人がある要素を嫌いになるとき、大抵は周りが言っていたらから、位、いわゆる偏見で、この場合は対話をすれば実際はそうではないと納得できる場合も多い。
でも、その先、その要素を持つ一部の人に傷つけられた経験、つまり、トラウマになってしまうと、その要素持ちの人間は敵だと心が反応してしまって、とても難しい。理性の話じゃないからだ。
でも、そんな傷つけられるような経験は、なかなか起きないはずだった。私達は人々と良くも悪くも話さなかった/話し合えなかったし、きっとそれはいい事だった。「見知らぬ人」には親切にして、「嫌いな同僚」とはお互い距離を保っていた。SNSが来るまでは。
インターネット、SNSという場は、大勢の人間が集まる場所だ。
大抵はみんな同じような集団で暮らしていて、それぞれの偏見を共有している。ここまでは現実と同じだけれど、SNSの世界では、声はどこまでも遠く早く届く。適切な距離がない。あなたと私は他人では居られない。嫌いな人と距離なんて取れなくて、体はもはやなく「男」「女」「貧乏人」「金持ち」というラベルのみが残っていてるのだから。
そして画面に突然現れたそいつは大声であなたを論っている。例えば、「男/女は最低のゴミクズだ!!」と
あなたは傷つき、言い返そうとするが理性で止める。しかし、優しいあなたに反して、脳はこの出来事から学びを得る「男/女は最低の奴だ!」と。
なお悪い事に。トラウマによって傷ついた人々は集まり、お互いを慰め合う。そして……こう叫ぶのだ「男/女は最低のゴミクズだ!」と。
トラウマが、狂気が伝染していく。誰しもが手に持った銃口を誰かに向けている。同じ苦しみを持った人間同士で殺し合い、同じ趣味を持った人間が罵り合い憎み合う。理性をもった優しい人々が、終わらない憎しみの連鎖で狂っていく。
恐ろしい。何が恐ろしいか。こう書いている私もこの連鎖の中にいることだ。
私も、憎くて憎くてしょうがないものがある。理性でいくら取り繕っても、傷ついた心は治らず、それどころか今日もインターネットを見て悪化してしまった。
些細な、本当に些細な事でも怒りが湧いてくる。その人と私は他人なのに。わかりあえなくても、友達にだってなれるのに。誰かを傷つけたくない。侵犯をしたくないんだ。
それと、もしも、あなたもトラウマに苦しんでいるのなら、どうか、癒えますように。幸福でありますように。見知らぬ私から、見知らぬあなたへ。
みんな怒りたくて怒ってんの みんな寂しいの そういうプレイなんだよ 野暮なこと抜かすな
え...そうなの?怒りたくて怒るとか😂
Xとか匿名ダイアリーは下水道だからまともに取り合わないほうがいいよ たまに掘り出し物があったらラッキー、ぐらいで
はてぶならまともに取り合える意見あるからなあという話