも「理解のある彼くん」持ちは非難されても仕方のないことをしでかしている
今回は「望むところだ」ということで、後者を重視して書いてみます。
あくまで、「理解のある彼くん」持ちとハンデを持つ女性は完全に同一では無いという見解であり、
以下はハンデを持つ女性全てを批判しているものではありません。
これから記載している内容に反論がありましたら遠慮なくご指摘ください。
「理解のある彼くん」は、何も最初から障害や病気のハンデを持つ女性を攻撃するために産み出された単語では有りません。
それは障害や病気のハンデを持ちながらもそれらに向き合いながら生きている、ということを綴った女性達のエッセイから概念が発見されました。
ネットで複数の作者の漫画の「理解のある彼くん」が登場するページを1枚にした風刺画像を見たことがあるでしょうか?
まるで判を押したように展開が同じなのです。
エッセイということは実体験でしょうから、細かいところは省いたりフェイクを挟んでいる可能性があるとは言えど大筋はノンフィクションでしょう。
「なんだかみんな展開が似たりよったりだぞ??」と気づかれだしました。
この指摘については、何も弱者男性だけから発信されたわけではありません。
女性作家から、カウンター的にエッセイ漫画で指摘されているものでもあります。
この指摘で耳が痛かったならば、弱者男性だけを敵視するのは誤りであると言えるでしょう。
あなたがたが敵に回す範囲、軽蔑すべき範囲は本来もっと広いはずです。
それをすることができない、いや認知しようとしないのは何故でしょうね。
全ての女性が「理解のある彼くん」を得られるとは思っていませんし、
「理解のある彼くん」を得ることが誰であっても簡単だとも思っていません。
すぐキレる、情緒不安定になり周囲に当たり散らす、それらが病気や障害によるもので苦しんでいる――――――。
いかにハンデを抱えて生活することが大変か、という点で綴られていましたが、
「自分」が大変である、という視点のみで描かれていることが多いという感想を持ちました。
綴られているケースのうち、同情すべきものももちろんありましたが、
いくつか幼稚過ぎて理解できない行動も含め、都合よく正当化されているように見えました。
(それだけ的確な判断力を持ち合わせられないぐらいに根深い病気である、というのを私が理解できなかったのかもしれません)
しかしながら、作者は過去のことを反芻しエッセイに仕立ててるうちに、再考して思うところがなかったのかなと考えています。
ウソを書けということでなく、ぼかすなり内省の補足をするなりあるはずです。
上記は私個人の感想ではありますが、エッセイ漫画を通して「女性はハンデ持ちでもイージー」というネット上の共通見解が得られたのは、
私と同じような感想を持った人が多かったのでしょう、と勝手に推察しております。
「理解のある彼くんがいるから」ではなく、「理解のある彼くんだって出来る上に、そもそもこんな認識で生きているから」と思っているのです。
「私が弱者男性故に対象が女性というだけで色眼鏡で見ている」、そう思われるかもしれませんが、
他で消化器系を長く患われている女性作家さんのエッセイではその苦労や辛さに深く同情し、何一つ批判的な感想を抱きませんでしたし、
精神を患われている女性作家さんでも「理解のある彼くん」に疑念を持っていた方のものは
特に前後でも病気を理由にした問題行動の正当化を感じる部分もありませんでしたので、
やっぱり「理解のある彼くん」の登場があるエッセイの作家さん達だけが悪目立ちしているように見えました。
本来、努力し、助け合い、思いやりを持ちつつも懸命に生きるハンデを持った女性たちという
決して揶揄や物笑いの種にすべき存在ではないものについて、これだけマイナスイメージを持たれてしまったのは、ここにあります。
ここでは「理解のある彼くん」に絞って女性の話をしていますが、
もちろん「甘ったれた男性」がいることも否定しませんし、弱者男性の中にそういった部類の人間がいることも承知しております。
ハンデを持った女性のリアルを理解する上で、当事者の知り合いがいるという人もなかなか少ないでしょうし、
そもそも当事者はむやみやたらに打ち明けることは無いでしょう。
自分の病気のことを顔を合わせる周囲の人間にベラベラ喋ることがありますか?
そんな「リアル」で認知されることが少ない状態では、ネットの発信力が強い現代において、
エッセイの「悪い意味で最もキャッチーな部分」によって認識を悪い方向に塗り替えられてしまった、というのが今の状況かと思います。
それでも、結果的に「女性はハンデ持ちでもイージー」という結論で
十把一絡げにして非難の対象になってしまった「まともにハンデと向き合っている女性」への誤った非難があったことは否定しません。
何故止めなかったのか、何故助けてあげなかったのか。何故咎めなかったのか。
でもそれは「過去に助けてくれなかったから、同じように助けなかった」ではないです。
そもそも、「弱者男性を助けなかった理由」でなく「〇〇を助けなかった理由」というべきでしょうか。
ですから、「弱者男性は精神障害者女性をサンドバッグにしてきた」という結論で
巷の弱者男性議論を見ていて思ったのだが、世間的にも世界的にも女性は一纏めに弱者だとされ男性は一纏めに強者だとされているせいで弱者男性(定義は置いておくとして)が声を上げにくくなっている事に原因があるのではないか。たとえば自殺や貧困のニュースで女性ばかりが取り上げられるという現象も「弱者なんだから可哀想」みたいなのがあるのではないか。そして女性の社会進出が進まない理由は「女は弱者なんだから引っ込んでろ」みたいなのがあるからでは?(一方で男性は「男なんだからキツくても耐えろ稼げ」となる)
よく「男性は下駄を履かされてる」なんていうけど、現代の若い男性は仕事が性別で有利になるなんて経験はあまり無いと思うんだよね。というか下駄=上の立場に任命される事だとしたら責任や仕事量も増えるんだけど、それ故に管理職とかリーダー系はやりたくないって男性は割と居る。でも誰かがやらないといけないんだけどね。
「男なんだからキツくても稼げ」みたいな男性の生きづらさは労働改革をすれば改善するのではという意見も出ると思うが、それは今よりサービスの質を下げざるを得ない(店が5時に閉まる社会)んだけどその不便性を受け入れれば実現できると思う。
あと上の方で弱者男性の定義は置いておくと言ったけど、どうも社会的/経済的な弱者と恋愛弱者が混同されてる印象がある。ただそれだと「経済的貧困だからモテない」「発達障害で仕事やコミュニケーションに支障が出るせいでモテない」は鶏と卵みたいでどちらに属するのかという問題があるが。
一連の議論を眺めていて、弱者男性の定義は不明なままだが、多分いかなる定義にも今の自分は当てはまってないと思う。一方、非モテ方面の議論であれば、かつての自分は非モテだったと思うし、おそらく弱者男性とされる者の一部の人が感じている生きづらさには共感できるであろう。これは、そんな人間の視点からの雑感と一連の議論にかこつけた自分語りである。
自分が非モテだという自覚が生まれたのは、小学校低学年の頃だったかな。その時、仲のいい男友達がいたのだが、ある日、放課後クラスの女子の家にその男友達を含む、今の言葉でいえば、スクールカースト上位の何人かで集まって遊ぶというイベントが発生していたらしいのである。当たり前のように私に声がかかることはなく、その後もそのような会合に呼ばれることは一度も無かった。男だけで遊ぶ場合には誘われるのだが、女子の家で集まるというところには明確な線引きがあったらしい。この時に、男子には女子の家にお呼ばれされるグループと、そうでないグループが存在し、どうやらそこには越えられない壁がありそうだと理解した。
これはまだ良くて、子供時代の非モテに最も残酷だと思ったイベントはバレンタインデーである。こんなこと学校で禁止しとけよ、と思うのだが(当時もオフィシャルには禁止されてたのかも)、女子が学校にチョコレートを持ち込み、ある種の男子に配るというアレだ。必ずしも意中の人だけに渡すわけではなく、何人かに配っていたようで、これも貰える男子とそうでないグループに分かれ、それは概ね固定されていたようだった。俺は一度ももらったことがなくて上記は伝聞情報ではあるのだが、その日は男女とも何か浮足だっているので、貰えないとわかっていても、毎年心のどこかで期待して、ガッカリしながら下校するという経験が毎年積み重なった。これは子供心に自分が非モテ=低価値であるという劣等感を植え付けるのに十分な出来事であった。この劣等感は種々の経験に伴ってさらに強固に積み上げられていった。種々の経験というのは、彼女いないのか、結婚しないのかという質問だったり、飲み会でのみんなの恋バナだったり、童貞をネタにされることだったり、まあ良くあるやつだ。
こういう劣等感を子供時代からの成長過程で強烈に植え付けられてしまうと、これをどれだけ理性で抑えようとしてもどうにもならなかった。昨今のモテないことは人間として価値が低いことを意味しないだとか、男性も男らしさから降りて良いんだという言説は、将来自分のような者を産み出さないために重要で盛り上げていかなければならないと思う。しかし、今現在かような劣等感や生きづらさを抱えている人にはもう遅すぎたとも思う。上記のような言葉では、そういったいわゆる男性弱者を救うことは難しいだろう。
自分が子供時代からの呪いから解き放たれたのは、身も蓋もない話だが、女性と付き合うことになった時だった。あの瞬間自分の心の中のもやもやがスッと晴れたように感じたのを鮮明に覚えている。人生で唯一遊びに誘った女性と結婚にまで至った。今でも自分はこの人以外の誰ともここまでの関係性を構築出来たとは思えず、こればかりは運が良かったとしか言えない。しかし呪いが解けたと言っても、これまでに構築された規範から自由になったという意味ではなかった。子供のころから積み上げられた、恋愛に価値を見いだす、そういう価値観はむしろこの頃にはさらに増強され、多分もう自分の頭から消すことはできないのだろうという思いがある。
自分が結局女性と付き合い始める以外でかつて感じていた生きづらさから逃れることができたのかと考えると、それは難しかったように思う。今更断っておくが、これは全部主観の話であって、他の人はそうでないことも往々にしてあるだろう。しかしまた、私と同じような思いの者だってそれなりにいるのでは、と思う。男友達は割と多い方だったと思うし、親友のような存在もいた。ある時はその友達の彼女から、増田くんの方が彼の彼女みたいだよね、などとも言われ、まんざらでもない気分だったが、それで女性からモテない自分の無能感が消えることは無かった。小学生の経験以降、自分にはモテない自分は何か欠陥を抱えている不完全な人間なのだという気持ちが常にあった。
だが、昨今語られているような、あてがえ論など自分たちの様な者を救うとは全く思わないのだし、そもそも自分に欠陥があると感じているので、それを社会や、ましてや女性から救ってもらおうなどと考えたことがなかった。むしろ誰にも我々は救えないのだ、くらいのことを思っていた。生きづらさのピークを迎えていたかつての自分が、一連の議論を見て、何か思うことがあるとしたら、うるせえ放っとけよくらいだ。男性の中にも弱者がおり、それを救うための前向きな議論は大いに進めていくべきだと思うが、今のはてなでの議論はどうだろうか? みんなはてブや増田で何か言葉を発してるやつだけが当事者だとでも思っているのか。議論に参加していないROM専にどういう属性の人がいて、彼彼女らがどういう思いでその言葉を受け取るのかとか考えているのだろうか。ムカつくやつがどこの陣営にもいて、そいつらをやっつけたい気持ちはわかるのだが、そのために生きづらさを抱えている人間を巻き込んで属性でまとめて攻めるのはやめてほしい。みんな強い言葉を使いすぎているし、この議論の中では今の自分にも刺さるようなコメントが多数あった。かつてストロングゼロを常飲してやさぐれていた自分だったら発狂して、自分自身も誰かを叩きにいったのかもしれない。何も発言していないような人間にも刺さるような属性攻撃はやめません?
長くなったし、結論も話の筋も無い駄文になってしまったが、我慢出来ずに書いてしまった。
ここでいう弱者男性とは、恋愛における弱者である。経済的・肉体的弱者を指さない。
人間の不可解・非合理的な行動を理解するには、進化の過程から紐解く必要がある。
全体としての傾向の話をしている時に「私は違う」という例外を持ち出されると議論が進まない。
サルとは、ヒトを除いたサル目のことであり、生物学的にいえば、ヒトはサルの一種である。
諸兄は既に、サピエンス全史(上・下)をお読み頂いているはずなので、詳述は省くが、我々の本能は400万年前から10万年前までの間に形成されている。
法という考え方が生まれたのが4000年ほど前だが、呪術で物事を決める習わしは、2000年ほど前まで続いている。
産業革命が200年前。ホワイトカラーが単なるオフィスワーカーとなって50年ほどだ。
しかしホモ・サピエンスの本能は、10万年前から基本的に変わっていない。
男は、セックスがしたいので女に給餌した。
女は、よく給餌してくれるオスに、見返りとしてセックスを提供した。
自分で餌を確保するメスより、オスに貢がせるメスの方が生き残り、子孫を増やした。
これは、あなた方が選択したのではなく、その選択をした個体の子孫が生き残ったという話だ。
400万年の淘汰の結果、我々の本能は、そのような男女関係に最適化されている。
男は本能としてセックスがしたい。なぜなら、セックスに興味のない個体の子孫は残らないからだ。
ホモ属のメスが、より安定的に繁殖を行うのに最適と判断するオスは、基本的に屈強なオスだ。
餌の確保とは、狩猟に依らない。
自分よりも劣ったオスが集めた餌を強奪する方が、より労力がかからないからだ。
法や治安が誕生する前に、暴力的に強いオスに、性的な魅力を感じるメスの子孫が残った。
不良やヤンキーやオラオラ系ホストがモテるのは、これが遠因である。
だから女は本能的に、格下の男に性欲を感じない。生殖をしたいとは思わない。それは本能だから。
弱者男性が、性的に女性から相手にされないのは、生物学的に当たり前なのである。
選択肢は二つに一つしかない。1. 強くなるか、2. 諦める。
この第三の選択により、本来は生き残らなかったはずの、恋愛弱者男性の遺伝子も残ってしまった。(恋愛弱者女性も含む)
それが皆さんである。
現代に住む我々は、個々人の選択によって男女関係を作ったのではなく、400万年かけて現在の男女関係(本能)を作った種の末裔なのである。