はてなキーワード: 大義名分とは
いや「いくらでもあるのに」って言われましてもね…
「いくらでもあることなのに何怒ってるの?」と言われれば怒りが静まるの?
じゃあなんであなたは執念深くそういう怪しい言動を繰り返すのか?
つーだけでしょう?
理解しようとするなら「韓国が嫌いだから怒ってるんだ」って言うと「差別してるだけじゃん」「お前の好き嫌いで世の中動いてないんだよ」って突っ込まれるから、「原作改変」っていう大義名分を隠れ蓑にして怒ってるんじゃないの?ってことかな。
って言われてもさ。
それ通用しないっていろんな人に言われてんのにオウムみたいに何回やるのよ。
1.事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
なんていうか
怒りの理由として「俺が大嫌いな韓国をアニメに出すな!」だったら理解出来るんだけどね
怒ってる人の主張は「韓国だから怒ってるわけじゃない!原作を改変したのが許せないんだ!」ってのが多いでしょ。
原作とアニメが変わることなんていくらでもあるのに何怒ってるの?理解できないよ。
理解しようとするなら「韓国が嫌いだから怒ってるんだ」って言うと「差別してるだけじゃん」「お前の好き嫌いで世の中動いてないんだよ」って突っ込まれるから、「原作改変」っていう大義名分を隠れ蓑にして怒ってるんじゃないの?ってことかな。
実際、変更が韓国以外だったら、ただの原作との相違点という小ネタになって終わっただけだと思うしね。
例えば超電磁砲での初春が西葛西出身とかね。この設定がアニメで声優のアドリブで追加された当時に怒り狂った人がいるかい?結果的に後々多くの人が怒り狂うことになったけど。
「自衛のための助言」という大義名分が成立するためには、未だ被害に遭っていない人間に対して注意する必要があるよね?
ところが、もしもその人が助言を受けた後で被害に遭ってしまったとすると、「だから言ったのに」という理屈が成立してしまうよね。
人間が基本的には自律した個人であり行動を自分で決定できるという前提がある限り、「助言したにも関わらず被害に遭った→本人の不注意、或いは意志にも責がある」ということに自動的になってしまうわけ。
言い方がマイルドとかそういう問題じゃない。論理的にそういう話が成立してしまうので、むしゃくしゃしていて弱い者いじめしたいクズとか、あとはセカンドレイプの何たるかをよく判ってないバカとか?そういう魑魅魍魎どものエサにされてしまうのよ。
強姦の発生件数の統計数値上において、顔見知りと赤の他人のどちらの方が発生率が高いかとか、エロ服と地味服のどちらがよりデンジャラスかとかいうあたりは全無視なアドバイスであるのも芳しくないよね。
酒と場所も微妙。大学のサークルみたいな知り合いに誘われて参加した場(の延長)で被害に遭うかもしれないし、逆に一人で飲んでた帰り道で遭うかもしれない。どっちもどっちすぎる。
似たような問題意識のエントリもあったので備忘録代わりに長々と。
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20120902/1346595303
ここにあるような「持ち上げて落とすから」バラエティとしてダメ論は昨日今日とよく見るのだが、
ではこの企画が真にそういうものだったかという点についてはちょっと疑問がある。
そもそも宣伝部長就任ドッキリは企画としては単なるスタート地点でしかないというのはすでに周知の事実である。
多くの人がこの問題に触れた時に聞いたと思われる「アニゲラ」該当回のラスト、告知の部分を聞けばわかるがこの宣伝部長企画は番組公式アカウントのフォロワーを20000名にすることが大きな目的の一つである。
そうなることで何かあるかも……?と、そこまではここでは語られている。
で結局何が起きるのというと、件のアニメ制作会社社長のツイートでも明らかなように市来氏の本編登場(おそらくこの発表は宣伝ツアーのトリである今月あるDVD発売記念イベントで行われる予定だったのだろう)
それこそが「最大のドッキリ」であり、この長丁場である企画の「最終的なグッドエンディング」だったのだろう。
今となってはもうどうたったかはわからないし発表もしないだろうが(件の社長のツイートが消されたのは、それによる「延焼」を防ぐためというより、企画続行が難しくなること上手い落とし所がなくなってしまうと製作委員会全体で判断したからだろう。無論手遅れだったわけだが)、そこまでがこの企画である。つまり持ち上げて落として、また持ち上げる、という構造。
だから
というのはちょっと首を傾げる。
声優にとって、役者にとって役があることは何にも代えがたい報酬だからだ。
手法の是非はともかく、構造としてはこの企画は紛れもなく「最終的に救いがある」ものだったと考えられる。
もうちょっと突っ込んで妄想すると、これは少し腕の覚えのある宣伝マンがちょっとラジカルにバイラルやっちゃおうか^^みたいなノリで考えた企画であろう。
つまり同情を引き、その奮闘する姿を見て応援するファン層をを引き出し、最終的に多少安っぽいがお涙頂戴の感動EDで締める。
物語としてはよく出来たもので、これに魅力を感じる「クライアント」(視聴者、ではない)は少なくないはずだ。少なくとも企画(プレゼンテーション)段階では。
当然だが企画者には悪意はない。悪意はないが、しかし実際には幾つかの問題点がある。
イベントはすでに多くの人々が指摘するようにナレの作りから会場の演出に至るまで悪趣味であり、その後の宣伝手法も見方を変えれば後に起こる「いじめ」批判を補強するに十分な稚拙な方法だった。
おそらくその場にいた人々はなんとなくそれが「許される」(少なくとも市来氏がパワハラだのいじめだのを受けている印象は受けない)ものであるという空気を刹那的に共有できるが、後日見た人間からすれば、その空気感はすでに感じられず、ただ悪趣味な動画が転がっているだけである。(この点ある程度空気感もアーカイブ化できるニコニコの方が媒体としては相応しかっただろう。結果論だが)
故に企画のラストが、少なくとも「第三者」には見えなくなり。企画期間が長すぎて最終的な幕切れが見えず騒ぎに火がついてしまった。
第三者、すなわち全く関係ない人々。
今回問題を大きくしたのは彼らの反応である。そして彼らにはこの企画の目指す方向が全く見えなかった。最初から興味があったわけでもなく企画の最後まで付き合う気もさらさらない彼らは件のイベントだけに注目してしまい、その悪趣味さ故に多くが悪感情を抱いた。それは責められるべきことではなく、「第三者」の反応としては当然だ。
しかしそこで収まらない人々は、市来氏が不当な扱いを受けていると早合点し、大義名分を得た彼らはそれ以上の行動を、暴走を始めた。
上述二つの問題点はそれをさらに増幅し、結果問題をここまで大きくした。
ここまで考えて見えてくる課題と教訓が二つ。
例えばこれがドッキリ的手法ではなく、電波少年のように突然あなたが宣伝部長です→「○○日までに達成できるか!?」→達成して見事本編出演!的なものにしておけばここまで反感を得ることはなかったはずで、この企画の最終的な目的(フォロワー数の獲得とツイッターユーザー層への番組の周知)は十二分に果たせたはずである。
これはまだ自分の中でまとまっていないので簡潔にするが、今現在ネットでは大義名分のもとに批判できるターゲット、すなわち「叩かれる隙がある」ものはそれのそのものが格好のエンターテイメントであり、それに対し過剰な反応を示す事が多々ある。そしてネットは誰もが平等にあらゆる情報にアクセスできる場であり、人々は自らの正当性を自認するためのエンターテイメントに飢えている。
つまりアニメ業界では従来から行われてきたような、ファンなど「わかってる人」に向けた「関係者いじり」や自虐的ネタ及び宣伝はかえって逆効果になる可能性が高くなった。
そう言う点からしても今後もっとおとなしいコンテンツが望まれる傾向は制作側、視聴者側を問わず強くなると考えられる。
余談
市来氏のコメントが発表された今、私が個人的に心配なのは最初の神輿として担ぎあげられた杉田氏への今後の反応である。
杞憂であれば良い。
サービスについて、身に覚えのないクレームを頂いた。もちろん会社としては丁寧に対応しながらも、裏ではその人の素性を調べる。そしてその人のblogやらtwitterやらそこら辺が引っかかる。そこら辺を追いかけると「ああ、この人は高木信者なんだな」って認識する。
この場合の高木信者というのは「わずかでもリスクがあれば、それを根拠にどれだけひどい罵倒中傷をしてもいいんだ、そこから考えられる『可能性』と称して憶測で悪事を行っていることにしていいんだ」と考えている人のことである。普通に指摘するだけで良い所を、わざと「過剰な悪である」と言うことを前面に押し出してクレームを付けてくる。『セキュリティ』という大義名分を得て自己満足をしたいただのサディストである。
……というのは、もちろんその人の言動を見ればみんな薄々気付くわけで、その様子から「セキュリティって言うのはクレームのための道具なんだ」と認識されてしまっている。
そのクレームの中には、それが見当違いであっても、ほぼリスクがないにしても、ちゃんと妥当性のある主張が少しは含まれている。そして、技術者として自分は「こういう心配事がクレームに書かれてますけど、この部分は将来的にはちゃんと意識しないとまずいですよ」と助言をする。しかし「セキュリティにうるさい人はクレーム付けたいだけなんだ」と第一印象を得てしまった非技術者はその助言に耳を傾けてくれない。
また、まわりがひろみちゅとか言って茶化すことによって、つまりそう言うキャラなんでしょ、みたいな、ネットでの悪い意味での有名人だと認識されてしまっている。これも深刻さを伝えるのにより一層の障害となっている。
高木先生は悪くない。ただ、高木先生を取り巻く劣化高木先生もどき・高木信者の活動や、その周りでおもしろおかしく語る人たちのせいで、本来ちゃんと伝わるはずのセキュリティが伝わりにくくなっている。あるいはネタだと思われてしまっている。そして「ああ、セキュリティ(笑)のクレーマー(笑)ね!w」みたいなテンションで物事が解釈されてしまっている。
最初にいってるけど?
「旭日旗の意味は元々~」とか「あの地域は昔は支那と呼ばれていて~」とか大義名分を掲げて自分を正当化するけど、お前が今あえてそれを選択した理由は「相手が嫌がるから」のただ一点だろと。
http://anond.hatelabo.jp/20120831100634
・日の丸にも文句つけるじゃねーか
・意匠のバリエーションを使って何が悪いのか合理的な説明があるのか
・外国人が喜んであの旗振ってたように、単に旭光は勢いがあってスポーツ応援などに好まれる
・サッカースタジアムでは韓国が相手のときだけあの旗振ってるの?違うでしょ?逆でしょ?
・どちらの国籍かわからない人を朝鮮人と呼ぶのはそもそも悪意とは関係無い。彼等は朝鮮半島の朝鮮民族。
・俺は韓国人からじかに聞いて知ってるが、お前は多分勘違いしてると思うよw
(このトラバから5分以外に答えられたら調べずに答えた、知ってた、と判断してやる)
・「シナ」ではまずく中国にしだしたのは戦後周辺を併呑して国をでっち上げたかった向こうの国体の都合。
そもそも合理的な説明もなく「嫌がってるんだからやめろ!」と迫るのは圧迫の手管。
これに応じだすと「あれも嫌」「これも嫌」と、こっちの自由行動を縛るのに使う。
実際に「周辺国に配慮」という非論理的な説明で日本は自身の行動を縛ってきた。
もし相手の事情が変わって従来の対応を変えて欲しいということなら
「こういう都合ですので一つお願いします」と依頼があって、
相手の都合で変えると言うことを確認したうえで変えてあげるのがスジ。
「旭日旗の意味は元々~」とか「あの地域は昔は支那と呼ばれていて~」とか大義名分を掲げて自分を正当化するけど、
お前が今あえてそれを選択した理由は「相手が嫌がるから」のただ一点だろと。
合理的な説明は全く放棄して「嫌だからやめろ!」「やめないってことは嫌がらせだ!差別だ!」っていう
その一点突破で日本人に圧力かけるやり口は長年結構通用したよね。
ばーか。
あはは。
http://anond.hatelabo.jp/20120806013304
結論を言うと彼とは職業を理解できないということでもう別れた。だからこうして書いてる。
とあるSNSのオフ会で知り合ったのでお見合いとかみたいに身分証明があるわけでもないから、
豚の頚動脈を掻き切って血抜きして失血死させるそうです。
どうやるのか気になるならネットの動画でも見てみて、それが真実だから、って言われて見た。
とてもじゃないけど最後まで見ていられなかった。
豚が悲痛な悲鳴をあげていて、数人がかりでそれを押さえ込んで首にナイフで切れ込みを入れて血を絞り取っていた。
それでもまだ豚は生きている。
彼に触られそうになるたびその映像がよみがえってきて、鳥肌が立った。
こんなんじゃセックスするなんてとても無理だ。
親の実家でも卵をとるための鶏を飼っていたけど自分たちで〆て殺したりはしてない、と親から聞かされていた。実際見た覚えはない。
自分でやるのは嫌だけど、たとえば結婚して姑から料理の腕前を見せてみなさいといわれたらやると思うし、すぐ慣れると思う。
鶏〆て殺すのは・・・それ「だけ」を仕事にしてたら多分受け入れられないけど、それ「も」仕事のひとつにしている、ぐらいなら許容できる。
シロアリ駆除業者は問題ないけど、同じ駆除業者でも、ネズミやハクビシンやいたちを素手で殺している人とは付き合えない。
実際追い詰めたネズミを槍で突き殺したり、火であぶり殺したり、水攻めして殺したりする業者もいるらしい。無理。気持ち悪い。
ゴキブリや蚊やハエや蜘蛛を叩き潰したり殺虫剤やゴキブリほいほいで殺すのは全く問題ないし自分もじゃんじゃん殺す。
民家の前や住宅街に出没したクマを人間を守るために銃殺する猟友会は許容できるけど、
鹿やウサギや狐や鳥を食べるためであっても娯楽で狩猟するハンターはだめ。
食べるための魚を釣るなら、釣る過程を娯楽として楽しんでいても、抵抗ない。
蛇やワニの皮剥ぎとってる人は、気持ち悪くはあるけど、食べるためのお肉を採るついでに皮も剥いでるだけなら問題ないかな。
牛殺す人と付き合うのも無理。イルカとか鯨狩ってる人も無理だ。
犬猫殺しはたとえ食べるためでももう体が拒否反応起こす。その人の顔見ただけで吐くと思う。
魚のお頭は何とも無いけど、爪がそのまま残っている鳥の足の焼き物を食べるのはちょっと気持ち悪いし(中華圏で普通に食べられている)、
鳥や豚の丸焼きも食べられない。
鳥のお頭がそのまま売られていたら目を背けるだろうし豚や牛の頭が置かれてたら悲鳴をあげて走り去ると思う。
許せるものと許せないものの間にラインはある。でもどんな根拠でそのラインが引かれているのか、わからない。
動物実験は、医療の発展というという大義名分の下単なる虐待行為も多々行われているのだろうけど、
基本的に人間や動物の病気や怪我を治療するのに役立つ研究ならば、行為者を忌避する感情は起こらない。
なんでこう思うのかわからない。でも抗えない。
この世からイジメが無くならないでろうという論拠の一つだな、と感じる。
「本来動くべき教育委員会とか警察が隠蔽してるからー」ってなら教育委員会とか警察を叩いて
彼らがちゃんと動くようにするって方向に注力するのが筋だよね。
でも、そういう方向には向かないんだよね。
「コミュニティ的に悪い奴を叩く」系のイジメはイジメっ子の方がなんというか
一種のやりがいとか爽快感みたいなものを感じちゃうんだよね。必殺仕事人のかっこ良さみたいな?
例えば、「嘘ばっかついてクラス全体に迷惑かける奴」とか「イジメをやってた奴」を叩く時とか。
相手が悪いんだ!っていう大義名分のもといくらでもエスカレートしていけるし。
まあ、実体験ですけど。
http://anond.hatelabo.jp/20120709151641
だって日本のデモって(と言っても海外のを知ってるわけではない)、
自分達だけが「んぎもぢいいい~~~~~~!!!」なのばっかりじゃん。
はてなでかなりブックマーク数を集めた参加者のブログを貼っておく。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/50e69beb6749d32bb760f2f21af30ba0
??
disりながら何かを要求するって言うのは
それをやっておいて敵意が返ってきて文句言うのは
「いじめ」→「関わるのめんどくさい」
関心持ってる人がウジャウジャ居るように見える。
手でも叩いた方が?
ネットコミュニティからの排除なんかを目的にした炎上は見た事が無い。
他の項目にもいえるけど
どうして欲しいのか、何をやめて欲しいのか、
ぐらい書かないとあなたの主張はわかんないよ他人には。
「自分では何も言わないけどそちらの推測と責任でよきに計らえ」
とか言いたいわけじゃないでしょ。
具体例がわからないけどプラマイゼロでちょうどよくなるんじゃないの。
様々な物事があなたの思い通りに・あなたの期待通りになってないのは
それぞれの理由があって、個別に理解してアクションをしていくしかない。あなたが。
なんとなーく「他人に手間と迷惑をかけるのが「悪」」とか
そういうスローガンでまとめて喋ろうとするのはやめよう。
それはただの怠け癖だ。
「病んだ日本社会」みたいなパッチをあてようとするのが好きだが
それは大局観でもなんでもなく、ただの怠け者の大雑把な議論だ。
<<追記>>
http://anond.hatelabo.jp/20120531172034
確かに長い。
なので三行にしてみた。詳しくは読んでね
長い三行になってしまったが要約苦手なんだ。許してくれ。
<<追記の2>>
http://anond.hatelabo.jp/20120531192942
を受けて続き的なものを書いてみました
http://anond.hatelabo.jp/20120531212719
http://anond.hatelabo.jp/20120531114646
こう言う文脈でクラブを擁護している人はたくさんいるんだけどさ、クラブの問題はそんなところには無いと思うんだよ。結局は
でしかないと思うんだけどどうか。
にも関わらずここに行かず、クラブ文化がとかダンスを規制するなとか、言う妙な押し問答になってるのは、実体を深く宣伝せずに文化という看板で押し切ろうとしている人々がいるためではないのかな。
一部のクソ野郎や宗教上の理由がある人間を除けばさ、クラブ文化の否定なんて誰もしてないわけだよ。音楽やダンスを禁止しようとしている人はいない。まずそこを無駄に強調されすぎていてさ、そこから話が繋がってないと思う訳よ。
一方「奴らはクラブ文化を根絶やしにしようとしている」という藁人形を仕立て上げて、その背景にある細かな規制の是非に議論を及ぼさずに規制を逃れようとしている輩は存在する、それが今の現状だとおもうわけ。
風俗営業法ってのは、規制するための法律という性質もあるけど、
と言うもの対して全面禁止するのでは無く、ルールを作った上で許可するための法律だとも言えるわけだよ。そこにはもちろんアンダーグラウンドに潜られても困るから、合法化することである程度管理しましょう、と言う意図だってあるだろうが、文化を文化として、あるいは人の業を業として存在するものとして一律に正論だけを採用して壊されないようにするためにあるわけ。
日本にも、若者文化規制推進組織として巨大な勢力を誇り、その権力を存分に振るう悪の組織PTA、さらにその中でも原理主義的行動を取る過激派などがあって、奴らは隙あらば規制を強化しようとする。彼らの言う通りにしていては全てがおかしな方向に言ってしまう。それらに対して「ほおら規制はしていますよ」と言うために存在する、と言う言い方もできるわけさ。風営法の条文を眺めると直接的に全面規制をせず、しかし象徴的な表現になると濫用されかねないので、象徴表現は使わずに定量的に計れる面積や要件を具体的に挙げているあたり、しっかり配慮してがんばってやっている事が分かると思う。
だからルールを守っている所を守るために、ルール違反は厳しく取り締まる必要がある、ルール違反を見逃していては全体を守ることができない。そう言う性質もあるわけだよ。
こう言う話に対してそこで文化などという一本槍で、現在保護されている権利について語らず法律が古いと言う根拠で規制撤廃を求め、それが通っちゃったらまさに道理が引っ込む事になる。
それを言ったら花魁文化とか衆道とかどーなったのって話になるわけでしょ?
クラブの問題は結局
になるんじゃないのと先ほど書いたけれど、ここでひとつ規制全否定として分かり易く「風営法の規制を受け入れるか否か」であくまでも「クラブは風営法の適用範囲外でなければならない」という主張をするとしてみましょう。
するとそういう主張のために、何が必要になるかと言えば、
等、規制は本当に必要無いんですよ、と言えるだけの根拠だ。ここで「この法律が作られた当時は売買春の防止を目的としていた」などと今この法律の規制によって守られている対象に対して規制を撤廃しても良いかどうかと言った「今」無視して強弁するような話はしても意味が無い。
と言う程度の反応しか聞こえてこない。これは違うと思うね正直。
規制する時は、規制する側が規制の根拠を示さなければならない、と言う事になるけれど、規制当局はそれを問われれば、自前のデータベースから、ごっそりクラブ絡みの犯罪をずらずらと並べることができるだろう。そしてこう言う「規制が無ければもっと犯罪は多かったはずですよ」。既成事実や歴史というのはそれだけで根拠になり得えてしまう。どんなことでも現状があるのだから今よりも悪くならないと言う事を認めさせなければならない。いま、ここにある現状が何よりも根拠になっているのだから。
個人的には、だが、この文脈で単純に風営法規制から外せと主張して通るとは思えないと思っている。例えば
この三つ、全部揃えるの無理でしょう?
犯罪件数は一般の飲み屋と変わらんと主張する(これは一旦停止違反はスピード違反よりマシだと主張するみたいで筋が悪いがしょうが無い)ことで何とかなるかも知れないというイメージはある。(実際統計は分からんけれど)だがホールの広さは狭くてもいいってのは個室に繋がり管理者が管理しにくくなり犯罪の発見や抑止的に問題がある等の理由からだし、住宅街や病院の近くに作ってよいなんて事は単純には無理だよな。
こんな事しか言えてないのだから、こう言う主張が中心になるのは仕方が無いと思うが、落としどころとしては現在法律によって保護・抑止されている部分に対する配慮が無い時点でそのまま通るわけもないよな。(特にカラオケボックスは対象外なのにって論法は酷い。本当に法律家が絡んでるのか疑うレベル)ありえるとしたら大量に集めた署名を「あなたが法改正に賛同したらこれだけの人間があなたに投票しますよ」とすり替えて政治家を動かすといった寝技だがそこまでやれるのかはわからん。
よくクラブの風営法規制論について「非実在青少年問題」と対比されるが、非実在青少年の問題のときはこれらに対して
と言った主張が行われている。ここに加えて「サブカルチャーの文化に多大な影響をあたる」と言われていた。
これらは外国の統計なども駆使されていて、主張の中できちんと理論的な整合性がとれていた。
を眺めても、全くそう言う話が出てこない。
何でもかんでも文化の否定と言われれば同一視ししたくもなるけれどさ、正直主張の内容と状況はかなり違うと思う。
またここで警察批判をしても始まらない。日本の警察は、警察は良くも悪くも忠実な人々なので。
風営法をいろいろと調べていくと、許可取得の観点で一番問題になっている要件って、24時以降営業でもなんでもなくてさ、これ
大抵これで引っかかる事になっているみたい。
今回の問題に絡んだ主張ではなく、各地で風営法営業許可の取得業務を行っている行政書士事務所などのFAQとか、そう言う所を読むとここが問題になっている。24時以降営業の許可不許可なんて、最悪そういう風に営業しますと言えば通るのであってそれが問題だったらもっと簡単に風営法の営業許可が取得できているはずなのよ。潰されるよりはマシだから、24時以降の営業をあきらめて、まずは指導に従って営業許可を取ります。そのあと署名活動をして法改正を求めますとかそうと言う選択肢を通り過ぎていきなり廃業にと言う話になっているのはこの辺りに要因がある。
どこかで問題になって摘発されたケースでは、近くに病院があったために風営法営業許可が取れなかったそうだ。しかしこれはクラブ規制反対派からは「病院が近くにあったっていいんだ!」と言う方向で反論が上がっているのを見たことが無いが、どこかのサイトで「近くに病院があったためどうしても風営法許可が取れなかったそうだ」といった記述を見た。病院の近く出なかったら取得する気はあったとも読める。また、ここでは想像でしか無いが病院側から医療活動に支障があるといった苦情が出た可能性がある。(警察は誰の苦情で動いたか、と言った事は苦情を言った人間を保護するために具体的には明かさないのが普通)
床面積規制は要するに、個室になって従業員が預かり知らないところで犯罪行為などが行われると問題であるため、大きな見通しのきく広い部屋でやれ、と言うところで間接的に犯罪抑止効果を狙って規制している。これを規制されると小さいクラブなどは同じ場所で許可を取ることはできないと言われる。確かにワンフロア66平米は普通の商業雑居ビルじゃなかなか確保できる広さではないな。
よく話題になる「24時以降営業許可」を勝ち取っても、この最大の障害を排除しないと意味が無い。(にも関わらず「あなたの趣味が24時以降規制されたらどう思いますか」等と言う明後日の方向の主張ばかり繰り返す奴が後を絶たない)
ちなみにそれ以外に
この規制は実は古くからあった。あったがずーっとお目こぼしの状態だったわけだ。ただし摘発はされないだけで指導などは行われていた。
それがついに許容できる範囲を超えたと言う事で、今回規制が始まった。そうしたら今ダンスが規制されたかのように騒ぎ始めていると言うわけだ。クラブ文化が日本で生まれてから30年以上といわれる。しかし規制は規制に反対する側が「明治のころに売春防止で作られた」と言っているとおり古くから存在する。猶予期間はそのあいだ十分にあったと言ってもよいのでは無いかな。
似たような事で、この文脈ならば多少たりとも言える事は「警察が摘発してこなかったのだからずっと合法だと思ってたのに急に規制するなんて酷い。きちんと期限区切って猶予してよ」というぐらいかと思う。
結局どこを死守したいかによって話は違ってくる。
いろいろな主張を見るに多くの人々は「クラブ文化を守る」という点になっていると理解している。
であれば、
この2つは別にこれがあるからと言ってクラブ文化は守れなくなると言う訳では無かろうと思うのだがどうか。今から1ミリでも変質したくないのだ、と言う気持ちは分からなくも無いが今法律によって保護されている部分を蔑ろにしてよいわけでもない。
後は多く問題にされる営業時間の規制、24時以降の営業が文化に影響しているのであれば、その上で、24時以降の営業を確保したいのであれば、風営法の改正を求めるか、あるいは別の規制の枠組みに移してくれと主張する。
しかしこれについて問題にするのであれば、営業時間を変えるだけで済むのであって、まずは法に適合してから後で主張すると言う事ができるのでは無いかと思うのだがどうか。
逆に、小さい部屋で無ければクラブ文化が保てないのだ、とするのならば、その面積規制を「必ず従業員を配置しなければならない」だとか「映像記録装置等を設置して、その記録を一定の期間保管しなければならない」と言った規制に置き換えてくれ、と言った主張をする。(考えにくいが)住宅地や学校病院の近く出なければ駄目なのだ、とするのならば「防音防振の設備検査に合格しなければならない」「敷地内には街頭を取り付け、周囲は十分な明るさを確保しなければならない」といった規制におきかえてくれ、と主張をする、事になる。
個人的には真っ先にこう言う話が上がってきてしかるべきだと思うのだが、この手の話がほとんど出てこない背景は、結局「文化という大義名分を振りかざすことで、上記2点の本質ではない部分だが経営者にとっては一番問題である部分もどさくさに紛れて規制を無くさせよう」としている用に見える。
要するにクラブ経営者といった層が、自らの商売を続けたいがために、愛好家を利用しているような構図がいまなのではないか。だから現実的な落としどころの論が出てこないのではないか?
ここら辺が、愛好家の論と、そうでない人たちとの溝を生んでいるのでは無いかと思う。
僕秩ヨシナガさん、自身が想いを寄せる女性への寄付を募る目的でStudygiftを立ち上げたということでFA
この記事をみて、ちょっと大げさかな、と思ったけど、CNETの記事を読むと、事実にかなり近いといえるかも。
この記事を読むと、Studygiftの企画とは、
ヨシナガさんが坂口さんに、Google+に写真投稿するよう入れ知恵をして
彼女が有名になった後、彼女個人の学費を支援するために、一度はCamp fireに持ち込んだが、
ということで、studygift立ち上げ前から、ヨシナガさんには彼女を救いたいという気持ちがあったのは確定。
だから、あきらめずに、坂口さんを救うために、Sudy giftの企画を持込んでみた。
で、退学になっているのに、中退になりそうと表記して寄付をつのった。(キャプチャ)
恋愛云々はまだ断定できない。
だけど、親しい女性をGoogle+1位にした後、彼女個人を救う意図がまず最初にありきで、「ソーシャルで学費支援を」の大義名分の下でこの企画を持ち込んだ、くらいまでは言えそうよ。
だって、どうでもいい女性のために、普通、二度も企画を持ち込むかなぁって思ってしまうですよ。
それに、同じ時間に同じ場所を撮影した写真もあるみたいだし。(彼女の投稿)(ヨシナガさんの投稿)ヨシナガさんのキャプチャは重いから、消えてなければ、元記事を。
うん、偶然だよね、きっとそうに決まっている。
ええやん、感動するやん、素敵やん。
最初冗談で「詐欺www」といっていたのですが、どうやら本チャンレベルかもしれません。
以下、詳しく論じていきます。
キャッシュを見ればわかるのですが、study giftのページは書き換えられています。
主要な点をピックアップすると、
とかかれています。これを読めば「まだ中退していないのだな、応援してあげよう」と誤解しますよね。
学費が支払えず退学になるという状態
早稲田大学社会科学部(学費が払えず退学)
と変わっています。
言うまでもなく、中退になりそうな状態と退学している状態は異なりますよね。
なぜ、こんな誤解を招くような書き方がされているのか。
それは、退学していると、実はそもそもの「学費支援」という大義名分が成り立たなくなってしまうからなんです。
と記載されています。学費未納による退学者の復学は、大学が審議の上、承認した場合に限り、復学が認められます。つまり、認められない可能性があるのですね。
という事実があるため、成業の見込みが薄く、復学が認可されない可能性があります。
「学費の支援のためのお金」の目的でお金を要求しているのに、それが学費に使えないかもしれないのですね。
もし、復学が認められなかったら、寄付をした人は、いったい何のために寄付をしたことになるのでしょうか。
一般的な期待は、
という期待があった。でも、それが出来ない可能性がある。出来なかったら、Study giftはどうStudyをgiftしたの?ということになります。ただ学費支援の名目に惑わされて、若い女のフリーターの方にお金をあげただけになる。
さて、重大な事実を隠したまま「復学のための学費を支援する」大義名分でお金を集めることは、何にあたるのでしょうか。
本件はいわゆる詐欺罪に該当する懸念があります。詐欺罪になる条件とは、超ざっくりいえば、「相手を錯誤(誤解)させて、財産をゲットしちゃだめだよ」とういうことです。(詐欺の構成要件について、詳しく観たい方はこちら)
本件は「退学しているので、復学できない可能性がある」という重大な事実をつげず、「中退になるかもしれないから学費支援をして」と寄付者を錯誤させてお金を使わせているので、詐欺の構成要件にあたる懸念があります。
ソーシャルネットワークで、いままで奨学金制度で救われなかった学生を支援するというのは良いです。でも、寄付をするかどうかにかかわる重大な事実を明らかにしないで、「学費支援」の名目で寄付をつのってはいけませんよね。それは詐欺的です。
あなたはそれでもstudy giftに「いいね」をおしますか?
学費未納による退学は早稲田大学学則47条の2は該当しないというご指摘をうけ、記事の一部を修正しました。(47条の2について論じている箇所を、再入学規定についての説明に変更)早稲田大学の再入学規定を見ると、いずれにせよ学費未納による退学者の復学には「選考による許可」が必要であるため、議論の本筋は変わりません。ご指摘ありがとうございました。
学費未納による抹籍は退学にあたらないのではないか?という点について。早稲田大学の退学規定によれば、学費未納は自動的に抹籍になり措置退学とみなされます。つまり、退学扱です。再入学には大学の選考による許可が必要となります。
「退学状態にあったことや、再入学についての説明が不十分であったことは否定できないと思います。特に再入学できない可能性が明らかになった後もその点を明確に説明せず支援を集め続けた点は、かなり問題があると思います」(太田真也弁護士)