はてなキーワード: へったくれとは
若い者には80-90年代の実態が何も伝わってない様で 「免許持ってるだけで半年勤め上げれば月給50万になる時代」 みたいなブコメを見て乾いた笑いが出た。
佐川は自分が求めればどこまでも過重労働を選択できて働いた分はちゃんと払ったので、ドライバーによっては月に百万稼いだ、なんて話も伝わってくるくらいだが、余りにきつくて若い盛りでも体力が保たないので、佐川で集中的に稼いで自分のトラックを買い、独立するって道筋が多かったのよね。 どん底不景気じゃなかったからって免許持ってるだけでそんなに稼げるほど甘くもなかったのよ。 労基法もへったくれもないオペレーションが普通に行われてた時代でもあったのでな。
まあそれでも「仕事は十分にあった」「働いた分はきちんと支払われた」時代ではあったから、どちらも労働者から取り上げられてしまった現代よりもマシな世界だったとは言えるだろうな。
書いた記事につけてもらったブコメを読んでいたら、「小学生の頃から何十個も潰している」という発言があって、蜂にはたいそう悪いのだが、げらげら笑ってしまった。
やらしい話、狩人バチとはいえ人間に比べればはるかに小さい生き物が大きな巣を作り、結局それが壊されてしまうことに、畏敬とはかなさを感じて、巣にもシンボリックな存在感があったので文章に残していたのだが、そこに「何十個もぶっ壊している」みたいな人が登場すると、もう抒情もへったくれもなくておかしかった。
この人は一体どういう人なんだろうか(バカにしているわけではなく)。
子どもの頃から、とか、深夜に巣を襲っているとか、特にそういう専門の人でもないようだ。自然が特に豊かな地域だと、そういう人が生まれるのだろうか。
巣を破壊したあと最後に必ず一匹遅れて出てくる理由の予測もよかった。生き物のむなしさとしたたかさの両方が好きなので、群体における保険というシステムがあったらマジすげーな、でも、あるかもな、という気はする。
『城の崎にて』、いいですね。読んだことなかったけど、Wikipediaの記事に目を通しただけでぐっときてしまった。
子供の頃から、自分の感覚と日本で当たり前とされる感覚のズレがずっと気持ち悪かった。年長者が偉いとされること、他人の足を引っ張り出る杭を打つのが好きなこと、男らしさ女らしさを求められること、おもてなしと言いながら実際は冷たいこと...
なんというか、国として、国民として陰気なのが本当に嫌だったんだけど、日本人として生まれた私は日本で生活しなくちゃいけないんだろうなと諦めて暮らしていた
でも、前政権の正義もへったくれもない滅茶苦茶な態度に対してほとんどの国民がスルーし、なんなら積極的な支持を続けている姿を見て、私は一念発起してこの国を捨てることを決めた。もう無理だと思った。その後アホな私なりにいろいろ考えて行動した結果、今年私は日本を脱出することが出来た。
私にとって日本って毒親のようなものだった。世間はよく「こんな恵まれた国はない」「世界で有数の住みやすい国だ」と言う。確かにそうだとは思うんだけど、それでも私には日本で暮らし続けるのは無理だったんだよ。それは裕福な家庭で不自由なく育っているように見えていても、実際は毒親から心理的なダメージを受け続けることにすごく似ていると思う。
日本も昔に比べたら随分価値観も変わってきてはいるんだろう。でも未だにアジア人への偏見や女性の生きづらさ、腐りきった政治とそれに無関心な国民、そういう腐臭が漂う国であることは誰も否定できないんじゃないだろうか。その上人口減少で経済的にも明るい未来は見えない。
私は日本を捨てて本当にすっきりすることが出来た。日本に幻滅してる人、日本に絶望してる人には、是非日本を捨てることをおすすめしたい。韓国の人達がカジュアルに国を捨てるように、日本人ももっと気軽にこの国を捨てるようになっていけば、自殺とかも減るんじゃないかな。出羽守と言われようと、私は私が選んだ人生の選択に大満足している。
夫がEDでつらい。
よくある「妻だけED」じゃない。
朝勃ちもしないし、自慰もしてない。
当然だけど、出会った頃はしてたよ。できてたんだよ。
夫婦ともに30代前半。まだまだ元気だと思う。
仲良し。じゃあなんで?ってわたしが聞きたい。
レスになって1年、EDでは?と思い治療を勧めやっと薬をもらいに行くまでになって2年。
ぶっちゃけレス期間中、夫に風俗や女の影があるのは分かってた。でも風俗は生活費を切り崩すほどの利用頻度ではなかったし、女が何か私たち夫婦(当時はカップル)を脅かすようなことはしなかった。したとしても素性が分かっていたからどうにでもできるのはこっちだと思った、バレるようなことする夫にムカついたから釘は差したはものの、夫は仕事は激務。人間関係も正直良好じゃなくて、ストレス過多なのは分かってた。わたしもわたしで激務で、生活するのに精一杯。二人の仲も悪くはなかったからそのまま。
入籍とともに人間関係が変化したからか(よくわからないけど夫が自ら人間関係を断捨離していた)、どちらの遊びも夫はぱったり辞めた、だから尚更気にすることではないと思った。
だけど入籍して、改めてセックスをしようと向き合ってみたら唖然。夫は勃たなくなっていた。
明らかにおかしいから病院通院を勧めるも断固拒否。意味がないと言ったのに、元気になるドリンクとかいっぱい買って自分が勃たないという事実をなかなか受け入れられないようだった。体力作りの筋トレをして、激務でありながらも早帰りする日を捻出したり、頑張ってたけど勃たないものは勃たない。
わたしも夫も積極的に子供が欲しいとは元々思っていなかった。だから、このままではまずいのだろうが通院を勧めること自体にわたしは迷いがあった。
だけど夫婦なのにそこが出来ないのはやっぱり悲しかった。やっと本人も自分の状態を受け入れることができて、通院を始めた。
てことで、今は薬飲んでる。
薬すごいね、飲んでたら一応大きくはなる。
でも持続しない、すぐ小さくなっちゃう。
それが分かってるから夫は焦って愛撫もなしに挿れて来ようとする。ムードもへったくれもない、そして濡れないから痛い。
病院は薬を処方はしてくれても、相談には乗ってくれない。相談できる病院、何度もググったけど情報が出てこない。
今まで夜の生活してない夫婦が生活リズムに夜の生活を組み込むのほんとに難しい。
夫は飲酒や満腹だと絶対したがらない。ましてや平日もノーセックスの日々なのでわたしも急に盛り上がって…みたいなのはもうできない。
そしたら夫はすごく落ち込んでいて、その姿を見たときの自分の気持ちに自分でショック受けてる。
わたしね、
「ざまあみろ」って思っちゃってた。
レス期間中、夫が必死に誘うわたしを邪険にしてたこと、夫が自分の気持ち優先で通院を始めるまでに2年かかったこと、すごく根に持ってる。全然気にしてなくない。気にしなきゃいけないことだった。ついでにいうと夫が今挿れることにとても必死で、夫に性欲なんてないし(少なくとも私よりは)、セックス自体には意欲がないのだと知らされること、なによりわたしが必死に夫のこと説得した割には夫とのセックスが嫌になってることが辛くなってる。
その反面、夫がそんなに意欲的でないものに行動を起こしているのは少しでもわたしへの愛情があるからくるものなのかと信じたい気持ちもある。
子どもだって要らないけれども、それは作れるけど要らないという意味にしたかった。
なにより若い自分の身体が誰にも愛されず時を過ごすことに虚しさを感じてる。
大して夫に触れられてないのに、夫のこと男じゃなくて家族として見るようになっちゃいそうだよ。最近は体臭や口臭も気になるようになってきた。そのへんを夫も察してかそのへんのケアも始めたし、より一層筋トレに励んでる。
もうどうしたらいいんだろう。
入籍すればどうにかなる、薬を飲めばどうにかなる、そう思っていたわたしが一番馬鹿なのは分かってる。
もうこれ別れたほうがいい?
神奈川“緊急性低い”手術など一時停止要請 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/8fb006769c7519e9e75fd8bc4f6c6a875e698678
で、緊急と必要を履き違えるとか緊急性の低い手術なんて無いとかほざく野郎に賛同するアホが多いので緊急性の低い手術を挙げていく。
緊急性の低い高いはMSDマニュアルにある待機手術で可能なものと、手術してもしなくても予後が変わらないもので判断していく。
この手術は癌などの疾患で小腸が詰まった(閉塞した)時に、胃と閉塞の先の小腸をつなげてバイパスを作ることで食物の通り道を開通させる手術である。
どのような人が対象になるかというと「癌が他の臓器や大血管に絡んで切除できない」など、病変部を切除できない人である。
緊急手術になるものは癌や壊死した部分などの病変を残しては予後に関わるので胃切除(胃腸吻合術・食道空調吻合術)・腸切除(腸腸吻合術・腸切除+人工肛門造設術)となる。
胃腸バイパス術は「食事をして最期の人生を迎えてもらおう」という目的の手術であり、生存期間の延長が図れるケースは稀である。
開腹手術のダメージを考えるとCVポートを植え込んで栄養の点滴を流したほうがおそらく負担が少ない。
この手術は、以前に癌などの疾患・事故で腸を切除したとき、つなげたところに負担がかかって縫合不全を起こさないようにその手前で人工肛門を作ったものが対象となる。
数ヶ月様子を見て縫合不全が起きてないか確認してから閉鎖する手術である。
つまり疾患が落ち着いていて、いつ手術しても良い状態になってから行うのであって緊急性もへったくれもない。
その人の生活を考えると必要な手術であるが、医学的に一年以内にやらなければ急変する可能性がある手術というわけでもない。
特に水頭症を起こす原因も無いのに脳脊髄液が貯留し脳を圧迫して、尿失禁・歩行障害・認知症を起こす疾患である。
これを放置するとどうなるかというと、いわゆるボケ老人ができあがるのだが「歳のせい」にされ、よく放置されているのが現状である。
町中で足元がおぼつかなくて認知症っぽい老人を見て「この歳のとり方は早めに手術しないと急変して取り返しのつかないことになる」と思う人はあまりいないだろう。
早くやるに越したことはないが「今すぐじゃなくても良くない?」というレベルの手術である。
まだあるが、気が向いたら追記していく
人類、特に十歳未満の男性において、「ちんこ」及びそれに類いする単語(ちんちん、ちんぽ、おちんこ等)は、多くの場合笑いの対象であり、
現にネット文化において下ネタに反応し七色に光る鳥を「TINTINparrot」と呼称する、ワクチンを二回摂取する事を「ワクワクチンチン」と呼称する等、大いに笑いの文化として親しまれている
しかし、一方の「まんこ」については、笑いの対象として見る事は非常に稀である
多くの場面でジョークとして親しまれる「ちんこ」と同じように「まんこ」を使用しても、得られるのは失笑が良い所で、多くの場合は不評、ブーイングを受ける事となる
とはいえ、そんな事は諸兄もご存知だろう。しかし、何故「まんこ」は「ちんこ」程の社会的地位を築けていないのだろうか? その問いをすぐに答えられる人間というのは十人中五人もいないだろう
なので、持論で恐縮ではあるが、今回は二つの理由をお教えしたい
いきなりで申し訳ないが、そもそも「まんこ」そのものの形に「面白い」という印象を受けさせるのは難しいのだ
「ちんこ」は面白い。体からびょんと生えている謎の肉の棒。そしてそこから小便が放出される機能としてのおかしみ。それが面白さに繋がっているのだ
だが、「まんこ」とは穴である。もちろん穴にしてもミミズ千匹とかそういった形の面白さはあるかもしれない
しかしそれを表面に出せるだろうか? 文字通り目に見えて分かりやすい面白さがあまりないのである
もちろん、体に何故か穴が空いているというおかしみはあるかもしれない。でもそれを言ったら耳も口も尻穴も一緒だ
「ユニーク」という単語は時に「面白い」という意味で使用されるが、他に「一意」という意味がある。「ちんこ」は「体から生えている肉棒」という一意性があるが、「まんこ」にはその一意性がなく、確たる地位を築くのは難しい
仮に「まんこ」が面白いとしても、それは「まんこ」の中に「ちんこ」を入れる事の意味を知る人間にしか面白くないだろう
男児でも分かる面白さが「まんこ」にはない。それがこの理由である
「まんこ」は機会損失をしている。いやそうならざるを得ないのだ
男性はもちろん、所有する女性すらも「まんこ」と向き合う機会が少ない
「ちんこ」は所有者たる男性とのスキンシップを欠かさない。小便器に放尿する際は、まず確実に「ちんこ」と素手で触る機会を得る
更には、これが公衆トイレである場合、他人の「ちんこ」を見る機会も同時に得るのだ
単純接触効果。「ちんこ」は積極的に男性とのコミュニケーションを取っている
しかし、「まんこ」は違う。女性トイレといえば個室であり、他人の「まんこ」など見た事のない女性が大半だろう
そして、自分自身の「まんこ」に接する機会すら殆どない。用を足すのに「まんこ」に手を添える必要もないし、入浴の際に洗うにしても泡のたっぷりついたボディタオルで表面を擦るくらいだろう
男性諸君は、自分の「ちんこ」を見ずに成人を迎えただろうか? いや、ない
「まんこ」は鏡という道具を用いて意識的に見なければその姿を明かさない。つまり意識しなければ「まんこ」と無縁の生活を送る事になるのだ
あなたにとって、「プルムイプルムイ」は面白いだろうか? 十中八九答えは「何それ」だ。見た事も触った事もない存在に面白いもへったくれもないのだ
このようにして、人類が「まんこ」に触れる機会は驚くほど少ない。もしあなたがそんな事はないと主張するのであれば、それはあなたが「まんこ」を愛する女性であるか、非常に恵まれた男性であるか、である
(ここに指を一本立ててにこやかな笑顔を浮かべるスーツ姿の女性の画像を貼る)
大量に血液出てたり、はては拷問の末に殺すとかそういうんじゃないんだよ
あとおっぱい出したりレイプしちゃたりとか、そういうんでもないんだよ
ぶん殴ってわからせてやってから、涙目で震えているところに、指切り落とすとか骨折させるとかそれくらいのが良いと思います
後精神壊れるのとかも何が良いのかよくわからない。いきなりドカーンと再起不能な大きなダメージ与えていて情緒もへったくれもありません。
っていうか再起不能とかほぼ殺人だからな。リョナとはちがくなーい?リョナられても、最後の希望がちらついて「正気を手放せない」という絶望を味わいたいのです。
つまりリョナ作品っていうか、味わい深いリョナシーンがある作品かも。
痛がる姿とか苦しむ姿もいいですけど、それだけではなんか興ざめする。
直接ぶん殴ったり拷問するとかそういうシーンもう良いんだわ。弱み握ってエッチなことやらされるかも〜とか思ってるところに、自分で自分の指を切り落とさせられるとか、そういう程度のが読みたいです。
痛みや苦しみ暴力を前に怖気づいて怖がっている様子をもっと丁寧に描写してほしい
最初は気丈に振る舞っていても畳み掛けられる暴力、インフレーションへの恐怖に屈する様を愉しみたい
リョナで検索かけるとオーバーキルしてたりエロ作品が多くて、ちょっと違うんだよなぁってなる
逆に言うと暴力とかが伴わなくても、吐き気をもよおすような絶望を感じられるシチュエーションは好物なので、自分が求めてるのがリョナじゃないって可能性はある
絶望を描くってのはそのもの物語を丁寧に書かないと表現するのが難しいから、必然的に絶対数が少ないとか?
ただの鬱作品やエログロには興味がありません。最初から計画されて丁寧に積み上げてから、地獄の底へ突き落とされるような絶望を味わいたい
なんなら最後は助かってハッピーエンドでもいいくらい。一般小説というには暴力表現がしつこくてやりすぎてて、成人向け作品というにはエログロが足りないくらいのやつ読みたい
病名が被ることは別に気にしないが社会の中での生きづらさというのは確かに存在する。
これの嫌なところは、試験とか能力検査ではあまり引っかからない点。例えば俺はSPIとかは比較的高めにとれる。公務員試験とかの一般教養も苦手科目を集中的にやれば、地方クラスは結構突破しちゃう。クレペリンは何度もやったせいか一般人に擬態可能だった。
ただ日頃から感じているのは「極端な先送り癖」「一つのことへの強い執着、執着がなくなった際の虚脱状態」「他者とのコミュニケーションが常にどこかおかしい」「だろう癖」などがある。当然仕事はうまくいかない。人より優れている部分はどこかにあるのだろう。だけど基本的な事務作業があまり得意ではないしミスも当然多い。確認のし忘れや「だろう」で済ませてしまうことで問題になることは多々ある。相手が確認したはずだろうから〆切まで何も言われなければそのままにしてしまったり、自分がしたいことしかできなかったり。怒られてもそれは改善しない。
思えば小学生時代から挙動がおかしかった。精神年齢は常に他の人より3つは下。
小学生のとき、バイクのプラモを部活動で作っていたことがある。そういう自由な部活だった。だけど結局1年かかってもバイクは完成しなかった。説明書も読んで家でも試行錯誤していたのに。いまならわかるけど、手先が不器用と言うより根本的な作り方を理解していなかったんだろう。接着剤の使い方や部品の管理が全く出来ていなかった。単純なことに気を配れない。自分がそうだと思ったこと以外が目に入っていない。
あらゆる場面で、説明を受けているのに何も理解せずに自分勝手で場当たり的な行動をして、他の人が間違いを教えてくれていた。健康診断では胸部エックス線の撮影のやり方がわからず一人だけ別行動をしていた。郵便の仕組みを学ぶ授業では自分で勝手に手順を変えようとしていた。どの学年においても人の話を聞いて行動した記憶が薄い。常に自分がやりたいことを自分の判断で行っていた。
中学生はThe挙動不審。はからずも部長になったときは本当に酷い状態だった。周りからの信頼を無くして逃げるように部を去った。図書委員にしても他校との定例会で大いびきで寝ていたり、文化祭では異様に張り切ってしまい周りをドン引きさせていた。学年からの評価は「将来大物になりそう」だった。
常にどうしようもない人生である。人より羞恥心が薄いというか客観で自分を捉えられないせいか、他者とのコミュニケーションはいつもおかしい。大人になってもコミュニティ内でのトラブルメーカーである。正論で人を攻撃し、逆に攻撃もされる。追い出され逃げ出したコミュニティは数知れない。
そんな感じがいまも続いている。これは正直どうしようもない。一時期は薬を処方して貰っていたが大した効果はなかった。診断が間違っていたのかもわからない。
こんな推敲もへったくれもない文章書いているのは、徹夜あけの気分を紛らわすためなんだけどね。
俺はこの先、どうしたらいいんだろうか。
KKOとまではいきませんが、とっくに成人しているのにいまだ交際歴ゼロの人間ですから、恋愛弱者としては上等かと思います。
自分で言うのもなんですが、顔の造形の悪さには自信があります。
性格の悪さにも同様に自信がありますが、性格が悪いゆえに仕事をする上で取り繕える程度には困っていませんし
それも自称でしかないので、実態がどうなのか、それで生活が本当に上手くいってるのかはご想像におまかせします。
弱者男性に随分と憎しみを向けられていたようですが、真摯に文章を読ませていただきました。
読んでいるうちに、以下の2点が頭に浮かびました。
・「理解のある彼くん」をあげつらって批判していたのは弱者男性だけに限った話ではない
・そもそも「理解のある彼くん」持ちは非難されても仕方のないことをしでかしている
今回は「望むところだ」ということで、後者を重視して書いてみます。
あくまで、「理解のある彼くん」持ちとハンデを持つ女性は完全に同一では無いという見解であり、
以下はハンデを持つ女性全てを批判しているものではありません。
これから記載している内容に反論がありましたら遠慮なくご指摘ください。
「理解のある彼くん」は、何も最初から障害や病気のハンデを持つ女性を攻撃するために産み出された単語では有りません。
それは障害や病気のハンデを持ちながらもそれらに向き合いながら生きている、ということを綴った女性達のエッセイから概念が発見されました。
ネットで複数の作者の漫画の「理解のある彼くん」が登場するページを1枚にした風刺画像を見たことがあるでしょうか?
まるで判を押したように展開が同じなのです。
エッセイということは実体験でしょうから、細かいところは省いたりフェイクを挟んでいる可能性があるとは言えど大筋はノンフィクションでしょう。
「なんだかみんな展開が似たりよったりだぞ??」と気づかれだしました。
この指摘については、何も弱者男性だけから発信されたわけではありません。
女性作家から、カウンター的にエッセイ漫画で指摘されているものでもあります。
この指摘で耳が痛かったならば、弱者男性だけを敵視するのは誤りであると言えるでしょう。
あなたがたが敵に回す範囲、軽蔑すべき範囲は本来もっと広いはずです。
それをすることができない、いや認知しようとしないのは何故でしょうね。
全ての女性が「理解のある彼くん」を得られるとは思っていませんし、
「理解のある彼くん」を得ることが誰であっても簡単だとも思っていません。
すぐキレる、情緒不安定になり周囲に当たり散らす、それらが病気や障害によるもので苦しんでいる――――――。
いかにハンデを抱えて生活することが大変か、という点で綴られていましたが、
「自分」が大変である、という視点のみで描かれていることが多いという感想を持ちました。
綴られているケースのうち、同情すべきものももちろんありましたが、
いくつか幼稚過ぎて理解できない行動も含め、都合よく正当化されているように見えました。
(それだけ的確な判断力を持ち合わせられないぐらいに根深い病気である、というのを私が理解できなかったのかもしれません)
しかしながら、作者は過去のことを反芻しエッセイに仕立ててるうちに、再考して思うところがなかったのかなと考えています。
ウソを書けということでなく、ぼかすなり内省の補足をするなりあるはずです。
上記は私個人の感想ではありますが、エッセイ漫画を通して「女性はハンデ持ちでもイージー」というネット上の共通見解が得られたのは、
私と同じような感想を持った人が多かったのでしょう、と勝手に推察しております。
「理解のある彼くんがいるから」ではなく、「理解のある彼くんだって出来る上に、そもそもこんな認識で生きているから」と思っているのです。
「私が弱者男性故に対象が女性というだけで色眼鏡で見ている」、そう思われるかもしれませんが、
他で消化器系を長く患われている女性作家さんのエッセイではその苦労や辛さに深く同情し、何一つ批判的な感想を抱きませんでしたし、
精神を患われている女性作家さんでも「理解のある彼くん」に疑念を持っていた方のものは
特に前後でも病気を理由にした問題行動の正当化を感じる部分もありませんでしたので、
やっぱり「理解のある彼くん」の登場があるエッセイの作家さん達だけが悪目立ちしているように見えました。
本来、努力し、助け合い、思いやりを持ちつつも懸命に生きるハンデを持った女性たちという
決して揶揄や物笑いの種にすべき存在ではないものについて、これだけマイナスイメージを持たれてしまったのは、ここにあります。
ここでは「理解のある彼くん」に絞って女性の話をしていますが、
もちろん「甘ったれた男性」がいることも否定しませんし、弱者男性の中にそういった部類の人間がいることも承知しております。
ハンデを持った女性のリアルを理解する上で、当事者の知り合いがいるという人もなかなか少ないでしょうし、
そもそも当事者はむやみやたらに打ち明けることは無いでしょう。
自分の病気のことを顔を合わせる周囲の人間にベラベラ喋ることがありますか?
そんな「リアル」で認知されることが少ない状態では、ネットの発信力が強い現代において、
エッセイの「悪い意味で最もキャッチーな部分」によって認識を悪い方向に塗り替えられてしまった、というのが今の状況かと思います。
それでも、結果的に「女性はハンデ持ちでもイージー」という結論で
十把一絡げにして非難の対象になってしまった「まともにハンデと向き合っている女性」への誤った非難があったことは否定しません。
何故止めなかったのか、何故助けてあげなかったのか。何故咎めなかったのか。
でもそれは「過去に助けてくれなかったから、同じように助けなかった」ではないです。
そもそも、「弱者男性を助けなかった理由」でなく「〇〇を助けなかった理由」というべきでしょうか。
ですから、「弱者男性は精神障害者女性をサンドバッグにしてきた」という結論で