俺は実家暮らしの大学生、パートタイマーの母親と口喧嘩して、そしたら父親に「そんなに文句言うならお母さんの作った料理食うな」と言われた。昔はそれを言われると弱かった。しかし今となっては状況が変わってきている。
例えば、我が家の夕食によくあるパターンが、「白飯、惣菜の唐揚げ、もやし炒め、ミニトマト、インスタント味噌汁」という形である。これを以て「料理しました!」というのはやや弱い。母親の名誉のために付け加えておくと、真面目にやればもっと料理はできる。しかしながら、もやしを炒めるのもそれなりに面倒と言えば面倒だが、それくらいなら自分でもできる。少し前に食事を全て外注化したという話がバズっていたが、今後食事に関しては自分で作るよりは外の力に頼るのが主流になるとも思う。
炊事以外でも、掃除や洗濯なんかもある程度自分でできる。子育てらしい子育ても終わっている今、家事も中途半端となると母親の役割はそれ以外の人格形成的な部分になるが、まあそれも期待できない。
「父親は家族のために働いているから偉い、母親は家族のために子育てや家事をしているから偉い」というのは正しいと言えば正しい。しかし、子供が成長し、自分で稼ぎ家事が出来るようになると、その理屈は通じなくなる。そこで親が子から信頼を得るには労働や家事といった実務的な部分ではなく、人間的な部分が重要になると思う。「働いているから偉い、家事してるから偉い」という親からの押し付けは後に権威の失墜を招くのである。
今子供部屋おじさん、縮めてこどおじという言葉が流行っている。必ずしもいつまでも実家暮らしが悪いとは思わない。しかし、俺はなるべく早く実家暮らしを卒業して親を見返したいし、あるいはそれをきっかけに親へ感謝出来るようになればなお良いと思う。
じゃあお前が飯作れよで終わる話
「白飯、惣菜の唐揚げ、もやし炒め、ミニトマト、インスタント味噌汁」という形である。これを以て「料理しました!」というのはやや弱い。 YOUが作ろうぜ