はてなキーワード: 長野オリンピックとは
88年の長野生まれが〝あの頃〟を振り返ってみる。あの頃〝半ドン〟があってたまに土曜日は午前だけ学校で週休2日じゃなかった。あの頃〝改札にPASMOなんてなかった〟まだ駅員さんが立って切符切ってた気がする。あの頃テープが廃れて〝8センチCDがなんかおしゃれな存在だった〟今は存在感すらない、ちなみにシャ乱Qだった。あの頃〝おじさん達は職員室でもふつうに煙草を吸ってた気がする〟小学生だったから朧げだけど。あの頃〝電話帳に個人宅の電話番号のってた〟小学校とかでも住所の情報とかガバガバだったような。あの頃〝冷凍食品がまずかった〟今では普通においしい。あの頃〝セクハラとかパワハラなんて概念はまだ微塵も存在していなかった〝むしろ劇的に良くなったのはここ5~10年という真新しさ。あの頃〝長野オリンピックで踊らされたけどなんのステージなのか理解してない小学生だった〟
あの頃、私たちはたまごっちに飽きてデジモン育ててて、同世代のSPEEDを聞きながら安室奈美恵に憧れて、でも服装はシノラーから影響受けてBettysBlue買ってもらって誇らしかった。テレビでやってるコギャルに中学生になったらなる気がしてて、高校生になったらポケベル鳴らすつもりだった。でも高校生になる頃には二つ折りの携帯の時代になってて、デコメが流行ってて、ポケベルなんて消えてピッチすらちょっとダサい存在だった。セブンティーン読んでラブワゴンに盛り上がるミーハーな友達をちょっと白い目で見ながら、タワレコでレディヘのCD借りてMDにまとめて友達にあげたりしてた。ウォークマンなんてのもあったなぁ。サブスクなんてなくて、インターネットでHTML書いて友達がHP作ってた〝あの頃〟キリ番踏み逃げ禁止だった〝あの頃〟ズッキーニとかパプリカがスーパーで珍しい野菜として並ぶようになって段々標準装備されていった〝あの頃〟外に散歩に行きたがる猫には網戸をあけてあげるのが優しさだとみんな思ってた〝あの頃〟
その後、アメリカのニュースで練習中に3アクセルに挑戦する姿が放送されるも、大きな反響を呼ぶに至らなかった。また日本でも
バラエティ番組出演やテレビ朝日『ニュースステーション』でインタビューを受けたりするも「話題の人」の扱いにとどまっていた。
元夫にプライベート・ビデオを暴露されたり、同棲している恋人に暴行を働き逮捕されたりと話題を振りまいた。1996年には映画『ブレイクアウェイ』に出演[1]。
長野オリンピック開催直前の1998年、アメリカのテレビ番組で久々にケリガンと対面して直接謝罪、マスコミはこぞって「和解成立」と報じた。1999年、プロスケート選手権に招待され2位の成績を残しプロスケーターとして再出発するかに思えたが、翌2000年にボーイフレンドへの暴行容疑で逮捕され、完全にプロスケーターとしての道が閉ざされた。
2014年、ESPNのドキュメンタリー番組"30 for 30"でナンシー・ケリガン襲撃事件を扱い、当事者として出演した。番組タイトル名は"The Price of Gold"(金メダルの代償)[2]。同じく2014年2月、NBCでナンシー・ケリガン襲撃事件の回顧番組が放送された[3]。
2017年、伝記映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』がアメリカで公開された(日本では2018年5月4日公開)。2018年1月11日、ABCでは"TRUTH AND LIES Tonya Harding Story"という番組が放送され、本人やナンシー・ケリガンら多数の関係者が出演した。
長野オリンピックの時は無邪気に現地で観戦してたのに、今回はテレビでオリンピックのニュースが流れているだけで悲しい気持ちになる。
コロナで困窮に追いやられている人たち、飲食やエンタメ業界、医療従事者、エッセンシャルワーカー、どんな人が痛めつけられてるかしっかり知ってしまったから、テレビの中が楽しそうであればあるほど悲しい気持ちになる。
自分は幸運にもずっとテレワークをやれている業種で、業界にもさほど大きな波はきていない(この先どうなるかは分からないが)
でもインスタをひらけばバーベキュー、キャンプ、ホームパーティーだよ。楽しそう。でも悲しくなる。
ふと震災の時のことを思い出す。
テレビやSNSで津波の動画を見てしまい、涙が止まらなくなったのだった。
同じだ。自分の国で大災害が起こるまで、海外の災害にたいしてどこか他人事だったのだ。
世の中の困りごとを自分ごととして知ってしまった今、いろいろなことが楽しめなくなった。
この楽しさの裏で、何が起きてる?誰が困ってる?と思うと憂鬱。
素直に楽しめていた頃の自分に戻りたい。
なにもできることはないから、せめてもの思いで炊き出しに寄付をした。
楽しそうにしてることが羨ましく、悲しい。
準備してきた人が気の毒なのには同意するが、石原とか猪瀬とかの目立ちたがり都知事と、彼らのために巨額な都民の税金を浪費してオリンピックを招致してきた奴らは許せん。
どうせ長野オリンピックのときも贈賄で招致してきたんだろうけど、その時の経験があるからと電通がのさばって良いように儲けたんだろう。電通で贈賄の中心だったと言われている人物は開き直って「明らかにするつもりはない」とか言ってるらしいが、お前ら贈賄に使った金東京都に返せよ。オリンピックなんか不要不急の金食い虫なんだよ。
そんなものより新型コロナウイルスのために営業を自粛して苦しい状態になっている人々や企業を助けろ。コロナ治療のために感染のリスクを背負いながら闘っている医療関係者に金を払え。
全くもって都民の健康や生活の向上の役に立たないオリンピックなんかに都民の税金と役人を使うのがけしからんと思う。これでオリンピック延期に必要な追加経費も東京都が払うとかいうんだったら、私は東京都に住民税を払いたくない。どうせ給料から天引きされちゃうんだけどさ。
続きです。
欧米でNGだから日本でもNGってどうなの?というのはたしかにあると思います。ただ現在のところ、テレビなどで誰もが見られる表現については、良くも悪くも欧米が基準になっています。そして今、かつて日本でOKだったことについても欧米基準でみたらNGだったね、ということが言われるようになって、たとえば顔を黒塗りにしてたシャネルズはどうだったの?という議論が出てきたりしています。「日本だからOK」は通用しなくなりつつあるんです。
https://togetter.com/li/783908
(ちなみにこの「顔黒塗り」も、それを連想させる表現含めて、一発NG案件です。)
https://edition.cnn.com/2019/02/11/entertainment/katy-perry-blackface-shoes/index.html
でも、今まで日本式宣誓でやってきてるけど何も言われてないけど、、と思われるかもしれません。たしかに長野オリンピックの動画を見ると、荻原健司さんが日本式宣誓ポーズを堂々としています。
https://www.youtube.com/watch?v=iRdCxz831sQ
多分当時もこれ見て「えっ…」と思った人は海外にたくさんいたと思うのですが、そもそもこの場面をちゃんと見てる人は(競技本体に比べたら)そう多くなかっただろうし、「日本ではOKなんだな」と思われたのと、当時はそういう違和感のはけ口(Twitterとか)がなかったので、特に表面化しなかったんだと思います。
でも今は特にドナルド・トランプとかBrexit、その裏で台頭する極右勢力とかが問題になってるタイミングなので、日本だろうがなんだろうが、ナチス系表現(もっといえば極右系、もっといえばあらゆる差別的表現)には、日本人ももっと気をつけたほうがいいと思います。
近隣のアジアの国ではどうしてるかというと、、(そもそも日本式宣誓ポーズの習慣がないと思いますが)
北京五輪 手をあげない (片手は五輪旗をにぎる、これは決まり)
http://japanese.china.org.cn/olympic/kms/2008-08/09/content_16169428.htm
平昌五輪 実際の開会式素材見つけられなかったんで、ボランティア発足会の模様 ひじを曲げて、右手をあげる
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2017/0925/10198341.html
この、韓国でやっている「ひじを曲げて右手をあげる」はアメリカで大統領が就任するとき、
議会とかで証言するときにも使われているジェスチャーで、安全です。
で、そもそもなんでナチス式敬礼がだめか、昔の話じゃん、と思われるかもなんですが、上のニュースでも少し触れられてるのですが、ナチスは昔の話じゃないのです。
今でも、ユダヤ人に対する差別があって、ナチス思想はユダヤ人差別に直結しているので、ナチス式敬礼を見るとユダヤ人の人はとても不快なはずです。
日本人が海外で、目を横に引っ張って細くするジェスチャー(というかそういう顔)をされて不快だったみたいな話がよくあるんですが、それよりもっとです。単なるからかいレベルではなく、ユダヤ人はその差別意識に基づいて何百万という人がリアルに殺されているからです。
そしてナチス思想は極右勢力の一部をなしていて、そいつらがドナルド・トランプを大統領に押し上げたとも言われています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Alt-right
全然昔の話じゃないのです。
ちなみにユダヤ人は今世界に1500万人くらいと推定されていて、人口としての割合はそんなに多くないので(地球70億人としたら0.2%くらい)、なんでその人たちだけ特別扱いするの?みたいな話もでてくるかもしれません。私自身そこまでちゃんとわかってないのですが、私の理解としては、単にユダヤ人だけでなく欧米全体として「反省すべき歴史」として捉えているということなのだと思います。
、、、とか一生懸命言っても結局、「外国かぶれ」「マウンティング」とか言われちゃうのかなー、、
そうじゃなくて、宣誓する人とか関係者が恥をかかないで済むように、せめてオリンピックとか国際的な大会ではやらないほうがいいんじゃないかな、と思うだけなのですが。。
何年か前、ナチスのコスチュームがドン・キホーテで売ってた事案に関して、イギリスのメディアにこんな意見がありました。
(意訳)「日本はナチス・ドイツと結託してた歴史があるのに&日本人はみんな高等教育を受けてるのに、それでもみんなナチス的表現がダメだって知らないの?」
https://www.theguardian.com/commentisfree/2010/dec/13/japan-hitler-outfit-past
オリンピックで日本式宣誓ポーズしたら、多分またこれ↑みたいに、「結局日本人って、表面的にがんばってるだけの田舎者なんだね」って思われちゃうと思うんですよね…。
まあ、でも宣誓ポーズだけ変えても、表面的ながんばりに違いないけどね。
根本的に、外国人からのお世辞だけ喜んで受け取って、ちょっと耳の痛いこと言われると寄ってたかって叩きまくる、そういう文化なんだから、一回大恥かいたほうがいいような気もするけどね。
http://sports.nhk.or.jp/video/element/video=28114.html
http://togetter.com/li/1015110
いやぁ、素晴らしかった。
「こういうのでいいんだよ、こういうので。」と呟いてしまった。
ようやく求められているものが分かってる奴が責任者になってくれたようだ。
間延びしがちな君が代が、厳かな雰囲気を持って観客を一気に引き込んだ。
プロジェクションマッピングも素晴らしい。
AR、VRが4年後にどこまでウケるかわからんが、ぜひ取り入れてほしい。
ロボット、渋谷スクランブル交差点、地平線まで続く都市の夜景、
昔の東京五輪のポスターっぽい構図、新幹線と「日本」の分かりやすいイメージをPRしてる。
そこから屋形船、浅草寺、スカイツリーともってきて、キャプテン翼、ドラえもん、キティちゃんにつなげる。
日本に求められてる、伝統とハイテクとポップカルチャーの融合ってやつだ。
浅利慶太なんかいらんかったんや!食い倒れ人形のコスプレとかアホか!
日本とブラジルが地球の真裏で、土管で地球の裏までひとっ飛びってのは誰もが分かるユーモアだ。
ダンスも良かった。
4年後もライゾマである必要はないし、できればさらなる若手が出てきてほしいけど、ようやくホッとした。
ということで、「こんな東京オリンピックのキャスティングは嫌だ!」というのを今から挙げておこう。
総合プロデューサー | 秋元康 |
公式応援ソング | EXILE with AKB48 |
アートディレクター | 村上隆 |
総合司会 | 嵐 |
応援団長 | 中居正広(裏でナイナイの岡村がコソコソやってる) |
実況 | 古館伊知郎 |
現地インタビュアー | 藤原紀香 |
バレーボール応援団 | ジャニーズJr. |
演出 | 小山薫堂 (友情出演:くまモン) |
デザイン監修 | 佐藤可士和 |
キャッチコピー | 糸井重里 |
翻訳監修 | 戸田奈津子 |
普段テレビでやってるバラエティみたいなノリで内輪ウケを狙うのだけはやめてくれ。
今回のリオでさえ、安倍首相にわざわざ「PRIME MINISTER」って字幕つけなきゃいけないくらいなんだから。
国内で顔が売れてようが、世界からみたら「誰だコイツ?」なんだよ。
頼むぜ。
見ているのは世界なんだ。
期待しているぜ。
東京オリンピック、楽しみになってきた。
はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、
なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、
選手が活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。
なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。
長野オリンピックの招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。
1991年のことだから、すでに、バブルは崩壊の兆しが見えていて、
まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、
不景気の入り口で、あんな土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、
西武鉄道のグループ総帥、堤義明を中心にした政財界の利権のためだと、みんな思っていたからだ。
しかも当時、ウインタースポーツのスターといえば、フィギュアスケートの伊藤みどりくらいで、
(実際、92年のアルベールビルで銀メダルは取ったが、長野には出てない)、
日本で冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?
それでも、東北・上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線の工事が進んだり、
志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて
そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピックの開催地としては最南端で、
年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで
「利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論は
それなりに蓄積されていた気がする。
当時は今ほどネットが成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。
そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。
放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので
花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、
大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、
自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、
そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは
物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家(演出家)としての評価は推して知るべしである。
ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。
これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権とコネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。
開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、
なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、
日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。
なぜかBGMにはプッチーニのオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、
あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラを演出したことのある浅利慶太の自己顕示欲とコンプレックスがないまぜになった
選曲だったと信じている。
当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、
久石譲だって、すでに「宮崎アニメの作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、
そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、
日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。
それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。
スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、
今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。
このとき、団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、
結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。
閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を
如実に示す出来事だと思われていて、
すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、
欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、
あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、
なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか、
萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、
いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。
かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスターと伝説が生まれ、
テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである。
その後、長野の財政がオリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、
西武の株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、
いつの間にか日本オリンピック委員会の最高顧問になっていたらしいとか、
いろいろあるのだけれど、
選手さえ、頑張ってくれれば。
自分もその世代なんだけど、たとえば仕事とかで面会するときに、
いい年してバリバリに眉毛整えている人は、なんとなく色眼鏡で見てしまう。
これぐらいの世代は、まだ中高生で色気づいたころには「男子が眉毛を整える」という習慣がそこまで一般的ではなく、
ましてや、ちゃんとした社会人の男性が、明らかに剃って整えましたっていう眉毛してたりはしなかった。
自分の印象では、長野オリンピックのジャンプ競技にでてた船木選手ってのがバリバリに眉毛を整えていて、
あのあたりから、「ちゃんとした場に出てくる男が眉毛整えている」っていうのがOKになった気がする。
ほら、オリンピック選手ってそのまま天皇陛下の前にも出るような「正義」だから。
いまや、ある程度整えているのが「当然の身だしなみ」で、
目じりのあたりまでモワモワしてたり、つながりかけてたりするのはNGなんだろうが