はてなキーワード: 中高生とは
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
この刷り込みをすることって戦略的に間違ってるかね?
そして女子中高生に「今の君たちの肉体には価値があるよ、君たちの頭には価値がないし、君たちが歳をとったら君はゴミになるけどね」と結果的に刷り込んでいる。
女性が「自身の若さの価値」に気づく→女性側の結婚年齢が下がる→相手への希望年収が下がる→男性側も結婚する余地ができる、
一部のネットの言動を一般化しちゃうほど最近の若い女性はバカか、というとそうでもないような。。。
今の30代、40代女性って若いときには「ずっと美しい私」「恋した数だけ綺麗になる私」「Sexで綺麗になる」みたいな幻想を売りつけられて
「いつまでも頑張ればモテる私」みたいな空気の中で歳を取ってしまい、価値が下がって慌ててるという状況でしょ。
今の若い女は、女を持ち上げて接待を要求するようなメディアのメッセージを受けてないよ。
ハルヒやけいおんが女子中高生にウケたぐらいだし、男性向けの萌え作品を視聴しながら育ってる。
おいら、今年で30歳のおっさん。
おいらが、中学や高校生の頃は、まだネットが一般的じゃなかった。
今でいうガラケー(携帯)やパソコンを皆が持ち出すようになったのは、
丁度、おいらが大学に入学した頃だった。時期的にも丁度良かったと思う…と、回顧録はさておきだ。
つまり、おいらが中高生だった頃は、エロ動画がなかった。ちなみに、エロ本やエロビデオはあったけれど、
例えば性器のあたりには、モザイクが掛かっていたりして、まだ女性の体とは神秘に包まれていた。
そんな感じで、大学入学後に彼女が出来て童貞を卒業するときには、めちゃんこ驚いたものだ。
なんといっても、マンコは密林の中にあると思い込んでいたからだ。
そうマンコは、マン毛で覆いかぶさっているとばかり思っていたのだ!!!
この衝撃が伝わるだろうか?いや、伝わらないかもしれない。
同世代の、当時、童貞だった諸君には共感できるものもいるかもしれない。
それぐらい、マンコというのは、一般的ではなかったのだ。そう、アマゾンの密林のように非日常だったのだ。
これは恐らく先入観があったからだと思う。チンコは、チン毛に覆われているじゃないですか?
マンコも毛に覆われているはずだ!というよく分からない自信につながっていたわけだ。
とても合理的な、そして懸命の想像力と言えるだろう。
だって、エロビデオで男女がアンアン言っていても、肝心の結合部はモザイクだったからね。
「本当は無駄なことしかないのさ。オレたちは一生ヒマをつぶして生きていくんだよ」
生きる意味とか目的とか、そんなどうでもよいことで肩が重くなったつもりになってるなら、一旦それを下ろしてみると良い。
ただどうやって暇を潰して生き抜いていくか、と考えると、人生は意外と長い。
長いけど、何かを為すには短すぎるというのはすでに先人の述べるところであって
まあなんとなく幸せに生きれそうな道を進めばいいのではないの、と思う。
幸せってのは別にありふれていて、牛丼くってうまいと思えるならそれで十分。
より幸せに暇を潰していくには、人々が暇つぶしで作ったようなルールなりなんなりを理解する必要があって
中高生のうちはそういうものごとを理解する力(これはなんとなく勉強してたりしたら勝手についてくる)をつけつつ
横だが、この手の議論を見ていると、高尚な学問の広がりの先に(いや逆か?)小中高生のやっているガクモンがあり、その広がりというか敷衍している状況を教えるべきだ、もっと言うなら知らない奴はバカ、
みたいな議論が出てくるんだが、はたしてどうなんだろうか。
教育課程の範疇を意識するなら、標準的なレベルを想定するべきだろうし、塾などでは余興や知的好奇心を喚起する意味でも、学問の香りをかがせることに意味があるかもしれないけど、
そういう例外を除けば、たんにツールとして使えればいいんじゃないかと思うんだが。
なんてことを書き出す「自称哲学分かっている俺」のせいで哲学は世間では「かっこうわるい、うざい」印象を持たれてしまって悲しいよね。
最初の疑問に立ち戻るなら、幼少期から知的好奇心を十二分に刺激された人が、今現在どのような環境に置かれているかを観察することが求められているのかもしれないし、
そこに何か鍵があるんじゃなかろうかと思ってしまう。いや、そういうところの学習能力は、高尚な学問ではどのように整理されているのだろうかと疑問に思ってしまう。
ずっと違和感があったことなんだけど。
本当はみんなが面白がってる物の何がどう面白がられたのかすらわからないんじゃないだろうか。
ツイッターで他人のヒットツイートを自分のもののようにパクってることがあったけど
単にみんなの反応があったツイートを機械的にピックアップしてたんじゃないのか。
あの人のブックマークを眺めても
「世間ではなにが流行っているかな?」っていうフォロー意識ぐらいしか感じない。
そういうのが無いと、すごくボンヤリした市場リサーチにしかならない。
方針が定まらないまま市場観測してるみたいな感じのボンヤーリした手触り。
口調は「です!」とか「しました!」とか一見元気がいいけど
あれも「!」の意味を心で理解したことがないままやってる擬態じゃないのかな。
2chまとめってあれも実はセンスや技術で全然面白さが変わるんだけど、
あの人の2chまとめぐらい面白くなくてぼんやりしたまとめってむしろ常人には作れない。
そのへんの中高生でも彼よりは上手く作ると思う。
技術がなくてまとまりが悪くても、その子なりに面白いと思ったとこが強調されたりしてると思う。
本人はどこも面白いと思ってなくて、他人がどこを面白いと思うかもわからなくて、
読む人間の感情の流れなんて全然想定できないまま、理解できない文字の羅列を並べてる。
もはやヘタクソって言うレベルを超越してて、
それをこれまでは「物を作るセンスがない」「ひらめきがない」みたいに評してたけど実はそうじゃなくて
そもそも面白さを感じるための脳の機能が全然無い人なんじゃないのかなあの人。
世によく言われる「才能が無い」っていうのは正確には「才能が足りない」んだけど
あの人は本当の意味で「無い」のかもしれない。
ただの低センス者であった編集長とは全く質が違う。
無センス者。
それの亜種なのではないだろうか。
でも、はがないのほうがウマい。明らかにこっちのほうが技術がないと書けない。
はがないのメンバーは、「濃い」故に集団からはじき出されてる側の存在で、
自分を規定してくれる「外側」を必要としない。だから好きなだけ閉じこもれる。
マクロって言うほどのもんでもないけれど、スクールカーストを無視しても存在できる。
人付き合いは煩わしい、でも何者にも成れない、一人では生存できない、だから学校の柵にとらわれている、そんな中高生の憧れる身近な理想像だ。彼らは生存戦略が不要な強者なのだ。(友達いないと「いろいろと鬱陶しい」あたりの言及が、必死度の違いを露骨にしめしている)
友達を欲すること「さえ」ろくにできない。抑圧強すぎ。でもすげーよくわかるぞその気持ち。
なんでこれ夜空が主人公じゃないんだろうと思うくらいにぼっちものの主人公に最適だ。
この作品で本質的にぼっちなのも、部活を作ったのも、最も切実なのも夜空だけであって、
私は夜空にすごく共感するんだけれどぼっちの奴らがこれ読んで、夜空に嫌悪感を感じてるって構図がすごい皮肉になってる。
お前ら他人に対しては常人と同じ程度の想像力しかないんだなー、と苦笑したくなる。
いや、そこが売れてる理由なんだと思う。ホント。
むしろ、他人からみたら自分は嫌悪するべき存在だという自覚はあるだろう。
というか、自分自身、自分のことをこれでいいとは思ってないだろう。
本当の自分はこんなんじゃないんだ-という思いがまぁ小鷹やら星奈への擬似的な共感に繋がる。
星奈は特にアイドル要素を多く兼ね備えており、自分をごまかすには最適な感情移入対象だろう。
最終的には、夜空の嫌な部分を受け入れられない限り、読者はこの作品から卒業できないんだけどな。
ちなみに一番好きなキャラは理科さんです。というか理科と小鳩以外好きじゃない。
俺ガイルは直球だ。
ぼっちってのは基本的に「濃い」のではなく「薄い」。
故にキモい。何考えてんのか分からない。これが基本。こっちが多数派。
その本来のぼっちと、はがない型の「個性強すぎるゆえに集団から排除される」型のぼっちを並立させ、
間に普通の人間を挟むことで、ぼっちが「全体の中でどこにいるのか」が分かるようになっている。
マクロというほどもないが、学校という小さな社会を描くことさえ拒否するはがないとは違う。
というか、はがないは「特殊なぼっち」のなかに「普通のぼっち」を混ぜるという構図が不自然というかもう悪趣味すぎて、「君に届け」と同じくらい気持ち悪い。
俺ガイルが自然というわけではないけれど、まぁ共感できるのはこっちだ。どうしても。
俺ガイルの面白さだが、メインの主人公については「あるある大百科」でしかない。少なくとも私にとっては。作家ならではの端的な表現で自分が感じてたもやもやが言語化されてすっきりするってのはあるけれど、新鮮味は少ない。どっちかというと、「ぼっち」から、一般人を観察して、どう感じるかって描写部分が面白い。いや、それよりも「片方からのぼっち」が「もう片方のぼっち」に感じる感情の描写が興味深い。
無職の人間が、ノマドバンザイ、フリーランス最高っていってるやつに投げかける視線。共感と嫉妬、諦めと憧れが混じったような複雑な感情、これは経験がない部分なので素直に楽しい。
やたらテンション高くて801最高801なら何でも好き801が嫌いなんて信じられないと所構わず喚く中高生腐女子と、
彼女らに着いていけず(というか着いていく気もなくむしろ嫌っていて)大人しく引き篭もっている大人腐、と言う構図が。
K-pop好き=韓国ラブ韓国文化ラブ韓国人ラブ韓国語ラブ韓国旅行するコンサート行く!!!
上記のような人ももちろんいるんだけど、そうじゃない人間もいる。
自分は日本のアイドル文化みたいなものが、物心ついたころから理解できずにいた。
K-popが好きになったから今嫌いになったとかじゃなく、昔(子供の頃)から歌の歌えない人間が歌手面してるのが気に食わない。
つーことで、最低限のレベルで歌を歌えたりダンスができるK-popを聴くようになったのだ。
(※正直めちゃくちゃ歌が上手いとも思ってはいないが、最低限のエンターテイメントとしてのレベルがあるという意味で。)
昨今K-popが流行ってる?ようだけど、元々流行る前からちょこちょこチェックして聞いたりしてたのだ。
元々のK-popファンの中では、ここ数年のK-popブームは嫌だと思っている人も多い。
なぜならK-popファンは好き勝手にチェックしてるのに(原曲が好き)、拙い日本語で歌われたり、
日本に大量にデビューすることで、余計な嫌韓の雰囲気も増えたり・・と、色々と思うところがあるからなんだけど。
まぁ、上記のような韓国ラブー!K-pop最高なんだから、嫌って言ってる人とか信じられなーい!的な盲目な人がいるのも事実。
見た目(顔)に関しては日本のほうが高いと感じている。
でも、日本にもどう見積もってもブ○イクとブ○なアイドルもいたりするよね。
歌が下手なうえにブ○イクって、もうその辺の存在意義ってどうなってるのって感じだけど・・。
あちらは顔・・(というか元顔)は、正直その辺のお兄ちゃんお姉ちゃんって子が多い。
日本のアイドルの感覚からすると、ちょっとズレてるけど、あちらではそれでも良いということみたい。
(もちろん綺麗な人もいる。日本人ウケする顔かどうかまで考えるとかなり少ないけど。)
自分は嫌韓の意見も十分に理解できるし、K-pop聞かない好かない受け付けないと言う人がいても理解できる。
自分も日本人として自分なりに両国間の問題を調べたり考えたりして、所謂ネトウヨのいう意見も理解できるからだ。
むしろネトウヨ寄りの考えも同時に持ち合わせているんだけど、
ネットにいるK-popファンは、割と盲目なファンが多くて話が合わない。
というか、話そうと思えない。
なんか違うなーという感じ・・。
日常的に韓国語(カタカナ表記)を使っていたりして、割とカオスな状態で。 でもファンの間だとそれが普通で。
まぁ、今のK-popファンは中高生も多いから、正直話なんて合うわけないのだけど、
もしかしたら、自分と同じような考え持ってたとしても、その中でわざわざ言えないだけかも知れないけど。
今の中高生の韓国に対する感覚は、ニュージェネレーションって感じなのかな。
日本贔屓でもないプレーンな状態で沢山の韓国人と接したこともあるけど、
まぁ・・、似てるところもあり共感できる部分もあるけど、やっぱり、うーんと思うこともあった。
正直不快に思うことも何度かあった。
今は日本の文化に興味ある韓国人もいるかも知れなくて、そういう人(ある程度多角的に物事をとらえることができる)と接すれば
けど、自分はそうじゃない韓国人と接したことがあるから、彼らの実情を知ってるというか。
韓国人大嫌いで韓国に関するすべてが嫌いとかいう考えは持ってない。
ただ、一部の韓流ファンがそうであるように、韓国全てまるまる愛することに関して危機感があるということだ。
(Kpopに関しても全てが良いと思っているわけでもない。)
とにかく以下です。
駄文申し訳ない。
・どこに行く時も文庫本を手放せない
・暇な時はつい、辞書やチラシ等、手近にある活字を目で追ってしまう
・本を買う時はつい、文字数÷値段でコストパフォーマンスを計算してしまう