はてなキーワード: インターネットとは
まだサイト名がDMMの頃から、今に至るまで多くの作品を購入してきました。私は抜きどころを見つけて同じシーンで何回もヌくタイプなので高画質ビデオを購入します。最近だと4K作品しか購入しません。とくに乳首のキレイな巨乳が好きで、私のコレクションは乳首のキレイな巨乳で溢れかえっております。途中、VRに出会ったことで臨場感あふれる巨乳を堪能しましたが、やはりVRは頭への負担と、致しているときにヘッドセットが揺れるため映像が乱れること、画質の荒さ、なにより致している姿を家族に見られるリスクが高すぎることから2Dに戻しました。8KVRも試しましたが、やはり2D4Kにはかないません。
時にはオムニバスを購入し、名前の知らないキレイな巨乳をもつ女優に出会うこともありました。一期一会の関係性ですが、他のオムニバス作品でで会った時は、昔共に致した女性に出会うような、なんとも言えないけど甘酸っぱい気持ちになることもいい思い出です。
アジアの巨乳は有限世界遺産です。人生における1番その乳がキレイな瞬間、そしてそれを記録しているAVには感謝しかありません。世界遺産に認定して欲しい巨乳がいくつかありますが、女優名を出すのはお目汚しになるので致しません。みなさんにも最高の巨乳が見つかることを祈っております。
数えたところ100作品は購入していたので、AVに使ったお金は20万円を超えています。大切な資産であり、今度も共に人生を歩もうと思っておりましたが、この度FANZAアカウントを閉鎖することにしました。
理由はいくつかありますが、大きな二つの理由を増田のみなさんにも共有させていただき、共感をいただけると幸いです。
一つは我が父が初期痴呆になったこと。インターネット黎明期から、西暦でいうと1994年ごろからネットにダイヤルアップで接続するようなPC好きの彼が、今はyahooのアカウントにログインできまさん。SMSを利用したパスワード再発行もできなくなりました。今のクラウド全盛期はPCのログインとSMS受信のできる環境であればサイトへのログインなど家族が簡単にできます。つまり、家族へのアカウント情報漏洩など容易い時代であり、私はこれから父のアカウント削除などをyahooメールに届くお知らせやメルマガから行わなければなりません。その過程でどのようなサービスに入っているか認知していくことになるでしょう。
もうひとつは息子が少しずつ女性に興味を持ち始める年齢になったこと。一つ目の理由の通り、デジタルネイティブ世代は私のアカウントにアクセスすることなど容易なはずです。近い将来私のFANZAアカウントにアクセスすることは間違いないでしょう。彼に性癖がバレることは避けたい。いい父でありたいのです。
私も初老です。物忘れが少しずつ始まっている自覚もありデジタル関連の就活を少しずつはじめないと趣味嗜好を露呈することになると思うと実利よりも羞恥心が勝ります。
私のFANZAの巨乳コレクションはこれにてクローズとなりますが、お世話になった女優の皆様には敬意をもち、今までありがとうございましたと伝えたいと思います。
あなたが共有してくれた文章について、いくつかの視点から考えてみましょう。
まず、インターネット上での行動は、実生活とは異なる場合があります。一部の人々は、オンラインで異なるパーソナリティを表現することを選びます。そのため、フェミニストとして振る舞いながらも、18禁イラストを要望するという行動は、その人が自分自身の異なる側面を表現している可能性があります。
次に、「フェミニスト面してミソウヨか!」や「エロ絵好きのくせに、フェミニストの仲間みたいな顔をするな!」という意見は、その人の行動に対する他人の見解を反映しています。しかし、それらの見解は必ずしも事実を正確に反映しているわけではありません。人々は自分自身の価値観や信念に基づいて他人を評価します。
最後に、「フェミニズムへのシンパシーを過剰にアピールする男は、やはり何かしら後ろめたい気持ちが自分自身の中に有るんだろうな」という考え方は一部の人々に共感を得られるかもしれませんが、これも一概には言えません。人々が特定の思想や運動に対して強く感じる理由は様々で、それが必ずしも何か後ろめたいことを隠しているわけではありません。
以上の視点から見て、この文章は多くの解釈が可能であり、それぞれの人々が自分自身の価値観や経験に基づいて異なる意見を持つことができます。それぞれの意見を尊重し、理解しようとすることが大切です。また、他人の行動や意図を推測する前に、直接その人に話を聞くことも重要です。それにより誤解を避け、より深い理解を得ることができます。
「メガトン構文」「小泉構文」「フリーレン構文」と、文章を改変して遊ぶネットミームを「〇〇構文」と呼ぶことが浸透している。
すこし前は構文と呼ばれることはなかったように思う。同じものを指す言葉としては「〇〇ネタ」や「〇〇コピペ」あたりだろうか。
「能登かわいいよ能登」「ルイズは俺の嫁」は今なら構文と呼ばれるだろうが当時に聞いたことはない。
マークパンサーがマルチ商法に手を出した時のサイトの言葉を改変して使うのが流行ったが、「語録」などと呼ばれ「構文」とは言われなかった記憶がある。
例の裁判の主張を聞くに、戸籍上の性別を別に変える必要が無いと思ってしまったんだな。
ワイがリベラルな環境に居るからより気になるのかもしれないが、いろんな書類を書くときに思うのは、性別を聞きすぎると思うんだよな。
例えば、ワクチンの問診票にある性別って何に使っているの?大人と子供で打つ量は違うけど、男女で打つ量は変わらないよな?
何かの会員申込でも性別を何に使うのかわからない。更衣室を使うでもない場合、本当にあの値って何に使っているの?
いや、更衣室を使う場合でも、個室の更衣室になっていた場合、使う意味が分からないとは思う。
インターネット上サービスをインターネット上で使うの手続きの場合、男と女でサービス変えているとも思えないし、何聞いているんだろうって感じ。
実際それで「なんでもいま増税メガネってあだ名が流行ってるんだって?」という形でほうぼうで言及されて、まんまと流行語になった。
2ちゃんねるみたいに不特定多数の人が集まる「場」があると「あたしアベしちゃおうかな」を仕掛けても「そんなもん誰も使ってねーよ」と嘲笑されて終わったのだが
こう細分化が進むと「自分の観測範囲外では本当に流行ってるのかも」と多くの人が騙されてしまう。
そして社会を情報的に分断する有効な手段は雑なデマを流しまくることだ。場を荒らすことでみんな意思疎通を諦めていく。そしてバカが先鋭化する。
社会を壊すコツがよくわかった昨今。
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「2ちゃんねるはよかった」というインターネット懐古趣味ではもちろんない。細分化タコツボ化を自ずと進めるには、まず一所にゴチャゴチャで集めてゴミにも発言力を持たせてみんなをうんざりさせるところからだ。
増田はそのひな型と言える。
一本道なのかなあ。
インターネットがつまらなくなった、と言う人がちらほらいることに気がついている人もいるかもしれない。皮肉を言いたがる鬱陶しい人は、すぐに「それはお前がつまらなくなったからだ」と言うが、それは物事のほんの一つの側面でしかない。
長文を読むことが苦手な人のために、結論から述べようと思う。インターネットがつまらないのは、人々がタイパと刺激を求めた結果である。限りある人生を有効に使いたい。ここまではよかったはずだ。だが世の中を見渡せば、「簡単に理解できるコンテンツ」「刺激的なコンテンツ」「感情を煽るコンテンツ」で溢れている。マスターベーションを覚えた猿が繰り返すように、インターネットから刺激性を学習した猿は狂ったようにスクロールする。
私がソフトウェアのブログを書いていた時、あることに気がついた。難解でユニークなアルゴリズムを公開するよりも、「○○のインストール方法」といった初心者的コンテンツのほうがアクセスが多いのである。何かをインストールする方法など、ドキュメントを見れば一発でわかるのに、ブログにアクセスしてくる。いや、検索エンジンがドキュメントではなく私のブログをTopに誘導するのがそもそもおかしいだろう。悲しいことに、ドキュメントをちゃんと読める人が少数派であり、平易な言葉で書かれたブログの方を好む人が多いということだ。
個人的価値観を述べれば、インターネットに私が求めるのは「深遠」である。ゲーム理論と確率微分方程式を組み合わせたらどうなるのかとか、プラグマティズムをソフトウェア工学に適用するAndy Huntの最新の哲学的考察を知りたいとか、そういうことだ。
深淵の理解には時間がかかる。タイパと刺激の発想とは逆だ。一見退屈に見える無刺激な長文を、ゆっくりと地道に隅々まで理解しなければならない。深淵は真面目でストイックで、人生を共に歩むように接する。コンテンツを書いた人間を個人として尊重し、友達と語り合うような気分で読み解くのである。
「コンテンツは見て射精して賢者タイム。それで終わり」というのが現代人がやっていることだ。インターネットは元々学術的な(つまり深淵的な)情報交換のために作られたが、今では娯楽(つまりオナニー)が大半を占めている。そういう消費者に合わせて作られたものは、簡単に理解できて、極端で、やたらに感情を煽りたがる。コンテンツだけではなく、検索エンジンや推薦システムなどありとあらゆるものが、刺激性の猿回しになっている。
逆説的だが、今のインターネットが面白いと思っている人間がつまらないのである。猿がオナニーして、それが楽しいというのなら文化的ではないだろう。インターネットがつまらなくなったという人は、意識的に努力しなければ深淵にたどり着くことが難しくなったことを嘆いているかもしれない。私が高校生の時は、「ハッカーになる方法」と調べたとき、Eric S. Raymondの深淵的文章がトップに出てきたのだ。現代では、なぜかコンピュータセキュリティについてトップに出てきて、まさに中二病患者が求めるものをそのまま出してきていると言える。
といっても、いきなりarxivを読むのも、またそれはそれで時間がかかりすぎてしまうこともある。具体的数式ではなく、個人の持つ哲学を知りたいと思うこともあるかもしれない。哲学にも概ね2種類あり、本質を平易に説明するものと、無意味なものを難解に説明するものだ。後者はポストモダニズム的で忌み嫌われる。
ポストモダニズムに陥ることなく、本質的深淵にたどり着くためにはどうすればよいのか。検索エンジンだけでは、そのコンテンツが深遠なのか浅知恵なのか区別する能力に欠けている。おそらく、我々が本当に必要としているのは「ブックマーク」であり、場当たり的な検索ではないのかもしれない。本質的な深淵を語る人をブックマークし、その人の哲学を友人のように尊重したいのだ。大量の刺激的情報を消費してオナニーするよりは、少数の人の長文に触れたほうが充実するに違いない。
大半の人はADHDでもなんでもなく、ワーキングメモリは健常者並みだけど普段から情報を入れすぎて脳が対処しきれてないだけというただのインターネット中毒だろうと思う。
もう潮目が変わってきててほんとすごいわ
俺がその叩きのようなものを実際に目にして1年くらいだけどさ
結局たぶん業務とかで客としてchatGPTなんかが便利だってわかってから擁護派がぐわ~ってふえて
叩くやついなくなったよなぁ
googlemapのストリートビューも最初はプライバシー侵害だ!洗濯物が映ってる!ストーカー御用達!~って炎上したけど
なんだっけ
著作権っすかwキードボードカタカタしてるだけじゃんwあんなの文字じゃんw
って感じだったらしいけど
つーかそもそも2005年ごろ絵師という呼び名がきもいとかでネットであれこれ冷笑合戦が繰り広げられてたよなぁ
pixiv以前のインターネットでデジタル絵が主流になるかならないかのころ
デジデリウーッス
本日はテディベアズデー、日本においては文字活字文化の日、あと11月9日までの二週間が読書週間となっております。
読書ってしてますか?私は基本的に増田以外であまり文字を読んでないというか、インターネットとかのデジタルなもので読んだら文字の羅列を読書と読んでいいのか戸惑ったりしています。
良くない偏見だなぁとは思うのですが、なんだか有り難みが薄いなぁと思ってしまうのは元々ネットのゴミのような文字列達から情報らしきものを得てきたからでしょうね。
そう考えるとやっぱり有難いものなのでしょうね。
その文章を間に受けて損をした経験も、得をしなかった経験も含めて有難い出来事なのでしょう。
しかし、やっぱり本を手に持って読むという感覚は、その行動自体に貴重な没入体験があるような気がしないでもないです。
速読だとか、そういうことではなく。
読まなくてもいいのでそういうポーズを取るのも楽しいかもしれませんね。
照明よいか!照明ヨシ!
年に何回かかかってくる「インターネットはご利用ですか〜?」っていう営業電話、なんなの。
このご時世、ご利用でない人なんているの?
「5G拡大のご連絡で〜」とか言われたけど、家では光回線利用しているからどうでもいいし、そもそも近所はもう5Gエリアだわ。
大体聞いたことない代理店からかかってくるんだけど、なんで私の電話番号と名前知ってるの。
3年前に結婚して苗字変わったのに、未だに旧姓でリスト登録されてるみたい。
独身時代に使ってたISPはソフト○ンクBBだけど、何か依頼されたの?それとも何か漏れてるの?
なんでお尻にモノを入れながらインターネットしてるの?
その
IT職業訓練受けようっていう発想がすでにエンジニア向きでない気がする
インターネット上でいくらでも参照できるリソースがあるのにそれを知らないあるいはやらない
人から教えてもらおうという受動的学習態度でなく自走していく人間でないと現場に入って使えないと思う
ニートだけど
発端はあやなんの告発なんだけど
どう考えてもあやなんのやり方は最悪手を選び続けてるのに、子どもを育ててる母親ってだけで擁護する人間がいて驚いた。
半ば有名なだけに一生残る可能性があるのに
視聴者という訳でも無さそうなのがまたね
子ども産んどいてよかったね
性風俗や性風俗まがい産業および実在人物の性的魅力を売りにする芸能ジャンルをぜんぶなくすか微小産業にまで零落させることによって
あまねく現代人を二次元萌えオタクないし推し活ピープルにアップデートすることができる
それによって三次元の異性への性的衝動によって理性的でない伴侶の選択をする機会が激減することで不幸な家庭環境が発生することがなくなり
すべての人間が異性を自分と対等かつ尊敬すべき人間として冷静かつ丁寧に扱うことができるようになるのである
つまり世界の人口増加もゆるやかに抑えられるだけでなく世界は平和でより精神的に豊かな落ち着いた世界になるのである
人間がもつ恋愛感情由来の熱狂や混沌といった負の要素を二次元キャラクターないしコンテンツが引き付けてくれることで
理想的な二次元のイデアのまがい物にすぎない現実の人間に対しては清らかで誠実な付き合い方ができるだけの余裕が生まれるのである
この知見を可及的速やかに人類に周知せしめることこそ、最先端にいる我らがインターネットシティズンの使命であると言えよう
事実としてディープなオタクカップル同士の結婚ではDVや離婚といった家庭内の問題が発生する率が極めて低く
相手に対する許容や尊重の意思を互いに持とうとする人間が多いため、問題に遭遇しても互いに建設的・生産的な態度を取りやすい
これは日常的に二次元コンテンツの摂取をしていることで異なる個性の人々が交わる場での感情や思考のありように対して嗅覚や想像力が養われているがゆえの特性である
ただしマスメディアが喧伝するような漫画大手の大ヒット作品などだけ触れている表面的なオタク気取りピープルについてはその限りではなく、家庭内インシデント率は低下しない
オタクならではの様々な衝突・対立ややらかしの場面を数々目撃してきて人の振り見て我が振り直すくらいの境地に達するディープオタクでなければ十分な思慮能力は育まれない
インターネットは「人のふり」から学ぶべき場面にふれるチャンスを加速してくれる面では便利な道具であるが受動的にフィードから流れてくるものを消費しているだけではなく
能動的・主体的に何かを掘り下げていく経験なくしてオタク領域および思慮能力の真髄に至ることはないだろう
知らんけど
私もほぼ同じ境遇だな。
スマートフォンは高校の後半になってやっと持てるようになったし、ゲームも漫画も一切無い環境で育ってきた。
私の場合は首都圏の難関中学だったから、入ってから勉強しろとは言われない代わりに周りでも塾以外の習い事してる子は少数派で、なんとなく流されてるうちに6年終わっちゃったから歌もダンスも大好きだったのにろくにレッスン受けられてないよ。
大学に入って整形して、この前の日プのオーディションは年齢制限なかったからとりあえず出してみたけど落ちたし、いっそ地下でもいいと思って片っ端から地下アイドルのオーディション受けたけどそれも引っかからなくて、もはや顔出さなくてもいいやと思ってVTuberのオーディション受けていい所まで行ったけどそれも結局受からなかった。
あなたも私も中高6年間何もしてなかったわけじゃなくて、なんとなくでも普通の人よりは勉強してたから普通よりいい大学にスルッと入れちゃってるわけだけど、それが歌やダンスだったらと思うと本当にやるせない気持ちになるよね。
お掃除業者の動画を見るのが好きだ。分類し、部屋が空っぽになっていく様を見ると自分の掃除も捗る。
某動画サイトには個人のお片付け動画だけではなく、そんな業者さんが依頼主の許可を取ってたくさん動画をあげている。
社会人で一人暮らししていたとある人が若くして病死してしまったために、家族が依頼した片付けだった。
先日亡くなった大好きな同人作家さんだ。
作家さんは闘病ののちに亡くなった。SNSで闘病を淡々と報告し、最期は信頼できるご友人がSNSでそれを伝えてくれた。
業者さんの話と部屋の状況の中で、かの作家さんの病名・病院の種類・性別そして大まかな年齢(業者さんが自分と変わりないくらいの年だと思う、と荷物から予想していた)、並べられている本、持っていたフィギュアの箱、乱雑に置かれたぎりぎり判別できる作家さんの絵、そして同人誌を書いていたという情報、いつも使っていた印刷会社の箱、それらが重なる。けれどもそれだけならば、同時期に似た境遇の似たジャンルの人がもうひとり惜しくも世を去っていた、という悲しい現実があるだけだと思った。偶然の一致というやつである。絵はきっとペーパーだろう、そうだと思いたかった。見えているジャンル二つは大きなところだし、もうひとつだってマイナーだけれども彼または彼女のSNSや活動を見ていたら知っている作品だろう。
そう思いたかった。
作家さんが「今までにこれだけ本を出したよ」と発行した同人誌を積んでいたあのテーブルに似ている。くしくもその写真を私は保存していた。小さなテーブル、バックに見える茶色いカーテン、そして写真にちょっとだけ写った赤いじゅうたん。
もう、疑いようもなくあの人の部屋だった。
pixivもTwitterもすべてを友人に託して、そして死後それらを消すように友人に依頼していた作家さん。
私が知っているのは同人作家さんとしてのかの人だけだったけれども、こうして彼または彼女の生身に近い場所に突然触れることになるとは思わなかった。
その作家さん、こうして死後その部屋を公開されることを望んだだろうか。
最後まで家族を縁を切っているといっていた作家さんの家族がこうして動画を公開を了承したことにもやる気持ちを抑えつつ、けれども不謹慎すぎて自分のSNSで話題にもできず、こうして匿名にぶつけることにした。
彼または彼女の私生活を思わぬ形で知ることになってしまった後ろめたさにどうしようもなくなる。
改めて、はかなくも若くして病で逝ってしまった彼または彼女の安らかな安寧を願う。
それにしたってこんな形で死後部屋がインターネットで公開されるなんて思わないよね……明日は我が身、きっちりとエンディングノートを作ろうと決めた。