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はてなキーワード: 自己肯定感とは

2023-12-06

anond:20231205193039

自己肯定感性格じゃなくて、結果だからな…

無責任に「自己肯定感を上げろ」って言われたって材料もないのに自己暗示でどうにか出来るわけじゃない

自分本音を言ってそれを認めてくれる場所や人がいて、自分価値があるんだって感じた時に上がるもんんだからな…

から本来数人でも十分保てる要素のはずなのに、SNS でいっぱいリアクションがあって認められるみたいな雰囲気になってハードルが高くなってる今の世の中が悪い

anond:20231206050733

一般社会では普通の叱りさえ撲滅されてるからこそ

自己愛が高くて自己肯定感が低い=生きづらい系の人が激増してるんですけどね

 

毒親持ちメンヘラの盛り盛り話か児相レベルレア毒親を事例に持ち出すのは

メンタル問題を抱えてる人なんだろうし

本来子どもの育成に関わるべきではないのに

なんでこういう人ほど子ども自分投影して事態悪化させてしまうのか

anond:20231206113833

括る部分が間違ってる

誤:「増田が○○である自称しているのは嘘」だから

正:「増田が○○である自称して××と記述しているのは嘘」

この自己肯定感に関して喋っていること自体が嘘というか想像なんだよ

壇上に上がっているということを特別視するな

落語とかダメな人?

自己肯定感なんて中年になって自分の色々な事を諦められるようにならないと無理じゃね?

それを昔の人は40にして不惑って言ったんだと思う

若い時は理想他人との比較のなか現状の自分否定して次のステップに進んでいくしかないんだし

anond:20231205193039

anond:20231205193039

この話がどうあれ、日本教育がそこまで悪いとも思わないんだよな

天才が育たないみたいなこと言われるけど選択肢は増えているように感じるし

中流教育をやめてアメリカみたいになったらそれはそれで

下が切り捨てられて犯罪が増え治安が悪くなるというのはほぼセットじゃなかろうか

気を使わないとか個性尊重するとか自己肯定感とかあんなもん全部良いところしか見てないし嘘も多いぞ

anond:20231205193039

自己肯定感、とか、ママ愛情、とか、スキンシップ、みたいな言説を振り撒いた、20世紀アメリカ教育学は、2020年代のいまやっとまともに批判対象になろうとしている。

まだあんまり一冊とかにまとまってないし、一般人に広まってもないが、あれらはそのまま信じるのやべーよね無根拠でやってたね、みたいな認識じわじわ広まっている。

anond:20231205193039

自己肯定感アゲアゲ文化労働奴隷を育てるためという指摘は正しい。

アメリカプロテスタンティズムの影響も強く、労働を通して実力で認められ勝ち取るという価値観が異常に強い。美醜などの価値観もこの枠組に包含されている。

反動多様性推し進められているが、それすら「あれも美しい、これも美しい、全部美しい」というように、「美しい=善」という、強弱や善し悪しの枠組から逃れられていない。

社会のものさしに沿って自己肯定しなければならないのは辛い。ものさしが一方向(良い悪い=強い弱い)しかないので、そこにはまらない人間自己卑下するか増田の言うように欺瞞的な肯定を言い聞かせるしかない。

「良い」のベクトルは一方向性で、社会に役立つかどうかという視点に貫かれているので息苦しい。みんな違ってみんないい、よりも、みんな違ってみんなだめ、という方が気は楽だ。幸福な家庭は一律で、不幸は多様だというのと似ている。だめなままでも気楽に生きられるのが本当に多様ということである

自分はこんなにだめなところがあるが、人間くさくていいじゃないか自分好きだ、と開き直ると生きやすい。実際、強い人間より弱さを見せる人間の方がよほど好かれる。だめなままで、社会基準を半分降りて生きる物語寅さんなどに代表される。

社会のものさしは社会維持や拡大をめざす構造上それを大っぴらに許容しない。許容される必要があるだろうか?と最近思う。半径を狭くして、社会とは違うものさしを持ちたい。

anond:20231205200458

自己肯定感の正体は「自分が好きかどうか」だと思う。俺は好き。

anond:20231205200458

めっちゃ分かる

自己肯定感を「上げる」ってのマジで意味不明で、別に何もしなくてもそこにあるもんなんだよな

2023-12-05

anond:20231205193039

𝕏(旧Twitter)の方は特別支援教育先生ってことで、発達障害児童の先生ってことを見落として、やれ◯◯だとか、アンチ発言してる人が見受けられる。

発達障害児故に自己肯定感を高めることは望ましいのかもしれない。

anond:20231205193039

全然関係ないんだけど、私の周りにいるあなたと同じような生い立ちの人の日本語文章、例えば名門大学に入るような人でも、あなたみたいに身が入った感じの言葉選びでは全然なくて

どこか不自然で殻というか外行きのような言葉の人が多いのに、20代前半でそこまで使いこなせる様になっているのは、そこに至るまでには自己肯定感を養うプロセスは大きく役に立っているんじゃないの?

後、大学から日本なのかなと思うんだけど、あなた自身は多分相当上層の社会に今いるんじゃないかな。

```

日本の詰め込み個性ガン無視教育批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。

```

最低限の教育ってどういうもの?確かに水泳生活に関わることを必ず教えるとかはあるかもしれないけれど、

学校教育教師の過重労働環境機能不全になりつつあるし、現場品質ものすごくムラがあるから環境ガチャは酷いし、

文科省はそれでも教育側への予算を減らすし、教育に関する公的サービス提供する会社競争評価もほぼ行われないで採用されている。

都心中間層以上の学校や、比較的穏やかな地方都市に行けばそれでもまだ教育品質が保たれているかも知れないけれど、

特に都心の中の下層の学校に入ったら不安不都合にずっと追い回される。

そこから這い上がっても決して褒められないし、友人知人に誇りになんて思ってもらえない。あるのは妬みと嫉みと集りだけ。

学校を出て働きに出た時、若い人たち雇用率は比較的高いほうかもしれないけれど、それでも労働している量と質に対してそれより上の年代中間搾取が進んでる。

パイ一個分の労働をしても得られる報酬は三分の一ピース分とかザラ。

そんな状況がおかしいと思っても、高級なバックグラウンドがある人でもない限り声を上げない。上げたって届かない。誰も寄り添わない。影から笑いものにする。

一人が声を上げたとしても、摘んで踏み潰す。都合が悪いことには蓋をする。村八分にする。完膚無きまでに一人の人間否定してやり込める。

貧困層から一生出られないような弱者社会であっても、アメリカでは集団ハイになって自己肯定感を高めるアファメーション北朝鮮みたいって笑うかもしれないけど、

助けを求めても全てに見捨てられた時や、自分にすら誇りに持てないような状況になった時や、自分一人で行きたくもない勝負に出ないといけない時に

それでも強くいられるようにするための訓練としては、よく機能していると思うけどね。多分そんな経験なんかしないで大きくなって一生上流にいる人なんだろうけどね。

弱者弱者として戦いにいかないといけない時に、弱者から弱者としてのふるまいか戦略を立てる人もいるかもしれないけど、それは一握り。

弱者は身不相応の行為をしたら叩かれるから、黙って静かにして、暗黙の檻にいないといけないという圧力がそこかしこにある。

そんな文化より、叩かれてもいいか勝負をかけないといけない時に勝負をかけられる文化の方が良いんじゃないか

勝負をかけたことに対して、自分を強く保ってさ、自分を信じて行動できるに至るまでの障壁が低い文化の方がよほど健全なんじゃないか

そして誰かが強く世界を変えたいって思った時に寄り添って肯定できる文化もいい。

あなたはきっと反対政党の支持者なのかなと思うけどAOCさんとか日本では出てこないような人だよね。


弱者であるという自分自身から目を背けさせて麻痺させる類の「自己肯定感」はさ、そりゃ悪だとは思うけど、

今の日本に広く蔓延している、行動するよりも前に諦めさせる文化より、すこしは自己肯定できる文化も十分に素敵だと思うよ。

anond:20231205211838

元増田はおそらくショーンK

動画自己肯定感〜ってやってるのも日本人だし

アメリカ文化を語る題材選びの時点で間違えてる

anond:20231205200041

上玉狙いでいったからだろ

俺の価値は高いのに俺に見合う価値の高い女を掴めない!って言ってる自己肯定感やべー奴が弱者肩書簒奪するな

anond:20231205193039

自己肯定感のことを自己評価勘違いしてるやつらが本当に多い

いまだにその手の「自分のこと凄いと思ってるから・誰々には褒められてるから、何を言われても平気」という主旨の漫画がバズりがち

仮に賢さや美しさが人より秀でていたとしても、いつか失われる可能性のある「評価」は自己肯定根拠になりえない

「私は美しい賢い愛されるべき特別存在」というアファメーション自己肯定には無意味

自己肯定感とは自分自身と環境いかんにかかわらず「それでも人生イエスと言う」(ヴィクトルフランクル)ができること

日米ハーフ自分が思う「自己肯定感」のクソさ

まれから高校までアメリカで過ごし、それ以降は日本で住み就職もしている。今20代前半。

最近X(Twitter)でこんな動画賛否両論を生んでいた。

https://x.com/sgwhn8727/status/1627815915457839104?s=20

子どもたちの自己肯定感を上げるため、わたしクラスでは毎朝affirmationを言います。I am loved, I am brave, I am smart, I am kind, I am a problem solverと言い合って、ポジティブ気持ちで1日過ごせるようにします。これを毎日繰り返すことでポジティブ自分になることが狙いです。」

これを見て、自分が今まで生きてきて感じたことを色々と思い出したので少し書く。

便宜上、「アメリカ」「日本」と大きな主語を使うが、もちろん家庭や土地によって差はあると思う。

アメリカでは↑の動画のように、「あなたは素晴らしい存在である」と言われ育つことが多い。

あなたは賢い」「あなたは強い」「あなたは愛されるべき存在」と。

日本では謙遜という概念や「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、素晴らしい能力を持った人でも偉ぶらず控えめであることが求められることが多い。

そんな日本文化を窮屈に思い、アメリカ文化を羨ましく思う人も多いだろう。

しかし、アメリカの「自己肯定感アゲアゲ文化には致命的な欠点存在する。

身も蓋もないことを書いてしまうが、いくら本人が「自分は素晴らしい存在だ」と思っていても、現実は違うことの方が多い。

アメリカ個性尊重する」とか言ってる人もいるが、誰だってバカより賢い人の方が好きだし、ブスより綺麗な人の方が好きなのだ。それはどこの国も変わらない。

そもそも、「誰もが素晴らしい」が声高に主張される社会=そう言わなければいけない社会、ということである

社会に出たら嫌でも自分ランクを思い知らされる。自分上位互換いくらでも転がっている。

自己肯定感のメッキが剥がれる瞬間が辛いなら、最初から身の丈にあった感覚を持ち生きたほうがマシではないか

特に今、日本中国韓国若者と同じように、多くのアメリカ若者には金も希望もない。

インフレ格差にあえぎ、親と同等の暮らしをすることをあきらめている人がほとんどだ。戦争気候変動など世界的な問題も山積みだ。

こんな中で「自分は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と言われても困るのである。もはや呪いしかない。

自分は素晴らしい」という言葉呪いだ。なぜなら、むしろ自分のクソさに気づいたとき、そのクソさがものすごく大きく見える。

日本に帰ってきたときとある芸人さんがテレビに出ていた。

その人は「ブスの戦い方」を指南していた。美人はどうやたって生きていけるが、ブスは工夫しなければいけない。しかし、努力すればむしろブスは美人よりも大きな成果を上げることができると。

その話は「ルッキズムを植え付けるな」なんて批判されていたが、自分は感動した。

自分美男美女ではないから生きづらいと言っている人に対して、「あなたは美しいよ。素晴らしい存在だよ。」と言うのは正しいのだろうか。

美男美女としての生き方提案するのが本当の優しさなのではないだろうか。

もちろん美醜だけでなく、頭が悪い身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなた個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのではないか

アメリカ教育はその点で間違っている気がする。

そもそもアメリカ自己肯定感は間違っている。「自分は素晴らしい」と思わせるのは自己肯定感をはぐくむことではなく

どんなスポンジケーキかということを考慮せずに、クリームをゴテゴテ塗ってごまかしているようにしか思えない。

あなたは素晴らしい」と言われ育ったが、そうではないことに気づいてから人生計画を立て直すのに時間がかかった人はたくさんいると思う。

自分もも大人になったし今は幸せなので、今まで受けた教育にだらだらと文句をつける気はないが、最初から人生クソゲーだと教えられていたらもっと楽に生きられたと思う。

自己肯定感とは、どんなに自分自分人生がクソでもなんとか生きていける能力だと思う。

世界はクソ、人生はクソ、自分もクソ。

でも昨日食べたラーメンはおいしかった。信号ですれちがった犬がかわいかった。昨日より1mmは仕事ができるようになった。だからよかった。

そう生きていけるのが自己肯定感ではないか

日本の「自虐文化」は批判対象になることが多いが、実際無意識に救われてる人も多いのではないかと思う。

あと、これは書くか迷ったんだけど、アメリカ自己肯定感アゲアゲ文化奴隷を育てるためではないかと思ったことがある。

日本の詰め込み個性ガン無視教育批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。

しかし、アメリカは頭のいい子への教育天才であると感じるけど、バカへの教育はあまりよくない。最低限の基準に達していないバカに「君は素晴らしい」「我々は強い」と言って、一部の天才奴隷にしようとしているのではないかと思った事すらある。これは陰謀論とかではなく本当に。まあ奴隷育成に失敗して中身スカスカなのに態度がでかい人間を量産してるけど。

北朝鮮バカにしてるけど正直アメリカも近いものがある気がする。

2023-12-03

弱者男性子どもを持つメリットあるよ。

かに子ども育てるのはお金もかかるし毎日が嵐にみたいに大変だけど弱者男性に取ってはメリットあるよ。

一言でいうと「妻子持ちのステータス」を得られるわけでそこから得られるメリットは少なくない。

正直かなり生きやすくなったと思う。

弱者男性気持ちいか会社でもどこでもゴミのように扱われるけど、特に女の人からの態度が軟化する。

それだけで生きやすくなるのがわかる。人間として扱われるのがわかる。

あと無条件で子どもから抱っこせがまれると自己肯定感が上がる気がする。

今まではどこの大学出てどこの会社に勤めてるとかでギリギリ存在してよかったのが、ありのまま自分をそのまま受け入れてくれるのが嬉しい。

(たまにパパイヤはするけど。)

あのまま独身子どもがいなかったら鬱々としたものを抱えて生きてたんだなと思うと本当に彼と会えてよかったと思う。

そういうわけで経済的なところ以外なら少ないながら大きいメリットはあるのは伝えたい。

真面目な大学生が堕ちて夜遊び、精神疾患になって休学するまでの話

今日は前に進む決意をした。

休学してからずっと「退学して就職」か「復学」の2択しかないと思ってたけど、小さなことがきっかけで「別の大学通信課程に入り直す」という選択肢に気づいた。本当にやりたかった事をもう一度目指す、それがこれからの私の道だと思ってる。

そんな小さな決意をしたついでに、入学してから休学するまでの事を書き留めておこうと思う。これは自己満足備忘録。もしもこの駄文を見る人がいたら、物凄く不愉快にさせてしまうかもしれない。でも許して欲しい、こういう人間が今この世に実在していること、これからやり直そうとしてることを。

私は幼少期から真面目な人間だった。

常識マナーに囚われたつまらない子供で、白黒はっきりしていない物事気持ち悪かったし、嫌いな物はとことん嫌いだった。自分中心に生きていたらいじめられてしまって不登校に。

そこから人間関係が怖くなって、周りの目ばかり気にするようになった。そして地元で最底辺と呼ばれるような高校に入って、友達ができて、恩師と出会った。楽しい高校生活の中で、とある学問勉強したくなり受験を決意した。

…というのは建前で、本音親族からの期待の目だった。「真面目だった私子ちゃんなら良い大学に入れる」「大学に入ってこそ」と古い価値観を幼少期から植え付けられていた私には、失望されるのが怖かった。

必死努力して合格した第一志望の大学

正月の親戚の集まりで褒められて、両親に渡される「合格祝い」と書かれた大金

そして比較される高卒の親戚。「私子ちゃん大学合格してすごいけど、親戚くんは……」

これで良かったはずなのに、気分が悪かった。

そうして低すぎる自己肯定感を背負って、大学一年生が始まった。完璧主義が悪い方向に働き、「全科目A以上は取れないとダメだ」と自分を追い込み、朝6時に家を出て夜の21時に帰宅する生活だった。見た目に関しても周りから浮かないように必死で、服を毎月買いまくり周りと比較しては死にたくなった。

思えばここら辺から異常だったんだと思う。

私は「学校は小さな世界で、その外には大きな世界が広がっているから、学校人間関係に囚われる必要は無い」というスタンス高校生活を過ごしてきた。しかし、大学に入った途端「大学世界の全て」になってしまった。外の世界が見えなくなった。

1人で授業を受けていることに対して何か言われるのが怖くて、友達を作ろうと必死だった。やっとできた友達は授業中にずっとスマホ、周りの人間もみんなスマホ。当たり前の景色なのに、「なんでここの人達大学に入ったんだろう?」と疑問に思ってイライラするようになった。

必死に話を合わせて笑って、「高校の頃はこんなじゃなかったのに」「情けない自分になった」なんて何度も思った。真面目にメモを取ってると、「真面目だね〜〜」なんて言われて、浮くかなって不安になって、メモを取るのが怖くなった。高校時代の友人からの遊びの誘いを断るようになり、大学勉強や浮かないファッションを探すのに必死だった。

がむしゃらに駆け抜けた数ヶ月、前期の終わり前に家族が亡くなり、ショックで2週間ほど外に出られなくなった。ここでS評価が取れないのは確定してしまった。一気にやる気がなくなり、手を抜いてテストを受けた。単位ひとつも落とさなかったけど、Sは2科目しか取れなかった。

そして夏休みに入った直後、はじめてのパニック発作が出る。何か調子が悪いんだろうと思っていたが、その後も大学の事を考えると過呼吸になる。メンタルクリニック受診したら、パニック障害の診断が下った。

そして休む間もなく後期が始まる。

その頃にはSNSで仲良くなった同じ大学の人たちと関わるようになった。6人くらいで形成された学部混合のグループの中で、愚痴や悩みをツイートして、慰め合う。そんな関係だった。

ずっと居場所がないように感じてた大学にようやく居場所を感じた。

ただ、私があまりにも弱すぎた。

その友人たちに合わせて、授業を飛んだりピ逃げするようになり、見た目も勧められるがままに金髪にして、高校の頃の恩師にドン引きされた。

未成年飲酒なんか大っ嫌いだったのに、みんなと一緒にいる為には……! と何度もお酒を飲んだ。周りに合わせて大量に飲んでは、記憶飛ばしたり、帰宅後に吐くような日々。

どんなに楽しんでも孤独感と疎外感が強くて、常にみんなについて行くことに必死だった。授業中Twitterが見れないと不安で、ずっとスマホをいじってた。単位を落としそうになったら救済を求め、行こうとしたら発作が出て、もう滅茶苦茶な生活になってた。

大学以前からの友人たちにもドン引きされてたけど、大学で居場所が無くなるよりはマシだと思った。そしてテストにも遅刻しかけて、修得単位は16。終わったと思った。

そのまま冬休みに入って、また飲みに行ったりする日々。どんどん心の調子が悪くなって、薬を増やした。良くならなくて、また流れるように2年前期が始まる。今期こそ真面目にやろう!と思っていた。

しかし、5月から、本当に大学に行けなくなってしまった。布団から出られない、外にも出られない。ご飯も食べられなくなり、トイレに行くだけで床を這いつくばって10分。自分でも何が起きたかからなかった。情けなかった。死にたかったけど、死ぬ気力すらなかった。

絶望的な2ヶ月をすごして夏休みに入り、休学を決意したが、8月半ばに突然元気になった。あまりにもパワーが溢れるもので、大学に行きたくて仕方がなかった。でも夏休みでやってないし……ってことで、ずっとダンベルを握りしめてた。とにかくトレーニングエアロバイクを漕ぎながらアニメを見る。最高!!!!!元気!!!!!周りが大丈夫なの?とか言ってたけど、全然問題ないと思ってた。やっと素の自分に戻れたと思った。

……で、10月に入り、また死にたくなった。

布団から出られない、ご飯が食べられない。生きてる心地がしない毎日絶望感、希死念慮

飛び降りようとしたタイミングたまたま高校時代の友人が心配して家まで来てくれて、号泣しながら話を聞いてもらったりした。それでも死にたくて、死ぬ手段をずっと考えてた。

大学の友人が1人、物凄く心配してくれていた。

気分転換に飲みに行こう」と言われ、復学後のことも考え何とか準備をして飲みに行った。またいつも通り煽られるまま飲んで、気がついたらその人とラブホテルにいた。訳がわからないまま豪華な天井からぶら下がったシャンデリアを眺めていた、あの光は今でも脳裏に焼き付いている。飲みに行きまくってる癖に男性経験殆どないようなものだったので、相手必死に挿入しようとしても入らなかった。あまりの激痛に叫んでしまい、ハッと酔いが覚めて、もう帰ろうと言ってホテルを出た。最悪の気分だった。本当に死んだ方がいい、このまま電車に飛び込もう、と思ったけれど、山手線にはホームドアがついていた。ここが私のどん底だったと思う。本当に最悪だった。

早く病院に行けよ、という話だが、私はメンタルクリニックの定期受診の日を待っていた。予約の電話をするのがめんどくさかったからだ。

そして定期受診当日、なんとか向かうと、担当先生が見たこともない表情で私の話を聞いてくれて、双極性障害と診断された。

薬を増やして数週間、効いてきたのか調子が良い。躁状態ほど明るくないが、鬱状態ほど暗くはない。

ゆっくりと過ぎ去る日々を落ち着いた気持ちで過ごせている。

落ち着いてる今だからこそ、自分が何故あそこまで周囲の目を気にしていたのかよくわからない。

自分を曲げてまで周りに合わせることも、本来大学目的が見えなくなってしまたことも、何もかも、馬鹿馬鹿しかったなと思う。何より、大学以前の友人は変わらず気にかけてくれて、ずっと仲良くしてくれていたのにそれが見えなくなっていたことが情けない。20歳になってからは、お酒殆ど飲まなくなった。友達と会う時も、着飾りすぎるのをやめて、自然体で公演を散歩するような過ごし方をしている。これからも、目の前のことに必死になって自分本来目的を見失うことがあると思う。でもこんな地獄みたいな経験をしたからこそ、去年〜今までのような事にはならないと思う(思いたい)。

人生は失敗ばかりだけど、失敗から反省することで成長できるとよく聞く。それを信じて、大事ものを見失わずに程よく頑張って生きていきたい。

自分が全てを忘れないために勢いで書いてしまったので、あまりにも駄文だと思う。不愉快にさせていたら申し訳ない。

これを読んでいる人も、読んでない人も、みんなが幸せ毎日を過ごせますように。

2023-12-02

友達の紹介で行った新しいコミュニティ陰キャムーブしてしま自己肯定感下がる。

 

そもそも自分初心者なのに中上級者揃いで、

自分が気を使ってもらわないとできないんだったら溶け込むのは無理なんだよな。

自分には合わなさそうなのがわかってよかった

と思って切り替えるか。

2023-12-01

anond:20231201112348

たいていの男性アイドルファンは、共演している女優自分投影して、自分キスされたりいちゃいちゃしてると仮想体験することによりキュンキュンするわけよ。

しかし、自己肯定感が低いブサイクオタク場合はそれができない。共演相手キラキラ若手女優自分を同一視することなんてできないからね。

しろキラキラ若手女優なんてドラマ共演をきっかけに熱愛発覚しちゃう可能だってある敵だし、敵に向けて愛情を向けてる推しなんて見てらんないでしょ。

アイドル運営側はそこまで折込済だよ。

アイドルファンになってほしいのは、前者、キラキラした自己肯定感の高い人たちである事実に気づいたほうがいい。

また、そっちのが世間的にもマジョリティから厄介少なめで回収できる金は多くなる。

ファン揉め事起こすオタク推しのために風俗で金稼ぐオタクチケット転売犯罪沙汰起こすようなオタク、要は自己肯定感が低い厄介オタクからはご退場いただきたいわけ。

あとさ、最近アイドル収益って、ファンの金よりファン時間とか行動とかが指標になってきてるでしょ。

強火オタク人生投げ売って稼ぐ金は、ライトファンお小遣いの何百倍にもなるかもしれないけど、オタクライトファン時間平等に1日24時間からね。

からメジャーアイドルライトファンの数増やしたいと思うよ。

CDとかグッズの売上より良質なタイアップ確保できたほうが儲かるし、タイアップ選考基準って視聴率より再生数とか滞在時間になってるでしょ。

ライトキュンキュンしてくれる人が多いほうがいいわけ

2023-11-30

もう27だけど自己啓発めっちゃ楽しい

ストレングスファインダーやって勝間和代の本数冊読んでるだけだから、大したことやってるわけではないけど。

もとの自己肯定感が激低だから伸び代がある感覚

何でもできるんじゃないかって錯覚さえある。

しかしこんな高揚感に漬け込まれバカ高いセミナーとか受けないように気をつけます。

anond:20231130161634

そんな事より

・絵を描くのが好きで描きたいのか

・絵を描ける人間になって自己肯定感を持ちたいとか人からチヤホヤされたいだけなのか

ってその出発点が一番影響すると思う。

2023-11-29

言い訳

23歳でほぼ天涯孤独っていう人間、どのくらいいるんだろうか。

多ければ多いほどこれが普通で、当たり前ということになる気がする。まぁ間違っても自分だけではないと思うし、それならまあギリギリ普通カウントしてもいいのかな。当たり前ではないだろうけど。

16で母が逝った。悲しむ暇なんてなかった。

母の元同僚の方などに手伝ってもらい、高校も少しだけ休んで、処理をした。

父とは自分が生まれる前に離婚していた。

祖母は生きていたので、祖母書類上の親子になった。馬は合わなかったが、未成年の間に肉親が完全に居なくならなかったという点では非常に感謝している。それに、高校に寮があったのも幸いだった。

しかし合わないものは合わず高校卒業と同時に就職して逃げ出した。

祖母距離感押し付けが苦しくて、せっかくの休暇で消耗するのが嫌だと、実家に関する全部に対して見ないふりをしているうちに祖母がとうとう認知症になった。

地域支援センターみたいな所から連絡が来て、デイサービス支援してくれていると言われた。

会いに行った祖母は酷く痩せていたし認知症の症状はありありと見て取れたが、うまく悲しむことができなかった。少し罪悪感があったのを覚えている。

その時支援センターの人から、連絡の取れる親族自分しかいないからと終身型老人ホームの選定についての話をされた。

まぁ曲がりなりにも就職まで世話になったし、自分がやるべき事だろうと思って仕事の合間を縫って探していた。

同時期に3時間しか眠れなくなり、病休を取る事になった。休みつつも探していかなければ、と遅々としたものながらも自分にできることをやっていたつもりだった。

支援センターの方から連絡があり、今まで音信不通だった叔父唐突に連絡が取れたため叔父が全ての処理を行ったと連絡が来た。

自分叔父の連絡先も知らないし、祖母は恐らく携帯電話を充電していないため、この時自分は明確に「1人になってしまった」と思った。

自分はどこで間違えたのだろうか。

自分もっとしっかりした人間に育っていればこんな背景関係なく、普通に過ごせていたのだろうか。

自分が発達グレーでなければ、もう少し周囲に助けを求めるのが上手かっただろうか。

自分もっと自分のことを好きであれば、何か変わっただろうか。

言い訳と後悔ばかりが募って、また自己嫌悪に入る。

親がいない人なんて他にもいる。

実家がないも同然の人なんて他にもいる。

発達グレーゾーンで苦しんでいる人なんて他にもいる。

自己肯定感が低い人なんて他にもいる。

全部自分だけじゃない。

その人たちだって生きている。

から、現状の自分は全部自分のせいだ。

自分が間違えたから、今の自分がいる。

悲しみや苦しみのキャパティは人それぞれだと言うが、自分は遥かに人より弱いのだと思う。世界で1番心が弱いんじゃないかとさえ思う。だから自分ダメなのだ。こんなになってまで、未だに交友関係の続いている相手が少しでも悲しむから、怒るからという理由死ぬこともできない。

この文章自体言い訳自己保身のために書いているようなものだ。誰にでも訪れる可能性のある苦しみを「でも」「だって」に使いたいだけだ。そうしないと耐えられないくらい弱いから。

どれだけ仲のいい友人だろうと、どれだけ頼れる上司だろうと、結局のところ何の拘束力もない他人だ。本当に困って思い悩んだ時に相談する相手は、今はもう居ない母以外思いつかない。そんな無責任な甘え方をしていいのは、母しか思いつかない。それにしたって母にとっては傍迷惑な話だろうけど。

その割に一丁前に寂しいという気持ちだけあるから笑ってしまう。自分自身のことはもうどうでもよくなったはずなのに、人と話して、遊んで、必死に明るく楽しい自分でいることに執着している。

命が生きたいというから、寂しいと思うから、それだけで生きている。

自分存在が初めからこの世界にはなかったことになってくれたらどんなにいいかと、ずっと思っている。

anond:20231127170535

いやいやちゃうやろ

考えすぎってか、そんな論がどうとかって話とちがうよ

 

弱者男性特有自己肯定感の低さやら幸福度の低さその他もろもろの悩みなんぞは所詮

自分を愛してくれる女が一人いるだけで吹っ飛ぶ程度の単純なもんだ

 

・・・というある種の(自嘲含む)共通認識があって、

それって現在恋人のいる元非モテ男の多くが経験則として持っている感覚なわけ。

 

強者男性と同じようにだのペアリングがどうのだのどーでもいいのよ

もしかして現在進行形の弱男だから実感がないのかもしれんが

anond:20231129095948

社会的な正しさと自分幸福を別のものとして考えるって、一定以上の知的水準自己肯定感が無いと無理よな。

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