「刷り込み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 刷り込みとは

2017-04-07

俺は想像力貧困から人の気持ちが分からない。

例えば、「身内が死んだら悲しい」とか。これも経験してみないと分からなかった。身内が死んだ友人を優しくいたわったりしたけど、これは「人は身内が死んだら悲しむもの」という前提知識がまずあって、じゃあ「悲しむ人には優しくしてあげましょうよ」っていう幼い頃から刷り込みで行動してるだけだった訳だ。

差別だって、よくないって口では言うし、そのつもり律して来たけど、やっぱり自分被差別側になるまで分からなかったことは多かった。そちら側の人らは自分とは姿形は同じ人間だけどよく分からない化け物だった。いつの間にか自分がその化け物になってしまったのは何だか不思議な気分だ。

万事がこの調子から困る。優しさなんてただの機械学習しかないのか。

もしそうだったとしても別にいいんだけど、最近は悲しみの機械学習に困ってる。

めでたくとある事情を抱えてしまった自分はもう結婚は諦めてしまったんだけれど、あれ程未婚に対する風当たりにフーンとしか反応を示さなかった自分がいざそうなってみると辛くなってくる。何でだろうな。悲しい境遇になったのだから悲しむべきだという呪いは重いな。

もう優しいとか悲しいとかが本当に自分感情なのかよく分からない。カラッポだったってことなのかな。

2017-04-01

命を粗末にしてはいけない気がする

そうした思い込みというか刷り込みというか観念みたいなものって

どこからくるんだろう

2017-03-27

自然のものから(笑)

米も味噌も飽きないのは幼少期の刷り込みであって、自然のものからではないわな

外国人はすぐ嫌になるらしいぞ、味噌醤油の味付け

2017-03-26

長寿アニメが悪い

女性が家のことをやるべきだという刷り込みはご長寿アニメのせいだ。

ちびまるこ、サザエドラえもんクレしん、全て母親専業主婦だ。

いい加減ご長寿アニメ母親も働きに出て、父親(ただしヒロシを除く)は家事積極的に手伝うべき。

でなければそろそろ共働きアニメに取って代わらせた方がいいんじゃないか。

いい子でいることを子どもに求めすぎないでほしい。

いい子に育ってほしい、優しい子に育ってほしい、親として願うのは勝手だけれど子供にそれを伝えて親の願望通り育てようとするのはやめたほうがいい。

子どもの頃はそれでいいとしても、大人になって困るのはその子から

自分末っ子で、上の兄弟が手のかかる奴らだったか母親からまり構われずに育った。「小さい頃からあんはいいこで優しくて手がかからなくて、よくお母さんを助けてくれた」って母親は今になっても言う。

けど、ほんとは違う。

当時めちゃくちゃ愛情に飢えてたよ。

「◯◯はおりこうさんだもんね」って言われ続けたから、自分を抑えてでもいいこを演じるしかなかった。それが唯一、上に二人いる自分愛情享受できる手段だと思ったから。

まれに上の兄弟達を見習って反抗しようもんなら、ショックに打ちのめされた顔で「あなたらしくない」って言われてさ。わたしらしいってなんだろう?お母さんはどうやったらもっと私のこと好きになってくれる?って小学生のころからよく考えたよ。

いつも笑顔で明るくて誰にでも親切で、ひょうきんで家族冗談で笑わせて、友達も多いし勉強もできる、親にとってかわいい反抗はしても親の考え方と対立する反抗はしない。そんな空気の読めるいいこを演じてメリットあったのはせいぜい中学生までだった。

堂々と自己主張する人のほうが尊重される社会にでたら、都合のいい扱い方されて磨耗してくだけ。他人から誉められる機会は少なくなるのにも関わらず、他人評価を軸に育ってきたために自己肯定の仕方がわからず、叱られるのに滅法弱い。自分意見に自信がもてない。

社会に出たての頃は上司や同期の人間みんなが自己中に見えた。けど今思えば、自分の頭で考えて自分意思をちゃんと主張してただけだった。

痛い目にあって試行錯誤してきて、やっとのことで、人への気遣いは考えつつも主張するべきところでは純粋自分意見を主張することを覚えた。

ようやく自立して生きてくことを心から楽しいと思えた。

から子どもがいない自分が言うのはおかしいかもしれないけど、いま子どもを育ててる人、これから育てる予定がある人に伝えておきたい。

・その子にいい子でいること、優しくいることを求めすぎないでほしい。子どもはその加減がわからいから、自己を殺して他人尊重することが優しさで、意見しないことがいい子なのだ勘違いしてしまうことがある。いい子でいることを誉めるんじゃく、考え方自体やそれを主張できたことについてレスポンスしてほしい。

・「あなたらしさ」を親が決めつけないでほしい。自分意見と全く違うことを子どもが主張してもがっかりしたり「あんたは全然親に似てない」「橋の下で拾った」とか茶化さず、真っ正面から受け取ってほしい。子ども意見を拾い上げてあんたはこういう子だよねって刷り込みはしないほうがいい。

長くなりましたが、そこんとこどうぞよろしくお願いします。

2017-03-22

意思が弱くて禁煙に失敗する人へ

禁煙を失敗する人に、まずは問いたい。

本当に禁煙したいのか?と。

心の底から「本当にやめたい」と思っているのか?と。

煙草麻薬みたいなもので、やめようと思っても、体が求めてしまう。やめたくてもやめられない。」

禁煙失敗した人の常套句だが、そんなことはない。

だいたい、麻薬感覚なんか知らないでしょうよと。

禁煙に失敗する人はね、結局意思が弱いのよ。

意思とか関係なしに、本当にやめたいのに煙草を吸わないと体が震えて死にそうになるとかガチな人はさっさと医者行け。

さて、意思が弱くて禁煙に失敗する人に、改めて聞こう。

心の底から本気で禁煙をしたいですか?

この時点で少しでも気に迷いが生じるようならまず禁煙成功しない。

外的要因によって禁煙をしようとしているなら、絶対成功しない。

自分が本気で「辞めたい」と思わなければやめられないのである

外的要因とはつまり自分本心以外の部分で辞めたいと思っているパターンだ。

・小遣いが厳しいか

健康に良くないか

家族が嫌がるから

・●●にやめろって言われたか

こういったパターンでは、「辞めたい」という気持ちの裏に「本当はタバコをやめたくない」という本心が隠れている。つまり好きなのである

これを恋人に置き換えてみるとわかりやすい。

とても好きな恋人がいる。とても好きなのに別れなければならないとしたら、どれほど辛いことだろう。それこそ簡単理由では別れることはできないのではないだろうか。

たとえ別れることができたとしても、それだけの好意を持ったままだとすれば、簡単に忘れることはできないだろう。

好きなものを辞めるというのは本当に辛いことである

話を煙草に戻そう。

もうすでにおわかりかと思うが、最大の禁煙方法は「煙草を嫌いになること」である

健康に悪い」とか「金がかかる」とか表面的なところで嫌いになるのでは駄目である

親の敵のように煙草を憎み、恨み、蔑むのである

そして煙草を吸う人間嘲笑する。

あん健康に悪いだけの煙を吸う人間頭が悪い

時間無駄。何もプラスにならない。ドブに金を捨ててるのと同じ」

「単純に臭い

タバコミュニケーション(笑)

「狭い喫煙所でモクモク燻されて、おまえらハムかよ(笑)

「何かに依存してる人間ってマジダサいっすよねぇ〜」

喫煙所探してる姿って滑稽だよね」

などなど、とにかく思いつく限りこき下ろす

そして、それを本心として自分自身刷り込み続ける。

あくまで心の中で留め、表に出さないこと。)

とにかく煙草ネガティブイメージを膨らませて、それを本心にしていく。

とっても簡単に言うと、「煙草を吸うやつ=バカカスうんこカスキングカス

という考え方にさえなれればOKなのである

人間とは不思議もので、毎日そう考えて、ときには言葉にしたりしていると、本当にその通りの気持ちになるものである

これは有名な心理学者フロイトだかユングだかニーチェだかも言っていた気がするので、おそらく本当である

タバコポジティブイメージ(かっこいい、大人の嗜み、コミュニケーションツール有名人も吸ってる、など)に引っ張られそうになったときは、自分とは別世界のことだと割り切ればいい。

有名人みたいに金ないし、吸っててかっこよくねーし、タバコを吸わなくたってコミュニケーションは取れるし、大人の嗜みとか似合う人間じゃねーし。

一般人タバコ吸ってても、頭が悪いうんこしか見えないってことを理解する。

第三者から見た自分は、頭が悪いからタバコなんか吸ってる人未満のうんこなのだ。ああなんて恥ずかしいことだ。タバコなんてやめよう。

長くなったが、言いたいことはつまり

「好きなままではやめられない。だから嫌いになろう」ということである

そうすれば必ず禁煙成功する。

これまで数十度の禁煙成功してきた俺(今日禁煙初日からアドバイスである

2017-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20170317001852

なんかベイマックスの時もこういうノリの人多かった気がする

んでポリコレに縛られててうぜえとか言い出すのが出て来るのも定番だが

ディズニー恋愛入れなかったり、一見女児向けなのに内容を少年漫画風味にするのは

恋愛を入れると子供にウケなかったり親に嫌がられる(男児は勿論幼い女児もオッサンが思っている程は恋愛に興味ないし

親も恋愛に興味ない娘にわざわざ女=恋愛脳と言う刷り込みをさせたくないと考える人は多い)

&女主人公ものだろうと男児ターゲットにしているから、ってだけなんだけどね

アメリカ子供向け映画第一選択肢ディズニーであって、日本みたいに日本の子アニメが先に来る訳ではないし

男児特撮女児プリキュア」みたいな性別による明確な区分もないか

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。

以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである

誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。

そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。

中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)

だがこんな日常が長く続くことはなかった。

母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。

高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。

後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。

いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か

今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。

私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。

受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。


大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

2017-03-10

結婚リスク実在する「悪魔離婚マニュアル」に抵抗する術はない

数年前からネット上(主に2ch)で出回ってる「悪魔離婚マニュアル」っていうのがある。その中で子供の連れ去り、でっちあげDVが推奨されてる。

これを実行されると、ベルトコンベア式に負けが決まるというか、抵抗できない状況に追い込まれ相手要求を飲まざるを得なくなる。痴漢冤罪なんかと同じ構図が、離婚においても存在してるのは事実だね。弁護士連中もよく心得てて、これに近い行為指南や手引きが行われていると予想する。このパターンでこうなればこうなるしかないっていう勝利の方程式がしっかりできてしまってる。この辺の、配偶者による子ども誘拐・連れ去りなんかは大手ニュース記事にもなってたりするので、国民認知度は低いけど相当数の事例がすでに存在してると思う。件数についてはソースがなく想像しかないけど離婚件数のものから考えるに交通死亡事故自殺より発生しててもおかしくはない。あの増田はそういう問題提起がしたかったのだろう。わたしは未婚だけど、リアルに身近な事例で遭遇済み。だからこそこれを書いてる。弱者を守るためだった法律が、ちょっと人格人間性がアレな女性にまんまと利用されてしまっている。今はスマホがあるから、だれでも離婚の手はずやマニュアルアクセスできるし、離婚したいママ友同士で相談しながらこういう情報が共有されてたりするんだろうね。

結婚にそんなリスクがあると知ったら、男性消極的にならざるをえないのでは。日本少子化ますます進行する。

↓そんな恐ろしいマニュアルをわざわざ増田拡散させるのもどうかと思うが、これ以上悲劇を増やしたくないのであえて書いておく。もっと社会問題として世間認識されますように。

2 :離婚さんいらっしゃい:2015/12/04(金) 01:13:41.14

悪魔離婚マニュアル


一番古いオリジナルというか出典がどこかはよくわからなかったけど。これは2017年現在でも通用する手法だと思う。関連する法律特に改正されてないからね。

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/x1/1449159186/

親による子供拉致 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E6%8B%89%E8%87%B4

子を自分だけのものにできました日本最高

http://anond.hatelabo.jp/20170310105854

2017-03-06

白人至上主義ファッションコスメ業界刷り込み

あらゆるモデル白人になり、美醜の基準白人ありきのものになってしまった

それもこれもファッションコスメ業界白人モデルを多用するから!!!!!!!!

現にファッション雑誌女性誌)がこぞって韓国をとりあげるようになってからというもの、若年女性の中で韓国ブームが巻き起こった!!!!!!

こういった価値観メディアによって矯正されてしまうんだ!!!!!!!!!

2017-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20170305223815

どの増田が元なのか理解していない通りすがり増田なんだけど、その通りだなと思う。一種トラウマで、これを解消することはものすごく難しい。

私自身、昔は人そのものが嫌いで、一人が良いとずっと考えていた。今は、解決はしてはいないものの「信用できる人、できない人を見分ける努力はしよう」と思えるようになった。

どうやったか。成長するにつれ、単に沢山の人と会う羽目になっただけである。そうすると「大部分の人は怖い」と考えることはどうも不合理だな、と気づいた。そして「大部分の人は好い人であるが、中には怖い人もいる」と変わったわけだ。

一方で、外国人を身近に感じたスタート地点は大学留学生たちだ。留学できる人なんてのは基本的にはある程度良い家庭で、良い子に育ち、優秀だ。

から第一印象がとても良いわけだ。この刷り込み(悪い方向で受けるとトラウマ)は強烈で、そうそう覆せない。目で見て、実際に会って感じた外国人像は、テレビネットの「悪い外国人がいるんだよ」という2次元情報程度では「外国人ヤバイ」と変換されることはない。

しかしここで、良い人だと思っていた友人の外国人から突如裏切られたらどうだろうか。反応は人によって様々で複雑だが「みんな良い人だ」から「みんな悪い人だ」に180度転換することもある。

冷静に考えれば不合理であるしかし「良い人だと思っていた外国人に裏切られた。だったら他の外国人も裏切るに違いない」という理屈付けでその思考正当化するだろう。

この180度変わった思考解決するにはどうすればよいか

もし「怖い外国人」やら「怖い異性」やらが、自分が会って目にしたものではなく、単にネットテレビから得た情報のみによって醸成された場合、同じくネットテレビ情報で「良い外国人」「良い異性」を沢山見ることで解決するかもしれない。とはいえ、ネットテレビはその特性上「良くない情報が目につきやすい」ので、テレビネット情報の海から一度離れる、ということも有効だと思う。

では二次元情報ではなく実際に目の前に存在する外国人から裏切られたらどうか。これは間接的に説得されても解決しない。

どうすればよいか。これは最初の例の通り「悪くない外国人」と実際に会っていくほかない。トラウマってのはやっかいで、頭で何とかしようと思ったり、人から変えなさいと言われても変えられるもんじゃない。

からここから先は増田が「どの程度外国人について理解したいか」ということが重要になる。動機必要なわけ。「別に外国人ことなんか知りたくない」場合外国人にわざわざ会いたくもないだろうし、これから先も悪印象が変わることはないだろう。異性の場合はどうだろう。「別に知りたくない」というわけにもいかない、知りたいよね?(ゲス顔

「町中でとても良い異性に出会ってしまった」「めっちゃ良い外国人ネットで見かけた」という偶然は期待薄である。もし「このままではいたくない」と思うのであれば、自分自身で動く必要がある。

怖くない人か怖い人かを見分ける方法は、これまた少しずつ「怖くなさそうな人」に会って自分で学んで感じ取っていくしか方法はないのだから

(あ、「異性が怖い」の場合プロカウンセラーに助けてもらうのも有効だと思う(ナンパ師の話ではないよ))

2017-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20170301062906

彼等は擁護目的からロジック二の次。かなり無理があっても何度も大声で繰り返し主張することで刷り込みを図ってる

2017-02-23

自然ママ?なのか?めっちゃ怖い

ひょんなとこから自然ママというか色々過敏なお母さんと知り合った。

元々は関東に住んでたけど、3.11以降お子さん2人連れて「放射能疎開」(本人がそう言う)してきた、らしい。

電子レンジ電子機器から電磁波身体に悪い」「牛乳身体に悪くて、広まってるのはアメリカの陰謀だ」等々、正直言って、こうばしい事限りなし。ワクチンの事は怖くて聞いてないけど、好きじゃなさそうだなーという感じ。

ただ、本人自体はご立派な外資に勤めてたらしいし東京にいるご主人もふんわり聞いた話だと高学歴っぽいお勤め先で、言ってはなんだけどすっごく地頭が悪い訳ではなさそう。でも、不安を煽られての刷り込みに弱そうというか、水道管に取り付けて悪いヤツ除去する詐欺商法に引っかかるタイプというか。

自分子どもいないけど、知人のわりと普通なお母さんとかが日々こういうタイプのお母さんともにこやかに交じり合わなきゃいけないのだと思うと、めっちゃ大変だ、と思った次第。

2017-02-18

プリキュア馬鹿にする大人になりたくない

プリキュア映画を見た。

愛とか正義とか友情とかに必死になって、それらを貫くことを決して疑わない心をプリキュアは持っていた。

しかし一緒に見ていた友人は、それを見て笑う。つい私もつられて笑ってみたが、画面の向こうとはいえど純粋彼女たちにこんな振る舞いをしてしまうことが心底嫌だった。

純粋さや曲がったところのない綺麗な心に対して、私は何を馬鹿にできるのだろう?

斜に構えて物事に真面目に取り組めない友人や私の浅さがそこで浮き彫りになったようだった。

ひとつ一生懸命になれなかった私たちは、日陰者だ。まっすぐと生きていくプリキュアたちはきっと太陽に照らされ堂々と笑って生きていけるだろう。

しかし、私だってなりたくて日陰者になったわけではなかった。

必死になっていると笑われるという刷り込みがいつの間にか身に染みついていただけなのだ

そうなれるのであれば、私はプリキュアのようになりたい。

愛とか正義とか友情とか、今まで散々馬鹿にしてきたもの必死になってみたい。

何かに一生懸命になって、まっすぐと生きて、堂々と歩きたい。

プリキュア馬鹿にする大人になんてなりたくない。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。


まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。

もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ

なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。

本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。

「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)

原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。

そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。

また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。

最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。


それでははじめます。

導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。


まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。

そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。

しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業


解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。

同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。

同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?

『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。

諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。

『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。

『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。

すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。


解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。

不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」

感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。(Permalink | トラックバック(0) | 22:47

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170209070306

この文章にも"ラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやる"きらいがありますよ。

老婆心ながら申し上げます

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ダメだ。

そうやって、さも当たり前の共通言語のように、ツイカスだとかクズだとか、品性に欠ける単語を使ってしまっては。そうやってラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやるというミーム感染拡大させる、それは増田が嫌うネットの人々がやっていることと何も変わらない。特に、私達のようにWebを見てきた30や40を超えた人間は、ネット空気になじんだような口調になってはいけない。

どんな嘲笑を受けようが、自分高潔さを保ちながら、丁寧な言葉を選びながら誠実に謙虚に核心を突く議論を(たとえ匿名でも)展開していく。そういう事を続けて、わずかでもその姿勢共感して倣ってくれる人を増やしていかないといけない。ただでさえネット上ではみな次第に同じような卑しい口ぶりと思考回路になっていくバイアスがあるのだから、それに抗って「ネットの向こうの人」の多様性を見る者に意識させていく必要性が、今ますます高まっている。

想像してみてほしい。Web言論悪化してみえる大きな原因の一つは、発信者リアルに低年齢化しているからではないか10年以上前の時点ですら、小中学生PCを使ってMMORPGに入ってくることがあった。今の子どもは幼稚園以前からスマートデバイスに触れて、小学生でも大人以上に使いこなす。そうしてネット上で、子ども子どもを「キッズ」だなんだと揶揄しているような中に、そうと気づかず青年中年までも同じようなノリでやれやれと叩きはじめる。現実に、小中学生しょうもないいがみあいをしている所に大人が一緒に混じってやりあうことがあるだろうか。ネット上では、ある。しかも悪いことに、子どもたちは彼らが自称ながらも本当に大人であろうということを知ってしまっている。世の中はそういうレベルものだという認識を強めていってしまう。そんな中で、そういう輪の中に大人たちが立ち入らない(スルーする)ことは賢明ではあるけれども、場合によっては、きちんと良識ポリティカル・コレクトネスをふまえた丁寧な注意をしてあげるべき状況も少なからずあるはずだ。その時ただちに理解されずに、袋叩きにされて逆効果のように思えたとしても、子どもたちが育っていったとき「あの時はアホだと思ったけどマトモな大人が確かに存在した」と思って貰えることが重要だ(ただし上から目線にならないよう相当注意しないと、本当に逆効果になってしまう)。それがないと、ネット同調性に囚われ、低みにとどまり続け、自省能力を失った大人たちが将来多数派になってしまう。その後の未来はもう誰もが薄々感じているような様相になるだろう。実際のところ、ネット上での振る舞いを教えてあげられるのは、教師でも親でもない。彼らはその場に居合わせていないのだから同級生から学ぶことも難しい。この問題を現状で一番どうにかできる可能性があるのは、その場に居合わせ大人だけ。その事実をもう少し重く捉えてほしい。

から、本当に憂いているならば、そう簡単に「さよなら」を言ってほしくない。日本人性質的に無理なんだとか、そういう諦念をバズらせて思考感染させないでほしい。

2017-01-25

日本漫画文化での、友達とか仲間至上主義ってなんなの?

なぜサトシは戦わないか?ってエントリ読んで思った

http://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute

例えば、子供ケンカ大人がしゃしゃり出るのは変だし、スポーツ監督試合乱入するのも変でしょう

乱入して一緒に戦わないからって、それは決して、仲間を見捨てるとか安全圏で好き勝手言うとかではないのは理解できるはず

大人監督プレイヤーと、それぞれの役割分担があるだけだ


なのに、ポケモンを戦わせるだけで自分は戦わないからってサトシ卑怯だとか奇異だとか、はあ?って感じ

自分ポケモンが負けそうになったからって、トレーナーが殴りにいっちゃおかしいでしょうが

仲間と共闘してるというより、ポケモンバトルをしている、という大前提を忘れちゃいか

自分も殴りに行かず鼓舞するだけ、という行動に対して卑怯だとか思ってしまうのって、やっぱり友達至上主義文化に犯されてると思う

何よりも仲間が大切とか、仲間を切り捨てるのは鬼畜所業とか、ああい刷り込みってどこから始まったんだ?

それぞれがそれぞれの責任役割を果たすことが集団利益になるというのも、またひとつの正しいあり方だと俺は思う

その過程で仲間を直接的に助けないことがあっても、それはそれでひとつ正義だろう、と俺は思うのだが、日本漫画文化では、これは絶対悪とされている気がする

この刷り込み教育によって、従順社畜が量産されているような気もする

最近の、仲間に溶け込まないゆとり新人みたいに言われる人って、こういう仲間至上主義少年漫画を読まず、無気力省エネ主人公ラノベで育ったんじゃないかって思う

これはこれで問題もあるのかもしれないが、仲間至上主義一色よりは絶対にいい

いや、色んな考えがあって世の中は良くなると思う

少なくとも戦わないサトシを奇異に思う感性作品作りする人は、もうちょっと考えを深めてもいいと思う

2017-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20170118114826

それ下手すると努力しても希望した報酬もらえないという刷り込みが発生して、

なら目標に向けての努力価値が無いか報酬をねだらずにどれだけ自分が楽できて何もしない方が良いのかに頭を使いだすぞ。

俺がそうだったからよくわかる。

親に「○○ページ勉強したら遊んでいい」って言われてやるだろ?

終わったと言ったら「じゃあ次は○○をやれ」「次は○○」「次は○○」これの繰り返しで

大人うそつきだと学習し、人間不信になって努力もしなくなった。

なぜなら努力しても遊べなかったからだ。

そしてこういうことをやる人間に対して抗議するという当然の行動もしなくなった。

いか子ども絶対に騙すな。

子どもに嘘をついてもいいと学習させるな。

どうしても子ども安全のためなどで嘘をつかないといけなかったなら、終わった後に嘘をつかないといけない理由説明しろ

報酬人間にしないと絶対まともに成長しない。

確実に歪んだ人間になる。

後年、親にそのことを話したら「報酬があるからやるって子どもは碌な大人にならない」とか言い出しやがった。

じゃあブラック企業はまともな大人が務める会社だな、和民とか優良企業なのに何で落ちぶれたのか説明してみろよと言ったら黙っていた。

2017-01-13

達ちゃんは語りたい

ちょうどアニメ放送と被るので若干語ってみますね。

はいってもぼくの場合は軽度であることと、ここ数年ちゃんとした受診をしておらず不正確な部分が多いです。

なにより自己診断の面が強いので話半分でお願いしたいです。ほんと半端者です。

からしましょう。とりあえず職場の話からです。

自分心療内科受診したきっかけは職場でのトラブルでした。よくあることです。

当時20代半ば、事務系と土方が半々の職場でした。特に事務系でそのトラブル遺憾なく発揮しました。簡単にいうとこんな感じです。

事務殆ど書類作りと整理、パソコン分手書き半分という感じです。量はあります新人研修の延長を超えません。この仕事を2年ほどしていましたが、ほぼ毎月同じようなことで怒られてばかりです。

例えばある1ヶ月の内容は「別の部署から仕様書を貰う->物品をパソコン入力->契約->受領->請求書を貰う->書類一式揃えて支払いに回す」とこれだけです。仕様書が遅いとかは特になく、むしろとても早く持ってきてくれます田舎なので契約もいつもの業者ばかりでとても楽ちん。そこそこの人がやれば月の半分は遊んでいられるような、そんな仕事です。

でも僕は、これが全然できませんでした。書類様式を覚えるのも何ヶ月かかったか。常に上長監視し、先輩からアドバイスを貰い、業者も他部署も全て好意的でした。それなのに9割がた僕のところで何もかも止まっていました。点検が終わっていない書類デスクは常に満杯。最後は僕の印鑑すら取り上げられた始末です。

僕を庇ってくれる人もたくさんいました。でも僕の仕事ぶりはその好意を軽く踏みにじります笑顔で泥を投げつけてました。

毎月同じような書類の不備と怒轟の嵐。

僕の安らぎは、たまにある社外での泊まり込みの施設整備でした。その時は何もかも天国だったのです。

もうわかると思いますが、僕は自分のことを客観的に見るのが苦手です。知らないことを知られたくないがために質問もあまりしなかったと思います。そのくせ自分勝手解釈で行動するので優先順位は全てデタラメコンプライアンスに触れるようなことを堂々としようとしたのは2・3度ではなかったはずです。僕は僕を理解せず、周りも人の形をした汚泥をみる表情に変わりました。

当然こんな状況で仕事が長く続くはずがありません。

とうとう本部の人から社内のカウンセリングを勧められ、そこから外部の病院への通院となりました。

僕の幸運は、会社業務比較的緩いことと、そのような精神面での問題に寛容な風潮があったこと、そして通院したのがそこそこマトモな部類に入る(と通院仲間から言われた)ことでした。たまたま駅の看板を頼っただけなんですが。

病院のことを話します。

そこはいわゆる心療内科であり、鬱や僕のような人間のためのリハビリを行う施設も併設しているやや先進的な場所でした。

初期に2時間弱のテストを受け、僕に発達障害の傾向があると言われました。残念ながら口頭説明だったので詳しい結果については明確に覚えていません。

そこから色々あり退職準備と併行して自立支援プログラムを受けることとなりました。入院ではなく平日はそこに通院して一日を過ごすのです。治療ですが内容は極めて簡単ものが多く、知らない人が見ると幼稚園老人ホームのような印象を持つかもしれません。

僕はそこでもポンコツでした。なんでも話せますしどんな個性も許される場ではありますが、僕はとにかく無知独りよがりで幼稚でした。職場環境のせいではないことをこんな形で理解するとか、今思い出してもきつい。

自分のことをちょっとします。

僕は心療内科広汎性発達障害と診断され投薬治療も受けました。でも効果があったのかはいまでも疑問です。そもそも心理テストの結果も一般人寄りだったはずですし、退職後にその病院から遠く離れてしまったので今となってはどうなのかよくわかりません。転院先は面倒であまり好印象でなく辞めてしまいました。

僕が他と違っていると感じたのは小学生くらいからです。当時から随分と幼稚な行動が目立つ子供でした。テストの成績が悪いわけではありませんし素行が悪いのではなく、しかし振り返ると妙に浮いていました。

「ふわっと」した感覚が今でも続いています。たぶん精神年齢実年からマイナス10歳くらいかと思います

この歳になっても生きづらさは続きます。とにかく物をなくしがちなのです。子供の頃からこの現象を「妖精仕業」と考えるほどに日常化しています

物をなくすというと勝手に捨ててしまう印象かもしれませんが、違います表現が難しいですが思考身体がずれるのです。無意識下でものを移動しているので、過程がまるで見えないこともしばしばです。自転車ライトを靴の中に入れていたり、手袋を片方だけコートポケットに入れて放置したり。必要ものを手に持っていたのに、玄関先でそれを持っていないことに気づいて部屋とを何往復もします。

誰にでもあることかもしれませんが、僕の場合はそれがほぼ毎日起こります。だから僕の周りにはものが溢れます

必要ないものでも捨てられません。常に目に見えないと危険です。机の中にしまったら次にいつ取り出すか不明なまま時が過ぎていきますしか整理整頓もできないので部屋には書類や本が地層となります

から僕はペンメモ帳を手に持ってどこかに置こうとした場合、できるだけ指差し確認をするようにして脳に刷り込みます

僕にとってペンメモ帳大事ものです。日々の出来事を書くのさえ億劫ですが、これがないと自分の最低限のことさえ空虚に感じます。役に立っているというより精神安定剤です。

心の支えは、同じゲーム仲間だったりこんな風に拙い文章を書くことくらいです。それもだいぶつらいですが。

今度再就職しますが、決して良い結果にはならないと思っています。僕は、僕の中の子供をどうしても躾けられないのです。また同じ失敗をするのかと憂鬱です。

僕は普通の人のように振る舞えない、けれど亜人にもなれない。半端者です。

よく発達した発達障害の人がとてもまぶしい。

2017-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20170104162539

人間誰しも自分の持っている偏見については鈍感ですから

我が家でも私は男だけれどアウトドアは嫌いだということを主張し続けて5年以上

最近やっと諦めてもらえるようになりました

どうして男だからアウトドアスポーツが好きみたいな刷り込みがあるのでしょうね

女性に対するジェンダーバイアスには敏感な妻なのですが、その辺は残念です

2016-12-25

禁酒して気づいたこ

肝臓の数値がやや不安だったので一週間禁酒することにした。

毎日ビール350ml×2缶程度飲んでいた

・口が寂しいと思い、ノンアルコールビールを大量に買い込んだ

気づいたこと:

結構あっさりやめている

自分が求めていたのは酒ではなくビールだったのかもしれない。

・脳が騙されているのか、ノンアルビール飲むと頭の中がほんわかした感じにさえなる。

・一日の終わりにビールと言う刷り込みマーケティング)はすごい大きいと思った

食事に合わせてビール(あのホップの苦みが食欲をそそる)がほしくなるので、ビール代用品としてではなく本気で飲料メーカーには飲みごたえのある食事に合うような飲料を開発してもらいたい。

2016-12-15

ネットで騙されやすい人、デマ拡散してる人の特徴

結論情報の真偽を判別できない人(バカ)

 

というのは当たり前かつ乱暴なので、ちゃんと書いてみる

 

 

情報源にこだわりがある

その情報ウソホントか、判別する力が無い場合、人はその情報出所判断しようとする

これは対象が難しくなると誰しもある程度やっていることだ(例:医学知識に対し、医者が言ってるから正しいだろうなど)

ただ、その判別能力が低い人ほどこの傾向が顕著になる

 

この現象が起こる際に、ではどのように出所の良し悪しを決めるかだが、これは刷り込み効果が非常に強い

最初に「ここはデマ情報ばかり流す」と思い込むと中々その認識は変わらないし、「ここは信用できる」という認識も中々変わらない

判別能力がある人からすると、その人の言動は頑固に見えることだろう

 

例)○○新聞は正しいことを書くが、○○新聞はいつもデマばかりだ

  ○○新聞が言ってるならデマなのだろう

 

疑心暗鬼

情報が正しいかどうかの判別能力が引く人ほど、騙された経験が多くなる

そして新しい情報が来た時にも、判別能力が無いため、その情報が正しいかどうかわからない

すると自衛のため必要以上に身構えるようになる

・この人は私を騙そうとしているに違いない

・みんなで私を騙そうとしているに違いない

・ひょっとしたら自作自演なのかもしれない

・彼が言ってることは怪しい、私の敵かもしれない、敵ならウソを言ってるはずだ

・これは誰かの陰謀

 

のように、統合失調症患者のようになっていく

上で述べた情報源とのこだわりと疑心暗鬼が合体すると

信頼している情報源へは、より一層信頼するようになり、疑ってる情報源へは、より一層疑うようになる

こうして○○信者、○○アンチができあがる

 

問題意識を抱えている

人に指向性がないと、騙されても「ふーん」で終わる

もちろんそういう人も社会的問題なのであるが、デマ拡散する人は更に問題意識も抱えている

問題意識とは漠然とした表現だが、単純に「不満」と「理由」があれば問題意識簡単に完成する

 

特に騙されやすい人は、上記2点の傾向により信頼する情報源から発せられた情報に感化されやす

信頼する情報源が、どういうタイプの発信者かは結局運次第だが

もし「〜〜は問題だ!」ということを発するタイプなら、感化されてしま

 

極端な思想に陥りがち

情報の真偽を正しく判断できないということは、つまり白か黒かわかりやすものしか判断できないということだ

世の中の意見グレースケールにしたとき過激意見ほど分かりやすく、まっとうな意見ほどグレーでわかりづらくなる

自ずと感化される意見も、インプリンティングされる情報源過激ものとなる

 

これまでの話をまとめると

 

情報の真偽を判別できない

極端な意見に感化されやす

極端な情報源を信頼しやす

問題意識をもってしま

疑心暗鬼が進む

 

こうしてよくSNSで見る人が完成するわけだ

 

 

おまけ1 この現象で起こる被害

 

二元論的なテーマの話がしづらい

こういう無知蒙昧たちは、二元論的なテーマに集まるようになる

すると、集まった彼らは基本的バカなので、議論が前に進まなくなる

(そもそも人数が多いと話が前に進まない)

 

デマ拡散する機械と化す

極端な情報源思想拡散するだけの機械と化す

それを更に助長するのがSNSシェア機能である

自分の信頼している情報源からシェアは、拡散せざるを得ない

 

おまけ2 無知蒙昧から脱するパターン

 

結局、情報の真偽を判別できる人になるしかない

 

・年を取って経験値を詰む

・きちんと信用できる頭のいい相手議論をする

・きちんと信用できる頭のいい人達議論結論を見せる(白黒以外のグレーの存在を受け入れさせる)

・信頼したいた情報源にひたすら裏切られる、あるいはその逆(過度な信頼を崩壊させる)

 

ただし、自分が成長し、素晴らしい考え方を発信することで周りを成長させることはできないと思う

難しい話をはじめたり、極端な思想から外れたら、無知蒙昧な彼らの「信頼できる情報源リストからは外れていく

説得も難しい

何を言おうが疑心暗鬼には通用しない

(ちなみにこれを突き詰めたのが宗教だと思ってる

 無知蒙昧から脱出させるのは、宗教から脱出させるのと同じようなイメージだ)

2016-12-03

「正しいことを幸せだと思っている」真面目さと、生きづらさの正体。

私はとても真面目だ。制服スカートを折ったことも無いし、メイクをして学校へ行ったことも無い。課題は確実に出していたし、授業中自分から話したり、先生に横暴な態度を取ることも無かった。

私は母子家庭で育ったが、祖母と兄と母と一緒に暮らしていて、親戚同士の仲も良好だったため、たくさんの人に愛されて育ってきたと自負している。小学生の頃いじめられ、中学校に入ってから全く学校に通えなくなった時も、母が私のためを思い「どうして学校に行かないんだ」と怒られたことがあるこそすれ、無理やり学校へ行けと怒られたこともなく、なんなら「中学三年間なんてこれから人生に比べれはちっぽけな時間なのだからゆっくり休めばいい。好きなことをしなさい」と言ってくれたおかげで、私は無事に高校へ進学した。

多少の家庭問題はあれど、それでも余るくらいに私は愛されてきた。ひきこもろうがどんなに反抗しようが、それでも常に私の心配をしてくれる人が周りにいて、私は本当に幸せ者だと思う。

だが、私は自己肯定感が低い。自分に自信なんて全くないし、取柄といえば真面目なところくらいだと思う。

こんなに愛されてきたのに、どうして私は自己肯定感が全くと言っていいほどないのだろうと、ずっと考えてきた。そして出た答えが、「真面目であること、そして正しいことを幸せだと思っている刷り込み式の考えにある」だった。

私たちは皆、努力すること、我慢すること、気を遣うことが美徳と学んできた。私も小さい頃からそう思って生きてきたし、うちはマナーにも非常に厳しい家庭だったため、それが当たり前だと思っていた。

確かにそれは素晴らしい考え方だし、共存必要なことであると思う。けれど我々は、その考え方にとても苦しめられているのではないだろうかと、今となっては思うのだ。

私は言いたいことを言わないと気が済まない性格で、物事をはっきりと言っている。喧嘩をするときもそうなのだが、いくら怒っても、いくら自分気持ち吐露しても、なんだかすっきりしないことに気が付いたのだ。

言いたいことは言っているし、きちんと相手にも伝わっている。「私はこれが嫌で、こうだからあなたがどうしてそういうことをしたのかがわからない」と、自分意思を伝え、相手も「そうか、わかったよ」と言ってくれているにも拘らず、気持ちが晴れない。伝えた直後はすっきりしていても、後々「あの時自分はこう伝えたけれど、本当に自分はそう思っているのだろうか」とまた思い直し、そうしてまた、相手改善してくれたことも、「やっぱりそれは違う」となり、それを延々と繰り返し、問題が全く解決しないのである

これについて私は、本当に長い間悩んでいた。「相手はちゃんと私が言ったことを受け止めてくれて、改善もしてくれたのに、どうして私は満足できないのか」と、常に自己嫌悪状態で、本当にこれだけで死にたくなるほど悩んだ。

悩んで悩んで、どうしたらいいのかと頭を抱えて悩んでいたある日、答えはふっと降りてきた。

いくら気持ちを伝えてもすっきりしないのは、本音を伝えていないからだ」と。

そりゃそうだろう、と思われるかもしれないが、そこで出てくるのが、「正しいことを幸せだと思っている」なのである

すぱっと言ってしまうと、私たちは常に正しさを基準に生きている。そしてそれこそが一番の問題なのだ

本音というのは、自分の本当の気持ちのことだ。喧嘩をし、自分気持ちを吐き出してもすっきりしないのは、「一般的な考えを踏まえたうえでの本音」だからなのだと思う。

私たちの中には、意識的しろ無意識的にしろ正しさが基準として根付いていて、「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない」と、どこかで自然セーブをかけているのだ。そのせいで、本音を言ってもすっきりしない、だって「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない。だからこう言ったほうがいいし、そのほうが幸せなのだから、という謎現象が起きてしまうのである

そしてそれが起こる原因は、「真面目さ」にある。真面目な人は、全てのことを正しいか正しくないか判断してしまう。それは、自分気持ちですらその天秤にかけてしてまうのだ。

それはとても恐ろしいことだ。どんなに嫌なことでも、ただ「正しくないから」「正しいから」と、そのふたつで判断されてしまう。この恐ろしさを、私たちは皆持っているのではなかろうか。

真面目な人が鬱になってしまうのは、これが大いに関係していると思う。仕事を辞めたくても、どんなに体調が悪くても仕事をし、学校に行き、頑張ってしまうのは、それが「絶対的に正しいこと」と思い込んでいるからだ。かくいう私もそうだったので気持ちはとてもわかる。自分では気付かないうちに、自殺という選択肢しか残らないところまで自分を追い詰めてしまうのだよね。

だらだらと書いてしまったので結論を書くと、「正しいことが幸せなのではない。正しくないことが不幸せなのではない」ということである

以前母と話したときに、私が「ホームレスを見ると悲しくなる」と言ったら、「案外あの人たちは幸せなのよ。縛られることもなく、気楽に生きていけるから」と言われ、そうかと思った。自分が思っているよりも、他人は不幸せなんかじゃない。本当に心の底から辛い人なんてそうそういないのだ。

「正しさを基準判断し、他人を不幸と決めつける人」に言いたい。

正しいことが、必ずしも幸せではないということ。正しくない人が全員不幸なんかじゃないということ。自分の「幸せである条件、または物差し」――たとえば死に物狂いで頑張ることとか――から外れている人が不幸だなんて、そんなことは絶対にない。

私たちは正しくなくていい。正しく幸せになろうとなんかしなくていい。

私たちには、「不真面目に幸せになる権利」があるのだから

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120220138

それって、LGBTの家庭であっても性的に偏った教育をせずに普通(笑)ストレート性癖になるようにしなさいってことですかね。

現在LGBTを自認している人の多くは両親から「嫁をもらえ」「いい男を見つけて結婚しろ」という刷り込み子供時代からされていながらもなお自分の性認識を変えられれなかったという葛藤を乗り越えてきてるんだけどね。

暴力夫がいる家庭で育てば女の子男嫌いになったりするだろうし、過干渉母親がいる家庭で育った男の子なら男性に惹かれるようになるかもしれない。

認識環境によるものなのか、生まれながらに変えられないものなのかは一様に決めつけができないし、仮にLGBT家庭で育った子供が両親の影響を受けて「自分も同じように同性のパートナーを見つけたい」と思うようになったとしてそれのどこが悪いのか。

そのあたりの想像力の欠如が埋めがたい溝なんだよな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん