はてなキーワード: 妊婦マークとは
妊婦マークやヘルプマークを身につけた人間が目の前に立ってて譲らない人間が東京には多すぎる
まず優先席で寝んな
体調悪くて優先席座ってる人ならいい、でも腕組んでふんぞり返って寝るやつはどう考えてもそうじゃない
お前が寝てるせいで目の前で譲るべき人間が立ってんだよ
3席ともおじさんがふんぞり返って寝てる
仕事で疲れてるんだろうけど、優先席は優先されるべき人間がいるわけ
座るなとは言わない
寝るなんて譲る気の欠片も無い人間が座んな
スマホいじんなとは言わないけど、停車する度に譲るべき人間がいないか確認しろ
さっきも言ったけど譲る気が欠片もない人間は座んな
本音を言えば優先席の前から動かない人間も気遣ってくれるとうれしい
妊婦マークつけてる人、ヘルプマークをつけてる人、杖ついてる人とかがきたら優先席の前に移動できるようにしてくれないかな
優先席の前にいくことが出来ないと譲っても貰えないんだわ、、、
ま、優先席の前にいけたところでふんぞり返って寝てるおじさんどものせいで座れねーんだけど^^
満員電車とかやむを得ない時もあるだろうけど優先席付近にたってる人間も、そこは優先席付近なんだから少しは気をつけて欲しい
譲るべき人間は一目見れば分かるように何かしらマーク着いてたり、補助具持ってっから
妊婦マークやヘルプマークを付けてない人に対して譲れってのは難しいと思ってるから、それをしてくれとは思ってない
ここではマークつけてる人間とか補助具持ってるような一目見て優先されるべきだとわかる人に対して譲れって話をしてる
パッと見障害があるかどうか分からない人間のなかで、席を譲って欲しい人間はヘルプマーク付けてっから
ヘルプマーク見て、顔みて譲らないクソもいるけど
ヘルプマーク見てるってことはマークの認知があるはずなのに、こちらが元気そうだから譲らないんか?^^
通勤してて週1で譲って貰えたら御の字だよ
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働けばわかるよ
→働いてるよ
優先席に座るべき人間なんてそうそう来ないし、ラッシュ時は席空けとくとスペース無駄になるから、適当に座るのが暗黙のルール
→ちゃんと譲るんだったら座っていいと思ってるよ
https://twitter.com/244_rajiji/status/1645710197162385408?s=46&t=YGbhIUoHQjkfAiwSuHn0Og
TLに回ってきてギョッとした。
声優が妊婦をネタにグッズを作る賛否自体は置いておいて、マタニティマークを模したグッズを売るのは倫理的にアリなのか?
椎名林檎がヘルプマークを模したグッズを発売しようとしたのと同じケースではないだろうか。(皆さんご存知の通り、この件は大炎上した)
西明日香さんは椎名林檎ほどの影響力は無いと思うが、オタク男性がマタニティマーク(のようなグッズ)を付けることで一層マタニティマークの立場が悪くならないか心配だ。
何の努力もなくなることができて、社会に対して施しを要求することができる。
3か月産休とって給与も満額もらえているし、男だとこれは通らない。
妊婦に優しくしない者は悪者みたいなコンセンサスができているから、
いろいろな義務や責任や制限や条件を「妊娠中だから」「小さな子供がいるから」の印籠を掲げるだけで免れることができる。
なんてったってもう一人の命抱えてるからね。
車を持ってないから公共交通機関で移動するしかないけど、臨月の時なんかは大きなお腹抱えて電車とかバス乗るのは、
「そこのけそこのけ妊婦様のお通りだ、弱者妊婦に配慮して座席を譲れ」という無言のメッセージを乗客に向けて発信しているようで逆に気まずかったかなあ。
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。
予定日を過ぎても一向に中の人が出てこないので、促進剤を打って強制出産する。本当はもう少し様子を見ることもできるらしいが、年末年始を挟むと病院側も色々あるらしい。オトナの事情だ。
妊娠する前、正直に言うと、妊婦なんて腹が大きくなるだけで何でもないと思っていた。
実際になってみると、意外としんどい。
ついでに頭も全く回らない。文章を読んでも一回では頭に入ってこないし、口頭での指示は言われたそばから抜けていく。
動悸や息切れもあるし、腰は痛いし、電車や車で酔う回数も明らかに増えた。
1日外をウロウロすると、あまりに疲れて顔色が真っ青になってしまう。
私は体力に全く自信のない自営業なので、妊娠が分かってからすぐに仕事を減らし、妊娠中はほとんど働かずに過ごしていた。
こんな状態でどうやって働き続けているのだろう。女の人ってすごい。
電車に乗ると、妊娠マークを見てすぐに席を譲ってくれる人がたくさんいた。
ヘロヘロ妊婦だったので、譲ってくれると本当に助かった。譲ってくれた人には、もれなく一生幸せに過ごせる呪いをかけておいた。
でも、面白いことに、席を譲ってくれる人は全員おば様。
若い人や男性は譲ってはくれない。譲ってくれないのか、妊婦マークに気付いてないのか、気付いても譲る必要性を感じていないのかは分からない。
ちなみに私も妊婦になる前は席を譲らない側の人間だった(席を譲ろうと思うほど妊婦に興味がなかった)から、譲られなくても格段何も思わなかった。
逆に譲ってくれたおば様たちは、きっと妊娠中に大変な思いをしたのだろうなぁと思うと涙が出そうだ。
私も妊婦さんを見たら、席を譲るようなオバちゃんになろうと思う。
妊婦は空気を吸っても太る、と聞いていたからビクビクしていたら、なんとびっくり体重が増えずに医者に怒られる、というレアな体験をした。
普段は食べないオヤツを1日2回食べ、カロリー気にせず食べたいものを朝昼晩と食べ、炭水化物を多めに取っても効果なし。
何が腹立たしいって、妊娠する前はこんな生活してたら普通に太っていたという事実である。
胎児、羊水、増加分の血液、胎盤の重さを全て足すとそのぐらいの重さらしいので、産んだら元の体重に戻りそうだ。
戻らなかったらどうしよう。
美味しいお店があると聞いて、父と豚足を食べに行った。
汚い立ち飲み屋のようなところで豚足を食べ、あまりに美味しいのでお持ち帰り。
翌日お持ち帰りを嬉々として食べたら、その日の晩に盛大に吐いた。
1つ言えることは、豚足はおいしいということ。
電車に乗って出かけようとしたら、人身事故の影響で混んでいた。
とりあえず乗った各駅停車。その中で、頭の先から冷たいものが足元まで降りてくる、という初めての感覚があった。
ああこれダメなやつ、と、次の駅で転がるように下車し、壁を伝って何とかベンチに腰を下ろした。
人でごった返したホームの中で、一緒に電車に乗っていた夫が温かい飲み物を買いに走り、全く回復しない私を見てすぐに駅員を呼びに行ってくれた。
私がベンチで気分の悪さと戦っていると、電車待ちの行列の中から2人のおば様がやってきた。
「大丈夫?」
「あら、あなた妊娠中?駅員さん呼ぼうか?ああ旦那さんが呼んでくれているのね。」
「顔が真っ白よ。」
そう言って見ず知らずの私の背中を撫で、大丈夫大丈夫、と励ましの呪文をかけてくれた。
まさかの優しさに号泣してしまった私を見て、泣かなくていいのよぉ〜とおば様たちが笑った。
「妊娠ははじめてかしら?」
知らない妊婦の腹の事情なんかに興味を持ってくれて、私はその質問に答えることで何とか気持ちを立て直すことができた。
あの優しさは一生忘れない。
そして、私もそういうことができる人間になりたいと思った。
これ以上電車に乗せるのは不安だと、夫は電車で家に帰り、車で迎えに来てくれることになった。
電車に乗った意味が全くなくなってしまったが、夫があまりに優しいので、将来介護は任せろと心の中で呟き駅長室でお留守番。
駅員さんはとても優しく気遣ってくれて、毛布やら枕やらを準備し、何かあったら声をかけてと丁寧に言って、仕事場へ戻って行った。
人身事故の最中なので、駅長室はたくさんの放送が飛び交っていた。ドコで電車が止まってるとか、駅のホームで何が起こったとか。
向こうの方で駅員さんの
「うぉおぅ…。こりゃもうダメだわ…。」
という、この世の終わりを見た人みたいな呟きが聞こえた。
その間にも、忘れ物をしたとか、切符がないとか、道に迷ったとか、迷子を見つけたとか、お客さんがドンドンやってきて、一つ一つ優しく対応する声が聞こえ続けていた。
ソファでまどろみながら、駅員さんってすごいなぁと思った。
お仕事、本当にご苦労様です。
私が倒れた駅のホームで、対応が遅いとか情報がないとか客の誘導が出来てないとか、ずっと大声で文句をつけているオッサンが1人いた。
でも、私におば様たちが駆け寄って慰めている姿を見て、声を荒げるのをすぐにやめていた。
気遣ってくれてありがとう。でも、駅員さんにも優しくしてほしいな。
妊娠して明らかに変わったのは、バストサイズと乳首の色だ。バストは大きくなり、乳首は真っ黒になった。
それはもうまっくろくろな乳首で、こりゃ「乳首をピンクにします」みたいな怪しげなクリームが売れるわけだと妙に納得した。
そしてお腹には、正中線と呼ばれるらしい、一本の黒い線が浮き出てきた。
胃のあたりから股の上にかけて、まっすぐ引かれた黒い線。妊娠週数が進むにつれ、ちょっとずつ濃くなっていった。
これは最初の細胞分裂の跡だと、どこかに書いてあった気がする。本当ならおもしろい。
切り取り線に見えるので、てっきり帝王切開の時はこの線を目印に縦にメスを入れるのかと思っていたら、横に切るらしい。
なんだ、キリトリ線じゃないのか…。
黒くなったのは乳首だけじゃない。
脇のあたりとか、背中の上の方とか、局所的に黒くなっているところがいくつかある。何故かはサッパリ分からない。
私は毛深くない方だが、明らかに産毛の量も増えた。背中も気持ちフワフワになり、お腹にも毛が生え、腰にも産毛のクッションができた。
毛が生えているところは弱いところだと聞いたことがある。胎児を守ろうとしてこうなっているのなら、私の身体は私の気持ちなんかよりよっぽどお母さんだ。
私は普段から化粧を全くしない程度には美容に興味がない。だから黒くなったところで、そういうものか、ぐらいの感慨で済んでいる。
でも美容にしっかり向き合っている女性は、この黒くなったり毛が生えたりする現象をどう受け止めるんだろう。
やはり、ショックを受けるのだろうか。
それとも、子が産めるのならと受け入れるのだろうか。
まだ見ぬ子のために自分のこだわりを一旦置いておけるって、すごいことだ。
一方では「妊婦は動くな、ゴロゴロすべし」と言われた。お腹が張ったりすると、赤ちゃんも苦しいらしい。
もう一方では「妊婦は動け、何でもやっちゃえ」と言われた。動いてはいけない場合は指示をするから、それ以外はお産に向けての体力作りのために動いてほしいらしい。
仕方ないので、都合のいい方を日替わりで信じることにした。おかげで楽しい妊婦生活だった。
おかげで好き勝手、ストレスもほとんどなく過ごしてきた気がする。
夫は優しさが服を着て歩いているような人で、義両親は付かず離れずの距離で気を回してくれる。
実の兄弟とも仲良しで、義兄弟やイトコ、ハトコとも、深夜まで話し込むことができる程度に仲がいい。
友人もそれなりにいて、出産経験のある子からのお下がりとお祝いで、赤ちゃん用品はほとんど買うことなく済んでしまった。
これだけ味方がいて、みんなに励まされているけど、やはり出産は怖い。どれだけ痛いのか考えただけで震える。
そして妊娠中は苦しい。何の理由もないのにメソメソ泣いて夫を困らせたり、何もしていないのに疲れて一日中寝ていたりした。
それでも周りは許してくれて、慰めてくれて、私の好物を買って来てくれたりする。
だから何とかここまで耐えることができた。
そこには必ず、DVを受けていませんか?と書いてある。
世の中にはいるのだ。人に恵まれず、望まない妊娠をして、苦しい妊婦生活を一人で過ごし、出産の恐怖に怯える人が。
私が大勢に支えられて何とかやってきた生活を、ただ一人で耐え抜くのはどんな気持ちなのだろう。
幸せになってほしい。
つわりで気持ちが悪いと「腹の中の人のせいだ!」と思うし、胎動で眠れないと「ちょっとは静かにしてよ!」とウンザリするし、思うように動けないと「お腹重すぎるよ!」と悪態をついたりする。
そもそもお腹が膨らんでいったところで、その中に人間が1人入っている、というのが信じられない。
でも、もし本当に産まれてくれたら、精一杯かわいがってみようと思っている。
私は子どもを産んで育てたいと思っているけれど、別に子ども好きではない。
だから泣き声を聞いてうるさいと思うことだってあるだろうし、イライラすることもあると思う。
ついでに家事も上手くないから、子どもにいい環境なんて作ってあげられない。
それでも休み休み愛して、一緒の時間を過ごして、ゆっくりお母さんになっていけたら素敵だ。
明日産まれたら、お腹の中の人は初めての肺呼吸と初めての哺乳で大パニックだろう。
その前に、狭い産道を通ることでヘロヘロかもしれない。
一緒に頑張ろう。
痛いのは怖いけど、私も何とかやってみるよ。
自分は手帳や障害年金などをもらう程度ではないが、週4非正規で働いている。都内に住んでいるので通勤もそれ以外もほぼ電車移動だ。
だけどうつ病のような様々な精神疾患、あるいは見えない病や障害を持つ全ての人々への理解は、この社会ではほとんど及んでいない。
人の多い車内の雑音や人の集まった臭い。それらはなんとか耳栓やコロンなどで対策可能だが、「立っているのがやっと」という状態はどうしようもない。とはいえ優先席に座ったら一見普通の健康体である自分がなぜ優先席に座るのかと白い目で見られる。普通席に座れば目の前の高齢者が「最近の若者は冷たいわね」...と、なぜ席を譲らないのかとおばあちゃん同士で聞こえるように口にしてくることもある。多少被害妄想めいていると感じるかもしれないがうつ病患者の妄想というのは現実にある事実に対してその事象が過大に感じられたり、通称は二次妄想という事実に基づく考えで、そういう考えに至るのがうつ病の症状なんだ。
現状できる対策としてはヘルプマークの普及なのではないかと思う。赤い札に白の十字マークのキーホルダーのようなものをぶら下げている人を見たことはないだろうか。あれはヘルプマークといって何らかの際に周りの助けが必要な知的障害を抱えている人やペースメーカーをつけていて席を譲って欲しい人、そんな見えない障害や病を可視化する妊婦マークみたいなものだ。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html
役所や保健所で簡単に手に入る。その割に認知されていないんだ。これが妊婦マークレベルまで普及されてようやくうつ病の人への接し方とかを考えてもらえるようになるのか...と思うとそこまでの労力が大変で、多くのうつ病患者は口を噤んでしまう。黙って耐えるしかない現実があると社会を諦めて死にたくなったりもする。見えない病を知ってほしい。知るだけでなく理解してほしい。それが私のお願いです。