はてなキーワード: 屁理屈とは
屁理屈こねるな!
ブクマカみんな怒ってるよ!
脳みそ系の障害者が大量に余っているのは優生思想なんかじゃなくて、たまたま誰からも好かれなかっただけ。
差別じゃなくて、誰からも選ばれなかった人がたまたま脳障害者の大半だっただけだよ。
増田だってくじ引きで当てがわれた相手が、よだれダラダラで仕事も家事もしなくて、会話もできず、意味もなく暴力を振るってきて排泄物を散らばす人だったら嫌でしょ?
そしてそんな人は好かれないし、結婚相手に選べば自分の人生が破綻する。
血縁関係のある親や子、きょうだいなんかなら自分の人生を犠牲にしてでも面倒を見るかもしれないし、元は普通だった配偶者が病気でそうなるなら泣く泣く扶養義務を果たすけど、わざわざ最初からそんな状態の相手を選んで苦労したくないよね。
そしてこのような人が大量に余る結果は統計的差別でもなんでもない。
https://anond.hatelabo.jp/20200725181538
無意識に(というか生物の性質上仕方なく)優生思想になるのと、意識的に優生思想を実行するのは違う、ってところが落とし所だと思う。
そもそも、自由恋愛というより生殖自体が競争に勝った優れた個体が選ばれるという性淘汰がベースにある行為なので、それって要は優生思想だろという批判に抗うことはできないと思う。
ただ、意識的な優生思想と無意識の優生思想(自由恋愛)の大きな違いは、"優れた個体"の定義を誰か一人が決めるのではなく、個々人が決めるところにあって、それによって自由恋愛は意識的優生思想と区別できるという理屈になっている。
個々人が決めることができるから、特定属性の人が"優れた個体"にならず、それにより多様性は確保され誰もが選ばれることを担保できると。
まぁ、自由恋愛による"優れた個体"の定義も実際は個々人が行っているのではなくて、社会とか自分が所属する集団の共通認識が決めていることが多いし、障害者みたいに選ばれにくい個体を無くす事はできないから、"優れた個体"を個々人が定義できることで自由恋愛を意識的な優生思想と完全に区別することができるかというと微妙なところはあると思うけど。
増田が優生思想を内包しておきながらそれを隠している欺瞞的な自由恋愛主義者が堂々と優生思想を謳う優生思想主義者を批判することに疑問を感じるのはわかるけど、要はそういう違いがあるって事だ。
元記事のブクマで元増田のことを屁理屈と批判しているブコメがあったけど、自分でたらたら文章書いていてなんだけど、正直自由恋愛は(マイルドな)優生思想ではない!と言う方がよっぽど屁理屈だと思う。
えー、初めまして。年齢はそこそこ。結婚する気はない人種です。
まず最初に、今ある仕事をやめて視野を広げたいと言うので、こちらにきてはどうかと提案しました。彼女は地方で私はどちらかといえば都会の方です。
1回目の面接を落ち、2回目の面接で見事就職が決まりました。さて、住む場所をどうしよう?私は(今となっては最大な誤算であったが)彼女は気配りもでき、年上の私をリスペクト(同じブランドの服を買ったりなど)してくれる子でしたので、彼女を我が家にすまわせる事にしました。
我が家は1LDK、はっきりと言って家賃としては高いです。そして彼女は就職前にこちらへ引越し、無職の間は私が家賃、光熱費等を全て負担いたしました。
ここで引越しの件。もしあなたが自分の愛娘を他所様のお家に預けるとして、一体何をするでしょうか?私であれば菓子折など、もしくは夕飯を御馳走したりなど、少しでも感謝を伝えたいと思います。
そしてそれは一切ありませんでした。彼女は私のベッドで寝て、引越しを手伝った父親は来客用の布団で寝、私はソファーで寝ました。
そして彼女がやっと仕事を始め、家賃として渡されたのは総額の3分の1でした。
それは構わないです。それぞれ給料が違いますから、でも何も相談なしに3分の1はおかしいと思いました。私であれば半分は行かずとも、4割は払いたいと思います。だってすまわせて貰っている状況ですから。
さておき、ここから彼女の態度が一変していきます。まず家に帰れば部屋が真っ暗で寝室を占拠している。
休みは別なので、私は土曜、それこそ家事に勤しみました。掃除機をかけたりトイレ掃除など、しかし共通の休みである日曜日、彼女はまだ寝室を占拠。
彼女曰く、私が10であるならば己は2であるとのこと。納得いかないままも、私は元気が有り余っているので笑 それでいいと承諾しました。
体調が悪い時はポカリなどを買って帰り、簡易湯たんぽなどを作り彼女を解放したこともあります。
逆に私が生理痛で布団に横になっているとき、30分ほど経ってようやく小さな湯たんぽを投げてきました。
そして半年が過ぎ。我が家のヒエラルキーは彼女が握っていました。
私は給料が不安定な職業でしたので、彼女に4割を負担してくれないかと頼みました。そして給料日、彼女が渡してきたのは3割でした。「いや、4割だって言ったよね」と言うと彼女は渋々残りを渡してきました。
そしてその月に私は自分のスニーカーが少しボロボロになっていたので、ネットショッピングで割引になっていたものを注文しました(ナ●キです)
元々厳つめのハイカットが好きな上に、セール価格で買えて有頂天の私に彼女は言いました「増やした家賃で靴を買ったように思える」
いや、それ関係ねーから。そもそも私が多く負担しているの気づいていますでしょうか?水道代、電気代、NHKの支払い。その他もろもろ。
そして体調が安定したのか、彼女は毎晩モンスターをハンターするゲームに夢中でした。私もそれを買っていたため、一緒にやりたいと言っても四人集まっているから無理。まれに参加できても、その防具でよく行こうと思ったね。など、ライトユーザーを無碍にしました。
そうしたら彼女と、共通の友人である二人から責められました。何がしたいのかわからない。
私はただ、これ以上面倒な事になるなら、卒業すればいいと思ったための行動でした。
そして共通の友人(Aとしておきましょう)は酷く怒り、私の弁解を聞く気もなく。Aとは10年の付き合いです。さすがに勿体ない、と思い彼女に仲裁を頼む事にしました。
そして仲裁を実行されたのが彼女がAの家に泊まりに行った時です。どう考えても公平ではない。人間、側にいるものに対してそちら側に夜のは当たり前です。
そうして私は10年友人であったAと切れました。
そして「側にいるもの〜」に対して友人に指摘した時彼女は「私は中立である。そうできている」と言いました。いやいやおかしーだろうがよ笑
これから彼女の行動はエスカレートしていきます。毎日ゲームをし、それこそ大声でボイスチャットです。家主の私は静かにダイニングテーブルでイヤホンを挿し、youtubeなどを聞いて過ごしました。
たまに、同じ趣味であるバラエティを一緒に観よう?と誘ってみてもゲームやるから観ない。とのこと。
そしてようやく彼女が新居を見つけたと言う時、引越し前だと言うのにやはり大声でゲームをしていました。
(余談ですが、彼女の具合が悪い時や寝ている時は部屋を暗くし、イヤホンでゲームなどをしていましたが、逆に私の具合が悪い時、彼女は大声で2時まで電話をしたり明かりをつけっぱなしで遊んでいました)
私はSwitchを買ったと言う距離の離れた友達と、やっとあつ森ができると言うので、ラインで会話をしながら久しぶりだね!などと話していました。そうすると友人は立ち上がり、うるさいと述べ、イヤホンをしろと要求してきました。
友達はそれに遺憾し怒っていましたが、仕方なくイヤホンをし、二人で島生活を楽しみました。
この時点でヒエラルキーの頂点は彼女です。周りは私が優しいばかりに…と慰めてくれました。付け上がらせる要因があったのは仕方ないと思っています。
そして彼女が家を出て行った後。(なぜか大量の燃えるゴミを処分させられたのは言うまでもありませんが、甘えんなよ)
私はふと、家賃で靴を買ったと言うことを他の誰にも言わないように、と思いました。
何分、誰しもそんなことを言われればかなり腹が立ちます。私は言われた時に聞こえていないフリをしましたが、もし他人であれば大喧嘩になること間違いない上に、彼女の質さえ下げない言葉です。
今思えばこの考えは浅はかだったかもしれません。
その旨をラインで送り、帰ってきた言葉は論点がずれている、だの物事を歪曲されて捕らえられるの嫌なの、など。
まずこの時点で私の忠告を聞く気がないのがわかりました。私は冷静に説明をしますが、彼女はバーサーカーモードで一切こちらの話を聞きません。
私の善意はただのお節介だったようで、全く響かず、向こうが先にこんな事に時間を割いてられないと放棄しました。
(ちなみに、心療内科の先生に見せたところ、向こうの論点が外れまくっているとのことでした)
こちらの話も聞かない。忠告を忠告と受け取らない。何か言えば屁理屈で帰ってくる。そもそも会話が成り立たない。
と、言うわけで、私は彼女に最終宣告をしました。お前とは一緒に酒を飲むような仲になっても不快だよ。と
いや〜〜〜すっきりしました。その後Twitterで「人の話を曲解しまくって悲劇ヒロインぶって最後には同族しか残らない」
好意でパスタソースを引越し前に渡したら「私もいらないパスタソースでただのゴミ」といっていたそうです。私はともかく食べ物にゴミはねえだろ。
半年以上、彼女に気を配り少しでも楽になればと手助けしていた私の好意は一瞬で無駄になりました。
はい、と言うわけで、猫被りちゃんが同棲してみたらクソ野郎だった話でした。
(ちなみに、友人からはそれDVだよ。と言われ…これがDVかあ…と、DV処女を卒業した事に気づいたのはそれから少し経ってのことでした笑)
おけパはシンプルにいい奴だ、とか、いい奴なんだろうけど陽キャだからノリが合わない、とか。まぁ好き勝手に言われている。
https://note.com/o196k199/n/nc6fb19872709
書いた方かなりキャラが濃いな〜と印象だったのだが「おけパは善人ではなく単に何も考えていない」というのは、なんだかわかるような気がした。
私はあの漫画に出てくるキャラクターの中で共感できそうなのがおけパだけしかいなかった。天才も秀才も熱心な読者もまるで重なるところがない。別に私は陽キャでもコミュ力が高いわけでも無いのに、微妙にわかる気がしたのはおけパだけ。それは多分私が「気にならない人」だからだと思う。
大人になって気がついたのだが、私は人にされて嫌なことが極端に少ないらしい。子どもの頃、母親から「自分がされて嫌なことはやったら駄目」とよく言われたが、屁理屈ではなく本心で「いや私はそれをやられても嫌じゃないし」と思っていた。
自分が鈍感だと人の痛みに事前に気がつくことはなかなか難しい。空気が凍ってしまってから気が付くことも少なくなかった。
なので私は人によく嫌われる。うっかり人を傷つける無礼で、デリカシーの無いやつだから。
でもこの鈍感さゆえにお近づきになれる方もいる。「私なんかが声をかけたら迷惑なんじゃないだろうか」という思考がないから、所謂大手同人作家(誰かにとっての神)にも普通に声をかけてしまう。
好きだから好きと言うし、もっとお話ができるならしたいと言えてしまう。深いことは考えていない。そう思ったからそう言葉をしてしまう。
声をかけた結果、距離感を間違えたと思って身を引くことや、話している間の雰囲気で言葉を飲み込むことはあるが、事前に考えた結果、声をかけないということはあまり無い。だって私は知らない人から声をかけられることが気にならない、嫌じゃないから。
自分がされて嫌じゃないからと行動する危険性について気をつけてはいる。自分が鈍感であることは他人を傷つけていい理由にはならない。
でもふとした時に鈍感さ故の気遣いの足りない立ち振る舞いをしてしまうことはある。それが原因で嫌われることもあれば、逆に気に入られることもある。
神の中には気を遣わない人間関係を求めている方もいるのだろう。そこに鈍感な、気にならない人間が踏み入っていけば、相性によっては仲良くなれることもあるのかもしれない。
色々なことが気にならないゆえの無礼さ、馴れ馴れしさの結果、仲良くなれたと思っている方が、私には居る。おけけパワー中島がそうなのかは分からないし、別に私こそがおけパだとは思っていないけど。
課長自身で全く決断をしない。大きな方針はすべて部長に決めてもらっている。細かいところは部下に「任せる」と押し付け。
「君は担当者だから」と、方針決定、スケジューリングから実務作業まですべて部下がやらされる。課長は「進捗はどう?」と夕方に聞いてくるだけ。
論理を自分の都合のいい方向に使う。2部署にまたがる仕事があったら、どんな屁理屈を使っても自分に仕事が回ってこないように全力を出している(こういうときだけ頑張っている)
作業量、負担が多いことを課長に伝えても、「君の成長のためにやらせてあげている」という無能上司の常套句が返ってくるだけ。
課長自ら、率先して雑用をこなしている。下っ端にやらせればいいようなことを自分でするのが大好き。こういう雑用を奪っちゃうと、する仕事がなくなっちゃうみたいだ。
営業から仕事の依頼が来ると、必ず何とかして断る方向性に持っていこうとする。そんなんだから、営業も無責任課長に仕事を回そうとしなくなってきた。課長も喜んでいるだろう。
こんな無能だから当然結果は出ておらず、部下が減らされ今は自分ひとり。こんな状況でも課長は反省せず、人が少ないことを仕事を回ってこないようにする口実にちゃっかり利用している。
歴代3人の部長がいたが、無責任課長は全部長から叱られてはいる(部長に直接不満を言ったことがきっかけも何度かある)。
さすがに叱られると心を入れ替えるのか、いつもはしないマネジメントしてくれるときもあるが、1週間ほどで元通り。
もう疲れた。部署の異動希望もなかなか通るのは難しそう。転職するエネルギーもない。
どうしたらいいんだろう。
実行力や経験値から、実際の政権運営を任せるには頼りなく思うが、
れいわや山本太郎現象の盛り上がりが、日本の反緊縮を象徴していることは確かだ
日本は右から左まで、既存の有力政党は軒並み経済政策がダメダメで、
明らかな富裕層優遇や財政再建至上主義という狂気、あるいは無関心という、それはそれはひどい状態だった
どんな屁理屈をくっつけようが、日本の経済政策がダメだったことは、失われた20年が実証している
山本太郎とれいわ新撰組は、これら状況に対する有力なカウンターとなる可能性を持っているのだが、
今回の大西つねきの除名処分にはつくづくがっかりしたり不安を感じさせられた
しかし大西がれいわ新撰組における有力な経済政策論者であったことは間違いない
れいわの反緊縮傾向をよく思わない敵対勢力、利害の相反する代議士や財務省に、
小さい頃、祖母と仲が良かった。
実質孫はわたし一人みたいなものだったので猫可愛がりをされたのだ。話を聞いてくれて、好きなものを買ってくれて、家に行けばわたしの好きなものが用意されていて、お小遣いをくれてと来れば、好きにならない訳がない。
いつからそうなったのか、祖母は自分の思い通りに行かないことや自分が不幸だと感じている理由を、全て別のものの責任にするようになった。
祖母の家はうちから電車で40分はかかるのだが、何か欲しいものがあるとUberEats感覚で母を呼び出す。自分の家の前には、わたしから見て叔父にあたる、息子夫婦が住んでいるのに。
祖父は一昨年亡くなったのだが、そのもうこの世にいない夫が何十年も前に不倫していた云々と未だに延々と愚痴っている。わたしには寝耳に水の話だった。昨年わたしの両親と一緒に4人で逗子へ行った時、祖母と同室だったわたしは、その話を深夜3時まで聞かされた。
母がそれに対して何か口にしようものなら、まるで自分が被害者のように母を責め立てる。
いっそ認知症だったら諦めもつくが、そういう感じではない。母に聞いた昔の祖父母の行動もなかなかだった。
わたしの家族って結構クソなんじゃないかと気づいたのは最近である。
物心ついた時には両親は喧嘩ばかりしていたし、その原因が父親の不倫だと知り、そしてそれがどういうものなのか理解してからは、生理的に無理になった。
母がキレて父親が作ったスープが入った鍋をキッチンの壁に投げつけたこともあった。仕事から帰宅した父親を家に入れないように玄関にチェーンをして、ガンガンと鳴るドアにわたしが開けに行こうとすると、「あれは悪魔が入ってこようとしているのだ」と引き止められたこともある。
この際だから書いてしまうが、その癖二人がセックスに雪崩れ込む場面を目撃してしまったことも何度かあるので、幼少期のわたしの情緒は今考えてみるとめちゃくちゃである。
何かの拍子に、母の恨み辛みが書かれた日記を読んだこともあった。それもあってか、明らかに責任の一端はあるのだけれど、母に対して恨めしく思った試しはあまりない。
とにかく一番酷かったのは、母が離婚裁判用に用意でもしていたのか、パソコンに保存された父親の写真を見た時だ。旅館の宴会場らしい所で、備え付けみたいな浴衣を着た父親が知らない女性の乳首を口に含んでいる姿が写されていた。
わたしの幻覚だったら良かったのだが、二十年近く経った今でも覚えているので、たぶん見間違いではないと思う。最悪だ。
文章にすると、よりひどい気がしてきた。これで父親を尊敬しろと言う方が無理である。
百歩譲って、父親が今は改心して良き人間、良き父親となっていたならわたしも少しは関係修繕に努めたかもしれない。
こんな人は嫌だな、と思う要素のほとんどを彼は兼ね備えている。
人種差別主義者だし、女性差別的だし、ホモフォビアで、口を開けば昔の自分の武勇伝(しかも遡ること小学生まで)しかせず、相手の話は全く聞かないばかりか、高尚で価値があるのは自分の気に入ったものだけで、他人の趣味は平気で貶す。
具体的に言うと、何か事件が起きたり街でマナーが悪い人を見ると「日本人じゃない」と言い、「痴漢にも選ぶ権利がある」と娘の前でのたまう。わたしが聞いていないと思ったのか、わたしが仮にレズビアンだと言ったら「家から勘当する」らしいし、母やわたしが好きなものは「くだらない」と鼻で笑う。
父親でなくても好きになる方が難しい。
恐らく、自分があれだけ働いているのに、家でわたしがぐうたらしているのが許せないのか、「人としてどうかと思う」とかなり強い口調で言われたことも一度や二度ではない。ある時耐えかねて「子どもが幼稚園の時に不倫する方が人としてどうかと思う」と返したら、それからピタリとこの言い回しだけは使わなくなった。
加えて彼は、典型的な「誰が金を払ってやってると思ってるんだ」人間である。これはわたしが明らかに生意気な口を利いた時だけでなく、例えば赤リンゴを彼が「青リンゴだ」と言った時に「いや、それはどう見ても赤いリンゴだ」とわたしが否定したとしても発せられる。どんな理由があっても子どもは親に逆らってはいけない、というやつである。
そもそも子どもは望んで生まれてくるわけではない。親が勝手に作っただけの話なのに、それを感謝しろと言うのは屁理屈にも程がある。
なので「産んでくれと言った覚えはない」と言ったところ、「こっちだって生まれて欲しかったわけではない。勝手に生まれていた」と返ってきた。
さすがに呆れ果てて「だったらコンドームしろクソ野郎が」と言いかけたが、雅ではないのでやめた。ちなみに母によると、父親は妻が体調を崩した時に「大丈夫だよ、俺外で食べてくるから」と、病気の妻も小さな子どもも置いて外に行くタイプの男だったらしい。まさかこんなに身近にそんな人間がいるとは思わなかった。
世界的に見れば人口は増え続けているし、大半の人が子どもを欲しがる理由は「可愛いから」とか「寂しいから」とか「自分の生きた証を残したいから」とか、挙げ句の果てに「老後の面倒を見て欲しいから」とか奴隷扱いに近いものばかりだ。
親は子どもの一生の面倒は見れない。
どんなに大切に育てても、学校で虐められ自殺するかもしれないし、害悪企業に就職して過労死するかもしれない。もちろん、成功して幸せな生活を歩めるかもしれないが、そんなことは誰にも分からない。
そして死は、多少の差はあれど、たぶん苦しいものである。だから人生が嫌になっても簡単には死を選べない。
であれば、人生というのは始まる前からマイナススタートである。そんな状況で同意も取れないのに子どもを作るのはかなりのチャレンジャー(マイルドな言い方である)だと、わたしは思っている。
こう言うと大抵の人に信じられない顔をされるのだが、もうこれは完璧にわたしの家庭環境のせいだとようやく最近気づいてきた。
冒頭で実質わたしが一人孫だと書いたのは、叔父も一度離婚していて、それ以来まともに自分の子ども達と会ってすらいないからである。養育費を払っているのかすら怪しい。
不倫騒動で揉めていた際、あちら側がわたしのことを「いらない」と言ったのだと母が憤慨していたのを覚えているので、会おうとも思わない。
やっぱり文章にするとかなり酷い家庭環境だなと思う。まともに育った方だ。
こんなクソみたいな家族の中で育って、家庭を持つのに希望を抱く方が馬鹿である。
そうでなくても、社会から人種差別は無くならないし、女性差別が消えるのには後99年かかるらしいし、日本で生きていくには過重労働と低賃金とパワハラとセクハラを受け入れなければならない。生きるって何なんだろう。
それでも世の中には、結婚して、いずれその流れで子どもを持つことに何の疑問を抱かない人もいる。というか、そういう人が過半数だろう。幸せなことだと思う。
そして、わたしはどう頑張っても、そういう風には生きられない。
そう思うと、何か、死にてえなと思う。
そうだなぁ……
プ リ ク ラ お じ さ ん
なんてどうだ?
無 理 だろ?
そもそもプ リ ク ラ お じ さ んってなにかって?
ゲーセンの店員に頼み込んで お じ さ ん が プ リ ク ラ を取りまくる漫画だよ。
俺が今考えたこんな漫画があったら 無 理 だランキング1位だよ。
高校生バイトに屁理屈を使って プ リ ク ラ をやらせてもらう お じ さ ん が主人公だぞ。
毎回毎回決めシーンとして 見 開 き お じ さ ん プ リ ク ラ が描写されるんだぞ?
無 理 だろ?
もしジャンプ+とかで連載が始まっても俺は1話で読むのやめるぞ?
ぶっちゃけな。
「AがBの趣味をする」が重要なんじゃなくて「女子学生」が重要なんだよ。
そこに意外性をもたせるか、定番で行くか、そこでしかないんだよな。
反論があるなら聞いてもいいけど、それなら プ リ ク ラ お じ さ ん の連載が始まったら読めよ?