実家で母親が作る料理は、我が親ながらも非常に美味しいものだったけれど、いつもなんか満たされない気分だった。
でも、ひとり暮らしをして初めてわかった。
表題のとおり、美味しいものを食べたい、という衝動と、食べたいものを食べたい、という衝動は違うのだと。
母親は毎食、美味しいものを作ってくれるのだが、それは私の「食べたい!」に刺さらなかったのだ。
ひとり飯の味は、やはり、母親の作ったご飯に敵わないけれど(その理由がいまだにわからない)、
それは私が作りたくて作ったものであり、その点では非常に満足できるものだ。
この一点だけでも、「ひとり暮らしをしてよかった」と思えるものである。
将来の旦那になる人間が、そしてかわいい我が子供が、「○○を食べたい」となれば、それを作らざるを得ないのだろう。
母親の美味しい料理を食べても満たされなかったのは、自分の「食べたいもの」を食べられていなかったからだという話。ふーん、それで?
興味持ってくれてありがとう! オチはないよ〜
分かる〜、一人暮らしの醍醐味よね 自分もおでんの大根だけ食べたくなって大量に作り置き、みたいなことしたりする 食べたいものって体が必要としてる感じする