はてなキーワード: 普通とは
私はそれが異常者だからだって決めることが1番その本質を見誤る要因になりうるのではと思う。
私たちは誰でもその異常者になりうるのだって思うことが、防犯やそういう追い詰められる状況を作ることをその手前で止めるための心掛けになるのではって思うけどな…
みんな最初はどう見ても普通に見えるからこそ気づかれにくいわけじゃん?
最初からあからさまにおかしかったらもうちょっと違った処置が早めに施されたんじゃないだろうか。
あとまあこれはジェンダーバイアスや母親信仰といった問題も多少はあるのかもだけど、それよりかは事件のわかりやすさみたいなのはあるかも。
母親になって泣き止まない子供を相手にしてると、こういう事件みたいなことまではいかなくても似たような、あるいは過失で子供を死なせてしまう悪夢にうなされる人は、母親は特に少なくはないんじゃないかと思う。
だから実際にそんなこと実行する人はほとんどいないんだけど他人事とは思えないってなるんだと思う。
でも追い詰められて赤の他人に対して大量殺人を行うっていうのはちょっと普通の人には想像しにくいと思うんだけどどうだろうか。
殊に女性や母親ゆえに許されているっていうこととはちょっと違うと思う。
もちろんそういう想像しにくいことにも思いを馳せてみることも大事なことだと思う。
増田氏はあの母親を理解できないから恐れ、共感する母親たちや世間がみんな異常者に見えて恐れ憤りを感じているのではないだろうか。
まあ同情する側も本当に理解しているのか?っていうとそれぞれ自分の体験に照らし合わせて勝手に解釈してるだけで、真相は全く違う可能性もあると思うけど。
いろんな人がいていいと思うし、当然あれを問答無用で許すなって叫ぶ人がいなくなるのはそれはそれで危ない社会なので、そういう人がいるのは正常なことだと思う。
同情してる人たちもただ同情してるだけで、許してるわけでは決してないと思うけど…そういう人もいるのかな?ならそれはちょっと違うと思う。
あるいはもしかしてここから何か全く事態が逆転する情報が出てこないとも限らない。
増田はそういう違和感を今の時点で敏感に嗅ぎ取った人であるのかもしれないとも思う。
脇毛の脱毛したけど、難点は脇が擦れる。
腕を動かすときに脇が接触するような動かし方だと摩擦を感じて不快になる。
女は脇を剃るのが普通で摩擦も気にならなくなってるのかもしれないが、脱毛したばかりの人は気になると思う。
エステのエステティシャンに話したら「?」みたいな反応された。
正直、脱毛しなければよかった。痩せてるやつなら気にならないかも。
あと肌が乾燥してる人なら気にならない?
でも夏になると気になるよ。
常に過去を捨ててきたのでそれぞれのステージの厚みが数年分しかない。
なんかめっちゃ怒られたので辞めた。
問題行動が多すぎて「内申点終わって人生終了するから中学受験しろ」と言われ中学受験。
目立ちたがりだったのが良くなかったのだと考え、学校ではひたすら影を薄めていたらボッチに。
あまりにネットで頭がおかしくなってたことに気づきネットと距離を置く。
ゲーセンで人間関係を構築すると変なのばっかと付き合うことになるから帰宅部は駄目だ、ということで漫研(読み専の方)へ。
時間ばかりあって金が無い大学生の集まりなので当然のように違法読書サイト情報を共有しまくることに。
「個人利用で読むだけならセーフ!共有したらアウト!URLだけ教えるから自分で探せ!」を旗印に同人誌や稀少本も含めて色々読む。
奇行・陰謀論・アンチ・ゲーセン・違法読書と就活のネタになるものが一個もない。
とりあえず業界研究やりまくって「ガクチカ?就活ですよ。学生時代のことなんて社会に出たら忘れて頑張ります」でなんとか内定を勝ち取る(?)
内定を勝ち取ったというより、まともな奴なら避けるような会社に応募した中ではまだまともな部類だったというだけらしい。
同僚もなかなかに奇行な過去を持っていたが、それを平気で口にするからビビった。
そういうのリアルで言わないほうがいいっすよと思いながら「いやー自分はゲーセンに入り浸ってたぐらいでしたねー。灰皿投げてるとか都市伝説っすよー(自分も投げたことあるなんて言うわけねーだろ😅)」と話を合わせる。
でもやっぱホモカルチャーな部活動でチン毛を焼いてたぜみたいなアホな過去を口にする人達もいたので転職活動。
社会人になってからは奇行がなくなったみたいに言ってたけど、実際にはどの会社でもキレ散らかして喧嘩してたりする。
だから定期的に自分のことを誰も知らないコミュニティを求めて逃げ続けている。
人に話せる過去がない。
各ライフステージ毎における最も印象的な出来事と言える奇行の数々は一切語らない。
幼稚園では本を読んで過ごしてました
昔居た会社はなんとなく伸ばしたい方向のスキルが伸ばせなかったので転職しました
俺の主成分を一切取り除いた俺の知らない割と普通の人生へと過去がすり替わっていく。
誰なんだろうコイツは。
たまに出会う「子供の頃からサッカー大好き!社会人になってからはフットサルしてました!好きなチームは昔から地元のあのチームです!」みたいな人生にめっちゃ一貫性ある人に出会うと人生の厚みというか、通された一本筋の長さにビビるんだよな。
俺の人生にもそういうの欲しかったんだけどさ、「幼稚園時代からセクハラ三昧だったぜ!」とか「中学時代に出会った陰謀論が私の人生を変えました!世界に「真実」を届けたいです!」とかじゃあヤバすぎるやろ?
人生で出会ったアイデンティティが捨てるしかない過去だった人間はどうしたらいいんやろうなあ。
俺以外の誰も知らない奇妙な生き物のジプシーライフという形で芯が通っているといえばそうなんだが背骨としては縦横無尽に蛇行しすぎててなあ。
この母親を擁護している人達って要は、公正世界仮説で物事を視ているんだと思う
『追い詰められて子殺しをするかわいそうな母親』とかいうツチノコの話
https://note.com/aozora_aoina/n/n3834f68fcc82?sub_rt=share_b
一部では、「ワンオペ育児で夫の援助を得られず大変な思いをしていたから気持ちが追い詰められて殺してしまった」というような説がまかり通っている。
凄惨なこの事件に思いを馳せたとき、「殺してしまうほど追い詰められたかわいそうな母親」というストーリーを作ってしまうことは、正直無理のない話だと思っている。愛する子に危害を加えるというあまりにも逸脱したことを、追い詰められでもしないとするはずがない、まともな状態ならするはずがない、という含意だろう。いわゆる公正世界仮説ともとれる。
だがそれは「まともな状態で愛する子を殺すはずがない」という公正な価値観に基づいた偏見であり、都合のいい創作物語だ。
実際の虐待親は、別に追い詰められてようが追い詰められていなかろうが、普通に子に暴言を吐くし殴るし蹴るし、うっかりすると子を殺す。
普通の母親が追い詰められて子を殺す、というストーリーはファンタジーだ。
子どもを自分の感情をケアする道具として利用してる母親は、追い詰められていなくても子を殺すし、普通の母親は追い詰められても子を殺さない。
朝、いつもよりゆっくりめに出勤する。定時数分前にデスクに着き、私、今日幽霊なので!と宣言する。
幽霊なので電話は取らなくていいし、追加で仕事を頼まれることもない。
疲れたら職場を出てコンビニにコーヒーを買いに行って気分転換してもいい。携帯をいじってリフレッシュも出来る。
いつもの様に時間に追われて次から次へと来る仕事を何が何だか分からないままこなして、頭がオーバーヒートしてることは理解してるけどとにかくやらないといけない毎日と違って、私は「幽霊の日」が結構好きだった。
ほんとにね、今思うと何言ってるの馬鹿じゃないの???って話だけど、その時は大真面目にやってたんだよね。
幽霊の日、私はいない、ということにする。そして仕事をするのだ。幽霊の日=有給とりつつ仕事をする日、だった。
働き始めの頃は理解できなかったけど、増え続ける仕事に追われるうちになんて効率的なんだろう!!って思っちゃってた。取らないといけない有給も消化できるし仕事も進む!!お昼もゆっくり食べれる!!朝から夜まで本来見てはいけない携帯も、幽霊の日なら自由に見られる!休憩という時間がある!
一緒に働いているみんなもそんな感じ。有給とってもやることないしね〜笑って言ってみんな毎日働いてた。
平日勤務の仕事だったけど、土日もだいたいどっちかきてた。電話かかってこないし仕事が進むわ〜!ってキャッキャしてた。
ブラックなのは分かってたけど、なんかチームというか連帯感?が生まれてしまって
「こんなしんどい環境で頑張り続ける私たち、かっこいいよね!」
まぁそんな感じだったから普通に心と体を壊して辞めた。辞めざるを得なかった。
最後の頃は本当に頭がおかしくなってて、歩き方が分からなくなったり(右足と左足が上手く交互にだせなくなる)、車がどっちの車線を走るのかわからなくなって運転できなくなった。何度も確認して、ほくろがある左手が私が走って良い車線だ、左、左、左手?左ってどっちだ?ってなったりしてた。
倒れて精神科に行って、仕事に行くな!って先生に止められたけど、私にしかわからないんです!私しか!!って言ってベッドの中でひたすら業務のメールを返してた。職場にいる人に指示を出してやってもらってた。やってもらうことに対してすごく罪悪感があって、毎日謝ってた。傷病休暇中だったのにね。
しばらく治療を続けて異常性に気がついた。というか、実家に住んでたんだけど上司が毎週家に励ましにきてたんだよね。もちろん罪悪感でいっぱいだから会う時は目を合わせず土下座したまま、ごめんなさい、ごめんなさい、ってだけ言った。
それをみた両親がただ事ではないことに気がついてくれて、無理やり引き剥がしてくれた。しばらくは職場からの鬼連絡があったけどなんとかなくなった。ありがとう。
その後はしばらく休んで、バイト→契約社員→派遣社員…とどんどん社会復帰できてきている。
でもやっぱり時々思い出してどうしようもない状態になる。
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【追記】
夜中眠れなくてなんとなく書いたものが思ったよりも伸びててびっくりした。
なんで辞めないんだ!とかおかしい事に気が付かないなんて!とか言われてるだろうな、って思ってたのに心配してくれたり労ってくれたりする人が多くてまたまたびっくりした。みんな優しいなぁ。ありがとう。
そして幽霊制度意外と使われてるんだね。良くないけど仕事が進むのは事実なんだよね、ダメだけど。
私の職場はみーんな同じ感じだったよ。みんな幽霊。そういう制度、当たり前にあるって認識だった。
そしてせっかくなので頭おかしかった時のエピソードを追加する。↓
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・パジャマを着ずに次の日の服を着て寝ていた。パジャマを着てしまうと仕事に行きたくなくなってしまい準備の時間が足りなくなるため。画期的なアイデアだと思っていた。
・24時間落とさなくても良いコスメを使っていた。疲れて寝落ちしてしまうため。肌は荒れた。美容医療に頼っても未だ治らず。
・仕事が終わっても、なかなか家にたどり着けなかった。退勤経路で動けなくなってしまうため。コンビニでコーヒーを飲んで1時間程度ぼーっとしていた。セブンのホットカフェラテがいちばん美味しい。アイスコーヒーはファミマ。
・歩くと目の前が真っ暗になりクラクラして動悸がとまらないことがあった。でもそういう時はしばらく座ってれば治るから大丈夫!いつものこと!だった。
文字にしてみると異常としか思えないけど、その時は普通だったんだー。
今は毎日心穏やかに過ごせている。生きるか死ぬかだったから本当に良かった。
嫁の兄の嫁が浮気したり金盗んだりして離婚、嫁の兄が病んで体壊してるので甥っ子(幼児)を預かってるんだけど
・猫を蹴る 注意したり優しくよしよししてねと教えても躊躇なく蹴る(現在は猫を守るため隔離)
・少しでも思い通りにならなかったら爆音で叫ぶ
・iPadを何度も何度もぶん投げる
・↑ので取り上げて隠すとまた出すまでずっと泣き叫んでる
・寝てたら普通に顔を叩いてくる
これってだいぶ育てにくいほう?それとも普通?
当時はスマホなんてなかったし、小学生が携帯持つ文化もなかったから、みんな写るんですを持って行ったんだよね。
だから当然俺も持っていってさ、でも普段写真撮らないから撮るタイミングが分からなくてさ、
鹿児島に2泊3日だったんだけど、街中をバスで移動中に西郷隆盛像があったんだよね。俺は歴史好きだったし、これを撮ろうと思って、なぜか3回くらいシャッターを押して、バスの通り過ぎるタイミングで、左半身、正面、右半身の西郷隆盛が撮れた。
隣の友達はそんなの撮って意味あるの?みたいなこと言ってたんだけど、自分のなかでは修学旅行の貴重な思い出の一部?みたいに感じたんだよね、西郷隆盛が。
でもさ、そのあとにその撮った写真を見た記憶が全然ないのよ。家のアルバムとか探しても西郷隆盛のさの字もない。ていうか修学旅行の写真自体が無い。なんで?と思ったけど、多分現像してないんだよね。
ここからはだいぶあやふやな記憶、ていうかほぼ想像なんだけど、当時の俺は修学旅行が終わって家に帰ってから、魔法が解けたみたいに意味のないものばかり撮ったことに気づいたんだろうね。西郷隆盛どころかそこらへんの普通の橋とか撮ってた気がするもん。
で、俺もだいぶ飽きっぽいから、写るんですをそのまま部屋の棚とかに置きっぱなしにして、大掃除とか何かのタイミングで現像せずに捨てちゃったんだろうね。
だからあの時に撮った右半身、正面、左半身の西郷隆盛は永遠に見つかることはなくて、それを撮った記憶だけがこうして残っていると。
その時の修学旅行、鹿児島で何をしたかとか何も思い出せないんだけど、西郷隆盛とか変な記憶だけは残るものなんだなあって思った。
酒飲んで酔っ払って思い出したから、忘れないようにここに書き残しておく。
クリエイターと自由と責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。
俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人でゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇でゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。
これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいものを自由に作れる場所ではない。
俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。
本業の方では、いくつかの組織を渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。
日本の企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員の裁量はとにかく小さく、何をするにも上司の承認を通さなければならない。個人が自由に創造性を発揮できる機会などはほとんどない。
そういう体制をディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。
上司の承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任を上司に転嫁することができる。そして上司はさらに上司の承認を取ることで、その責任を転嫁する。
そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定の個人の責任を回避する。これは責任を曖昧にして、組織が社員を保護するための仕組みだ。
しかし普通の会社はそれでよくても、自由な創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。
クリエイターが創造性を最大限発揮するには、何よりも自由が必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。
俺は、日本の漫画が成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司の承認を通したりといった世界になるだろう。
編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすいテクニック、組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由な創造性からかけ離れてしまう。
出版社は漫画家にある程度自由な裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。
漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本の組織運営の難しさがある気がする。
しかし自由の代償として、漫画が売れなかった場合、漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任をダイレクトに負わされることになる。
サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本ではいきなりクビになることは少ない。サラリーマンは自由を制限される代わりに、ここでも保護されている。
サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。
ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社は自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界そのものが異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。
俺はゲーム業界にいたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会の責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり、大企業病に冒され、だんだん普通の会社になっていったところが多いのではないか。
任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本のゲーム企業は少ない。クリエイターが自由にものを作れない環境から創造性は生まれない。
ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっとも自由な創造性を発揮できる環境だ。
俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇でゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業でゲームを作っている人には、やはり及ばない。
それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業でゲームを作っている人は覚悟が違う。
これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由と責任は表裏一体だが、大きな責任はクリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。
俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。
頑張っても絶対8時間働かせられるし(仕事自体はいくらでもあるので、しょうもない書類作成ばっかやけど)
行動力ある子はマジでさっさとやめてく、普通の子はサボるようになる
生産性終わっとる
状況としてそういうルートが発生してしまうというのを理解してるだけ。感情云々というのはここでは書いてないよ?
ただ、子供のいる人は子供と共に生きていたいけれど、同時に育てる責任をという巨大なものを負わされていて、精神的に追い詰められすぎると、とんでもない選択肢を選ぶ方があるからそんな事にならないように手立てを考えるのが社会性を持つ大人の役目だと思ってるよ.
自殺する人もそうだよね。普通の状態で脳内の分泌がおかしくなって、半分興奮状態になってその選択肢しか考えられなくなるんだよ。原因は大体ストレスによるものだし、だから治療が必要だと思ってるよ。子供のためにもね。
自分と違う意見だからと、別の事例(だれ?それ?)を持ち出して、ごっちゃにして批判して冷笑すれば「視野の確かな自分」が確保できて優位性が示せると思ってるみたいだけど、素でカッコ悪いし頭もあまり良くなさそうな議論の運び方で子供じみてるし、何より生産性ないなとおもってるよ。
Apple製品にChatGPTが搭載されるというニュースで思ったんだが
いよいよAIが身近な物になって普通の人でもAIを使う機会が増えるだろう。
AI=自分の代わりに何かさせる、自動化するってイメージだけど
映画やコンサートのチケットを取りたい場合、こちらの希望日時と座席(真ん中までとかS席だけとか)
を指定してつながらない場合は自動で何度もトライさせるとする。
大変便利だが、そうすると自分以外もAIを使ってくるだろうから
仮にみんながAIでチケット取りした場合は順番ってどうなるんだろう?
この前の記事で、始めて思春期早発症ってのを知ったんだが、俺は間違いなくこれに当てはまるんよ
みんな精通したのって小6とかその頃だろ
ワイは早生まれなのに小4の時に精通してるし、うっすら陰毛生えてた
知識もないし欲求が強過ぎてコントロール出来ないから、ネットで女と知り合って家に行ってはセックスしてた
シンママとか一人暮らし女子大生とか、普通の主婦のおばさんとか手当たり次第会ってセックスしてたんだよ
もちろん無理だって断られることもあったけど、押したら大体相手が折れてた
今考えるとかなり危ない橋を渡ってたと思う
逆に男性側が子供を殺めてしまった母親に対して、必要以上に痛烈な批判をするのが理解できない。常に子供目線だよね。母親の目線になって批判してるの見たことない。
夫も行政も助けてくれなくて、なんとかしようにも十分なお金がなくて、動かなきゃいけないのに行動の全てを阻害する子供達に囲まれてるとか、地獄じゃん。
自分の行動を邪魔される、思ったように動けないって相当なストレスよ。
母親が生きていないと子供がどう社会に悪用されるか分からない環境にいたら、もう幸せなんてないんじゃないかって追い詰められて精神状態が普通じゃなくなると思うよ。本当ならここで適切な処方があれば戻れるのだろうけど。それで行動に至るんだと思うよ。
あと全員手にかける、っていうのは生き残ったら殺人犯の子、被害者の兄弟として一生暮らす事になるしやはり普通の人生を歩めない(そんな訳ないんだけど、精神が逼迫してる人って視野狭窄おこしてそれしか見えないから)からやってるんだと思うよ。
これを解決するにはまず心身の健康を取り戻せるために子供と距離が空けられる環境を作ったり、金銭で解決できないことなら行政がで補助したり、父親側の資産が当てられるように社会福祉関連の人が動いたり、適切な医療ケアを受けられるようにすることだよ。
増田で母親憎悪を深めて一方的な視野で批判してぶっ叩いてもなんも解決にならないよ。まあこのポストも役に立たんけど。
せめてもと思って毎年児童施設に寄付してるよ。ふるさと納税よりもこっちの方が多いよ。
母親子供だけじゃなくて、ちょっと追い詰められてる人と話せばこういうのは理解できると思うんだけど、まずはそういう人に何ができるかを考えてみたら?それが社会福祉よ?
例えば君も当然知ってると思うがGoFなんかもscrapyに限らず特定のツールやライブラリなんかは「知らない」と思うよ
クローラ開発の文脈で今までのに手を入れるのではなくて一から全部作るのを「フルスクラッチ」と表現するのは英語的にはともかく間違ってはいないと僕は思うよ
scrapyとか知ってる?普通「フレームワーク使ってる?」とクローラ開発の文脈で聞かれればそれをイメージするよね