はてなキーワード: 消火器とは
でもお前らパワハラを恨んで実力行使に及んだ事件は犯人に同情してるじゃん
職場内、消火器で元上司を殴打 殺人未遂容疑でコナミ社員を逮捕 | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230411/k00/00m/040/190000c
casa1908 殴ったコナミ社員が捕まるのも、解雇されるのも当然だが、コナミは殴られた上司のパワハラについてしっかり調査して必要に応じて処分する義務があると思う。相当追い詰められてないとここまでしないだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4734950945945866437/comment/casa1908
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
AEDは日本語で自動体外式除細動器と言うんだけど、除細動器にはプロ(医療向け)と一般(非医療従事者向け)の製品があるよ。
AEDはこのうちの一般向けの製品の事だよ。Aはオートマチックの意味。
医療向け製品は心電図モニタでの監視が行われている事が前提だから単能型で普通の電化製品のようにスイッチを入れると電撃が起きるよ。
一般向けは必ず診断モードが付いてて、蓋を開けると自動的に起動、コンデンサへの充電、電極パッドを付けると診断モードになるよ。(電源ボタンがある機種もある)
だからAEDを使うべき状態かどうかは機械が勝手に判断して実行するから「AED使用すべきじゃなかった状態なのに使用した」という事は起きえないよ。
蓋開ける(IOボタンを押す)と起動して音声ガイダンスが始まるよ。その通りに心臓マッサージしたりパッドつけたりすればいい。付ける場所はパッドや本体に大きく描かれているよ。
自動診断が終わってAEDが必要と判断されたら「全員手を放してショックボタンを押す」と言われるので押すと電撃が発生して患者の体が大きく痙攣するよ(結構ビビる)。
で、バッテリーの問題があるから10年も20年も使えるわけじゃない。使用した事なくても交換が必須なんね。これは消火器と同じやね。
低周波治療器みたいにヌルヌルの導電パッドが付いているんだが、これは数年で経年劣化でダメになる。でもリースだとパッドの交換もしてくれるし、本体も耐用年数で交換されるからバッテリー問題も考えなくていいし本体も新しい製品に更新されていく。
リース料は1万弱/年くらい。
でもリチウムイオンバッテリー+コンデンサ+心電図診断ソフトの組み合わせの製品だからもっと安くできるはず…って事で最近だと10万を切る製品も出てきてるらしい。
AEDは心臓が細動、つまり痙攣しててポンプの働きを無してないって時にフルスイングのビンタを心臓にかます機械だ。
心電図モニタがフラットになるのでこの瞬間は結構ビビるし初めて見たら油汗出るよ。
でも大丈夫。脳が規則的に心拍信号を出してるから、それに従って心臓も規則的に動き出す。時間にして1~2秒程度なんだが、初めて見ると永遠に感じるほど。
AEDや心マが遅れると脳がダメージを受けてしまってこの信号が来なくなっちゃうのだな。だからAEDは早くやらんとだめって事なんであるな。
最初の生物は心臓なんてなくて体を動かす→体液が動くっていういい加減なシステム
↓
体大きくすると体液循環量が足りんぞ→せや体動かさない時でも勝手に動いてる箇所を作りゃいいんや
↓
さっき作った醤油チュルチュルの握るとこの前後にストローさしたら効果あがったやん天才やんワイ
↓
そうや醤油チュルチュル握るとこの前後にワンウェイの弁付けたらもっと効果アップや
↓
握るとこを思いっきり握っても握りに吸入する時になかなか入っていかんで効率落ちちゃうんやんけ。予め圧が高くなってればあっというまに充填されるのに
せや握るとこの真ん中にも弁付けたら低圧圧縮→高圧圧縮で効率アップするやん
↓
あーでも本社の方に指令2つ出せって言っても進化の融通きかんしこっちの現場は現場で勝手に進化してるしで連携とれんな…
↓
せやこうすりゃいいんちゃう?
本社の収縮指令が来るやろ?それを低圧に繋ぐんや。それで低圧連中が動くと電気信号が起きるやん。それを高圧側に繋いで動けば一つの指令で時間差の指令が作れるやん
名付けて「カツオの場所はカツオドリに聞け」作戦や。ジンギスカン作戦に並ぶ名作戦やでこれ
↓
でも低圧連中の出す信号って微弱やな…タイミングにもズレがあるし微弱電流を閾値にするとノイズ拾いまくって大混乱や困った…
せやスター結線や!心房結節で集合させればええんやそっから各部署に分配する
スイッチングハブ(洞結節)→リピーター(心房細胞)→スイッチングハブ(心房結節)→リピーター(心室細胞)
これでいけるで
↓
????あのそれだとブロードキャストストームに弱くない?
↓
あーちゃんと動いてるしもう仕事終わり!クレームもきとらんしうちはパラシュート会社と同じでノンクレームの優良企業や
こういう経緯で、心臓に自律性を持たせる実装にしたせいで、なんか衝撃を受けた場合に心筋のどっかがまとまって拍動するとそれを受けて他の部分が拍動→その刺激で他の部分が…と繰り返して収拾付かなくなってしまうのよ。
ブロードキャストストームですわ。神の実装ミスです。
因みに、心臓はこういう風に自律性がある実装されてるので、体から飛び出しても動いていたりする。
心臓は筋肉の塊で非常に丈夫なうえに、拍動で擦れて傷つかないように心嚢っていうスベスベの膜に入ってるので、交通事故でトラックに踏まれて胸部が潰れてしまっても血管から千切れてシュポンって感じで飛び出してくる。
その状態でも路上で拍動を続けてるんですな。奥多摩のタヌキとか大垂水峠の鹿とかがトラックに轢かれてその近くで心臓が動いてるという現場を何度も見た事があるよ。
これは「倒れてない人、ピンピンしてる人にもAEDが必要なことがある」って話だよ。
例えば江戸時代などには食器洗いのママレモンとかは無かった。キュキュットとかも同じくない。
じゃあ食器洗いはどうしていたかというと竈の灰を水に入れて放置して灰汁を作り、それで洗っていた。
これは水酸化カリウムで強アルカリだ。植物の細胞が燃えて水蒸気と二酸化炭素になり、金属であるカリウムが灰の中に残ったものだね。
筋肉が収縮するには特にカリウムが必要だ。だから筋肉にはカリウムが多く含まれる。
そして血中のカリウムが多すぎると筋肉が過敏になる訳だ。こむら返りとかが起きちゃう。
事故で車の下やブロック塀の下に挟まれててそこから救出すると、挟まれ箇所が足とか腕とかだと筋肉の塊だからしばらく痺れるが血液の循環が回復されると痺れも取れる。なんてことも無く動けるしもうへっちゃらに見える。
圧迫によって潰れた、酸素不足で死んだ細胞の中身が出てるのだ。これはゴミとして掃除しないといけないから血液はこれを拾って持って行く。
で、ここにカリウムが超大量に含まれている訳だ。多すぎるカリウムは腎臓が濾して除去する。
でも大量すぎると処理が間に合わない。大量のカリウムが体内を巡ってしまう。
で、ここに筋肉まみれのマッチョで実装ミスによって痙攣が起きやすい臓器がある。つまり心臓だ。
アーキテクチャ的にブロードキャストストームに弱いのに、高カリウム血によって信号を拾う閾値が思い切りさがる。心室細動が起きないはずがないって状態なのだ。
だから、事故で挟まれていた人が救出されて「大丈夫だ」と言っていても動かないように命じ、救急車を呼んで病院に搬送して欲しいのだ。どんなに元気であってもだ。
そしてこの人は突然心室細動を起こして死ぬ可能性があるからAEDも用意すべきなのよ。
因みに高カリウム血症へのAEDの使用は、蘇生→再び心室細動を繰り返すのでAEDはずっと繋げたままで心電図を注視してないといけない。
何度も細動が起きて何度も電撃で痙攣する患者は見たら肝を冷やすこと請け合い。
そういう訳で医者でもないのに事故や労務災害に出くわす事が多い上に自分も心臓病を患って色々覚えた野良心臓マニアの増田がAEDについて書いてみたよ。
ボディーアーマーやポリカーボネートの盾でも結構重いしな(機動隊の見学会みたいな奴で持たせてもらった)
ガスマスクはマニアの知り合いに付けさせてもらった事があるが、あれ視界狭くなるし息苦しくなるんだよ
よっぽど訓練してる人じゃない限り、あんなの付けてたら犯人と格闘したりなんて無理
消火器も薬剤込みだと小さいのでも結構思いし、取っ手のところが嵩張るから一般的なリュックサックには入りきらないと思う
そもそも電車には備え付けの消火器があるのに自分で持ち歩く意味もないな
つーか逃げられるなら逃げるって前提で、どうしても逃げられなくなった時にどうするかって話なんだから防具の話をしてもしゃあないだろ