はてなキーワード: ラーメン屋とは
「神様になった日」ネットフリックスでは見られるから見ようと2度目の挑戦をしたけど…心折れそう。
俺の中では高橋ナツコ以上に苦手やねん。
麻枝准とか新海誠って「ワケワカメ」じゃなくて「わからないわからせる気がないし、かと言って様式美や美しさを掴むこともできない人が脚本してる作品ってしんどいんだよなぁ…
絵がよかったり信者がいることが免罪符になりがちだけど、本当に新海誠と麻枝准だけは脚本だけならダメダメだと思う。
すべり芸の刑って感じでお前が悪い」みたいな感じのもんが兵器で出てくるからほんま苦手
頭の中でどこからがフィクションでどこからがリアルかの区別がおっそろしくつけにくいわけ。
核発射ボタンって一応実在してた(今もないとは言い切れん)のにさ
AngelBeatsのドナーカードについてもそうで、死後の世界ならファンタジーだけど、カジュアルにドナーカードってものが出てきた途端に
ファンタジーの割に切り分けが甘いなぁ…っていつも思う。もう10年以上前から。
ABとかCharlotteとかの話はもうめんどくさいからしたくないんだけど、神様になった日の1話でもにょるセリフ、痛々しくて見る気もわかない理由を言語化しようとすると
「あーこの人は10年前から弱点や合わない理由が変わってねぇわ」
ってとこに帰結するんだよなぁ…。
見た俺が悪いんだが
しっかし、神様になった日は…本当にプロの脚本家なのかを疑いたくなるぐらいにテンポが悪い。
説明の間にギャグが入りすぎて話が進まないし、そのギャグが系統としてワンパターンでつまんない。
麻枝准のせいでアニメが役者としてプロじゃない人気タレント使い倒す邦画と同レベルに堕ちてる印象
ADHDの人のブログ始めたてな文章とか、文芸作品好きな人の自己満足文章みたいに、話が進まないで脱線してわかりにくい。
脱線が悪いというよりも「今言う必要ある?」っていうギャグやチャチャが入りまくるだけだから
ってなっとる
地方っぽい風景の街で「ラーメン食べたい」というから違和感を感じて舞台調べたら、一ミリもラーメンのイメージがない山梨の甲府周辺…。
心が折れたから次回にしよ…
ちなみに、個人的に2回目の心折れたポイントは女の子の口から食べ物が出てるシーンがネタっぽく描かれてて
「うわぁ~滑りギャグの次は、吐き芸かよ…芸人がやっちゃいけないことから順番にやってんのかな?」
って思った。
あと、ネタとは別に整合性の話だけども…競馬場もない山梨県で昔ながらのラーメン屋のオヤジが競馬やってるもんかねぇ??
競馬場がある都道府県ならわかるけど、見に行けない県でラーメン屋のオヤジでしょ?
どうやって競馬にハマるんだか全く見えないから相当変わった人に見える。
と、書いてみたけど…舞台設定上全くありえないとも言い切れないのか…。
隣町に行くと、場外馬券場があるから、山梨で競馬にハマる人はごく限られた地域に限定すればいないこともない。
なんともしっくりこない設定だけどギリあり得るのかぁ…ギリギリを狙ってくるなぁ
歳をとって顔にあるホクロが少し大きくなったのだが、気付くとそこから毛が生えている。なぜホクロから毛が生えるのか、生やしている側の本人から解説しよう。
ホクロにある毛穴からも他と同じようにヒゲが生えてくる。しかし、ホクロに剃刀を当てると血が出る(あるいは血が出そうで怖い)ので、通常、ホクロを避けてヒゲを剃る。なので、毛抜きを使ったりしないと駄目なのだが、面倒なのでそのままにしたりしていて毛が生えることになる。
一方で、本人と周囲の人間のホクロ自体に対する意識の差がある。本人にとって、ホクロは元から自分にあるもので、また美しいものでもないので、できれば見たくなかったりする。逆に他人にとってはそれは気になるものである。そんな自他における注意の差が生じているところに忍び込むのが、先ほどの髭剃りを逃れたホクロから生えた毛だというのが、私の仮説である。
なお、以前、ホクロから数センチも毛を生やしているラーメン屋の店長を見たことがあるが、あれは多分本人のこだわりだと思うので、本論とは関係がない。
31 :おさかなくわえた名無しさん :2005/06/27(月) 09:45:58 ID:vLg9Gq2N
2001年の秋
風邪ひいてて寒気がするので、
大久保にある病院に行くため西武新宿線のつり革につかまってた。
で、あたまがぐわんぐわんと痛くて、
目を閉じて眉間にしわ寄せて耐えてた。
そこで記憶が途絶えて、気がついたら夕方で、あたりは見知らぬ景色。
買ったことない服着てて、髪染めたこともなかったのに茶髪になってた。
パニクって近くのラーメン屋に入って、ここどこと聞いた。
ケータイの種類が変わってた。
アドレス帳には、「ま」とか「ひ」とか、
俺はなぜだか知らないがその知らない電話番号が恐ろしくて、川に捨てた。
向こうもパニクってた。
俺に捜索願が出てた。
とにかく、帰って、今もまだ月一で精神病院に通ってる。
第一話の時点で一軒家、子持ち、元いた組のボスが龍を連れ戻そうとしてると、
糞に糞を塗り重ねたような改悪三昧で見るに耐えなかったから見てなかったんだけど、
リビングで流れてた第五話をちらと見て「は?」となってしまったので書きなぐる。
「は?」となったシーンは原作絵が挿入されたところ。
改悪しかしてないくせに都合良く原作の絵引っ張ってきて使おうって舐めてんだろ?
しかもなんで五話になっていきなり?
原作へのリスペクトなんか欠片もないくせに絵だけは使わせてもらうなんておこがましいにも程がある。
コメディだからって揃いも揃ってはしゃいだ演技してるせいで作品としてのまとまりが皆無。
しかもそのせいで原作の魅力だったシュールさまで消え失せてる。
原作読んでるなら、龍が主夫業をする中でヤクザ言葉を使ったり大仰に振る舞うのと周囲の温度差で生まれるシュールさが魅力なんだなって分かるだろ。
それをなんで玉木宏以外の役者までみんなわちゃわちゃうるさく演じてるんだか。
っていう考えが容易に想像出来る。
こんだけ変わってたら「人気漫画の実写化」じゃなくて、「人気漫画公認の設定だけパクった別物」でしかない。
ラーメン屋で例えるなら人気醤油ラーメン屋から暖簾分けしてもらったけど、
その店が出してるのは塩ラーメンで醤油なんか一滴も使ってない。
ただ「ラーメン」っていう土台が同じだけ。
そんなの元のラーメン屋を知ってる人からしたら裏切り以外の何物でもない。
別に原作に忠実であれとは言わないけど、原作へのリスペクトが欠けた実写化は糞。
糞を超えてゴミ。
自分の色を出したいなら「実写化」じゃなくて自分のオリジナル作品でやってもらえませんか?
それが出来ないならせめて他人の作品に傷をつけるようなことはするな。
自分で一から面白い作品を作れないくせに人気作品の面白さまで奪うとかセンスがないとしか言いようがない。
ネットで頼むお正月のお節料理は重箱がすかすかなイメージがなかなか払拭できない今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
なんかさ、
もうお節とか言い出してるとこあるじゃない、
クリスマス飛び越えてもうお節の話しとかさすがに右往左往するわ。
お節料理とかってさ
三段戎馬てこ盛り料理が、
豆とか煮干しだとか、
そう言った保存性のいい食材で
お正月のお母さんの家事の手間を省きましょ、ってところが本当に見え見えなのよね。
あとさ、
私気付いちゃったんだけど、
ヘイお待ちって言う気合いが違うような気がするのよね。
つけ麺屋さんの方がなんか圧が強いというか。
気のせいじゃないと思うんだけどなぁ。
まあそれはさておき、
さくさくっと書いてあとは午後を乗り切るわ。
今日は腰パワー王のもとへ行って、
違う違う、
さすがに十字キーの上を押しっぱなしで王様のもとに行けるようなほど簡単じゃ無いけど、
行って早く腰パワーを授かりたいものだわ。
行く度に確かに腰パワーが上がってきて調子が良くなってる気がするけど、
どちらかというと、
さっきも言ったように
つけ麺屋さんの店員の「ヘイお待ち!」って言うあの圧の方が強いと思うんだな。
そろそろクリスマスがキャロって来る頃でもあるわね。
うふふ。
タマゴサンドばかり食べていると殿堂入りしたありがたみを忘れてしまうわよね。
寒いので身体温める意味合いが強まったホッツ白湯ウォーラーです。
目覚めの身体を温めてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そば、うどんは店主が麺打てないと店の格があんまり…みたいなイメージがあるけど、ラーメンは麺打てなくてもスープをこだわって作ればこだわりの店になれるし
同じくパスタも麺打てなくてもいいんだけど、パスタはオシャレさがないと売れない、ラーメンはオシャレさは関係ない男らしくてもいい、多少雑でも味が良ければ売れる
アガった👆
── 追記 ──
それは嘘だ。
映画『とんかつDJアゲ太郎』が、あの頃の気持ちを取り戻してくれるからだ。
『とんかつDJアゲ太郎』は渋谷が舞台だ。
主人公・勝又揚太郎(北村匠海)は、やりたい事がないために実家のとんかつ屋「しぶカツ」を継ごうとしているモラトリアム青年。
しかし、父親の勝又揚作(ブラザー・トム)に「(その気がないなら)継がなくてもいいんだぞ」と言われてしまう。
気落ちしていた揚太郎が出会ったのがクラブ「WOMB」だった。
プレイリストを見ても納得が行く。CCMusicFactoryの「Gonna Make You Sweat」やMaroon5の「Sugar」等ポップな曲を使いつつも、クール・ハークが発見した「Apache」を何度も使用するなどクラシックへのリスペクトは欠かさない。全体的にヒップホップ・EDM・ポップの新旧曲を満遍なく使用している印象がある。パンフレットを見てみると、監督や音楽プロデューサー等複数人で選曲をしたらしい。それが偏りを避けることにつながったのだろう。
そして、美術が素晴らしい。
しぶカツのセットはまるで映画「タンポポ」に出てくるラーメン屋のようで、「円山町のソウルフード」らしい説得力のある店に仕上がっている。
出てくるとんかつも美味しそうだ。湯気に包まれ、金色の衣から油がしたたる映像を見ると生唾が止まらない。パンフレットには「とんかつ濵かつ」の協力があったとのこと。本物のプロの仕上がりなのだ。
とんかつ屋の主人を務めるブラザー・トムに至っては、もはや美術と定義していいほどに頑固オヤジがハマっている。
それでも、本作における一番の貢献者は北村匠海さんかもしれない。
揚太郎の真っ直ぐで不器用なキャラを表現しつつも、ダンス・キャベツの千切り・DJを自身で行っているスーパーマンだ。カオスパッドを器用に操る彼の姿にはビックリした。バンド「DISH//」でボーカルを務める彼は、映画『サヨナラまでの30分』でも美声を披露していたが、やはり音楽センスがずば抜けているのだろう。
各所で批判されているYoutubeシーンの安っぽさだが、僕は評価している。
何も持たない所から、ビデオカメラを引っ張り出しお手製のミュージック・ビデオを撮る。これぞ、まさにヒップホップじゃないか。しかも、アメリカの文化そのままにスケート・ボードやグラフィティを撮るのではなく、現代日本風のタッチに置き換えたのも素晴らしい。
乱れ打ち方式ではなく、じわりと笑わせてくれるギャグ。何度壁にぶつかっても立ち向かう揚太郎の姿。そして、余韻のあるハッピーエンド。エンタメ作品として上等に仕上がっている。
DJシーンも、あれほど長尺で用意されているとは思わなかっただけに不意を突かれた。やっぱり音楽映画はライブシーンがたくさんないとね。『涼宮ハルヒの憂鬱(ライブアライブ)』も『けいおん!』も『響け!ユーフォニアム』もそうだろ。
コロナもなく事件も起きなければ、第二の『翔んで埼玉』になってもおかしくなかった。今や叶わぬ夢だ。
だが、あの頃の渋谷の、あのアガった街を確かに描写している。それが『とんかつDJアゲ太郎』なのだ。
なんかこう、クリスピーかつジューシー、そしてスパイシーって感じのフライドチキンを食いたい
でもフライドチキン以外のメニューがあるところでフライドチキンだけ頼むのはちょっと恥ずかしい
ラーメン屋でラーメンばっか食うのはアリなのと同じように、フライドチキン屋でフライドチキンばっか食うのはアリ
フライドチキン屋に行きたい
フライドチキンを食いたい気持ちはあるんだが、俺的食い物序列としてはツイスターみたいなサンド・タコス・トルティーヤ的なもの>フライドチキンなのでツイスターがあるとツイスターのほうに行ってしまう
でもフライドチキンが食べたいんだ
いやケンタッキーでフライドチキン頼めよって話なんだけど、絶対迷うし後悔もするんだよ
そうすると行く店が無いということになってくる
いいフライドチキン屋
仕事を終えたあと、Twitterのトレンドやニュースを斜め読みしてなんとなーく世間の情報を受信した気になりつつ、気になった情報があればちょっと深堀したりして、気が済んだらTwitterを離脱する。
ルーティンと呼べるほど毎日はやってないけど、私は寝る前とかによくやります。
今日見かけた話が、自分とは全く異なる属性がターゲットのはずなのに、全然他人事とは思えなかったので、思うところなどを書き留めようという次第です。
30代独身の僕らに圧倒的に「欠けているもの」 週末のラーメン屋で気がついた充足感と欠乏 | 恋愛・結婚 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/382866
もし既読の方がいれば、タイトルとこちらの記事の内容で言いたいことはなんとなく分かるでしょう。
記事の内容としては「30代独身男性は、女性と違って感情を共有しなくても淡々と生きて淡々と死んでしまえるけど、それでいいと思ってる人ってきっと多くはなくて、むしろそういう人たちのほとんどは誰かと過ごす余生、誰かと一緒に迎える最期が理想だったりするのだから、体裁なんか気にせずにもっと積極的に恋愛していこうぜ!」というような感じ。
これを読んだ私は(いや、これまんま私にも言えることじゃん……)と思ってしまいました。
社会人7年目、2回転職して、新卒の頃よりは自由に使えるお金も増えて、人並みに愚痴をこぼしながらも現職にはそこそこ満足しています。
5年前くらいから結婚する友人もちらほら出てきたけれど、それで焦ってマッチングアプリを試したり自分磨きに精を出したり、そういう時期は2年くらい前に通り過ぎました。
もともと結婚=幸せだと思っていなかったせいもあって、ここ最近はわりとあっさり「私にはそういう縁が無かったんだろうな」という考え方に移行しました。
その価値観の移行の背景としては、やっぱり友人の存在が大きい。
私は自他ともに認めるオタクで、好きな作品のキャラクターたちのフィギュアやぬいぐるみが、部屋の中にぎっしり……とまではいかなくとも、普通にそこかしこに置いてあるし、同人2次創作も嗜むし「趣味の合間に生きている」「趣味の合間に仕事している」と豪語するようなダメ人間でもある。
正直、オタク的に夢中になれる趣味を持たない人たちは、一体何のために生きてるんだ? と不思議に思っています。
好きなコンテンツの有料配信を視聴する時や、推し関連グッズの予約をする時には「このために働いてるわ……」としみじみ思うなどします。オタクなので。
そしてありがたいことに、私はそういったオタク的な話題で盛り上がれる友人に恵まれており、コロナ禍の現在でも複数人の友人とLINEやSkypeでそういったオタク話を共有することができています。
孤独に強い、というよりは、孤独を感じた時に助けてくれる友人に恵まれていて、それが「まだ」通用している、という感じです。
でも、そういったオタク友だちがこれから先、もし結婚して、さらに育児に追われるようになったとしたらどうでしょうか。
少なくとも、今と同じ頻度で連絡を取ることは望めません。
きっとそうして一人、またひとりと疎遠になっていくのかもしれません。
あるいは、私と同じような考えで結婚という選択肢にある種の諦めを感じている友人もいるのかもしれませんが、結果的に将来誰が結婚して誰が独身でいるか、なんて誰にも分からないので「今頻繁に連絡を取っている友人みんなと疎遠になってしまい、パートナーも見つけられずに一人で孤独と戦っていく状態」になる可能性は絶対になくならないんですよね。
つまり、冒頭で紹介した記事の「誰かと過ごす余生、誰かと一緒に迎える最期を迎えたいのなら、体裁なんか気にせずにもっと積極的に恋愛した方がいい」というのは、私のようなアラサー女オタクにも十分言えることだな、と思ったわけです。
友人に恵まれているアラサー女オタク、大人パワーもそれなりに持っていてオタクライフ楽しすぎるんですよね。
でもそれが一生続く保証はどこにもない。
もちろん、結婚することができたとしても、離婚せずに幸せにパートナーと添い遂げられる未来は絶対ではありません。
とはいえ、結婚していない人間がそのような未来を迎えるよりは、確率が高いと言えるでしょう。
そして、歳を重ねれば重ねるほど恋愛や結婚の可能性が低くなるのは男性より女性の方──というのは偏見かもしれませんが、そう思っている女性は多いのではないでしょうか。
何が言いたいかというと、【友人がみんな結婚するなどして疎遠になっても、新しい友人と、もしくは自分一人で将来の孤独と戦っていく覚悟】を決めるか、【将来の孤独と戦う可能性を低減するために、他人と人生を共有するリスクを取る覚悟】を決めるか、そのどちらかを【まだ結婚に漕ぎ着けられる可能性が残っている年齢のうちに決めなければならないのではないか】という不安があるんですよね。
おじいちゃん×おばあちゃんの初婚という可能性があるなら今焦って決めなくてもいい覚悟なんですけど、そういう話って全く無いか、あったとしても芸能人でもない限り話題に上がらないので、どのくらいあるのか分からない。
「若い頃、結婚を目指して努力していれば、こんなに孤独を感じなかったんじゃないか」と後悔したくない。
せめて、「若い頃にある程度色々試したけど縁がなかったんだから仕方ないよね」と諦められるくらいには、努力しておきたいなって思うんですよ。
耐えられない孤独の中にいるかもしれない未来の自分に、後悔までさせたくない。
正直マッチングアプリも街コンも、結婚とか恋愛とか二の次で、「若い頃にある程度色々試した」という言い訳を作るためだったと言っても、過言ではないな、と思います。
まだ答えは出ていないのですが、ひょんなことから結婚相談所の初回面談を予約しました。
予約に踏み切ったのは、ここに書いているようなことを話して「あなたには、結婚は必要不可欠なものじゃないですよ」とか、そういうことを言ってもらえるのなら、もう結婚や恋愛の機会を見つけに行くのをスッパリ辞められるんじゃないか、と思ってのことでした。
でももしかしたら、その面談の後も、このままもう少し悩み続けるかもしれないですね。
ひとり遊びは楽しいし得意なので、いくらでも飽きずにいられるけれど、例えば定年退職後のような、誰の役にも立たない自分を、前向きに受け入れて生きていく自信が無いから。