はてなキーワード: 暮らしとは
昨日のことだけれど、斜向かいに住んでいた引きこもりの男性が亡くなった。
パトカーに消防車、救急車が突如来たので何事かと見守っていると、自殺だったそうだ。数日経っていたとのこと。周囲から異臭がするとの苦情があり、警察が調べたところ見つかったようだ。
彼のことはよくしらない。4学年ぐらい下なので、同じ登校班にいたことと、兄と一緒に道路でサッカーかドッチボールをした記憶がかすかに残るぐらいだ。
噂によると両親が離婚して、父親と二人暮らしになった後に、喧嘩別れ。ガラスの割れた家でずっと暮らしていたようだ。
実家から離れていた期間のことなので、よく知らないが、帰ってきた時には、夜にフードを深く被ってコンビニから買って帰ってくる様子をたまに見かけるぐらいになった。
よくものを壊す音が聞こえたらしく、誰も関わろうとは思わない。
近所に住んではいるものの、自分の子供がいることを考えると、逆恨みリスクを取ってまで声をかけようとは思えない。
町内会の班長もやっていたタイミングで民生委員さんに相談すれば、何かしらの手助けなどができたのかも?自分がなにかできた可能性はこれぐらいだ。
田舎に行けば、若いというだけで重宝してもらえたり、(もちろん体力仕事を期待されるのだが)生きてるだけでも、なにか可能性があるのにと、見る方からは思えるが、
本人の前には何も希望が残っていなかったのだろう。
年の離れた姉がいるんだがいまだに独身
結婚の勧めに対して、結婚が全てじゃないとか、別に子供は必要ない、仕事の方が楽しいって言うのが口癖だった
けど、今となってはワイのうちに来ては子供たちと遊んで母親面してる
姉弟とはいえ人の家庭にそんな立ち入るなとしっかり警告してるのにも関わらずだ
おそらく年齢的にはもう妊娠は厳しい
しかし、自分が家族を持ち暮らしていくことの価値に気付いてしまった
だからうちに入り浸ることを止められないんだ
姉はこのままどこまで狂ってしまうのだろう
嫁の為にも姉を切らなきゃいけないが、狂いかけてる姉を切ったらどうなるのかが怖い
番組内容
①くじを引き、福岡県内のランダムな市区町村を決定し、そこに公共交通機関を使って向かう
③おすすめされたうどん屋に行ってその場で取材交渉し、取材OKとなればうどんを食べ紹介する
④店の人にくじを引いてもらう(以下ループ)
この番組フォーマットを実現できる都道府県はひょっとしたら少ないのでは?とふと思った
一般化してみよう
①くじを引き、[任意の都道府県]内のランダムな市区町村を決定し、そこに公共交通機関を使って向かう
②現地の人におすすめの近隣の[任意のジャンルの飲食店]がないか質問する
③おすすめされた[任意のジャンルの飲食店]に行ってその場で取材交渉し、取材OKとなれば[任意のジャンルの飲食店]を食べ紹介する
福岡でもだいぶ大変なのに
くじ運が悪いと西の端から東の端に向かうことになって移動だけで3時間くらいかかるケースがたまにある
「うどんMAP」だと一日のロケ(一回の放送内)で2~3件回ることが多い
②、これも福岡にとってのうどんのような存在が各都道府県に存在するのだろうか?
すなわち、どんなへき地でもだいたいある県民食のお店……のような存在
③、これも地味に難しい
実際、「うどんMAP」だけではなく「ラーメンMAP」のコーナーも過去にあったのだが、取材NGとなる確率が高かった(←芸人さんのネタ企画だったらしい、知らなかった……トラバで教えてくれてありがとうございます)
そのせいかどうかはしらないが、今は不定期のコーナーになっている
「うどんMAP」は福岡のうどん界隈ではかなり人気のようにみえる、取材快諾となる率がとても高い
極端な話、北海道とか新潟とか長野とか……広そうだったり細長そうだったりする所は①をクリアできないだろう
東京は①はクリアできそうだが、テーマとする飲食店の選定に悩みそうだ
大阪なら①②③全部クリアできそうだな……というか既に類似の番組はきっとあるだろうな
埼玉とかもうどんに一家言ある県だったはずだ、交通機関も整備されているだろうしここらへんでもいけそうか
他の地域のローカル番組の情報は自分が普通に暮らしていると全然耳に入ってこない
さて、今日のお昼は「うどんMAP」で紹介されたうどん屋さんに行くことにしよう
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あっ!そうか……
ローカルテレビ局と都道府県が一対一対応しているとは限らないのか……
私は何も知らない
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私の日記の内容はもはやどうでもいい
これは彼女が欲しいとか結婚したいとか言う人に限った話で、それ以外の人はそのまま平和に暮らしてください。
女性に縁がない人がいきなりステーキ彼女作ろうとしたり告白したりする前に、やることがある。女性慣れしろ!!!
方法は、女性ばかりの現場に通うこと。例えば料理教室とか、お茶を習うとか、お花を習うとか、バレエを習うとか、会計の学校に行くとか、他にも自分に合うものを見つけてほしい。行った先がたまたま女性ばっかりだった、という現場でもいい。年上の人が多めの場所もおすすめ。とにかく女社会に慣れろ、女性とのコミュニケーションに慣れろ、男女比率3:7以上がおすすめ。1:9が理想。
そこで恋愛しろと言ってるわけではない。「女性がわからない」を卒業するのが目標だ。これをやらずして「彼女できない」は全部怠けと認定します。やることやってから自分の課題を発見して、解決してください。
裕福な家に生まれ、金の力で美人の嫁をもらい、いい暮らしをさせることで
嫁に尊敬されていると思い込み、内心では馬鹿にされきっている哀れな男の話だ
まあ、100年以上前の男なんて、嫁が表立って反抗しなければ、女の内心で
どう思われているかなんてどうでもいい話だったのかもしれん。
男女の地位に大きな差があり、女の内心というものがあまりにも軽んじられていた時代には、
「妻が性的に満足していない」なんてのは妻が我慢すべき問題だったのかもしれん。
現代のお前もそうなのか?
嫁がダメ出しをせず、表面上お前を傷つけなければ、内心で不満が溜まって
馬鹿にされ続けてもいいというのか?
大きな獲物をとってこれる。金を稼ぐ。共に暮らすパートナーとして頼りになる。
そういうことで信頼と尊敬を得ていくんだ。
そして、男には女からの尊敬を得るためのもう一つの手段があるんだ。
そこからもう一歩踏み出すだけで、妻からの無条件の尊敬まで得られるというのになぜやらないのか。
女をぐぅの音も出ないほどイカせてやりたいと思わないのか?
ぐったりしながら潤んだ目でこちらを見る妻の姿を想像したことはないのか。
一度でもそんな経験をすればお前も変わるだろうよ。
ローター、電マ、テンガエッグ、ディルド、ウーマナイザー、バイブ、
それらの文明の力を駆使してでも、妻をイカせることに喜びを見出せよ。
妻に尊敬される男は皆やっていることだ。
「手をつないで寝るだけで嬉しい」はぁああーーー??
人がある要素を嫌いになるとき、大抵は周りが言っていたらから、位、いわゆる偏見で、この場合は対話をすれば実際はそうではないと納得できる場合も多い。
でも、その先、その要素を持つ一部の人に傷つけられた経験、つまり、トラウマになってしまうと、その要素持ちの人間は敵だと心が反応してしまって、とても難しい。理性の話じゃないからだ。
でも、そんな傷つけられるような経験は、なかなか起きないはずだった。私達は人々と良くも悪くも話さなかった/話し合えなかったし、きっとそれはいい事だった。「見知らぬ人」には親切にして、「嫌いな同僚」とはお互い距離を保っていた。SNSが来るまでは。
インターネット、SNSという場は、大勢の人間が集まる場所だ。
大抵はみんな同じような集団で暮らしていて、それぞれの偏見を共有している。ここまでは現実と同じだけれど、SNSの世界では、声はどこまでも遠く早く届く。適切な距離がない。あなたと私は他人では居られない。嫌いな人と距離なんて取れなくて、体はもはやなく「男」「女」「貧乏人」「金持ち」というラベルのみが残っていてるのだから。
そして画面に突然現れたそいつは大声であなたを論っている。例えば、「男/女は最低のゴミクズだ!!」と
あなたは傷つき、言い返そうとするが理性で止める。しかし、優しいあなたに反して、脳はこの出来事から学びを得る「男/女は最低の奴だ!」と。
なお悪い事に。トラウマによって傷ついた人々は集まり、お互いを慰め合う。そして……こう叫ぶのだ「男/女は最低のゴミクズだ!」と。
トラウマが、狂気が伝染していく。誰しもが手に持った銃口を誰かに向けている。同じ苦しみを持った人間同士で殺し合い、同じ趣味を持った人間が罵り合い憎み合う。理性をもった優しい人々が、終わらない憎しみの連鎖で狂っていく。
恐ろしい。何が恐ろしいか。こう書いている私もこの連鎖の中にいることだ。
私も、憎くて憎くてしょうがないものがある。理性でいくら取り繕っても、傷ついた心は治らず、それどころか今日もインターネットを見て悪化してしまった。
些細な、本当に些細な事でも怒りが湧いてくる。その人と私は他人なのに。わかりあえなくても、友達にだってなれるのに。誰かを傷つけたくない。侵犯をしたくないんだ。
それと、もしも、あなたもトラウマに苦しんでいるのなら、どうか、癒えますように。幸福でありますように。見知らぬ私から、見知らぬあなたへ。
今高校生
この先に希望がない
友達とかも割とそう
こんなこと言われても「知らねーよバーカ」としか思わないだろうけど、いつの時代も割とそんなもん。
今高校生
この先に希望がない
友達とかも割とそう
みんな声優になりたいとかVtuberになりたいとか適当に派遣で暮らしたいとか話してる
聞かれたら真面目に看護師とか警察官とか答えてるだけ、大人は子供のなりたい職業ランキングを見て一喜一憂して楽しそうだなと思う
内心はどうせ年金もない社会保険も値上がり税金も値上がり物価も値上がりで暗黒時代なのに、更に真面目に働かないといけないとか最悪すぎる
親のエゴで負担や不安の多い少子化の時代に産み落とされた、と感じてる
団塊が一気にいなくなったらまだマシらしいけどそれっていつ?
俺ら個人に国を残そうなんて考えない、選挙に行って何か変わるのか?それを待つ間ただ意味もなく負担だけして報われる時がくるのか?
連結誘導集合とは、 延岡市富美山のおばあちゃん、女の子、子供、阿部寛のように平和に暮らしている者などが刃物を用意し過激なつながり方で、より小さい数の集合を支配し、
帰納的に結論を得る完全無欠な技術で出現することが一般には期待されている。
警察官は警察署に連行するかしないかのときに、一般に、 5,4,3,2,1、というが、これは警察学校で習う、警察署に連行する前段階の議論で、1を過ぎても警告を聞かないときは
有形力が出て連行が完結する。
完全帰納法が出るのは、 4,3,2,1によって出るが、 パスカルの定理は、 1,2で出るし、 完全補題も、結論がそのようになっている。
ああ、ほんなら田舎でゆっくりお暮らしやす。都会の喧騒に疲れんでええわ。ほれに、家賃が高い東京なんか住む価値ないって思う人には、きっと都合ええ田舎が待っとりますやろなぁ。まぁ、京都もええとこやけど、こんな自慢にならん話して悪ぅおましたな。ほな、えらい失礼しましたな
文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。
この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。
しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。
最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。
とりあえず書き起こすことにする。
私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まっているというようなものは殆どなかったのです。
根本の気に染まない所へ嫁いだということは、いくら考えても私自身ではどうすることも出来ないものと、目をつぶって諦めておりました。
まったく迂闊なようですが、自己ということや、結婚、愛情などということについて考え始めたのはつい近頃のことなのです。
ぼんやりと無心なうちにまかせてきた今までの私が嫌に感じたことを申してみますと、今なお続いている夫の道楽ということでしょう。
しかし私がそれを嫌に感じるというのは、世間普通の人のする嫉妬という意味では無く、道楽をしている独りよがりの夫が、いかにも気の毒に思われるからなのです。
夫が遊びだしたということに私が気づいたのは、嫁いでから2年ばかり後のことでした。あるいは以前から遊んでいたのかもしれませんが、私があまり注意して見なかったせいか気がつきませんでした。
世間にもままある物質上から、余儀なく家庭の犠牲になったというような嫌な性質のもとに嫁いだ私は、夫に対してまるで愛情はありませんでした。
したがって、家庭というものがいかにも潤いのない、しぱしぱした、無趣味なもののように感じられて、新婚当時だれしもが味合うような、スウイートな気分は味わずにしまいました。
そんなわけで、私が夫に対して執着心がないから、夫が道楽をしても冷静な態度を持って客観することができたのかもしれません。
夫が私をもらった動機というのは、ある場所で初めて私に会ったとき、どこが気に入ったのかということを、非常な熱望を持って親たちに申し込んだのです。そうして学位も何もない夫は、金の地力をもって私をめとったのでした。
しかし趣味もない粗暴な性質の夫の愛は一時的のものであって、年の経つにつれて平凡な形がつまらなくなり、少しずつ花柳(かりゅう。現代でいうとキャバクラか)の巷に恋をあさるようになりました。
しかし女房にさえ愛されない男が、浮気な社会のひとたちに、どうしてもてましょう?
いつも無駄にお金を使うばかりで、心から充実した気分になったことはないようです。ときどき、可成(かなり)のぼせていることもあるようですが、いつも相手に反応がないので結局は失望に終わっているのです。
そしてお金があるという点からかもしれませんが、なかなか望みが高く、中やそれ以下の女は気に入らないで、いつも名の売れた、ずいぶん良い方の席にも出るような女にばかり目をつけているのです。
そういう女が、どうして生半可な財産家等を相手にするのでしょう?
もてるどころか、口をかけて一寸でも顔を出してくれれば上の部なのです。
まして、風彩の上がらない、青白い顔をした、顔の狭い痩せた、女性のような型の人、神経質でこせこせと、待合の女中らでさえ困るほど細かいことに気がついて、そのくせあまり思い切りのよくない、ほとんど振られる男の資格を完全に備えているような人が、どうして女にもてましょう?
しかし割合に罪がないとでもいうのでしょうか、芸者らが誰に対しても使うような、有りふれた常套語をさも自分にばかり殊別(格別)に言われたように、欣々然(いかにもうれしそうに)としているのです。
そして私が女の話や待合(芸者と遊ぶところ)の話をされても平気でいるものですから、すべて私に話してしまいます。
先日も例の如くお酒くさくなって帰ってきて
「おい、後龍(※)が俺の顔を見て、非常に良い毛だと言っていたよ」
(※おそらく当時、日本一の美女と言われた芸者・萬龍であると推測できる)
と言う。私はそれを聞いて赤くなってしまいました。
なるほど主人の顔の毛はいいに違いありませんが、頭の鉢の割合にバカに毛ばかり沢山あるので、ぴったりとくっつかず、ちょうど30年ばかり前、いまだに髪を分け始めた頃の人のような妙な格好をしているのです。
人の悪い芸者が皮肉に冷やかしたのだと思うと、喜んでいる正直な夫の顔が、ほんとうに気の毒に見えます。
また道楽する人には似合わず、自慢そうに女房を連れて歩くのが好きなのです。
芸者らが見て、そういうことは鼻つまみなことだと知っているのか知らないのか、私を着飾らしては、芝居だのカツフエー等に連れて回ります。
そしてときおり知った顔の芸者たちが挨拶をしますと、いかにも得意そうなのです(私に対しても)。
それも男の虚栄心の一つかもしれませんが、側から見てもあまりいいものではありません。
いつでしたか、夫に連れられて芝居に参りました時、二、三人の一流どころの綺麗首がきていて、夫に向かって挨拶をしたが、すこし夫が横を向いた時、三人で首をすくめて、嫌な笑いを漏らしていました。
ふとその態度が目に入った私は、思わずカッとなって夫のそばを離れてしまいました。そして並んで芝居を見ているのがたまらなく嫌でした。
だいたい、夫にはちっとも友人というものがいないのです。ある私立の専門学校を出たのですが、同窓の人とか、気のあった友達というものはほとんどありません。
こう友達などが少ないというのも、つまり夫があまりにもわがままで、そして神経質な利己主義な人を毛嫌いする癖があるから、どうしても誰と交際しても長続きがしないのでしょう。
男に嫌われる人は、やはり女にも愛されません。
ただし金銭の前には何物も無い花柳社会のことですから、夫の背後に光っている黄金の前に、いつどんな悪どい手段を講ずるものができるかもしれません。私は胸に企みのあるような者は、夫のために近づけるほかないと思っております。
夫とはぜんぜん趣味も性格も合わないし、また夫として手頼る(たよる)にたるような敬慕すべき人格のある人とは思われないから、1人で食べてさえ行かれれば、そっちを望んでいるのです。
しかし私は今すぐここを出なければならないほど自分に差し迫った事情もないし、また今出てはずいぶん惨めな暮らしをしなければなりませんから、こうして安全に生活の保証を得ているうちに出来るだけ自分を修養し、いついかなる境遇の変化に遭遇しても狼狽えず、静かに自分の希望に向かって實行(じっこう)出来るように準備をしようと思っております。
それですから、とにかく今まで同棲した夫のために、また一度名乗った●●家のために、物質ということを抜きにして、心から夫を愛するような女を、夫のために欲しいと思っております。
しかし近頃は以前に比べると遊び方も円熟して来たし、物質によって得た愛情は長続きしない虚偽なものであるということを覚えてきたようですから、早晩気にいるような間違いのない、實(じつ)のある女を得られるであろうと喜ばしく思っています。
(終)
関心領域(The zone of interest)というのは、ナチス統治下のアウシュビッツ収容所の周り40kmを指していた言葉だそうだ。
その言葉とは裏腹に、収容所の長として働くナチス高官とその家族の暮らしが、いかにアウシュビッツの出来事に無関心だったかということが描かれているよ。
無関心というよりは、虐殺がスムーズに日常に溶け込み過ぎている様子の不気味さというべきかもね。
妻は収容されたユダヤ人の衣服が届けられると、家族や使用人にそれを分配したり、プールのある庭のお手入れに夢中だったり、子どもたちはおそらく川に流されたユダヤ人の遺灰から拾った歯を眺め比べていたり、父親は熱心にユダヤ人を焼却する最新型焼却炉の計画を進めたりするよ。
それらが日常系とも言える淡々としたスピード感で描かれていくよ。
一見、大きな犬が尻尾を振りながら家中を遊び回る平和な光景に、壁の向こうの収容所での悲鳴や怒号が紛れ込んだり、美しい調度品とシンプルな家具が美しい家の窓からは、焼却炉の煙が常に見えていたりするんだ。
彼らはナチスの仕事を熱心にこなし、支援する模範的国民であり、その中でも成功した上流の暮らしをしているけど、それが未来にどんな意味を持っているか、まったく想像しないんだね。
実家で母親が作る料理は、我が親ながらも非常に美味しいものだったけれど、いつもなんか満たされない気分だった。
でも、ひとり暮らしをして初めてわかった。
表題のとおり、美味しいものを食べたい、という衝動と、食べたいものを食べたい、という衝動は違うのだと。
母親は毎食、美味しいものを作ってくれるのだが、それは私の「食べたい!」に刺さらなかったのだ。
ひとり飯の味は、やはり、母親の作ったご飯に敵わないけれど(その理由がいまだにわからない)、
それは私が作りたくて作ったものであり、その点では非常に満足できるものだ。
この一点だけでも、「ひとり暮らしをしてよかった」と思えるものである。
将来の旦那になる人間が、そしてかわいい我が子供が、「○○を食べたい」となれば、それを作らざるを得ないのだろう。
私の住んでいた地区はこんな感じだったが都会は違う。NYのバスは普通に通勤にも使われているようだった。ポートオーソリティという巨大ビルのバスターミナルがあって、多様な人々でごった返していた。
NYエリアでもないのに路線バスで生活していたのはレアケースかもしれない。「運転もできないのか」「車も持てないのか」という憐れみ蔑みの視線を受けることもあった。底辺視されるということだ。私の利用していた路線バスは交通弱者のためのものだった。アメリカ暮らしの日本人に言わせれば、危険で臭い汚いバスによく乗るねというところだろう。
だが私は路線バスが案外好きだった。バスには地下鉄よりもドラマがある。かといってUber運転手の身の上話を聞かされるほど巻き込まれない。件のティッシュ男もひとつの出会いだ。
アメリカに来てまもなく、バスロータリーでまごまごしているとプロレスラーのようないかつい運転手に「何番に乗るんだ?」と声をかけられた。「20番(トウェンティ)」と答えると、彼は首を振りながら「トゥウェニー、トゥウェニーだ。バス停はここで間違いない」と私の発音を訂正した。
舐められたとか馬鹿にされたという感想を持つべきだろうか? そんな風に自分を追い詰める趣味はない。嬉しかったでも悲しかったでもない、私のアメリカ生活の断片だ。
勘違いしないでほしいが、俺はこの犯罪者にちゃんと怒ってるからね。
処女膜チェックとかにすればワンチャンありそうだけど、日本のモザイク基準だと肝心の所が隠れちゃうんだよなあ。
レントゲンみたいな機械を使って撮影したってことにしてシルエットだけ表示するとかにすればいけるかな。
うーん。
「アナルはチンコを突っ込んでない状態ならノーモザでも許される」と同じようなライン攻めになるな。
うーん。
難しいかなあ。
しかし、シチュとして興奮はするけど現代社会で小学生相手にやるのはマジで変態すぎるし卑怯者って感じだなあ。
昭和の時代に歪んだ性認識が蔓延る因習村で行われている既習ぐらいだったらともかく。