はてなキーワード: 権威とは
その権威というのはiPS細胞にケチつけた審議官ってことだね。
「iPS細胞にかける金は意味があるか?」「iPS細胞にかける無駄か」
ということはどちらも結論が出てないし、科学的にももちろん語れない。とすると権威と権威の意見の衝突の試合でしかない。
だから、首相補佐官と審議官との不倫騒動はその文脈じゃなくて、iPS細胞にケチつける「悪人」を叩ける手段ができたからとことん叩く→便乗する
の流れだと思って見てる。
ノーベル賞取らなかったら、iPS細胞にかける金が本当に意味があろうとも、あっさりあのプロジェクト中止になってたんだろうなとも。
個人的には高橋さんとお話しするのは楽しそうだけど、北村さんは無理だなあ、という印象。高橋さんは、言葉を信頼して人と人とを繋ごうとしている人、北村さんは言葉で人を殴ってくタイプの人。味方にするなら北村さん、て思う人が多いのかな。でも私はこういう、始終自ら争いを呼ぶようなマッチョな人とはできれば距離を置きたい。だから増田で言及する。
大本のツイ
「フェミニストのイメージってどうしたらよくなるの?(1)」に対する
「一部の過激派を自浄したらええんやで。昔のフェミニズムはもう少しマシやった(2)」というツッコミツイに対して
北村(saebou)「昔のフェミニストに比べたら今の人はマシやで?(3)今のフェミニストはサフラジェット(昔の過激なフェミニスト)より平和的(4)」とコメントした。これに対して
高橋(Shogo_tkhs)「いや、サフラジェットは一部の過激派です。それをもって当時のフェミニズムを過激とするのは誤解を招くでしょう。(5)」と突っ込んだ。で、議論ならぬ言い合いがスタート。
まず注意なんやけど、北村は(3)で昔の「フェミニスト」と言ってる。これは(4)を見れば「サフラジェット」のことを指していることは分かるけど(3)だけを切り離してみれば、当時のフェミニストは今のフェミニストより過激だと主張しているように見える。そもそも(4)でも、サフラジェットといまのフェミニスト全体とを比べているように読めるわけだから、「北村の主張は、サフラジェットを当時の一般的フェミニストのように誤読させかねない」という批判は確かに成立する。従って、高橋(5)の主張自体は特におかしくない。
これに対して北村は「一部と切り捨てられてきた過激派を再評価するのが現在の研究の流れ(6)」と返した。ここまでは実は比較的真っ当な会話ではある。「それは一部の過激派でしょ?」というツッコミに対して「一部の過激派だけど重要な存在」と返したわけだから。まだ会話が成立する余地があった。ここでたとえば高橋が「なるほど、そういう流れもあるんですね」としていれば、おそらく終わってた。
ただ、ここで両者には想定外のそれぞれの文脈が存在した。これがここから両者の会話を泥沼化させていく。
そもそも北村は現代の過激に切り込むフェミニストたちのポジションを守るという趣旨の下に、(2)の発言を、先鋭的な人たちと「穏当な」フェミニストたちを政治的に切り離すタイプの発言と取って、両者が一体であることを印象づけたいという意図があっただろう。いわば政治的な発言である。(2)の発言者にそういう意図があるかないかはともかく、ああいう発言はそういう結果をもたらす可能性がないわけではない。ただし、「フェミニズム」がただの「女権(しかも一部の)獲得運動」になるならそれは反発を招くよ、という指摘自体はおかしくないし、どちらかと言えば「昔の方が過激やったで?(3)、(4)」というのはただの感想であって、元の指摘に対する何らの反論でもない。そういう粗雑な反応をしたことが北村のミス。
一方、高橋の側で言うと、まさにその「フェミニズム」をより広範な運動にするべき、という意図があって、「現在の研究の流れ」がどうであれ「一部過激派をもってフェミニズム正統であるかのように発言すること」自体が容認しがたい。そういう立場からみれば、(2)に対する雑な(3)(4)の発言は、まさに「先鋭化して穏健派との溝を深める悪しき現代フェミニスト過激派の自己正当化」と感じられただろう。(5)の後で高橋が、当時の過激派以外の人たちへの目配りはあるか、と指摘しているのは、そういう文脈。
これに対して上のような意図をもつ北村は、「そういうふうに」一部の過激派と切り離すのがダメ、と切って捨てる。ここで、北村も研究者なら、相手のツッコミをみて「ああ、またそういう人が絡んできたわー」みたいな受け答え(これも粗雑だ)をするのでなく、きちんと「確かに一部ですが…」と返せばよかった。だが、「そういう人」扱いしたせいで、雑に「現在の研究」を振りかざしてマウントしてしまう。これが最初の間違い。まず、北村がマウントを取った。この件、マンスプレイニングとか揶揄してる人は、都合良くこの部分を読み飛ばしている。
そこで高橋は(相手が研究者とは知らないので)、ちゃんと穏健派(サフラジスト)の名前もあげて、過激派(サフラジェット)は一部ですよ、と指摘したのにこの人に無視されたぞ? あれ? この人、本当にフェミニズムの歴史を知ってるの? と素朴に考えてしまった。そのため「ご存じないのでしょうか?」とやってしまった(このこと自体は仕方ない)。まあ、いちいち相手のプロフィールを見るいわれはないし、フェミニズムを語るからといっていちいち研究者のIDを知っておかなくてはいけないわけでもない。この「ご存じない?」は、「ぼくの言ったこと、ちゃんと聞いてる?」くらいの意味に過ぎない。素朴な発言だ。
ただ、これに北村は相当カチンと来たようで、ここから暴走する。そして相手の言ってないことに絡み始めて咎められ、しまいに
みたいな肥だめ同然の罵り合いになって、無事沼化した。
この話の滑稽な点は、おそらく、登場人物が全て「フェミニズムをどうしたらいいか」真剣に考えてる、フェミニズム寄りの人々ばかりってことなのね。最初の(1)(2)も、そして北村も高橋も。それが、相手の話も聞かず自分の立場に固執して煽り合い罵り合い……。とりあえず、運動が先鋭化して大衆から離反し、挙げ句の果てに内ゲバを始めるという、わが国の運動史の悪しき伝統を見事に引き継いでくれていますね。100年経っても何も進歩していないこの現状に、労働運動史をかじった人間としては涙を禁じ得ないよ。
はあ…。
こまめに条例を読んでいくと立て付け的には押しきられる条例文だと思った。うどんは60すすりとか大切りしてる話ではない。自分は自民党の憲法改正草案を見て「くそすぎる」と思って原典をあたるようになったが、大切り面子は「ふざけてる」だけでこの条例を阻止する力にはならない。
●ゲーム依存は病気であるということはWHOが認めているというのは事実
Gaming disorder(ゲーム障害)という名前でWHOは定義している。そして香川県はこれを立法事実としている。個人的にはこれを突き崩すのは無理だと思う。ゲームのお陰でひきこもりから立ち直ったとかそういう個人的な体験談は権威のある団体の意見(たぶん広範な調査による根拠もある)には立ち向かえない。
●事業者に「60分」を求めるという話
香川県は具体的にどうするかは「条例成立後に考える」という立場だ。テック系の人間が「やれるもんならやってみろ」と煽るのは「じゃあ成立させてから考えます」で論破されてしまう。最低な悪手だ。こいつらは内側の敵である、技術的に可能か不可能かに耽溺してしまう傾向にある。
戦えるのは「親がこどもと幼児期を過ごすべきだ」という条例文を通して伝わる思想が一般的ではない、という点だ。
2条で「保護者」を用語定義しているて全般に「保護者」と言っているのに、4条2項では「親子の理解を深め」とあり「保護者」ではなく「親子」という文言を使っている。
つまり両親がいない家庭、養護施設で育つ家庭は「存在しない」ことを前提にした条例だ。このあたりを指摘しないと香川県の条例は通ると思う。立法根拠の立て付けとしては間違いではない。
実際例として挙げてたブコメはたしかにそうだったけど、あの人は最終的に「日本の治安がいいことを認めたくない人々」を包括して殴ってたからね。
どこの文が最終で、どこの文で包括して殴ってた?
君の思い込みでは?
俺の今の目的は「あの増田(https://anond.hatelabo.jp/20200205013153)に対して俺が感じる気持ち悪さの正体を知ること」だから別に日本の治安なんか良かろうが悪かろうが別に困らないよ。
統計を理解できない馬鹿とか、お気持ちを書いてる馬鹿を殴ってる文をみて、自分が殴られてるような気がして苛ついてるだけでは?
まあやっぱいろいろと権威付けして「殺人数統計=治安」と妄信して日本は治安がいい!!!!って言いきりながら結局やってることは馬鹿殴りなのが気持ち悪いのはあるな。
統計を見る限り、日本は他国や過去と比較して治安が良いって事実を提示してるだけだよね。
思い込みの力で書いてないことを読み取るのはまさに馬鹿の仕草だよね、殴られて気に食わないのかな?
馬鹿を指摘したいなら日本の治安は良いんだよ!!って殴る必要はないじゃん。だってそれについては別の議論だから。元記事の読み方にあたって目線の間違いとか物差しの使い方の間違いを指摘すればいいだけ。
馬鹿を殴りたいから、日本の治安は良いんだよって指摘してるんじゃない?
それについては別の議論ってなに?
目線の間違いとか物差しが不適切であることは指摘してるじゃんw
だから結局マスタイが「日本の治安がいいことを認めたくない人々」なのにそういうお前は「日本の治安への不満を認めたくない人」だしどっちもどっちだろwwwきっしょwwwwって思ってしまうんだよね。それを認めたくないから社会学がー!統計がー!って妄信して振りかざしてしまうんだろうな。
あの増田は「日本の治安への不満を認めたくない人」じゃなくて「日本の治安がいいのを認めたくない人は馬鹿ばっかだなw」って内容でしょ。
暗数であったり、他に適切な物差しがあることは否定してないから、あれが盲信的に見えるって、頭悪いと思うわ。
ここまで書いて気づいたけど俺もつまり「必死こいて目血走らせて馬鹿を殴って悦に入ってるイタい奴」を殴りたいだけの馬鹿でイタい奴なんだな。
俺が見るに、君は「馬鹿だから他の殴られてる馬鹿に感情移入して、感情的でずれた反論をするよくいるタイプの馬鹿」ってだけで痛いやつってか可愛そうなやつだよ。
実際例として挙げてたブコメはたしかにそうだったけど、あの人は最終的に「日本の治安がいいことを認めたくない人々」を包括して殴ってたからね。
俺の今の目的は「あの増田(https://anond.hatelabo.jp/20200205013153)に対して俺が感じる気持ち悪さの正体を知ること」だから別に日本の治安なんか良かろうが悪かろうが別に困らないよ。
まあやっぱいろいろと権威付けして「殺人数統計=治安」と妄信して日本は治安がいい!!!!って言いきりながら結局やってることは馬鹿殴りなのが気持ち悪いのはあるな。
馬鹿を指摘したいなら日本の治安は良いんだよ!!って殴る必要はないじゃん。だってそれについては別の議論だから。元記事の読み方にあたって目線の間違いとか物差しの使い方の間違いを指摘すればいいだけ。
だから結局マスタイが「日本の治安がいいことを認めたくない人々」なのにそういうお前は「日本の治安への不満を認めたくない人」だしどっちもどっちだろwwwきっしょwwwwって思ってしまうんだよね。それを認めたくないから社会学がー!統計がー!って妄信して振りかざしてしまうんだろうな。
ここまで書いて気づいたけど俺もつまり「必死こいて目血走らせて馬鹿を殴って悦に入ってるイタい奴」を殴りたいだけの馬鹿でイタい奴なんだな。
辞めてきた
とある会社評判サイトでは、「悪い人はいない」「人は良い」「雰囲気は良い」
一番上の上司
部下の女性社員が若くて好みだと、定時後にお食事へ誘う。その社員は仕事を増やされサビ残が増える。結婚するとお誘いが止み、悪口を言われ、異動か退職させられる。
なお、お誘いはワリカンだったそうな。せめて奢れよ!
部下の男性社員に目をつけ、どうでもいい事で毎日お叱り。ヒマだね?フロアに響く声、物や道具を叩いたり踏んだり、笑顔で。ジョークのつもりらしいが、どこが?
思い付きを一番下っぱに直接指示、中間管理職は見てるだけ。指示通りにしないとキレる、上手くいかないとキレる、部下のせいにする。
自分の指示通りにやるのがダメ、なんだそうな。自分の指示に自分でダメ出し笑
イエスマン大好き。部下は無視、お気に入り元部下や割りきって優しく接する女性社員にだけ挨拶。
リーダー以下
だいたいセクハラかパワハラ、モラハラな人あとは陰湿、会社全体。
別の部隊
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09255.html
うわぁ、これは酷い。
これに関してはある意味当時の児童ポルノの一件と同じでWHOにこいつ等が強く働きかけて、ゲーム障害と言う名称のみ認められただけに過ぎないにも関わらず、国や地方に圧力をかけていると言うある種のポリシーロンダリングと言うかマッチポンプまんまの構造だね。
この手の連中っていつも国連関係の組織を悪用して、規制に利用してくる習性があるよね。
これに関してはWHOの権威を悪用しているだけで、中身すら因果関係はおろか定義すら明確ではない、疑似科学そのものなのだから、きちんと否定しないと省庁の信用にも関わると思うのだけどね。
ある意味では一部の人間の道徳的観念の押し付けに過ぎないにも関わらず、科学的アプローチを装って、人を騙そうとしているのだから、社会的に害悪を与えている具合で言えば、このゲーム依存症と言うもの自体、ID論や社会学並に有害とも言えるだろうね。
茶化して支離滅裂なトラバ付けてるつもりはないことを先に言っておく
また、元増田が期待してるのは、権威ある知識体系であろうなと推察しつつも、それらと関係ない実体験の話をする
会社に来てとりあえず給与が貰えればいい人たち(普通の人)はアニキ/アネゴにしか従わないからだ
どんな高学歴でもそういう方々はたくさんおられてそれこそアカデミアの人にもおられて
もうこれは変えようのない生まれ持った性質でしか無いのでは?と思っている
では普通の人ではなくて、共通言語を持つことが可能な人たちのマネージメントであればどうだろうか?
あるいは特定のプレッシャー(ワンマンオーナー社長の会社)の下の普通の人たちのマネージメントであればどうだろう?
サクサクと物事が簡単に進むしヒョロガリでもチビでも何ひとつとしてプロジェクトの進行に影響を与えないし、一切の遅延が発生しない、
でも毎回毎回そうはいかず多くの場合は普通の人との戦いに終始してしまう
普通の人の割が少ないのはベンチャーやワンマンの社長の小規模な会社である
仕事は非常にやり易いが例外なく役員が頭おかしいので、結局、普通の人って素敵となる
普通の人はアットホームな職場が大好きであまり仕事をする気がないけれど
基本的にいい人ばかりで仕事の仕方以外は思いやりと常識ある振る舞いをする人が多いからだ
普通の人は会社から出るといい人だが会社内では管理者としてはうんこと言うか人の心を持っていないのでは?と思われる振る舞いをする事がある
あれだけ共感性を前面に出してくるくせにどうした?もっと本気見せろよと思う事が多々ある
シンプルに言えば殴りたくなる
最も殴りたくなるシュチュエーションは管理コスト優先で採用した人材の責任を持たない事である
お前が採用したのだからお前が責任を持て。出来ぬならお前の給与から採用費を返すか腹を斬れとか思うことが多々あるし、ついついしゃしゃり出てしまう事がある
しゃしゃり出た結果、鶴の恩返しがあったりしたことは一度もないが、
街で面倒みた子らに声かけられるのは悪い気はしてない
20年前とかさ、オリンピックとかノーベル賞って、もっと価値があるものだったと思うんだ。
ほんとにスゴイ人が賞賛されて、ホントにスゴイ人たちが一堂に会して凄い事をする祭典だったはずなんだけど
まぁ勿論凄いんだけど、SNSとかインターネットが普及して、そういう場所が発表会みたいな場所になって
大会もレッドブルとかEスポーツとか、いろんなものが出てきて。
「一個人にとってすごい大会、凄い賞」の多様性が進んで、価値が落ちてる気がする。
勿論、東京オリンピックは楽しみだし、ノーベル賞とるのは凄い事だとは思うけど、以前のような一生をかけるような熱狂という感じはしない。
今更東京に来たのも、ノーベル賞日本が毎年取るのも、「そこまで価値が無いから来るようになった」気がしてならない。
そりゃ、やっぱり50年前、100年前と比べたら、数も2回とか、毎年になると感動が薄れるのもあるだろうけど
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200121-00010000-bfj-soci
関連:酔いのメカニズム
https://www.asahibeer.co.jp/csr/tekisei/health/about.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO
今度はストロングゼロを槍玉に上げて、悪者にして規制させようと動きがあるとしか思えない。
エチルアルコールは薬物だとか言い出している時点で割とトンデモだとしか思わないけどね。
エチルアルコール、エタノールはお酒の酔いの成分なのだから含まれているのは当たり前だし、これを言い出したらワインとかはもっとアルコール度数多いのだけどね。
飲む量やペースが早ければ、どんな酒でも普通に酔うし、それこそメタノールが含まれていたら、当時で言う所の目が散るわ(苦笑)
しかしこの論点ずらしの手法を見ているとH2OをDHMOと言い換えるアレを思い出して仕方ない。
それとここで薬物依存患者が薬物を止めた後に飲んでいるとか典型的な印象操作だし、正直この医者の周辺でしか言われていないので、データとしても怪しい。
またこいつらの手口良く規制の手段として海外でも西洋とか北欧とか持ち出す手口も何時もの事だしね。
それに非難している人達も見た限り、どう見てもあの界隈の人達も多く見受けられたのも事実だしな。
いい加減酒のメーカーもここまでdisられているのだから、データなり出して否定しにかかった方が良いと思うけどね。
この手の規制を推進する連中は際限なく増長するのはいつもの事だから。
しかしWHOとか持ち出した例の香川県のゲーム規制条例の件と言い、この手の連中は権威や職業を盾にして規制を押し進める手段として、悪用しているのが本当に性質が悪いと思うね。
俺は実家暮らしの大学生、パートタイマーの母親と口喧嘩して、そしたら父親に「そんなに文句言うならお母さんの作った料理食うな」と言われた。昔はそれを言われると弱かった。しかし今となっては状況が変わってきている。
例えば、我が家の夕食によくあるパターンが、「白飯、惣菜の唐揚げ、もやし炒め、ミニトマト、インスタント味噌汁」という形である。これを以て「料理しました!」というのはやや弱い。母親の名誉のために付け加えておくと、真面目にやればもっと料理はできる。しかしながら、もやしを炒めるのもそれなりに面倒と言えば面倒だが、それくらいなら自分でもできる。少し前に食事を全て外注化したという話がバズっていたが、今後食事に関しては自分で作るよりは外の力に頼るのが主流になるとも思う。
炊事以外でも、掃除や洗濯なんかもある程度自分でできる。子育てらしい子育ても終わっている今、家事も中途半端となると母親の役割はそれ以外の人格形成的な部分になるが、まあそれも期待できない。
「父親は家族のために働いているから偉い、母親は家族のために子育てや家事をしているから偉い」というのは正しいと言えば正しい。しかし、子供が成長し、自分で稼ぎ家事が出来るようになると、その理屈は通じなくなる。そこで親が子から信頼を得るには労働や家事といった実務的な部分ではなく、人間的な部分が重要になると思う。「働いているから偉い、家事してるから偉い」という親からの押し付けは後に権威の失墜を招くのである。
今子供部屋おじさん、縮めてこどおじという言葉が流行っている。必ずしもいつまでも実家暮らしが悪いとは思わない。しかし、俺はなるべく早く実家暮らしを卒業して親を見返したいし、あるいはそれをきっかけに親へ感謝出来るようになればなお良いと思う。