はてなキーワード: ブランコとは
息子が年中さんで保育園行ってるんだが、最近の保育園ってのはオドロクベキことに勉強をするんだな。
具体的には小学1年生のドリルをやってる。いや、より正確に言うならもう終わっている。今は復習している。
ひらがなカタカナはもちろん、小1の漢字は完璧。小2レベルの漢字は年長さんに教えてもらって覚えてるところ。
足し算引き算は二桁が結構できる。繰り上がり、繰り下がりがあってもできる。
負の数を何故か知っている。何でだよ。
ついでも字もまあまあ上手。俺はミミズ字。
別に勉強ばっかりやってるわけじゃなく、午前の30分、午後の30分くらいがドリルの時間なんだそうだ。
しかも俺の息子超天才!!でもなくて、他の子も同程度かそれ以上にできるらしい。
はーーーー。
俺の保育園時代っていうと、ブランコの後ろのイチジクの実を勝手にもいで食べたとか、丸太渡りにぶら下がってたら反転して地面に頭ぶつけたとか、足の親指舐めて塩分摂取とか、しょうもないことしかやってなかったと思う。
あと年長になっても昼寝してた。今は年長は昼寝しないのな。
8月の終わりが近づくたびに思い出すことがある
8月31日の朝、ラジオ体操が終わった後に近所の団地の公園に行くとあの子がいる
普段は話すことも遊ぶこともないけど、いつの頃からか8月31日だけは朝から日が沈むまで二人で遊んだ
近所の駄菓子屋に行ったり、公園の生ぬるい水道で足を冷やしたり、別の公園の滑り台を滑ったりしているうちに
さっきまでは焦がすほど熱かった風が涼しくなり、公園の灯がともり始めるころには、団地の公園に夕餉の匂いが漂い始める
二人で並んでブランコに座って、何を話すでもなく、ただゆっくりと揺れるブランコの上で8月31日が終わることを惜しむ
あの子がブランコを降り前に立ち、黒目がちの笑顔で「じゃあね」と言う
続いてブランコを降りながら「うん、またね」と小さく応える
走って帰って行くあの子の背中を見ながら、また来年かなと帰路についた
次の日、2学期が始まった学校へ行き、廊下の突き当たりにあるあの子のクラスの前を不自然に行き来する
覗き見た教室に姿を見つけられず、どうやら今日はいないようだと戻る廊下で「えみちゃん引っ越したんだってね」と話す声が聞こえた
直感的にあの子だと気づき、初めて知った名前のあの子が引っ越したことを知る
どこへ引っ越したのかも、そもそも団地の子だったのかも知らないが、もう会えないと思うと悲しくなった
けろけろけろっぴの便箋には、引っ越しの日、最後にどうしても遊びたかったと書いてあった
出発を夜にして欲しいとおかあさんに頼んで、友達の見送りもないまま長野へ出発したそうだった
知らない土地から届いた手紙には期待したような言葉はなく、なんて返事を書けばいいのかわからないまま、机の小さな引き出しに忍ばせていたその手紙もどこかへ行ってしまった
なんか痛いときもあるけど、どちらかというと来てることを忘れてナプキンを持っておらず焦ることの方が多い。
初潮も人よりかなり遅かったし、今のところはそういう人間らしい。
生理はこんなに辛い、理解のない生理軽い奴と男はクソという投稿で溢れていて
それはそうなんだろうと思ったが、どれだけ殺意を向けられようが理解できないもんはできない。ないんだから。
他人の痛みは想像してはならない。しかし理解不能なものとして突き放してもならない。
マイノリティに対してマジョリティは、常にその間を揺れ動き続けることを求められてきた。
人類のほとんどはヘーゲルではないので弁証法に熟達しておらず、
大抵の人間にとってそれはブランコに乗り続けるように退屈で行き場のない行為だ。
多くのマジョリティが極論に走ったり目を背けたりするのもそれが原因だろう。人生、他人のためにブランコを漕ぎ続けられるほど長くはない。
生理が重い女性たち、それが原因で人生が上手くいかず苦しむ女性たちの投稿を眺めながら
私は疎外感とわずかな羨望を覚えている。「女」を生きられていいですね。
私はブスだ。おっさんや美人に「ブスも個性」と言われたら多分口から毒ガスを吐こうとして
そのような超自然的な力がないことに気付き口を大きく開けたまま曖昧な笑みを浮かべてその場を去るだろう。
だから「生理も個性」が許しがたいのであろうことも類推はできるのだ。
だが理解はできない。だって「ブス」と「生理」のあいだには大きな隔たりがある。
「女であること」は連帯できるが、「女でないこと」は連帯できない。
(いや真面目な人が出てきたら「ルッキズムに縛られている」とか「女性を美醜で判断することは」云々とかいうかもしれないが、
私には男女を超えて自分のチー牛顔面は凡愚という概念の具現化にしか見えない。
見た目は化粧と努力でどうにかなるという人はあのチー牛のイラストのどの辺をどう弄れば美人になるのかイラストを掲載して教えてほしい)
「女であること」を中心に凝集しようとする動きは常にあるし最近も目立つが、うるせえなみんな失せろと思う。
そこに自分の女らしさをどこにも見つけられない、しかし女であることに憧れ続ける人間の居場所はない。
生理が軽い奴は重い奴を生きづらくするな、黙っていろと言われるとその通りですねと思うけれど、
そういう主張を目にするたび、私は自分を女として主張する権利「参性権」がないのだ、というルサンチマンが溜まっていっていることは吐き出したいのだ。
マイノリティでなければ発言してはならない。マイノリティの痛みをかすめ取ってはならない。
それはブスというマイノリティの身分からしてはその通りだ。しかし今、女性のマイノリティ性に憧れる人間として見れば、
「お前は永遠に我々に同化してはならない」という呪いである。女性であるためには烙印を背負わなければならず、烙印を持てなかった人間はさりとて男でもなく永遠に口をふさがれ続けなければならない。何も得していない。
じゃあ生理痛よ来い、って思うべきなんだろうか。いやそれは嫌だわ。痛いの嫌いだし。生理痛が軽かったおかげで割と人生上手くいってきたのは否めないし。
丸い感じの一般論にまとめれば、烙印を中心に凝集するありかたは別のマイノリティを生むのだ、という当たり前のことだ。
まあただ、結局誰の胸にもルサンチマンはあり、誰もが何かしらのマイノリティであり
他人のためにブランコを漕ぎ続けられない以上、この世界はこのままなのだろう。というかこのままであってほしいと思う。
生きているうちに女性の権利、あるいは男性でも女性でもない人の権利、などなどはどんどん向上していくだろうが、
「女性」「男性」「トランス」などというカテゴリが消滅し、人間が人間になる世界はたぶんまだ来ない。多分今後十年の動きは逆だと思う。
十年間、私は言葉を奪われたチー牛または凡愚以外の何物でもない奴として勝手に揺れるブランコを眺め続けるだろう。
あるいは宇宙人がやってきて全人類をひとしなみに一瞬のうちに肉塊に変え、
その知能を統合して巨大データベースに変え、宙の彼方に持ち帰る未来があれば話は別かもしれない。
我々には個というものがなくなるが、しかし分解された個々の思い出や要素が個として独立し、ネットワークの間を自由に交歓するのだ。
そうすれば私のルサンチマンもいつか他者の痛みと溶け合い一つになるだろう。
あたかも七十数億人が身体を引き裂かれる生理痛と共に、一斉に月経を迎えた光景のように見えるだろう。
ああ、つまらない。
久々にファミレスに行ったんだけど、斜向かいの家族連れが大変に賑やかで、どうやら小さい女の子が苦手な食べ物を完食した?かなにかを全力で誉めていたらしく、えらいよ!すごい!頑張った!等。
お誕生日会かなと思うレベルの声の大きさだったので若干喧しいなと大人気ないことを思いながら聞いていたら、その女の子が、「そしたらね、ブランコのっていい?」と一言。
あんなに誉められて、おねだりが許されるかなと思って尋ねるのがそんな些細なことで、でも叶ってないんだなというのが静まり返った一瞬でわかってしまって、なんとも言えない気持ちだった。という、どこかに吐き出したかった話。
親はもうしばらくはダメだってなんとか伝えようとしてた。ブランコがぐるぐる巻かれて短くなってて危ない、とかね。てかその遊び方今の子でもやるんだなと思ったり。ブランコ、いつ遊べるようになるんだろうな。
俺はどうやら転校してきたようで、何故が授業の間の休み時間に自己紹介する事になった。体育教師らしき担任に「壇上に上がって自己紹介してくれ」と言われた。俺は言われた通りに、黒板前の教壇に上がり、謎かその上にあるキャスター付きの椅子の上に立ち上がった。脚がグラつく。「おうおうおうおう」と言いながら担任が横から支えてくれた。
「私は転校してきた!」何故かそう叫びながら目の前にあるテーブルを両手で思いっきり叩く。休み時間で賑わっていた教室が一気に静かになった。クラスメイトの数人が「なんか面白そう……」と呟き出す。しかし、俺は「えー……」「あー……」「私は……」と、そこから先を喋れないでいる。段々と教室内の雰囲気が嘲笑的になってくるのを感じ取る。また教室が休み時間のように賑わい出す。
場面は切り替わり、俺は何故か窓際の席でブランコを漕ぎながら、「あー……」「えー……」を繰り返し自己紹介をしている。言葉が出てこない。教室は何事も無かったこと様に、休み時間が続いている。
また場面が切り替わり、授業が終わり皆帰りだした。俺は自己紹介はしていなくて、普通に椅子に座っていた。俺もその流れで帰ろうとすると、クラスメイトの細くて目の大きい生徒と、背が低くて眼鏡をかけた童顔だがヒゲの濃い生徒の2人が俺の机と、他の生徒の机を漁っていることに気づく。そのうちの一人が「念の為ね」と笑いながらもう1人に言う。財布の置き忘れを漁ってることを察した俺は、まだ多くの生徒が残っているにも関わらず、細い方の生徒の首を掴み、黒板に叩きつける。「お前人の机で何してんだよクズ」と喉を締めあげながら尋ねる。嘲笑的な笑みを浮かべて「確認してただけだよ」と応える。眼鏡の方は焦ったように困ったように周りをキョロキョロしだす。俺は「おめえにも言ってんだよクズ」と眼鏡の頭を引っ叩く。そうすると眼鏡は「それがお前のやり方か!!!」と叫び出す。「そうやって俺たちの財布カツアゲするんだろ!」どうやら、クラスメイト達の前で恥をかかされたことを逆手にとって俺をカツアゲに仕立てあげたいらしい。盗人猛々しいとはこの事だ。怒りで頭に血が上った俺は何かを怒鳴ったが、夢の中でも聞こえた俺の「オ゛ォ゛」みたいなうめき声に気づき目を覚ました。
この夢は、学生時代上手く喋れなくて、その上うまく喋れる連中に容姿を馬鹿にされ続けて、恥の意識だけが肥大化していった俺が作り出した夢だと起きて5分ぐらいで察した。学生時代の嫌な思い出がたくさん甦ってきた。優しい人が多い職場で優しい人達に囲まれて、薄情な、攻撃的な、そういう嫌な人間が沢山いた事を忘れかけてた俺にそれを思い出させてくれる、本当に嫌な夢だった。学生時代の嫌な記憶が、たくさん甦ってきた。
俺は今から学生時代に戻れたら、あいつらと向かい合って行けるんだろうか。正直、自信が無い。教室にも居たくないだろうな。息が詰まりそうだ。
今住んでいるところには海も丘もあります。
私が子供の頃住んでいた場所には、そのどちらもありませんでした。
悲しいときに砂浜にしゃがみこんでじっとしていると、いつの間にか凪いだ気持ちになります。むしゃくしゃしているときに丘に登って街を見下ろすと、胸がすく思いがします。今はそうやって心を落ち着かせることができるのですが、昔このような環境を享受できていればどんなに良かったかと思わずにはいられません。
私の故郷の町は平べったくて、田んぼがどこまでもどこまでも続いていて、海ははるか遠く、電車に乗って数時間かかるところにありました。案内板を見ても、図書館で詳しい地図を調べてみても、この町には目立った起伏はないようでした。
犬を飼いたかったのですがそれは叶わなかったので、隣の家の犬とこっそり仲良くしていたら、その家のおじさんのご厚意で自由に散歩させてもらえることになり、起伏を探すための現地調査によく連れ立って出かけたものでした。しかし、長い時間をかけて町を隅から隅まで歩いて調べても、やはり小高い場所は存在しないようでした。
今ではそんなことをしなくても、グーグルマップを使えば半日もかからず調べ終わってしまいます。そのくらい小さな町です。今調べても、ほとんど起伏は認められません。
なぜ、地図にないとわかっているのにわざわざ歩いて探していたのか疑問に思う人もいるかもしれません。私が執念深く町を歩き回って高い場所を探すようになったのは、ある出来事がきっかけになっています。もちろん、高いところから自分が住んでいる町を見下ろしてみたいという願望は物心ついた頃からずっと持っていたのですが。
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犬のことや、高い場所を探し回ったことはよくおぼえているのですが、その他のことはほとんどぼんやりしていて断片的にしか思い出せないのです。
だから、具体的にその女の子がいつ転校してきて、どのくらいこの町に住んでいたのかはよくわかりません。ただ、クラスメイトがランドセルを背負っていたような気がするので、おそらく小学生の頃だったのだと思います。
その女の子をAと呼ぶことにします。Aのお父さんはトウモロコシの研究をしていて、私の町にはトウモロコシの国立研究所の一拠点があったらしく、それで一家で引っ越してきたようでした。
私は幼い頃誰かと遊んだり、仲良くさせてもらったことはなかったように思います。
だから、どういう展開でAの家に遊びにいくことになったのかよくわかりません。Aは新参者でこの町のことをよく知らなかったので、ある意味暗黙の了解のようなものを認識しておらず、それで私のことも誘ってくれたのかもしれません。あるいは、Aが他のクラスメイトを誘い次いで私にも声をかけてくれたとき、その場には新卒の若い担任の先生が居合わせていて、クラスメイトの多くはその先生に好かれたがっていたので、何となくそのままの流れでAの家に向かうことになったのかもしれません。
先ほども書いたように、子供の頃の記憶はじつに曖昧なのですが、その日のことは犬との思い出と同じくらい今でもくっきりと残っています。
Aの家は学校からかなり離れたところにあるようで、自転車に乗って登校することを許可されていました。私の住む家がある地域を越えて、線路を越えて、さらにどんどん歩いていって、… そうしているうちに少しずつ夕暮れの気配が近づいてきました。
クラスメイト達は最初の方こそお喋りに花を咲かせていましたが、歩き疲れたせいか徐々に口数が少なくなってきました。ずっと喋っているのはAだけで、家に友達を呼ぶのが初めてではしゃいでいるようでした。私はAの隣を歩いていたので黙っている訳にもいかず、ただひたすら相槌をうっていました。辺りはすっかり薄闇に包まれていて、お喋りをするAの大きな口だけが際立って見えました。
ふいにAが立ち止まり、この坂を登ったら私の家だよと言いました。
私たちの目の前には急勾配の広い道がまっすぐ伸びていて、Aが指差すその先は暗くて目を凝らしてもよく見えませんでした。こんな場所がこの町にあったのだなと私は思いました。ここまで来るのにかなりの距離を歩いてきたようでふくらはぎが痛かったのですが、ともかく登らなければAの家に着かないので、私たちは坂を登り始めました。
Aは学校を出発してからずっと自転車を押してきて疲れているだろうと考えて、私がAの家まで自転車を押して歩くことにしました。ただの親切心というよりは、ここまでの道のりでAは私にたくさん話しかけてくれたので、そのお返しのつもりでした。
恐ろしく急な坂でした。
急な坂がやたら多いNという街がありますが、そこと同じくらい険しかったように思えます。自転車を押していると何度も後ろにひっくり返りそうになり、しょっちゅう立ち止まらなくてはいけませんでした。後に、授業中三角定規を使っていて、あの坂は60°くらいはあったなと思ってしまったほどです。
Aの家に漸く辿り着いた時にはもう日が暮れていました。いつの間にか他のクラスメイトはいなくなっていました。坂があまりにきつかったので途中で帰ったのだろうと思いました。
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坂の上にはAの家だけがありました。
Aの家は平屋で、縁側がついていました。縁側の先には広い庭があり、両腕を広げた大きな木にブランコとハンモックがぶら下がっていました。私はすぐにでもブランコやハンモックに乗ってみたかったのですが、いきなりそれで遊ぼうとするのはお行儀が悪いだろうと思ったので黙っていました。Aは、お母さんが晩御飯を作って待っているから、食べ終わったら一緒に遊ぼうとにっこり笑って言いました。私は心の中を見透かされたようで少し恥ずかしくなりました。
Aの家族は私を暖かく迎えてくれました。
Aのお母さんはAとよく似ていて口が大きく、笑うと顔のほとんどが口であるかのような印象を受けました。テーブルにはお母さんの作った料理が湯気を立ててずらりと並び、張り切って作ったのと笑いました。トウモロコシの研究をしているというAのお父さんも食卓についていました。
オレンジ色の電燈の下で、Aとその両親と色々な話をしながら、Aのお母さんが作ってくれた晩御飯を食べました。私もAも半袖を着ていたのでおそらくそのときの季節は夏だったと思うのですが、私の町では夏でも夕方になるとひんやりとしてくるので、温かい食事は沁み入るように美味しかったことを覚えています。
こうやって談笑しながらみんなで食事をとるのは初めてでした。普段は話そうとすると喉がつっかえたようになってしまうのに、そのときはすらすらと言葉が出てきました。ハンモックとブランコのことを聞くと、ここは借家で、ハンモックとブランコは前の住人が残してくれたのだとAのお父さんが教えてくれました。
ブランコもハンモックも私とAが二人で乗れるくらい巨大でした。
ハンモックはバランスを取って乗らないとすぐに転げ落ちてしまうことを初めて知りました。何度も転げ落ちてしまうので笑いが止まりませんでした。仰向けに横たわって見上げると、いつもは見えない暗い星まで見ることができたので、ここらあたりには街灯が少ないのかもしれないと考えました。
あまりに楽しかったので、この時間がずっと続けばいいと思いました。こんなに夜遅くまで人の家にお邪魔したので、きっと母は機嫌を悪くして私をひどく叱りつけるだろうということは容易に想像がつきました。それでもやはり帰る時間はやってきて、また来てねとAとお母さんとお父さんに玄関口で見送られて、Aの家を後にしました。
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その後のことはあまりよく覚えていません。
Aのお父さんは別の拠点に行かなければいけなくなって、Aはすぐにまたどこかの町に転校していきました。私は犬と一緒にAの家があった場所を探すようになりましたが、とうとう見つかりませんでした。それから何年も経って私も町を出て、今は海も丘もある街で暮らしています。
私には恋人がいて、その人はずっとこの街で暮らしています。ある日、海も丘もあるところで生まれ育ったことを羨んだら、そうですかね?と言いつつも誇らしげでした。
恋人は街のことを隅から隅まで知っていて、美味しい料理を出す店や景色が良いところへよく連れていってくれます。無口な人ですが、そうした場所にまつわる思い出について尋ねると、比較的饒舌に、嬉しそうに話してくれます。私の隣でぽつぽつと語る横顔をこっそりと眺めながら、恋人がそのような良い環境の中で子供時代を過ごしていたことにいつも安堵するのでした。私の住んでいた町ですか?いきなり聞かれたのでびっくりしてしまいました。特に何もない平べったいただの田舎町で、冬にはたくさん雪が降ります。ここはとても素敵ですよね。海と山が近いなんてなかなかありません。食べ物も美味しいし。そんな風にして、いつも話題をこの街のことに戻すのでした。
隣の犬もずっと昔に死んでしまったので、帰る理由がなくなってしまいました。でも、結局Aの家を見つけられなかったことだけが心残りです。
町の人は、ここには見てわかるように丘なんてないし、線路の向こうにはそもそも家がないと言っていました。トウモロコシの研究をしているお父さんを持つAという子は確かに一時期この町に滞在していたけれど、遊びに行ったというのは君の夢か空想なのではないのかい?そう言って、人々はAの家を探すことに何年もずっと執着している私を気味悪がっているようでした。そう言われると、そうなのかもしれないと思います。
でも、Aの家まで自転車を押して坂を登ったときのふくらはぎの痛みや、Aのお母さんが何度もすすめてくれた不思議な味のする温かいスープが喉を伝う感覚や、ハンモックにうまくバランスをとって横たわることができたときの浮遊感と体に網目が少し食い込む感触は私の体にまだ残っていて、それらはリアリティをもって私をあの日に引き戻してくれるのです。
いつか自分たちの家を建てることになったら、それは坂を登ったところにあったらいいなと思います。庭もあったらいい。そこには両腕を広げた大きな木があったらもっといい。そうしたら、その木に大きなブランコとハンモックをぶら下げて、私の子供が淋しそうにしている友達を連れてきたら、温かい食事をご馳走したいなと思うのです。
こんな御時世ですからね
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。
ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
前半、一般人が適当理論捏ねてるだけなので、方法だけ見たい人は飛ばしてください。なんでこの方法が集中する方法として挙げられているかわからない場合は読んでもらえると嬉しいです。
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いろいろ考えたんだけど、集中している状態というのは頭の中でその作業が最も刺激的である状態だと思うんだよね。
めちゃくちゃお腹痛い時ってお腹痛いことしか考えられないじゃん? これだと腹痛という刺激に集中してしまっている。けどそこで何か音楽を聴くとか別のことを考えるとかして、刺激を分散すると、少し楽になったりする。相対的な刺激の程度を下げることができてると言えない?
逆に集中できない状態というのは、いろいろな刺激が並立的に入ってきている状態だと言える。
で、刺激というものには、いわゆる五感で受けるものがある。これを受け取る感覚器は年中無休24時間営業で働いている。そうしないと危険が身に迫った時対処できないからね。
けど集中するにはぶっちゃけ邪魔。これをいかに鈍くするかということがポイント。みんながコンビニ本社だとして、客が入ってくるたびに「お客さんですー!」って各店舗から報告されたらうざいだろ? それくらいはあー来てるなあで受け流してくれればいい。報告するのは強盗くらいで良い。
コンビニの例えを続けるなら、報告が来ない間、みんなは特定の店の経営戦略会議(やりたいこと)を続けることができる。報告が来れば中断。そして感覚器というコンビニは来店が少なすぎると店の前を通った人さえ報告してくるクソまじめなやつら。
つまり集中するためには、このコンビニからの報告をある程度コントロールすることが大事なんだよ。
一つ目は、欲しい一部の情報以外拒否するというやり方。すごく集中している時は限りなくこれに近いんだと思う。ただ、万引きとか強盗とか、クリティカルな情報も届かなくなってしまう危険性があるので、意識的にやるのは難しい。
だから集中するのは難しいんだろうね。生き物として危険だから。
二つ目は、コンビニを無害な客でそこそこ忙しくさせることだ。低い刺激を与え続けることで、客は来てるけど報告するほどではないな〜という状態を作り出す。ペットボトル一本とおにぎり買うくらいの客がずっと来ている、暇ではないが大変ではない状態にするのだ。
いわゆる、音楽を聴くと集中できる、いや洋楽だ、いや歌詞なしが良いというような話のことだね。
三つ目は、店員を疲れさせる方法だ。客が来ようが来まいが、気づかなければ報告できない。
ちょっと疲れてる時の方が集中できる、ちょっと酒飲むといいみたいなアイデアのこと。
個別の方法はもう発想の領域だし、採用できるときとできないときがあるし、個体差で向き不向きあるので、いろいろ試すうちに良い方法を見つけてください。
過度な空腹ではないかつそこそこ疲れている状態を作るのは難しい。個人的には2時間とか歩かないとダメだと思う。しかもあんまりやると眠い。
②運動しながら
動画や暗記系の勉強なら可能な方法。踏み台昇降がおすすめ。その場足踏みもいいけど大体だるくなってしまう。
③編み物
同じく動画や暗記なら可能。手先が器用じゃないと厳しいし頭のリソースもわりと持っていかれるが、下のおもちゃより飽きにくい。棒針は抜けやすいのでかぎ針の方がいい。(逆に編み物に集中できない時に動画流すのも可)
④おもちゃ系
雑なくくりだが、主にフィジットキューブをイメージしている。あと無限プチプチ、何もなければ折り紙でも可。足元にボールを置いて転がしたりするのも効果ある。
⑤電車に乗る
適度な揺れと無意味な騒音が読書に最適。車内がうるさいとか座れないとかだとよろしくないので空いてる時に。大回りで房総半島一周とかおすすめ。酔い止めは欲しい。
これは試したことないんだけど、電車が良いならこの辺りも良い気はしている。子どもに迷惑でなければブランコもアリか。
⑦何か食べる
程々にしないと太る。飴ならこの飴舐め終わるまでは頑張るとか決めれて良い。
⑧音を聞く
ベタベタメソッドだけど、好きな曲・洋楽・イージーリスニング・環境音・アルファ波・ホワイトノイズなど刺激の程度に幅を持たせるのが簡単なのが良い
⑨酒を飲む
量の調整が難しいけど、酒でちょっとぼんやりしながら読書するのは気持ちいい。タバコは吸わんのでわからないけど、シーシャ屋で読書する人もいるらしいし、わりと楽しくはあると思う。未成年はダメだよ。
こんなもんか。
五感で言うと嗅覚に関するものは出なかったけど、嗅覚は難しいなと思います。アロマで〜みたいなのもあるけど、あれはどちらかと言えば環境変えてスイッチ入れるタイプのtipsかなと。
視覚も出てないけど視覚は概ねメイン作業に利用されてると思うので外した。視覚聴覚触覚が日常三大働いてる感覚器だと思うので、特に触覚と聴覚のコントロールが大事だと思う。
ちょっと話が変わるけど、どうしても心の中に何かモヤモヤがあるとき、不安なときは編み物とかペンシルパズルとかテトリスとか写経とかすると気が紛れることが多いよ。若干頭を使うくらいがちょうど良い。
言われてないのが完成するブランコ
これ
説得力のある文章構成にまんまと騙されて、私もMV見て泣いちゃいましたけど、冷静になってほんまかいなと思って軽く調べたんです。
"大人になった僕が、幼少期に出会った「風の子」との思い出を回想するストーリー"
これが公式発表だった。
さらに調べると、元々このMVは長崎原爆投下日に発表されたもんで、
風の子がブランコから飛び降りるシーンが、鶴を背景に原爆の子の像と同じポーズだったりで、
それから、米津氏はパプリカのことについてインタビューで何度か話しているが、それっぽいことは一切言ってない。
この辺り調べて思ったのは、