はてなキーワード: 愛玩動物とは
広告業,商品の販売に関する情報の提供,消費者のための商品及び役務の選択における助言と情報の提供,織物及び寝具類の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,被服の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,おむつの小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,履物の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,かばん類及び袋物の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,ハンカチ・タオル・ネックレス・その他の身の回り品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,自動車の部品及び附属品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,二輪自動車の部品及び附属品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,自転車の部品及び附属品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,携帯電話機用ストラップ・携帯電話機用ケース・その他の電気機械器具類の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,キーホルダーの小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,清掃用具の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,印刷物の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,シール・その他の文房具類の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,運動用具の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,おもちゃ・人形及び娯楽用具の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,時計及び眼鏡の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,たばこ及び喫煙用具の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供,愛玩動物用おもちゃ・愛玩動物用のし尿処理用砂・愛玩動物用トイレシート・愛玩動物用リード・愛玩動物用首輪・愛玩動物用被服類・愛玩動物用装飾品の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供
かなり広範囲で出願してる
色が違ってても有効なのかな?
我ながら36歳までよく生きてこれたなと思う。
今、なんでギリギリのところで踏ん張っているかというと、せっかくの貯金(お金の使い方がわからないので貯まってしまっただけ)がもったいないのと、こんなボロボロの状態でも診てくれてる精神科主治医に対する遠慮があるからだな。
好きな漫画すら読むのが難しいよ。ジョジョ第5部を読んでるけど、理解力が衰えていて1日に3〜4ページしか読み進められない。同じ台詞や同じ絵を何度読んでも頭に入ってこない。
起きたらご飯食べて、トイレ行って、意識があると「死」について考えてしまうから睡眠薬を使って寝逃げする日々。この状態になってもう1ヶ月半は経ったか。体力も衰えたな。
先がないのは分かってる。自分がいないほうがいいのも分かってる。認知症の人が周囲に迷惑をかけてしまうように、双極性障害の自分も周囲に迷惑をかけてしまう。生産性はゼロで社会のコストにしかならない。
みんなお互いに迷惑をかけてるんだから迷惑上等だとか、自立とは依存先をたくさん見つけることとか、生産性で人の価値は決まらないとかいう綺麗事はもういい。それは私の主治医にも言われた。たとえばペットはただ生きてるだけだとか。でもペットは愛玩動物で飼ってる人間に慰めを与えてるじゃないか。36歳の何もできない人間粗大ゴミは迷惑はかけるけどペットみたいな癒しは与えないんだよ。
主治医のことは信頼してるけどどうしても理解できないのはこのことだ。生産性のない人間がどうして生きていていいのか自分には分からない。私は自分の中にあるどうしようもない差別意識によって自分の首を絞めているのかもしれない。でもここまで追い詰められてもいまだに価値観を変化させることができないでいる。
「夢を壊す」という言葉が大嫌い。子供だって「着ぐるみは中に人が入ってるけど、わかった上で楽しむもの」って理解してるよ。(まあ、だからこそ「それの何が楽しいの?w」とか茶化すのはクズのやることだと思うけどね。)
さらに言えば、「本物の○○が目の前にいる」と本気で信じてるなら、それはただの「無知」だ。いつまでもそのままでいいわけがない。簡単に答えを提示してしまうのが良いことだとは思わないが、「子供が自らの意思で学び気付く」ことには良いことしかない。
「本気で嘘を信じてる」子供はたしかに可愛い。結局何が気に食わないかと言うと、「嘘に気付く」のは成長であって喜ばしいことしかないはずなのに、「純粋だった子供が汚れてしまった」みたいなことを無責任に言う連中が気持ち悪いって話。そりゃおまえが子離れできないだけだろ。子供にはいつまでもバカな甘えん坊のまま、手のひらの上の愛玩動物でいて欲しいだけだろと。
なんで一部というかほぼ大体の男さんは糸目だったり体格が良かったり鼻の穴かっ開いてたり筋肉ゴリゴリだったりしゃくれ顎だったり肌荒れがひどかったり顔デカかったり鼻テッカテカだったりしても相手の女の子を「デブ」だの「ブス」って嘲笑えるんだろう。
こっちはなるべく人間に見えるように努力してるのに、なんで人間に見られるための努力も何もしていなさそう&確実にしていないであろう奴にそんなこと言われなきゃならないの。意味不明だわ。
そりゃ努力が足りないところもあるかも知れないけどさ、なーーーーんにもしてなさそうなあんたらにはこっちの苦労も知らないんでしょ。もう笑えないわ。
いつか見た「そもそもお前の彼女じゃない」って言葉が一番しっくりくる。
努力をしている男さんが努力も何もしてない女の子にブスって言うのはまあ……うんくらいだけどね、こっちは趣味の時間を削って、せめて人間に見えるように頑張ってるの。言っておくけど、私はあんたらのために人間になりたいんじゃなくて自分のために人間になりたいんだよ。何度も言うけどテメーのために可愛くなりたいとか一切思っていない。
確かに私は少しだけ、ほんの少しだけ「デブ」と「ブス」であることに甘んじているとは思う。でもそれでも頑張ってるの。テメーのためじゃないがな。
あーーーー何してもどんな見た目でも怒られない野生生物になりたいな。できれば猫とかの愛玩動物に。それが無理ならゴリラになりたい。五億年くらいドラミングしていたい。
功利主義に基づいて苦痛の計算をしているのなら、功利主義の問題点もまた抱えているのがわかるはず。
命に関わる事態では我々は功利主義をとらない。5人犠牲になるトロッコを止めるため、隣のおデブを線路に突き落とすか?
ヴィーガンを支持することは、ここで躊躇なく突き落とすことを意味する。サイコパスだろ。
(その他、功利主義は臓器移植で5人を助ける代わりに1人の犠牲を正当化する)
トロッコ問題で功利主義と対立する義務論に立つなら、我々は無為に殺しているのか、食べるために殺しているのかという意思を重視すべきだ。
殺して食べるのは道徳的だが、なんの目的もなく殺したり食べずに残すのは道徳に反する
俺はこの義務論に立つ
→食べる前にいただきますと言って残さずたべよう
植物や無脊椎動物も痛みへの反応があることは知られている。これに対するヴィーガニズムの反論は主として
「痛みへの反応と苦痛は違う」だ
なるほど
その論が成り立つとして、脊椎動物の苦痛が我々人間の苦痛と同等である保証は?
同等でないものを同じように計量し、人と
もちろんそこまで考えると人間同士だって同じ苦痛を感じているかどうかは本当はわからない。(クオリア問題へ)
なら、初めから道徳に苦痛の計量という概念を持ってくるべきではない。
なお、我々が今までの社会で育ててきた人権などの思想は、功利主義や苦痛の計量などから導きだされたものではないはないため、
【人と動物の取り扱いの差について】
野生動物は自分達の倫理を「理解できないもの」として放置するわりに
非ヴィーガニストに対して同じ倫理を持つよう強要する者がいるからだ
先ほどの例にも上げた奴隷解放、これは「自分は奴隷を扱わない」というルールを守る他に
「自分達の社会内で奴隷制度をやめさせる」という一貫性を持っている
自分の意思でルールを守る能力のない者をルール外にするか?という疑問にも答えはあり、
例えばルールの知らない赤ん坊が他の赤ん坊にケガをさせるような場合
保護者がそれを止める行為をして「自分達の場」のルールを徹底させるだろう
ヴィーガニストは野生動物が肉食を止めるため、なにか手だてを考えるのだろうか?
ただ、ルールとは必ずしも一貫させる必要があるわけではなく、説明可能であればよい
「理解が及ばない相手には行動を強要しない」という別ルールで上書きしてもよい
であるなら、その「理解が及ばない相手」に、野生動物と共に我々非ヴィーガニストも含めてほしい
野生動物でも非ヴィーガニストでも、変わらず権利と慈悲を保証してくれるのだろう、ヴィーガニズムとは。
命に関して功利主義をとらない我々は当然
愛玩動物と家畜に扱いの差を設けるのだが、ヴィーガニストも同じ差を植物につけているのではないだろうか?
例えば人が大事に育てている花は踏んだり雑に扱ったりしないが、路上のタンポポは特に気にせず踏むだろう。
無脊椎動物でいうなら、誰かが飼っているカブトムシと部屋に侵入したゴキブリに扱いの差を設けないのか?
ここでは直接的に対象の苦痛やら命を問題にしているのではなく、その持ち主の意思に対して倫理を発動させている
今までも反論で、動物の権利とはかつての人間への人権思想と異なり、
偏務的で適用範囲が非常に限られていることがわかったかと思う。
であれば他の財産権利と同様に権利の衝突として扱い、パワーバランスに任せた方が
みんな納得がいく。
再び義務論に戻ると、動物の権利を主張したとしても建物や施設を壊したのなら、それ相応の処罰が下るべきだし
法で裁かれない程度のいやがらせ(残酷なパネルの設置)をしたのなら
(俺は積極的にしないけど止めもしない)
女性は大好きなんだけど、どこか下に見てしまっている自分がいる。
30近くになってお金に余裕ができてからファッションとジムにハマり、それまで垢抜けないオタクだったけどそこそこの美形になった。
すると周りの女性たちの目がすっかり変わった。「かっこよくなったね」「おしゃれになったね」と話しかけられるようになり、食事に誘うと即OKだし、向こうから食事に誘ってくる場合もある。
仕事で新しく知り合う女性も明らかに「優しい」。というのも、以前は話していると「それ以上は踏み込んでくるなよ」というガードを感じたのだけど、今はそれをまったく感じない。初対面から友達のように喋れるし、何なら恋人のようにいちゃいちゃもできる。
立ち飲み屋に行ったら連れはNGなのに自分とは抜け出すのOKでそのままセックスできるし、待ち合わせで視線を感じて話しかけると「今度飲もうよ」とLINE交換できたりする(後日会ってセックスしました)。マッチングアプリでもすごく出会える。
それまでとの差に見た目が違うだけでこんなに接し方が変わるのかと衝撃を受けた。
モテるというと語弊があるかもしれない。自分からいってるから。でも、何というか、ものすごく「警戒がゆるく」なったんだよね。話すのもデートするのもセックスするのも、すごくガードがゆるいんだよ。
以前は違ったんだよ。デートに誘ってもぜんぶの日程NGにされるし、当日に風邪引いたとか言われるし、手握ろうとしたら振り払われて足早に帰られるし。
今なら手を握ったらこっち見てにやっと笑って握り返されるし(何だよ、その顔!)、そのままビルの影でキスできたりするんだよ。
こんなに態度が違うんだから、なんというか、ぼくは女性と恋愛する気がなくなってしまったよ。セックスできる愛玩動物ぐらいにしか思えないよ。
だって向こうに恋人がいようが夫がいようが、口説いたらセックスできるんだよ。ガードがぜんぜんないんだよ。興奮するけど、その女性の心理に怖くなってしまうよ。
今、前職の先輩と不倫しているんだけど、それが3人いて、3人とも夫がいるのにそれをお構いなしにぼくといちゃいちゃして、うっとりした顔でくっついてきて、セックスするんだよ。気持ちいいし可愛いなぁと思うんだけど、やっぱりこんなことになると恋愛する気なくなるね。
ぼくは女性を人として見れなくなってしまったよ。この変わり身を見てしまうと、恋愛なんて無理だよ。たぶんツイッターで偉そうなこと書いているフェミニストの人も、ぼくはセックスできるよ。そうなるともう終わりだよね。
アイドル部
ヤベー奴ら12人衆。シロちゃんの一部を切り出してその部分を特化させたようなすごすご集団。もちろん全員キャラ濃い。出来れば動画頻度増やして欲しいが、既存ファンのみなさんが配信を求めている臭いので悲しい。
夜桜たま
麻雀狂いのヤバイ奴。とにかく暇があったら麻雀しているイメージ。四面打ちは企画として凄いが、狂気を感じる時もある。
アイドル部の事を常に考えていて企画もいろいろ出しているっぽいのでアイドル部全体を引っ張っていく司令塔ポジション。
エゴサも凄く、正直本人に向けて言ったつもりのないことまでいいねしてくるの怖いことがある。本人宛はハッシュタグつけるのでそちらに反応するならして欲しい。
ホワホワボイスと口悪の組み合わせが強烈。音声のお陰で中和されているがかなり辛辣なこと言ってることが多い。ただし、実はアイドル部の中ではかなり常識人枠で苦労人ポジ。
花京院ちえり
元個人勢でアイドル部に入部。ファンの統率力が凄すぎてちょっと教祖感を感じる時すら感じる。語録が豊富でオリジナルゲームやってるときは面白いが、ゲームやってるときは実はそんなに好きでないので、結構アーカイブ落ちが多い。
B級映画オタ、基本あまり面白くない映画押してくる。高速ばぁばを紹介して来たことは未だに忘れない。が、時々とんでもない名作紹介してくることもあり侮れない存在。アイドル部内のムードメーカーで空気を明るくしてくれるのに、唐突にとんでもない闇ぶっこんできて、ちゃんとご飯食べれるぐらい給料もらえるようになるといいなーと保護者目線になってしまうこともある。落差のギャップが大きく気がついたらものすごく気になる。ゴンゴンをもっと甘やかしたい。
もこ田めめめ
個人からアイドル部に入ったやりおるマトン。とにかくいろんなことができるのに、気がついたらこいつかわいいなって小動物を愛でてる気分になるギャップが堪らない。ゲーム配信が多い上に時間が早いことが多いのでアーカイブ落ちが多いが、とにかく愛でたいって気分にさせてくれる。地味にアイドル部エース。愛玩動物タイプがエースっていう箱として珍しいのもアイドル部の特徴。
アイドル部の縁の下の力持ち。キャプテン。部内の接着剤なのでとりあえずなとなとに話降っとけばなんとかなるっている安心感が凄い。ただし風紀は守れない。
なとなとはアイドル部の要で、いないと空中分解しかねない超重要ポジションだけど、それゆえに初見では魅力が分かりにくく、ゲーム実況もそんなに面白くなく、なとないともちょっと初見向けじゃないため、延びにくいが個別のファンからアイドル部のファンに変えるためにものすごくいいい仕事をしている
。基本的に調整能力に長けているので、一人より大勢のほうが個性を発揮できると思うので、外出して活動させてあげたほうがいいと思う。
カルロピノ
最年少なのにその生き物関係の豊富な知識と年相応のくそガキ感のギャップをあわせ持つ才女。まさにしっかりものの末妹。
本人の個性的な絵から開講されるピノラボは本当の意味で為になり勉強になり、NHKの教育番組でやっていてもおかしくないレベルなので是非もっと人気コンテンツになって欲しい。最初虫食べるヤベー奴から才女への変遷の過程を知っていると感動する。ピノ様は偉大です。気がついたらつい敬意を持って話してしまう。カルロ家でピノ様の為に働かせていただきたい。
ふわふわのお姉さんかと思ったら話が二転三転するため、ながら作業だと本当に何の話しているか分からない。自作の絵描き歌はお題そのものがおかしいことが多くてイオリンはもしかして電子の妖精さんなんじゃないだろうかとよくある。悪い人に騙されないようにみんなで保護してあげて欲しい。
神楽すず
音楽を愛する真性清楚かと思ったらトラックで暴走するし、ガンダム見たことないのに強化しすぎた強化人間みたいな発言繰り返すという属性の振れ幅にくらくらする。ギャップ
が凄すぎて気がついたら夢中になる逸材。音楽のトークしている時は本当に教養に溢れる名家のお嬢様にしか見えないし、ゲームやってる時は近所のクソガキにしか見えないので本当に存在そのものがバーチャルっぽい。
めめめトラックの動画がなかったらアイドル部にたどり着かなかった可能性もあるので僕的にはアイドル部入り口。
猫乃木もち
演技と歌がすごすご。とにかくいろんな声が出せて歌も凄い。そして本当に若者文化に精通しているのでいろいろとおっさんからすると勉強になることが多い。ただホラーゲームは面白いよりかわいそうになることが多いので出来れば数減らして欲しい。後、なんとなくだけど完璧主義者っぽいのでもうちょっと適当でも大丈夫なんだよって言いたい。
牛巻りこ
強く生きろよ、牛巻。自分で配信に必要なシステムを作って配信していてシステムが産み出すアクシデントが魅力。
ただし、本業が急がしすぎて明らかに過労死しそうで心配になる。哺乳瓶のエピソードは面白いではなくて素直に怖い。無理せず倒れないように頑張って欲しい。
できればもうちょっと過労死しないレベルの会社に転職して欲しい。今のままだとある日急にいなくなりそうで怖い。
木曽あずき
部内で唯一の動画勢。自分の世界観をものすごく持っていて動画もこっている、頻度も高くないから追いやすい。が、既存のVtuber支持層にはいまいち受ける感じではないので結構苦労しているイメージ。シロちゃんの恩恵を一番受けれなさそうなので支持層を開拓できる所にアップランドは出してあげないといけないと思う。
馬
チャンネル登録あえてしてないけど、応援している。個人的には有識者会議で他のえらいさんとの対談が見たい。
Vtuber沼に落ちた現況。キズナアイさんが声優デビューするってニュースを見て、声優することで話題になるタレントぐらい知名度があるのかってビックリして見に行ってキズナアイ新規性はあるけど、つまんねーなーとか思っていた所でおすすめででて来たのを何気に見て変な声で鳴いていてヤベー奴なのに所々で知性を感じるってなって気がついたら動画全部見ていたっていう個性の固まり。猛獣使いにも猛獣にもなれる逸材。とにかく属性を盛りすぎていて動画ごとに地味にキャラが違う。ほかと会話すると相手の個性を生かしながら自分の固有結界に引っ張りこむので、コラボ適正も高い。それでいて演技もうまいので寸劇やっても映えるという一般層には受ける気がしないがオタク寄りになればなるほどどこかしらで引っ掛かる。本当にこのレベルが泣かずとばずだったなんてやばすぎると改めて感じる。取り合えずオタクである限りは追いかけ続けたいと思う最強コンテンツの一つ。
むしろイヌネコブタ、それらを「愛玩動物として飼育する」カルチャーが社会で一度確立してしまったことの方が問題なんじゃないか。それらを痛める行為は即ち、そのような文化を傷める行為=非人道的だという。
動物虐待とそれ以上の対人加害行為との相関については、たとえばhttps://www.mass.gov/files/documents/2016/09/qx/summaryofanimalabuseliteraturefinal.pdfこんな研究のまとめがあるよ。英語だけど面白いから読んでみたらどうかな。
それと動物虐待に罪悪感を感じない人とそれを繰り返す人ではまた違うと思うよ。罪悪感を感じないことは全てやらなきゃいけないなんてルールはないのだから。
たとえば私は信仰心がないから、誰かの墓を踏んづけることに罪悪感は感じないけれどわざわざそれをやろうと思わない。嫌がる人がいるのがわかっているし、やったところで得るものがないしね。
個人的な考えでは社会と動物虐待者のどちらが悪いとか正しいとかいうことを考えてもしょうがないとも思うね。第一、動物虐待に限らず何かに偏執的にこだわるだけでもそれ自体精神病的であるし治療の対象となりうる、それが他人に不快感を与える行為ならなおさら。他人に不快感を与える行為や他人の財産(ペットとか)の損壊を繰り返さないと生きていけないなら、それは不便だし、治した方がいいということになるよね。障害の「社会モデル」みたいなものだけど、まず社会があってそれから障害だとか精神病というのがある。社会で許容されるあり方というものに馴染めないから辛くなるんで、辛くなるから治療しましょうということ。そこでそういう社会が悪いんだ、社会が障害を作り出しているんと考える・言い換えることもできるけど、悪者を見つけ出してもつらさは解消されないでしょう?世間を納得させて風向きを変えられるような論があるなら別だけど(障害の社会モデルが持ち出されるのは大抵そういう論の見込みがあるときだけ)。
それと法律で愛玩動物と規定されている動物を虐待した時とそれ以外では当然法的な扱いが変わってきてそれは不公平に思えるかもしれないけど、法というのはどこまでいっても人間基準のものだからね。本質的には動物のための動物愛護管理法ではなくて、動物愛護しないと傷つく人間・文句を言う人間、それによって乱される社会を守るための動物愛護管理法ということ。だから人間に愛されやすい動物とそうでないものに区別があるのは仕方ないんだよ。そこらで殺されまくってる蚊とかハエとかからしたら腹立たしいだろうけどね。