はてなキーワード: 青学とは
青学にはロリータファッションしたおじさんがいたけど何者なんだろう
通称テニミュ、今年で15周年を迎えた、2.5次元舞台の火付け役とも言われる舞台である。
そのテニミュでは、大体2年ほどの周期で、主役校の青学キャストが代替わりをする。
いわゆる卒業というやつだ。
その中の、とある代の座長、越前リョーマくんに、私は心を奪われた。
力強いダンス、ぶっきらぼうなセリフの端々に丁寧に織り込まれた感情、目線や仕草で表現するキャラクターの気持ちの揺れ動き…例を挙げていけばきりがないが、大好きだった。
でも、どれだけ大好きでも、いずれ終わりがやってくる。
"卒業公演"
始まれば、終わる。
世の常である。
バイバイ、と言って消えていった彼。
わかっていたことだったが、子どものように、みっともないほど泣いた。
それから数ヶ月後。
顔も見えないような距離の席だったが、一目見て、違うと分かった。
同じ白キャップを被り、同じジャージを着て、同じラケットを持っていても、私がずっとずっと背中を追いかけてきた、彼とは違う。
頭ではわかっていたつもりだったのだが、実際に見て、唐突に理解した。
もうリョーマくんは、彼ではないのだ。
そして、わかっていても、現リョーマくんにどこか彼の姿を重ね、面影を探してしまう自分が嫌で、大好きだったテニミュから少しずつ足が遠のいた。
そして、時は流れ、その現リョーマくんの代も、卒業が発表された。
もう卒業なのか、早いな、距離ができるとそんなものなのかな、というのが率直な感想だった。
そして、その卒業ライブが近くで行われるとのことで、友達に誘われたこともあり、じゃあ行ってみるか、とチケットを取った。
久しぶりに触れるドリライは、あの頃と変わっていることも、変わっていないこともあって、懐かしかった。
現役の子のオタクがワクワクした面持ちで、名前入りのキンブレを用意したり、推しの名前を背負ったお手製Tシャツに袖を通したり。
そして、複雑な気持ちを抱えたまま開演を迎えた。
もちろん選曲等で懐古して涙してしまうこともあったのだが、しかし、以前よりなんだか素直な気持ちで、現青学、現リョーマくんを見れている自分がいた。
自分でもびっくりしたのだが、現リョーマくんの曲で、自然とペンライトを青にして、現リョーマくんを見て振っていたのだ。
成仏、とはまだ言えないが、少し、ほんの少しだけ、現リョーマくんと歩み寄れたような、和解できたような、そんな気持ちになれた。
私にしては、これは大きな一歩だった。
嬉しかった。
2018年度版 国内大学ランキング(入試偏差値+学生の質+就職力+出世度+人気度)
S:京都
-------------------名門の壁-------------------
B+:東京外国語 横浜国立 千葉 筑波 奈良女子 広島 同志社 立教 明治
B:電気通信 東京海洋 東京農工 首都大学東京 大阪市立 大阪府立 京都府立
B-:岡山 金沢 横市 名古屋工業 九州工業 熊本 学習院 東京女子 日本女子 成蹊 成城 明治学院 聖心女子 学習院女子 南山 西南学院 フェリス女学院 神戸女学院 芝浦工業 同志社女子 京都女子
C+:新潟 埼玉 信州 静岡 日本 獨協 文教 武蔵 国学院 専修 武蔵工業 東京農業 北里 東邦 清泉女子 白百合女子 東京工科 武蔵野 桜美林 神田外語 京都産業 近畿 龍谷 甲南
C:群馬 茨城 高経 滋賀 岐阜 三重 東洋 東海 駒澤 神奈川 玉川 近畿 日本社会事業 東京経済 共立女子 東京電機 工学院 愛知 大東文化 亜細亜 名城 東北学院 京都産業 福岡 大阪経済
C-:山形 小樽商科 岩手 麗澤 東京国際 実践女子 昭和女子 東洋英和女学院 立正 千葉商科 関東学院 愛知学院 中京 大阪工業 桃山学院 神戸学院
まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。
プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。
中高は私立の一貫校でした
私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました
運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました
裏を返せば何もしなければ入学当時のまま
私は完全に後者でした
なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね
一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単なセンターの問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がします
受験をしたことがある方ならわかると思いますが早慶目指しているレベルには足りない結果でした
もちろんここでセンター利用全滅です
滑り止めもダメでした
その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました
今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません
手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした
まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない
正直これの全落ちは予想外だった
これはちょい歴史でミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う
先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ
就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい
でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた
どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音
ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった
とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?
それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた
プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね
どこまでも面倒だね
良かったらこんなクズな受験生いたなって思い出して応援してください
予想以上に励みになります
おめでとう!お前は青学の柱になれ。
ニュースサイトやその他の掲示板サイトを見たけど、学歴コンプってこんなにいるんだね。
特に、受験生に失礼だとか、心意気が足りないとか舐めているっていう意見は、意味がわからない。
高校生活で真面目に勉強せず成績悪い人間が100日までとは言わなくても
半年でMARCHや早慶受かる例ってのはちらほらあるのに、現実を見たくないのだろうか。
勉強時間や心意気よりも、受験時の学力のみによって決まるのだから、
私の周りは起業家が多いが、彼らはこういう挑戦する人間に関して否定的な見方はしない。
むしろ頑張っている人間を応援するという姿勢の方が強いように思う。
(というか学歴だけでは無意味なことを知っているからそこまで深刻な見方をしていない)
批判している層はどんな人たちなんだろう。
気にくわない人に気にくわないというだけで、
テニミュがテニミュたる所以、それは「テニスの王子様」の物語から独立した「テニミュ」としての物語の存在だと思う。
「テニミュ」の始まりは、やはり初代青学メンバーだ。さらに言うなら、初代越前リョーマだ。(現在は芸能活動をしていないため名前は出さない。)
彼が不運にも事故に遭い、生死の境をさ迷いながらも再び舞台に立った。それが「テニミュ」の始まりであると私は思う。ミュージカル・テニスの王子様のスタート、彼の事故、彼を抜いての再演、彼の復帰、そして卒業。ここまでが「テニミュ」の序章である。
第1章は序章と並行する部分もあるが、青学2代目、3代目である。
卒業した初代に代わり登場した2代目。しかもメンバーの大半がミュージカル初心者。中にはデビュー作になるという新人も。
これが現在まで続く「若手俳優の登竜門」というテニミュのスタイルを築き上げることとなる。
当初は不評だった2代目も少しずつ人気をつけ、惜しまれながら卒業していった。不二役と海堂役が残り、3代目も同じキャストが演じた。(正確に言うと海堂役は2代目で卒業するはずだった。そのため立海公演からは新しい海堂になっている。詳しくは「黒歴史海堂」で検索ください。)
この、キャストが代をまたいで続投する形式は後述する2ndシーズンで「タスキ」と表現されることとなる。
第2章は青学4代目、5代目、そして1stシーズンの完結までだ。
ここではダブルキャストと海外公演が始まる。テニミュの最盛期と言っていいかもしれない。キャストの人気は高く、チケットは入手困難に。ストーリーとしても全国大会に突入し、終わりが見えてきた。
目前に迫った終わりに向けて「テニミュ」は加速していた。キャストも、観客も、全てひっくるめての「テニミュ」は最高の形で終わりを迎えようとしていた。実際、「テニミュ」の第2章はここで終わる。ここで本を閉じても何の違和感も無い。
しかしまだ続きがある。テニミュ2ndシーズンという物語が。「テニスの王子様」の舞台化ではなく、「ミュージカル・テニスの王子様」の再演となった2ndシーズンが。そしてこの第3章の主人公は間違いなく小越勇輝だ。
第3章は、「テニミュ」の文脈に沿ってガラガラの客席から始まる。そこから再びチケット入手困難になるまでの物語だ。
小越勇輝は、タスキとなってテニスの王子様(無印)のストーリー全てを演じきった。卒業していく6代目を涙とともに見送り、7代目の仲間達と笑顔で卒業していった。16歳から20歳までの「青春」と表すに相応しい期間を全てテニミュにつぎ込んだ。彼のためなのか元からの予定なのか、2ndシーズンは約4年で終わる。1stシーズンが約7年であったのに比べて非常に高速だった。
そして高速であるために、1つの公演が終わりきらないうちに次の公演の発表が来る。観客はいつしか恐怖感を忘れるようになった。「終わってしまうかもしれない」という恐怖感を。
それは公演の区切りだけでなく、シリーズの区切りでもまた同じだった。第3章がまだ終わりきらない、小越勇輝がまだ主人公をやっている頃、第4章の発表が来た。テニミュ3rdシーズンである。
第4章もガラガラの客席から始まった。しかし「テニミュ」の登場人物達はそれをもう知っている。同じ物語が繰り返されると無意識的に知っている。
青学8代目の卒業と9代目の登場も、寂しさと期待を感じながらも無事に通過した。
現在のテニミュは安定期にあると感じる。ガラガラというほどではないが、チケット入手困難というほどでもない。「行きたい」と思った時にいつでもいける、安定して楽しめる。「テニミュ」はいつしか観客にとっても帰る場所になりつつある。
演出家を変え、積極的に海外へ行き、キャラを増やし、新しい公演を増やす。キャストの素を押し出してみたり、ブロマイドをキャラショットにしてみたり、一貫してない行動が多いがこれは先に進むためのトライであると思いたい。かつての熱気を取り戻すため、安定ではなく刺激になるための第4章である。
第5章がいつになるのか、そもそもあるのかはわからない。ただ1つ言えるのは、「テニスの王子様」や「ミュージカル・テニスの王子様」が終わったとしても「テニミュ」の物語は終わらないということだ。キャストが、観客が、映像が、残っている限り、物語は続いていく。
正直連日報道される大相撲問題の責任追及とか協会とか親方とかどうだっていいです。
にわかスー女として巡業とマスコミに色々と言いたいのでこの場をお借りしました。
遠方や被災地などの地域での開催はいいとして、今年の東京での巡業はやりすぎだと思いました。
9月場所で人気の横綱、大関が休場している中、日馬富士はテーピングをして一人で頑張っていました。
優勝決定戦では泣きそうになりました。
その後同じく十両で優勝した安美錦と共に優勝パレードに参加している写真は、個人的には新聞の一面に載ってもおかしくはないと思いました。
その後別の形で日馬富士のことが一面に載ったのは心底辛かったです。
良いことよりも悪いことを声高に叫ぶ日本の嫌な部分を改めて感じました。
もちろん暴力問題は犯罪ですが、力士への風当たりが強い時に巡業先が全く知らんぷりなのも嫌です。
青学場所やお台場場所、kitte場所と東京開催がやたら多く、散々宣伝のタネにしていた割には考案者の誰一人声を挙げないところも最低だと思っています。
これまで力士たちにお世話になっておいて、見捨てるようでいて辛いです。
神様の宿るとされているならば、その力士たちをまずは大事にするような体制にならない限り、悲しい事件はこれからも起こると思っています。
前提として、現世代も次世代も、これからの越前リョーマもすべて応援すると心に決めた者が書いています。決してアンチ等ではありません。
2年前の今日、私はテニスボールの弾む音と軋むシューズの音を聞いていた。
人々の熱気なのか暖房なのか、少しだけあつい会場。脱いだコートは膝の上に、手には双眼鏡。ざわざわとたくさんの声が聞こえてくる。前後左右、上下からも様々な声が聞こえてくる。どれも、今から始まる試合を楽しみにする声だった。
キュッ、キュッ。パコン、わぁっ。
聞こえてくる音と歓声に、人々は口を閉ざす。ごくん、唾を飲み込む音さえ聞こえそうなほど静かになったとき、幕が上がる。
テニミュにはまったのは、3rd不動峰公演。もうずいぶんと前のように思える。
しかし長い歴史から見れば「最近」なのだと思うと、このテニミュがいかに長く続く作品なのか改めて実感させられる。
3rdシーズンという3度目の夏を迎えた王子様たちを、わたしは好きになった。
座長である越前リョーマを演じる古田一紀という俳優((現在は声優の道を選んでいる。が、過去の話をするため「俳優」と表記する。))は、俳優として、リョーマとして、素晴らしい方だった。不動峰から卒業した氷帝公演まで、彼はいつだってかっこいいリョーマとして駆け抜けていた。あの青いジャージがよく似合い、帽子の下の瞳は冷静に見えて試合ではギラギラと獣のように鋭く光るところが、私は好きだった。
テニスの王子様は、心の支えといっても過言ではない存在だ。幼い頃から読み続けた物語を現実にされたとき、私のこころは震えた。
たくさん好きなキャラクターがいた。しかし、舞台の上にいる越前リョーマに心を奪われ、気付けば彼だけを追っていた。まさに恋に落ちたような感覚だった。彼しか見えない、なんてそんな馬鹿なと思うが自分の身に起きると「こういうことか」とすとんと腑に落ちた。
椅子の上で声を殺し、みっともないほど泣いた。視界が歪み立てない私を、両脇で支えてくれる人のおかげで外にでた。
大千秋楽後の空気は、むかつくほど清々しく感じた。嗚咽を漏らし、涙をハンカチで拭った。胸に大きな穴が開いたようだった。
もう二度と、越前リョーマには会えない気がした。
しかし物語は続いていく。全国優勝を目指す青学は新しい代となる。
きらきらとした、未来を見据える瞳。泥臭さより、どこか清かな印象を受ける。
遠くから見たのに、別人だと分かった。
動きだ。動きが違うのだ。
当たり前だ、別の人間が演じているのだから。しかし、わたしは覚えてしまった。目に焼き付けてしまった。あの指先まで「俺が越前リョーマだ!」と訴えるような動き、あれが好きだったのだと痛感させられてしまった瞬間だった。
それが、悔しかった。
歌も、動きも、表情も、目の動きも。全部が好きだった。
しかし時代は変わる。世界は続く。彼が渡すバトンをどうにか見届けたいと思って次の世代を、青学を観に行った。
けれどだめだった。
思い出してしまうのだ。あの堂々とした笑みも、ぎらつく瞳も、目をぐわっと開くところも、生意気そうな声も。
全部が私にとっての「越前リョーマ」だった。
必死に穴を埋めようと、忘れようとすればするほど、記憶の中の「越前リョーマ」が笑うのだ。
「ばいばい」
もはや、呪縛だった。
しかし前世代のように全通をしたり地方まで飛んだりすることはしなくなった。
「行けたら行けばいい」
そう思ったら、チケットを取らなくなった。
まるで中毒だった。あの楽しい記憶が、狂うほどに情熱を注いだ世界が、またあの世界へと誘うのだ。
そして見に行くたびに、苦しくなる。
先代たちの演じた姿が大好きだったが、時間と共に卒業を理解し、舞台の上の彼らを愛することが出来た。
けれど、どうしても越前リョーマを好きになることができなかった。
現在越前リョーマを演じる俳優は、きらきらとしている。それも越前リョーマだ。彼が演じるリョーマも、もちろん好きだ。好きなのだ。
けれど、つい目をそらしてしまうのだ。あの輝きを、私は直視したいのにできない。
それが申し訳ない。
ややこしい、苦しい、そう思ってまた彼の誕生日を迎えた。
苦しくてたまらない感情を抱えて、そしてテニミュから離れたことで虚無感がいっぱいになり、久々にクリスマスに何もないことを実感してさみしさを感じた。
チケットを、久々に探した。
ある。
私はまた、あの輝きから目をそらすのか。
そう思うと、私は席に座るべきではない気がするのだ。
けれど、私にとっては大きな光だった。
だからこそ「好き」以外の感情を持ち込んで、あそこに座ることは許されない気がした。
私は、いつになったら「越前リョーマ」を再び愛することが出来るのだろうか。
虚無感でいっぱいでつらいので、ここに書き連ねた。
オタクを辞めたいオタクが、中途半端にオタクを辞めたら毎日が虚無感でいっぱいになるんだとやっとわかった。
早く楽になりたい。
早く、越前リョーマに会いたい。
苦しい。
もう十三年来の付き合いになる小学校からの幼馴染の一人の女の子がいる。彼女は褐色の肌でほっそりとスレンダーで大人っぽく背の高い可愛い人である。病的に白くどちらかというと胸や腰に肉付きがよく童顔すぎて背の低い私とは真逆である。進路が似ていたり、部活で苦楽を共にしたことで、この数年でもっともっと仲良くなった。
洋服や音楽などの趣味の話や死生観、恋愛観まで色々なことを話した。その中で彼女は恋人と友達の違いがわからないし恋愛する理由もなにもわからない、というようなことを言っていた。私はその人と自分が特別な仲で他の人には侵入できない範囲にいると周りに示せる特権を得ることでは、と答えた。彼女はよくわからないな、という顔をしていた。
そんな彼女が最近Twitterで仲の良い男の子がいるようだった。物腰が柔らかく優しいけどたまに適当だったりおちょくったりする返答をしていて人として可愛いな、と感じた。聞くと彼女と彼は家族ぐるみで仲が良く保育園から小学校の間一緒にいたが、女子校と男子校に分かれた中高は全く交流がなかった。しかし大学生になりTwitterでまた再会したと言う。片方は青学、片方は明治である。
私も小学校は彼と同じ時間を過ごした身なので、Twitterで3人プラスもう2人の女の子の幼馴染の5人でよく話すようになった。果てはリアルでも会うようになった。少し緊張したが昔の面影が残っていてネット上と同じように柔らかい人物だった。4月から夏まで様々なことをして遊んだし話した。話の中で彼も褐色の彼女と恋愛に関して似たような価値観を持っているらしいことがわかった。
そんな中、その褐色の彼女が別のところで、彼と恋愛関係になろうか、結婚できるだろうか、というようなことを話していた。楽しんでいるようだった。今の現状も友達以上恋人未満な彼との関係も。とても大事で分かり合えて、しっかりものの彼女が甘えることもできる関係らしく、信頼しきっているようだった。
そのことを知って以来とてももやもやしたものがずっと胸を占めてやまない。
恋愛なんか、というスタンスを取ってたにも関わらず恋愛を楽しんでいるところに苛立ちを感じているのか、とても良い人な彼を独り占めされたようで寂しいのか。
それとも、人生の長い時間を共に過ごしてきて憧れでもあり親友でもあり正反対な性質なのに一緒にいると楽しくてしょうがない大好きな大好きな彼女をとられたようで辛いのか。
どれなのか、全部なのか、原因はまだわからないけれど一人暗闇に取り残されたようで、恐い。