はてなキーワード: たんぱく質とは
つまり充填豆腐と水が入った手作り豆腐とは両方正味の豆腐量が善良的なら記載されているはず。
とうふの表示に関する公正競争規約及び施行規則に基づく表示基準(必要な表示事項)(案)
http://www.zentoren.jp/about/minutes15_6.pdf
5. 内容量
豆腐を乾燥及び外部からの衝撃から保護する目的で容器包装内部に充填された水または調味液等を除
いた内容重量を、グラム(g)又はキログラム(kg)の単位で表示する。
内容量を一括して表示することが困難な場合には、その表示箇所を表示すれば、他の箇所に表示する
ことができる。
よって現在は業務スーパーの340g 30円の木綿豆腐が安くてたんぱく質が取れる食材として増田家庭の常食食品に採用されました。
一昨年うつ病と診断された現役大学生だが服薬しながら休んでたけど、薬を飲んでも悪夢ばかりで全く休めないこと、ネットで薬のことを調べるとあまり良くない情報が目に入ってしまい、怖くなってきて勝手に断薬した。
シャンビリ感、反跳性不眠、頭痛、肩こり、筋肉の強張りとか離脱症状に悩まされてるけど、最近少しおさまってきて、生活リズムをできるだけ直して、漢方を飲んだり、たんぱく質とかマグネシウムを摂るようにご飯をちゃんと食べたりして養生中。
なぜ自分が解離性健忘なのかと思ったのか、経緯を話したい。(書いてみたら結構長くなってしまったので読める人だけどうぞ…)
去年の春休み、ひたすら眠ることしか出来ず、トイレに起き上がるのも一苦労だった。すごく死にたがってて(これもちょっと記憶が曖昧)、どうせ死ぬなら今まで読もうにも読めなかった漫画を買って読んでから死のうと思い、気になる漫画を電子書籍で数万単位使って買った。
昔から漫画は好きだったし、コロナ禍で外に遊びに行くことは減り、バイトで貯めていたお金が余っていたのでそれを崩して買った。活字だけの本は読めなかったけど、漫画なら読めた。それから夏休みはずっと漫画を読んでいて、寝るか、漫画を読むかの生活だった。何もやる気は起きなかったけど漫画だけは読めたから、これが酷い時期から脱する回復に繋がったのかもしれないと今では思う。
春休み明け、春休み前にいくら読んでも内容が理解できなかった活字だけの本を、レポート課題のために読み直した。すると、なんとスラスラ情景が浮かび、登場人物の名前も覚えられる。今まで登場人物の名前、関係性がぱっと理解できず、悩みまくってたことを不思議に思うくらいに。
頭の中の霧が晴れるようだった。今までの悩み事が全部解消された感じ。
でもよく見慣れたはずのゼミの人たちと話している時に違和感があった。顔と名前は覚えているけど、第一印象とかその人と話していて自分が感じたこと、思ったことは全く思い出せない。
その後も仲のいい友人と会って思い出話になる時、表面上では「そんなことあったね〜」と流してはいたが、ほとんどの場合は「そうだっけ?」「そんなことあったっけ?」「その時、自分はどう思ったんだっけ?」「その時、自分は何も感じなかったから覚えてないのか?」と考えることが多かった。ただ忘れただけかと思ってたけど、あまりにも覚えてなさすぎる。なぜ自分はこんなに出来事を覚えていないんだ?
調べてみるとうつ病の人は物忘れが多いこと、短期記憶が難しいこと、あと薬の副作用でもそうなるらしいことがわかった。該当しないことはないが、本が読めるようになったから違うのでは?と思った。さらに調べていくと、健忘というのが目に入った。全般性健忘、解離性健忘…周りから見ると普通だが、本人からは同一性がなくなっているだとかなんとか…。これっぽいなと思った。自伝記憶?エピソード記憶?というのがあまりないように思える。付け焼き刃の知識なので、勉強不足のように感じると思うがそこは許してくれ。
自分にまつわる「事実」を思い出すことはできる。自分の名前、出身地、生年月日、母校、家族の名前と顔、友人の名前と顔、アルバイト先、所属していた部活、通っていた病院…これらに密接に関係していた時に、付随しているはずの感じたこととか思ったことの記憶がほとんどない。
昔の記憶を思い出そうとしても、主観的ではなくて、自分をその場の第三者視点から見ているようなものが多い気がする。
去年の春休み前までの記憶がすっぽり抜け落ちている感覚。海面の部分は見えるけど、そこから下はすぐに深海みたいなイメージ。…分かりづらいな。本当に氷山の一角だけ思い出せるような感覚かも。
書きながら思ったが、むしろ記憶を失くす前の自分が覚えすぎていただけか?
これと言ってトラウマになるような戦争体験とか事故、性的な虐待経験はないが、無意識下の心理的葛藤が原因なら該当するかもと思った。人間関係でよく悩んでいたし、自分の一挙一動を振り返って反省する癖もあった。
病院に行って診察受けて自己同一性を再獲得すべきなのか、このまま生きていってもいいのか、ここ数日悩んでいたため書いてみた。でも医師を信じるという行為が今の自分にはまだ難しいので、通院は無理だろうな。せっかく断薬したBZ系の薬も飲みたくないし。
今までと同じように接してくれている友人、家族に感謝しつつ、このことを打ち明けようか、かなり悩んでいる。一時的なものですぐに記憶が戻ればいいけど。
長々と書いたが、とりあえず今の自分の気持ちを誰かの目の止まるところに吐き出したかった。
とりあえず飯食って休むのが今は良いのかもしれない。
医者を変えても良いという言葉を聞いて、だいぶ病院への向き合い方が変わりました。ありがとうございます。
その後、他の病院に行って大学も休学し、とりあえずうつ病の治療に入った。離脱症状はなくなりました。
医者によって処方の仕方とか診断とかかなり違うんだな。
健忘のことについては、今のところ日常生活に支障が出るほどではないのでもう少しして辛くなることがあったら後々医師に話そうと思う…。
決断疲れ…なのかな。
日常のほんの些細なことがなかなか決められなくて、決めようとすると決めかねてイライラするし、決めかねていると決められないことにイライラする。
どこに買いに行くか、何を買うか。
コンビニは高くつく、ドラッグストアは安いがバリエーションが少ない。
パンはカロリーと炭水化物ばかりでたんぱく質が不足し、腹持ちも悪いがおいしく食べられる。
おにぎりは万能で安いがさほどおいしくない(おいしいやつは得てして高い)。
サラダチキンやゆでたまごはたんぱく質豊富だがカロリーが少なすぎて腹もちしない。
だからといってデザート類(プリンやプロテインバーなど)を1つ追加してしまうと、思いのほか脂質が高く、オーバーカロリーにもつながる。
カフェオレなどの嗜好品で摂取する分のカロリーを許容する余裕がなくなる。
少しでも油断すればあっという間にオーバーカロリーで見る見るうちに肥え太り、醜く汚らしいKKOまっしぐらだ。
それだけは何としてでも回避しなければならない。
たかが昼食だけでこんなにも考慮すべき点があるなんて、明らかにストレスである。
何か1つ食べれば欲するカロリーと栄養素がバランスよく過不足なく摂取できるパーフェクトフード的なものはないものか…。
「これを1日何個食べておけば、概ねこれだけのカロリーと栄養素を摂取できる」ことがある程度固定化されていれば、毎日決まった時間に決まった量を食べるだけの作業にできるから、余計な手間も労力も面倒も大幅に軽減できる。
食事を楽しめていない?
食事など生存に必要なカロリーと栄養素を摂取するために、飲食物を口から胃袋に詰め込むだけの単なる作業に過ぎないのだから楽しむものではない。
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
白味噌の登場により、従来の味噌は赤味噌もしくは豆味噌と不名誉な再命名(レトロニム)を受けることになった。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代(徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえ続けてきただけのことだ。
そうした時代においては、食糧生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで大きく差が出る訳でもない。
江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキューの八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省である。GHQ占領前は宮内省だった。]
八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町で製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である。
しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。
しかも、農林水産省の地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。
こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌)一般に話を戻す。
今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢に盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。
おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なものに金山寺味噌がある。
しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本の食文化において汎用的なありかたといえよう。
やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌は赤味噌であるべきだ。
単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。
米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。
米は最上の主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。
かつて白米ばかりを食べていた江戸の町人は江戸わずらいに罹ったという。
江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である。
カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれた社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。
似たような例は海外にもあり、19世紀のアイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧をジャガイモに依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気が蔓延していたという。
では、ジャガイモを主食とする南アメリカ大陸でも脚気が蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。
摂取カロリーのみを目的として食糧をジャガイモに依存した近世の北欧は、さながら白米の生産や流通を高度化して脚気患者を蔓延させた江戸時代の日本に近しいものがあったのだろう。
ちなみに、野菜や穀物を栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミンを摂取している。
イヌイットの伝統的な発酵食品にキビヤックがあることは有名だ。
アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤックは悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。
南米やイヌイットの例から、伝統ある食文化には食糧生産やカロリー摂取の効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。
もちろん、食糧生産の効率性向上によって生まれた白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。
それにしても、白味噌や白味噌文化を否定するつもりはないが、白味噌の味噌汁は白米の飯に合わないだろう。
米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスとライスを組み合わせたライス定食ではないか。
そのような脚気的精神の産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。
米は甘く、大豆は旨い。
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方の無いことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題となり、政争や武力闘争の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代は三百年近くの長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえつけて作り上げた仮初めの平和だ。
そうした時代においては、食料生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは歴史の必然であったことだろう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化をはぐくんできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝が耐えることはない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
しかし、今では大豆は安価で大量に海外から輸入できるのだ。製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで
なんで米を発酵して作った味噌を汁にして、米の飯を食わにゃあかんのや。
米と米で相性最悪やろ。
これは「ごく稀な」副反応が起きた人たちの話
なので、ワクチン接種の「反対」「推進」「リスク&ベネフィット」に関するコメントは別の場所で
コポォwww
んふふふwww 久しいですな、はてなー諸氏www
リクエストがあったワクチンの副反応、それも長期に及ぶ副反応について語ろうかwww
んん…… でもなあ…… 難しいんでござるよ……
これはもう大ウソつき(※注)でござるなwwwwww オウフッwwwwww
かといってあると「断言」するのも難しいwww
まあ、拙者から言わせてもらえばあ?www
「コロナワクチンを接種してから、深刻な体調不良に悩まされている人が一定数存在している」
(「有害事象」といった所でござるが、有害事象=絶対因果関係なしと決めつけてしまうパーソンもおり、この言葉もまた複雑www)
といったところでござろうか?www ドプフォwww
まあ、にわかには信じられんでござろうwww そうであろう?www
去年の十月までは拙者も信じられなかったからなwww ブフォッwww
いわばコロナ禍初期のコロナ後遺症と似たような立場でござるなwww デュフフフフフwww
日本語でおkwww
しょうがないのうwww TOEIC4000点の拙者が説明して...
あ、400点だった。普通www←ヲイ
タイトルは、
「まれに、コロナワクチン接種後にコロナ後遺症様症状が生じうる」
こんな感じかのうwww
2020年末にアストラゼネカの臨床試験ボランティアを受けた女性の話から始まるwww
ブリアンヌ・ドレッセン(当事者)は接種後から視覚のぼやけ、音のゆがみを感じた。
症状は急速に悪化していき、動悸、心拍数の変動、激しい筋力低下を引き起こし、いよいよ彼女が言うところの「体内で電気ショックが流れて衰弱する状態」となった。
コロナ後遺症では200種類以上の症状が起こりうるとも言われているがwww
そのうちの神経症状に近い病態でおまんなwww ドプフォッwww
読み進めると、アストラゼネカだけでなく、現行のコロナワクチンすべてで同様の症状が起きているとの事www
NIHの研究員は「及び腰になったのではなく、少ないメンバーだけでは対処しきれないから」と弁明しているwww フゴッwww
この問題は明らかに存在はしていたが、誰も触れようとしないwww
プレトリウス(南アフリカの生理学者)は「誰もがこの問題を避けています。多くの臨床医や様々な大学の研究者と話しましたが、彼らはそれに触れたがりません」と言う。
であるが、でござるよ
ウィリアム・マーフィ(アメリカの免疫学者)はこう言っているでござるwww
彼は、2021年11月にThe New England Journal of Medicine(NEJM)誌に、SARS-CoV-2スパイクたんぱく質によって引き起こされる自己免疫メカニズムが、コロナ後遺症の症状といくつかの稀なワクチンの副反応の両方を説明するかもしれないと提案し、可能な限りの関連を探るための基礎研究を増やすよう呼びかけた。
マーフィーは、「ワクチンを理解するために、あらゆる研究が行われているとして、一般大衆を安心させることは、単にすべてが安全であると言うよりも重要だ」と言う。
他の人たちと同様、彼はワクチン接種を推進し続ける。
サイエンス社は、規制当局とワクチンメーカーに、これらの副反応について得た情報を問い合わせた。
ファイザーの広報担当者は「それが我々がモニタリングしているもので確認済みだ」と返事をよこした。
モデルナ、アストラゼネカ、JJの3社は、副反応を深刻に受け止め、受け取った報告を規制当局と共有していると述べた。
FDAの広報担当者は「コロナワクチンの安全性の監視に引き続き強い焦点を当てる」と言い、欧州医薬品庁は「コロナ治療薬とコロナワクチンの安全性と有効性を監視するために、臨床現場から実データを使用するための措置をとっている」と通達した。
走召 糸色 木亥 火暴
その結果、当事者はどうなっているのかwwwブフォwww
ブリアンヌ・ドレッセンは「醜いしみがついてしまって、疎外され、見捨てられたようだ」と言うwww
そして、「ワクチン忌避を引き起こす原因になってしまうのではないか」と恐れてもいたwww
(ブリアンヌとは)他の患者は、ワクチン反対派が「ワクチンを接種するほど愚かなのだから、死んで当然だ」と主張してくることを説明した。
その一方で、ワクチン支持者も、当事者が声を上げることで他の人を傷つけ、ワクチン接種を拒否させ、その人がコロナで死んだらどうすると言ってくる。
ドレッセンは已む無く自ら症状を公表し、反ワクチンの議員が開いた会見に出席www
「政治家と話しをすることは、私たちのプランAではありませんでした...。全く違います」と、ブライアン・ドレッセンは言います。
ある患者は違う道を選んだwww
ヤナ・ルアレンダーもまた、引っかかりを感じている。
モデルナワクチンを一回投与した後、ドイツのカッセルで微生物を学ぶ大学院生だったヤナは、ブライアン・ドレッセン(最初の当事者)が経験した内部電気ショックの感覚、顔の部分麻痺、発作か脳卒中を起こすのではと思わせる筋力低下、激しい口の渇き、心拍と血圧の乱高下などの症状を呈した。
彼女は、自分の症状が、血圧や体液のバランスを調整するレニン-アンジオテンシン-アルドステロン系と呼ばれるホルモン系と重なっていることに気づき、ACE2が重要な役割を担っていることを突き止めたのである。
最近、このシステムを標的とする自己抗体が、彼女の症状を引き起こしているのではないか、と考えている医師と知り合いになった。
このような経験にもかかわらず、「私は今でもワクチンは素晴らしいと思っています」とルアレンダーは言う。
しかし、このような副反応は、彼女にとっては、いくらか改善されたものの、消失したわけではなく、認識され理解されるべきものであるという。
副反応が出て深刻な症状に悩まされるwww
それだけでなく、第三者の身勝手な政治闘争に巻き込まれるwww
マーフィ氏(うじ)のくり返しになるがwww
ワクチンによる「まれな」副反応の研究にはたくさんのメリットがあるwww
そして、
チェン(アメリカの心臓専門医)は、ワクチン接種後の慢性的な問題について語る何十人もの人々から話を聞き、彼らの症状とコロナ後遺症の症状との間に重なる部分があることに説得力を感じている。
そして今、彼女は慎重に、かつ科学的に答えを探したいと考えている。「私たちは厳密さを保たなければなりません」と彼女は言う。
「データが圧倒的に不足しているのです」
大切なのはwww 透明性とwww データなんでござるなwwwwww
(注)国www
aquatofana おい増田ニキよ、最初に出てくる事例の女性の名前「ブライアン」って男性名ですがこれはwwww日本語で言えばサトシくんとかですぞ(原文ではブリアンヌ、「さと子」になっとるで)
これは失敬www id:aquatofana 殿の申すとおり変更させてもらったぞwww こっそりとなwwwブフォッwww