「映像」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 映像とは

2024-05-08

anond:20240508151535

喘ぎ声は地域差があって、めっちゃ出す地域もあれば出さな地域もあるんだよな

から喘ぐかどうかがそもそも文化的もの、すなわち後天的ものであって人間女性本能ではない気がする

日本女性が喘ぐ方の国だけど、それは結構AVを始めとした文化からの影響が大きいんだと思う。実際、男性女性が喘ぐものと信じてるし、女性は喘いだ方が男性が喜ぶと学習して喘ぐようになると

から女性は見られたいと思っている」という前提が間違いで、あくま女性が性行為の際に喘ぐものという前提は映像ポルノが発達した国特有文化じゃないかと思うんだ

アップル楽器プレスCMは確かに奇妙に思うが

アップル楽器プレスCMは確かに最初見た時には奇妙に思ったし、破壊過程執拗に見せてる辺り何かのフェティシズム映像なのかとも思った。

快か不快かどちらかで感想を示せと言われたら、どちらかと言えば不快寄りだったと言えるだろう。

だがこれが文化クリエイターへの冒涜である、みたいな話は全く分からない。

どういう理路で文化への冒涜になるのか、ちゃん説明してみてくれ。

あとこれでアップル失望した、みたいなことを言ってるのはこれまでアップルの何を見てきたのか?

anond:20240508142256

シナリオ書いたのはプロデューサーじゃないぞ?映像化の音頭を取ってるのがプロデューサーだぞ?なにいってんだ?

anond:20240507123506

「実はおれ魔法少女と告げる雪」

  

結社に入ったりしてない不勉強な身でよければ。

俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。

意図たかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね俳句っぽい。

   

「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。

「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密告白意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。

今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。

そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。

  

隠していた秘密魔法少女だというのはアンリアル事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。

俳句客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)

  

よくぞ最後季語を「雪」にしたなと思う。だから映像フォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。

  

映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。

  

下品」に寛容な下地ができつつあって嬉しい(創作

ここ10年くらい不安だったと思う

どんどん上品になってしまって

特に心配されてたのが海外進出だったと思うけど

昔みたいに映像を売ってお茶の間で流すというよりは配信でみるのがスタンダードになった結果

案外下品というか、表現の自由担保される部分も残ったようで

ある程度担保できる場所さえあればなんとかなるというか

結局下品もある程度ないと面白さは作れないというところにここ1,2年で回帰しつつあり少し安心した

ポリコレ必要だけどピークは去年か一昨年くらいだったと思う、ピークアウトしたと願う

 

というわけなので、我々には横島くんが必要

ちちしりふとももー!

2024-05-07

ゴジラ-1.0いうてそんなおもろいか

ワイ、ゴジラにはVSビオランテから入ったおっさん

アマプラ配信されてたので世間的に絶賛されていたゴジラ-1.0を視聴

ワイの中ではシン・ゴジラを超えられたようには思えん。

ゴジラ映画としてはたぶん初代からの正道なんだろうなーと思うけど、中身として何をメッセージにしたいのか、ちょっと??

映像効果はすごかった。波しぶきとか、一昔前の特殊効果ってなんだったんだろうな、って感じ。

そんだけ。

anond:20240507151430

井戸氏は、「原作世界観をそのまま映像にしたら、いまの観客の期待に寄り添えないと僕は思いました。だから映画では、柄本明さんが演じた沢崎のようなキャラクターを新たに投入することで、起承転結のあるストーリーに落とし込んでいった。この改変は正解だったと思うんです」


映像化に文句を言わずこういうリップサービスもできるから池井戸潤東野圭吾は重宝されとるんやろなあ

ふむ……これは……

【崩壊:スターレイル】ロビン キャラクターPV 「独り揺蕩う」 - YouTube

ホヨバのキャラPVとしては珍しくセリフが一切(挿入部の吐息以外)ない、かなり純粋MVに寄せたものだけど不穏さが拭えない

おそらくシナリオ更新後、あるいは完結後に見返したら分かるような仄めかしが多数挿入されてることは間違いないが

少なくとも映像の中に英語っぽいフォント文字として表現された

「RENEW YOUR DEFINITION」が重要意味を持つと思われる

このYOURは十中八九サンデーを指すだろうが、開拓者ピノコニー全体を含めたマルチミーニングになりそうでもある

YouTube自動生成字幕だとここがrenew your deathとなってしまうのがなんとも言えない趣を出してるな

まだアップ間もないから少しすると正式字幕もつくと思うが

歌詞は先日のLIVE映像ですでに公開されていたので考察勢にとっては映像の方が重要だろう

PS5のゲームおっぱいが見える

「Immortality」という実写ADVをPS5でプレイしている。幻の女優マリッサの真実を、彼女が出演した三本の映画の断片を観ていくことで解き明かすコンセプトのゲームだ。ほぼ観るだけで映像任意場所クリックする以外のゲーム性はないのだが、かなり面白い

で、このゲーム女優おっぱいが出る。わりと頻繁に。もちろん実写。一昔前の映画が題材だからおっぱいくらい出て当たり前ではあるのだが、コンシューマ機でおっぱいガンガン性交(の撮影)もやってる。しか強姦に近い表現である

CGで作った乳首はけして許さないというのに、実物のおっぱい。厳しい規制とはなんだったのか。

2024-05-06

anond:20240506115921

ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ

(ここでひるげ・まっか/まあかななつのはなたつゆえ)

   

中村草田男(なかむら・くさたお)という明治まれ俳人の句で、上5と下5が字余り(ないし、中7と下5が「句またがり」)なので素直に十七音ではないね。書いている俺もこの句は知らなかったけど、読み取ってみようと思うよ。長くなるけどそれはしょうがないと諦めてくれ。

   

内容は、すごいざっくばらんに書かれた意味だけを言うと「ここで昼食にしよう、(近くに)赤い夏の花が咲いているから」だね。まぁ言葉意味だけ追っても俳句は分からないので、ここから深掘りしないといけない。

  

まず俳句は、その映像を思い浮かべるところから始まるよ。

  

「ここで昼食にしよう」ってことは、昼食の場所を選べるわけだね。すぐ後に「夏の花」があるので、それがある環境、つまり野外だということも読み取れる。夏で野外で食事場所を選べるとなると、これはつまり弁当を持って散策ハイキング的な行楽を思い浮かべるよね。

行楽なら、高原とか草原とか、そういう緑の多い場所が思い浮かぶね。(明治まれの人の句だから現代的な行楽とは違って、素朴なものだと思うよ)

行楽に出るくらいだから、天気は良いのだろうね。夏の晴れの日。緑の丘、青い空、流れる白い雲。夏の行楽は避暑目的、涼を求めてするので、高原の涼やかな空気感、風の流れも想像できるね。

昼食前から出発して、そろそろ腹が減ってきたのかな。そこで真っ赤な花が目を惹いたのだろうね。この赤い花の傍で弁当を食おう、と決めた。そういう句だろう。

ここまで丁寧に「そう連想される理屈」も書いたけど、俳句をそれなりにやってる人はこういう読み方に慣れているので、元の句を見ればすぐに、「行楽、夏の緑の中、赤い花の傍でお弁当を食べる」という映像直観的に思い浮かぶと思う。

   

ここまで映像を読み取ったけど、増田が知りたい「どう凄いか」とは、その映像をどう鑑賞するのか、というところになると思う。

   

「ここで昼餉」といきなり強い意志を示したね。普通俳句は作者の意思思考など入れ込まないので、これは珍しい作りだ。ちなみに短歌は人の意思を盛り込むのが普通なので、元増田にとっては「短歌で慣れたスタイル」だから、印象が強かったのかもね。確かにインパクトがあってちょっと驚かされる。もっと言うと、字余りとした分、「本来入りきらないものを押し込めた」ことによる作者としての強い意志、この「ここで昼餉」と決断した意思の強さも表現されていると思う。

  

「昼餉」の後は、なぜこの場所食事場所として選んだか、の理由を述べている。「真赤な花が咲いている/立っているから」と。

夏にまつわる緑や青を連想させつつ、ここで「真赤」と、異なる系統の強烈な色をぶつけてきたね。これもインパクトになる。「赤い」ではなく「真赤」としたのも、インパクトを強める方向へ作用しているね。

しかも「佇つ」とした。「佇む・たたずむ」は、静かに立っている、じっとしているという意味だ。夏の高原で風まで想像していた、ゆるやかな「動」の映像の中に、急に「静」が放り込まれた。これもインパクトだね。さらに言うと、「佇つ」という一言からは、その花が何本も群生している光景よりは、一本だけが生えている様子を思い浮かべる。青、緑の中に一点だけ「赤」が生まれた。この対比が映像としてとても鮮やかだ。美しさも感じる。うがった見方をすれば、この句を詠んでいる時、作者の中村自身が花の傍で「佇んでいた」のだろうな、と想像することも出来るね。その並びの映像ちょっとばかり面白みも感じるよ。

   

まとめると、作者の中村はしばらく、同じような「夏の風景」の緑や青の中を歩いてきたんだと思う。そこへ、まったく違う「赤」という色が浮かんだ。その鮮やかな驚きと、その赤の美しさ、魅力が彼の足を止めさせ、ここで昼食にしてこの花を眺めていよう・この花と並んでいようと思わせ、さらには句に詠ませたのではないかなと思ったよ。個人的にはその驚きに共感したし、表現も切れ味あって良かったし、良い句だと思ったよ。句にする価値のある驚きだった。(名作かと訊かれたらさすがに考えるけど)

   

俳句は情景・映像を詠むもので、作者の意思感情感傷を直接に書くことはないんだけど、情景の中に感情を織り込むことは可能で、この句はそのように情景や映像の中に作者の驚きを詰め込んだ句になると思うよ。

  

でも俺は下手の横好きでしかないし、人にこんなこと説明するのも初めてなんで、実は的外れなこと書いてたらごめんな。

anond:20240506085226

金鳥の夏、日本の夏」

この言葉を聴いて直後に音をたてて燃える映像脳内で流れなかった者だけが若い自称しなさい

2024-05-05

本日の12:00から試みられた睡眠映像

  実施者    下坂行雄の前任者

  実施方法   不明だが、  3階のままがからんでいることが予想される。

  実施時間   12:00~18:00の間

  実施動機   延岡バクサイに書き込まれた、法の技術性に関するものに触発された。

   内容    新宅正雄が、FF7を作って汚いものをそぎ落としていたら何もなくなってしまいました、すいません・・・という、くりんたのブログ書き込み採用

         そのように考えている者が、縣人の部屋の横の2段ベッドに寝ている。 その他にテレビゲームの滅茶苦茶な映像

         こうすけ特別な訓練をするということでガスボンベに火をつけてベッドに寝ている。危険であると言って周囲も止めようとしているが断行するという。

つむぎ秋田アニメLab、強くね?

元請け2作目っぽいのに第七王子クオリティ高くて驚いた

作画だけじゃなくて話のテンポとか原作漫画の爽快感を十分映像化できててすごい

なによりも王子のふとももとか妖艶さとかへ注ぐパッション尋常じゃなくて畏敬の念しか湧いてこんわ

アニメ業界ってエンタメ最前線なのに地方分散がほどよくうまいこと行ってるのが不思議

まあ東京に集中してることはしてるけど

京アニとかP.A.とか別格クラススタジオ地方にあったり。

ウクライナモスクワ空港放火テロしてやったぜ!」

イスラム国テロ連想してイメージダウン不可避なんですけど…

ロシア兵の殺害映像嬉々として公開したり、そういうの引かれるだけだから止めな…って

でも内輪ウケはいいんだろうな

anond:20240504180148

朝ドラ」というものそもそも分かってないみたいだね。

アレは映像がついてるけど基本的にはラジオなんだよ。

それも家事をやりながらでも聞けるようなラジオイメージしてる。

家事をやりながらっていう主婦の都合も考えて、毎日見ることなんて想定してなくてちょっと話を飛ばしても成立するようにも作ってある。

橋田壽賀子三谷幸喜確立していった手法なんだがね。

日本ドラマは大きく分けて2つの方針があるんだ。

ながら見を前提としていて耳だけちょっと意識を残しておけば全容が把握できる絵付きのラジオドラマ

ちゃんと視聴することを前提としていてちゃんと画面を見なければ成立しない本格派ドラマ

このうち前者に属しているドラマに求められるのは、全体の半分の台詞を聞いていれば話が把握できることなんだよ。

からどうしても簡単な内容になってしまう。

これを幼稚だ女は頭が悪いだと批判するのはそもそもが分かってないね

そもそもの作りが離乳食とは言わずとも携行食レベルなんだよね。

ちゃんと座って向き合うような本格的なドラマと同じ枠組みで評価しようって発想がおかしいわけ。

映画ゲームBGMに対して「これって単品で聞くとそんなでもないねクラシックの方が全然いいわ」と言ってるようなもんだよ。

オタクキモい布教のせいで見る気をなくしたコンテンツ

ゲゲゲの謎

・ミッドサマー

映像研には手を出すな

ダンジョン飯 🆕

日本ドラマ、光当てすぎでは

なんか海外の見たあとで日本ドラマみると明るさが数段階高い気がする

タダでさえ顔のドアップが多いのにそこにバチバチライトが当たるから画面が照明器具並みになるまである

日本のでも古い作品だと陰影のバランスが良くて引き締まった映像って印象を良く受けるのに。

青山剛昌プロフェッショナル感想ツッコミ

子供ピュアなどと語られるところから始まった青山剛昌プロフェッショナル

あつ森で6時間かけてつくった潜水艦を見せてきゃっきゃしていたので言いたいことはわかる。

先生仕事の苦労は文字ベースでは語られていたが、実際映像と声で見ると想像を絶する。

漫画を描くときの細かい様子も思ったよりも静かで、以前アシスタントが言っていた入ってはいけない部屋がこれなのかと分かった。アシスタントは鶴の恩返し的なことを言っていた。

以下、コナンオタが驚嘆したりつっこみながら見たところ。

・1日18時間仕事をしている、という話だが、あつ森の6時間はどこいったんだろ…。まあNHK側は実際にこの日18時間仕事したと言いたかったのだろう。今は6時間寝てるそうです。

徹夜して映画脚本全チェック追加した話が予告にあったのにカットされていた。というかSNS予告にある映像ほぼ無い。

同人解説してるやつ予告にすな。放送しろ

仕事以外興味がない的なキャラ付けをされてた気がするが、毎クール推理ドラマラブコメドラマ網羅したり、アニメもチェックしているし、話題作の映画はだいたい見ていたり、艦これマニアだったりするわけで 「わりとミーハーでは?」と思う。

・グッズ修正は流石に驚いた。ボイスメッセージやボイスドラマ学習まんがに目を通しているのは知っていたが、グッズ監修は、はんこ押してるくらいのもんかな…って。

安室スピンオフへの「もう自分で描け」レベルストーリー含む鬼修正を思い出した…薄々勘付いていたが人に任せられないのだろう。

放送ではアシスタントいない感じになっていた。いる。嫁の名前が和葉の人とか出てほしかった。

・まだ自炊をしていて安心した。昔はHPアシスタントレシピ載せたりしていたが、今はリモートになった気配もあったのでカレーしか食べてないんじゃないか心配していたのだ。

・年々机の散らかり方が熟している気がする。

剣道少年だった…のシーンでシャアコスプレシーンはさむのは流石におかしいと思う。

・合間に実写の映像はいるのは劇場エンドロールシーンのオマージュだろうか。ドキュメンタリーとは全く関係なかったが、原作アニメで印象的だったロケーションが所々使われていた。

単行本に載ってないサンデーの内容を放送するの草

・「ラブコメミステリーは相性が悪い」一番言っちゃいけない人でしょう→あぁ…安室をRX7に…?伏線回収完了じゃん…

・一番悩んでたシーンがラブコメパートで笑った。

青山が倒れる2015年までのエピソードほとんど触れられてなくて勿体無い…現役青山がどれだけ天才的だったかもうちょっと教えてほしかった。

ナレーショントリックは使い尽くした」3年目くらいからずっと言ってると思うw凄いのは全トリックをどこで使ったのか覚えてるところです。

・描くの適当になった…のところで、まじっく快斗の表紙ズームおもしろかった。めっちゃ大変らしいよね、キッド衣装舞台描くの。

最後イベント青山無償ファン地元サービスで行っていることをアピールしてほしかった。

・調べたらスペインで本当に人気があるらしい。あの人がXで説明していた。いつか映画サクラダ・ファミリアを爆破しよう。

・洗面台にGUMが大量に並んでたの気になった

お菓子そんなに好きなんだ。イメージなかった。

・「見られるから喫茶店作業できない」それはそう。

長生きしてほしい。

長生きしてほしい。

白馬声優石田彰に戻るんだ!?

2024-05-04

anond:20240504152341

お疲れ様です

以下追加しときます

「虎に翼」を面白いと言ってる人って他にはどういう作品がが好きなの?

「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?

好きなドラマ映画漫画ゲーム演劇、なんでもいいから教えて欲しい。

なんでかって?

「虎に翼が好き」という感覚理解したいからだ。

私は虎に翼が面白いとは全く思えない。

正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。

私が朝ご飯リビングで食べる時間母親が毎朝見いるから一緒に見せられているが、全然面白くない。

出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。

なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。

正直、朝ドラは全部苦痛だ。

まらない。

虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。

そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味レベルが低いと思っている。

扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実にやすくなっているように感じるからだ。

なんでこんなこんな作品評価されているのかが知りたすぎる。



「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。

それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。

国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。

海外ドラマ場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。

小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。

映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。

全体として、手間暇をかけて世界観空気感を構築する作品を好んでいるようだ。


さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。

うん。そうなんだと思う。

「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。

説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。

まれから今日まで当たり前のように男女不平等世界に生きてきた人々であるという感覚そもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。

脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。

「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。

劇中でそれをわざわざ再度強調する時の

「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!

「え?女だから駄目なんですか」

やれやれとんだ差別主義者がいたものだな」

「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」

法律ではこのようになってますな」

「それは法律が間違っているんです」

「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」

みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督ディレクターOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。

男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨でっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。

なぜ、こんなもの評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。





追記

皆さんの好きな作品

闇金ウシジマくん」「そこをなんとか」「少しだけ生き返る」

ドラマだと「白い巨塔」「PICU」「Nのために」

国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画ネイチャードキュメンタリーが好き。

朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。

北村薫推理小説白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂長歌、スーシェのポアログールドバッハグルダモーツアルトジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。

漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等

同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット大奥nhk)、MIU404他野木脚本など

クールアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー

鎌倉殿野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガ萩尾望都吉田秋生小説恩田陸村上春樹が好き

虎に翼みたいに、主人公ペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。

なるほど、色々あるな。

虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。

大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。

朝ドラ説明台詞は画面を注視せずに分かる作りで仕方ない

朝ドラ」というものそもそも分かってないみたいだね。

アレは映像がついてるけど基本的にはラジオなんだよ。

それも家事をやりながらでも聞けるようなラジオイメージしてる。

なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。

「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ

ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。

この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。

乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。

母親とか職場の人に聞けばいいのに

N=1とか2とかじゃなくて幅広く情報を集めたかったので。

なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。

インドジョー・バイデンの「外国人嫌いだから成長しないw」発言に怒っている

外国人排斥中国日本インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India

https://timesofindia.indiatimes.com/world/us/xenophobia-causing-china-japan-indias-economic-woes-us-prez-biden/articleshow/109799301.cms

コメント欄

 

インド排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミックタイムズ

https://economictimes.indiatimes.com/news/india/india-not-xenophobic-but-one-of-the-most-welcoming-nations-s-jaishankar/articleshow/109825624.cms?from=mdr

S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディア批判し、モディ首相リーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバルシナリオ重要性を強調した。

 

S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領インドを「外国人嫌い」と表現し、経済的問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。

 

「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界歴史上、非常にオープン社会だったと言える。

 

ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。

 

大臣さらに、CAA批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。

 

彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバル物語形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。

 

「それは、自分たち世界物語コントロールすべきであると常に信じている層である

 

政治的ヒットジョブ

「彼らは多くの場合政治的情熱公言している。「彼らはインドの他の政党公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み立場を取ってきた。もし彼らがコメント判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり客観的判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たち役割があると信じているのだ。

 

このような流れから報道の自由に関するインドランキングの低さは、政治的な打撃である大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカ大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インド運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日テレビ映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関シンクタンク報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」

 

パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリスト大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリスト産業というものを作り上げている。

 

大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年外務大臣就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。

 

ヒンドゥーニュース検索

भारत ज़ेनोफ़ोबिक बिडेन - Google 検索

https://www.google.com/search?sca_esv=1663f069f8f632aa&sxsrf=ADLYWIKkztZNgNE89HwmmYDbB_pfJMVy1w:1714791470096&q=%E0%A4%AD%E0%A4%BE%E0%A4%B0%E0%A4%A4+%E0%A4%9C%E0%A4%BC%E0%A5%87%E0%A4%A8%E0%A5%8B%E0%A4%AB%E0%A4%BC%E0%A5%8B%E0%A4%AC%E0%A4%BF%E0%A4%95+%E0%A4%AC%E0%A4%BF%E0%A4%A1%E0%A5%87%E0%A4%A8&tbm=nws&source=lnms&prmd=invsmbtz&sa=X&ved=2ahUKEwiQjMGDgPOFAxXmmVYBHVM4AZgQ0pQJegQIChAB&biw=1858&bih=971&dpr=1

2024-05-03

インベスターZの映画損切りの件で、カルト勧誘を思い出した話

俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。

名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙バランス映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。

あと、あん清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春空気感俺もう怖いよ。

なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。

でも俺はカルト勧誘を思い出してゾッとした。

いま公式ポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。

まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。

もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ言い訳)も準備してある。

怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうそ集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。

で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。

ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。

で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。

個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。

映画って体験として強烈だからトラウマが刺激されるとか全然あると思う。

感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。

から安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。

ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。

そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。

ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人から語られるのよね。

この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画大衆化した戦後のことだろう、とか。

映画最初の5分で面白いかツマラナイかわかる、とか。

(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙リアルちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)

まあ、時間無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。

いやー、映画最後どんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホント有言実行してる?とも思うのよ。

あー、一本の映画とあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。

今期1話で切ろうと思ったアニメちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。

もちろんね、エンドレスエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。

うそう、で、インベの話ね。

投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。

選択肢錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。

大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。

ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。

しかしたら最後面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。

株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間大事と気づいたお前はテストパスしたと言う。

作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後最後面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。

インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。

これものすごくカルト勧誘っぽいのよ。

インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。

自分お金映画チケットを買い、自分映画を観て、自分映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間大事とオマエが気が付いた」と評価される。

誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。

ホモソーシャル部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。

しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資意識みたいなものがあるわけよ。

ラーメン屋に誘うというフレンドリー関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。

しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。

ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。

だってこれカルト洗脳の手順をそっくりなぞっているもの

しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。

俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。

そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画損切りの回は、とても怖いと思った。

実は同じくらい、今回の件で映画最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。

映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。

サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。

あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。

テオ・ヤンセン展を観てきた

静岡県美術館でテオ・ヤンセン展を開催中である

ずーっと昔になんかのCM(HALだかモード学園とかだったような)で、謎の物体ガチャガチャ動いているのを見た記憶があったので、ちょっと興味が湧いて観てきた。

とは言え、「動いてナンボのもんなのに、置いてあるのを観るだけで面白いわけないだろ」とあまり期待せずに入館した。

館内に実物の、ガチャガチャ動く、謎の物体(ストランドビースト)達が展示されている。

間近で観ると、ペットボトルやらチューブやら、子汚いプラゴミの集まりしか言えない。正直、入ったことを後悔した。この時点では。

ふと脇を観ると「リ・アニメーションの予定スケジュール」が掲示されている。

リ・アニメーションとは要するにストランドビーストを実際に動かす実演ショーらしい。

まり、置いてあるだけじゃありませんでした。舐めてました。すいませんでした。そりゃそうよね。

実演ショーは1時間に1回程度で、あと10分ほど待てば開催する様子だった。

待つ間、暇なので常設のロダン館を観ていく。前にも観たことがあるので、ざっと眺めるだけにする。

地獄の門が気軽に観れるなんて、凄いぜロダン館。

実演の時間になったので、展示室に移動。

作品説明が流れ、飼育員さん(専属スタッフの人をこう呼ぶらしい)がコンプレッサービースト接続ガチャガチャやっている。

スマホのお持ちの方は撮影どうぞ」的なことを言っていたので自分スマホをかざして準備する。

で、ついに動き出すビースト。おーーー テレビで見たヤツだ。よし、それなりに満足だ。

「実際に作ってみたい方のために、ミニチュアのキットを販売中です!」と宣伝していた。しっかりしている。

拍手とともに実演が終わり、散っていく観客たち。

と思ったら、飼育員さんを捕まえて質問を浴びせている人たちがいた。「なんで飼育員さんになろうと思ったんですか?」みたいなことを聞いているようだ。

答えが気になるが、あからさまに立ち聞きもできず立ち去る。実演ショーの一部に質疑応答を組み込んでくれ。

その後、インタビュー映像とか年表とか観て回る。インタビュー映像は「フリーズしたのか?」と思えるほど、静止する時間が長かった。

テオ・ヤンセンがなんでビーストたちを作ってるのか、色々説明されていたようだが、腑に落ちなかった。

あんプラゴミを量産しといて(他にも、生産終了が決まったケーブルを50km買い占める、とかも)「SDGs共鳴するものがある」は無理があるだろう。

要するに「デカくてガチャガチャするものが風だけで動いたら面白いんじゃない?」ってことじゃないのか?認めろヤンセン

一通り観終わり、物販コーナーで件のミニチュア確認する。3000円くらいだ。まぁ妥当な値段か。

組み立て済みのものを実際に動かして遊べる(?)コーナーがあった。

ちびっ子たちに混ざって自分もウチワであおいでみる。動いた。すぐ飽きる。やっぱこれに3000円は高いな。

ミニチュアだけではなく、本物のストランドビーストのパーツも額装されて売られていた。見間違いでなければ、10万円を超えていたようだけど、売れるんだろうか。

どうでもいいけど、館内の表記はすべて「ストランドビースト」で統一されていて、「ビーチアニマル」の表記は見つからなかった。

自分は「ビーチアニマル」だと思っていたから、記憶いか?と思ったけれど、間違いではないらしい。公式には「ストランドビースト」のようだ。本当にどうでもいいけど。

まり、何が言いたいかと言うと、テオ・ヤンセン展はそれなりに楽しめるから行って損はないよ、と言う話。

あんなにドジャース映像見せられてるのに

勝率とか順位とかオオタニヤマモト以外の選手名とかさっぱりわからんってすごいな

インベスターZの炎上オタク気持ち悪さを凝縮している件

注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画映画必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである

 

https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277

 ↑このインベスターZの切り抜き広告がX上で炎上している。

 自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。

 このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画映画必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪気持ち悪くて有害存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。

 以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしオタクをやめたいオタクは読むと良い。

 

バカにされた」と勝手に思い込む当たり屋劣等感

 この漫画の中では、別に映画損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋劣等感は、ちょっと常人理解の域を超えている病気である

 

「悪役」属性なら何をしても良いといういじめ体質

 コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画パターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人バカにしている」「投資家は豊かな人間生活否定している」という偏見に基づいて、作品普通に読めば読み取れるキャラクター人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。

 

自分矛盾してるのに相手矛盾してるとすりかえ

 作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれときの面倒臭さは、増田も覚えがある。

 

漫画手法自体否定

 そもそも、これは漫画物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的スタイルである差別的思想を語るわけでもなく、ただ「映画損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画表現手法のもの全否定している。

 

結論表現を殺すのはオタクである

 結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところから全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである漫画映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。

 

 オタクと言うのは、漫画映像という他人創作物を身勝手に援用して、自分劣等感攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである

 

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん