2024-06-27

   定義ではない。定理定義は、現代数学では、Difinitionとあえて言われているが、最終的には、定理である定理とは要するにそういう定めであり、ものである自然科学では、

   定理発見されるべき命題であって、その証明も、発見されるべきテクニックであるとされるが、証明は、普通、強くやれば、なんとかできるものである。強くやればというと語弊があるが、

   パスカル定理のように、出て来る位置証明して、これが出て来ると、それで落ちる問題もある。これと同じ論理からして、当然で当たり前のことを強く何度も言っても説得されない奴は

   手に負えない。何でこれに興味があるか?むろん、数学はその結論が完全であるというと妙に気負った感じがあって嫌な感じがするが、そういう問題があるのかと思うと非常に面白い

   しかも、その問題は、テクニックによって説明しなければいけない。完全で美しい命題を、教科書に書いている様々な原理テクニック証明完了したときはうれしいという他がない。

   という意味でやはりものである最近社会では、近代社会など出来上がっていて滑稽なものであり、ゴミであり捨てる、という人が多い。しかし、テレビゲームと同じで、完全で美しい定理

   発見し、その証明テクニック発見して証明ができるという話であって、なぜテレビゲームと同じような風に考えたらいけないのかが理解不能である。かの縣人は、平成元年から現在のような

   エロ本は机の一番下に持っていたが、ドラクエは、1,2,3,4はしっかりやっていたことを見たということだ。

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