はてなキーワード: 毒薬とは
クリストファーノーランの「TENET」は考えれば考えるほどよくわからなくなってくる映画だ。
この映画では大きく分けて4つほど大きなイベントが発生しているが、どのイベントでも複数の人物が各々の思惑で動いているうえ、常識的にあり得ない時間の流れ方が一部に起こり、尚且つ一つのイベントがより大きなイベントの一部であったというような入れ子構造になっていたりもする。人類の命運をかけたヒーローとヒールの一騎打ちだとか、国家総力を手玉にとったクライムアクションとして扱うには話が複合的過ぎる。
それでもなんとかストーリーの流れは把握できてそれなりには楽しめた。生意気を言うと映画作品の出来としてはちょっと言いたいこともあるけど、好事家同士で談義したり一人で考察を広げたりしがいのある作品であることは確かだと思う。
先々週の日曜に初めて観たあと、気になった部分を確認するため先週末に再び映画館に行った。パンフレットはあいにく売り切れていたのでAmazonで注文することにした。
二回見てある程度自分の解釈が固まってきたので言葉にまとめようと思う。
劇中内でいくつか引っかかるシーンがあって、それが集中しているのが冒頭のウクライナ国立オペラコンサートホールでのテロ事件のシークエンスである。
1998年にロシアのミサイル基地から行方知れずとなってしまったプルトニウム241(以下241)という危険物質を、CIAスパイがウクライナ政府関係者に成りすまし入手した。
しかしその情報をリークしたロシア(ウクライナ?)政府がオペラコンサートの爆破テロに見せかけて強奪しようとする。
主人公たちのチームもCIAスパイで、ウクライナに潜入中の仲間の救出と241の保護のためテロの制圧しようとコンサートホールに乗り込む…
といったあらすじである。一見しただけはこれだけでも把握するのが難しく、詳細を解説したいのは山々なんだけど話が長くなるので割愛する。
まずこのシーンでの主人公周りの描写においてその後のシーンと辻褄が合わなかったり奇妙な部分がちらほらある。
主人公は持ち物置き場からウクライナ潜入者のバックパックを探し出し、中から241(観た人はわかるが実際は奇天烈な”アルゴリズム”)を運び出している。だが後々のシークエンスで再び241を見た際に「これはプルトニウムじゃない」とか「プルトニウムじゃないなら(敵に)渡してもいいんじゃないか?」と不可解な発言を行う。
また冒頭部分では度々「黄昏に生きる 宵に友なし」というホイットマンの詩の一節を合言葉として用いているが、その後セイターにそのフレーズを投げかけられた時は「それがどうした?」とばかりに呆けた反応を示していた。セイターは主人公がCIAか確かめるために組織で使われている合言葉でカマをかけたんだという解釈をしている人を見かけたが、プリヤが言うようにセイターは元から241を奪取した主人公を襲撃して横取りする手立てだったので、セイターが主人公の素性に拘る必要性はあまりない。それに外交員という見え見えな嘘で近づいて241のことをまくし立てる主人公を見て、テネット組織の存在を嗅ぎ取れないほどセイターは鈍感でもなければ情報を知らないわけでもないはず。
最後に、コンサートホールから逃げ込んできた主人公と同僚は逃走用のバンに乗り込むが、「違う男だ」という支離滅裂な言葉を浴びせられた後に殴り倒され人気のない列車の車庫基地で拷問を受けることになる。主人公を拉致したこの一味は何者なのか、「違う」ということはどんな男が乗り込んでくることを想定していたのか、様々な点で確信できる情報がなくこのシーンは謎に満ちていて解釈が難しい。
ここで僕がたてた仮設というのは、あのコンサートホールに主人公は二人いたのではないか?というものだ。
ご存じの通りスタルスク作戦でテネットがアルゴリズムを手に入れた後、全てを知った主人公は世界の均衡を守るために過去に戻りテネットを創設することを示唆して物語は終わる。
(ニールが未来の主人公の指令で派遣されてきた未来人で彼がテネットを組織したという説が根強いけど自分はそうではないと思う。長期の逆行自体が危険でリスクの高い行為であり、かつそれだけの逆行を経てもあの若さであるということは幼く経験が乏しいころに指令を受けたことになる。それよりも主人公自身が逆行を重ねて各時代ごとに指示出せば、もし主人公の身に何かあっても誰かが跡を継げるのでよほど現実的ではないか。ニールが「君は物語の中間地点にいる」「僕は過去に君に会って、君は未来に僕に会うんだ」といった感じの台詞(うろ覚えすまん)もそう考えるほうがしっくりくる気がする。重要事件であるフリーポートの件で、回転扉から出てきたマスク男の正体に最初は気がついてなかったりと、事の顛末を知っている未来人とするにはニールは無知すぎる気もするし。)
コンサートホールには何も知らずにただ爆破テロの被害を最小限にすることに勤しみ、謎の男が逆行弾を放つのを目撃してから拷問を受ける主人公Aと、実はテネットメンバーであるウクライナ潜入者とアルゴリズムをコンサートホールから救出するために未来からやってきて奔走する主人公Bがいたのではないだろうか。
このシークエンス中ずっと主人公の傍らにいるジョセフゴードンレヴィット似のCIA工作員(以下ジョセ)がいるが、彼もテネットのメンバーでありアルゴリズム保護作戦の補助と主人公Aの警護が彼の役割だったとする。ジョセは皆で物置に入って防護服から着替えていくところまでは主人公Bの傍らにおり、その後主人公Aがホールから出るのを待ってAと共に車に乗り込んだと考える。「黄昏~」の合言葉はテネット内で使われる言葉でありウクライナ潜入者、主人公B、ジョセ、ニールの間では通じるが、主人公Aは当然そんなもの知らない。
そう考えれば合言葉を使いこなしアルゴリズムをバックパックから取り去った主人公Bの活躍は、主人公視点に立てば物語の一番最後となるためそのあとのシーンの主人公が諸々知らないことにも納得がいく。劇中における物語の始点は主人公Aが逆行弾を目撃するシーンからというわけだ。
そう考えると例の拷問シーンや、カモフラージュのために組織のメンバーは皆服装を変えているのに主人公だけはずっと防護服を着ていることも説明がつく。
「違う男だ」という台詞は主人公Bを捕まえるつもりがAの方を捕まえてしまったということだ。ぱっと見ではジョセがウクライナ潜入者の影武者になったということのようにも見えるが、リスクヘッジとしてあまりいい考えとは言えないし、ジョセが一番最後にホールから出てきてはその意味がないので妥当な解釈ではないはず。あの一味はアルゴリズム強奪という目的以外にテネットに関する情報を掴みたかったのではないだろうか。
(主人公が飲んだ偽装自殺ピルも実は製造にテネットが関わっているのかもしれないと思ったけどどうだろう?普通の毒薬を回転扉を介することであのピルができたりしないだろうか?エントロピーの減少とかよくわかんね)
この説明を聞いて「結局アルゴリズム取られてもう一回タリンで奪取しに行ってんじゃん。逆行してきたんならなんでキエフの作戦失敗するんだよ」とつっこみが入りそうだ。この点は逆行経験者は常人とやや異なる思考をするためなんだと思う。「空ってわかってんだからわざわざ車越しにケース受け渡しするの無駄じゃね?」と一瞬感じてしまったりするセイターが仕掛けた挟撃作戦のまどっろこしさや、ニールの「起こったことは変えられない」という言動からわかるとおり、未来を知っていてその行為が自分にとって不利益になるとわかっていても、最終的な結果に至るプロセスに絡んでくるなら避けようがないし、パラドックスを起こしかねないので避けようとするべきではないと逆行経験者は考える。キエフとタリンの失敗があったからこそスタルスクの戦いが成功したんだと認識しているはずなのだ。
主人公は覚醒後に君はテスト合格者だと告げられるが、安全のために未来から来た主人公はテネットメンバーにも素性を明かしてない
このオペラコンサートのテロ事件はロシア政府とCIAが241をめぐって攻防を繰り広げるという風に説明したが、描写される情報が少ないために鑑賞しただけでは如何様にも解釈ができる。
第一に1998年にロシアから241がなくなった事件の際実際何があったのかはよくわからないし、その後の20年近く241がどんな環境に置かれていたのか、なぜ今はウクライナにあるのかも把握しようがない。CIAが戦っている相手はウクライナの特殊部隊に変装したロシア人なのか?それともロシアに脅しをかけるため241を利用しようとしたウクライナ政府が、ウクライナの部隊を借り出して工作しようとしているのかもどちらか断言はできない。CIA及びテネットも事前にいくつかワッペンを用意していた辺り当人たちもそこらへんはっきりわかってないようだ。
ここからは僕の想像でしかないが、実はこのテロ事件はセイターが裏で仕組んでいたことではないだろうか。
つまりスタルスクの企みから少しでも目を逸らすため、またタリンでの241強奪に繋がる道筋を作るために、コンサートでのテロが引き起こされるよう各要人をセイターが誘導していたのではなかろうか。
アルゴリズムを集めることをライフワークとしていたセイターは241の行方についても常に関心を払っていた。それは主人公よりも先にタリンで241の受け渡しがあることを知っていた部分で顕著に現れている。(セイターのアジトがタリンにあることから、セイター自身がタリンまで241を運ばせた可能性もある)セイターはウクライナで起こった事件の詳細を把握していたはずであり、把握するために自分や部下を現場に派遣していたと考えるのが自然だろう。
アルゴリズムを起動しようとしていた時にセイターはハノイ沖のクルーザーに居たが、このセイターは未来から逆行しやってきた個体である。では順行時間軸上のセイターはどこにいたのか?というと劇中明示されていないのではっきりとはわからない。セイターもキエフにいた可能性は大いにある。
スタルスクに側近ボルコフがいるため、キエフでのテロに一枚噛もうとしていた場合セイター本人が赴いて事態を確認するのは道理にあっている。また物語上の動機付けとしても妥当であるように思える。
僕が思うにセイターはこのテロに、未来から来た主人公を拉致し拷問にかけるという裏の目的を忍ばせていたのではないだろうか。そう考えれば、主人公Bが車に乗り込んだ後の「違う男だ」という台詞とも符号する。主人公Aを捕まえる魂胆だったセイターの手先が、間違えてBを車に招き入れてしまったためにあのようなリアクションになったのではないか。
セイターが終盤しげしげと眺めていたあの銀色のカプセル。あれはタイトルロールで主人公が飲み込むのに失敗したあのカプセルではないだろうか。
主人公に帯同したジョセも主人公Aを逃すためにBを囮にし、かつ主人公Bがテネットに保護されるまで時間を稼ぎ守るという使命を負っていたのではないだろうか。ジョセは主人公に飲ませるための特別なカプセルを携帯しておりそれを飲ませたのだ。
テネットという映画の全編はスタルスク挟撃作戦を内包した壮大な挟撃の戦いとも言えるわけだが、話は劇中を飛び越えて、さらに未来から逆行しながらテネットを指揮していく主人公と、何十年も前から順行時間上でアルゴリズムを集め世界を攻撃し続けるセイターの幾度にも渡る戦いがあるような気がしてならない。テネットのストーリーもまた長年の戦いの一部というわけだ。さらにいえばセイターを操る上位存在である未来人とそれに拮抗する現代人の戦いでもある。
こうして映画という枠を超えた途方もない入れ子構造を想像したとき僕はロマンを感じたし、ストーリーの背景にある物語を観客に思惑させられるノーランの作家性にただただ舌を巻くばかりである。
ブログ用として1か月半前に8割がた書いたものの、そのまま放置してしまった文章をまとめました。気がついたら11月になり世間は鬼滅の刃ブームの真っ只中。完全に時季外れとなってしまいましたがせっかく書いたのでここに流します。
これを書いたあともう一回観に行きました。Blu-rayも特典目当てで買うと思います。
現代の各地に存在する回転扉についての解説や、タリンでクラッシュしたセダンが風力発電所からテネットの研究所へ移動する際に使われていたものと同型ではないか?という考察など、他にも気になる点があるので機会があればどこかに書いておきたいです。
増田神社(ますだじんじゃ)は、佐賀県唐津市肥前町にある神社。
1869年(明治2年)8月10日、熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)生まれ。
幼少の頃より体格は立派であり、性格温厚と誰からも好かれる人物であった。
永島塾では漢学を、後藤塾では数学や測量学を学んでおり特に数学に秀でていた。
その後、 阿蘇郡馬見原(現・山都町)の用水路整備や北海道開拓事業、地元泗水村での養蚕業などを経て佐賀県の巡査教習所(現在の警察学校)へ入所する。
増田は上記の私塾では学業を修めていたことから一般教養に秀でており、本来3か月かかる巡査教習所の教習課程をわずか10日で習得し卒業する。
1895年(明治28年)7月17日に佐賀県巡査を拝命し、19日には唐津警察署へ配属されることになった。
1895年(明治28年)、日清戦争終結に伴い外地から兵士が帰還すると全国的にコレラが流行する。
この年の患者数は全国で55,144名、死者は40,154名になっていた。7月には佐賀県東松浦郡入野村高串(現・佐賀県唐津市肥前町高串)でもコレラが発生し、真性40人、疑似34人、死者9人と猛威を奮った。
〜中略〜
増田は交通手段のない山道を超えて巡査を拝命して4日後には高串へ到着する。
増田は区長と相談の上で「コレラ感染を防ぐには、一刻も早く患者と健康な人との接触を断たなければならない」と対策を講じ、発症者の家には縄を張り巡らせて消毒の上で人の往来を禁じた。
また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回った。
中には薬を飲んでから亡くなった発症者もいたことから誤解して「毒薬なんか飲まない」と言う発症者もいたが、増田はその患者にも根気よく説得し続けた。
また、感染を恐れて発症者の遺体運搬が拒まれていることを見かねて、増田は自身で遺体を消毒し、むしろに巻いて背負って傾斜が急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。
住民は不眠不休で献身的に働く増田に対して次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って高串着任の3日後である23日にはついに自身も感染してしまう。
容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のこれらは私が背負っていきますから御安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介になりました。」と言い残して24日午後3時には死去する。その言葉通りに、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった。
増田が死去した2日後、コレラに罹患した2人の子供を看病していた中村幾治の許に増田巡査が夢枕に立ったという。
夢枕の増田巡査は、白シャツ姿に剣を抜いた大男で現れて「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」と厳かに言って消えた。
翌日には増田巡査の死とその最後の言葉を聞いた中村は夢枕の内容との一致に驚き、子供を懸命に看病した結果、子供2人も無事回復した。
中村のほか同様の夢枕を見た住民は他に2件あり、伝え聞いた住民の間では増田巡査は神様として認識されるようになった。
前回「作者の発言は公式設定なのだろうか」というエントリをアップした。今回の日記はそれの続きというか補足になる。
まず、前回のエントリの内容を一言でいうと「東方Projectで最強議論したけど話が噛み合わなかったよ」という話だ。
すこし前、とある掲示板で「東方Project」で最強は誰かという議論になった。
私は永琳というキャラを最強だと主張した。
お互い譲らず議論は平行線をたどった。それ自体は別にどうでもいい。最強議論なんてそんなものだ。ただ、私にはこのわかりあえなさそのものが興味深かった。
なぜ我々の議論は噛み合わなかったのか。
おぼろげながらその理由がわかったので、ここに書き残しておく。
なお、永琳とかヘカーティアとか何だよ、知らんわ、キモって人もいると思うが、以下の文章にはまったく関係がないので安心してほしい。
結論からいえば、我々がわかりあえない根本的な原因は、世界の捉え方が違ったからである。
議論の土台部分にあたる各々の世界観が異なるために、話が噛み合わないのである。
それでは、彼(もしくは彼女)に見えている世界、私が見ている世界とは、それぞれどのようなものか。
端的にいえば、彼は世界をドラゴンボール的に捉えていたし、私はハンターハンター的に捉えていた。
このように書いても何が何だが意味不明だろうから、以下で詳しく述べる。
さて、話は急に変わるが、全盛期のマイク・タイソンと私が喧嘩したらどちらが勝つだろうか。
「そんなのマイクに決まってるだろジャップボーイ!HAHAHA!」
という意見が圧倒的に多いと思われる。
ところが私はそうは思わない。勝機は充分あると思っている。
もちろん、ボクシングの試合なら私はタイソンに勝てない。1万回やって1万回負けるだろう。
でも、真剣勝負なら話は別だ。例えば「タイソンを車でひく」とか「タイソンの飲んでいるコークに青酸カリ入れる」とか「タイソンが寝たところで家の周りにガソリンをまいて火をつける」とか、やりようはいくらでもある。
ガチの殺し合いなら私でもタイソンに勝てる可能性があるのである。
つまり、これは勝負というものを試合という感覚で捉えているか、サバイバルとして捉えているかという違いだ。前者をドラゴンボール的世界観、後者をハンターハンター的世界観と表現することもできる。
ドラゴンボールの世界では勝負とは殴りっこである。勝負は単純な「殴る、蹴る、手からだしたボールをぶつける」といった手段によって争われる。
ここではパワーこそジャスティスである。よりスピードの早いものが、より強いパワーで相手をぶん殴って破壊する。基本的にはそれがずっと繰り返される。
ここでは格下が格上に勝ったりはしない。戦闘力が低い者は戦闘力の高い者には勝てない。そういうシンプルな世界なのだ。勝ちたければ修行するなり、変身するなりして相手より高い戦闘力を手に入れるしかない。
ここでは能力というものが非常に大事になる。一人ひとりに個性的な能力が与えられていて、それをどう使うかが勝負の分かれ目になる。
能力は一撃必殺のものも多く、ハメさえすれば格下が格上に勝つこともある。
例えば、シャルナークというキャラは針使いだが、針さえさせば相手がどんな強者でもその時点で勝ちである。フクロウというキャラは風呂敷に包めばどんな強い相手でも無力化できる。
だからハンターハンターでは「相手をいかにして罠にはめるか」が非常に重視されている。
クロロという作中で最強クラスのキャラとして描写されている者でも、主人公たちの罠にはめられて無力化されてしまうという場面がある。
そういうシビアな世界だから、相手を罠にはめる発想力と同じくらい重視されているのが用心深さである。実際にハンターハンターでは強者であっても決して油断せずに常に神経を尖らせている。作中人物は自分の能力をペラペラ相手にしゃべったりしない。
要はハンターハンターの世界は、試合ではなくサバイバルなのである。先程、述べた「タイソンに毒薬飲ましたら勝ち」みたいな世界観なのだ。
ドラゴンボールとハンターハンター、それぞれの世界観を簡単にまとめるとこんな感じになる。
パワー、スピード、頑丈さ
パワー、スピード、頑丈さ、能力、発想力、用心深さ、対応力、その日のコンディション、メンタル、知識、相手との相性……などなど
私は後者のハンターハンター的世界観をもって世界を捉えている。
私の考える最強キャラというのはサバイバル勝負して最後に生き残るやつのことである。パワーとか火力が一番のやつ=最強ではない。
最強とは「パワー、スピード、知力、用心深さ、能力の強さ、能力の多彩さ、観察眼……」といった諸要素の総合点が一番高い者と言い換えても良い。
逆にヘカーティア最強説信者には、「最強」という言葉に、ドラゴンボール的なマッチョな世界観を思い描いている方が多いのではないかと思われる。
このような世界観の違いが、永琳派とヘカ派との間に横たわる深い溝の根本原因ではないかと考えた次第。
つまり何が言いたいのかというと東方で最強は永琳だということだ。
私が言いたいのは結局のところその一点である。
永琳最高!永琳最高!イェイ!イェイ!
【補足】
変な勘違いするやつがいたら嫌だからあらかじめ書いておくが、私は「ハンターハンターのほうがドラゴンボールより優れている」みたいなことは一切思っていない。マンガとしてはドラゴンボールは無茶苦茶おもしろい。ハンターハンターより好きなぐらいだ。
ロクな仕事ねえし楽しいこともあんまねえし、いっちょ死ぬか!と思って死ぬことって悲しいか?
自殺はどうあってもダメみたいな風潮がよくわからん。本人が死にたい・死んだほうが良いと思ってるんならその意思を尊重するのが文化的社会ってもんなんじゃないですかね。
どうして死にたい人にだけは意思を無視して「正しい」ことを押しつけていいなんて価値観が蔓延してるのか?人の夢を頭ごなしに否定するのは今風じゃないぜ。
死後の世界なんてまあ多分無いわけで、死んだら完全に終わり。後悔もクソもない。死に関して悲しみを感じるのは生きてる人間だけ。「俺たちが不快だからお前の夢は叶えさせない」ってどうなんだ。
まあ電車に飛び込んだり街中のビルから飛び降りたり賃貸で首吊ったりするのはアレだけど、現状気軽に死ねる設備がないのも問題でしょう。あれは貧困者が犯罪に走るようなもんで、社会そのものに病巣がある。やった奴ばっかり責めたってどうしようもない。
死にたい人間は一定数いるし、彼らの人生は苦痛に満ちあふれてるわけだ。中には突然道が開けたり楽しくなったりする人もそりゃいるかも知れんけど、20代から死にたいと思ったまま5060くらいまでズルズル生きてる人だってもちろんいるだろうし、比率としてはそっちのほうが多そう。
人生は俺たちを楽しませるように設計されたものなんかじゃないわけで、万人が楽しめるなんて考えるのはナンセンスだ。どうしたって合わない人はいる。Not for meの精神を忘れるな。
安楽死施設、作るべきだと思うんだよな。100万払ったら毒薬を処方して死体も処分してあげます、みたいなさ。俺はそんな施設ができたらすげえ頑張って働くよ。サッサと死にたいからね。
※嘘もあるかもしれないのでほどほどに信用しましょう
anond.hatelabo.jp/20200522132759 都内
anond.hatelabo.jp/20200522231315 不明
anond.hatelabo.jp/20200524121542 給付金も来た勝ち組
anond.hatelabo.jp/20200526085220 緊急解除地域
anond.hatelabo.jp/20200526105419 回文w
anond.hatelabo.jp/20200526213214 不明
anond.hatelabo.jp/20200526220118 不明
anond.hatelabo.jp/20200528004049 不明
https://anond.hatelabo.jp/20200529184153 横浜
https://anond.hatelabo.jp/20200531171344 不明
https://anond.hatelabo.jp/20200531042818 名古屋
https://anond.hatelabo.jp/20200601064930 滋賀
https://anond.hatelabo.jp/20200601064751 大阪
https://anond.hatelabo.jp/20200601150536 横浜(再投稿か?と思うくらいにている)
https://anond.hatelabo.jp/20200603072834 川崎
5・20以前は飽きた
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
結局、一時的に抑え込むのが限界であり、経済活動を本格的に再開することは不可能である。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052900791&g=soc
https://mainichi.jp/articles/20200529/k00/00m/040/260000c
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5718f79a834c347c009410079793e873f109f7f
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
結局、一時的に抑え込むのが限界であり、経済活動を本格的に再開することは不可能である。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052900791&g=soc
https://mainichi.jp/articles/20200529/k00/00m/040/260000c
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5718f79a834c347c009410079793e873f109f7f
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
結局、一時的に抑え込むのが限界であり、経済活動を本格的に再開することは不可能である。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59710410Y0A520C2ACYZ00/
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200528/k10012449421000.html
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5718f79a834c347c009410079793e873f109f7f
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASN515VJQN51ULBJ00C.html
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
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そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
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この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても1か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200410-00000073-kyodonews-pol
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57922670Q0A410C2EA3000/
5/6までの約1か月の緊急事態期間は、現行の特措法では感染拡大の抑止に効果がないことを実証するためのものである。
https://www.asahi.com/articles/ASN4G6GG5N4GULFA014.html
素人目に見ても特段効果があるとは思えない宣言を、さらに散々出し渋り、ようやく発出した事も、政権による世論誘導の為の演出であろう。
そして緊急事態は必ずや5月に入ってから期間延長され、同時に「国民の命と生活を守る」為、憲法改正の発議がなされるのである。
平時では一向に盛り上がらない憲法改正の議論も、日が経つにつれまったく感染拡大が治まらない状況を国民が目の当たりにすれば、一気に世論が高まる、すなわち絶好の好機と考えてるはずである。
そして改正新憲法のもと、大きく国民の行動の自由を制限することにより、ようやく感染の拡大抑止の兆候が現れるだろう。
しかし、その頃には先行して危機を脱し、復活を遂げた中国という別の脅威が発生している事だろう。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200410/mcb2004100927026-n1.htm
新たな脅威から国家を守るため、緊急事態宣言は継続され、職業の自由は制限され、国民は国力回復の為に国が指定した作業に従事することになるだろう。
1年後の今頃、日本は新憲法と緊急事態宣言下、いままでと大きく変わった国家となっているはずだ。
例えその時まで生き延びることができても、その激変を皆受け入れることができるのか。
経済が崩壊し、荒廃したこの国で、それでも奴隷のように働き続けることができるのか。
現政権には現政権なりの、国家と国民の在り様があると考える。但し、それは現在の在り様とは、大きく異なるものであろう。
そこで冒頭に戻るが、そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
アベノマスクやってる暇があるならアベノドクを配れ
みんな楽に死ねるなら死にたいと思ってるからバンバン死ぬよ 死んだ人間はマジで一切外出しないから最高だ
さあ配ってくれ 俺を殺してくれよ
マジで頼む 早く死にてえんだよ 何もしたくねえんだもう
なんでこんな社会構造の中で生き続けなきゃいけないんですかね いや別に生きろとは言われてないけど、死ぬのが大変すぎるだろ 現代社会の技術なら絶対楽に死ねる方法を簡単に提供できるのに何故しないのか コンビニで毒薬とか電気ショックマシンとか売れよ
喫煙所みたいなノリで自殺所作れよ 死体なんか豚に食わせてくれていいから
俺には楽に死ぬ権利がある ヘイト国家日本国は俺が楽に死ぬ権利を保証せよ
だいたい日本人だけで1億人もいるんだぜ 1億ってマジで馬鹿げた数だよ 100000000だぜ100000000 ちょっとくらい死んだってかまへんかまへん
何もしないで安楽に暮らしたいっていう願いは絶対叶えてくれないくせにじゃあ死ぬって言うと止めるんだから酷い いや厳密には止めてないけどさ ホントに ホントに頼む 殺してくれ俺を
俺なんて生きててもなんの価値も生まねえよ あんたたちの大好きなネオリベ・効率社会にとって害でしかないんだよ
人道主義なんてどうせ信じてないんだからサッサと捨てろよお やる気がない奴は死んでよしってことにしてくれよ それが情けってもんだろうがよ
生活保護なんかに財源回してんじゃねえよ 殺してくれよ その方が楽だろ絶対
薬だよ薬 薬をよこせ
死にてえんだよ 死にてえっつってんだろうがよ
宅間守いただろうがよ ああいうのも出てくんだよ偽善塗れでクズを生かしとくとよ クズは死にてえって言っててお前らは死んでくれねえかなと思ってんだから殺したらウィンウィンなんだよマジで
毒薬だと思うのだが。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200410-00000073-kyodonews-pol
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57922670Q0A410C2EA3000/
5/6までの約1か月の緊急事態期間は、現行の特措法では感染拡大の抑止に効果がないことを実証するためのものである。素人目に見ても特段効果があるとは思えない宣言を、さらに散々出し渋り、ようやく発出した事も、政権による世論誘導の為の演出であろう。
そして緊急事態は必ずや5月に入ってから期間延長され、同時に「国民の命と生活を守る」為、憲法改正の発議がなされるのである。
平時では一向に盛り上がらない憲法改正の議論も、日が経つにつれまったく感染拡大が治まらない状況を国民が目の当たりにすれば、一気に世論が高まる、すなわち絶好の好機と考えてるはずである。
そして改正新憲法のもと、大きく国民の行動の自由を制限することにより、ようやく感染の拡大抑止の兆候が現れるだろう。
しかし、その頃には先行して危機を脱し、復活を遂げた中国という別の脅威が発生している事だろう。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200410/mcb2004100927026-n1.htm
新たな脅威から国家を守るため、緊急事態宣言は継続され、職業の自由は制限され、国民は国力回復の為に国が指定した作業に従事することになるだろう。
1年後の今頃、日本は新憲法と緊急事態宣言下、いままでと大きく変わった国家となっているはずだ。
例えその時まで生き延びることができても、その激変を皆受け入れることができるのか。
経済が崩壊し、荒廃したこの国で、それでも奴隷のように働き続けることができるのか。
現政権には現政権なりの、国家と国民の在り様があると考える。但し、それは現在の在り様とは、大きく異なるものであろう。
そこで冒頭に戻るが、そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても1か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。