はてなキーワード: 昼ドラとは
「最近はアニメの女の子の絵が市役所のポスターに描かれててねぇ。公共の場に貼るには品がないと思うのよ」
地元のおばさんは世間話ついでに昼ドラを勧めてくる。こじれた人間関係と、お気に入りの俳優のセクシーシーンを昼間から見られる所が楽しいのだと言う。
「女にはどうせ本物のエンタメなんてわからない。劇場でキャーキャー若手を甘やかす女がお笑いを腐らせた」
そう言った彼は、芸人の家に知らない人間が忍び込む企画の無断転載をリツイートしていた。劇場は女ばかりだから実際に行ったことはないそうだ。
「最近はアニメの女の子の絵が市役所のポスターに描かれててねぇ。公共の場に貼るには品がないと思うのよ」
地元のおばさんは世間話ついでに昼ドラを勧めてくる。こじれた人間関係と、お気に入りの俳優のセクシーシーンを昼間から見られる所が楽しいのだと言う。
彼らは自分の発言と行動に違和感はないのだろう。むしろ精神状態はすこぶる良好だ。自己を省みないということは、精神衛生上の最適解と言ってもいい。
しかしたとえ自分が苦しくなるとしても、ある程度の客観的な自己分析は必要だと思う。気付かぬうちに、自分が棚上げばかりの醜悪な存在になりたくないのなら。
私はそういった教訓を胸にTwitterを開いた。タイムラインでは流行の女性向けコンテンツのファン同士が言い争っていた。
『最近の女性向け界隈、二次創作のハードルが低くなったのもあるけど民度ヤバない???個人サイト時代はみんなネットマナー読んでたし、そもそもネットできる層が限られてたから民度も』
私はそこまで書き、少し考えて下書きを削除した。
放課後に少女漫画を読んでいたら、同じ進学塾に通っていた友達A子に
と言われた。
正直モヤモヤしたけど、その当時私は彼氏いない歴=年齢だったし、
A子は年上の彼氏と付き合っていて、
顔は見たことないけど彼氏が校門の近くまで車で迎えに来ることがよくあったから、
今自分にはわからないけど彼氏ができた人にだけわかることがあるのかな、とそのときは納得した。
大人にしかわからない恋とかあるのかも。そういうもんなのかな。
その後、塾で勉強をしたおかげもあって私たちはそれぞれ志望大学に無事合格したけど、
私が別々の大学に進学したためかA子とは高校卒業後は疎遠になった。
大学を卒業した頃に、A子と同じ大学に進学した同じ塾の別の友達と会う機会があり、
共通の友達であるA子の話になって、高校時代にA子が付き合っていた年上彼氏は
実は当時私たちが教わっていたふた回り年上の塾の講師だったと聞かされた。
その講師に私たちは高校1年生のころから受験期に至るまでとてもお世話になった。
生徒の前で奥さんやお子さんの話をよくしていたし、写真を見せてくれたこともあった。
私は昼ドラみたいな内容に衝撃を受け、また二人に騙されていたことがすごくショックだった。
その友達も高校時代は知らずに過ごし、大学に入ってからA子から明かされたそうで、
内容の重さに一人で抱えるには耐えられなかったことと、
私がその講師とSNSで繋がっていることを心配して教えてくれたらしい。
そのときは本当にショックと腹立たしさとやり場のないモヤモヤを消化できなかったけれど、
今冷静になって考えてみると、私含め面が割れている塾生が多数通う高校の校門まで車で迎えにくるって
不倫相手のいる前で堂々と妻子の話をするって一体どういう気持ちなんだ?
もちろん妻子いる相手を好きになって関係を持った時点でA子の自業自得だし、
罪悪感とかないのか???感情のネジがいかれているのか????
現在これを書きながらも改めて講師の行動が理解不能すぎて怖い。
いま大人になって私もそれなりに恋愛は経験したけど、少女漫画は未だに読むし好きだ。
「白痴」のメインテーマとしては、「もし当時(19世紀後半)のロシア社会に、誰からも好かれる善人で、白痴である公爵(主人公)が現れたらどのような波乱を起こすか」という筋がある
その関係で公爵が女性関係の波乱に巻き込まれて行くのだが、それとは関係のない話がとても多い
ガーニャが主役になれない(?)みたいな節は未だに正しいのか判断がつかない
また、イポリートやレーベジェフなど、非常に魅力的なキャラが揃っている
イポリートは前半やや厨二病掛かっていたが、2人ともこういう引っ掻き回すキャラは結構好きだと思った
ただ、最後の最後でアグラーヤとナスターシャフィリポヴナの互いに向けた感情がただの嫉妬に終着したのは納得がいかなかった
散々引っ張っておいてただの昼ドラやんこれ
面白いけど長い
DV男を見分けるのが困難、ってのはちょっと女性目線過ぎると思うね。
俺の見たところ、女さんのうち半分ぐらいは、DV男になりそうな男が好きさ。
良い言い方をすれば、「頼りがいのありそうな」「やりときはやる」「リーダーシップのある」「男らしい」「引っ張ってくれる」男が好きなはずさ。プライドを持っており、プライドが傷つけられたら泣くのではなく暴力が出てくる人間。
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もっと正確に言えば、暴力を振るうことがそもそも嫌いな男、のことが嫌いなんだろうな。
わかるよ。なよなよしてるもん。
暴力が完全にイヤだなんて言ってる奴、俺もどうかと思うよ。
ネットで「叩いて」いるからDVだ、なんて、何のことやら。彼らこそ暴力は振るわないよ。口だけ番長だよ。あなた方は懸命にも口だけ番長のことは即効で見抜いて弾く。
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困難なのはDVを振るう男を見分けることではなくて、「いざとなったらDVすらできるが、敢えてしない男」を見つけることであって、そりゃあ困難だろうとも。
もしも貴方のダンナがDVをしてなくても、彼はたまたま社会的に恵まれてプライドが満たされているからDVに走る必要がないだけで、実は潜在的にDV男なのかもしれないぜ。ていうかたいていはそうだぜ。昼ドラとかでよく見ただろ? 事業に失敗した金持ちが妻に暴力を振るうようになったりさ。
「みんな『公式が地雷』とか軽々しくいって、ちょっとなにかあれば大騒ぎするけどさ、なら見なければいいじゃん?」とか、どっか上から諸々の騒動を見下していた自分をしばき倒したい。公式地雷やばい。ダメージが尋常じゃない。
大好きなコンテンツで、これだけ多大なる被害を受けたのは、生まれて初めてだ。
私が踏んだ地雷は、アイドリッシュセブン、3部19章だ。
読んでる間は、目まぐるしい展開をそれなりに楽しんでいたのだが、読み終わってから1時間、悶々と悩んだ挙句、アイドリッシュセブン公式アカウントのフォローを初めて外した。ツイッターや2chの感想をひたすらサーチしながら食べていたお菓子の味が思い出せない。アプリをアンインストールする勇気が出ない自分が憎い。スマホの容量も増えて一挙両得だというのに。
ここからは内容についてメタクソ文句を言ってやりたいところなのだが、正直悪いところばかりでもなかった。
今までの亀の歩みが嘘のようなスピーディで波乱万丈の展開は読み応えがあったし、一番良かったのは今回明らかになった悪役の動機だ。
「そんなことで?」というくだらないものではあるのだが、しかしアイドル好きであればあるほど、彼を責められなくなる。一生懸命作ったうちわを推しに見向きもされなかったら誰だって悲しい。子供っぽくて身勝手で、でも共感せずにはいられない、この動機付けはただただ素晴らしいと思った。
あ、デイブレもありがとうございます。
●主要キャラが殺されそうになってる
アイドルの1人が、怖い人複数に押さえつけられてお酒たくさん飲まされて泥酔状態にされてベランダから突き落とされようとしています。
多分助かる(というか助からなかったら伝説になっていい)でしょうが、ここで次回配信に続く…なので助かるかは来月にならないとわかりません。ふざけんじゃねぇ(ただの本音)
とうの昔にアイナナ(※3部)はアイドルゲーじゃねぇ夢も希望もない昼ドラゲーだと割り切ってる人間なんで、まあ殺人未遂自体はギリギリまだ許せる範疇…と書こうとしたがやっぱ無理!! なんでアイドルが殺されかけるとこ見なきゃいけないんだ!?
ともあれ、やばいと思ったのは殺人未遂自体ではなく、その手口。やるならやるでもう少し馬鹿馬鹿しいというか、ベタな漫画みたいな手口にして欲しかった。全年齢のゲームで、こんな現実社会で使われててもおかしくない嫌にリアルな手口見せないで欲しい。
私は彼が推しというわけではないんですが、それでもシナリオの都合でこんなアングラな手段で痛めつけられる彼を見るとすごく胸が痛いです。助かっても普通にトラウマもんだろこんなの。これを推しがやられてたら流石にアンインストールしてたと思う。
しかし彼の場合、キャラのスタンスは崩れていないというか、性格や理念はぶれていないのでまだましだと思う。
キャラの1人は、よくわからんうちにトラウマスイッチさくっと押された結果、2次元の世界から帰ってこれなくなってカウンセリング(割とガチ)を受けていました。
もう発言が現実世界の患者そのもので全く笑えない。3部初期の大和はいかにもフィクション的病み(中二とも言う)だったのでまだ受け入れやすかったのだが、こっちはリアル患者感が全面的に押し出されてるのが無理。というかいつから大和はカウンセリングのプロになったんだよ?! 「相手の妄想を否定せず受け入れ、かつその妄想に乗っかって自分の意見も伝える」ってかなりの高等技術じゃないか!? というかそういうことされると余計に患者感増すからやめてもらえる!?
●一部と比べてみんなキャラがひどい
とりあえず今回無理!と思ったのは、七瀬さんを掌握する気満々の一織。
いや陸はお前のものじゃねぇよ?? というか君の仕事は陸を操って最高のアイドルにすることじゃないから。君だってアイドルグループの一員だから。陸さんに拘う暇があったら自分を磨いてほしいよ君のファンだっているんだろう?? というか他のメンバーのことはどうでもいいの??
今の彼がヤバイ状態だ、というのはストーリー内で示唆されてるんで、まあ敢えてこんな書き方をしてるんでしょうが、正直一部のときの一織くんを返して欲しい。
可愛いもの好きだけど隠してクールぶってて、でも隠しきれずにぽろっと出ちゃう詰めの甘いところがあって、ミューフェスではメンバーに気を配りすぎるあまりじぶんが失敗してしまって落ち込んでしまう脆い部分もあるけれど、いつも冷静な視点からアイナナを支えてくれる、そんなアイナナメンバーの一員として輝いていた一織くんはどこにいってしまったんだろう。
一織くんだけじゃない。3部に入ってからのキャラクターたちは、みていられない。
壮五に会場確保をさせるため、親と和解させようとする龍ノ介の、「壮五のために言ってるんだ」という口ぶりが嫌だった。自分たちの都合のために壮五を利用するだけでなく、いかにも綺麗な言葉で壮五を操ろうとするのが我慢ならなかった。
壮五からお金を受け取るときの、トリガーの態度はあまりに軽すぎないか? 他事務所後輩に金の工面に会場確保までさせておいて頭の1つも下げられないの?
時には納得できない事務所のやり方に従いながら、それでも自分の理念を持って堂々と仕事をしていた一部のときのトリガーだったら、果たしてこんなことをするだろうか?
一部には出てないがリヴァーレの危機管理能力のなさもやばい。一流アイドルならほいほい一人でうろうろして危険に巻き込まれないで欲しい。自分になにかあったときに周りがどれだけの損害を被るかわかってやってんだろうか。
シナリオのせいで、好きだったキャラたちがどんどんおかしくなって、理解できないいきものに成り下がっていくのが、ただただ悲しい。
私の推しは複数いるのだが、幸いまだ誰も、百やナギや一織が受けたような致命傷は受けていない。
が、このままだと、いつ推しが、彼らと同じように、シナリオに踊らされ悲惨な状況に陥るかわからない。
そう思うと怖いし、一部の素晴らしさを自ら壊していく公式に、怒りしか湧かない。
ちょうど今は、アニメで一部の内容をやっている。
改めて見てみると、ご都合主義だなあ、とか、無理矢理な展開だなあ、と思うところもあるけれど、アイナナメンバーが一生懸命仕事をしていたり、交流を深めていく姿を見ていると、やはり一部はよかったなあ、と思う。
一部の彼らは、アイドルになる、という目標に向かって、キラキラしていた。
でも、三部の彼らは、どこに向かっているのか、どうなりたいのか、さっぱりわからない。公式が彼らをどうしていきたいのかも、全く見えてこない。
また落ち着いたら考えが変わるかもしれないが、いまはしばらく、アイナナから離れたいと思っている。
公式にはただただ、あなたたちが作り上げたキャラクターたちを、彼らの理念や優しさや強さを、大切にしてくれることを願いたい。
元増田です。思ったよりもたくさんの人に読んでもらえて嬉しかったです。ありがとう。
そもそもこの話を書いたのは、「職場の人とうっかり寝ちゃったけど都合良くセフレできてラッキー☆と思って調子乗ってたらまさかの職場内で他にもそいつのセフレいたwww」というありそうでなさそうな(?)体験をしたので誰かに伝えて面白がってほしかったからです。自分の心情的にはその三角関係(?)が発覚した瞬間「そんなできすぎたオチある?!」と思ったので。こう言うと強がってるみたいだけど実際まあまあショックでした笑。
「続き」の部分については、続きを読みたいと言ってくれた方がいたので書いてみたくなって、ただ実際は続きはないので(何も起こってない)、「一つの結末としてありそうなシナリオ」を誇張して書いてみた感じです。ちょっと好きになってたのは嘘ではないけど、復讐したいとは特に思いません…とにかくさっさとこっそり身を引きたい。誰にもバレずに。
あと、何人か指摘してる人いたので…。これ今言うと完全に後出しジャンケンになっちゃうので絶対怒られると思いますが、私には本命彼氏がいます…。そしてAくんもそれを知っているので「暗黙の了解でセフレ」な訳です。まーだからAくんに遊ばれたとかは全く思ってません。肝心なとこ隠しててごめんなさい。
最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。